(SS注意)嵐の中で輝いて

  • 1二次元好きの匿名さん23/06/28(水) 23:16:44

    「はぁ……」

     らしくもない、ようずなため息が漏れてしまいます。
     机の上には、課題のプリント。
     常風ならばすぐに終わらせるのですが、その日はずっと白南風が吹いています。
     先程から小一時間向き合っているのですが、文字が埋まる気配がありません。
     何度か筆を取っては、首を振って再び置いての、繰り返し。
     ぐるぐると、その様子はつむじのよう。
     気づけば日は落ちて、窓からは涼しげな小夜風が流れていました。

    「いけませんね……これでは明日に弊風が」

     もうすでに同室の子は小風な寝息を吹かせていて、これ以上は迷惑でしょう。
     仕方なく、私はその紙を鞄に戻します。
     布団に潜り、目を瞑り、宵闇の中、課題について考えを巡らせました。

     ────十年後の私はどうしてるだろう、と。

  • 2二次元好きの匿名さん23/06/28(水) 23:16:57

    「ゼファー、少し集中出来てないみたいだよ?」

     その言葉に、私ははっとなりました。
     今日の私はずっとあの課題に意識をとられていました。
     朝戸風を浴びながら、まるまるさんの挨拶を聞いている時も。
     授業中、突然の風凪で、クラスが饗の風で賑わっていた時も。
     お昼休みに豊穣の風に感謝を伝えている時も。
     そして、トレーニング中ですらどこかふわふわと、飛絮な気持ちでいました。
     私は慌ててトレーナーさんに頭を下げて、謝罪の言葉を口にします。

    「申し訳ありません……あなじでした」
    「あっ、いや怒ってるわけじゃないんだ、調子悪かったら切り上げても」
    「いえ、心配は凪です。すぐにでも疾風になりましょう」

     心配そうな表情でこちらを見つめるトレーナーさんに、私は返風をしました。
     ですが、彼は私の中の煙嵐を見通しているかのように、視線を変えません。
     後ろめたさからか、私の方がふいっと目を逸らしてしまうと、彼はうんと頷きました。

    「ごめんゼファー、今度出走予定のレースについて話すことがあったんだ」
    「……っ!」
    「だから、急で申し訳ないんだけど、これからミーティングに変更して良いかな?」
    「…………はい」
    「ありがとう、じゃあクールダウンと着替えが済んだら、トレーナー室に来てね」

     ああ、トレーナーさんに気を遣わせてしまった。
     頭の中には黒風が吹き荒れて、気持ちはどんどん雨模様。
     まっくろさんの風声も、私のことを嗤っているかのように聞こえてしまいました。

  • 3二次元好きの匿名さん23/06/28(水) 23:17:13

     クールダウンを終えて、雨風のようなシャワーを浴びて。
     私は重い足取りで、トレーナー室に向かいました。
     普段ならば鼻歌混じりで風早に伺うのに、今はまるで至軽風。
     ゆっくりとした速度のまま、いつもよりも遥かに時間をかけて、辿り着きます。

    「トレーナーさん、お待たせしました」

     こんこんと扉を叩けば、入ってと爽籟なお返事。
     言われるがままに戸風となると、そこには優しく微笑むトレーナーさんの姿がありました。
     どうやら飲み物を用意してくださっていたらしく、その両手には風雲立ち昇るマグカップ。
     私は椅子に腰かけて、ことんと机に置いて頂いたマグカップを手に取ります。
     じんわりと春の日差しような温かさが伝わってきました。

    「……いただきます」
    「うん、どうぞ」

     口元に近づけると、香ばしい薫風が吹き抜けました。
     今日はほうじ茶、一口飲むと、すっきりとした優しい味わいが広がって。
     ほっこりとした心地で息を吐くと、肩の力が抜けていくのを感じました。
     暑くなってきた季節ではありますが、今の私の風向きには、この暖かさが丁度良かったようです。
     トレーナーさんを見れば、彼もほっと息を吐いているところ。
     お互いに全く同じ顔をしていたことに気づいて、私達と同時に笑みを浮かべました。

