- 1二次元好きの匿名さん23/06/22(木) 00:57:11
「えっ?襟に血が付いてるぞ!」
「マジでか?……なんも無い。もしかしてハート型と違うか?」
「あ。赤い糸」
ネーサンが最近始めた“ダーニング”の練習台に、小さな穴を幾つか繕ったらしい。ポケットやタグの縫い目、靴下の爪先といった具合に、直せる程度の穴や薄い部分は探せば意外に多い。入門編だけでもバリエーションに富んでいる。
「へー……四角の他にもいろいろ作れるのか、面白いぞ」
「しかし確かに、肌着に赤は紛らわしいわ。驚かせたな。靴下は合わせといて良かったわ」
「白同士だと縫うとき見づらいんじゃないのか?寒色のハートも可愛いのだ」
「いや、だってなあ……靴下縫うたの丸わかりやと貧乏臭いやろ」
「『臭い』?」
「……これは練習やからエエんや」
――――――――――
昼食を一緒にと誘われて、教室移動の後に待ち合わせた直後。校舎脇の人目に付きにくい場所に意外な二人が居た。
一人はマンハッタンカフェ。もう一人は中堅のトレーナー。最近アイツのチームとよく合同練習をしている。それは良いが、この男はどことなくチャラい感じがして少し苦手だ。
「……どうぞ。……また、溜まったらお渡しします」
「ありがとうナ。カフェちゃん、こんなキレイに包まなくても良いんだヨ」
「……知らない人が見たら、変に思われますから……」
「それじゃまた。おやお二方、移動の帰りかい?またウチのと併走頼まァ」
その時は特に気にもせず、ただ別れて終わった。 - 2二次元好きの匿名さん23/06/22(木) 00:57:47
ちょうど外周から戻るところで、マンハッタンカフェと一緒になった。お互い特に何か言うでも無く、目礼を交わす。
何とはなしに並んだまま走っていると、“あの男”が出迎えた。
「よっ、お帰り。カフェちゃんさすがタフだね、クールだね。ほいっ」
突然の投げキッスにカフェは目を見開き、ふいと顔を背けて走り去る。ペースはキレイに維持したまま。
「あれま、フラれちゃった」
「……おい、何してる?不届きなトレーナーめ、少しお灸を据えてやるのだ」
一噛みしてやろうとベストを掴んだその時。開きっぱなしの衿の裏、ボタンホールの上に見覚えのある物が覗く。
ピンク色の糸が織りなす小さなハートに目を奪われ、同時に中から立ち上る芳ばしい香りはコーヒーのもの。そこから想起される二人の影に固まってしまった。
「……ずいぶん可愛い趣味してるな?」
「ハハッ、内緒だヨ」
――――――――――
「そしたら片付けて来るでな~」
「クールダウンしっかりナ。後から来た奴らも伝えてくれ」
「了解でっす……」
「なのだ~……」
用具を運ぶ二人の後ろ姿に“何か”を感じ、これは尾行せねばと思い立つ。
「エイ、“とうめいの術”!なのだ」
「……ウインディさん?」
「今とうめいだから見えちゃダメなのだ。戻ったら解いてやるからな」
「え……ちょ、え?何処へ?」 - 3二次元好きの匿名さん23/06/22(木) 00:58:23
別ルートから倉庫の裏に回り、換気窓から中を窺う。ネーサンがテキパキ……と言うよりかなり急いだ調子で片付けると、そいつに詰め寄って胸ぐらを掴み、なんと頭を突っ込んだ。
「積極的な事で。まだ日も高いし、第一学園内だヨ」
「そんなんと違うっ。……ウインディの言うとおり、コーヒーの匂いがすんな。昼といい、やたらカフェちゃんに馴れ馴れしい様子やけど、教育者として一線は越えとらんやろな?」
そうだそうだ、言ってやれネーサン。
「は?ちょ、待てヨ。そりゃ可愛い娘は多いけど、学生なんて子供じゃないの。
俺はもっと成熟した女(ひと)が好みなんだ……知ってるだろ?」
ネーサンに顎クイした手が非情にもはたき落とされる。ざまー見ろだ。
「誰が美魔女やねん、失礼な。二十年早いわい」
「えぇ……『美』は言って無いけど?」
「いずれ言うやろ、それよりこの匂いの説明をせんかいな」
危うく声を出して笑う所を堪えながら、耳は傾けたまま。
「俺にも恥って物があるんだけど……」
「恥ずかしいような事なんか?」
「分かった分かった、言うヨ。出しガラと言うか、コーヒー滓を貰ってたんだ。首や腋に擦り込むの」
「は?え?アレは残飯みたいなモンやろ?アンタそんな特殊な趣味が……?」
ネーサンの目が点になって、少し後ずさる。誰だってそうだろう。
「違ーう!だから言いたく無かったんだヨ、趣味なもんか。臭い消しになるらしいから最近始めたんだ。
しばらく続けるにも豆を消費するのは大変だし、効かなかったら勿体ねぇし。だからカフェちゃんに頼んだの」 - 4二次元好きの匿名さん23/06/22(木) 00:59:12
「……なんやそうかいな。アタシはてっきりアンタがよからぬ事を、とばっかり思うとったわ」
「俺はこう見えて一途なタチでね。ご婦人の想いを裏切ったりはしないと自負しているヨ」
などと言いながらネーサンの腰に手を回す。おい、ふざけるなよ。と、今度は抓られた。いいぞネーサン。――?
