【SS】View to a kiss

  • 1二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 21:43:49

    マーチャンの担当になってからというもの、すっかりカメラ趣味が身についてしまった。
    休日にこうして一人で散歩などしている時も、常に景色の中のシャッターチャンスを伺っている。

    日差しが日に日に強くなっていく今日この頃、ふらっと訪れてみた森林公園は涼を取るのにはぴったりの場所だった。
    木漏れ日はまだらに地を照らし、草木の青々とした香りが鼻をくすぐる。
    学園を囲むコンクリートジャングルとは真逆の、ほんのり冷たい天然のミストが肌に心地よい。

    「この辺いい感じじゃないか?」

    道が真っ直ぐになり、木々の枝がトンネルのように見える。この位置からシャッターを切ればきっと素敵な写真になりそうだ。
    早速スマホを構え、構図を決める。
    いつも通りに撮影ボタンを押そうとして――

    「ひょこり」

    画面の左端に、音もなく人影が割り込んできた。
    ひらひら両手を振るその姿は見知ったそれで。

    「……マーチャン?」

    偶然にも、自分の担当ウマ娘と鉢合わせたのだった。

  • 2二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 21:44:27

    麦わら帽子を被っていつもと少し装いが違うのは、日焼け対策だろうか。
    しかし、彼女からの返答は意外なものだった。

    「いいえ、マーちゃ――わたしはマーチャンなんて人物ではありませんよ」

    「――えっ、え? でもどう見てもマーチャンだよね……?」

    「違うったら違うのです。今日のマー――わたしは通りすがりのウルトラスーパーマスコットなのです」

    事も無げにそう言ってのけるマーチャン(?)。
    一体どういうつもりなんだ……?彼女の意図が読めずおろおろするばかりの自分。

    「むう……いいですかトレーナーさん。貴方は今日偶然この場所で、ワールドクラスの謎めいたマスコットと運命の出逢いを果たしたのです」

    はっきりトレーナーさんと口にしてしまっている……が、ともかくこちらとしては話が見えてこないので、黙って先を促すことにした。

    「美しい森にクールビューティーなマスコット。とっても絵になるシチュエーション。今日一日の予定は、決まったと思いませんか?」

    一瞬ちらりと瞳が覗いた気がした、しかしすぐにつばの向こうに隠れて見えなくなった。
    いつなんどきでも、はっきりレンズの奥を覗き込んでくるマーチャンの瞳。
    それを今日はどうしてか、麦わら帽子の先に隠して見せてはくれない。
    結局、どうしてこんなことをしているのかは分からないままだ。
    ただその理由を……その先の景色を見たくて、俺は『謎のマスコット』の提案に乗ることにした。

  • 3二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 21:45:14

    「はい……おててをぎゅ、です」

    彼女はまず初めにそう言って、片手を差し出してきた。

    「西へ東へ、さすらいのマスコットなので。目を離した隙に、どこかへ飛んでいかないようにです」

    マーチャン……もとい謎のマスコットを手放すつもりは毛頭ない。迷いなくその手を取り、2人であてもなく歩き始める。

    「なんと綺麗なお花畑。ここに麦わら帽のキュートな女の子をひとつまみすると…とっても映えるに違いありません」
    「おやおや、カルガモのエルザ夫人とその子供たちです。わたしたちも後ろに並んでついて行きましょう」
    「むふふ、冷んやりアイスクリームですよ。え、おごりですか?おお、これが大人の余裕……」

    何が起こるのかと身構えていたのも初めのうちだけ。蓋を開けてみればただただ気の向くままの散歩が続くだけだった。
    では、つまらない時間だったろうか?
    いいや、むしろこんなに充実した休日は久しぶりだ。日常と非日常が交差する、不可思議で心地よい空間に迷い込んだかのよう。
    パシャリ、パシャリとフォルダの中が潤っていく。
    レンズの向こうは見知った相手であり、初対面の謎の女の子でもある。
    そんなふうに少し趣向を凝らしただけで、ここまで新鮮な気分になるとは思わなかった。

