- 1二次元好きの匿名さん23/06/15(木) 19:00:46
- 2二次元好きの匿名さん23/06/15(木) 19:03:49
「───はぁ」
しばらく浅めにしていた呼吸を改めて行い、椅子の背中にもたれかかる。外へ目を向けてみると、窓の先に広がるオレンジ色は徐々に黒色を混じらせつつあった。
自主練に励んでいるウマ娘も徐々に切り上げの準備に入り始める時間帯に、トレーナーはトレーナー室にてパソコンと向かい合っていた。
とは言っても、取り組んでいるのは事務作業などではない。むしろそれは三十分ほど前に終わっていた。
……時間的には、この作業は『残業』にあたるのだ。
では、そんな『残業』の時間を取ってまで何をしているのかというと───
『海越え山越え谷を越え……! ついに辿りついたワン……!』
『つ、疲れた……ぴょん。長い……長い旅だった……ぴょん』
トレーナーの耳には、そんな音声が届いていた。
音声の源は、机に置かれているノートパソコン。……より正確に言うなら、それとコードで繋がれているビデオカメラからである。
ビデオカメラに記録されており、そして現在パソコンの画面で再生されている映像。それは、数日前にとある舞台で行われていた小劇のものだった。
題名は……忘れてしまったが、内容は確かオペラオーと愉快な仲間たちが冒険をする……というような話だったはずだ。
オペラオーは当然主演で、そこに彼の愛バのアドマイヤベガやナリタトップロードがウサギと犬役で入り、ついでに小道具製作としてドトウやウララも加わっていた小劇である。
準備期間中は練習に付き合ったり、オペラオーTやトプロTと協力して場所取りと告知に奔走していたので、彼もよく知っていた。
そして、ドトウが小道具制作で破壊と再生を繰り返したり、本番の演劇中にオペラオーがアドリブをしまくってアヤベを困らせたりと色々あったが、まぁ充分に『成功』と言える形で小劇は幕を閉じた。
そして演じていた三人を称えつつ(アヤベは「……そう」と素っ気ない返事しかくれなかった)、ちょっとした達成感に包まれながらトレセン学園へと戻ったトレーナーを待っていたのが───オペラオーTの手渡してきたビデオカメラである。 - 3二次元好きの匿名さん23/06/15(木) 19:07:48
『オペラオーに言われて、当日の小劇をビデオカメラで撮ってたんだ。こういった演劇はちゃんと記録に残しておいて、後から自分でも見て反省点とかを復習したいんだと。ただ、やっぱりどうしてもというか、これらの映像には観客の声まで入り込んじゃってるんだ。いや、オペラオー的には観客の反応も大事にしてるから、そのあたりの声も必要なんだけど……やっぱり観客の音声が無いバージョンも欲しくなるんだよ』
それなりに年季が入っていると見えるカメラを、大事に握らせながらのオペラオーTの台詞に、トレーナーの脳裏に嫌な予感が走った。おそらく彼がウマ娘だったなら尻尾が伸びていただろう。
『だからちょっと、お前に周りの声を消しとく編集をお願いしたいんだが』
果たして、予感は的中した。
***
というわけで冒頭の光景に繋がるわけなのだが。
「はぁ……」
「動画編集なんてできないんだけどっ!?」という彼の悲鳴は「最近は便利なソフトとか色々あるから頑張れ」とオペラオーTに圧殺された。
トレーナーは学生時代に映研にいたような経歴はないし、編集なんてやったこともない。私食べる人ならぬ『私見る人』である。
だが、頼んだオペラオーT自身もそれはわかっているようで、
『本当は俺がやりたいところなんだけど、これから(夕方から)急用があるんだ。それを終わらせるまでは編集作業はできない。だから、進められるだけ進めといてくれればいいよ。残った分は自分でやるから』
彼が編集作業を終わらせることはあまり期待していないようだった。
要は繋ぎというかピンチヒッター的なものを頼みたいらしい。それなら大丈夫かと思う反面、『ちょっとでも進めとく』程度の違いしかないなら自分でやればいいじゃんと思わなくもない。
……しかしまぁたぶん、トレーナーが知らないだけで、オペラオーTには他にも色々作業があるのかもしれない。なにせ彼の所に持ち込まれているカメラは一台だけだが、本来ならこの作業がまだ二台分あるのだ。
