【SS】She's singin' in the rain.

  • 1◆zrJQn9eU.SDR23/06/13(火) 21:17:37

     トレセン学園の放課後は、いつも賑やかだ。グラウンドではウマ娘達が速さを得ようと切磋琢磨する姿が日常茶飯事だ。
     とはいえ、今日はその姿も外には見えない。雨が降りしきっている今日は、梅雨に相応しい光景。

     誰もが屋内に引っ込んでトレーニングルームは満杯だ。小雨ならまだしも音を立てて跳ねる中走ろうというウマ娘はまずいない筈だ。
     しかし、走ってはいないが一人の少女が傘を差して歩いている。制服姿は当然学園の生徒で、ただ目を引く違いがひとつある。

     膝にまで届かんばかりのロングレインブーツ。撥水の機能を特有のてかりで示しているそれは、黒を基調として金縁があしらわれた代物。
     奇しくも彼女の勝負服の靴に似通ったデザインは、時折彼女がにっこりとブーツに笑顔を向けている姿からしてお気に入りの一品のようだ。

  • 2◆zrJQn9eU.SDR23/06/13(火) 21:18:13

     彼女は学園の敷地内を歩いていた。石畳をかつん、かつんと鳴らしているかと思えば、そこから外れて草木が茂っている方へと進んでさく、さくと踏みしめる。
     どちらも雨で濡れて、擦れる際に独特の音を加えてくる。それが心地良いのか笑みを絶やさないまま、彼女は歩き回っている。

     どこか目的地があって歩を進めているのではなく、それ自体が目的のような足取り。彼女は、雨の中歩くことを楽しんでいた。
     石畳や草むらの窪みが作る水たまりを避けるのではなく、わざわざ飛び込むのがその証拠だ。ブーツで覆っているとはいえ飛び散るものを厭う様子はない。
     気分が弾んでいるのか、鼻歌まで口ずさんでいる。もっとも、その音は雨にかき消されて誰も聞く者はいない。

     そこへ、二人のウマ娘が通りかかった。棟から棟へ渡り廊下で移動していた彼女達は、雨以外の音をその耳で聞き分けていた。

  • 3◆zrJQn9eU.SDR23/06/13(火) 21:18:43

    「ん? ダイヤちゃん、あれって……」

     二人の内の一人、キタサンブラックがまず口を開いた。呼び掛けられたサトノダイヤモンドも音の方を見た。

    「あっ、クラちゃんだ。雨が降っているからやっぱり遊んでるね」
    「やっぱり? 遊んでる?」

     キタサンはダイヤの物言いに不思議そうだ。ダイヤは視線はそのままで話題のウマ娘、サトノクラウンについて言葉を続けた。

    「クラちゃんね? レインブーツを集めるのが趣味なの。それで飾っているだけじゃなくて、こうして雨の日は履いて出かけるんだって」
    「そうなんだぁ……」

  • 4◆zrJQn9eU.SDR23/06/13(火) 21:19:14

     話す仲ではあっても知らなかった意外な趣味にキタサンは目を丸くしていた。その様にくすくすと笑ったダイヤは、クラウンに声を掛けた。

    「クラちゃーん!」
    「!」

     雨音に負けないように張り上げた声にクラウンが気付くと、彼女は笑んだまま二人に手を振った。
     振られた二人もまた振り返して、

    「風邪、ひかないでねーっ!」
    「明日、晴れたら併走しよーっ!」

     そう言い残して廊下を歩いていった。クラウンは二人を見送ると、またレインブーツで、声で音を生み出していった。
     彼女はただ、雨の中で歌っている。弾んだ心で、雨の中を歩く幸せを受け止めている。

  • 5◆zrJQn9eU.SDR23/06/13(火) 21:19:45

     生徒会室ではシンボリルドルフが執務に取り組んでいた。冠前絶後の才を持つ彼女だが、デスクワークとはいえこの雨では少々気が滅入るようだ。
     休憩がてらコーヒーを片手に窓からの景色を見る。丁度他のメンバーが所用で出払っていて、部屋には彼女だけしかいない。

     濡れて滲む向こうは、目を細めてみてもくっきりとはならない。何をしているのかと自嘲めいた笑みを俯いてしてみれば、彼女は下で動くものを見つけた。
     生徒会室が入っている棟の脇の石畳。そこを黒い傘が移動していた。

     それ自体は驚くことではない。いや、傘だけならば驚きだがその下には誰かがいる筈だ。
     ルドルフの思考を読んだわけがないのに、傘の持ち主は空を見上げた。自分に雨がかかるか、かからないか。ぎりぎりまで傘を傾けるものだから、上の窓からでも顔が見える。
     あまり窓が滲んでいない部分から覗き見れば、ルドルフの記憶に該当するウマ娘だった。

