【SS】址を飛び立つ旅がらす

  • 1二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 00:32:15

    降り注ぐ雪は勢いを増し、外の全てを白く塗りつぶしていく。曇った窓を手で拭うと、真っ白に染まったダートコースが見えた。

    「レース、無くなっちゃいましたね。」

    古ぼけたソファーや衣装掛けが端に置かれ、端の備品を入れる金属の棚には黒いラジカセが置いてある、中央の設備とは違った全体的に寂しい部屋にトレーナーとウマ娘の2人がいる。
    体育着を着たウマ娘が、つい先ほど告げられた哀しい事実を、改めて噛み締めるように呟いた。今日は財政難で閉鎖することになった高崎レース場で最後のレースが行われる日。
    彼女は本来ならメインレースの高崎大賞典を走り、最期を華々しく飾る主役の1人になるはずだった。
    だが、レースは8Rを以って雪のため開催中止となり、そして今日でレース場が閉鎖されるため延期処置も取れない。
    つまり、今日の11Rに行われるはずだった高崎大賞典は、大晦日の雪の前に、夢や希望もろとも消えてしまったのだ。

  • 2二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 00:33:30

    「———すまない…」

    「謝ることないですよ。トレーナーさんだってまだ新人だし、天気もしょうがないものなんですから。ほら顔をあげてください。」

    トレーナーの顔に優しく手が添えられる。

    「それにトレーナーさんには感謝してるんです。中央で結果が残せずここにきて半年ですけど、トレーナーさんはすごくわたしのことを気にかけてくれました。」

    「最初はサブトレーナーでしたけど、一緒に頑張ってくれて結果も出せて、それで正式にわたしの担当になってくれた時はとても嬉しかったです。今日は走れませんでしたけどここまで頑張ってきたことは無駄じゃありません。わたしは園田に行きますがそこでもきっと頑張れます!」

    「そういえば君は園田に行くんだったね。」

    「そういうトレーナーさんは大井に行くんですよね。一度行ったことがありますけどすごい都会で目が回りそうでしたよ。」

    「せっかく行くなら大井がいいって言ったらそれが通ってね。レベルは高いけど頑張るよ」

    「レベルが高いのもそうですけどちゃんと馴染めますか?あんまり話すの上手じゃないですしそこも重要ですよ。」
    「...なんとか頑張るよ」

    彼が気まずそうに逸らした目は窓の方を向き、それに釣られるように彼女も目をそちらに向ける。部屋の中はボロボロの暖房が最後まで役目を全うしようと唸る音がする。

  • 3二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 00:34:31

    このシルエットは…まさかヘルシェイク矢野!?

  • 4二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 00:35:06

    「それにしてもすごい雪ですね。さっきまで走ってた娘はべしゃべしゃになって大変だんじゃないですか?」

    「雪でダートが緩くなって大変だって言ってたな。それでも走れたことは楽しかったって言ってたし笑顔だったぞ。」

    「ウイニングライブも嬉しそうにやっててこっちも笑顔になりました。」

    そう言って椅子を引きずり、距離を縮める。

    「トレーナーさんは、わたしが今日レースをできてたら、テンリットルさんやサンエムキングさん相手でも勝ってたと思いますか?」

    「...わからない。だが俺は最後まで君のためにやるべきことをやって、そうすれば勝てていてもおかしくないはずだ。」
    「最後までトレーナーさんらしい答えです。なんだか安心しちゃいました。」

    そう言ってトレーナーの方を見たが、やはり顔はすぐれない。どうしたら元気になれるか考えたながら周りを見渡すと、衣装掛けにライブで着るかもしれなかった勝負服がかかっているのが見えた。


    「そうだ!」アイデアが思いつくままに声も出た。

    「トレーナーさん、ここでライブをしましょう!」

    一気に顔を近づけ、興奮したように言葉を紡ぐ。疑問符を頭に浮かべたトレーナーへ言葉の波がさらに降りかかる。

    「せっかく重賞用の衣装があるのに着ずにいるのは勿体ないじゃないですか。それにここにはラジカセもありますし曲だって流せますよ!」

    そう言ってカセットをぺしぺしと叩く彼女におずおずと声をかける
    「君がそうしたいなら俺は手伝うが...他に誰か呼んだりしないのか?」
    「いえ、トレーナーさんと2人がいいです。」

