おつかまりください[SS]

  • 1123/08/04(金) 22:11:58

    こんにちは……というよりこんばんは。いえ、おはようございます?
    とにかく、わたしです。アストンマーチャンです。知っている方はお久しぶり、知らない方ははじめまして。
    今は夜明け前。草木も眠るような、そんな夜。星はまだ、かすみません。やっぱり、おはようまではまだ少し、時間がありそうです。
    バス停の前、夜の風はちょっとだけ、肌寒いです。暑いからって、薄着でくるものじゃありませんね。
    思わず、腕を身体にくっつけます。すると、トレーナーさんが言いました。

    「寒い?上着、よかったら使う?」
    「……さすがです。さすがの専属レンズさん。マーちゃんポイント500点を差し上げちゃいます」

    満点はなまる回答です。わたしの脳内、全世界のマーちゃんが拍手喝采、すたんでぃんぐおべーしょんもやむなし。

    「ですが心配ご無用。マーちゃん、少し寒いくらいが好きなのです。体調に影響が出るほどじゃないですから、心配しないで下さいね」

    それはそれ、すたんでぃんぐはおべーしょんとしても、マーちゃんがトレーナーさんの服を奪ってしまうのは、あんまりよくないことなのです。
    なのでここは、少し強がっておきましょう。嘘は言っていないのです。嘘を吐くのは、同じくらいよくないことなので──

  • 2123/08/04(金) 22:12:48

    「……だめだよ、強がっても。今バッグからシャツ出すから、それ着なさい」

    ……だめ、らしいです。
    ここまでくると、マーちゃんは感心を超えて驚いちゃいます。おどろきマーちゃんです。わたしのレンズさんはその実、伝説のなんでも見通す千里眼的なレンズさんなのでしょうか?

    「──あぁ、男のシャツ着るのは嫌か?すまん。ちゃんと洗濯はしてある筈だから勘弁してくれ」

    ……いえ。

    「……そんなこともないみたいですね」
    「みたい?」
    「いーんです。こちらの話ですから」

    やっぱり、トレーナーさんもまだまだ修行が足りないようです。
    『トレーナーさんなら、別に匂いなんて気にしないのに』
    そんな気持ちも、わからないみたいなので。

    「とは言え、しっかり受け取らせていただきます。トレーナーさんも、冷えないように気をつけてくださいね」
    「あぁ、ありがとう」

    トレーナーさんが取り出した服を、迷うことなく羽織ります。たかが薄布一枚と思う方もいるのでしょうが、これが中々温かいのです。トレーナーさんのものと思うと特に。少しだけ香る、服の匂いでもっと。
    ……ウマ娘は、鼻がよくきくのです。ですから、他意は特になく、偶然、偶然なのです。……ほんとうですよ?

  • 3123/08/04(金) 22:13:28

    遠くから、エンジン音が聞こえてきます。
    少し遅れて、2つの光も見えてきました。

    「おぉ、やっと来たか。夜行バスだっていうのに待たされるなんて、中々無い経験だったよ」

    近くからは、トレーナーさんの冗談めいた愚痴。

    『お待たせしました。このバスは──行きです。1分後に発車致します』

    機械的な声。蒸気機関を思い出させる、ドアの開く音。先客は……いないみたいですね。一番乗りです。いえい。
    二人でシートに腰掛けます。座席は、一番後ろの右端。あんまり良い座り心地じゃなくて、年季というものを感じました。モノを長く使うのはいいことです。心の中で拍手。
    よく見てみると、天井の蛍光灯は少し心もとない明るさです。手すりも、所々塗装が剥がれて、ガムテープで補強してあります。
    ……流石に、そろそろ引退してもいいんじゃないでしょうか。
    ──やっぱり少し、肌寒いです。

    「……なんだか、ちょっと怖いですね」
    「……そうだな」

    シャツをきゅっと、千切れるくらいに握って。
    雰囲気が怖いのもそうですけど。
    マーちゃんは、この車で、遠く、知らないところに行くのが怖いのです。
    ふと、小さな頃に読んだお話を、思い出して。

    玉手箱なんて怖くなかったんです。
    あの頃から、わたしが怖いのは。怖いのは──

  • 4123/08/04(金) 22:14:36

    「手」

    ──どこからか、声が聞こえました。


    「──へ?」

    対してわたしは、間抜けな声。


    「握ろうか」

    それに応える、優しい声。


    目の前には、細い指先。シルクのような手のひら。
    確かめるように、人差し指でなぞると、
    びくっ、と、少しだけ反応するのです。
    それが面白くて、いつまでもしていたかったけれど。
    指を絡めて、なめらかに。優しく握るのです。
    その方が、わたしは嬉しいから。

  • 5123/08/04(金) 22:15:14

    『発車します。お掴まり下さい』

    いつの間にやら鳴っていたらしい、エンジン音と、アナウンス。
    外の景色が、ゆっくりと変わっていきます。
    「じゃあ、行こうか」と、トレーナーさん。
    マーちゃん、返事はしません。
    あなたの方も、向きません。

    ──ちょっとばかり、恥ずかしいので。

    座席、1.5席分。わたしたちの国。
    午前3時に、わたしは幸せの絶頂でした。

  • 6123/08/04(金) 22:16:24

    ──────────────

    「りばーさいどほてる、でしたっけ?」
    「そう。多分1時間くらいで着くんじゃないかな」

    ゆらゆら、ゆらゆら揺られて、外の景色も夜空も見飽きた頃。わたしはトレーナーさんに聞きました。
    これから行くのは小さなホテル。名前を『リバーサイドホテル』というらしいのです。なんでも、友人からチケットを渡されたとか。

