【SS】あおいばら。

  • 1◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:36:44

    青いバラの花言葉

    過去:不可能 存在しない

    現在:夢が叶う 神の祝福

  • 2◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:37:23

     むかしむかし、あるところに一輪の花が咲きました。その花は、他にもたくさん咲いている花と同じように咲いていました。
     でも、その花は他と少し違っていました。その花は他の花が持っていないとげを持っていたのです。

     もちろん同じ仲間の花もいますから、とげのことを気にしたことはありませんでした。ただ、その花は仲間の花とも違っていたのです。
     その花は、青い花びらを持っていました。他の仲間は赤や白、色々な花びらを持っていましたが、青い花びらはその花しかいませんでした。


     その花の名前は、バラといいました。ひとりぼっちの青いバラです。

  • 3◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:38:04

     青いバラは、野原に咲いていました。人がいないところで、他の花たちと一緒にお話をして過ごしていました。
     気持ちいい風に吹かれて揺られたり、冷たい雨を浴びてご飯を食べたり、ふかふかの土に包まれて眠ったり。
     そうやって野に咲く花として咲いていた時は、青いバラは誰かを気にすることはありませんでした。

     青いバラが変わったのは、誰かのことを考えるようになったのは、ある出来事がきっかけでした。
     花々がたくさんの人たちに見えるように飾られて、綺麗に咲いていたのです。その人たちは花々を見て、嬉しそうにしていました。

     青いバラは、最初は何でだろう? と思っていました。どうしてあの花たちはあそこにいるんだろう? どうしてあの人たちは嬉しそうにしているんだろう?
     青いバラは答えが分からなかったので、分かるまで見ることにしました。たくさんたくさん、いろいろな花や人を見ました。

  • 4◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:38:35

     そうしていると、ある光景が見えました。女の人が男の人と一緒に歩いて、みんながお祝いをしていたのです。
     それは結婚式といって、二人がこれから幸せになるのを誓い合う場面でした。
     そこにはバラの花も咲いていて、赤や白の花びらが花束として女の人を綺麗に飾っていました。

     女の人は男の人から渡された花束を見て、幸せそうに笑っていました。男の人も、お祝いしている人たちも幸せそうです。
     それだけではありません。花たちも幸せそうなのです。青いバラには不思議でした。どうしてあの花たちも幸せそうなんだろう?

     青いバラがじーっと見ていると、だんだんと答えが分かってきました。
     花束の中の赤と白のバラは、お祝いをするために集められました。誰かを喜ばせる花言葉、というものを持っているのだそうです。
     あなたに愛を誓います、あなたを尊敬しています。そんな想いを二人が花を通して伝え合って、幸せを感じているのです。

     それを近くで見ればどうなるでしょう? それを自分が手助けしているとなればどうでしょう?
     嬉しくなりますし、良かったなと思えます。だから、あの花たちも幸せそうなのです。

  • 5◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:39:06

     ようやく答えを知った青いバラは、今度は羨ましくなりました。誰かに見てもらえることで自分も嬉しくなることに今まで気付きませんでした。
     青いバラは、ああ、自分もあんな風になりたいな、と思いました。花はその女の人のように、お化粧をしたりおめかしをしたりはしません。
     でも、その花たちは喜んでいました。誰かを幸せにするお手伝いをして、自分たちもまた幸せになって。青いバラは自分も幸せのお手伝いをしたいなと思いました。

     青いバラは、それから頑張りました。あの花たちのように、自分も誰かを幸せにできるんだと信じて。
     人がいない野原から、人がいる町へ。一生懸命に歩いて、ようやく辿り着きました。
     小さかった青いバラは大きくなりました。まだまだ小さいかもしれませんが、それでも昔より大きく花を咲かせています。

     青いバラはどきどきしていました。どうやったらたくさんの人たちに見てもらえるんだろう。喜んでもらえるんだろう。
     そこで青いバラは思いつきました。あの時花たちが飾られていたところに行ってみようと考えたのです。

