- 1◆y6O8WzjYAE23/05/31(水) 22:26:22
「チヨチヨ〜。朝ですよ〜? アルダンさ〜ん」
早朝。可愛らしい目覚ましの声で意識が覚める。いつもは私のほうが起きるのが早いのだけれど、今日は同室のチヨノオーさんの方が早かったみたいで。
可愛らしい呼び掛けに、寝たフリをして目覚ましの声を楽しむ時もあるのだけれど。今日はそういう訳ではなく。
「アルダンさ〜ん? 朝食、遅れてしまいますよ〜?」
「はい……」
目は、確かに覚めています。けれど身体の方が醒めておらず、眠気にも似た倦怠感が未だ付き纏う。
「アルダンさん? ……あれ? 顔が赤いような……」
「すみません……体温計を、取っていただけますか?」
「はい! ちょっと待っててくださいね」
寝起きで掠れていると言うにはあまりにも小さい声。チヨノオーさんから体温計を受け取り、脇に挟んで体温を測る。
30秒程で音が鳴り、液晶の数字を見ると37.5°と表示されていた。 - 2◆y6O8WzjYAE23/05/31(水) 22:26:38
「やはり……」
「わわっ!」
案の定、と言うべきかしら。倦怠感の正体は発熱によるものでした。
「え~っと。朝食はどうしましょう……。消化に良いものを貰ってきましょうか?」
「……お願いできますか?」
「はい! 任せてください!」
チヨノオーさんが朝食を取ってきてくださっている間に、先生やトレーナーさんへの連絡は済ませて。朝食にお粥を貰ってきていただいた後、チヨノオーさんは学園へ。
念の為主治医に来ていただいて診てもらったところ、季節の変わり目で体調を崩しただけでしょう、との事。あまり大事ではなく、幸いでした。
先生やトレーナーさんへの連絡や、症状も診ていただいて気が緩んだからでしょうか。身体に付き纏う倦怠感もあって、急に眠気が襲って来る。
(……眠ってしまいましょうか)
熱でぼうっ、としている意識は、やがて微睡みへと溶けていった。 - 3◆y6O8WzjYAE23/05/31(水) 22:26:53
「……──みもいてくれるんじゃないの!?」
「……──え! 私はお邪魔虫でしょうから! それでは!」
部屋の入口で誰かが喋っている声で目が覚める。どれくらいの時間寝ていたのかしら……。
会話をしていた事から一人ではなさそう。可愛らしい声の主は恐らくチヨノオーさん。休憩時間中に様子を見に来てくれたのかもしれません。
それともう一人いた方が……男の人の声? それも若い。
ウマ娘寮は原則ウマ娘以外の立ち入りは禁止のはずなのだけれど、理由によっては許可されることもある。実際朝には主治医に来ていただいていますし。
ただチヨノオーさんも一緒に居る状況を鑑みると、私たちの部屋に来る理由は恐らくお見舞い。だとすると声の主は……。
「ちょっと!? 行っちゃったな……いいのかな……許可を貰ってるとは言え、ウマ娘寮の部屋に俺ひとりで入っちゃって……」
「…………トレーナー、さん?」
寝覚めで上手く回っていなかった思考も段々と動くようになってきた。起きたばかりで判別が付きづらかった声も今ならはっきりと分かる。
部屋の入口の方を見ると少しだけ困ったような顔をしたトレーナーさんが、トレーを持ちながら佇んでいた。
「ああ、ごめん。起こしちゃったかな。アルダン、具合はどう?」
「はい。朝方よりは幾分か楽に……」
昼食が乗っているであろうトレーをサイドボードに置いたあと、スツールの方にトレーナーさんが座る。
「昼食を持ってきてくださったのですね。ありがとうございます」
「お礼なんていいよ。熱を出したって聞いて心配だったし、思ったよりも元気そうな顔を見られて安心した」
日頃体調管理に気を使っているとはいえ、未だ他のウマ娘よりも体質が弱いまま。
頻繁に、とまではいかないけれど、トレーナーさんが担当になってからも何度か体調を崩したことはあった。
ただ私の部屋に来てくださるのは今回が初めてで、整っていない身なりを見られるのは少しだけ恥ずかしい。 - 4◆y6O8WzjYAE23/05/31(水) 22:27:03
「熱は……ちょっと高いかもね」
トレーナーさんの手が額に当てられる。今の私の体温よりも冷たくて、少しひんやりとしていて心地いい。
「朝は何度くらいだった?」
「37.5°でした」
「そっか。君は平熱がそんなに高くないし、数字以上にしんどいかもね……朝より下がってるかもう一度測っておこうか。体温計は……そこにあったね」
普段片付けている場所ではなく、体温計はサイドボードに置かれていたようで。
今朝測った時にチヨノオーさんがそのままにしていたのでしょう。恐らく、片付け忘れたのではなく、また使うかもしれないと思って。
