【SS】ウマ娘外伝

  • 1二次元好きの匿名さん23/05/01(月) 23:47:33

    トレセンで働くジョン・ペンドラゴンは壮年を越えた男である。多くのウマ娘を見てきたベテラントレーナー。そんな彼には最近気になる子供が、ウマ娘の少女が居た
    というか勝手にジョンの家の敷地に入ってくるので否応なしに意識する

    「……また柵を越えて来たのか?」
    「がじがじがじがじ」

    年端のいかない、だが目付きの鋭さは可愛げの欠片も無い青鹿毛のウマ娘。額中央から垂れる流星を挟んだ瞳は全ての存在に対して怒りを向けているようでもあった

    「がじがじがじがじ」
    「庭の人参食べるのやめてくれねえかなぁ……」

    他人の家に不法侵入して家庭菜園の人参を貪り食う、通報案件であるがジョンはこのウマ娘とは知らない仲では無いので不問にする。泣き寝入りしているとも言うが……最近は彼女の為に育てている感じはしている。それにミドルスクールにも届かない幼いウマ娘に対して罪を問うのもジョン的に難しい所であった
    ジョンは何度目かもわからない溜息を吐きながら少女に手を差し伸べる。

    「料理した方が美味いぞ。ほら、中に入って―――」
    「ガチンッ!」
    「うぉおお!? 危なっ!?」

    手を噛まれそうになった

  • 2二次元好きの匿名さん23/05/01(月) 23:47:47

    「ウゥ~~ッ! ふあっく!」
    「お、落ち着け。良い子だから、な? おじさんは怖い大人じゃないよー、近所でも優しいと評判のおじさんだ」

    いつもこうだった。ジョンが少し歩み寄ろうとすれば少女はそれを拒絶する。痩せ細った体を華奢な四肢で支えながらジョンに牙を剥く彼女はさながら飢えた猛獣だ

    「ッ!」
    「あ」

    ジョンが身構えているとその少女は食べかけだった人参を口に咥えて脱兎の如く駆け出す。その素早さはヒトが追い付けるような物では無く瞬く間に彼女は柵の上へと登り詰める

    「シルバー!」
    「……ふあっく」

    ジョンは少女の名を呼ぶも彼女は戻ること無く、一瞥して罵倒を吐くとそのまま柵を越えてこの場から姿を消す

    「はあ、まったく。とんだじゃじゃウマ娘だよ……シルバーサバス」

    SilverSabbathが立ち去ったのを見送ったジョンは荒らされた畑を前に苦笑するのであった

  • 3二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 00:05:02

    シルバーサバスとジョンが最初に出会ったのは偶然、彼女がジョンの自宅前で蹲っていたのを彼が見付けた時だった。その時に人参を与えたのが動物的な餌付け行為になったのかシルバーは時折こうしてふらりとやって来ては畑を荒らすようになった

    「……このままって訳には、いかないな」

    先日荒らされた箇所を耕し直したジョンは難しい顔で独り言ちる

    「もう一度あの子の家に行ってみるか?」

    どう考えても名乗るような生き物に見えないシルバーサバス。そんな彼女の名を知っていたのはジョンが立ち去るシルバーの後を付けて自宅を突き止めたからだ。やましい理由は無いのでストーキングとか言わない
    シルバーの姿ははっきり言って浮浪児同然。薄汚れた衣服を着た身嗜みなど知らないと言うような格好、そして栄養不足なのか折れそうなぐらい細い手足をした貧相な体格はまるでハンガーのようだった。だから本当に孤児かもしれないと思ったジョンがシルバーを心配して後を付けたのである
    ジョンは少し思案するともう一度シルバーの家に赴くことを決めた

    -・-・-

    2度目となるのかジョンは慣れた様子でその家を観察する

    「ほんとう最低の親だな」

    物陰から遠目にシルバーの自宅を窺うジョン。その姿は紛う事なく不審者。だがそれが霞むくらいにその家は酷かった

  • 4二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 00:06:04

    飲んだくれの父親、遊び歩く母親。どちらも我が子に無関心なばかりか暴力すら振るう始末。子供が健全に育つ環境では無い
    この日もそれは同じだった。シルバーは家の裏手に居た。顔に青痣を作った痛々しい姿で。

    「……通報したのに改善してねぇな。ふあっく」

    ジョンがそうして見ていると、蹲りながら暗い瞳で道路を睨んでいたシルバーが時計に目を向けるとふらりと立ち上がり何処かへと歩き出す。

    「何処へ? 俺の家、じゃないな」

    ジョンは自分の家に来るつもりかと思ったが方向が違った。付いていこうかと考えていた……その時だった。

    「あらあら子供を観察とかどこの変態さん?」
    「うわああ!?」

    後ろから声を掛けられてジョンは驚く。振り向けばそこに立っていたのは猫のように笑う芦毛のウマ娘だった。その顔を見てジョンは安堵の息を漏らす。

    「……な、なんだ君か。驚かすな」
    「驚いたのは私なんだけどトレーナー。急に叫んだりしちゃって」

    芦毛のウマ娘はジョンが担当するウマ娘だった。彼女はジョンが胸を張って優秀だと言えるレース選手でもある。

  • 5二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 00:18:15

    「叫んだのはすまない。だが君がどうしてこんな所に?」
    「散歩ついでにお買い物? まあ目的は無いかな~」
    「そうか」

    猫のような瞳をくりくり動かしながら芦毛のウマ娘は離れた場所を指を差す。

    「それより良いの? あの子、見失っちゃうよ」
    「え? ……あ」

    指差した場所を見ればそこには小さくなるシルバーの姿。追い掛けるなら直ぐ行かなくては見失ってしまいそうでジョンは悩む。

    「悩むぐらいなら追い掛ければ~?」
    「だが」
    「どうせあの子が心配で首突っ込もうとしてるんでしょ?」
    「…………」

    その通りで何も言い返せない。そんなジョンの表情が面白かったのかにやにやと笑う芦毛のウマ娘。

    「一人が不安なら私も付いてってあげようか?」

    見透かしたようにそう申し出る芦毛のウマ娘にジョンは頭を下げる

    「……お願いします」
    「はーい、じゃあレッツゴ~」
    「ちょ、力強っ。おじさんの体力考えてくれ」
    「運動が足りないよ運動が~。お腹ぷにぷにじゃん。ほらほらランランラン!」

    そうしてジョンと芦毛のウマ娘はシルバーの後を追い掛けるのであった

  • 6二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 00:27:29

    2人が追い掛けた先で見たのは幼いウマ娘達が行う野良レースだった。そこで一番目立っていたのは―――

    「―――しゃあああ!!!! 私の勝ちだオラァ!!!!」
    「負けたー」
    「シルバーちゃん速ぇー」

    シルバーだった

    「…………」
    「わあ、アーサーってば面白い顔してるよ」
    「アーサー言うな」
    「だってペンドラゴンじゃんトレーナー」
    「そのファミリーネームの所為でどれだけ名前を間違えられたことか……って今はそんなことより」

    芦毛のウマ娘の呼び掛けで正気に戻ったジョンは気を取り直してシルバーを見る。

    「オラオラ可愛いディップシッツ(クソ共)!! 今度は全員で掛かって来ても良いんだぜ~?」
    「は? むかつく」
    「皆で泣かそうぜこいつ!」

    シルバーの口汚い煽りに乗ったウマ娘達はスタート位置に並ぶ。そうしてコイントスでスタートの合図を行い、勝敗は直ぐに決する。

  • 7二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 00:28:11

    「また私の勝ち~! や~い、ざーこざーこ! ざぁ~こぉ~!!」
    「ぐぬぬぬ、腹立つけど強え~」
    「シルバーやばい。強さと頭が」

    楽しそうに駆けっこをする姿は幼いながらもウマ娘。それはとても微笑ましい光景で、そして―――

    「…………」
    「へー、あの子……素質有りそうだね」

    ジョンはシルバーの秘めたる可能性に言葉が出なくなった
    まだまだ未熟な年齢、本格化など遠い先、しかし

    「シルバー。君は……」

    しかし才能の輝きは確かにそこに在った
    ジョンは自分の前では見せないシルバーの別の顔、別の姿に、我知らず心が震えた気がした

    「……トレーナーってばまた面白い顔して。私を見付けた時と同じ」

    芦毛のウマ娘は微笑む。ジョンがトレーナーを務めて初めてケンタッキーダービーを手にした、そのウマ娘である彼女は楽しそうに微笑むのであった

  • 8二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 00:30:23

    続く

    感想とか気になったこととかご自由に書き込んでもらって大丈夫です

  • 9二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 00:32:26

    我われはこの男と少女を知っている!
    いや!このあだ名とこの流星を知っている!