  • 6◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:39:37

     そこにはたくさんの花たちがいました。みんな目的を持っていて、少しでも人に見てもらえるように努力していました。
     青いバラは少し不安になりました。野原に咲いていた頃と違って、ここではみんながぎらぎらしていました。
     自分のしてきたことは間違っていないだろうか。自分の頑張ってきたことが認められるだろうか。

     不安は確かにありましたが、青いバラは少しずつ前に進んでいきました。ゆっくりでも、こつこつと丁寧に努力を続けました。
     そうしていると、ついに多くの人たちに見られる機会がやってきました。特別なものだそうで、周りの花たちも張り切っています。

     青いバラも花たちも並べられて、カーテンが開かれると。たくさんの目が飛び込んできました。
     青いバラだけではなく、花たちみんなが驚いていました。誰かに見られることに慣れておらず、それに加えてこんなに多くの人たちになんて初めての体験だったのです。

     それでも、青いバラは頑張って咲こうとしました。自分が努力してきた証を見てもらおうとしました。
     お披露目が始まって、どれくらい経ったことでしょう。あちこちに目が移っていた人たちが、ある花に視線を注ぐようになりました。

     その花とは、青いバラでした。青いバラは嬉しくなりました。これで自分は誰かを幸せにできる。誰かが幸せになることで、自分も幸せになれる。そう信じていました。

  • 7◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:40:16

     
     
     
     でも、青いバラが期待していたものとは少し違っていました。
     
     

  • 8◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:40:57

     誰もが青いバラを見ています。ただ、その目の色は困惑していました。あの日の結婚式で見た嬉しそうな、喜んでいる目ではなかったのです。
     青いバラも戸惑いました。周りの花たちも戸惑っていました。どうしてそんな目が向けられているのか分からなかったのです。
     その時、誰かが呟いたのが聞こえました。

     『この花、何?』

     その疑問の言葉は青いバラに向けられていました。青いバラは花とお話することはできても、人とお話することはできません。
     だから、代わりに一生懸命咲いて見せました。頑張って育ててきた青い花びらを見てもらおうとしました。
     次に呟かれた言葉も、青いバラに向けてのものでした。

     『こんな花、見たことない』

     さっきの言葉も今の言葉も、青いバラを知らないから出てきたようです。そして、呟いた人たちも呟いていない人たちも同じ気持ちのようでした。
     青いバラは、たくさんの人を見てきましたから。たとえお話ができなくても、どんなことを感じているのかを分かるようになっていました。



     みんな、何でこれがここにあるんだ、と思っていました。

  • 9◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:41:34

     青いバラは、止まってしまいました。花たちがもっと戸惑いました。人のことが分かりませんでした。


     花たちがそうしている間にも、人々は口々に話し合っています。
     花たちは知らなかったのですが、花言葉というのは人が付けたものなのです。
     花によってそれぞれ違いますが、中には存在しない花の花言葉もあります。

     どうしてそんなものが存在するのでしょう? それは、人が見つけることができなかったからです。
     その姿かたちを見たことがない花に、人々はある花言葉を付けました。

     それは、不可能。見ることができない、をたった一言で表した言葉です。
     見ることができないのですから、それは存在しないことと同じです。見てみたいと思ったとしても、それは叶わない夢なのです。

     だからこそ、人々は青いバラに困惑しました。そして、人々の手は青いバラを、存在しないものを避けていきました。
     存在しないものを、認めようとはしなかったのです。

  • 10◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:42:04

     花々は、色々な人たちの手に渡っていきます。結婚式に行く花がいます。誰かの家に行く花もいます。
     目的はみんな違っても、みんな誰かの為に咲いてほしいと行くのです。一輪、また一輪と離れていきます。

     花たちはちらり、ちらりと青いバラを気にしながら人の手に渡っていきます。でも、花にはどうすることもできません。花にできるのは咲くことだけです。
     そうして、青いバラだけがそこに残されました。周りにはほかの花たちはいません。ひとりぼっちです。

     野原に咲いていた時、青いバラは自分が青いバラであることを気にしたことはありませんでした。
     でも、今は違います。どうして、自分は青いバラなんだろう。答えは分かりません。自分を見つめても、答えは出てきません。