    立場も年齢もすっかり忘れて、この時間の中に浸り続けていたい。相手が大切な人ならば、尚更だ。
    こういうのをなんと言うんだったか。

    そう、デート――

  • 4二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 21:46:19

    「――もし、もしもし?」

    「――はっ!な、何?」

    いつの間にベンチに座っていたのだろう。燦々と照りつけていた太陽は、今や山の向こうに沈もうとしている。眼前に広がる池は、ゆらゆらとその影を反射させていた。
    楽しいと時を忘れるとは言うが、あまりにも早すぎないだろうか。
    まるで映画のワンカットみたいな……。

    「お疲れのご様子ですね。つまり、今日の大作戦は成功ということです。えへん」

    「う、うん。めちゃくちゃ楽しかった。ありがとう」

    「満足するにはまだ早いのです。絶景を2人で眺めながら、締めくくりましょうね」

    肩を預けて、そっと寄り添う。無言の時間が変にもどかしい。何か言わなきゃと思っても、上手く口が動かない。もう男子学生じゃないんだ、しっかりしろ自分。
    この歳になって異性と隣合うことに、こんなにも動揺するなんて……待て待て、相手は担当だぞ。
    そんな邪な感情を浮かべて言い訳が……。
    あれ、でも今隣にいるのは偶々出会っただけの『見ず知らずのマスコット』で……ううん?
    ふわふわと気持ちが酩酊していく。

    「なんだか、デートみたいでしたね」

    「へっ!? あっ……そういう言い方もあるような無いような……」

    突然の発言に心臓が一段と跳ね上がる。理性と感情がせめぎ合い、口から出る言葉もしどろもどろ。
    しかし彼女は俺の返答はどうでもいいかのように、淡々と続ける。

    「見知らぬ何処かのレンズさん、今日は何の日か知っていますか?古来より、デートの締めくくりはこうと、決まっています」

  • 5二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 21:46:56

    突然襟を掴まれ、ぐらっと体が傾く。
    息がかかるほどの距離に、彼女の顔があった。
    今日が何の日かなんて考えたこともない……けれど、一連の流れでこれから起ころうとすることには見当がついてしまった。

    「……!ま、待ってくれ!それは駄目だ『マーチャン』!」

    ぐらついていた天秤が、理性に傾いた。
    その名前を、呼んでしまう。

    「マーチャンなんて……知りません」

    「でも、これ以上はトレーナーとしての――」

    「――だからなのです」

    これまでより少し強い語気に、口を閉ざさざるを得ない。

    「わたしはみんなのウルトラスーパーマスコットなのです。マスコットの愛嬌は、笑顔は……口づけは、ファンのみんなのものなのです」

    「トレーナーさんは専属レンズさんです。わたしを映してはくれますけれど……映すためには、距離が必要なのです」

    「だから……こうするしかないのです。知らない『わたし』と『あなた』。分からないままに、するしかないのです」

    「……マーチャン」

    スカートを握りしめる小さな手は震えて、皺の影を濃くしていた。

  • 6二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 21:48:50

    俺はアストンマーチャンがどんな道を歩んできたか、誰よりも痛いほどに知っている。
    忘却に抗い、世界に自分を刻みつけようとする彼女が、
    アストンマーチャンなんて『知らない』
    と口にした……いや、させてしまった。

    マーチャンを忘れさせたくないと誓った。
    マーチャンと共に走ってきたレースも、何気ない日常も、全部を目に焼き付けてきた。
    マーチャンにやがて――ひとりの人間として惹かれていった。
    つまりは……そういうことだろう。
    立場があるからと、それはダメだと目を逸らしてきた。
    けれど、もうごまかせない。
    ああ、認めよう。もう後戻り出来ないほどに、俺は――