  • 10二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 00:34:31

    シルバーサバス、一体誰なんだ……??

  • 11二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 09:29:29

    翌日

    「シャァー!」
    「ねえ、何で俺の家に来る時言葉置いてくるの?」

    ジョンは何度目かわからないシルバーの来訪を慣れた様子で迎える。畑はもちろんめちゃくちゃ荒らされてる

    「おじさん、もっと君と普通に話がしたいんだけどなー」
    「……ふん! がじがじがじ」
    「良い食べっぷりだなー」

    地べたに座って人参を囓るシルバー、彼女の隣りにジョンは腰掛けると空を見上げる。空の端に黒い雲が見える。もしかしたら少し荒れるかもしれない。

    「なあシルバー、ちょっと良いか?」
    「……がじがじ」
    「トレセンに来る気はないか?」
    「…………」

    先日からずっと、もしかしたらそれ以前から考えていたかもしれない。時折見せる少女の見事な身のこなしから感じていた才能の片鱗、それを知った時からずっと。

  • 12二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 09:30:30

    「俺が働いているトレセンは、まあ結構大きな所だからクラブで実績有る子じゃないと中々入るのは難しいが……君なら行けると思うんだ」
    「…………」
    「良い所だよ、トレセン。皆楽しそうに走ってる」

    あんな親元で腐らせておくには惜しい才能。そして何より

    「何より……そんな傷を作らなくていい」
    「っ!」

    頭を撫でられたシルバー。彼女はびくりと体を硬直させると、直後飛び跳ねるようにジョンの傍から離れる。
    鋭い視線。ジョンはそれを真正面から受け止めながら優しく伝える

    「だから考えといて欲しい。将来を、君自身の幸せが何処に有るかを」

    それを聞いたシルバーは

    「…………、……ッ!!」
    「痛ぁっ!?」

    食べかけの人参をジョンの顔面目掛けて全力投球した。直撃したジョンは「うごごごご……」と悶絶し、それを尻目にシルバーはぴょんぴょんと柵を上る。

  • 13二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 09:31:32

    「ちょ、シルバー? 流石にこれは泣けるんだが」
    「……うるさい」
    「っ!?」

    ジョンは目を見開く。シルバーが初めて言葉を返したから。だから彼は黙って彼女の声に耳を傾ける

    「……大人なんて、信じられるか」
    「…………」
    「それに私には、あいつらが居る」
    「あいつら?」
    「……もう来ない」
    「え?」

    柵を飛び降りて向こう側に立つシルバー。柵の隙間から見える彼女の目を鋭くて……だけど痛みを堪えるようで

    「人参うまかったよおっさん。じゃあな」

    そう言って彼女は走り去る。それを見送ったジョンは少しの間呆然としていたが……頭を掻いて立ち上がる

    「……あんな顔して、放っておけるわけないだろ」

    畑を直す。いつでも彼女が来ても良いように

    「感謝祭近いし、人参ハンバーグでも作っといてやるか」

    暗雲が稲光を発した

  • 14二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 09:32:47

    感謝祭当日、ジョンの元に大勢の友人達が来ていた

    「この善き日を皆で祝おうじゃないか」

    数日間は続く憩いの時間に皆は笑顔だ。当然ジョンも

    「…………」
    「どうしたんだジョン。生乾きの靴下みたいな顔して」
    「なんだその喩え」

    ワインを手に外を眺めていたジョンは声を掛けてきた友人に目を向ける

    「なんだって、恋人でも待ってるような目をしてたから?」
    「成る程。お前はもう二度と喩えんな」

    他愛も無いやり取り。だがジョンの意識は目の前の友人では無く未だ庭に姿を見せない少女に有った

    「―――そういえばあいつって日本人なのにここでトレーナーになった変わり者……って本当にどうしたジョン? お前今日変だぞ」
    「あ、ああ悪い。何でも無い」

  • 15二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 09:33:18

    折角の感謝祭、招待した友人達を持て成せないのも悪いと思ったジョンが気持ちを切り替えようとした時―――

    「ちょっと失礼、電話だ」

    ジョンは友人に断りを入れると受話器を手に取り応答する

    「もしもし、こちらは……」
    『アーサー大変!』
    「その声は君か? だからアーサーと呼ぶなと―――」

    電話の相手は芦毛のウマ娘。いったい何の用かと尋ねようと思っていたジョンだが、そんな悠長な考えは彼女の言葉で吹き飛ぶ

    『あの子が! シルバーが大変なの!』
    「――――――」

    背中に嫌な汗が吹き出る
    ジョンはその後どんなやり取りをしたのか一切覚えていない
    彼はただ直ぐに友人達に謝罪すると感謝祭から抜け出し、病院に搬送されたというシルバーの元へ一目散に向かうのだった

  • 16二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 09:35:16

    続く

    目指せプリティーダービー

  • 17二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 19:40:11

    病院に着くとそこには芦毛のウマ娘が待っており顔色の悪い彼女に案内されてジョンはシルバーが現在“手術”を行われている部屋の前に辿り着く。

    「少し散歩してたの、それであの子の家の近くに来たから……」
    「…………」
    「家は静かで、感謝祭なのに誰も居ないのかなって、それで窓から中を見たら……」

    芦毛のウマ娘がそこで見た物は―――力無く倒れ伏すシルバーの姿だった

    「それで救急を呼んで、私……」
    「そうか。ありがとう、きっと君はシルバーの命の恩人だ」
    「でも」
    「大丈夫だ。きっと助かる」

    泣きそうな芦毛のウマ娘を安心させるようジョンは力強く断言する。トレーナーとはそうして選手に勇気を持たせるのだ。自分がどれだけ不安を抱えていようと、面には決して出さず
    治療はいつ終わるかわからない、そんな時に1人の看護師が現れてジョンに近寄る

    「失礼、ご家族の方ですか?」
    「いえ。知り合い……友人でしょうか」
    「そうですか」

    病院側からシルバーの家族に連絡を入れているが応答は無い。新たに訪れたジョンを親類かと思ったがそうでは無いと聞いて僅かに表情を顰めた。これは感謝祭で我が子を放置し行方知れずとなったシルバーの両親に対しての不快感が顔に出たのだ

  • 18二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 19:41:22

    「一応シルバーちゃんの容態を説明しようと思うのですが……」
    「聞きましょう」
    「じゃあ早速。シルバーちゃんは―――」

    そうして看護師はシルバーの病状と施術の説明をする。それらを聞くジョンと芦毛のウマ娘の顔色は悪い

    「―――なので閉塞と穿孔によって生じた消化器官へのダメージの回復が術後の課題となります」
    「…………」
    「もし通報がもう少し遅れていればより危険な状態に、命に関わっていたでしょうね。まったく、シルバーちゃんの家族は何をしているのでしょうか」

    説明の終わりに看護師の口から遂に不満が漏れる。感謝祭にこんな酷い仕打ちを行う両親への苛立ちが頭の天辺まで来たのだろう、緊張で立っていた耳が絞るように伏せられている
    ジョンはそんなシルバーのことを気に掛けてくれている看護師へ伝える

    「何か必要な物が有れば俺に言ってください。全て用意します」
    「宜しいので? 高いですよ?」

    救急車を呼ぶのだってタダでは無い。当然だが治療も。

  • 19二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 19:42:09

    「構いません」

    ジョンは即答する。もうこの時に彼の気持ちは決まっていたのかもしれない。シルバーの将来について

    「……奇特な人ですね。まあそれはシルバーちゃんの家族と連絡を取って改めて話ましょうか」

    看護師がそう締め括ると手術室のライト、術式中を示す光が消える。手術が終わったのだ
    医者が扉から出てくるとジョンに目を向けて伝える

    「―――手術は成功です」
    「っ! それじゃあ」
    「ですが安心は出来ません」
    「……え?」

    手術成功に気が抜けたジョンに医者は氷のような冷たい現状を口に出す

    「潰瘍による嘔吐と出血によりただでさえ衰弱していた体はより力を失っています。当然ですが投薬と点滴は快復するまで続けます……しかしその間いつ容態が急変するかわかりません」