     青いバラは、生まれた時から青いバラでしたから。自分がどうしてそう生まれたかなんて、知らなかったのです。

  • 11◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:43:02

     何日も何日も過ぎていきます。行き交う人々が一輪だけ残った花に目を向けます。でも、その目はすぐに逸らされます。
     青いバラは、それをただ見送るだけです。あんなに大きく花開いていた姿はすっかりやつれてしまい、しおれてしまっています。

     このまま誰にも見られることなく、枯れてしまうのでしょうか。あれほど誰かを幸せにするお手伝いをしたいという、青いバラの夢は叶わないのでしょうか。
     青いバラはずっと呟いていました。それを聞く花はどこにもいません。人には聞こえないというのに、それでも青いバラには止められません。

     青いバラは、謝っていました。ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返し謝っていました。
     青いバラが、何か悪いことをしたのでしょうか。青いバラは、ただ一生懸命咲こうとしていただけなのに。
     誰かに見てもらおうとすることが、そんなにもいけないことなのでしょうか。それは、そんなにも許されないことなのでしょうか。

  • 12◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:43:33

     青いバラは、ただ誰かを幸せにしたかっただけなのです。誰かを困らせたり、迷惑をかけたりしたいわけではなかったのです。
     青いバラは悲しんでいました。自分がいるだけで誰かを不幸せにしているのだと思い込んでしまっていたのです。

     うつむくように花びらを地面に向けて、青いバラはその言葉を止めません。
     もう青いバラは、人を見ていません。自分すら見ていません。
     ただ、たった一つの言葉を呟くだけです。



     ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。生まれてきて――――――
     
     

  • 13◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:44:04

     その時、青いバラに影が落とされました。青いバラは、もうお日さまが沈んだのかなと思いました。でも、周りはまだ明るいままです。
     どうしたのかな、と少しだけ顔を上げてみれば。一人の男の人が青いバラを見ていました。

     こんなにも近くで見られたことはありませんでした。でも、すぐにどこかに行ってしまうことでしょう。青いバラは諦めていました。
     しかし、男の人は青いバラにこう話しかけてきました。

    『やあ、何て綺麗な花なんだろう』

     初めてかけられた言葉です。言葉だけではありません。嬉しそうな気持ちまで伝わってきます。おずおずと青いバラが見上げると、やはり男の人は笑っていました。
     どうして? 青いバラは不思議でした。その疑問が伝わらないまま、男の人は話し続けます。

  • 14◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:44:35

    『こんなにも綺麗な花に、こんなところで会えるなんて。これはまさしく、奇跡だ』

     男の人は青いバラを持ち上げて、そっと胸に抱きます。

    『さあ、行こうか』

     男の人に抱きかかえられたまま、青いバラはたくさんの人たちとすれ違います。最初はすぐに目を逸らされていました。
     中には男の人に問いかける人もいました。

    『何故そんな花を持っている? 有り得ない花じゃないか』

     何回問われても、男の人は繰り返しました。

  • 15◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:45:11

    『確かに、珍しいのかもしれない。有り得ないのかもしれない。でも、こんなにも綺麗に咲いているじゃないか』
    『今まで見たことがない色を持っているこの花は、私たちが見つけられなかった夢を叶えてくれている。ほら、嬉しい気持ちにしてくれるだろう?』
    『ただ咲いているだけでこの花は、この子はこんなにも幸せな気持ちにさせてくれる。だったら、みんなにも見せたいじゃないか』

     男の人の言葉に人々は困惑していました。でも、少しずつ青いバラを見てくれる人が増えていきました。
     男の人が連れ出してくれたおかげで、言葉を尽くしてくれたおかげで、青いバラは多くの人たちに見てもらえるようになりました。見た人たちはみんな顔をほころばせて、嬉しそうにしています。

     青いバラは、赤くも白くもありません。誰かを愛する、尊敬することを誓う言葉を持っていません。
     ただ、もう見ることができない、存在しないなんてこともありません。そんなことは、それこそ不可能です。彼のおかげで、みんなが知っているのですから。