彼の担当ウマ娘はあのテイエムオペラオー。彼女のことだから、『三方向から撮ったボクの動きを編集で一つの画面に同時に映してくれ!』とかは平気で言いかねない。
「……まぁ、別にオペラオーTには日頃お世話になってるし、オペラオーのことも嫌いではないし別にいいか」
そう呟きながらトレーナーは作業を再開した。 - 4二次元好きの匿名さん23/06/15(木) 19:12:15
***
「……心折れそう」
そして約二時間後。トレーナーはキーボードと頬をキスさせ魂の抜けた顔をしていた。画面に勝手に文字が打ち込まれてくが気にしてられない。
いつの間にか、窓の外は黒一色になりかけていた。
……今はアプリがあるから誰でも簡単にできるとか、簡単に言ってくれるが。そのアプリの内容を理解するのにも、ある程度の基礎知識は必要になってくるわけで。解き方が確立されれば簡単な連立方程式だって、そもそも数学ができない人から見れば暗号にしか見えないのと同じようなもので。
そういう知識をモノにできる自信が無かったから、トレーナーは編集系からは離れていたわけで。
あと、そもそも小劇自体がそれなりに長い。だから台詞を覚えるのが大変だとアヤベも言っていたというのに、完全に忘れていた。
集中して取り組んだのだが、やっと全体時間の二割が終わったぐらい。慣れた人ならもっと早いのだろうが、自分の場合はあれほど頑張ってまだ二割なのかと、心が壊れそうになる。
しかし……ビデオの中の小劇はそろそろアヤベの台詞がメインのゾーンに入る。
アヤベがぴょんぴょん言ってる部分の台詞の修正なら、合法的に(元から合法だったが)彼女のあの台詞群をもう一度聞けるなら、気合いも入ってくるものである。
……うん。なんか行けるような気がしてきた。
というわけで、トレーナーは逸る気持ちを押さえながらマウスを操作して───
「……なにやってるの? トレーナー」
「うおぉぉっ!?」
その瞬間にパソコンからの電子音としてではなく、肉声としてアヤベの声が聞こえた。
驚いて振り返ってみると、いつの間にやらそこには彼の愛バであるアドマイヤベガが立っていた。
「あっ……アヤベさん、なんでここに……? てか、いつの間に後ろに!?」
「……この部屋の明かりがつきっぱなしだったから、様子を見に来たのよ。あと、この部屋にはついさっき来たけど。ノックもしたわよ」
「嘘でしょ……?」
机の位置的に、座ってるトレーナーからすれば扉は正面から見えるはずなのだが……?彼女は忍者の末裔かなにかなのだろうか?
というか、そんなバカなことを考えてる場合じゃない。
別に非合法なものを見ているわけでもないのに、トレーナーはついマウスから手を離し、背中で覆うようにしてパソコンの画面を隠そうとする。 - 5二次元好きの匿名さん23/06/15(木) 19:14:07
「……それ、この間の小劇の映像よね」
が、時既に遅しだったようで、肩越しに画面をバッチリ見られてしまう。しかも運が悪いことに、場面はちょうどアヤベがぴょんぴょんと喋っている場面……。
冷や汗を流すトレーナーの前で、アヤベの視線は南極の氷ぐらい冷たくなっていく。
「あなたはあの時、舞台裏にいたはずだけれど、なんでその映像を持っているの? しかも人の恥ずかしい場面をわざわざ……。 ……もしかして、隠し撮りでもしてた?」
「ちっ、違うっ!」
ほぼ本能で首を振っていた。蛇を前にした蛙のように、ホッキョクグマを前にしたアザラシのように。
これは不味い。選択肢を間違えれば本気でバッドエンドになりかねない。
そう本能が語っていた。
いつになく黒いオーラを発しているようなアヤベに睨まれながら、トレーナーは事情を説明し始めた。
「……バカじゃないの」
トレーナー机の横にパイプ椅子を設置して、詳細を聞いていたアヤベの感想はそれだった。目は南極のソレから、完全にいつもの呆れたモノに戻っている。
「編集やったことないんだったら、断ってればよかったのに」
「……はい。ごもっともです。……ちなみにだけど、アヤベさんはこういうのできたりする?」
「……できると思う?」
「ですよねー……」
「……一応、カレンさんならできるかもしれないけど……彼女も今日は用事があるらしいから……」
どうやら救援は望めそうにないらしい。……まぁ、なら仕方ないか。
トレーナーは軽く伸びをすると、ティーカップなどが置かれている方へ視線を向けた。