    誰かが看護していなければ万が一が起こり得るかもしれない。だが感謝祭で人手が少ない病院でそれを行える看護師は居ない

    「こちらとしても最善は尽くしますが」
    「なら俺が付きっ切りで看病をします」

  • 20二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 19:43:16

    人が居ないなら俺がやる。ジョンは迷い無くそう申し出た

    「アーサー、良いの?」
    「ああ勿論。それで何だが……君にお願いが有る。俺の代わりに友人達に伝えてきてくれないか? 俺がもう感謝祭に出られないことを」
    「……わかった」

    ジョンは芦毛のウマ娘に家のことを頼むと、自分はシルバーの為に出来る事を始めるのであった

    -・-・-

    最初はただの風邪かと思った。昨晩母親から水を浴びせられ父親には階段下の物置に閉じ込められたから。発熱も腹の奥のじくじくとした痛みも吐き気もその所為だと思った。
    感謝祭だからと家を出ていく両親の気配を察してシルバーサバスは物置から脱出を図ろうとしたが……その時点で悪化した体調が耐え難い物となっていた。

    (クソが)

    普通の子供なら泣き叫ぶ激痛。歯を食いしばりながら耐えるシルバーサバスが感じていたのは

    (クソが!!)

    強い怒りだった

  • 21二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 19:44:22

    (クソがクソがクソが最低最悪のクソったれ共が!!!!)

    痛みと怒りを叩き付けるように物置の扉を破壊したシルバー。立って歩くのすら辛い状態になった彼女は床を這いながら外を目指す

    ―――まるでケダモノだな。見るのも不愉快だ―――

    酒臭く暴力を振るう父も

    ―――金にならない顔して、私の役にも立てないの?―――

    外で若い男とばかり遊ぶ母も

    「……ッ!」

    子供が虐待されているのに見て見ぬ振りをする周囲の大人も含めて、全部全部全部
    シルバーは床に爪を突き立てて怒りを燃やす。そうして悲鳴も何もかも噛み殺す。胃の中身を全て引っ繰り返そうと、血の混じった反吐になろうとも

    (酔っ払いのカスも、尻軽のカスも、全部全部、いつか絶対ぶっ潰してやる)

    強靱な精神は立ち上がれと叫ぶが、しかし幼い体には限界が有った

  • 22二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 19:45:31

    (死ぬのか? こんなところで? ふざけんなよ)

    指先の感覚が無くなる

    (ああ、これじゃああいつらと遊べねえなー。くそったれ)

    シルバーは薄れゆく意識の中で一緒によく遊ぶ、レースをするウマ娘達を思い浮かべ、そして……

    (……名前……なんだったっけ……)

    ある男の顔を思い浮かべた。その男は初めて自分と真っ直ぐ目を合わせてくれた大人だった。他の大人のように直ぐ厄介者扱いしてくるだろうと思っていたのに、どれだけ庭を荒らされても笑って許す変な大人

    (まあ、もう会わない……から……いいや……)

    どうしてかシルバーは名前も知らないその男に会いたいと思い、そしてゆっくりと意識が闇へと沈んでいき
    完全に気を失う直前、シルバーは家の窓を蹴り破るウマ娘を見たような気がした

  • 23二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 19:46:40

    シルバーが目を覚まして最初に思ったのは「知らない天井が見える」だった

    「……っ……っあ゛ー……あ゛?」

    薬と湿気た人の臭いに顔を顰め、声を出そうにも喉が痛いくらい渇きうまく出せない。腕を動かして目を向ければ点滴の管が繋がっており、そうしてシルバーは自分は病院に居るのだと気付いた

    (入院? あれからどれだけ経った?)

    起き上がろうとするが腹部に感じる痛みと全身を重く縛るような怠さにより出来なかった。だから首を動かして視点を動かすのだが

    「……お゛っざん゛?」
    「ぐー、ぐー」

    そこには付き添いで泊まり込みをしてくれていたジョンの姿があった。彼は椅子に座った体勢で眠っており目の下には隈が出来ていた。殆ど寝ずに容態を見守っていたようで今眠っているのも疲労が限界を越えたからだろう

    「…………」

    大人が嫌いだった。だからどれだけ優しくされようと信じられなかった
    だがシルバーはこの男は自分が嫌いだった大人達と違うのでは無いかと思った

    「……な゛ま゛え゛」

    目が覚めたら聞こう。シルバーは窓から差し込む太陽の光を見ながらそう決めた

  • 24二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 19:49:41

    続く

    【祝】シルバーちゃん、一命を取り留める

  • 25二次元好きの匿名さん23/05/02(火) 23:57:07

    病院食を頬張りながらシルバーは目の前の男へ言う

    「おっさんバカだな。感謝祭を全部パーにするなんて」
    「あははは……」

    ジョンは笑って誤魔化しながら自分も食事を口にする

    「他人の、しかも迷惑しか掛けてないガキなんて放っておけば良かったんだよ」
    「大人としてそれは出来ないなぁ」
    「私の周りはそんな大人ばっかだぜ」
    「……なら彼等は大人じゃないんだろうね」
    「何だそれ、うける」

    ケラケラと笑うシルバー、食事を摂っているのもそうだが顔色も随分と良くなった。それが嬉しくてジョンも笑顔になる

    「なあ、アーサーのおっさん」
    「俺の名前はジョンだ」

    ジョンは真顔で突っ込む

    「芦毛の姉ちゃんそう呼んでたろ? 何がダメなんだ?」
    「俺には親から貰ったジョンという名前が有るんだよ」
    「良いじゃん。格好いいぜアーサー。腹はだらしないけど」
    「フライドチキンが止められなくて……ってバカ野郎。この年のおっさんはこれで普通だ」
    「えー」

  • 26二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 00:03:30

    空になった皿にフォークをカランと放り込んでシルバーは口角を上げる

    「そんなんで本当にトレーナーが務まるのかよおっさん」
    「まあ走るのはウマ娘(君達)だからね」

    ジョンはこうしてシルバーと言葉を交わせるのを嬉しく思う。何かしら心境の変化が有ったのだろう、自分という存在を受け入れてくれたようで安心した

    「シルバー、明日が退院予定日だし俺ちょっと病院の人と話をしてくるから」
    「おー」

    腹が満たされて眠気が来たのかベッドに横になるシルバー。彼女のだらけた返事を聞きながらジョンは病室を後にする

    「…………」

    意識が戻ってから久し振りの1人の時間にシルバーは少しだけ不思議な気持ちになる。ジョンが居ない時も誰かしらこの病室に居てくれたから

    (芦毛の姉ちゃんに知らんおっさんやおばちゃん達……どいつもこいつもアーサーの知り合いだけあってお人好しだったな。それに外人も居たな、出身は知らん。アジア人は区別がわからねえ)

    今まで居なかったタイプの大人達にシルバーはあまり言葉を交わさなかった。どう接して良いかわからなかったから。ジョンは特別、気を使わなくて良いと判断したので普通に喋るようにした

  • 27二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 00:04:35

    (……そういえばジソウ?って奴が来てヨーシエングミがどーたら言ってたな……まあどうでも良いか)

    体を癒やすには食って寝るのが一番。そう知っているシルバーは睡魔に身を任せると目を閉じる
    シルバーサバスが入院してから数日間、一度たりとも彼女の両親が来ることは無かった

    -・-・-

    シルバーが退院してから更に数日経った。ジョンは今日が記念すべき日になると思っていた

    「今日からここが君の家だ」
    「……マジかよ」

    シルバーは前々から説明を受けて知っていたが、こうして改めて現実を前にすると受け入れるのに時間を要した

    「マジで私、おっさんと暮らすのか」
    「そうだ」
    「つまり家族になるのか?」
    「まだ仮だけどな。まあ特に問題無ければ正式に判を押してもらえるさ」