  • 4二次元好きの匿名さん23/06/28(水) 23:17:29

     次走のレースについての話は、通り風の如くすぐ終わりました。
     出走予定のメンバーやコース、作戦の確認程度の内容です。
     きっと、トレーニングを切り上げてまで話す必要のないこと。
     それを終えると、トレーナーさんは春風のような暖かな笑顔で、言葉を紡ぎます。

    「うん、これで大丈夫かな。ゼファーから何か話したいことはある?」

     それは、トレーナーさんからの帆風でした。
     私の事情で迷惑をかけてしまっているのに、彼は和風を送り続けてくださっている。
     そのことをとても悲風に思う私がいて。
     同時に、心の中に花信風が吹いていることを実感する、私もいて。
     少しだけ考えてから、この帆風に乗らせていただくことを決めました。

    「……その、実は課題について、空風となってしまっていて」
    「そうなんだ、ゼファーが課題について悩むなんて、珍しいね」
    「はい……なので、一緒にこの野分に挑んでいただいても良いでしょうか……?」
    「……もちろん! 俺で良ければ喜んで協力するよ!」

     トレーナーさんはどこか嬉しそうに、そう言ってくださいました。
     私の追風になれることが、とてもおぼせだと、そう言わんばかりに。
     そんな彼の様子に口元を緩ませてしまいながら、私は鞄から課題の紙を取り出します。
     昨夜から一文字も進んでいない、ほぼ白紙状態のその紙を。

    「十年後の夢について書きなさい……一応国語の課題なのかな」
    「きっと他の人達にとっては無風に等しい課題なのでしょう、ですが」
    「ゼファーにとってはいまいちピンと来ない、と」
    「……はい」

  • 5二次元好きの匿名さん23/06/28(水) 23:17:46

     私に夢がなかった、というわけではありません。
     小さい頃にレース場で“マイルの皇帝”が見せてくれた疾風。
     私もあのように吹き渡りたい、あの風をも超えるまことの風になりたい。
     それが私の夢であり、越えるべき目標────でした。
     共に、偉大な天つ風を目指す青嵐。
     同じターフで鎬を削る、幾多のあきらめ知らずの幾多の雄風。
     そして、傷ついた私の背中の羽をそっと抱いてくださった凱風。
     色んな風が混ざり合って、それらを巻き込んで、ついに私は私だけの風に至りました。
     そして、これからもその風をさらに早く、鋭く、強く、吹かせていくつもりです。
     ですが、十年後となれば話は異風です。
     きっとその時は今のように走ることは出来ず、別の風道を目指すことになるでしょう。
     
    「その時の自分が想像できない、ってことなのかな」
    「はい、それで、トレーニング中も考えてしまって……ごめんなさい」
    「いや、悩みは誰だってあるよ、今後は気軽に相談してくれると嬉しいな」
    「ふふっ、近くにまともよりの風をくださる人がいたのに、私はどうして一人悩んでいたのでしょう?」

     自分の愚かしさが滑稽で、思わず自嘲してしまいます。
     良き出し風が吹いているのにも関わらず、帆を立てないような行為。
     これではまっくろさんに笑われても仕方ありませんね。
     トレーナーさんはほうじ茶に口を付けて喉を濡らすと、少し考えて口を開きます。

    「ゼファーはさ、夢というのを大きく捉えすぎてるのかもしれないね」
    「大風に、ですか?」
    「うん、どんなことでも良いからさ、やってみたいことってないかな?」
    「……そう言われると、少し難風ですね」
    「例えばこの間、化粧品についての話をしたよね?」
    「それは────」

  • 6二次元好きの匿名さん23/06/28(水) 23:17:59

     先日の話、私はトレーナーさんと化粧品のお話をしました。
     母は化粧品メーカーに勤めていて、様々なオーガニック商品に携わっています。
     私も母の会社の化粧品を愛用しており、とても好風に感じていました。
     先日販売された新商品も、とても美風な出来栄え。
     ですが香風が、私の求めるものと、ほんの少しだけ異なっていました。
     母の会社も私のためだけに化粧品を作っているわけではないので、当然そういうこともあるでしょう。

    「もう少し木の下風感じられれば、とは思いましたが」
    「いっそ自分で作れれば、なんて思わなかった?」
    「…………確かに、軽風程度には、考えましたが」

