- 1二次元好きの匿名さん21/12/08(水) 23:07:29
- 2二次元好きの匿名さん21/12/08(水) 23:07:56
ある
そもそもソ連に競馬があることすら知らんかった - 3二次元好きの匿名さん21/12/08(水) 23:09:03
元々のスレ主だ、大いにある
アニリンちゃんを一人でも多く布教するのだ - 4二次元好きの匿名さん21/12/08(水) 23:09:26
もっと情報が充実してくれなきゃ調べることもできない…
- 5二次元好きの匿名さん21/12/08(水) 23:09:58
資本主義の極致みたいな面あるしね
- 6二次元好きの匿名さん21/12/08(水) 23:12:09
ウワーッ!元スレ主さんまで!
多分翻訳ガバってそうだけど、まあ大まかなノリだけ掴めればいいやぐらいの気分でどうぞ - 7二次元好きの匿名さん21/12/08(水) 23:13:53
原文
Анилин - Федерация бегов и скачекАнилин-1961 года рождения, английская чистокровная, одна из самых знаменитых лошадей СССР Равных ему не было в СССР. Это на нем жокей международной категории Николай Насибов три года подряд завоевывал один из крупнейших призов — «Приз Европы».racingrus.ru1961年生まれのアニリンは、イギリスのサラブレッドで、ソ連を代表する名馬の一頭である。
ソ連では彼に比肩する者はいなかった。国際的な騎手のニコライ・ナシボフが、最大級の賞である「オイロパ賞」を3連覇したのもこの馬だった。外国メディアには「三度の栄冠」と称された。
アニリンのキャリアは、国際的に有名な騎手、ニコライ・ナシボフの手によって始まった。アニリンは仔馬時代からトモの関節が肥大しており、跛行という明らかなハンディキャップがあったが、ナシボフは同僚の嘲笑を顧みずトレーニングをあきらめなかった。1963年5月末、アニリンは1200メートルのレースに出場した。アニリンはそれに容易く勝利した。偶然だという者もあったが、ナシボフはアニリンが真に生まれつきのアスリートであることを認めていた。しかし、それを知っているのは彼だけだった。
勝利に次ぐ勝利により、ナシボフとアニリンは徐々に栄光へと向かい、跛行も消えていった。しかし、アニリンはいつもの騎手なしで国際大会に臨んだ。乗り替わりになったアニリンは、そのジョッキーに従わず、緊張してしまい、結果的にメインレースを落としてしまったのである。彼はとても疲れて痩せてモスクワに戻ってきた。休養を取らずに次のレースに臨んだアニリンは、結果的に4位に留まった。多くの専門家は、アニリンはあまり良い馬ではないと考えていた。しかし、ナシボフはそれを信じなかった。
しかし、1964年、アニリンの快進撃が始まった。次々と国内で大きな賞を容易く、そして自信満々に獲得していった。特に印象深いのは、フシエソユーズヌイ大賞典(いわゆるダービー)での勝利だ。アニリンは、競争相手ををはるかに置き去りにした。
- 8二次元好きの匿名さん21/12/08(水) 23:15:30
翌年、ナシボフはソ連チームの一員として、アニリンとともにドイツ民主共和国に赴いた。そこで、ベルリンのホッペガルテン競馬場で、ブカレスト賞を勝利し、社会主義国家大賞を獲得した。2800メートルの距離を2分56.5秒で走破したのだ。その少し後、彼はドイツのケルン競馬場で走った。 彼は、国際的な賞の一つをいとも簡単に獲得している。2ヵ月後、ナシボフはフランスの競馬場でアニリンに騎乗し、これを見事に制覇した。
その後、彼はオイロパ賞で愛馬の力を試すことにする。この賞は大陸でも最大級のもので、25万マルクを賞金としていた。これは世界中の騎手、3歳以上馬に開かれたものであった。
アニリンはこれに勝利し、「オイロパ賞」を受賞した。そして、これを(更に)二度制覇した。こうして、3度目の「オイロパ賞」を受賞したソ連馬は、大陸最速馬の一頭となった。国際的な報道機関は、彼を「三度の栄冠」と称した。外国の新聞は、このソ連馬を「真のロシアのボガティル(古のロシアの英雄)」と呼んで熱狂的に取り上げた。 - 9二次元好きの匿名さん21/12/08(水) 23:16:35
アニリンとナシボフの詳細
ウラジミール・ルノフ(教授、言語学博士、歴史学博士、ロシアの名誉文化人、クバンとアディギェヤの名誉ジャーナリスト、クラスノダール国立文化研究所の放送学部学部長)