    ジョンはシルバーを引き取った。以前から準備を進めていたとはいえかなり強引な手を使った自覚は有るジョンは視線をあらぬ方向へ向ける。手伝ってもらった友人達にも大分借りを作った

  • 28二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 00:05:31

    「私からすればどっちだって良い。あのピスヘッド(アル中カス)とファグリー(ドブスカス)から離れられれば何だって」

    実の親に対して酷い言い草、とジョンは思わない。彼にとってもあの両親は最低最悪の人間だと思っていたから
    ジョンはこの家がシルバーにとって大切な場所になれば良いと思っている。大人に対して根深い不信感を持つ彼女の心を癒やそうと、普通で当たり前の生活を通じて伝えようと思った。だからその為に自分が頑張らねばとジョンが気合いを入れていると―――

    「おっさん」
    「ん?」

    シルバーはそっぽを向いたままポツリと言う

    「……畑、手伝うから……教えろよ」
    「…………」
    「私の庭にもなるんだろ? ここ」
    「……ああ。勿論!」

    ジョンは笑顔を浮かべる不安なんて欠片も無い。きっと自分達なら大丈夫、どんな困難が来ても乗り越えられる。照れ臭そうに首を紅潮させているシルバーを見るとそう心から信じられた

    「じゃあリハビリがてら手伝ってもらおうか」
    「リハビリって、私はもう元気だよ」
    「いやいや体力を付けないとクラブに入った時困るぞ? 速い子ばっかりだし」
    「興味無い。それに私の方が速いに決まってる」
    「そりゃ頼もしい」

    牙を剥くように笑うシルバーとそれを慈しむように見守るジョン
    柔らかな日差しを受けて2人は庭を駆ける。未来への希望を抱きながら

  • 29二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 08:57:29

    シルバーはウマ娘の子供が野良レースを行う場所にジョンを引っ張ってくるようになった

    「休日なんだけどなー」
    「暇ってことだろ?」

    現役トレーナーであるジョンの周りに小さなウマ娘達が群がってくる

    「先生ー! 今日もよろしくお願いしまーす!」
    「走り方教えてー」
    「今日こそシルバーに勝ーつ!」

    全員が競争心燃え盛る将来有望な少女だった。それでも勝利の栄冠を手に出来るのはこの中でも一握りだろうが……

    「私に勝つなんて無理に決まってんだろうが!! ディップシッツ!!」
    「ファック! 今日こそ吠え面かかせてやる!」

    そうして休日に連れ出されたジョンは子供達の走りを見るのが最近のお決まりになった。シルバーに半ば強制されてのことだったが子供が好きなジョンは特に苦にはしていない。寧ろ楽しみながら走りの基礎を教えてやっていた。それをどんどん吸収して少女達は更に速くなっていく

    「じゃあレースを始めるぞー。無理はするんじゃないぞ? わかったな?」
    「はーい先生!」
    「わーってるよ! おっさんは過保護だなー」

  • 30二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 08:58:05

    スタートラインに並ぶ若きウマ娘達。ジョンの合図で彼女達は一斉に走り出す

    「……ったく、あいつら。無理はすんなって言ったのによ」

    シルバーを先頭に土の上を走る子供達。体も小さくスピードもパワーもスタミナも何もかも足りない未熟なレース。

    「だけど、良い走りだ」

    だが表情は真剣だ。皆この時この一瞬自分が持てる全ての力を振り絞り、本気でコースを走り抜けていく
    ジョンはそんな少女達の未来へ向かって脚を伸ばすような姿がとても尊く見えた

    「……皆は将来どんなレースを見せてくれるんだろうな」

    それぞれ何処かのクラブに所属して、トレセンに入学し、そしてレースで鎬を削る一人前のウマ娘に成長するのだろう。もしかしたらこの中の何人かは自分が受け持つ未来も有るかもしれない

    「オラァアアア!!!! 見たかおっさん!!!! 私が最強だぁあああ!!!!」

    ジョンはその日が来ることをトレーナーとして楽しみにしていた

  • 31二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 09:00:14

    続く

    シルバーサバスはガキ大将みたいな感じです

  • 32二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 14:27:39

    いいねえ
    続きが気になる

  • 33二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 14:39:39

    わくわく

  • 34二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 18:36:57

    保守

  • 35二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 22:19:19

    トレセン学園でトレーナーを務めるジョンは何故か落ち着かない様子で仕事を行っていた

    「どうしました先輩? 今日は変ですよ?」
    「どういう意味だ」
    「いやだってずっとソワソワしてるし、チームの子達も気にしてましたよ?」

    外から見てわかるぐらいに自分は動揺していたのかとジョンは気不味そうに頭を掻く

    「あー、何だ。すまん」
    「別に大丈夫ですけど。もしかして最近引き取った子と関係有る話ですか?」
    「……正解だ」

    上の空でも書類は纏められていたのでジョンはそれを片付けて席を立つ。若いサブトレーナーもそれに続くと2人でタイムレコーダーにカードを差して休憩に出る

    「コーヒーでも飲みながら話そうか」

    トレセン内のカフェに移動し、コーヒーと軽食を食べながらジョンは気もそぞろだった理由を話す

    「―――ってことが有ってな」
    「へえ。クラブの見学会ですか。なるほどなるほど、それは気になりますね」

    今日シルバーは友人であるウマ娘達と共に複数のクラブ集まって開催するクラブ見学会に参加する予定なのだ

  • 36二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 22:22:31

    「シルバーサバスでしたっけ? 先輩の口からでしか知りませんが優秀なんですよね」
    「そうだな。同世代であの子に匹敵する才能は……まああまり居ないかもな」
    「それって最近若い子の中で話題になっている“赤い王子様”と同じぐらいってことですか?」
    「それは実際に走ってみないことにはわからないがな」
    「そんなに凄い子なら引く手数多でしょう。心配することは無いのでは?」
    「……そうなんだが、少し事情がな」

    そうして話していると向かいの席にウマ娘が座る

    「やっほーアーサー。何の話ー?」
    「君か」

    芦毛のウマ娘は猫のように笑いながら蜂蜜ドリンクをストローで飲むと次にサブトレーナーへ目を向ける

    「ハビーも元気してた?」
    「元気ですよ、砂糖菓子さん」
    「お前ら惚気るなら学園の外でやれ」

    アーサーはただでさえ甘いコーヒーがもっと甘くなりそうだと渋い顔をしながら芦毛のウマ娘に会話の内容を教えてやる

  • 37二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 22:23:08

    「クラブ見学会の話だよ。シルバーが友達と行くやつ」
    「あー。今日だったねそれ。アーサーも仕事が終わったら行くでしょ?」
    「勿論。あの子の保護者だからな」

    ジョンは様子を見に行くつもりだが時間的に見学会が終わる直前になるだろうと時計を見て当たりを付けていた。そこでシルバー本人からクラブの感想を聞くつもりだ

    「私は行けないんだよねー。ハビーと予定有るから」
    「良いよ良いよ、おっさんは1人寂しく行くから」
    「シルバーちゃんのこと、よろしくね?」
    「……わかってる」

    心配そうな芦毛のウマ娘を安心させるようにジョンは笑顔で言ってやる。自分も上の空になるぐらいシルバーを気に掛けていたがそれはトレーナー根性で抑え付ける

    「そんな訳で俺は仕事が終わった瞬間行くから」
    「了解です先輩」

    そうしてジョンは残りの仕事もそわそわしながら行うのであった

    -・-・-

    会場に着いたジョンを待っていたのはキレているシルバーだった

  • 38二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 22:23:48

    「ワンカーばっかりだこんチクショウめ!!」
    「シルバー。言葉が汚いぞ」
    「だっておっさん!! どいつもこいつも話にならねえクソったればっかりなんだぜ!!」

    地団駄を踏むシルバーにジョンは何と言って落ち着かせようかと考え込む。その間に一緒に見学会に参加していた友人達がシルバーを囲んで宥める

    「よしよし可哀想なシルバー」
    「クラブの人達見る目ないよー」
    「ざまぁ~、いつも偉そうにしてたから「ガブゥ!」ぎゃあああ!? 噛まれたー!?」
    「うわああ!? みんなシルバーちゃんを押さえろー!?」