     だから、誰からも認めてもらっている青いバラにふさわしい言葉は。ここにちゃんと咲いている青いバラにふさわしい名前は。

  • 16◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:45:42

    『さあ、たくさんの人に見てもらおう。たくさんの人に幸せになってもらおう。奇跡は起こるのだと、夢は叶うのだとみんなに知ってもらおう』
    『この子がここにいるのは、神様に祝福されているからだ。この子がここにいるのは、誰かを祝福してくれるからだ』
    『そうだ、この子に名前を付けなくては。幸せを祝ってくれるこの子の名は――――――』



     青いバラは、名前をもらいました。
     青いバラは、私は、見つけてもらえました――――――
     
     

  • 17◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:46:15

     春が終わり、夏へと移りつつある季節の下、そのトレーナー室ではあるウマ娘が机に向かっていた。
     机に広げられたノートに何事かを書きつけている彼女は、自分の頭の中に溢れているものを現実にすることに余念がない。
     勝負服を着ている彼女の袖口は花びらのように開いており、新たな行に書いていく度に軽く擦れる音が聞こえる。

     彼女の大きな耳であっても、その音は拾わない。ペンが紙面と接する音も、窓の外の喧騒も、何もかも。
     彼女はただ目の前のノートに夢中になっており、それ以外に気を払うことはなかった。

     故に、その部屋に誰かが入ってきたことにも気付かなかった。彼はこの部屋の持ち主であり、彼女と契約しているトレーナーだった。
     いつもであれば挨拶を欠かさない契約相手の様子に、おや? と思う彼だったが、何をしているかを理解すると静かに彼女の斜め向かいの椅子に座った。
     そのまま静かに彼は彼女を見守る。真剣な目をしている彼女は、自身を見ている目には気付くことはない。

  • 18◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:46:47

     どれだけ時間が経っただろうか。ある程度は納得いくまで書けたのか、ふう、と息を吐いた彼女が顔を上げれば。
     見守り始めてから変わらずに微笑んでいる彼の姿があった。

    「ひゃ、ひゃあ!?」
    「やあ、ライス。待たせたね」

     トレーナーに名を呼ばれたウマ娘、ライスシャワーはそれまで思考の外にあった存在に、何故自分がここにいるのかという状況をようやく把握した。

    「ご……ごめんなさい! お兄さまが準備している間にほんのちょっと、と思って……ああ、時間もこんなに過ぎて……」
    「いや、いいんだよ。こっちこそ時間がかかってしまって悪かったね。ところで、それは宿題?」

     トレーナーの問いかけにライスはぱっとノートを腕で隠してしまう。そして、そろそろと彼の顔を窺った。

  • 19◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:47:18

    「ううん。これ、ライスが今書いているお話なの。もし、ライスが"しあわせの青いバラ"を書いたらどうなるかなって」
    「しあわせの……? あ、ライスが好きな絵本か」

     "しあわせの青いバラ"というのは、彼女が大切にしている物語だ。仲間外れにされた青いバラが、"お兄さま"という存在に救われるストーリー。
     幼い頃から不幸に囚われがちだった彼女の支えとなっていた絵本。その話になぞらえて支えるトレーナーである彼を"お兄さま"と呼ぶくらいには、彼女にとって愛着があるもの。
     そんな憧れるような話を自分でも書いてみたいというのは自然なことだ。

    「うん。ライスが今まで生きてきた中で体験した出来事を、お話に出来ないかなって。色々なことが……あったけれど」
    「それは……」

     トレーナーは言い淀んだ。ライスが過ごしてきた日々は、決して順調だったわけではない。
     誰かに迷惑をかけることを、誰かを不幸せにしてしまうことを恐れて自信を失いがちだった彼女。
     それを懸命に支えられてレースで走るようになっても、望まれていないのだと受け取ってしまった彼女。

