- 1二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 09:29:14
「あっ」
「えっ」
────世界が凍り付く音が聞こえたような気がした。
扉の先では、トレーナーさんがきょとんとした表情を浮かべていた。
この時、私は多分目を見開いてしまっていたのだと思う。
当然といえば当然だ、片や半裸の姿を、人前に晒してしまっているのだから。
状況が理解出来なくて、頭の中は冬のモンブランのように真っ白。
ほんの一瞬、私の思考回路が煙でも出そうなほどの勢いで、情報を整理した。
そして、ようやく現実を理解して、顔が燃えるように熱くなってしまう。
まるで沸騰を知らせるやかんのように、気づけば私は大きな声をあげてしまっていた。
ああ、何故こんなことになってしまったのか。
きっと、事の発端は、昨日の夜のスカイちゃんの言葉にあったのだと思う。 - 2二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 09:29:28
「ローレルさんって、こういうトラブルでも動じなさそうですよね~」
夜、スカイちゃんはベットの上で漫画雑誌を読みながら、そんな話を切り出した。
彼女はたまに、こうして漫画雑誌を持ち込むことがある。
購読しているわけではなく、釣りに行った時に、落ちてた雑誌を気まぐれで回収しているみたい。
だから雑誌の種類も日によって様々。
ファッション誌の時もあれば、ゴシップ誌の時もあるし、少女漫画雑誌の時だってある。
そしてこの日は、誰でも名前は知っているくらい、有名な少年漫画の雑誌だった。
「こういうトラブルって?」
「えっと、その、こういう感じの」
「…………スカイちゃんのえっち」
「ちょっ!?」
「ふふっ、冗談だってば」
驚きの表情を浮かべるスカイちゃんが見せてくれる漫画のページ。
それは女の子が着替えているところを、男の子に見られてしまうという、ありがちなシーン。
いわゆる読者サービス的な、そういう感じの場面なのだろう。
これ自体には特に感想はない、男の子ってこういうの好きだよね、くらいだろうか。
気になるのは、先ほどのスカイちゃんの言葉の方。
「動じなさそうって、言うと?」
「んー、こんな風に慌てたりしないで、冷静に処理出来そうといいますか」
ペラリと、スカイちゃんがページをめくる。
そこには激高した女の子が男の子に怒りの拳を振るい、吹き飛ばされた男の子が星になるというオチがついていた。
…………これは本当に令和の漫画なのだろうか、漫画に詳しくない私でもノリが古いと思ってしまう。
それはさて置き、確かにここまで怒り狂ったりは、私もしないけれども。 - 3二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 09:29:43
「私だって見られるのは嫌だし、恥ずかしいと思うよ?」
「でも相手が、こう、好意を持ってる人だったら、逆にからかいそうといいますか」
「んー、確かにそういう相手が平然と対応したら、照れさせたいって思っちゃうかも」
「でしょー? ローレルさんはそれをしっかり完遂しそうじゃないですかー」
「うーん、でも実行に移せるかといわれるとわからないかな」
「ああ、やっぱりローレルさんでもそうなんで」
「まあ、相手を照れさせたいと思って攻めてみたけど肝心なところで逃げちゃうようなことはないだろうけど」
「あっセイちゃんもう横になりますね」
睡魔に襲われたのか、突然布団をかぶったスカイちゃんによって話は終わりを告げる。
その急変を不思議に思いながらも、私もそのまま布団に入り、眠りにつくことにした。
そして、翌日。
この日は朝から大変な熱気に包まれていた。
この時期には珍しいくらいの真夏日で、外に出るだけで汗が出てきてしまうほど。
学園内はクーラーが効いてるけれど、これがなければ大変なことになっていたと思う。
教室で授業の準備を進めながら、私はクーラーのない学園生活を思案した。
「着替えも、一着じゃ足りないんだろうなあ」
昔のトレセン学園はどうしてたのだろうと思いながら、一人呟く。
それにしても着替え、着替えかあ。
その単語から連想するのは、昨日の夜の、スカイちゃんから見せてもらった漫画。
例えば、私があのシーンを再現するとすれば、どういうシチュエーションになるだろうか。
たくさん汗をかいてしまって、トレーナー室で着替える私。
そんなことは露知らず、ノックもせずに入って来てしまうトレーナーさん。
……うん、色々と無理があるような。 - 4二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 09:29:58
学園には更衣室はたくさんあり、わざわざ生徒がトレーナー室で着替える理由がない。
この時点でこの状況は成立しないなあ、と思いながら授業の準備をしていく。