    友人の頭に噛み付くシルバー。それだけ怒りが溜まっていたのだろう
    ジョンは当たって欲しくない予想が当たって眉を顰める

    「……何処のクラブも受け入れてくれなかった、か」

    ジョンは実際にそうなると中々に堪えるものだと思った

  • 39二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 22:24:44

    このクラブ見学会は当然ながら地元主催の物だ。それで近所に住むウマ娘の少女達が見学に来ていずれ入るかもしれないクラブを見学するのだが……シルバーサバスという少女は悪い意味で目立ってしまっていた。正確に言うなら彼女の両親の悪評か
    大成するかもわからないウマ娘を引き取り厄介事に巻き込まれるのは御免、つまりはそうことなのだ

    「どこのクラブもシルバーちゃん見たら嫌な顔してた」
    「失礼だよねー」
    「まあ私達は普通にクラブに入れそうだけど~。ねえねえ今どんな気持ちぃ? ねえ「ガブゥ!」ぎゃあああ!?」
    「また噛んだー!? 縛れ縛れ!?」

    怒り狂うシルバーを友人達はロープでぐるぐる巻きにする。その動きは手慣れていて何度もこんなことが有ったのだろうと見て取れた

    「先生、先生」
    「ん? どうした」

    少女の1人がジョンの元へ来て裾を引っ張るので彼は膝を着いて話を聞いてやる

    「あのね、シルバーのこと……お願いね?」
    「シルバーのこと?」
    「うん。私達ね、皆でね……トレセンに入ってレースに出たいから」

  • 40二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 22:26:03

    「…………」
    「だから……」
    「……ああ、任せておきなさい」

    ジョンはその子の頭を撫でる。シルバーが何処のクラブにも受け入れてもらえず不安だったのだろう、だからジョンは安心させる為に自分の胸を叩いて言う

    「おじさんはこう見えてそこそこ名が通ったトレーナーでね。きっとシルバーの力になれる」
    「……本当?」
    「本当だとも」
    「そっか。そっか……ありがとう先生」

    少女はそう言って安堵の笑みを浮かべるとシルバーが中心に居る輪に加わる。心配だったのだ、シルバーのことが。それはこの子だけではない。この場に居る友人全員が抱いていた気持ち
    シルバーのことが好きなのだ。誰よりも速く強い彼女のことが。

    「おーいおっさん! 私達、来た時みたいにバスで帰るから!」
    「わかった。俺は自分の車が有るしシルバーは友達と一緒に帰ると良い」
    「おう!」

    そうしてシルバー達はバスに乗り込んでいく。ジョンは彼女達が乗ったバスが発進し視界から消えていくのを見送ると、自分もまた駐車している車へと向かう

    「夕食の材料でも買って帰るか」

    食べる量が増えたから沢山必要になる。そんなシルバーの成長が感じられる変化に喜びつつジョンは会場を後にする

  • 41二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 22:26:44







    ―――子供達を乗せたバスが事故を起こした連絡が来たのはこの十数分後のことだった

  • 42二次元好きの匿名さん23/05/03(水) 22:26:59

    続く

  • 43二次元好きの匿名さん23/05/04(木) 09:50:40

    シルバーは自分と友人達しか乗っていないバスを見渡しつつ溜息を吐く

    「……お前らもクラブの勧誘蹴ることなんて無かったのに、バカじゃねーの?」

    その言葉に幼いウマ娘達は騒がしく答える

    「シルバーが居ないのにクラブ入るの、なんか嫌だしー」
    「強いのに入れないの、おかしいよね」
    「親を理由にしてたけどシルバーの親ってもうジョン先生に変わったじゃん」
    「前より暴れることも少なく……少なくなったかな? とにかく良い子だよシルバーは。多分」

    シルバーの入部拒否に対する正当性が感じられなかった彼女達はそれにクラブへの不信感を覚えて入らなかったのだ

    「あーあー、ママになんて説明しよー」
    「ちょっと離れたクラブを探せば良いんじゃね? あたしはそうするけど」
    「離れた場所ならサバスちゃんが入れるクラブも有るかもね」
    「ジョン先生がクラブ立ち上げてくれたら良いのに」
    「先生はトレセンのトレーナーだから無理じゃん。たぼうだよ、たぼう」

    自分の為にあれでも無いこれでも無いと話し合う友人達を見たシルバーは、根底に在る苛立ちは収まらないながらも悪い気分は不思議と無くなる

  • 44二次元好きの匿名さん23/05/04(木) 09:51:21

    最初はクラブにカチコミ掛けて暴れてやろうかと思っていたが、もっと別の良い方法を思い付いた

    「……まあ見とけよお前ら。いずれあいつら全員、間抜け面晒すことになるぜ」
    「え? 何で?」
    「そんなの決まってるだろ」

    牙を剥くように不敵な笑みを浮かべてシルバーは友人達に宣言する

    「私が最強になるからだ」

    それは堂々とした宣言

    「私がレースの頂点に立ってあのクソクラブの連中に、そして世界中の奴らに目にもの見せてやるんだよ」

    自分がそう成ると信じて疑わない力強い言葉。それを聞いた友人達は目を丸くしてシルバーを見る
    最強という言葉はよく口にしていたがそれは少女達のレース中だけの物だと思っていた。世界に出れば凄いウマ娘などいくらでも居る筈なのに、シルバーはそれでも自分が勝つのだと自身に満ちた表情で言い切ったのだ

    「……はは、世界最強ってこと?」
    「おう。お前らもサインが欲しいなら今のうちに言っとけ。家宝になるぜ」

  • 45二次元好きの匿名さん23/05/04(木) 09:52:01

    先程まで暗さのあったバス内の空気が明るくなる。少女達の笑顔も気を遣うような物では無く楽しい気持ちの笑顔に変わっていく

    「じゃああたしは貰おうかなー」
    「どんなサインにする気? シルバーちゃん」
    「ねえねえ、シャツに書いてー」

    書いてと言われたシルバーは誰かから差し出されたマジックを受け取ると隣りに座る少女の胸の辺りにデカデカと直接サインを書き込む。それを離れた席から見ていた少女は眉を顰めて言う

    「……シンプル過ぎない? 2文字じゃん」
    「バッカ、お前。良いか? いずれウマ娘と云えば“これ”は私って意味になるんだよ!」

    刻まれた文字、それは『SS』という彼女のイニシャル。

    「他の誰でもねえ、これが私だ!!」
    「……良いね。私は好きだよ、これ」

  • 46二次元好きの匿名さん23/05/04(木) 09:52:51

    サインを書いて貰った少女は大切そうに自分のシャツに触れる。それにシルバーは「だろ?」とふてぶてしく答えると、席の前から顔を出した少女が猛る

    「ちょっとシルバー! さっきから黙って聞いてたら最強になるなんて……アタシに勝ってから言いなさい!」
    「は? 何度も勝ってるし」
    「トレセン入ったら絶対アタシの方が強くなるし! 本格化が来たら見てなさいよ!」
    「その時は改めてレースでぶっちぎってやるよ」
    「むきー!! おっぱい全然成長してないくせにー!!」
    「は? 今おっぱい関係有る? お前モギモギフルーツの刑な」
    「ギャー!? 来たー!?」
    「シルバー、バス走ってる時に立ったら危ないよー?」

    明るさを通り越して騒がしくなるバス。全力でバカをする楽しい一時、きっと自分達は大人になってもこんな風に笑い合って遊べるのだと、そう心から信じられる光景。
    シルバーは最低だった自分の人生はこれから大きく変わるのだと思い―――

  • 47二次元好きの匿名さん23/05/04(木) 09:53:10

    「……あ?」

    偶然、運転席側が目に入って怪訝な声を漏らす
    ミラーに映る運転手。苦しむように胸を押さえて藻掻く姿

    「ッ!!!?」

    バスの車体が跳ねた。下から突き上げるような衝撃に乗車する全員がショックを受けて身動きが取れなくなる。
    浮遊感。タイヤが縁石に乗り上げたことで車体のバランスが崩れる。混乱して真っ白になる思考の中で、彼女達はこれから起こる不運の洪水をただ浴びることしか出来ない