  • 20◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:47:48

     不幸ばかりではない。かけがえのない友人にも恵まれたし、今ではレースで勝つことを楽しみにしているファンだっている。
     それでも、過去はなかったことにはならない。ライスの神妙な様子からして、そういったものも話には含ませるのだろう。それは、喜ぶべきことなのか。
     彼女にとっては再び血を流してしまいかねない傷を、残させてもいいのか。
     彼が躊躇った理由はそこにあった。彼の表情が変わったことに、彼女は慌てた。

    「お、お兄さま? 違うの。ライス、今は悲しくなんてないよ?」
    「本当?」
    「うん、本当。悲しいことはあったし、これからも悲しいことはあると思う。でもね? 嬉しいことだってたくさんあるの」

     そう言って、ライスは顔をほころばせる。そこに陰りは見られない。

    「たくさんの人たちに応援されて、ライスは今ここにいるの。だから、みんなを幸せに出来て、私も幸せになれたこの思い出を残したいなって」
    「そうすれば、悲しくなった時にこれを読んで、思い出して。きっとまた、ライスは走ることが出来ると思うの」
    「だめ、かな……?」

  • 21◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:48:20

     彼女は不安そうにトレーナーに問うてきた。否定されるかもしれないという恐れを抱きながら、それでも前に進んできた。
     その姿勢を捨てきれなかったからこそ、ライスは今ここにいる。そんな彼女への答えを、彼はひとつしか持っていなかった。

    「ライスがそうしたいなら、いいとも」

     出会って間もない頃のやり取りを思い出させる言葉に、彼女は満面の笑みを見せる。

    「ありがとうっ、お兄さま!」
    「どういたしまして。その絵本、早く完成するといいね」
    「うん、今はお話だけだからこれが出来たら絵も……」

     計画を話していたライスだったが、何かに気付いたようだった。

  • 22◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:48:52

    「あ、でも……この絵本が完成しても迷惑にならないかな? ライス、"しあわせの青いバラ"もそれを作った作者さんも大好きだから」
    「ああ、話が被ってしまうのか。じゃあ、君が読んだり……あるいは、自分の子供に読み聞かせてあげたらどうかな?」
    「ライスの、子……?」

     ライスは不思議そうに首を傾げた。
     
    「そう。将来子供が生まれて、その子が不安になってしまった時。その絵本を読み聞かせてあげればいい。嬉しいことを思い出してもらえるように」
    「家族で読むくらいは、許されると思うんだ。どうだろう?」

     トレーナーの言葉に、ライスは未来を想像しているようだった。そして、ぱあっと顔を華やかにさせる。

    「うんっ! ライス、そうする!」

     その勢いのまま、彼女は言葉を続けた。

  • 23◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:49:26

    「そしたらね、絵本が出来たらお兄さまにも読んでほしい!」
    「うん? いいのかい?」

     大切な思い出が詰まっているであろう話だ。自分が読んでいいのだろうか。
     トレーナーが不思議そうにしている顔に、ライスは勢い良く頷いていた。


    「お兄さまだからこそ、読んでほしいの。こ、これはだめ……?」
    「それこそライスが許してくれるなら。本当に、完成が楽しみだな」

     彼の返答に、またしても彼女は笑みを溢れさせていた。
     彼女の元には絵本を完成させる未来も、それを誰かに読んでもらい、読みきかせる未来もまだ訪れていない。いつ来るのかも分からない。それでも、二人は信じていた。

     未だ来ていないそれは、必ず来るのだと。

     笑い合う二人の間になごやかな時間が流れたが、ふとトレーナーが時計に目を向けてはっとした。

  • 24◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:49:57

    「おっと、もうこんな時間か。ライス、そろそろトレーニングいいかい?」
    「あ、うんっ! お話も一区切りついて……」

     そう言って立ち上がろうとするライスだったが、何かを思いついたのか急いでノートの端に書き留めていた。
     それを覗き見ることはせずに、トレーナーは扉を開いて彼女を待っていた。
     書き終わった彼女は、慌てて彼の元へ向かおうとする。