現在、この馬はコニャックのボトルにしか見られません。誇らしげに頭を上げ、白いストライプが入っています。"大賞典 Большой приз"はそのコニャックの名前ですが、お酒自体はラベルに描かれているものよりも受賞数で明らかに劣っています(=酒の受賞数を上回る勝ち鞍がある)。
これが、60年代にロシアや西洋の競馬場を震撼させ、馬術用語でグランプリと呼ばれるオイロパ大賞で3度の優勝(前代未聞!)を果たした名馬「アニリン」の頭部であることは、今ではあまり知られていない。アニリンがその蹄でソ連農業省の年間外貨収入の半分を稼ぎ、小さな母国クバンの馬産地ヴォスホトを世界のサラブレッド乗馬の中心地に押し上げたシーズンがあった。 - 10二次元好きの匿名さん21/12/08(水) 23:17:41
世紀の名馬
残念ながら、私はアニリンが勝利に向かって疾走する姿を映像でしか見たことがないが、時間が経過してボロボロになった映像の中にも、このユニークな馬の衝動的な力が感じられた。革の鞍の下では、猛烈な力の筋肉が、鋼の蹄が馬場を揺るがしていた。アニリンは驚くほど巨大で、加速すると、まるでハリケーンのように、行く手を阻むものすべてを吹き飛ばすようにゴールへ翔け抜けていった。
この馬は1961年にクラスノダルスキー地方のノボクバンスキーで生まれ、3年間だけレースに従事していた。しかしその年月たるや……!英国の巨大な牡馬で、意志が強く、時に攻撃的であった。目撃者は語る、まず真っ先にスタートを切ることはなかったが、強靭な馬体がハリケーンの勢いまで加速し、ラリーに設置されたムービーカメラすらその蹄捌きを捉えることができなくなると、メインイベント——ゴールへの飛翔が始まった。観客席は大歓声に包まれ、まさに神々のスペクタクルであった!
アニリンは、ヨーロッパや世界の名だたるレースに参加した。彼らのドラマは、何度も語られてきた。天性の才能と鞍上ニコライ・ナシボフの戦術との融合の奥義を知りたいという渇望から、何度となく映像化されてきたのだ。彼らの名前が伝説となって久しいが、私たちを今日に至るまで奮い立たせている。
競走馬の外観は常に謎に包まれています。血統書の巻物を見ても、その運命を予測することはできない。臆病な生き物が母親の巨大なクループの後ろに隠れて、臆病にニンジンに手を伸ばしていたらなおさらだ。(予想することなど)あり得ない!しかし、年齢を重ねるにつれ、アニリンは気難しいな性格を見せるようになり、少しずつガキ大将のようになっていった。 - 11二次元好きの匿名さん21/12/08(水) 23:19:26
これはキャラが立てられるのではあるまいか?!
- 12二次元好きの匿名さん21/12/08(水) 23:20:09
運命への一歩一歩
アニリンとナシボフがいつ、どのようにして出会ったかについては、いくつかの伝説がある。最も一般的なものは、牝馬のアナロジクナヤ(アニリンの母、ソビエト・オークス馬らしい)が二人を引き合わせたというものである。
ある日、背の低いむさ苦しい男がレバダに入ってきた。アナロジクナヤは何日も厩舎をうろうろしている他の人たちの中から、この硬い手で、粘り強い評価をして、大きな声で命令する男を選んだ。「А ну, не балуй!(よく分からなかった)」。この男はいつも新鮮なニンジンの香りがしていて、子供たちが美味しいチョコレートを好むように、馬たちは彼が大好きだった。
アナロジクナヤはこの時いつものように、菜園の多肉植物をパクパク食べるだけでなく、短いうなり声で仔馬を呼んでいた。仔馬がやってきて、ナシボフのポケットの匂いを嗅ぎ、たちまち砂糖を取り出した。この仔馬は後には砂糖が大好きになった。
ナシボフは素晴らしい仕事をしていた。 彼は専門家とともに、将来の仕事(=騎乗か)のために子馬を選ぶ仕事をしていた。彼はアニリンが気に入った。 アニリンは若駒であったが、背が高くて体格がよかった。アニリンは静かに立って、おやつをねだった。ナシボフは砂糖をまた一欠片手に取ると、首を撫で、仔馬の目を見て驚愕した。その眼に燃え盛るのは、若々しき情熱の炎だったのだ。ナシボフは、この馬なら、どんなレースでもチャンスを逃さず、最後まで走り抜けるだろうと、どういうわけか思わされた。
当時も後になっても、ナシボフはなぜこの若駒を選んだのか説明できなかった。それどころか、経験豊富で厳格な牧場長のヴァレリー・パンテレエヴィッチ・シャムシュルトは、眉をひそめて驚いていた。
