- 1二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 22:19:13
- 2二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 22:19:28
学園を出て夕暮れ時に賑わう商店街を過ぎ、いくつかの小さな通りを抜けた先。ひっそりと佇む民家のうちのひとつ。
年季の入った檜の引き戸が開かれれば、店奥から「またどうぞ」と店主の声が、腹を膨らませた客の背中を追いかける。
退店前に慣れたようにひらひらと手を振るニット帽の担当ウマ娘──ナカヤマフェスタにならい会釈をし、暖簾すら掲げられていない店を出れば、トレーナーは五臓六腑にしみわたるかのような幸福感を長いため息に変えた。
暖簾もなければ看板もない、民家に隠れるように営業しているこじんまりした天麩羅屋は、口コミでのみ広がる、知る人ぞ知る名店だ。
「美味かっただろ?」
私服のポケットから取り出したスティックキャンディをくわえる担当ウマ娘がどこか得意げに言えば、彼女に対して大層素直な担当トレーナーは、そろそろ夜一色に染まりそうな空を見上げ、深く頷いてみせる。
「めちゃくちゃ美味しかった……特に鱚」
「旬のものは旬のうちに食わないと勿体ねぇからな」
「白身がふかふかで……すごくすごい……たけのこも……たらのめも……すごく美味しかった……かに……えび……なすび……」
「おいおい、私は語彙力まで奪った覚えはないぞ?」
あきれたように肩をすくめたナカヤマが「やるよ」とばかりに何かを放った。
穴子に白子、鯖にイサキ、鮟鱇にカボチャに白ネギに……と、さくさくほかほかふかふかジューシーな天麩羅フルコースに思いを馳せていたトレーナーがあわててキャッチしたのは、透明セロファンに包まれた小指の先ほどの大きさのキャンディだ。
薄荷の風味のそれを、抹茶塩や薫り高い鰹出汁の天つゆの余韻にひたる口の中に放り込み、トレーナーは先を行く担当ウマ娘の背中を追いかける。
「いやでも本当に美味しくて……というか、一見さんお断りだよね、ここ。
どうやって知ったの?」
「裏路地にある行きつけの店の常連に連れてきてもらったことがあってな」
「えっ?!」
少女らしい輪郭の肩に並ぶまで追いついて、担当トレーナーは歩調を緩める。
そこで明かされた衝撃の事実に思わず声を上げると、ナカヤマは少しだけ片耳を絞ってみせた。 - 3二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 22:19:40
「あ、いや、君の交友関係をどうこう言うつもりじゃないよ」
「当然だろ。つうか、心配されるような奴らとは縁も切れてるしな。
それはそれとして声がでけぇ。商店街の通りにゃまだ遠いぞ」
「ごめん。……いや、そのさ、あの店、……時価だったじゃない。
だから、びっくりして」
カァカァ、と、棲家の帰路にあるのかどうか、カラスの声が呑気に響き渡るような通りだ。
声のボリュームを即座に絞り、トレーナーは通されたカウンター席に鎮座していたメニュー表を思い出す。
烏の濡れ羽色とばかりの黒和紙に金の箔押しの表紙を開き、フルコース内容のそばに書かれた『時価』の炭文字。
唐突に提案された賭けに負けたのはトレーナー自身ではあるものの、立ち向かわなければならない現実に財布ごと震え上がったのは少し前のことだ。
もっとも想定より財布はダメージを食らうことなく、旬の食材の天麩羅やらつやつやの白米やら洒落た前菜やら獲れたてかと見まごうほどの新鮮な刺し身やらに舌鼓を打ち、いまやトレーナーは大満足の上機嫌に至っている。
一方、綴られた担当トレーナーの言葉が濁し気味であるその意図に気づかないナカヤマではない。
歩行者用信号が赤を灯しているのを見、ウマ娘専用レーンの前で立ち止まれば、ご機嫌に浮足立ち気味なトレーナーも足を止める。
「裏路地にいるのは何も宵越しの金を持ちたくねぇ連中ばっかじゃないってことさ。