    「チームの娘を呼んだりしないのか?」
    「いいえ、トレーナーさんと2人がいいです。」

  • 5二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 00:36:53

    「...わかった。じゃあ準備をしよう。」

    「そういえばトレーナーさんてビデオカメラを持ってましたよね。今日は持ってますか?」

    「あるぞ。」

    「やった!これで撮影会ですね!」

    急な押しの強さに少し引きながら、足の高さが合わない折りたたみ机を横にズラし、底面に穴のあいたパイプ椅子を畳む。
    1人が踊れるだけのスペースを確保したところで、着替えのため廊下に放り出された。
    暖房のない寒い廊下で点滅する蛍光灯を見つめながらぼんやりと今までのことを振り返る。
    新人で右も左も分からない中入ったレース場はすでに限界を迎えていて、仕事に慣れるため右往左往している中廃止の流れがどんどん進んでいき、何も出来ないまま気づけばレース場がなくなってしまうことへの無力感、手応えを感じたウマ娘を晴れ舞台に送れなかったことの悲しさが胸を包む。
    担当には顔を上げてくれと言われたがそう簡単には気持ちの整理がつかない。
    そう思いながら寒い廊下をうろつきながら横の部屋の様子を見たりしていると合図があった。

  • 6二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 00:38:37

    「じゃーん!どうですか?」

    そう言って現れた彼女は初めて着る重賞用の勝負服を少し浮足立ちながらもしっかりと着こなし、自信ありげにポーズを取っている。

    「いいね。すごく綺麗だよ。」

    率直すぎる褒め言葉に驚いた彼女の尻尾が少し上に上がる。

    「トレーナーさんってそんなこと言えるんですね。そういうこと言わないタイプだと思ってました。」

    そういう彼女の顔は嬉しそうだ。よく見ると耳もご機嫌に動いている。

    「それはともかくライブです!CDは入れてあるので再生はトレーナーさんにお願いしてもいいですか?」

    「わかった。その前にちゃんとビデオが映るか確認する。」

    「お願いしまーす」

    そして準備が終わり、ついに2人だけのライブが始まる。

    音の邪魔にならないよう暖房を切った部屋にはラジカセから流れるライブ曲の音と、ダンス用の靴が床を鳴らす音だけが聞こえる。
    練習の成果を存分に発揮し、彼女は伸びやかに、思う存分踊る。この楽しい時間がもっと続いて欲しいと思ったが、既に半分がすぎた。

    間奏パートにトレーナーの方を見ると、先程までずっと暗かった表情が今は明るくなっている。悲しい顔で別れたくないと思い提案した2人だけのライブはどうやら既に成功しているようだ。だがまだ曲は終わっていない。
    最後まで間違わないよう、一際集中する。暖房で温められた空気が体にまとわりつくがあともう少しだ。冷静かつ大胆なダンスはいっそう激しさを増す。
    いままで何度か勝ち、ライブを行ってきたが今日はそのどれよりも上手く踊れている。
    その喜びとともに踊ったダンスはついに終わりを迎え、最後のポーズをちょっと変えてキメたわたしは、心地よい疲労と満足感に包まれていた。

  • 7二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 00:40:26

    ふと気づくと拍手の音が聞こえる。トレーナーの方を見ると、少し泣きそうな笑顔で大きな拍手を私に向けてしていた。
    上機嫌になり、ついアイドルのパフォーマンスの真似をしてしまう。

    「ありがとうございました!」

    そういった私の耳には、よりいっそう大きな拍手が聞こえた。

    「すごく良かったね。」

    「ありがとうございます。ちゃんと練習してましたし上手くいって良かったです。」

    「最後のあれはアドリブ?」

    「わかりました?昔メイクデビューで勝った子がこれやっててその時からどこかでやりたいと思ってたんですよ。」

    「君らしくてよかったな。」

    「ありがとうございます!そういえばちゃんと撮れてました?」

    「大丈夫だ。後でPCからDVDに落としておくからちょっと待っててくれ。」

    「わかりました。」

    そんな会話をしながら、2人は椅子や机を元の位置に戻す。すぐに畳んでどこかへ行くことになるものだが、なんとなくこうしなければ気がすまなかった。

    「じゃあトレーナさん!着替えるので外で待っててください。」

    そう言われると再び外に押し出される。

  • 8二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 00:45:05

    点滅する蛍光灯は、先程より少し明るく見えるような気がする。雪はさらに降り、帰るのは簡単では無いだろう。 雪の降る音を聞いていると、ドアの奥から声が聞こえた。

    「そういえばトレーナーさんはこの後どうするんですか?」

    「残ってる仕事を済ませて同僚と一緒に紅白を見るんだ。」

    「いいですね。ちなみに何が気になってますか?」
    「マツケンサンバかな?」
    「なるほど、わたしはハナミズキが聴きたいです。でも寮のテレビが共用のやつしかないからみんな集まってぎゅうぎゅう詰めなんですよ。」

