- 1二次元好きの匿名さん21/12/05(日) 20:29:04
- 2二次元好きの匿名さん21/12/05(日) 20:29:37
脇から生まれてきてねーだろ!?
- 3二次元好きの匿名さん21/12/05(日) 20:31:47
ロジカルじゃネェな…永遠に苦しみ続けるなンてよ…
- 4二次元好きの匿名さん21/12/05(日) 20:49:01
”森”っていうのは、木がある程度集まったときに人間がそれを”森”と読んでいるだけで、
つまりそれはただの木の集まりであって”森”そのものの実体が独立して存在しているわけじゃねぇ。
なら、その森を構成する”木”は確実に存在するように思えるが、
でも木だって極小の木屑がある程度集まった段階でそれを人間が”木”と呼んでいるだけであって、
”木”そのものの実体も独立して存在するわけでもねぇ。
人間の観点を抜きにして考えれば、木はただの屑の集まり・・・
だが人間は”木”を”屑”とは別物と認識して、別の呼び名で呼んでいる・・・
それは木が人間にとって意味あるものであるから
ただの屑の集まりとは区別してそうしている訳だ。
もし人間が木の枝を薪として利用いたり、その姿を美しいと思ったりしなかったら、その時に”木”などという言葉は存在せず、ただ”屑”の集まりが存在するだけだっただろう。人差し指を額に当てると疲労が取れたり、空腹がまぎれたりするとしたら、おそらくその行為には何らかの名前がつけられていただろうが、現実には何の効果も現れないので、その行為に名前がついていないのと同じようによ。
つまり、あらゆるものは人間との関係において名前を与えられているだけであって、ものがそのものとして存在するという実体などないんじゃねぇか?
だとしたら”苦”にも実体はないわけだから、こんなものに思い悩む必要もないということになるんじゃねぇか? - 5二次元好きの匿名さん21/12/05(日) 20:49:52
悟(ロジカ)る