……ほとんどはしょうもねぇ博打狂いだが、中にはヒリつきたがりの富豪もいてな。
……くたびれた格好でやっすいラーメン啜ってやがるから一見わからないがね」
「……色んな人がいるんだなぁ」
まさに『感想』とばかりのトレーナーの呟きを、仕事帰りか誰かの迎えか風を切って走り去る軽自動車が消し飛ばす。
灯る青とともに音響信号が囀り出し、肩を並べてふたたび歩き出した相棒をちらりと見遣り、ナカヤマは内心嘆息する。
こいつもとっくのとうに『色んな人』の仲間入りをしているんだが、まだまだ自覚はないらしい。と。 - 4二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 22:19:50
***
「それにしても……鱚を賭けた勝負なんて言うから、何事かと思ったよ」
横断歩道を渡り、行き掛けと同じ道を辿る。
先ほどまではわずかに空を走っていた茜色もすっかり消え落ちて、ちらちらと春の星座が見える頃合いだ。
しかし、明々と歩道とウマ娘専用レーンを照らす街灯はささやかな星の光を飲み込んでしまっている。
千鳥足とまではいかないがゆったりリラックスした歩調のまま。
ナカヤマフェスタのトレーナーは少しばかりはにかんでみせる。
「おやおや。期待でもさせちまったか?」
「……、そういう返し方はよくないよ、ナカヤマ」
「はは、困れ困れ、困っちまえ」
若干のためらい、その後繰り出されたトレーナーからの指摘は、言葉の意味より声音はやわらかい。ど
んなニュアンスで否定してもどんなニュアンスで肯定しても、口の上手い担当ウマ娘に揚げ足を取られるのは火を見るよりも明らかなのだから。
一番上手くやるのなら含みを持たせて黙秘することだったが、ナカヤマのトレーナーは勝負だと意識していない部分において、そこまで駆け引き上手ではなかった。
「でも、学園中がああもにぎわってるんだから、そりゃあドキッとはするよ」 - 5二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 22:20:00
鱚の日、もとい、キスの日。
年頃の少女たちしか通えないトレセン学園である。
数日前、ノリのいいギャルウマ娘たちがキスの日にフリーハグならぬ学内限定フリーキスを提唱したのは記憶に新しい。
ラブアンドピースアンドウォームプラスハピハピシェア!! を合言葉に、頬や額、鼻の先といった、軽いスキンシップキスの輪はなんだかんだで広まって、学内はふだんよりも華やかなにぎわいで満ちていた。
「フジキセキの手の甲キス待ちの列、すごかったなぁ……。
跪いて、『お嬢さん、お手をどうぞ?』から始まるの」
「お望みならやってやろうか?」
「君はすぐそういうこと言う……。シリウスシンボリもすごかったね」
「あァ……キスさせ待ち列なぁ……よくやるよ、あいつも」
手首から先のみの口づけを許すシリウスシンボリに、唇でのキスをためらうのならとフランス流・頬を触れ合わせ唇を鳴らすだけの『ビズ』をすすめるサクラローレルなど、キスといっても多種多様。
ふだんはレースにトレーニングにとギラギラしがちなトレセン学園も、今日一日は年頃の少女たちらしい明るい笑い声があちこちで上がっていた。
そのため、『鱚』であろうとも響きは『キス』にトレーナーが身構えてしまうのは仕方のないことだろう。
よりによってその提案をしてきたのが、この手の盛り上がりは遠くからあきれたように見ているタイプのナカヤマだからこそ、なおさらだ。
しかしながらアウトローと呼ばれがちで単独行動も厭わないナカヤマを、友人という範疇に入れている生徒もそこそこ存在しているのを、彼女の担当トレーナーは知っている。 - 6二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 22:20:10
「ナカヤマは?」
「ん?」
「フリーキス、したりされたりした?」
「は、私がそんなタマにみえるか?