「ニコライさん、トモの関節が肥大しているせいで、跛行しているじゃありませんか?私の見立てでは、この馬の見込みは怪しいように思われますが。どこかの近くの競馬場に連れて行きましょう。去る者は日々になんとやら(с глаз долой)……です(=見なかったことにすれば気の迷いに振り回されない、という趣旨か?)。それでもモスクワ競馬場に連れて行って訓練をつけたいと思うのですか。現地の目利きの方々に笑われてしまいます。」 - 13二次元好きの匿名さん21/12/08(水) 23:21:02
「パンテレエイッチよお!(パンテレエヴィッチのあだ名形か) 」ナシボフは反対した。「俺はこの子が気に入ったんだ。リスクを負ってでもね。」
「……アハハハ!それでは騎乗してください、お気の済むまで。」と牧場長(原начкон。馬産やレースまで手がけるようなので、もっとニュアンスは広い)に手を振ると、牧場長はいつもその後でこう言った。
「すみませんね、お若い方々、おじさん(ナシボフのあだ名?)にも失敗することはありますから……。」
シャムシュルトだけでなく、ロシアの調教師たちも、ナシボフが辛抱強く愛馬に乗っているのを見て、勘違いした人が多かったようだ。
「コール!(ニコライの短縮形か?)なぜ、その馬を気にかけるんだ?ああ、彼はハンサムだし、そう、見た目はいいんだけど、跛行しているぞ。ほら、尻尾も垂れているし……。」
しかし、ナシボフは笑いながら、辛抱強く、一歩一歩、アニリンを偉大で驚くべき運命へと導いていくだけだった。しかし、もしも当時の彼が「世紀の名馬」を手がけているのだと言われたら、彼はまた愉快そうに笑っていたことだろう。なぜなら、彼は世界には新旧世界の最高の馬産家から生まれた素晴らしい競走馬がずらりと並んでいることをよく知っていたからである。そして、ここには彼自身が育てた上げた一頭の馬がいるのである……。 - 14二次元好きの匿名さん21/12/08(水) 23:21:45
出身クバーニなのか ウクライナ系ウマ娘…?
- 15二次元好きの匿名さん21/12/08(水) 23:22:56
ダイヤモンド、しかし気まぐれ
運命に導かれて手にした本物のダイヤモンドを、ニコライ・ナシボフは、クレムリンのダイヤモンド基金のダイヤモンドに匹敵するようなものにしなければならなかった。アニリンは1200メートルの初レースを楽勝で制した。
「偶然だぜ、オヤジ!」知識豊富な競馬場の人々は、この馬の「跛行」が消え始めていることを指摘しながらも、そう結論づけた。「何でもって治療してるんだ(秘訣はあるのか)?」
「何もありゃせんよ!」ナシボフが答えた。「優しさと愛情、あとは新鮮な草のある草原ぐらいさ……。」
「ほほう?」と専門家たちは笑っていた。「しっかりしてくれよな……ごらん、ゴール後にフラフラ歩いてるじゃないか……。」
3回目のレースでアニリンは1位になり、カリーニン賞という重要な賞を獲得したとき、ニコライは少しずつではあるが、順調に進んでいると感じた。そればかりか、最高の馬たちを船上に置き去りにして、正装して厩舎に赴き、一度も歩様を乱すことはなかったいう。馬術家が言うところの「専門家」は、頭を抱えることとなった。そして、この海外での重要なレースが近付いてきた。
「なぜかって、アニリンならやってくれるからだ。見てな、あいつの何と最速を簡単を撃ち破っていることか……。」
結論として、議論の末、理事会はナシボフを騎手として海外に連れて行くことを決定した。が、ナシボフは体調を崩してしまい、同伴しないこととされた。ナシボフの反論はすべて明確に反駁された。「それでは、コーリャ(ニコライ君)、君ただ一人しか乗せられないようでは(馬として)何の値打ちもないじゃないか。良い馬はどんな騎手を乗せても強いはずだ...。」それは正論ではあったが、この遠征でのアニリンの場合はこれに当てはまらず、完敗を喫してしまった。騎手は、アニリンが自分に従わず、緊張していて、スターティングゲートに収まっているのがやっとだったと訴えた。
このような場合は、馬の精神状態によると説明するのが通例だが、特にアニリンのような馬はその傾向が強い。主人の不在をまさに自分に対する「暴力」と認識しているため、内心としてはその暴力に抵抗しているのである。この馬はずば抜けた資質に加えて、類稀な愛情を持っていた。というのは、アニリンは他の誰でもないナシボフを、最も親しい友人とみなし、大切にし、崇拝していたのだ。 - 16二次元好きの匿名さん21/12/08(水) 23:25:17
とりあえずキャラが立ちそうなエピソードだけ先に投稿
まだ翻訳はあるけどブラッシュアップできてないんで、でき次第投稿していきます
翻訳ガバな部分とかはロシア語に自信ある人に指摘してもらいたいところ - 17二次元好きの匿名さん21/12/08(水) 23:26:06
