- 1二次元好きの匿名さん23/06/19(月) 20:47:46
「ああ~今日はついにプールトレーニングの日か~……」
朝、わたしはトレーニングのスケジュールを見つめながら、一人呟く。
スマホのスケジュール帳の今日の欄には、禍々しい『プール』の三文字。
もはやエックスデーとおんなじであり、朝から気が滅入ってしまう。
「いっそ逃げちゃおうかな~いやでもでも~~……!」
今回は以前のテストと違い、わたし達のトレーニング。
逃げたところでバンブーちゃんやヤエノちゃんが追いかけて来ることもない。
トレーナーさん一人相手なら、逃げ切ることも難しくはないだろう。
────ふと、脳裏に蘇るトレーナーさんの真剣な眼差し。
わかっている、トレーナーさんだって何も嫌がらせでやらせているわけじゃない。
わたしにとって必要なことであるから、心を鬼にして、プールに導いているんだ。
……それに頑張ってやり遂げればホメてくれるし、ゴホウビだってある。
ぺちんと、両頬を叩いて気合を注入する。
「頑張りますか~~……あれ、LANEだ、トレーナーさんから?」
スマホの通知欄にトレーナーさんからのメッセージ。
急で申し訳ないけど、という書き出しにつられて、LANEアプリを起動させる。
そこに待ち受けていたのは、驚きの展開だった。
「へっ、トレーナーさんが風邪? 今日のトレーニングはお休みで良い?」
慌てて文面をもう一度見直す。
何度見ても同じ内容、そこにはトレーナーさんの謝罪と、予定変更の旨。
プールトレーニングは一人ですることを禁止である以上、仕方ないことなのだろう。
しかし、休みになるとは思わなかった、てっきり自主トレになるかと……。
文章の最後には、今日はゆっくりしてね、と付け足されている。 - 2二次元好きの匿名さん23/06/19(月) 20:48:02
『わたしはご心配なく(^^)/、トレーナーさんもお大事にしてください[汗][汗]』
とりあえず、そんなメッセージを送って、わたしは学園へ向かう。
唐突に発生した、急なお休み。
一瞬だけ心が踊ってしまったことに気づいて、ずんと気分が重くなる。
きっと今この瞬間もトレーナーさんは苦しんでいるのに、何を考えてるんだろう。
歩みを進めながら、わたしは心の中のお母さんに懺悔をする。
「うう~、ごめんなさいお母さん……クーちゃんは悪い子です……」
授業を終えて放課後、結局わたしはなんの予定も組めずにいた。
だらだらと過ごす、友達と遊ぶ、甘いものを食べる。
やりたいことはいっぱいあるはずなのに、トレーナーさんの顔がチラついて。
考えていたはずの『楽しいこと』はいともあっさりと霧散してしまう。
「ああ~もう~~!」
わかっていた、こんなんじゃ『楽しい』を楽しむことができないって。
わたしの幸せには、あの人が必要なんだって。
友達からの誘いを断って、色んな誘惑を振り切って、わたしは学園を飛び出した。
一時間後、わたしはトレーナー寮の一室の前に立っていた。
右手にはずっしりと重い感覚。
風邪を引いた時のお見舞いに、必要そうなものを適当に買い集めてみた。
インターホンを押そうとして、一瞬止まってしまう。
寝てるのではないか、ありがた迷惑じゃないか、実は誰か来てたりしないか。
臆病風に吹かれて踵を返しそうになるが、辛そうなトレーナーさんの顔が浮かぶ。
「……えいっ」 - 3二次元好きの匿名さん23/06/19(月) 20:48:16
意を決して、ポチっとボタンを押した。
しばらくの静寂、やがて弱々しい足音が部屋から聞こえてきて、扉が開かれる。
「はい……えっ、ヒシミラクル……?」
自らの目を疑うトレーナーさん。
額には冷却シート、上気した肌と充血した目、少し乱れた服装、弱々しい声色。
普段の彼からは見られない姿に、不謹慎にも少しドキドキしてしまう。
……何を考えてるんだわたしは、心の中で咳払いをして、向き直る。
「あの、お見舞いに来ました……来ちゃいました~……」
自分で言ってて、結構とんでもないことをしていることに気づいた。
いや、お世話になっている人のお見舞いなんだし、ふつーだよね、ふつー。
そんなわたしの姿に困ったように、でも少し嬉しそうに彼は笑う。
「そこまで気を遣わなくても、でもありがとう、正直嬉しい」