    「あれは……サトノクラウンか」

  • 6◆zrJQn9eU.SDR23/06/13(火) 21:20:24

     学園の生徒ではあるから敷地内を歩いていても、違和感はない。しかし、学園指定の靴ではなくロングブーツを履いているということはわざわざ寮に戻っての行動となる。
     何とも、物好きな話だ。こんな雨の中を好き好んで歩くとは。それも楽しそうに。

     ルドルフからでもクラウンが移動の為に歩いているわけではないことが理解出来た。
     傘の下から手をそうっと伸ばして雨を拾ったかと思うと、びくりと引っ込める。そして、掌に残った雨粒を色々な角度から眺めて、ぱあっと投げて仲間の元に戻す。

     それを何度も繰り返しているのだ。傘は上げたままだから笑っていることも見えてしまう。ルドルフ自身はそこまで雨を楽しんだことはないから、ある意味新鮮だった。
     いや、そこではたとルドルフは思い当たった。クラウンとは違うタイプだが、雨を楽しむウマ娘がいたなと。

     その見知った姿を思い出す前に、眼下のクラウンに近付く影が見えた。窓から見える角度を変えるまでもない。傘も差さずに濡れることを是とするあのウマ娘は。

    「まったく。自由闊達とはいえ、少しは体が冷えることを気にしたらどうかな?」

     その彼女に対して、ルドルフは嘆息した。

  • 7◆zrJQn9eU.SDR23/06/13(火) 21:21:01

     頭上の憂いに気付くことなく、クラウンは雨を楽しんでいた。先程と変わらずレインブーツが生み出す音を伴奏にして、ゆったりと歌いながら。
     そこに誰かが走ってきても、彼女は恥ずかしがることはない。ただ、誰なのかと天から目線を戻した。

     その先には、いかにもびっくりしていますという表情のウマ娘がいた。上から下まで制服はびっしょりで、長い髪も水を吸って垂れ下がっている。
     しかし、その重さを彼女は感じていないようだったし、クラウンにも感じさせなかった。弾むように走ってきた彼女、ミスターシービーだけの特権だった。

     シービーはその驚いた様子のままクラウンを見つめている。クラウンもまたシービーがどうしてそう見てくるのか理由が分からず、見つめ返す。
     一方が首を傾ければ、もう一方も首を傾けて。一方がぐるぐると相手を一周してみれば、もう一方もぐるぐると一周して。

     やがて二人はお互いを追いかけるように回り始める。相手の尻尾を掴もうとして掴めずにいるような、ふざけ合いにも似た動き。
     ただ、当人達は真剣だ。そのままどれくらい回転するのかと思われる時間が経った頃、クラウンが突然立ち止まった。

  • 8◆zrJQn9eU.SDR23/06/13(火) 21:21:32

     後ろから迫っていたシービーがむぎゅ、と変な声を上げて突っ込んだ。身長自体はシービーの方が少し上のようだが、レインブーツの分同じくらいになってクラウンの髪にまみれた。
     慌ててクラウンが振り返ってぺこぺこと頭を下げる。そして、おずおずと差している傘をシービーに差し出していた。

     きょとんとしたシービーは、その表情に合った調子で声を発した。

    「もしかして、アタシが濡れていることにようやく気付いて立ち止まったの?」

     クラウンはぶんぶんと首肯して、次いでまたぺこぺことし出した。その様を見て、シービーは可笑しそうに吹き出した。

    「ぷっ、あはは! キミ、面白いね! アタシも変わっているけど、キミもなかなかどうして……」

     目尻に浮かんだ涙が雨と共に流れ落ちるが、それにも構わずシービーは拭う。理由が分からないながら、クラウンは傘の下に相手を招く。
     しかし、シービーは自分から傘の外に出て手を広げる。

  • 9◆zrJQn9eU.SDR23/06/13(火) 21:22:22

    「ああ、いいのいいの。アタシ、濡れても構わないっていうか、好きでこうしているだけだから」
    「ん? 分からないって顔してるね。アタシが……こうしてる理由? それとも、キミを見て驚いた理由?」

     悪戯っぽく笑うシービーに対してクラウンは再び首を傾げる。

    「それはね、たぶんキミと同じだよ。キミが奏でていた、あの歌と同じ」
    「まさか、ここでその歌を聞くなんて思わなかった。アタシの両親もね? その歌の映画が好きなんだ。歌って、踊って、楽しそうで」
    「だから好きなのかもね。雨の中にいることが………………アタシも、キミも」

     シービーの話を聞いて、クラウンはその内容を耳から頭に入れていた。そして、理解したと同時に一層顔をほころばせた。
     それを見て、シービーもまた嬉しそうに笑う。

  • 10◆zrJQn9eU.SDR23/06/13(火) 21:22:53

    「さっ、踊ろう!」

     彼女の言葉を合図に、二人は一歩下がってスカートの裾を摘まんで挨拶をする。さらに、二人は手に手を取り合ってくるくると回りながら石畳を進んでいった。
     二人は雲を見上げて笑っている。雨が降っていても太陽を見るように眩しそうに目を細めながら。