そのまま日本語wikiも作ってくれや
- 18二次元好きの匿名さん21/12/09(木) 00:22:39
ワシントンでの勝利
この話には多分に真実が含まれている。ある時、権力の絶頂にあったアニリンは、アメリカの権威ある競馬レースに招待された。スウェーデンの航空会社SASは、当時、馬の輸送を専門に行っており、特別に装備された飛行機と訓練されたクルーを有していた。旅客機とほぼ同額の価値がある希少な馬を、ジョークではなく、世界各地に届けるのだ。届けるだけではない、ランプ(飛行機の階段)からすぐにスタート地点(競馬場)まで向かうことができるようになっていた。 - 19二次元好きの匿名さん21/12/09(木) 00:34:21
指示によると、馬には獣医と、極限状態で神経質になっている馬を落ち着かせることのできる2人の厩務員が同行することになっていた。また、海を渡るフライトは、馬はおろか、人にとっても大変な経験だ。アニリンが乗り込む際、ベテランパイロット達もその巨大さと力強さに驚いた。しかし、それ以上に驚いたのは、そのようなアニリンが連れているのが、ニコライ・ナシボフ騎手ただ一人であるということだった。実は、副大臣2人と牧場長が、厩務員と獣医師という名目で、旅客機でアメリカに飛んでいたのだった。
- 20二次元好きの匿名さん21/12/09(木) 00:43:05
海の上で飛行機が揺れ始め、厳重に拘束されているように見えるアニリンが落ち着きを失いだしていた。二つの方法があった。一つは、馬に睡眠薬を注射すること、しかしそれではレースどころではない。もう1つは、もっと過激な方法で、極端に危険な場合は乗組員が馬を射殺するというものだった。これが、1万メートル級の海の上で生まれた選択肢だった。どんなに力を入れてもアニリンを引き止めることはできず、その蹄の一撃で大惨事になることは明らかだった。副操縦士はすでにボルトを手をかけていたが、ナシボフは遮二無二懇願した。
「やめてくれ!俺があんたらを落ち着けるようにしてやる!」 - 21二次元好きの匿名さん21/12/09(木) 00:47:41
彼はアニリンの首にぶら下がった……。その耳にニコライが何を囁いたかは神のみぞ知るところに過ぎないが、馬は落ち着きを取り戻し、翌日のワシントンでは、闘志に燃えるアニリンが、世界最高の馬たちをちぎり離していた。
- 22二次元好きの匿名さん21/12/09(木) 01:14:48
需要あります
- 23二次元好きの匿名さん21/12/09(木) 01:29:54
わくてか
- 24アニリン紹介21/12/09(木) 06:38:05
落ち込みなき上昇
しかし、アニリンがモスクワ競馬場でレースを始めた当初、このクバン馬の将来を信じてくれる人はなかなかいなかった。ナシボフは支持されるよりも、むしろ同情された。ある日、責任感のある「目利き」がこう言ったこともあった。
「なぜ、コーリャ、彼のことを気にするんだ?彼はハンサムだが、足を引きずっている……。今にも故障しそうだし……。医者だって、跛行は原因不明で、治療できないと言っている……。」 - 25アニリン紹介21/12/09(木) 06:38:38
「専門家」が帰ろうとすると、アニリンは宥めるかのように、同情するかのようにジョッキーの肩に顔をこすりつけた。
「気にするな、また俺たち(の実力)を見せてやればいいのさ……。」 - 26アニリン紹介21/12/09(木) 06:41:04
ナシボフは一瞬たりとも疑わなかった。競馬場を周回しながら、自分の下には、何十頭もの馬がナシボフの手を離れていったにもかかわらず、一度もお目にかかったことのなかった、(そんな)とてつもない実力を持った馬がいることを理解しながら、毎日、根気よく馬を鍛えていった。そして、雷が鳴った(注: ロシア語の慣用句?)......。
- 27アニリン紹介21/12/09(木) 06:41:40
1964年の春のレース(跛行は影も形もなかった!)で、アニリンは国内で次々と勝利を重ね、モスクワで行われたフシエソユーズヌイ賞(ソビエトダービー)では、多くのタイトル持ちの相手が、クバンの強靭な牡馬を警戒していた。しかし、それは無駄ではなかった。アニリンは、国内最高の競走馬達をはるかに引き離して、あっさりと勝利したのである。素晴らしい馬の偉大な勝利への目にもとまらぬ飛翔が始まったのである。(しかし)今日、当時の多くは、特にナシボフと彼の主力馬に関しては、伝説やフィクション、さらにはフィクションの体系の中に入ってしまっている。
- 28二次元好きの匿名さん21/12/09(木) 08:07:13
アニリンの日本語の資料なんてここが唯一じゃない?