    「――――――」

    速度を緩めないまま暴走するバスが―――轟音を立てて横転した

  • 48二次元好きの匿名さん23/05/04(木) 09:53:57

    続く

  • 49二次元好きの匿名さん23/05/04(木) 10:47:47

    (´;ω;`)ブワッ

  • 50二次元好きの匿名さん23/05/04(木) 14:03:12

    謎の渋滞に捕まったジョンが通行人の会話を耳にして嫌な予感を覚えていた

    「事故があったみたい」
    「すごい勢いで横転したらしいよ」

    そんな声を聞きながらも、まさかそんな筈は無いとジョンは自分に言い聞かせる

    「……そうさ、そんなことが、あるわけが……」

    そうした時、車内に置いていた電話に着信が入る。トレセンの理事長が迅速な連絡手段は将来必須になるとしてトレーナー1人1人に配布したそれは無機質な電子音を車内に響かせる
    足先から凍っていくような緊張感を覚えながらジョンは形態を取ると通話ボタンを押す

    「……もしもし。こちらジョン・ペンドラゴン」
    『――――――』

    電話は学園からだった。その内容は―――

    「……会場から出発したバスが……事故に……」

    最も聞きたくなかった内容だった

    「……っ!?」

    ジョンは車を直ぐ近くに有った広場へ停車させると乗り捨てるようにして駆け出す。いつ進むかわからない渋滞を待つよりも走った方が幾分か早いといった判断だ

  • 51二次元好きの匿名さん23/05/04(木) 14:03:46

    「はっ、はっ、はっ……!」

    息が苦しい。この年でこれだけ全力で走ることなど無かった。それでも彼の脚は緩まない。目的地が近付くにつれて見たくない光景が目に入る、それでも彼は必死に走る
    上がる煙、喧騒、青い顔をした民衆
    信じたくない、信じたくなかった

    「嘘だ、こんな……っ! ぐっ!?」

    金属のプレートを踏んで足を滑らせる。転倒したジョンは自分が踏み付けた物を確認して心臓が締め付けられるような気分になる

    「……これ、は……」

    それは車のナンバープレート。事故の衝撃で外れて落下した物。そのナンバーはよく知っている、だってジョンはそれを付けたバスを見送ったのだから

    「……シルバーッ!!!?」

    ジョンは走る、そして遂に人垣を抜けてその場所へと辿り着く
    熱気。肌がじりじりとするそれは炎上するバスから発せられる物。もし車内に人が残っていれば焼き焦げるような炎熱が赤く光りながら揺らめく

  • 52二次元好きの匿名さん23/05/04(木) 14:04:27

    そんな壊れたバスの近くに見えた影にジョンは近付く。周囲の者達から危険だから止まるように言われても構わず

    「あ……」

    そうして進むジョンだが彼は途中で地面に横たえ並べられた物を見て一瞬足が止まる。心が折れそうになる光景に挫けそうになるもジョンは顔を上げて前を向く

    「はっ、はっ……」
    「……アー、サー……?」
    「シルバー……っ!」

    最初に見えた影は運転手を背負いながらバスから出てきたシルバーだった
    シルバーは血塗れの姿で自分よりも大きな人間を背負ってずるずると引き摺るように歩く。ジョンはそんな彼女を支えるように抱き留める。その際に背負っていた運転手が地面に落ちたがぴくりとも動かない、痛みも衝撃も何も感じられなくなったから

    「シルバー!」
    「……アーサー、私……」
    「もう良い! もう良いんだ! だからそれ以上動くな!」

    少し触れただけでジョンの体に大量の血がべったりと付着する。遠くからサイレンの音がする、あれが到着すれば腕の中の子は助かるとジョンは心の支えにする

  • 53二次元好きの匿名さん23/05/04(木) 14:05:22

    血だらけのシルバーは譫言(うわごと)のように呟く

    「……バス、吹っ飛んで……そんで……火が、それで……」

    全身の傷から血を流してシルバーはジョンに縋る。そうして語るのは事故が起きた後に自らが行ったこと

    「……だから……逃げねえとって」

    傷だらけで意識を取り戻したシルバーはバスから火の手が上がったのを見て一刻も早く避難しなければと、そう思い動き出すが……

    「動けたの、私だけで……みんな……気を失ってて」
    「……っ!」

    シルバーは身じろぎすらしない友人達を1人1人、バスの外へと運び出した。横転した所為で出入りが困難になったドアは使わずフロントガラスを蹴り砕いて
    そうしてシルバーが運び出した友人達はバスから離れた場所に横たえられた。一度見て心が折れそうになったそれをジョンは再び見て、溢れてくる涙が止められなかった

    「アーサー……私、約束したんだ……最強になるところ、見せるって」
    「シルバー」
    「だから……元気になったら……また、みんなで……」
    「シルバー……っ!」

    ジョンはこれ以上喋らせないよう声を張ってシルバーを呼ぶ。しかし限界を越えて動いていた彼女の耳に彼の声は届かず

  • 54二次元好きの匿名さん23/05/04(木) 14:06:11

    「サイン、血だらけになったから……また書いてやらねえと」

    立つ力すら失ったシルバーは膝を着く。霞む視界で彼女は横たわる友人達を見る

    「レースだって、これから何度も……」

    しかし彼女達が動くことはもう二度と無い

    「アーサー、わたし」
    「シルバー! 良いんだ、もう……! もう、この子達は……!」

    ジョンは抱き留めることしか出来なかった。強く抱き締めたい、でもそうするとこの子さえ壊れてしまうと思って出来なかった。だから彼はシルバーが気を失うまでその華奢な体を支え、涙を流し続ける

    「――――――」

    炎上するバスがその光で周囲を照らす。だが横たわる友人達の瞳に光は無い
    ジョンはシルバーを決して離さない。そうしなければ彼女もこの腕の中からこぼれ落ちてしまうのではないかと、怖くてただ涙を流し続けるのであった








    この事故により1人を除き乗客全員の死亡を確認、運転手も事故直前に心臓発作で亡くなっていたと調査で判明した

    シルバーサバスただ独りだけが、生き残った

  • 55二次元好きの匿名さん23/05/04(木) 14:06:31

    続く

  • 56二次元好きの匿名さん23/05/04(木) 14:18:04

    これってもしかして元ネタはサ◯デーサイレ◯ス?

  • 57二次元好きの匿名さん23/05/04(木) 14:39:46

    まだ分からん
    シルキーサリヴァンかもしれん

  • 58二次元好きの匿名さん23/05/04(木) 22:37:28

    保守

  • 59二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 00:49:39

    バスの件は痛ましい事故として連日ニュースで取り上げられた。しかしそれも2週間も過ぎればテレビで映ることも話題に出されることも少なくなる
    当事者を除いて

    「―――じゃあ包帯を外しますね」
    「…………」

    ベッドに座るシルバーの全身に巻かれた包帯が外される。乾いた血が剥がれる痛みが有るだろうに彼女は表情一つ変えない。返事も声は出さずただ頷くだけ

    「あと少しで退院出来るから、だから……頑張ってくださいシルバーちゃん」
    「…………」
    「幸い骨折なんかの大きな傷は無かったからレースに支障は無いようです」
    「…………」

    看護師からの励ましにシルバーは黙ったまま、鏡に映る自分を見る。そこには傷跡だらけの自分の姿が有った。

    「傷跡、整形外科なら消せると思うけど」
    「要らない」

    それははっきりとした言葉。先程まで黙り込んでいたとは思えない強い拒絶の意志。

    「この傷は消さない。絶対に」
    「……そう。わかりました」

    看護師は悲しげに目を伏せると消毒液や軟膏を取り出して傷跡のケアを始める

  • 60二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 00:50:19

    「シルバーちゃん。軽く動くぐらいなら良いですけど、無理はしないでください」
    「…………」
    「いくら貴女の回復力が凄いと言っても限度が有ります、傷口が開いて苦しいのは貴女なんですから」
    「…………」

    事故の後、シルバーは病院に搬送され治療を受けた。その日は深く眠り続けていたのだが……目覚めた彼女は医者や看護師の制止も聞かず病院から出ようとした。傷口が開くことも気にせず包帯を赤く染めながら
    どうしてそんなことをしたのか? それは―――

