- 1◆4soIZ5hvhY23/05/09(火) 20:37:45
- 2◆4soIZ5hvhY23/05/09(火) 20:38:08
でも、最後に。最後に1レースだけ。
頑張ったんだって。勝てなかったけど頑張ったんだって。
認めてもらいたかった、褒めてもらいたかったのかもしれない。そんな憂鬱なものがどこかに重くのしかかる中、練習だけはちゃんとしようとしたとき、
「……いい瞳だ」
急に声をかけられた。
「……ふぇ?」
「あのレースの最後の上がり。あの中じゃ1番速かったじゃないか。それに──」
「あ、あ……」
いきなり声をかけられて、逃げようにも足がすくむ。声を出そうにも、とっさには出ない。
「あー悪い……。俺はトレーナーだよ」
襟元のバッジを見せるとともに、名刺を差し出してきた。確かにトレーナーさんらしい。でもなぜ。
「どうして、わたしを」
ようやく出た声は、疑問。なんの見どころもない、わたしなんかを。そんな雰囲気を察したのか彼が言葉の続きを再開した。
「最後の直線。いい瞳をしてたんだ」
「いい瞳、ですか?」
そしてその答えに更に疑問が増してしまった。瞳で強いウマ娘が分かるのならば選抜レースなんていうのはいらないのに。 - 3◆4soIZ5hvhY23/05/09(火) 20:38:37
「見る目はあったんだよ、昔。その子の瞳を見れば『この子は強くなるな〜』って。時間は掛かったけど、推薦した子は結構勝ったよ。ま、サブトレーナー止まりだけど」
「けど今じゃお払い箱さ。皆最初からレースが強い子が良いんだと」
「……ということは、つまりわたし、と」
聞いていて虚しくなる。やっぱりわたしは望まれてないんだ。それに強くなったって言っても何時になるかわからない。未勝利には期限がある。
「……ごめんなさい、わたし──」
多分、あなたの見る目には答えられない。そう答えようとして、遮られた。
「次のレース。勝つっていったら、どうする?」
耳を疑った。勝つだって? そんな奇跡みたいな事が起これば確かに良いかもしれない。一瞬でも希望を持った自分が恥ずかしい。
「……起こりもしないことだから、奇跡っていうんです」
「まぁ……確かにそうかもな」
「……」
「ズブいし、加速がない。速度と体力はあれど、いまいち乗り切れない。やっとこ加速しきったと思ったら、ゴール前」
いじわるなのかな? さんざん分かってきたことを繰り返すように言う彼に、少しむかついた。わたしにだって、怒るときはある。
「……あのですね」
「今のままじゃ、な」
「…………今の、まま?」
「君は後方脚質なんだろうが、差しと追い込みの他にもう一つ、"捲り"ってのがある」
「捲り……」
確か聞いたような。中盤あたりからずっとスパートし続ける、そんな走り方。けれどそんなのは、才能がある子がやれるのであって。 - 4◆4soIZ5hvhY23/05/09(火) 20:39:24
「それは──」
そしてまた、遮られた。
でも、その言葉は強く。
「あの瞳は、諦める者の瞳じゃない」
わたしを認めてくれた。最後の最後まで残っていた、自分ですら忘れかけていた、微かな意地を。
「その途切れないスタミナと、諦めない心」
「君にも、誰にも負けない才能はあるんだ。勝ったっていいんだ」
「喜んだっていいんだ」
その言葉を聞いて、熱くなって、視界がぼやけて。
「うぅ……うう……!!!」
「……よく一人で頑張った。強いんだなぁ君は」
溢れたものを、震える肩を、やさしく迎えてくれた。
「わたし……わたし……ずっと辛くて……!」
言葉が漏れるたび、肩をさすっては、優しく頷いてくれて。それがまた暖かくて。 - 5◆4soIZ5hvhY23/05/09(火) 20:39:34
──やっと逢えたんだ。認めてくれる人に。
「……実はさ、俺もなんだ。もうこの仕事辞めようって思ってさ」
「……え?」
「でも君の瞳を見て"もう一度頑張ってみよう"って思ったんだ」
そう言って、迎えてくれた顔を、わたしのほうへ向き直って、瞳を見る。その瞳はどこにも向かず、真っ直ぐわたしを映し続けていて。
「ここに居るんだよ、ちゃんと」
その瞳は、朝焼けのように鮮やかで、
「君が輝くことを望んでいる人間が」
光り輝いていた。 - 6◆4soIZ5hvhY23/05/09(火) 20:40:13
『さあ第3コーナーおおっと!? ヒシミラクルがなんと追い上げにかかった!!』
「脚質変えたのかな」
「さあ? でもそれだけで勝てるとは……」
彼女のクラスメートだろうか。それを横目に、大きく声援を送る。
彼女は、やってのける。
「っいっけえええええええ!!!!! ヒシミラクル!!!!!!!!」
「うわっ! びっくりしたぁ……」
「何あの人、知り合い?」
隣でコソコソ話す声が聞こえたが、無視をする。それよりもまず、彼女が初めて勝つ瞬間をのがすまいと。
『そしてそのまま最終直線!! なんとなんと! ヒシミラクルが2バ身……いや3バ身リード!!』
『そしてそのまま……押し切ったー!!!!!! ヒシミラクル! 10度目にしてやっと、勝つことができました!!!』
「「ええーっ!!!!????」」 - 7◆4soIZ5hvhY23/05/09(火) 20:40:33
「ぃよっしゃああああああああああ!!!!!!!」
遂に勝ってくれた。今まで厄介払いだった自分が初めて、一人で練習を見た子が。それがたまらないほど嬉しくて、人目を憚らず喜んでしまった。
そしてその大きい声で叫んでいたのが目立ったのか、満面の笑みを浮かべた顔が迷うことなくこちらに向かってくる。
「よくやった!!!」
「はいっ……! わたし……頑張りました〜っ!」
これならばきっと、いいトレーナーに恵まれる。これで心置きなく学園を去ることができる。そう思っていたのだが。
「あ……あのっ! 今さらで申し訳ないんですけど……」
「ん?」
息を大きく吸って、深呼吸。なんだか告白するようにも見える。しばらくして彼女はようやく、声を発した。
そしてその告白は、歓喜の声が、驚きに変わった。
「わたしのトレーナーさんになってくださいっ!!」 - 8◆4soIZ5hvhY23/05/09(火) 20:40:55
これは、奇跡を現実に変えてく物語。
辛く苦しい道のりをも、定石よりも遥かに早く、常識よりも遥かに長く、君の繰り出すロングスパートが奇跡を現実にかえていく。
君の物語は、加速し始めたばかりだ。