「こぉら!学園内やと自分で言うたやろ。慎まんかい」
「こりゃ手厳しい。まあ、そんな所も魅力的だがネ」
「ぬかせっ」
あれは、誰だ。
あの顔は、厳しい指導者では無い。
あの声は、優しいネーサンでは無い。
今その男に見せている一面、きっと自分に向けられる事はないのだろう。それだけは何故か確信出来る。
そうだ、なんで忘れていた。アイツの服の裏のハート。アレを縫ったのは、その意味する所は。
ああ、そうか。“男”に向ける、“女”の顔。あれがそうなのか。
――――――――――
どうやって戻ったのかは憶えていない。ただ、アイツのチームとクールダウンしながら二人を待つ事は出来た。
地に足がつかぬ心地のまま、ネーサンと一緒にトレーナー室に入る。
「ウインディ。えらい浮かん顔してるけど、どこか悪いんか?疲れただけか?」
「ネーサン、あの人が好きなのか」
「出し抜けになんやの」
「……憶えてるか分からないけど。……ずっとネーサンと居たい、って前に言ったの、取り消すのだ。
子供の言う事だから。ネーサンもウインディちゃんも、それぞれ素敵なダーリン見つけるのだ、それでいいのだ」
「アンタ……?」
「だから、今だけ。ウインディちゃんの顔見ないで欲しいのだ」
震えながらネーサンにしがみついて、一生懸命平気なフリをする。
肩越しに涙を堪えるウインディちゃんの背中を、ネーサンはいつまでも優しく撫でてくれた。 - 5二次元好きの匿名さん23/06/22(木) 01:00:16
終了 終わらない時空はウマ娘の魅力の一つではありますが、自らの決別をテーマに書いてみました。
ずっと二人で楽しく過ごして欲しい気持ち、各々の幸せを掴んで欲しい気持ち、心が二つあるのです
前スレ
【SS】雨に散る花 湯に咲く花|あにまん掲示板「雨……雨なのだ……」「残念やな、天気はどうにもならんわ」週末に他の子らやトレーナー達数人で花見の予定を控え、ウインディがささやかなおねだりをした。花が多めに残ってる内に近場の桜を眺めながら散歩したい…bbs.animanch.com - 6二次元好きの匿名さん23/06/22(木) 02:05:30
おまけ
「かくかくしかじか……で、コーヒー滓を擦り込んでんの」
「でも先輩、そんな臭かったかな」
「転ばぬ先の杖ってヤツさ、自分の臭いって中々判らねえだろ。お前もいずれ加齢臭出るんだからなァ~」
「ちょっと良いですか?」
世代臭とも呼ばれるソレは後頭部、うなじ、耳の後ろ等から出る。お互いの該当箇所を嗅いでみた。
「コーヒーの匂いしかしませんね」
「そうでないと困る。お前も今のところは臭くねえナ」
「じゃ、脇の方を」
コイツが上着を開いて顔を近づけた時、バサッという音がした。そこにへたり込んでいるのは――
「あ、あなた達、そういう関係……」
「ゲエーッ代理!」
「理……事長代理、誤解ですから!」
「な、何を誤解すると……抱き合って首や耳元にキスしたり、いや嗜好は自由ですが、ここは職場ですし、生徒たちにも示しがつきませんし……」
「「だいぶ見られてる!」」
この後メチャクチャ説得した。