「……えへへ」
お礼を言われて、思わず笑顔を漏らしてしまう。
さて、ここからどうしよう。
正直ふつーなわたしに特別な看病なんて出来ない。
むしろ、わたしがいることでトレーナーさんもゆっくり出来ない可能性がある。
ここは買ってきたものを渡して、すぐに帰るのが無難といえるのだろう。
そう思考を巡らせた刹那、わたしは一つのことに気づいてしまう。
「トレーナーさん、一つ良いですか?」
「うん、どうしたの?」
「……なんでボールペンなんて持っているんですか?」 - 4二次元好きの匿名さん23/06/19(月) 20:48:33
その問いかけを発した瞬間、トレーナーさんの目が泳いだ。
すぅーとわたしの心が冷えていく、緩んでいた自分の目が鋭くなるのがわかる。
さっきまで退こうしていた足が、気づけば一歩前に進んでいる。
「…………ちょっと上がらせてもらいますね」
「えっ、あっ、ちょっ、片付けるから……!」
わたしはトレーナーさんの言葉をガン無視して上がり込み、リビングへ向かう。
その勢いのまま扉を開いて部屋を見れば、予想していた、そして信じたくなかった光景が広がっていた。
テーブルの上に広がる無数の資料、何度も書き直された様子のあるノート。
わたしのレースの映像が流れるタブレット、冷めきったコーヒーの入ったマグカップ。
────ぷつんと、わたしの中で何かが切れた。
冷え切っていた心が猛烈に燃え上がり、身体が自然と震えて、両手にぎゅっと力が入る。
くるりと振り向けば、そこには気まずそうな顔をする、トレーナーさんの姿。
「……その、君に迷惑をかけちゃったから」
きっと、彼からすれば炎上するわたしに水をかけたつもりなのだろう。
けれどそれは、ガソリンをぶちまける行為に等しくて。
「いったい何を考えてるんですかっっっ!!」
気づけば、自分でも信じられないくらいに、大声を出していた。
目の前のトレーナーさんも、そんなわたしの姿に驚きを隠せていない。
怒りのせいか目頭は熱くなり、視界も少し潤んて、その激情に身を任せたまま、わたしは宣言する。
「もう許せません……今日はわたしが看病をしますから……!」
「いや、それは」
「いいですね!」
「……はい」 - 5二次元好きの匿名さん23/06/19(月) 20:48:51
トレーナーさんを寝室に連れていって、無理矢理ベッドに押し込んで。
まずは仕事道具で散らかったリビングを片付けていると、段々と冷静になっていく。
そして、綺麗になった部屋を見回してから────わたしは頭を抱えて蹲る。
「ああああ……わたしはいったい何をして~~……!」
いきなり来て、勝手に上がり込んで、大声を出して。
こんなの、ふつーなわたしの、キャラじゃない。
でもどうしても許せなかった、トレーナーさんが、自分自身を蔑ろにする姿が。
沸々と怒りが蒸し返してくるのを押さえながら、わたしはまず冷蔵庫を開ける。
……ほぼ空っぽ、何故か病院のお薬が申し訳なさそうに鎮座していた。
ため息一つ、あまりに予想通り過ぎて、怒りを通り越して呆れてしまう。
「もう少し、色々買ってくれば良かったかな」
とりあえず、わたしは買ってきたものを冷蔵庫に移していく。
スポーツ飲料、レトルトのおかゆ、カットフルーツの盛合せ、ちょっとお高いアイス。
……まあ、最後はわたしが昔もらって嬉しかったものだけど。
多分、ちゃんとしたものは食べてないだろうから、おかゆの準備をする。
漫画とかなら手作りで色々やるんだろうけど、そんなメチャすごな看病、出来ないから。
わたしはお椀に入れたおかゆとフルーツ、飲み物を持って、寝室へ向かう。
なんとなく嫌な予感がして、わたしはノックをせずに扉を開けた。
「あっ」
「……はあ、まったくもう」
そこには、布団の中でメモと参考書を見比べるトレーナーさんの姿。
風邪でも仕事をしていた彼のことだ、こうなるのは、なんとなく予想出来ていた。
気まずそうにしている彼の近くに持ってきたものを置き、ベットの横に腰を下ろす。
そのまま寝ている彼に目線を合わせて、ジトっと睨みつける。 - 6二次元好きの匿名さん23/06/19(月) 20:49:07
「本当にトレーナーさんはお仕事が大好きですね~?」
「…………ごめん、君のことだから、ついね」