ふと、鞄の中に違和感。
あるはずのものがない、という感覚。
しばらく思考を巡らせながら鞄を確認し、やがて結論に行き当たった。
「……あれ、スポーツ栄養学の教科書が」
午後の座学で使用する教科書が、見当たらない。
昨日も授業があったので、鞄にはそのまま入っているはずなのだけれど。
記憶を遡らせる、夜には取り出していない、最後に出したのは授業、いやその後に。
「そっか、昨日トレーナーさんから教えてもらって、そのまま」
授業でわからないところがあって、ミーティングの後、トレーナーさんに聞いたことを思い出す。
そして、そのままトレーナー室に置いてきてしまったのだろう。
仕方がない、お昼休みに回収しに行こう。
一応、お弁当も持って行こうかな。
それでトレーナーさんがいたら一緒にご飯を食べよう、なんて。 - 5二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 09:30:14
午前の授業が終わり、クラスメートからの誘いを断腸の思いで断って、私はトレーナー室へ向かう。
途中、昨日スカイちゃんが持っていたのと同じ雑誌を持っている子とすれ違った。
頭の中で、漫画の内容と、スカイちゃんの言葉がリフレインする。
────でも相手が、こう、好意を持ってる人だったら、逆にからかいそうといいますか。
「……ふふっ」
歩きながら、あることに気づいて思わず笑みを零してしまう。
相手がトレーナーさんだなんて、誰も言ってなかったのに。
……トレーナーさんでも、見られたりしたら、やっぱり恥ずかしいと思う。
悲鳴だってあげてしまうかもしれないし、慌てふためいてしまうかもしれない。
でも、私以上に慌てふためくトレーナーさんが容易に想像出来てしまう。
「きっと、可愛らしい反応をするんだろうなあ……♪」
ああ、ダメだ。
スカイちゃんの言う通り、その状況になったらからかってしまうかもしれない。
責任取ってくださいね? なんて言ってしまうかもしれない。
……まああの人は一生をかけて償うとか、そういうことを言ってくれたけども。
私にはそういうことを誰にでも伝えちゃダメと言いながら、トレーナーさんは私にたくさん言う。
それはちょっとずるいなと思う私と、まんざらでもない私が頭の中でせめぎ合う。
だから、私は気づかなかった。
いや、習慣になるまで慣れ親しんだ行動に、違和感を挟み込めなかった。
いつの間にか辿り着いてたトレーナー室の鍵は開いていた。
何時もならノックをするのに、妄想に浸っていた意識は、それをすっかり忘れている。
きっとトレーナーさんなら許してくれるだろうという、一種の甘えもあった。
その軽率の報いは、すぐ形になって、目の前に現れたのだった。 - 6二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 09:30:30
「あっ」
「えっ」
────世界が凍り付く音が聞こえたような気がした。
開けた扉の先には、上半身裸のトレーナーさんがきょとんとした表情を浮かべていた。
この時、私は多分、目を見開いてしまっていたのだと思う。
当然といえば当然だ、トレーナーさんが半裸の姿を、私の前に晒してしまっているのだから。
状況が理解出来なくて、頭の中は冬のモンブランのように真っ白。
汗ばんだ肌、机の上には湿ったシャツと上着、この暑さで汗を吸い過ぎた服を着替えていたのだろう。
その肢体は筋骨隆々、というほどではないけれどしっかり引き締まっていて、無駄がない。
どこかオーギュスト・ロダンの青銅時代を思わせるような美しさすら感じてしまうほど。
『La conscience est la voix de l'esprit, la passion est la voix du corps』
競技者ではないにも関わらず、ルソーの言葉を体現するような、そんな鍛えられた肉体。
肌は白いけれど、きっと私が見てないところでトレーニングに励んでいるのだろう。見てみたいな。
それと、胸の、その、毛が、想像していたよりも、しっかり生えている。
トレーナーさんは童顔で、学生と間違われる時もあるくらいだから、生えてないのかなって、勝手に思ってた。
けど、その姿は、彼が立派な大人の男性なんだと思い知らされて、正直どきどきしてしまう。
下はちゃんとズボンを履いているのだけど、そのウエスト部分から、青いトランクスが少し、見えてしまっている
桜色じゃないことを少し残念に思いながら、私はちらちらとその部分に視線を向けてしまう。
あっ、おヘソのところにホクロがあるんだ。出来れば背中の方も見せてもらいた────。
刹那、私はようやく状況を理解して、顔が燃えるように熱くなってしまう。
まるで沸騰を知らせるやかんのように、気づけば私は大きな声をあげてしまっていた。
「しっ、しつれいしましたっ!」