    「シルバー」
    「……アーサー」

    病室の扉を開けてジョンが入ってくる。処置が終わって退室する看護師と入れ替わるようしてジョンはシルバーの傍へ行くと手に持っていた物を渡す

    「頼まれていた物だ」
    「…………」
    「それと……君の友達の家族にはもう俺から挨拶をしておいた」
    「…………」

  • 61二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 00:50:56

    「だからシルバーは、無理をせず自分がすべきと思うことをしてくれ」
    「……ああ」

    受け取った小包、その中身のケースの蓋を開ける。そこに入っていたのは一つの耳飾り
    シルバーは右耳のピアス穴から固定具を抜くとジョンから受け取ったその耳飾りを装着する

    「アーサー。私は……強くなれるか?」
    「勿論」

    耳飾りが揺れる。逆さ十字架の重みを感じながらシルバーはジョンに告げる

    「……私は無価値だ。銀貨30枚にも満たないびた銭、それが今の私だ」

    黒い影を頭から被ったような姿でドロリと濁る瞳が世界を睨む

    「だから、勝つ。勝たなきゃならねえ。どんな相手だろうと、勝って強さを証明する。でないと―――」

    そうして言葉に込められた想いは世界へ向けられる

    「あいつらの思いが、無かったことになる……!! 何者にも成れなかったあいつらの存在が忘れられる!! そんなの私は認めない!! だから!!」

    それは憤怒だった。それは慟哭だった

  • 62二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 00:51:20

    「最強になってやる!! 世界にあいつらが居たことを忘れさせない為に!!」

    怒りの涙を流し、悲しみの咆吼を上げる

    「だから! だから私は……!」
    「…………」

    少女の誓いを最後まで聞き届けたジョンは彼女の前に膝を着いて目を合わせる

    「約束する。俺が君を、世界で最も価値の有るウマ娘に育てる。最強のウマ娘にする」

    手を重ね、彼もまた誓う

    「最強のウマ娘になれば君の名は、存在は、歴史に深く刻まれる。そうすれば皆のことも歴史に残る。誰も忘れない」
    「…………」
    「やろう、シルバー。俺達で」
    「……ああ! やってやる!」

    その言葉を聞いてシルバーは瞳に火を灯す

    「世界に、運命に!!!! 噛み付いてやる!!!!」

    十字架が揺らしながら、少女はそう胸の奥に刻むのであった

  • 63二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 00:53:50

    ――――――





    ウマ娘外伝“グロリアスブレイク”

    続く

  • 64二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 01:06:31

    成長したシルバーサバス、彼女は編入したトレセン学園で終生のライバルと出会う

    「私は『偉大なる赤/グレートレッド』を越えるウマ娘になる者よ、覚えておきなさい」

    三冠レース舞台に激突する両者の決着は―――

  • 65二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 10:03:17

    〈Prologue〉





    バス横転事故から年月が経過する。大勢の心の中からその痛ましい記憶が風化した頃―――
    “死神”が産声を上げようとしていた

    「――――――」

    駆ける駆ける駆ける。体に傷を残したウマ娘がダートコースを駆け抜ける
    たった1人で直線を走っている、それなのに彼女は左右へよれる素振りを見せるが……その走りを見守るトレーナーは何も言わずタイムを計測する

    「―――……っ!」

    そして彼女は決められたゴールまで一直線に走り抜けた
    コースの土を踏み締めて減速し、止まった彼女はゆっくりと振り返るとトレーナーに聞く

    「どうだ?」
    「問題無い。これならプラン通りに行くだろう」
    「……そうか」

    トレーナーが断言したのを聞いたウマ娘は目を瞑ると祈るように天を仰ぐ。耳飾りの十字架が揺れて音を立てる

    「アーサー。最初のレースは?」
    「10月30日、サンタニアパーク、距離は約1300(6.5ハロン)、その未勝利戦(メイデンレース)だ……シルバー」

  • 66二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 10:04:04

    青鹿毛のウマ娘シルバーサバスはトレーナーであるジョン・ペンドラゴンからレースの日程を確認するとタオルで汗を拭きながらストレッチでクールダウンを行う

    「シルバー。わかっているとは思うが俺達の本命は初戦じゃ無くその次だ」
    「…………」
    「初戦はレースの空気を感じる為に走ると良い。“今の君の走り”を心身に感じろ」
    「ああ」
    「…………」

    クールダウンを終えたシルバーは荷物を纏めると練習場を後にしようとする。その背中を見ながらジョンは何か声を掛けようとするが……うまく言葉に出来なかった

    「……シルバー」
    「大丈夫だ。問題無い」

    背を向けたままシルバーは言う

    「“私達”は勝つ。どんなレースだろうとな」

    その背中には―――影が纏わり付く

    「じゃあ休んでくる」
    「……わかった。体は冷やさないようにな」

    アーサーはそんな影を引き連れながらコースを去るシルバーの姿を悲しそうに見送るのだった

  • 67二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 10:04:17

    続く

  • 68二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 13:09:57

    いよいよメイクデビューか

  • 69二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 15:45:23

    コースに実況の声が鳴り渡る

    『―――初の勝利を目指す12人のウマ娘達がコースに集います! 乾いた土の速場(ファスト)で彼女達が一体どんなレースを見せてくれるのか今から楽しみです!』

    観客はまばら。未勝利戦なら当然の光景だが、それでも観客席に居る彼等は今回出走するウマ娘達の関係者が殆ど。故に彼女達の今後を計る上で見逃す訳にはいかないと表情は真剣その物
    それに彼等が注目しているのは自分達が担当するウマ娘だけでは無い。今回のレースで初出走となる“彼女”の存在が大きかった

    『―――1番人気はこの子! クラブに所属すること無く、非公式のレースに於いてのみその名を轟かせた異端児にしてアウトロー!』

    十字架を身に付けたウマ娘がパドックで悠然と立ち、実況は彼女の名を口にする

    『シルバーサバス!!』

    名を呼ばれたウマ娘、シルバーサバスはレース場を睨め付ける。他のウマ娘達が笑顔で観客席を見る中で彼女だけはただ静かにその時を待つ
    観客席ではトレーナーやその友人、関係者達が一番人気に推されたシルバーサバスについて語る

    「―――あの子が噂の」
    「かなり走れるらしいと聞いたが……」
    「しかし不気味だな。本当に噂通り強いのか?」

  • 70二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 15:46:08

    クラブに所属していないシルバーのことを詳しく知っている者は殆ど居らず、そうした彼等はこのレースで彼女を見極めようとしている
    そんな中でシルバーに声援を送る者達が少なからず居た

    「頑張れシルバーちゃーん! お姉ちゃん応援してるよー!」
    「はらはらしてきました」

    芦毛のウマ娘に休みを貰ってきた看護師、他に数人の関係者達。珍しいのは日本人が1人混じって興味深そうに観戦していることだろうか。日本からアメリカに渡ってトレーナーを務める彼は隣りに座るジョンへそんな沸き立つような気持ちのまま声を掛ける

    「どんなレースをしてくれるか……とても楽しみですね、ペンドラゴンさん」
    「そうだね。レースの勝敗は走ってみないとわからないが―――」

    ジョンはパドックからゲートに移っていくウマ娘を見ながら静かに呟く

    「あの中に、あの子を“救ってくれる子”が居ることを願っているよ」
    「……? それはどういう……」

    ジョンが口にした言葉の意味がわからず日本人トレーナーは不思議そうに彼の顔を見るが……そうしている内にレース開始が間近に迫っていた

    『―――12人のウマ娘がゲートに入ります!』

  • 71二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 15:47:42

    実況を聞きながらシルバーが11番の枠で出走の時を待つ。それを傍で見る他のウマ娘達が挑戦的な瞳を彼女へ向ける

    「お手並み拝見ね」
    「1番人気は譲ったけど、勝利は譲らないわよ!」
    「…………」

    他の出走者達が声を出す中で彼女だけは静かに、ただ静かにその時を待ち、そして―――

    「……行くぞ……“皆”」

    極限に近い精神集中に入ったシルバーサバスはゲートが開いた瞬間、力強くスタートを切った

    -・-・-

    レース結果を伝える実況が響き渡る

    『1着はディアーハート!! ディアーハート!! 1番人気を押し退けてゴールです!! 2着はクビ差でシルバーサバス!! 最後まで勝敗のわからない素晴らしいレースでした!! 3着は―――』