     二人が去った頭上では、一人のウマ娘が変わらず窓を挟んで立っていた。
     クラウンが巻き込まれたことを憂うべきなのか、シービーとある意味同じタイプだったことに憂うべきなのか。

     それとも、二人が織りなす奇妙な踊りにどうコメントすべきなのか。
     彼女は悲しんでいるのか喜んでいるのか、とても複雑な表情を作っていた。窓に映るそれは滲んでもっと怪しくなってしまっていた。

  • 11◆zrJQn9eU.SDR23/06/13(火) 21:23:24

     クラウンとシービーは弾むように、楽しそうに駆けていった。棟から棟へ、沿うように敷き詰められた石畳を進めば中央棟の前、三女神の像がある広場に出た。
     人払いが済んだように誰もいない空間で、二人は笑って雨を受けている。

     クラウンがレインブーツでかつん、かつんと石畳を打ち鳴らす。シービーが道の脇の街灯に飛び乗って手を広げて、空を仰ぎ見る。
     シービーは硬い道と柔らかい地面の境界を行き来する。学園指定の革靴もまた異なる音を交互に耳に届かせる。
     クラウンはあちこちに出来た水たまりに飛び込む。かと思えば、街灯から流れ落ちる大きな雨粒を傘で受け止めて鈍い音を作り出す。

     三女神の像の周りをシービーが回りながら駆け抜ける。クラウンが像が滝のように流す水に触れようと傘を伸ばし、結局届かずびしょぬれになる。
     その様に二人が無言で見合わせると、次の瞬間にはお互いに吹き出して芝を走り回る。さく、さくと踏みしめながら。

  • 12◆zrJQn9eU.SDR23/06/13(火) 21:23:58

     やがて、どちらともなく足を止めた。肩で息をしている二人からは荒れた呼吸が出ているが、それは雨の中に消えていく。
     二人は長い距離を歩き、走った。それはとてつもなく幸せで、雨の中であればなおさらだ。

     しかし、二人はまだ踊り足りないようだ。再びスカートを持ち上げて挨拶をしたかと思えば、思い思いの方向へと散っていく。
     シービーが学園の方に行ったのに対して、クラウンは門の方へと向かった。
     二人の別々の声が、雨の中で歌を口ずさんでいる。

  • 13◆zrJQn9eU.SDR23/06/13(火) 21:24:31

     学園の正門前では一台のスポーツカーが停まっていた。真っ赤な車体の中では、マルゼンスキーが退屈そうに彼女のトレーナーを待っていた。
     暇つぶしにとカーステレオを掛けた向こうからは、昔の名曲が再生されている。それを半ば聞き流しながら、マルゼンはふと窓の外を見やった。

     門の向こう側から、傘を差したウマ娘がやってくる。いや、傘を頭上から外したり折りたたんだりしていて、実に奇妙な振舞いをしている。
     ただ、そのおかしなものにマルゼンは見覚えがあった。たった今流れ始めた曲がそれにちなむものであったことも後押ししていた。

    「あら。オシャレなことをしているわね。そう、まるで………………」

  • 14◆zrJQn9eU.SDR23/06/13(火) 21:25:01

     マルゼンは外行く踊り子から目を離して、代わりにカーステレオに向けた。
     かつて映画で使われて、多くの場で人々を楽しませてきた曲。その名は、まさしく窓の奥の場面に相応しいもの。
     マルゼンにとっては遠すぎて気付かなかったことだが、クラウンもまたその歌を歌っていた。

     雨の中で歌っているクラウンの心には、また幸せがこみ上げてきている。
     彼女は歌い踊る。雨の中を時間が許す限り、いつまでも。

  • 15◆zrJQn9eU.SDR23/06/13(火) 21:25:50

    以上です。昔のある有名な映画とサトノクラウンのヒミツ1から着想を得ました。

  • 16二次元好きの匿名さん23/06/13(火) 21:27:22

    格好いい……!!!
    凄く凄い良いものを読ませて頂きました!
    ありがとうございます!
    ジーン・ケリー最高ですよね!!
    あの映画は大好きです!

  • 17◆zrJQn9eU.SDR23/06/13(火) 21:29:45
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    たまってきたので過去作です。一番上の話の最後の方にも書いた話のリンクを載せてあります。

  • 18◆zrJQn9eU.SDR23/06/13(火) 21:31:22
    独占欲強めのミラクルにさぁ|あにまん掲示板bbs.animanch.com

    あとこれの31-43にも書きました。



    >>16

    読んでいただきありがとうございます。雨に唄えば、いいですよね。

  • 19二次元好きの匿名さん23/06/13(火) 21:40:39

    面白かったです。

  • 20二次元好きの匿名さん23/06/14(水) 08:09:30

    あげ

オススメ

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