    「あの、思いついちゃったからどうしても書いておきたくて。ごめんなさ……」
    「ライス」

     彼女が謝る声を遮って、彼は呼び掛ける。彼女は名前を呼ばれて、きょとんとしていた。

    「さあ、行こうか」

  • 25◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:50:29

     彼は微笑んで、彼女を連れ出そうとしている。
     ライスは驚いた。トレーナーの言葉は、彼女が綴っている物語の彼そのままの台詞だ。トレーナーは知らない筈の、青いバラに向けての言葉。
     目の前の"彼"は、彼女が憧れた絵本の"彼"でも彼女が書いている物語の"彼"でもない。しかし、"彼"は彼女にとって確かに"お兄さま"だった。
     
    「うんっ!」

     扉を通って二人は歩いていく。ライスが何を考えているか知らずに、トレーナーは確認する。

    「今日は勝負服での本番さながらの練習だからね。体調はどう?」
    「うん、大丈夫だよ。ライスね? 今日も、これからも、がんばるから」
    「そうか。じゃあ、あれやろうか」

     あれ? と首を傾げる彼女だったが、すぐに合点がいった。何かをする前の約束事のようなものだった。
     片腕を空へ突き出して、二人は声を出した。

    『頑張るぞ、おー!!』

  • 26◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:51:02

     そのままくすくすと笑ってグラウンドへと歩を進める。ふと、ライスは自分の姿を見下ろした。
     今の彼女は、勝負服に身を包んでいる。彼女が願い、彼女が願われて織られた彼女の為の一着。
     その特別な装いは、彼女自身を特別に見せている。

     花の青いバラは、お化粧もおめかしもしない。では、彼女はいったい何なのだろう。
     彼女は青いバラであって、青いバラではない。彼女の名前は、ライスシャワー。誰かの幸せを願って名付けられたひとりのウマ娘。

     彼女は隣を歩く彼の袖を軽く引いた。彼は何事かと彼女に目を向けた。それに合わせるかのように、彼女もまた彼を見上げる。

     ありがとう。彼女はそう呟く。彼女が誰かから認めてもらうきっかけを作ってくれた彼へ。
     誰よりも最初に自分を見つけてくれて、今でもずっと自分を見てくれている存在に対して、感謝を込めて。
     彼は目を細めて、静かにそれを受け入れた。

     そして、少女は幸せそうに、たったひとつ言葉を零した。

  • 27◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:51:34

     
     
     
    「――お兄さまっ!」
     
     

  • 28◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:52:05

     誰もいなくなった部屋に置かれたノート。どこからかすきま風が入ってきたのか、それがひとりでにめくられてページが開かれる。
     先程まで彼女が書き綴っていた最後の紙面が露わになる。多くの文字と時間を費やされたその文面は、まだ完結していない。
     止まっている文章は明らかに続きを期待させる含みを持たせている。戻ってくる彼女がここか、あるいは自室か。どこかでまた書き進めるのだろう。

     その文章が載っているページの下部。欄外に走り書きされた一文がある。筆跡からして考え練られた内容ではなく、直感に従ったような印象を受ける。
     思いついたからには書き残さずにいられなかったのか、少々乱れたその文章はこう書かれていた。

  • 29◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:52:37

     
     
     
    "あおいばらはきょうもげんきに、しあわせにいきています"
     
     

  • 30◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:53:19

    以上です。こちらでの某SSをリスペクトして書きました。

  • 31二次元好きの匿名さん23/06/04(日) 00:54:24

    あなたに敬意と感謝を

    勿論今日がどう言う日か、わかった上で書いていただいた事と思う

    ありがとう

  • 32◆zrJQn9eU.SDR23/06/04(日) 00:58:07

    >>31

    読んでいただきありがとうございます。イラストまで頂けてとても嬉しいです。

  • 33二次元好きの匿名さん23/06/04(日) 12:35:26

    良い話でした
    スレ一覧見てて気づけて良かった

  • 34二次元好きの匿名さん23/06/04(日) 21:23:00

    良スレあげ

  • 35二次元好きの匿名さん23/06/04(日) 21:29:03

    いいSSだった
    とりあえず全部に♡つけといた

オススメ

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