私は扉を音を立てながら閉めて、脱兎の如く逃げ出したのだった。 - 7二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 09:30:46
「ああ……あああ…………!」
中庭、私はベンチに腰かけて顔を押さえながら俯いて、うめき声をあげていた。
何人もの生徒が不思議そうにこちらを見るが、体裁を気にしている余裕はない。
指が触れる頬は、まだ高い熱を持っていて感情の荒ぶりを表しているかのよう。
やってしまった、やらかしてしまった。
私の気の抜けた行動が原因で、トレーナーさんの裸を見てしまった。
「トレーナーさんと、どんな顔で会えば……!」
謝らなければいけないのに、こんな状態ではまともに話すことなんて出来そうにない。
どうにかしないと、と焦れば焦るほど、頭は熱暴走しそうになり考えは纏まらなくなってしまう。
うん、まずは落ち着こう。
大きく深呼吸をして、頭に新鮮な空気を取り込む。
すると暴れていた心臓も少しだけ落ち着いて、頬の熱も若干冷めたような気がした。
冷静になってみれば、トレーナーさんも少し不用心だったとは思う。
見たのが担当ウマ娘の私だったから良かったものの、他の人に見られる可能性だってあった。
勿論、私が悪いのは前提だけれど、お互いに反省すべき点はあるのだろう。
そう考えれば、少しは顔を合わせやすくなる気がした。
謝罪を口にしながら、やんわりと注意をする私。
それを聞いて困ったような笑みを浮かべながら、了解するトレーナーさん。
……大丈夫、これならいつも通りの私達。
せーのヴィクトリー、心の中でお約束のフレーズを呟きながら、私は俯いだ顔を上げる。
「────やっと見つけた、ごめんね、見苦しいところを見せちゃって」
私の目の前には、トレーナーさんが恥ずかしそうに微笑んでいた。 - 8二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 09:31:03
手には、スポーツ栄養学の教科書。
少しだけ息が切れているのは、きっと私を探し回ってくれたから。
私がトレーナー室に来た用件を理解して、持ってきてくれたのだろう。
ノックもしないで入ってしまって、ごめんなさい。
でもトレーナーさんも着替える時は鍵をかけた方が良いと思います。
それと、探してくれて、嬉しかったです。
そう、伝えたいのに。
どうしても、目の前のトレーナさんの姿と、先ほど見た裸のトレーナさんの姿が重なる。
静まったはずの胸の鼓動が激しくなって、冷めたはずの熱はまた急上昇を始めた。
口からは言おうとした言葉が出てこなくて、パクパクと開閉するだけ。
「……ローレル?」
トレーナーさんは首を傾げてから、心配そうに顔を近づけて来る。
ああ、それはダメだ。
彼は私のことを良く分かってくれているけれど、今は肝心なところを理解していない。
今、そういうことをされるのは逆効果だと、分かってくれない。
何か、何かを言わなければと思えば思うほど、舌が空回りしてしまう感覚。
追い詰められた私の脳裏に、今までの思い出が走馬灯のように駆け巡っていく。
夢を見つけた日、ヴィクトリー倶楽部での日々、トレーナーさんとの出会い。
怪物とも言われたブライアンちゃんの圧倒的な走り。
まだ完全とは言い難い脚と一生に一度のクラシックの舞台を天秤にかけたあの時。
そして、最後に背中を押してくれた、トレーナーさんの言葉。
様々な記憶と、昨日のスカイちゃんとの会話が混ざり合った末、一筋の電光が走った。
「ト、トレーナーさんっ!」
「うわ!? ロ、ローレル?」 - 9二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 09:31:20
気が付けば、私は立ち上がって両手で彼の手を掴んでいた。
混沌とした思考から導き出された、彼に伝えるべき言葉。
思い至ったその瞬間は、先ほどまでの有様が嘘のように、滑らかに口が動いた。
この時の私は気が付かなかった。
混乱したときに導き出す結論など、ロクなものじゃないということに。
この時の私は気が付かなかった。
大声を上げてしまったせいで、周囲の注目を集めてしまったことに。
私の好きな、トレーナーさんの純粋で綺麗な瞳。
彼はその目を丸くして、呆気に取られたような表情でこちらを見ていた。
私も彼の目を、彼の顔を、彼の身体をじっと見つめて、そして叫ぶように言葉を紡いだ。
「私────責任、取りますからっ!」
これが、以後トレセン学園で語り継がれる伝説の始まりになることを、今の私は知る由もなかった。 - 10二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 09:32:04
お わ り
タイトルに嘘偽りないなヨシ! - 11二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 09:36:23
咄嗟のラッキースケベで真っ赤になっちゃうローレルは最高や……