「で、どうするアヤベさん?僕、まだ作業続けるつもりだけど、コーヒーぐらいはまだ淹れられるよ。飲んでく?」
「……え?」
トレーナーとしては何の気なしに言った言葉だったのだが、何故かアドマイヤベガは目をパチクリとさせた。 - 6二次元好きの匿名さん23/06/15(木) 19:16:35
「……まだ、続けるつもりなの?」
「え?うん」
「……こんなに時間かかって、向いてないってわかったのに?」
「ま、まぁ、うん」
「…………」
……あれ。
なぜアヤベの視線の温度が再び下がり始めているのだろう。混乱する彼に、アヤベはため息を吐いた。
「……もうやめた方がいいと思うわよ。たぶん、あなたには向いてない。適材適所という言葉もあるでしょ。……それにオペラオーTも、別にあなたがそこまで頑張ることは望んでないみたいなんでしょう? だったら……」
「いや……そう言われればそうなんだけど……」
頬を掻きながら答える。
なんとなく脳裏には、三台のカメラとパソコンの前にかじりついているオペラオーTの光景が浮かんでいた。
「……頼まれたんだから、やっぱりせめてもうちょいは進めときたいよ。オペラオーTの負担も減らしてあげたいし。……やっと勝手もわかってきたところだから、たぶんこれまでよりは効率よくできると思うし……」
「…………」
「だから大丈夫だよ。ありがとうアヤベさん」
とりあえず今アヤベはコーヒーはいらなさそうなので、一旦会話を切り上げて画面に向き直ることにした。
「……自分が今、どれだけ疲れた顔しているか気づいてないの……?……もう。普通のやり方じゃ、この人は聞かないし……」
アヤベはなにやらボソボソと呟いていたようだが、トレーナーには全く聞き取れなかった。まぁ、聞こえなかったということは、アヤベの方も聞かせようとは思わなかったってことだろうと結論付ける。
トレーナーは作業を再開する用意をする。……アヤベ本人のことを考えて、一応パソコンのボリュームは低めに設定して、と。 - 7二次元好きの匿名さん23/06/15(木) 19:18:19
では再生ボタンをマウスで……?
(マウス……どこだ?)
キョロキョロと机の上を見渡すが……何故かマウスは見当たらない。……見当たらないというか、なんだか……視界にモヤがかかっているようで、見つけることができない。
視界がボンヤリするし……頭も回らなくなってる……?
(いかんいかんっ。集中しろ僕っ)
もしかすると気合いが足りないのかもしれない。まだまだ頑張らなければいけないのに、こんなのではダメだ。
頬を叩いて、トレーナーは気合いを入れ直そうとした。
だが───掌は頬には当たらなかった。
何かに掴まれたように、腕は途中で静止していた。
「……あれ?」
異常を感知し、目を向けようとした。
だがその直後。
『……無理しなくていい……ぴょん』
「……えっ?」
どこかから、誰かの声が聞こえたような気がした。
しかしその声は、意識が朦朧としているのもあってか全く方向が掴めない。 - 8二次元好きの匿名さん23/06/15(木) 19:19:55
『……あなたができることはやったと思う……ぴょん。だから、もう休んでいいと思う……ぴょん』
耳元で話されているような声量なのに、誰が話しているのか全く把握できない。
……というか、口調だけ切り取れば、それはあの小劇でのアドマイヤベガの口調だった。
もしや、知らない間にビデオを再生させてしまったのか……?だが、辛うじて目を向けてみたが、画面は一時停止のままだった。
だとしたら一体誰の声……?
「……君は、誰……?」
『わたしは……ウサギさんだ、ぴょん』
「うさぎ……?」
ぐるぐると渦巻く頭でなんとか呟く。
だんだん頭が混乱してきた。なんなのだこれは。いつの間にか、自分は不思議の国にでも迷い込んだのか?
うさぎ?? なぜ?? 最近のうさぎって喋れるのか??
今すぐ頭を上げて確認したいのだが……疲労のせいか頭が上がらない。
『……わたしが誰かなんてどうでもいいぴょん。それよりも今はあなた。あなたは……もう作業を中断するべきだ、ぴょん』
「いや、でも……ちょっと……」
『元々この作業はあなたには向いてなかったぴょん。そんな中では、あなたは充分頑張ったと思うぴょん』
……なんだか、少し前に別の人にも似たようなことを言われた気がする。……誰だったっけ?