……まぁ、ゴルシと折り紙で作った鱚でメンコ遊びはしたが……」
「折り紙で鱚作れるんだ……?」
「メンコみたいにひっくり返らないからしまいにゃどっちが遠くまで飛ばせるかになってたな。
で、通りすがりのエアグルーヴと追いかけっこだ。
女帝陛下の末脚は恐ろしいったらなかったぜ」
「君たちは相変わらずだなぁ」
子どものように無邪気にとまではいかないが、脈絡もなくよくわからない遊びをはじめる担当ウマ娘とゴールドシップの姿は、トレーナーも何度も見かけたことがある。
あまり白熱すると規模が大きくなりすぎて収集がつかなくなりがちだが、その破天荒な楽しみの波に乗るナカヤマは、いつもの彼女とはまた別の表情を見せる。
現に、青みがかった街灯の下、やれやれとばかりに眉を下げるナカヤマの目元は優しくやわらかい。
「あとは──そうだな、ジョーダンが寄ってきたからチョコで黙らせた」
「チョコ?」
「リップチョコ。キスはお断りだが代わりにチョコをくれてやるって『ならわし』さ。フラッシュとアキュートとも交換したぜ?」
「そ、そんな『ならわし』があるんだ……?」
『ならわし』などという古風な言葉が唐突に飛び出してきて、トレーナーはたじろいだ。ならわし、つまり、風習だ。しきたり、決まり、お約束。
「バレンタインデーみたいなことになってるんだね……?」
女子高生ってのはわけのわからないことをするよなァ、などとナカヤマは自らを棚に上げる。
間の抜けた感想をこぼしつつ、君もじゅうぶんわけのわからないことをしているよ、と口に出しかけたところで──トレーナーは、隣を歩くナカヤマが立ち止まったことに気づいた。
ウマ娘専用レーンと歩道にかかる街灯と街灯の間、ほんの少し影のかかる場所で歩みを止めたナカヤマは、うつむいて、片手で口許を押さえていた。
「ナカヤマ?」
どうかした? と、振り返ったトレーナーが数歩、彼女の傍へ歩み寄ろうとした、その時だ。 - 7二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 22:20:28
「……っ、はは! ハハハ!!」
ぽん、と、ポップコーンでも弾けるかのような勢いで、ナカヤマが笑い声を上げた。
口許を押さえて肩を震わせていたように見えたのは、笑いをこらえていたのだ。
ぶぅん、と、ウマ娘専用レーンの向こう、ミニワゴンが騒音を引き連れて道の向こうに消えていく。それでもナカヤマの笑い声は途切れない。
いったいなにがツボに入ったのか……箸が転がってもおかしい年頃とは言うものの、彼女がなぜこんなにも大笑いしているのかトレーナーにはわからない。
なにか悪いものでも食べたのだろうか? いや、天ぷらはおいしかったしデザートの抹茶プディングも甘さ控えめなめらかな舌触りで最高だった。
「ナカヤマ……?」
なにが君をこうも笑わせるのか。
戸惑いはそのままにおそるおそる呼びかけてみると──笑いに笑った末、涙まで出てきたらしい。細い指先が目尻を拭う。
それからようやくして、担当ウマ娘は肩を揺らして言葉を作る。
「『ならわし』はウソだよ。……昨日今日ではじまったムーブメントに『ならわし』なんてあるわきゃねぇだろ?」
「……!」
また笑いがぶり返してきたナカヤマは肩を揺らす。それでもなんとかこらえてから、呆然とした面持ちのトレーナーを見遣れば、くくく、ともう一発作。
「アンタ、本当にこういう嘘を見抜けねぇよな? 簡単に騙されやがって」
「……君って子は。すぐそうやって」
「なあ、トレーナー」
怒りまではしていない。ナカヤマの担当トレーナーは、担当ウマ娘に対して素直すぎるきらいがある。
揶揄われてわけのわからないまま笑われて、驚きはしたけれど──担当ウマ娘が楽しそうならそれでいい。このトレーナーなら、そう考えている。ナカヤマはそう推察する。
ぼやくような言葉を遮って、ナカヤマフェスタは問いかける。影の中、街灯の光に照らされるおのれのトレーナーに、まっすぐ視線を差し向けて。 - 8二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 22:20:38
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- 9二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 22:21:26
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- 10二次元好きの匿名さん23/05/23(火) 23:53:33
キスの日、いいよね…
- 11二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 00:34:47
お見事、お美事にござる……
最後の最後に薄荷飴が伏線になる技とそこから仄見えるナカヤマなりの乙女心
しかと心に刻み申した - 12二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 00:56:14
- 13二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 00:57:26
「薄荷飴は溶けたかい?」
「え? うん、もうなくなったけど」
「そりゃあ良かった。……ここから先は嘘じゃない、騙すつもりも一切ない」
とっくのとうに溶かしきりくわえていただけのスティックをポケットに突っ込んで。ナカヤマフェスタはトレーナーに腕を伸ばす。その距離おおよそ一完歩の半分ほど。
襟元を掴んで、引き寄せて。
「──賭けに勝った私が所望するのは、鱚だけじゃないんだぜ?」
天ぷら味のキスなんて、ロマンの欠片もないだろう?