     ですが、私は母の仕事の苦労も知っています。
     化粧品一つ作り上げるのに、どのようなあからしまがあるかを、知っています。
     だから、そのような考えはすぐに否定してしまいました。
     浚いの風を吹かせたはずなのに、その想いはまだ心の底に残っていて。

    「勿論、君の思慮深さは良いところだけど最初は簡単に、自由に考えて良いんだ」
    「……自由に」
    「自分の理想の化粧品を作りたい、良い夢だと思うよ」
    「そう、でしょうか?」
    「うん、だからさ、やりたいこともっと聞かせてよ」

     俺は君の話す夢が好きだから、とトレーナーさんは微笑みます。
     見ているだけで心がぽかぽかと暖かくなるような、ひよりひよりな笑顔。
     気づけば私の口は開いていて、まるで舞台風のようにたくさんの言葉が吹き出すのでした。

  • 7二次元好きの匿名さん23/06/28(水) 23:18:14

     私が受けた陣風を、他の人達にも伝えていきたい。
     トランペットをもっと上手に吹かせるようになって、ターフで風音を響かせたい。
     たくさんの人達に森の素晴らしさを知ってもらったり、森の友人たちを紹介したい。
     自然に包まれたお家で、畑を耕しながら、ひかたに包まれて日々を過ごしたい。
     そんな小さな、まるで子どものような、取り留めのない『やりたいこと』を、私は話していました。
     トレーナーさんはそんな乱気流を楽しそうに、そして真剣に、しっかりと受け止めてくれました。
     やがて、喋るのにも疲れた頃、彼は小さく言葉を紡ぎます。

    「うん、いっぱい夢、出来たじゃないか」
    「……ですが、こんな小さな、仇の風に挑むような」
    「生まれた夢は、今は小さいかもしれないけど、俺にはとっても輝いて見えるよ」

     ────ああ、どうしたことでしょう。
     先程まで嵐の中で輝くような、微かな、弱々しい夢だと思っていたのに。
     今は、凍り付くような強い風でも、消したりできない無敵の未来に、感じています。
     トレーナーさんは、本当に、どこまでも、凱風のような人なんですね。
     口元が自然と緩んで、悩みは清風に連れていかれて、心には緑風が吹き抜けて。

    「トレーナーさん、ありがとうございました」
    「……もう大丈夫?」
    「はい、今ならぴゅうっと書き終えることが出来そうです」
    「そっか、少しでも力になれたら良かったよ」

     安心したように、トレーナーさんは顔を綻ばせます。
     そんな彼の顔を見て、ふと思いました。

     十年後、あなたはどうしているのだろう、と。

    「…………」
    「ゼファー、なんかじっとこっち見てるけど、どうしたの?」

  • 8二次元好きの匿名さん23/06/28(水) 23:18:36

     何か聞きたいことが、とトレーナーさんは首を傾げながら問いかけます。
     唐突に浮かんだ疑問、きっと聞けば、彼は軽風に答えてくれることでしょう。
     ですが、何故でしょう。
     私はそれを聞きたいとは、これっぽっちも思わなかったのです。
     知りたいと思うのに、聞きたいとは思わない。
     全くもって矛盾した感情、私にとっては未知の風です。

    「………………」
    「えっと、あんまり見つめられると、ちょっと恥ずかしいんだけど」
    「…………っ!」

     トレーナーさんの言葉を聞いた刹那、脳裏に叩きつけられる神立。
     思考にかかっていた山靄が突然の強風で払われたかのような心地。
     それに気づいてしまったが故に、私の頬は少し熱風を纏ってしまいます。

    「まあ、その、これは」
    「……今度は赤くなったけど大丈夫?」
    「はっ、はい、問題はありません」

     慌てて言葉を返しながらも、トレーナーさんから目を逸らします。
     心臓は疾く疾くと鳴り出して、心はぽやぽやみなみのように暖かく。
     私は赤くなった両頬を両手で隠しながら、笑みを零してしまいました。