    シルバーサバスは敗れた。メイクデビューを2着でゴールした彼女はしかしその顔に悔しさを見せることも無く堂々とした足取りで地下バ道へと向かう。控え室に戻ってライブ用衣装に着替える為だ
    観客達は今回のレースの感想を言い合う

    「良いレースだったな」
    「シルバーサバス。まあ噂通りと言えばそうだが……」
    「少し拍子抜けかな? もっと凄いと思っていたが」

  • 72二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 15:48:26

    話題の中心はシルバーサバス。1番人気に推されながらもクビ差2着の結果。好走は好走だが前評判を考えれば目立った所は感じられなかった

    「さて、ウィニングライブの前に担当を労いに行くか」

    やはり走り終えた直後にこそ感じ取れる経験も有る、それを担当するウマ娘から聞く為にトレーナーや関係者達は地下バ道に向かうのだが―――

    彼等はそこで異様な光景を見ることになる

    「―――どうした!? 大丈夫か!?」
    「何があったの!?」

    自分が担当するウマ娘に駆け寄るトレーナー達

    「はっ、はっ、はっ……!」
    「ひ、ひぃ……っ!」

    そこには個人差は有れど、顔を青褪めさせ身を震わせた姿でウマ娘達は地下バ道に居た。自分のトレーナーに肩を支えられてようやく彼女達は極度の緊張から解放されたのか恐々と顔を上げる

    「ト、トレーナー……わ、わたし……」
    「落ち着け、ゆっくり息を整えるんだ」

  • 73二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 15:49:12

    怯えている。その様子からトレーナー達はそう判断したが、直ぐに疑問を抱く。彼女達はいったい何に対して怯えているのだと
    1着でメイクデビューを突破した子ですら怯えている異常事態に彼女のトレーナー嫌な汗が流れるのを感じる

    「……わ、わたし……お願い……トレーナー……」
    「何だ? 何をして欲しいんだ?」

    顔を上げた彼女達は、恐怖に引き攣った顔で自らのトレーナーに懇願する

    「……もう……あの子と同じレースには……出さないで」
    「――――――」

    それはこの場に居るウマ娘達全員、似た言葉で、そして同じ意味で、伝える。彼女達の言う“あの子”とは誰なのか? トレーナー達はそれを聞き返すことは無い。出来なかった
    完全に心が折れてしまっていた。1度のレースで完膚無きまでに。

    「おいつけないおいつけないおいつけない」
    「せ、迫ってくるの……“影”が……っ! ずっとずっと!」
    「もう走りたくないっ!?」

    それは同じレースで走った者に理解出来ない、しかし理解してしまえばもう勝利への道筋は黒く塗り潰されてしまう。自らが育てるウマ娘の怯えが、恐怖が、トレーナーにも伝わり背筋が震えてくる

    地下バ場を重苦しい空気が支配する

  • 74二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 15:50:13

    「……この中には居なかったか。あの子を救える者は」

    その中で1人ジョン・ペンドラゴンだけは恐怖の外に立ち、ただ寂しげにそう呟くのだった

    ―――レース後のウィニングライブは選手達の体調不良を理由に後日改めて開く異例の結果となった

    -・-・-

    メイクデビュー終了後、控え室でシルバーとジョンは僅かだが言葉を交わした

    「……どうだった? 初めて公式レースで走った手応えは」
    「ああ、空回りして無様な走り見せちまったな」

    シルバーは爪先で床を軽く叩きながら今回の反省を口にする

    「だが問題無え。プラン通り……いや、それ以上を見せてやるよ」
    「……わかった。期待している」」

    シルバーサバスの瞳に燃えるような影が灯る。彼女から発せられる圧力はデビューを終えたばかりの新人のそれでは無い
    ジョンはシルバーの言葉を大言壮語とは思わない。今回の敗北など何の指標にもならない。何故なら―――

    「圧勝だ」

    シルバーは未完成の“領域(ゾーン)”で……その余波で、選手達の心に重く残る敗北感を刻み込んだ

    「誰も“私達”の前を走らせねえよ」

    そして今日のレースで彼女の走りは完成した。シルバーは2週間後に開かれるハリウッドパークでの未勝利戦で圧勝するとジョンに断言する
    それは死神の胎動であり、目覚めの時は直ぐそこだった

  • 75二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 15:50:55

    続く

  • 76二次元好きの匿名さん23/05/05(金) 22:14:43

    保守

  • 77二次元好きの匿名さん23/05/06(土) 00:30:30

    勝負服が修道服チックなの好き

  • 78二次元好きの匿名さん23/05/06(土) 02:26:50

    11月13日ハリウッドパーク、ダート6ハロンの速バ場。10人のウマ娘が未勝利戦を突破する為に全力で駆ける。

    『―――先頭集団のウマ娘達が最終コーナーに向かう! 真っ先に抜け出すのは誰か!?』

    選手達の表情は必死だった。それはまるで怖ろしい物から逃げるような走り……否、逃げていたのだ

    「はっ、はっ……ぜぇっ……!」
    「……ひっ……ぅあ……!」

    9人は逃げる。たった1人のウマ娘から

    「―――行かせねえよ」

    影が生まれ落ちる。コースを走る者全ての眼下にそれは広がり足下から這い上がる
    重い。呼吸さえ苦しい程の重さが影から発せられる

    「勝つのは」

    彼女もまた影に絡み付かれていた。しかし彼女は掛かる重みさえ力に変えて走る。蹄跡が大地を深く抉る程に彼女は速くなる

  • 79二次元好きの匿名さん23/05/06(土) 02:27:48

    「勝つのは―――“私達”だ!!!!」

    “領域(ゾーン)”に至った彼女は全てを置き去りにする

    『シルバーサバス!! シルバーサバスが先頭に躍り出たぁー!? どんどん加速していく!? 誰も追い付けない!!』

    最終コーナーからシルバーのスピードが増していく。直線に入ってすらいないのに周囲のウマ娘は誰も追い縋れない。見せ付けるように差が広がり続ける

    「何で……!? コーナーなのに……こんなのっ!?」

    彼女達は予感を覚える。信じたくない予感を。

    「最後の直線……! そこで巻き返して……!」

    だが彼女達はその予感を振り払う為に最後の可能性に賭ける。シルバーがコーナー巧者であることを認めつつ、直線に入れば勝機が有るかもしれないという僅かな可能性に

    「……巻き……返して……」

    コーナーで加速し―――直線で更に加速した

  • 80二次元好きの匿名さん23/05/06(土) 02:28:25

    「……はは……無理じゃん。こんなの……」

    それを見て彼女達は絶望する。自分達に勝機など初めから無かったのだと知ってしまったから

    『強い強すぎる!? 後続をどんどん突き放し……こ、これは!? 10!? 10バ身差!! シルバーサバス!! 2着と10馬身差を付けてゴールイーン!!』
    「「「おおおおおおおーッ!!?」」」

    圧倒

    「…………」

    スタート直後から“領域”に入りゴールまで駆け抜けたシルバーは軽い足取りでコースを走る。その圧倒的過ぎる勝利劇に観客は沸き立つ
    喝采が飛ぶ客席とは対照的にレースを走ったウマ娘達の表情は硬く青褪めている

    「……ぁ……ああ……」

    縛り付けていた影は消えた。しかしその時感じた恐怖は、絶望は、心に刻まれ消えることは無い。彼女達は気付いてしまったのだ。気付きたくなんて無かったのに

    「……化け物……いや、貴女は……」

    シルバーがレースに出る居る限り、自分達が1着を取ることは無理なのだと思い知らされてしまったのだ

    「死神」

    勝利への情熱を、レースに込める魂を無慈悲に刈り取る姿が……彼女達の目には死神に見えた
    黒い影を引き連れ走る、冷たく怖ろしい死神に

  • 81二次元好きの匿名さん23/05/06(土) 02:28:59

    続く

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