身体を起こしてトレーナーさんから体温計を受け取り、脇に差し込むと不意に視線が逸らされた気がした。
トレーナーさんの方を見ると気のせいではなく、視線どころか顔ごと逸している様子。
「……? 何故顔を逸らされるのですか?」
「……いや、なんでもないよ」
顔をよく見たら少し頬が朱に染まっている様子。もしかしたらトレーナーさんも熱があるんじゃないかしら……。
ぼーっとそんなことを考えていると、体温計の軽快な音が鳴り響く。
「37.2°、ですね」
「ちょっとは下がって来てるね。良かった良かった」
朝よりも楽になったという体感は間違っておらず、実際に熱は下がり始めていた。この様子なら、あまり練習に穴を空けなくても済みそう。
少しホッとしたからでしょうか。寝起きではあまり状況が飲み込めなかった事が急に気になったので、トレーナーさんに尋ねてみる。 - 5◆y6O8WzjYAE23/05/31(水) 22:27:17
「そういえばトレーナーさん。先程チヨノオーさんも来ておられませんでしたか?」
「え? ああ、そのあたりで起きちゃったんだね。いやぁ、食堂で昼食を食べていた時にチヨノオーに声をかけられてね。『一緒に昼食を届けに行きませんか?』って」
なるほど。トレーナーさんが部屋に来られたのはチヨノオーさんが連れて来たから、だったのね。
「それで寮長にも掛け合ってくれて『長居しないなら問題ない』ってことで許可も貰えたんだけど、どうしてか俺だけ置いて学園の方に戻っちゃってね……てっきり俺と同じで心配で様子を見に来たかったんだと思ってたんだけど」
チヨノオーさんったら……気を遣わせてしまったかしら……。
入口あたりまでは一緒に居たみたいなのに部屋に入らず戻ってしまったのは、私とトレーナーさんを二人きりにしたいから、などの理由でしょう。
「そうそう、肝心の目的を忘れるところだった。ご飯はどう? お粥なんだけど食べられそう?」
「はい。食欲の方は問題ありません」
「そう、良かった。ちょっと待ってね」
そう言ってお椀とレンゲを渡してくれるのかと思いきや、お粥を少し冷ましてから、口へ。少しばかり面喰ってしまったものの、悪い気はしないので素直に厚意を受け取り口を開ける。
「あ、ごめん。なんか自然にやっちゃったけど自分で食べられるよね?」
確かに朝食の時も自分で食べましたし、朝方よりも快方に向かっている体調で出来ない道理はないけれど。でも。
「いえ……倦怠感が少々あるもので……このままお願い出来ますか?」
体調が優れなくて。少しだけ、甘えたいのかもしれません。 - 6◆y6O8WzjYAE23/05/31(水) 22:27:28
「ん、そういうことなら問題ないよ」
「それと恐らく、冷まされなくてもちょうどいい温度だと思います」
「あ、やっぱりそうだったんだね。火傷させてもいけないし念の為に少し冷ましたけど」
その後トレーナーさんに食べさせていただいて、昼食も終えて。学園の昼食時も終わろうかという頃。
「そういえば髪を結ってない君を見るのはそれはそれで新鮮だね」
「新鮮、ですか?」
「そう。いつもは編み込みのカチューシャ、って言えばいいのかな? してるから」
唐突に投げ掛けられた言葉にふと、昔の事を思い出した。
『髪ぐらい整えたらどうなのかしら』
幼き日の、姉の言葉。
「……ごめん、気に触ったかな?」
「いえ、そういうわけではないのです。ただ、昔を思い出して」
幼い頃入院する事の多かった私にとっての、光り輝いている記憶。
「実は、いつもしているあの結い方は、姉様から教わったものなのです」
「ラモーヌから?」
「はい。幼少の頃体が弱く、入院しがちだった、というのはトレーナーさんもご存知かと思いますが。その際お父様とお母様と一緒にお見舞いに来てくれた、姉様が」
今でも鮮明に思い出せる、白い世界に差した鮮やかな思い出。 - 7◆y6O8WzjYAE23/05/31(水) 22:27:38
「病院というのは子どもからしたら退屈な場所でしょう? 暇つぶし、でもあったのだと思います。私の髪を結ってくれて……」
「その時してくれたのが編み込みのカチューシャ、と」
「はい。手鏡で見た私の髪はベッドの上にも関わらず、出掛ける前のように整えられていて。……ふふっ、思えば姉様がお見舞いに来る度にせがんだものです」
学校もあり、毎日来てくれる訳じゃなかったけれど、姉様が来てくれる日は私にとっていつも特別な日だった。
「ラモーヌはお見舞いに来る度にしてくれたのかな?」
「いいえ。何度かはしてくれたのですが、次第に面倒くさくなったのでしょう。途中から『それくらい自分で出来るようになりなさい』と編み込み方を教えてくれました」
初めてしてくれた時から、入院生活で気落ちしている私が見るに堪えない、くらいのものだったのかもしれないけど。