需要しかない - 29二次元好きの匿名さん21/12/09(木) 13:28:54
もはやあにまん掲示板なんかでやっていい内容じゃないんだが…
- 30二次元好きの匿名さん21/12/09(木) 14:51:53
ハルビン競馬の馬の名前について調べたいんだがどうすりゃいいんだ
- 31アニリン紹介21/12/09(木) 15:11:12
- 32二次元好きの匿名さん21/12/09(木) 23:09:56
まだ続きあるのかな、あれば読みたい
- 33アニリン紹介21/12/09(木) 23:31:09
サーバー復帰したようでよかったよかった、このまま落ちるかと思った
落ちてる間に後記的な部分を調整してたので、それを投げます - 34アニリン紹介21/12/09(木) 23:31:33
「ヴォスホト」年代記
テルマン・マメドフは、アニリンの跛行の事実を否定し、ニコライのもとに来たのは、騎手間の若駒の分配の過程によるであったと主張した。それが実際の所ではあろうが、しかし伝説というものは、魅力的なドラマの要素全て、即ち葛藤、予想外の展開、そして言うまでもなく勝利のフィナーレに彩られるものと相場が決まっている。 - 35アニリン紹介21/12/09(木) 23:32:00
それは、アニリンとその騎手であるナシボフだけではない。「ヴォスホト」の英雄譚は、戦後の廃墟から一歩一歩立ち上がってきたロシアの名門牧場の記録であり、その過程で関係者全員が、クバン馬産を世界水準にまで高めようという最大の目標を追い求めた歴史記録、その初めだ。その結果がこれ(後述の「殿堂」か)である……。
- 36アニリン紹介21/12/09(木) 23:32:21
テルマン・マメドフがあなたを気に入れば、銀の杯、クリスタルのヴァーズ、ブロンズの騎馬像、賞金の包みなどの受賞品が並ぶ「殿堂」に連れて行ってくれるだろう。ヴォスホトの馬は、フシエルシイスキー大賞典(ロシアダービー)を40回、国際賞を200回以上、ヨーロッパ賞を4回勝ち取っている。その壁を覆い尽くさんばかりに写真が飾られている、その伝説の競走馬達の名は、アニリン、ガルニル、ザドール、スヴェトーチ、ガソメット、エキスパート、ラングなど、数え切れない。アニリンだけでも子孫が150頭以上存在する。また、ナシボフ、ラクス、フォミン、ベルン、デムチンスキー、スリメンコ、ボロヴォイ、コバレフら、誉れ高き騎手達の写真もある。
- 37アニリン紹介21/12/09(木) 23:32:38
そうして、アニリンとニコライ・ナシボフの物語は、それ自体が、何千人ものソビエトの少年少女を騎乗という冒険に誘った伝説の映画『Смелые люди』に登場するヴァシ・ゴヴォルヒンとその愛馬ブヤンの運命の続きとなる、真実と虚構が入り混じった優れた長編映画の基礎となるだろう。
- 38アニリン紹介21/12/09(木) 23:56:20
原ページにおけるアニリンの紹介は以上です。他にもロシア競馬のジェネラルスタッドやら、面白いものが原ホームページにありました。こういったものの読解を通じて、ソビエト、ひいてはロシア競馬の全貌や血統を紐解けるかもしれません
- 39アニリン紹介21/12/09(木) 23:57:05
ただ、ロシアンジェネラルスタッドに関しては読み解き方を心得ていないので、何か投稿するとしてもしばらく後になると思います。いよいよもって需要があるか怪しいですね!
- 40アニリン紹介21/12/09(木) 23:58:16
以下、ロシアンジェネラルスタッド(一部?)のアーカイブ
- 41二次元好きの匿名さん21/12/10(金) 00:55:15
お疲れ様です。
面白かったです。‼️ - 42二次元好きの匿名さん21/12/10(金) 01:20:27
お疲れ様ですー!!!
興味深かった…… - 43二次元好きの匿名さん21/12/10(金) 04:07:02
保守
- 44二次元好きの匿名さん21/12/10(金) 13:43:33
このレスは削除されています
- 45元スレ主21/12/10(金) 13:44:46
ありがとう…あなたのおかげでまたアニリンの知名度と物語性が向上した!!