「んんっ! とっ、とにかく! ご飯の準備が出来たので仕舞ってください~!」
それじゃあ────トレーナーさんがわたし大好きみたいじゃないですか。
そうツッコミたくなるのを必死で我慢して、わたしは持ってきたおかゆを手に取った。
受け取ろうと両手を差し出す彼を無視して、スプーンで軽く混ぜてから、軽く掬う。
湯気の立つそれに対してふーっと一息かけて、わたしはスプーンを彼の口元に差し出した。
「はい、あーんですよー」
「……いや、自分で食べられるから」
「ロクに自分の面倒も見れないトレーナーさんの言うことなんて信用できませーん」
「…………そですね」
そう、これはトレーナーさんに対しての罰。
ちょっと恥ずかしいけれど、わたしの想いを、彼に噛みしめてもらわないといけないから。
彼は諦めたように口を開けると、恐る恐る、わたしの持つスプーンの先を口に入れる。
そして、スプーンから口を離して、おかゆをゆっくりと咀嚼して、飲み込んだ。
ほっと、彼の顔が緩む。
「美味しい……」
「ふふっ、ただのレトルトですけどね……さあしっかり食べてもらいますからね~?」
食後のデザートもありますから、と彼に告げながら、またおかゆを掬う。
三十分後、部屋には空になったお椀と、小さく寝息を立てるトレーナーさん。
お腹が空いてたのか、おかゆもデザートもあっという間に平らげてしまった。
そして薬を飲んでしばらく経ったら、すぐに夢の世界へと旅立っていったのである。
……多分、睡眠時間もそんなに取ってなかったのかな。
わたしは彼の寝顔を近くで見つめながら、そっと手を伸ばす。
軽く頭を撫でてあげると、彼は気持ち良さそうに身をよじった。 - 7二次元好きの匿名さん23/06/19(月) 20:49:24
「早く元気になってくださいね……あなたがいないと、わたしサボっちゃいますから」
起こさないように小さな声で、彼に囁く。
ふつーなわたしには、心を鬼にしてくれる、トレーナーさんが必要だから。
あなたがいないと、『ミラクル』を起こすことなんて、出来ないから。
眠る彼に、わたしは微笑んで、面と向かって言えないお願いを告げる。
「いっぱい厳しくして、いっぱいホメて、いっぱいゴホウビをくださいね~?」 - 8二次元好きの匿名さん23/06/19(月) 20:51:53
お わ り
ミラ子は絶対レトルトのおかゆを持ってくるタイプだと思う - 9二次元好きの匿名さん23/06/19(月) 20:52:59
- 10二次元好きの匿名さん23/06/19(月) 20:55:32
あ、い〜♡
トレーナーってのはどいつもこいつも担当ウマ娘がいないとどうしようもないボケボケさんばっかりですね!好き!
>それじゃあ────トレーナーさんがわたし大好きみたいじゃないですか。
一目惚れ勢だからね当然だね!
- 11二次元好きの匿名さん23/06/19(月) 20:59:42
野生の文豪だ!囲め!!
- 12123/06/19(月) 21:29:37
- 13二次元好きの匿名さん23/06/19(月) 21:59:51
うーん、トレーナーが仕事してるのを見た瞬間切れてる辺りこの子はもう手遅れですね
責任をとってフツーのだんなさんとフツーのお嫁さんになって貰いましょう - 14123/06/19(月) 22:21:36
ミラ子は気づいたらそういう距離感になってるのが良く似合います
- 15二次元好きの匿名さん23/06/19(月) 22:51:44
これは良いものを見させて貰いました…
やっぱりミラ子もトレーナーのこと想ってるんだね、こういうシチュ本当好き - 16二次元好きの匿名さん23/06/19(月) 23:36:16
ミラ子は普通のウマ娘だもんな
トレーナーさんも健康状態が普通じゃないとな - 17123/06/19(月) 23:36:57
ミラ子はこういうシチュが良く似合いますよね……
- 18二次元好きの匿名さん23/06/20(火) 02:09:21
自分を癒すのが下手なトレーナーだから風邪引いてても家で仕事してそうなの解釈一致過ぎる…
ちゃんとミラ子がLANEでおじさん構文使ってるSSかなり貴重で、普通の言葉遣いしてるSS見る度すごい気になってたから助かる🙏 - 19123/06/20(火) 07:35:05