「でも……」
『でも?』
「でも……仮にも、オペラオーTから任されたことだから……もう少しだけ、やっとかないと……」
『…………』 - 9二次元好きの匿名さん23/06/15(木) 19:21:03
そう答えると、謎のうさぎさん(?)は少しだけ、何かを考えているような間を作った。
そして三拍ほど経った後。
『……ウサギさんは、今眠いぴょん』
「……んん?」
『ウサギさんは、眠いぴょん』
「……そうなんだ?」
『そう、ぴょん。だから……あなたに、一緒に寝てほしいぴょん。……一人で寝るのは、寂しいぴょん』
「さみしい……」
まるで脳に直接染み込まされているような、どこか幻想的な声だった。
先程まで浮かんでいた使命感が、上から塗り替えられていくような。不思議と、この娘がそう言ってるんだったら仕方ないか、という気持ちにさせられる。
『トレ……あなたが一緒に寝てくれるのなら、きっと、わたしも心地よく眠ることができるはず……ぴょん。……だから、お願いするぴょん』
「おね、がい……」
『……わたしと、一緒に寝てほしいぴょん』
「……そうだね……。じゃあ、そうしようか……」
使命感の元に開いていた瞼は、それを上回るほどの疲労とうさぎさんの願い……いや、『大義名分』によって再び閉じていく。
体にも、徐々に力が入らなくなっていった。
せめて、最後に声の主を一目見てみようと思ったのだが……ダメだった。
背中に何かふわふわの毛布のようなものがかけられたような気がして───それきりトレーナーは何もわからなくなってしまった。 - 10二次元好きの匿名さん23/06/15(木) 19:23:03
***
「───ふう」
ゆっくりと夢の世界へ旅立ったトレーナーに毛布をかけて。
アドマイヤベガは二割ほど引き上げていた声のトーンを、咳払いで元の位置に戻した。
「…………」
自分から仕掛けておいてなんだが、まさかここまで上手くいくとは思わなかった。
演劇の中だったり、子供相手ならばともかく、シラフでぴょんぴょん言っている様を見られたら末代までの恥だ。首を括るのにちょうど良いロープか、穴を掘って埋まるのにちょうど良いシャベルを買ってくる必要がある。
だからトレーナーにバレずに済んだのは僥倖だったのだが……それが彼の疲労などによっても支えられた結果なのだと思うと……素直に喜べない。
「お人好し……というよりかは、変に律儀というか、気にしすぎな人ね……」
なんにせよ相変わらず『変な人』という評価は揺るぎそうにない。
彼の肩口のあたりから顔を出し、パソコンへ目を向ける。
映し出されている画面の意味は全くわからなかったが、とりあえず『保存』をクリックしてビデオカメラとの接続も切った。残りの編集や作業はオペラオーTに投げればいいだろう。元々彼の仕事だったのだ。それに、あのオペラオーを担当できる器を持った人なのだから、どうせどうとでもしてくれる。
……できるなら、アヤベは今すぐこの動画自体を削除したかったのだが、それをしたらオペラオーTからのトレーナーの評価が下がるという形で彼が困ることになるだろうと思い、ぐっと堪えた。
「……あなたはゆっくり休めばいい……ぴょん」
……代わりにというわけではないが。
彼がしっかり眠っているのを確認してから、アドマイヤベガは彼の耳元でそう囁いた。 - 11二次元好きの匿名さん23/06/15(木) 19:23:51
……言い終えてから、頬が微かに赤くなったのを感じた。
思わず彼が本当に眠っているか再度覗き込んでしてしまう。
……やめよう。演劇の上でもかなり恥ずかしかったのに。さっきも言ったが、こんなのを誰かに聞かれたら恥でしかない。
どうもまだ体にウサギさんソウルが引っ付いたままのようだ。早いとこ引き剥がさなければ。
なるたけトレーナーを起こさないようにしながら、早いとこアドマイヤベガは外の風に当たって気を紛らわせようと、トレーナー室を出た。 - 12二次元好きの匿名さん23/06/15(木) 19:27:40
おしまいです。
あのサポカでアヤベさんにぴょんぴょん(のうがはかいされるおと)されたので、つい書いてしまいました。
ここまで読んでくださった方がいるなら感謝です。
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- 13二次元好きの匿名さん23/06/15(木) 19:32:22
こうなんか、不器用と不器用で可愛らしいコンビだった。
お疲れ様です。 - 14二次元好きの匿名さん23/06/15(木) 19:55:47
今日もいいもの見せていただいたありがとう
- 15二次元好きの匿名さん23/06/15(木) 20:17:16
ウサギさんソウルが引っ付いたアヤベさんかわいい……
良いものを読ませて頂きました
ありがとうございます - 16二次元好きの匿名さん23/06/15(木) 21:03:41
可愛いカワイイかわいい~
- 17二次元好きの匿名さん23/06/15(木) 21:13:33
- 18二次元好きの匿名さん23/06/16(金) 07:24:01
ひっじょーに可愛くてよかった
- 19二次元好きの匿名さん23/06/16(金) 16:02:36
ありがとうです!