    「大変だな。でもそれもひとまず最後だしみんなで楽しもう。」

    「はい!みんなでお菓子パーティーがあるらしいので私も旅がらすを持っていきます!」

    「寮までの道は暗いから気をつけるんだぞ。」

    「この後みんなで一緒に集まって帰るから大丈夫です!」

    「なら大丈夫か。雪で滑らないようにな。」

    「はい!」 その瞬間ドアが開く。
    最後に部屋を見渡し、忘れ物や消し忘れがないかをしっかり確認し、再び廊下に出る。

    「短い間ですがお世話になりました!」

    「こちらこそありがとう。またどこかで会えるといいね。」

    「はい!大井に来た時はよろしくお願いします!良いお年を!」

    「良いお年を。」

  • 9二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 00:45:25

    最後に言葉を交わし、2人は別れる。
    空はだんだん暗くなり、色彩の消える世界まであと僅かに迫っていた。


  • 10二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 00:49:42

    後で書こう後で書こうと思ったらあっという間に一ヶ月経ってました。時が過ぎるのは早いですね。


    この話は高崎競馬場最終日の高崎大賞典で走るはずだった矢野貴之騎手とトウカイボスのコンビはウマ娘世界ならこんな感じだったのかもしれない?という話です。スレ画のヘルシェイク矢野はここから引っ張ってきました。

  • 11二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 00:57:01

    おつ
    高崎最終日が降雪で途中取り止めになったのは知ってたけどヘルシェイクの鞍上の矢野貴之Jの乗鞍あったとは知らなかった
    そういやこの人最初は北関東だったね

  • 12二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 00:57:37

    たくさんの物悲しさの中にキャンドルみたいな暖かさのある素敵なSSでした…
    寝る前にいいものが読めました!

  • 13二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 00:59:49
    トウカイボス (Tokai Boss) | 競走馬データ - netkeiba.comトウカイボス (Tokai Boss)の競走馬データです。競走成績、血統情報、産駒情報などをはじめ、50万頭以上の競走馬、騎手・調教師・馬主・生産者の全データがご覧いただけます。db.netkeiba.com

    モチーフのトウカイボスはこの子です。結局その後重賞に出走することが叶わなかったため、このライブが最初で最後の重賞用衣装でのライブになります。観客が1人のライブでも、この子にとっては忘れられない思い出になるでしょう。

    正直全く情報がないのでキャラを組み立てるのには疲れましたが概ねヒシミラクルベースで頑張ってみました。

  • 14二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 01:03:26

    ちなみに地方の勝負服がどういう仕組みかよく分からなかったのでシングレを何度も読み返し、ダートグレード競走ではない重賞は専用勝負服がライブ限定で存在するということにしました。解釈が間違ってたらすいません。
    他にもビデオカメラはこの時代どこまで使えたとか色々調べることが多くて大変でした。その他色々調べてとりあえず少しは2004年の雰囲気が出せたと思います。

  • 15二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 01:06:55

    そしてタイトルと文中にある旅がらすは群馬名産のお菓子です。ここから買えるので欲しい人は買いましょう。

    旅がらす | 旅がらす | 旅がらす本舗清月堂Web Site旅がらす本舗清月堂Web Site:旅がらす 商品案内アーカイブページtabigarasuhonpo.jp
  • 16二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 01:13:45
  • 17二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 01:17:47

    中央の終盤の未勝利を下位人気から勝ってから1年半鳴かず飛ばずで北関東に転入したと思ったら競馬場廃止で園田に行ってそこから5年も走ったんだな、トウカイボス号
    生涯最初で最後の重賞の機会が雪でなくなるとはなかなか数奇な…

    地方重賞は所属の子にとっては晴れ舞台だし勝負服着れるといいよね

  • 18二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 01:27:50

    ちなみにこのレースには丸山元気騎手のパパ、ソフト競馬の代表の元騎手福元さん、高崎大賞典3連覇をめざして挑んだテンリットルなど主軸に置く候補が結構いましたがスレ画がやりたかったのと今の知名度で判断しました。
    矢野騎手はインタビューで俺と言ってたり実はコミュニケーションがあんまり上手じゃなくて大井に来た時は苦労したというインタビュー記事があったのでそれを取り入れました。

  • 19二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 02:32:05

    このレスは削除されています

  • 20二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 09:27:28

    あげ

  • 21二次元好きの匿名さん23/06/07(水) 20:35:59

    今見つけた
    もうちょい耐えてくれ

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