    「ふふふっ、また一つ、夢が見つかっちゃいました」
    「そうなんだ? どんな夢なんだい?」
    「それは、秘密です」

     ちらりと横目でトレーナーさんを見れば、不思議そうな表情。
     でも、この夢はまだ言えません。
     未来のドアをこの手で開けるその時までは、この夢は内緒にしておきましょう。

  • 9二次元好きの匿名さん23/06/28(水) 23:18:51

     十年後の、あなたを見つめていたい。
     その時きっと、そばで微笑んでいたい────なんて。

  • 10二次元好きの匿名さん23/06/28(水) 23:19:46

    お わ り
    いいですよね08小隊、私の好きなシーンはOPで盾の上にキャノン構えて撃つところです

  • 11二次元好きの匿名さん23/06/28(水) 23:21:01
  • 12二次元好きの匿名さん23/06/28(水) 23:26:26

    10 YEARS AFTERいい曲ですよね…。
    ゼファーとトレーナーが十年後も笑い合ってて欲しいですね…。

  • 13二次元好きの匿名さん23/06/28(水) 23:30:02

    おつです
    私の♥、受け取れえええええ!!!!

    ゼファーはエアコンというものは苦手かな?

  • 14二次元好きの匿名さん23/06/28(水) 23:32:05

    永遠の扉も好きだよ
    好きなシーンはやっぱり電気系統やられて暗闇の中死の恐怖を感じながら復旧に勤しむとこ

  • 15二次元好きの匿名さん23/06/28(水) 23:32:22

    タイトルもあって読んでいるうちに脳内でトレーナーの声がシローになってました。
    そんな10年後があってもいいよね...

    夢を見つけられた...恋のせいですかな

  • 16123/06/29(木) 00:11:58

    感想ありがとうございます

    >>12

    嵐の中で輝いても好きだけどこっちも好きなんですよね

    >>13

    コジマ大隊長いいよね……

    >>14

    あの辺りは過程から結末まで好き

    >>15

    あの人のせいで俺はガトリング好きになったんだよね……

  • 17二次元好きの匿名さん23/06/29(木) 00:33:11

    ゼファーさんって料理も作れるし将来の可能性は色々とありそうですよね〜
    とてもいいSSを読ませていただきました!

  • 18二次元好きの匿名さん23/06/29(木) 00:43:24

    素晴らしいぃぃぃ!!!!

  • 19二次元好きの匿名さん23/06/29(木) 00:47:43

    トレーナーも「ウマ娘を支えたい」って夢を掲げ続けて夢を叶えた側の人間なんだろうな…
    ゼファーに夢は輝いてるって後押しするのに説得力がありすぎる

  • 20二次元好きの匿名さん23/06/29(木) 05:43:04

    感想ありがとうございます

    >>17

    結構多趣味でマルチな才能ありますよね

    >>18

    おかしい……初代Gジェネでは確かに……

    >>19

    トレーナーも狭き門ですからね……

  • 21二次元好きの匿名さん23/06/29(木) 13:32:54

    ほうじ茶飲んで笑ってるとこ好き

  • 22二次元好きの匿名さん23/06/29(木) 14:10:38

    いいssだった

    ところで盾に銃身のっけてますよね?

  • 23123/06/29(木) 23:19:00

    >>21

    地味に書いてて好きなポイント

    >>22

    Gジェネでやってたから間違いないです

  • 24二次元好きの匿名さん23/06/30(金) 00:01:48

    >>8

    「ふふふっ、また一つ、夢が見つかっちゃいました」


    ふとした瞬間に年相応と少女然とした口調になるの

    すこぶる好き

  • 25123/06/30(金) 00:49:01

    >>24

    キャラの口調を崩すタイミングは悩ましくも考えていて楽しいです

    ありがとうございました

  • 26二次元好きの匿名さん23/06/30(金) 01:56:49

    その夢を諦めないで

  • 27123/06/30(金) 08:30:37

    >>26

    素敵なイラストありがとうございます

    横目で見るゼファーが可愛いです

  • 28二次元好きの匿名さん23/06/30(金) 14:48:35

    褒めたいところが山ほどあるのに、上手く言葉にできません……
    だからせめて一言だけ

    すごく良かったです

  • 29123/06/30(金) 19:52:32

    >>28

    ありがとうございます

    そのお言葉だけで十分です

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