面倒くさいという態度を取りつつも、私が出来るようになるまで髪を結う練習に何度も付き合ってくれて。
「じゃあ君のいつもの髪型はその頃からのものなんだ」
「はい」
もっと色々なアレンジを試しても良かったのかもしれないけれど、思い入れのある結い方だから。なんとなく、今も続けているのかもしれない。 - 8◆y6O8WzjYAE23/05/31(水) 22:27:48
「ごめん、体調が優れていないのに喋らせ過ぎてしまったね」
「いえ。気持ちが晴れやかになったからか、体調も優れてきたような気がします」
病は気から、という言葉もあるように、身体の怠さも薄まってきたような感じがする。
「じゃあそろそろ俺は戻るよ。お大事にね、アルダン」
「はい、ありがとうございました」
部屋を出るトレーナーさんを見送って、しん、と部屋が静まり返る。
「早く治さなくては、ですね」
けれど物寂しさはそこにはなくて。
温かな思い出を抱き締めながら、身体を休めるためにも眠りについた。 - 9◆y6O8WzjYAE23/05/31(水) 22:27:58
その日、懐かしい夢を見た。
『髪ぐらい整えたらどうなのかしら』
『でも、整えてもお外には出られませんから……』
入院しがちだったころの、幼き日の夢。
『そう……』
『あ、あの。姉様?』
『動かないでちょうだい』
その日は姉様もお見舞いに来てくれていて。両親が病院の先生にお話を聞きに行っている間、待たされている姉様はきっと退屈だったのでしょう。
特に何を言うでもなく、唐突に私の髪を梳かし始めたかと思うと、そのまま髪を結い始めて。
そうして結われた髪を手鏡で見ると、まるで児童書の表紙に描かれている、お姫様のような髪型になっていた。ちょうど机においてあったものと、同じように。
『ありがとうございます! 姉様!』
『別に、あなたのふさいだ顔なんて見てられないだけだから』
その日から憂鬱だった入院生活に、少しだけ、晴れ間が差したような気がして。 - 10◆y6O8WzjYAE23/05/31(水) 22:28:08
『姉様! 髪を結っていただけませんか!?』
姉様が来る度に、髪を結っていただくのが楽しみになっていて。
『またなの? それくらい自分で出来るようになりなさい』
何度目かで流石に面倒くさくなったのか、断られてしまったけど。昔の私はちょっとだけ姉様に対して図々しかった。
『では、結い方を教えてくださいませんか?』
『はぁ……仕方のない子ね……』
面倒くさそうにしながらも、自身の結ってあった髪を解いて。いつもしてくれていた結い方を手本として見せてくれて。私も、見様見真似で結ってみて。
『姉様、どうでしょう? 上手く出来ていますか?』
『まあ、いいんじゃないかしら』
『えへへ♪ ありがとうございます、姉様♪』
口ぶりは素っ気なかったけれど、口元がわずかに綻んでいたのは、あの日の私も気付いていた──。 - 11◆y6O8WzjYAE23/05/31(水) 22:28:18
「……昨日トレーナーさんに話したから、かしら」
目が醒めると昨日の倦怠感は嘘のように引いていた。体もとても軽くて、きっとこれなら大丈夫そう。
「熱も……下がったみたいね」
念の為体温計で測ってみても平熱。トレーニングはともかく、授業に関してはこの分なら問題ないでしょう。
「……身仕度をしたら、チヨノオーさんを起こしましょうか」
何気ない、普段と同じ朝なのに。心はとても弾んでいて。
ただ身支度しているだけなのに楽しくて仕方がない。
洗面台の鏡に映った自分を見ると、夢の内容を思い出して笑みが零れた。
「…………ふふっ」
そして、髪を手に取り。いつも通りに、あの日教わった結い方で。
鏡の私に、夢の私を重ねながら。 - 12◆y6O8WzjYAE23/05/31(水) 22:28:31
こちら参考文献です、対戦よろしくお願いします。
- 13二次元好きの匿名さん23/05/31(水) 22:29:38
- 14二次元好きの匿名さん23/05/31(水) 22:53:58
いつもながら参考文献として完成度が高すぎる
- 15二次元好きの匿名さん23/05/31(水) 23:13:56
良質な文献をありがとうございました
姉様めんどくさ可愛いな? - 16◆y6O8WzjYAE23/06/01(木) 00:06:43
姉様のビジュアルが発表された段階で思いつきはしていたんですけど中々時間が取れずようやく形にすることが出来ました。
この人アルダンのことなんだかんだ可愛い妹って思ってそうだよね、って事で。
ここまで読んでいただきありがとうございました。 - 17◆y6O8WzjYAE23/06/01(木) 00:07:22