    「いいですねー、りばーさいど。ネーミングがチャーミングです。潔い感じが」
    「まぁ店名詐欺にはならないね。東京ディズリーランドとかよりよっぽどマシだ」
    「む。マスコットとして、大先輩を貶されて黙っている訳にはいきません」
    「いやあ、僕も好きさ。年パス持ってるよ」
    「むむむ……これがいわゆる『じれんま』……」
    「そうかな?」

    そうです、そうですとも。マーちゃんは今、板挟みなのです。大問題ですよ、これは。

  • 7123/08/04(金) 22:17:06

    「……いいでしょう。その覚悟と、わたしはシーの方が好きという個人的主張から、この件は見逃してあげます」
    「そうなのか?覚えとくよ」
    「はい。いつかの時のために、お願いしますね」

    言葉が流れていきます。まるで、バスの窓からこぼれ落ちるように。
    わたしたちは急流の中にいて、言葉も、気持ちも、時間すらあっという間。
    でも、時には陸に上がって、時には流されて。
    だから二人は、心地良いのです。

    「……お願いですよ」
    「……何か言った?」
    「いえ、独り言です」

    そうは言っても、流れてはいけないものも沢山あるので。そういう時は、こうやって捕まえておくのです。『いつか』とか、そういう言葉は特に。

    ……独り言とは言ったけど、『二人事』だったかなぁ。
    なんて。

    そう思ってあなたを見るのです。
    目の前に2つ、少し遠くにまた2つ。
    4つの水晶体の奥に、
    私の姿を見るのです。

    ──その時。

  • 8123/08/04(金) 22:18:24

    二人が見つめあった時。
    交差点では急カーブ。
    一番後ろのわたしたちに、
    それはもう、タイヘンなことがおこってしまいました。

    わたしは、それはもう驚いてしまって、
    思わずあなたのシャツを掴んで、
    わたしの元に引き寄せたのです。

    倒れこんだわたしとあなた。
    視界も世界も曖昧なまま。
    遠心力さんはまだ許してくれません。
    あなたの顔がすぐそばにきて……

    なんの因果か偶然か、
    はたまたわたしの『こい』なのか。

    狭いシートの後ろ側で、
    カメラのフレームの外側で、
    治外法権というには、
    あまりにナショナルな犯行を。

    ドラマのような素敵な夢。
    素晴らしいほどの奇跡。
    あなたはわたしの味見を許して、
    一緒に料理までしてくれました。

    おずおずと、短い舌で、確かめるような仕草が。
    いつの間にか、突き出して、舐めたくって、おかわりもしちゃって……
    そんな、よくばりさんになってしまいました。

  • 9123/08/04(金) 22:18:57

    ──うん。

    おいしい。

  • 10123/08/04(金) 22:19:32

    だけど、それももう終わり。
    すぐに取り上げられちゃって、
    ちょっと物足りない気持ちと、
    おかしくなりそうな多幸感に焦がれながら、
    わたしは目を見て言いました。


    「……はちみつみたい、です」


    ──トレーナーさんは何も言いません。
    こっちも向いてくれません。
    ただ、今度はあなたが。
    顔を背けて、顔を赤らめて。
    一言。

    「……そうだね」

  • 11123/08/04(金) 22:20:01

    それだけ聞いて、わたしも空を見ます。
    窓に頬をくっつけると、少しだけ冷たくて気持ちがいいです。
    いつの間にか火照った頭を冷やすには、丁度。
    見飽きたはずの空が綺麗で、
    こんな不思議な感覚、はじめてでした。

    いつまでも、甘い匂いが離れずに、
    胸の高鳴りは収まらずに、
    先の妄想が、止まらずに。

    もうわたしは、行き先すらわからなくて。
    どこに向かうのか、知りたくて。

  • 12123/08/04(金) 22:20:25

    ──この終点、


    ノストラダムスなら、わかるんでしょうか。

  • 13123/08/04(金) 22:21:34

    おしまい!
    久しぶりに書いたのと、絶賛微熱中なので、クオリティはアレですけど……
    マーちゃんはいいぞ!

  • 14二次元好きの匿名さん23/08/04(金) 22:23:18

    よき雰囲気でした。

  • 15二次元好きの匿名さん23/08/04(金) 22:40:32

    好きだ。
    文体とシチュエーションが不穏気味でいつ暗夜の中へバスが去っていくかドキドキしていましたが、読み進めるうちにこの夜が夏風に揺れる軒の灯りのような仄暗くも暖かなものだとよく分かりました。
    平沢進の金星を聴いているときのような、となりのトトロのポスターを見たときのような。
    或いは夏の夜明け、熱気に温んだ夜風をホタルの熱と錯覚するような穏やかな時間でした。
    これは夜への期待感というのでしょうか。
    脳から情緒がこぼれ涙腺に満ちるほど滅茶苦茶に好きです。
    マーチャン最高。マーチャン最高。

  • 16二次元好きの匿名さん23/08/04(金) 23:03:15

    こんな時間にいいSSが

    乙女なマーちゃんかわいいね……

  • 17二次元好きの匿名さん23/08/05(土) 00:02:23

    急カーブの箇所、頭にふっと情景が浮かんだ。

    読み手に詳細をイメージさせる文章って
    本当にすごいことで。

    感動しました。
    これからも二人に幸あれ。

  • 18123/08/05(土) 09:16:07
  • 19二次元好きの匿名さん23/08/05(土) 13:58:51

    えっちで良いと思いました

  • 20123/08/05(土) 20:39:32

    あわわわわ神絵師だ
    ありがとうございます!寿命が延びました!

  • 21二次元好きの匿名さん23/08/05(土) 23:05:22

    クイズスレから来ました 詩的で美しい…

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