- 12二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 09:37:20
で、責任取ったんですか? とかn年後に聞かれるやつ
- 13二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 09:37:47
錯乱ローレル……
- 14二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 09:50:55
いやーっ!(野太い声)
- 15二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 09:57:27
そういうとこだぞセイちゃん
- 16二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 10:02:10
うーんこれは見事な叙述トリック
- 17二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 10:09:12
朝から素晴らしいSSをありがとう…
- 18二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 10:14:55
うーんたまらん
不意打ちであたふたしてるのもかわいいね… - 19二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 10:14:57
良かった
ありがとう - 20二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 10:48:02
ラッキースケベって言うもんだから女トレーナーかと思ってた…
- 21二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 11:14:43
ローレルがだいぶやらかしてて笑った
- 22二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 11:42:29
いいぞもっとやれ(何やってんだお前ェっ!!!!)
- 23二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 11:50:48
偶然近くを通り掛かったウマ娘ちゃんがその会話を聞いて気絶してそう
🎀
J( ˘ω˘)し - 24二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 12:19:12
個人的にこうであってほしいローレル像が書かれていて最高でした。
(つよつよに見せているけど、いざとなったら実は他の子とそう変わらない感じいいよね…) - 25二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 12:36:57
えぇ!?半裸のローレルSSが見れ…よくも騙したなぁぁぁぁあああ
- 26二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 12:52:30
- 27二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 13:01:22
しっかりいたせー!
- 28123/07/10(月) 14:19:53
- 29123/07/10(月) 14:27:43
- 30二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 14:57:20
しばらくはセイちゃんに言われてローラちゃん横になりますね…するやつ
責任とった(とられた)あとはセイちゃんが横になる - 31123/07/10(月) 19:18:18
この部屋の人交互に横になってる……
- 32二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 21:51:04
アワアワローレル可愛いですね…
半裸を見た時の思考が特に好きです - 33二次元好きの匿名さん23/07/10(月) 22:32:07
男トレかぁ…
- 34123/07/10(月) 22:40:08
- 35二次元好きの匿名さん23/07/11(火) 02:29:27
- 36二次元好きの匿名さん23/07/11(火) 10:04:12
か、描かれてる...!
- 37二次元好きの匿名さん23/07/11(火) 10:50:10
煩悩が加速するローレルすこ
大体つよつよローレルが描かれがちだからたまの押されローレルが新鮮でいいですね
栄養バランスが整った気がする - 38123/07/11(火) 12:09:51