- 46アニリン紹介21/12/10(金) 18:31:24
ウワーッ!チラ見したら元スレ主さんがいらっしゃってた!気に入っていただけて何よりです……
ふと検索したら新出のアニリンのレース映像らしいものがあったので置いておきます
- 47二次元好きの匿名さん21/12/11(土) 00:09:43
かなりのイケメン馬だ
- 48二次元好きの匿名さん21/12/11(土) 11:35:45
アニリン以外に知られてないソビエト名馬っているんだろうなあ
- 49アニリン紹介21/12/11(土) 14:29:33
ちまちま探しつつアニリンの大まかなプロフィールを。だが欲を言えば全戦績が欲しい
・アニリンのプロフィールデータ
(ロシア語)
Кличка: Анилин (Anilin)
Год рождения: 1961
Порода: Чистокровная английская
Масть: Гнедая
Пол: Жеребец
Отец: Элeмeнт
Мать: Аналoгичная
Владелец: Вoсхoд кoнный зaвoд ОАО
Тренер:
Коннозаводчик: Boсxoд кoнный зaвoд ОAО
Страна: Россия
Дополнительная
информация:
Карьера: 27:21-1-2, 738 835 DM
Выиграл:
Preis von Europa, Gr.1 (трижды),
Дерби СССР.
2 место
Washington D. C. International (to Behistoun).
3 место
Washington D. C. International (to Kelso and Gun Bow).
5 место
Prix de l'Arc de Triomphe, Gr.1
Величайший скакун в истории СССР.
Производитель Great Russian - Sire in Russia.
Инбридинг-Гейнсборо 5/4 - 50アニリン紹介21/12/11(土) 14:30:03
(和訳)
馬名: アニリン(Анилин, Anilin)
生年: 1961
交配: 英国(サラブレッド)
毛色: 栗毛
性別: 牡馬
父: エレメント
母: アナロジクナヤ(アナロギチナヤ)
馬主: ヴォスホト・スタッドファーム OAO
調教師:
飼育者: ヴォスホト馬術ファクトリー OJSC
国籍: ロシア
付記:
主な戦績: 27戦[21-1-2-3]738,835 ドイツマルク(?)
1着
Preis von Europa(オイロパ賞, G1, 三連覇)
USSR Derby(ソビエトダービー)
2着
ワシントンD. C. インターナショナル(べヒストゥン)
3着
ワシントンD. C. インターナショナル(ケルソ、ガンボウ)
5着
凱旋門賞(G1)
ソ連史上最高の名馬。生産者ロシア。
ロシアにて種牡馬入り。
インブリード: Gainsborough 5*4
- 51アニリン紹介21/12/11(土) 14:38:59
アニリンのウマ娘化エピソード集(1/3)
・シンザンと同世代。
・現ロシア、クラスノダール、ノヴォクバンスク出身。
・トレーナーはニコライ・ナシボフ。
・主な戦績はソ連三冠(1600m → 2400m → 3200m)、オイロパ賞三連覇、凱旋門賞好走など。
・異名は「三栄冠」「ボガティル(ロシアの英雄)」。
・子供の頃から背が高く、体格もよくて、グッドルッキングだった。
・幼少期は原因不明のトモの関節肥大により、跛行を患っていた(異説あり)。
・歳を重ねるごとに気難しく、ガキ大将のようになっていった。
・スタートはあまり得意でなかった。なので脚質はおそらく差しや追い込み。
・ソ連農業省の年間外貨収入の半分の稼ぎをマークした。 - 52アニリン紹介21/12/11(土) 14:39:31
エピソード集(2/3)
・コニャック「大賞典 Большой приз」のラベルになっている。
・ナシボフが訪れた時、母のアナロジクナヤに呼ばれて、ナシボフのポケットから砂糖のかけらをかっさらったのが馴れ初め。
・この件でか、砂糖が大好きになる。
・ナシボフが眼を見て「こいつは物が違う」と直感、トレーニングをつけるようになる。
・ナシボフ、「気の迷いでは?」とたしなめられたが、断固スルー。
・跛行持ちのままデビュー戦などを勝利。
・デビューごろ、跛行がなぜか治りつつあった。人から何か秘訣があるのかと尋ねられるが、ナシボフ曰く「別に何も。優しさと愛情、うまい飯ぐらいだ」。
・モスクワでレースをしていた頃、なかなか評価されなかったが、その中でもナシボフをよく気遣った。ナシボフもこれに応えてアニリンをよく鍛えた。なお、跛行は1964ごろには完治したらしい。
・社会主義諸国で無双、敵がいなくなったので西側遠征を特例で許可される。
・遠征先でのナシボフ急病による不在を嫌がり、敗北。 - 53アニリン紹介21/12/11(土) 14:40:00
エピソード集(3/3)
・アメリカ遠征時、医師と世話役2名を伴うという名目で航空会社に預けられたが、実際はソ連トレセン学園長と副大臣2人が送り込まれていたので、アニリンとナシボフはほったらかしであった。
・高高度での揺れを怖がって暴れる、射殺されそうになるが、ナシボフに抱きしめられるとたちまち落ち着いた。その後のアメリカ戦は勝利。
・凱旋門賞出走時は国境を跨ぐたびに12時間も検疫で足止めされた。にもかかわらず5着まで食い下がる。 - 54二次元好きの匿名さん21/12/11(土) 18:15:24
- 55二次元好きの匿名さん21/12/11(土) 18:18:01
ウマ娘になったら共産化を進めてきそう
- 56アニリン紹介21/12/11(土) 19:16:14
なるほど、馬名自体が見つからないと。WuDi(メジロアルダン産駒)の出走記録を探して、それを起点に調べるとか……いや、WuDiくんハルビン競馬に関係してるのか……?