- 14二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 00:59:02
- 15二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 01:14:41
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- 16二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 01:27:04
途中で送っちゃったので上は消しました…
すごく楽しませてもらいました!
からかってからかわれて、それで良いと思える関係が出来上がってるふたりなんだ…好き…
ありがとう、ほんとにありがとう - 17二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 01:37:45
あーいいですね、湿度が少ない…というより後ろ暗さがない、信頼を前提とした悪ふざけができる、穏やかとも違うけれど、当たり前のように一緒にいる、いい関係だわ
キスの日のウマ娘たちの様子も可愛かった - 18二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 02:49:36
- 19二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 03:41:15
気のおけない仲だからこそ最後の場面が際立つと言いますか…
すごく良かったです - 20二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 06:50:49
薄荷飴のところ何も意識しないで読んでたからラストでびっくりした
めちゃくちゃよかった - 21二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 08:01:30
起きたらたくさんコメント貰えてて嬉しい!
夕方以降また来ます! - 22二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 18:36:33
お読みいただきありがとうございます!
うまく描写できなかったんですけど、トレがフリーキスについて聞いたくだりはまさしくナカヤマをからかうためのものだったので、伝わっていた(?)ようでほっとしています……本来は伝わらなさそうだったものなのに!
こちらこそありがとうございます、目を通していただけて嬉しいです!
お読みいただきありがとうございます!
当たり前のように一緒にいる関係性が大好きです……お互いリラックスしているというか……当然隣にいるというか……!
キスの日のウマ娘ちゃんたちの様子は時間が許せばもう少し書きたかったんですが、タイムリミットが迫っていたのであれだけになってしまったのが無念です。ほかの子たちでもいろいろ想像できそうなんですけどね!
お読みいただきありがとうございます!
そう、そうなんです、どうせならウマ娘特有の表現を! やりたいんですよね……耳とか尻尾とかになりがちなのですが……ナカヤマはキャラストでわかりやすく耳を絞ってるシーンがありますし、お耳や尻尾で感情表現をする(ブラフに使う)設定があるので、毎度うまく活かせたらいいな~と思いながら書いてます!
お読みいただきありがとうございます!
とりあえずナカヤマにはトレを驚かせとけ委員会に所属しているスレ主です!
いっつもこんなオチなんですけどこれが似合うナカヤマがいけない……!
お読みいただきありがとうございます!
やったービックリさせられてよかったですよ! 仕込んでおいたもので花が咲かせられると嬉しくなりますね!
ありがとうございます!
- 23二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 18:40:46
薄荷飴のネタ、先日も別CPで書いたんですが、薄荷飴キスがスレ主の中で一大ムーブメントになっているということでひとつ……お許しください……。
- 24二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 22:02:12
天ぷら食べたくなるな
- 25二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 23:17:21
食べよう……山菜の天ぷら!
- 26二次元好きの匿名さん23/05/24(水) 23:41:11
>「はは、困れ困れ、困っちまえ」
ここなんか好き
簡単に理解される気はないけど理解されようと挑まれたいとも思ってそう
ハッカ飴舐めさせたり所々行儀良いのいいね…バレないように唇についた油落としてたりするのかな
良いSSのせいでナカヤマ欲しくなってくるから困る…明日とかサイゲ本社の上空に虹60本ぐらいかかった記念で☆3選択チケ配ったりしないかな
- 27二次元好きの匿名さん23/05/25(木) 07:31:19
ちょっと保守させてください!
- 28二次元好きの匿名さん23/05/25(木) 18:58:51
虹60本くらいかかった記念、欲しかったですね……ナカヤマシナリオは本当に良いので……!
熱いし可愛いし愛しいので……! ぜひご縁ありましたら!
なにげに家事全般得意っぽくて、一般家庭ながらも根本の育ちの良さはありそうだなと思ってます。
お読みくださり感謝です~!
- 29二次元好きの匿名さん23/05/26(金) 00:06:39