  • 7二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 21:49:14

    「ごめん……だから、分からないままにするなんて、言わないでくれ」

    「……トレーナーさん」

    「そうだ、知らない誰かなんかじゃない。俺はトレーナーとして、ここにいる」

    「知らない女の子とじゃ嫌だ。俺は『アストンマーチャン』と、したいんだ」

    突然、見計らったかのように今日一番の突風が吹き付けた。風は麦わら帽子を攫い、夕日の向こうへ消えていく。残ったのは、いつも近くで映し続けていた、世界で一番美しい瞳。

    「えへへ……見つけられちゃいました」

    はれぼったい真っ赤なほっぺは、夕日のせいだけではないだろう。

    「……はい。アストンマーチャンは、いつも貴方の傍にいました」

    もう言葉はいらなかった。
    夕日に伸びるふたつの影は徐々に近づいて、やがてひとつに混ざり合う――

  • 8二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 21:49:44

    ――朝、目を覚ます。
    いつも通りの朝食、ルーティン、そして出勤。
    変わらない日常。
    昨日は一体何をしていたっけ。
    散歩に出かけて、それから……あれは幻だったのだろうか。
    それほどまでにあの景色は目に鮮やかすぎた。
    都合のいい作り物のような……。
    あの口づけの後、どうなった?
    どう帰って、何を食べて、いつ布団に入って……。
    ぼんやりとして思い出せない。

    もやもやを抱えたまま、学園の門をくぐる。
    仕方ない。とりあえず今は仕事だ、気持ちを切り替えて今日も彼女の布教に邁進しなきゃ――

    「寝不足さんですか?まぶたがずっしりして見えます」

    声の方角は真正面から。顔を上げるとそこには――

    「おはようございます。目覚ましに効くおまじない、要りませんか?」

    人差し指を唇に当てて、可愛らしくウインク。薄いピンクに光るそれを見て、俺は――

    「おはよう、マーチャン。流石に校内では……勘弁してくれ」

    「うふふ。仕方の無い人です。マーちゃんをしっかり観察して、目を覚ましてくださいね」

    ――ようやく夢ではなかったことを、確信したのだった。

  • 9二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 21:52:20

    えっ今日キスの日なの!?

    早めに知ってればもっときちんと書けたのに……自業自得

    それはそれとしてアストンマーチャンをよろしくお願いします

    タイトルはマーチャンの大好きなスパイ映画より


    前回のマーチャン

    【SS】マーチャン・ネバー・ダイ|あにまん掲示板川の流れに乗って、全ての命は最期に海へと行き着く……それは、誰にも等しく訪れる結末なのです。とても悲しいことですけど……仕方ないのです。『アストンマーチャンを、覚えていてね』だからわたしは、今日も人形…bbs.animanch.com
  • 10二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 21:55:53

    いいお話でした
    心安らかに眠れます

  • 11二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 21:56:08

    マーチャンSS供給助かる(尊死)

  • 12二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 21:56:44

    乙ですナイスssでした。すっげー透明感のあるトレウマはマーチャンにスゲく似合う...

  • 13二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 21:57:17

    bravo...

  • 14二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 02:11:39

    ラブリー…

  • 15二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 02:23:57

    学生に手を出すのは流石にどうなんだ
    マートレくらい覚悟ガンギマリならいいだろ
    それもそうだな

  • 16二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 02:48:15

    ありがとう死んでしもうたわ


    >>15

    トレーナーたるもの例え世界を敵に回してでも担当を悲しませるようなことがあってはいけないからセーフ……セーフかな?まぁいいっか!

  • 17ちゃんこ主23/05/24(水) 06:38:40

    >>14

    ウワーッ! 挿絵が増えている!

    思い描いたそのものすぎて最高です

    いつもありがとうございます!

  • 18二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 08:26:44

    元ネタは美しき獲物たち(view to a kill)かな
    ストーリーに競馬がガッツリ絡んでくるから是非見てみてほしい

  • 19二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 18:55:48

    1日遅れで気づいたが有り難い…

オススメ

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