- 57アニリン紹介21/12/11(土) 23:24:18
そうかあ、ハルビン競馬って今はもう無いのか、道理で中国競馬の概説見ても載ってないわけだ(武漢、南京、香港のみ)
- 58二次元好きの匿名さん21/12/12(日) 10:28:17
age
- 59アニリン紹介21/12/12(日) 18:34:51
アニリンのエピソード
Часто по вечерам, когда на ипподромных дорожках умолкал привычный рабочий гул, Насибов заходил в денник, где стоял Анилин, и, поглаживая своего любимца по бархатной атласной шее, подолгу разговаривал с ним, а Анилин клал ему на плечо голову и, закрыв глаза, казалось, внимательно слушал.
競馬場での仕事がひと段落して静まった夕方になると、ナシボフはアニリンのいる厩舎に入り、愛馬のベルベットサテンのような首を撫でながら長い間語りかけ、そしてアニリンは彼の肩に頬を寄せて目を閉じ、じっと話を聞いているかのようだったという。
- 60二次元好きの匿名さん21/12/12(日) 22:11:28
つまりトレーナーlove勢ってことだね!!
- 61二次元好きの匿名さん21/12/12(日) 22:14:55
ロシア語出来る人すごいな
- 62アニリン紹介21/12/12(日) 22:48:17
- 63アニリン紹介21/12/13(月) 02:52:23
- 64二次元好きの匿名さん21/12/13(月) 03:52:49
調べたら21世紀頭くらいまでは父系がつながってるんだよな
- 65二次元好きの匿名さん21/12/13(月) 12:04:54
早めに保守
- 66二次元好きの匿名さん21/12/13(月) 22:34:19
- 67アニリン紹介21/12/14(火) 02:47:03
軽く保守
↑のコメント(下の方)に恐ろしく長い関連コメントらしきものがあったので、それの翻訳に取り掛かろうと思います
天皇賞・春を50回走るぐらいタフな作業になりそうですがアレはマイルだ、マイルなんだ(自己暗示感)
- 68アニリン紹介21/12/14(火) 02:52:37
映画の一部っぽいのでアニリンくん役の馬か、あるいはエキストラ?
参考までにガバ翻訳
・Анилин(фрагмент из фильма «мчатся кони» 1972)
アニリン(映画「馬は奔る」1972年より抜粋)
Не срвненного скакуна они время преднлагали сотни тысяч долларов но его не продали недаром ведь говорят что отличная лошадь дороже и и золотого изваяния.
何十万ドルもの値段を提示されたが、優秀な馬は黄金の像よりも高価だと言われているので、売らなかった。
Анилин выиграл в нашей стране все главные скаковые призы трижды победил он скачках на приз Европы став трижды женщины.
アニリンは我が国の競馬の主要な賞をすべて制覇しており、ヨーロッパ競馬のトロフィーも3回制覇している。
В Анилина как и у квадрата немало детей каждому из них предстоит трудная школа и подробного бойца.
アニリンはもちろんのこと、広場にはかなりの数の子供たちがいて、それぞれが難しい学校や細かい戦い(注: この辺はよくわからない)に直面しています。
Коротка лошадиная детства.
馬の子供時代は短い。
- 69アニリン紹介21/12/14(火) 13:58:20
ほ
- 70アニリン紹介21/12/15(水) 01:04:43
- 71アニリン紹介21/12/15(水) 01:42:16
Дедюхин Б.В.
デデュヒン ボリス ヴァシレヴィッチ
АНИЛИН - СЛАВА НА ДВОИХ
アニリン——ふたりの栄光
Crack(*1)とは、国内最高峰の馬の称号である。アニリンこそはまさにその一頭となった。友人にして調教師、騎手であるニコライ・ナシボフとともに、彼はオイロパ賞を3年連続で制覇した。世界中のいかなる馬も、これを成し遂げられはしなかったのである。ボリス・デデュヒンの物語に、フィクションはないのだ。ロシアの競走馬アニリンの数奇な運命は、潤色するまでもない。描かれている出来事はそれ自体がドラマチックであり、著者はその語りを生き生きと魅力的にしているので、この「Crack」は最初のページから最後のページまで、息をもつかせぬような関心のままに読み進められる。
1973年。
*1: Crackは英口語で「一流」の意味がある。 - 72アニリン紹介21/12/15(水) 13:31:41
ГЛАВА I, 第1章
高貴でハンサムな両親に、見栄えのしない、いっそ醜いとさえ言ってもいい子がいたことを伝えている。
レベデフは、馬上で急いでいた。時々、その泥だらけのキルゾフブーツのかかとで馬に拍車をかけていた。レベデフはまだ仕事のある歳のいったアラブ種の牡馬に跨っていた。この馬は、常にスピードよりも魅力のために鞍をつけてられていた。それでも、小柄なアップルグレーの馬はあまりに速く、村の犬達がそのギャロップの響きで目を覚まして、馬に吠えかかるに遅れるようなさまであった。 - 73アニリン紹介21/12/16(木) 00:48:59
ヴァレリー・パンテレエヴィッチ・シムシルトの住む家の近くに、レベデフは馬を繋ぎ、カーテンのかかった窓をノックした。彼は待ちぼうけを食った。他の窓を見たが、それらもまたカーテンがかかっており、静まり返っている。厩務員は、少しためらうように首を傾げた。空は澄み渡り、深く、涼しい。ちょうど春の最後の霜が降りる頃、その日の出前のように。そしてまた、より強く、曲がった指でレベデフは窓ガラスを叩いた。しかし、ナチコン(騎兵隊長の略称)はすでに目を覚ましていた。色とりどりのカーテンの隙間から、誰がノックしたのかだけ覗きうかがって、ガラスに彼の耳を付け、言った。何と言ってるんだ?と。
レベデフは、ほとんど全力に近い大声で言った。
「アナ……ロジク……ナヤが……」と一言だけ、それ以上は続かなかった。カーテンが狭まり、そしてドアが開いた。 - 74二次元好きの匿名さん21/12/16(木) 05:52:58
寝る前にほすほす
- 75二次元好きの匿名さん21/12/16(木) 07:03:09
保守
- 76二次元好きの匿名さん21/12/16(木) 18:16:18
ほ
- 77アニリン紹介21/12/16(木) 23:28:50
——ヴァレリー・パンテレエビッチは、かなり着込んで、まるで眠っていなかったかのように目を覚ましてポーチに出てきた。
ナチコンが長い間、早朝の時間帯に起きることは今に始まったことではない。自然の摂理として、馬が仔馬を産みたがるようになっているのは、昼でも夜でもない時——夜明けだ。アナロジクナヤは、厩務員たちが掃除を終えて、エンバクを入れるバケツやブリキの計量器をしまい込み、飼料置き場に鍵をかけ、顔を洗い、鼻を鳴らして、泥で汚れた回廊の床を水で流し、家に帰るのを待った。彼らは皆、家に帰ってしまうが、代わりに一人、当番の男がいる。——人は彼を当直と呼ぶが、夜勤担当と呼ぶ方が正しいようだ。 - 78二次元好きの匿名さん21/12/17(金) 03:27:58
ほ
- 79二次元好きの匿名さん21/12/17(金) 11:43:48
あげねば
- 80アニリン紹介21/12/17(金) 23:30:45
どうせ一段落ごとだし、原文と一緒にあげても大丈夫かな?
Дневальный в одиннадцать, самое позднее в двенад¬цать положит всем в ясли по навильничку сена и начнет прохаживаться между стойлами. Сначала ходит браво, разговаривает сам с собой и с лошадьми, потом постепен¬но квелеет и снулится, все реже и реже маячит перед глазами, пока вовсе не возьмет его угомон и он не задремлет на табуретке, стоящей в закутке, где сусек, вешалка для сбруи и ветеринарная аптечка. И наступает полная тиши¬на, а то, что мыши иногда зашуршат в сене или заржет во сне вполголоса лошадь, которой приснится что-то смешное или страшное, — это не в счет: тишина и покой цар¬ствуют надо всем и всеми.
11時、遅くとも12時になると、番人は飼葉桶に干し草の山を入れ、馬小屋の間を歩き始める。最初は勇ましく歩き、独りごちたりっ馬に話しかけたりするが、しかし徐々に元気が無くなってゆき、馬の目の前に現れる回数も少なくなっていって、とうとうカッコウがとまっていられるほど、ハーネスをかけるハンガーや獣医療キットの置かれた小部屋の片隅のスツールで、ウツラウツラ舟を漕ぐのである。そして全く静まり返ると、時折ネズミが干し草の中でガサガサと音を立て、馬が面白い夢や怖い夢を見て寝息を立てる音がするのも、ものの数に入らないほどになる。静寂と平穏が全てを支配するのである。 - 81二次元好きの匿名さん21/12/17(金) 23:36:06
この情報量、凄まじいな(感服)