【SS】その流れ星の名前は

  • 1二次元好きの匿名さん23/08/06(日) 21:50:36

     ふと、目を覚ました。季節は秋に差し掛かる頃合いだった。ちょうど、あたし――ヒシアケボノがシニア期のスプリンターズステークスを制した後のことだった。
     ひっそりとした、水の底に居るかのような深い夜だった。トレセン学園寮は夜になると驚くくらい光がなくなる。厳密に門限が定められているせいか、極めて従順に無機質な人工光は姿を隠していた。
     灯りを消した寮の部屋の中は何も見えない。リン、と鈴虫の鳴く声が遠くに聞こえる。その音に誘われるように、あたしはそっと遮光カーテンを開けたのだった。

    「……眠れないな~」

     はぁ、と大きい溜息をついて夜空を見上げる。地味な砂を塗したような星々がやけにつまらなさそうに光っていた。多分美しくて――ボーノである筈の眺めなのだろうけれど、今のあたしにはあんまり綺麗なものには思われなかった。
     眠りたくても眠れない。その理由は明白だった。

    「あたしの脚の問題……だよねぇ」

     シニア期の安田記念の後から感じ始めた脚の違和感。あたしのビッグな体はレースの度に大きな負荷をかけてしまうらしい。その摩耗に体が悲鳴を上げ始めていたのだった。
     仕切り直しをするという選択肢もあった。一度レースから離れて体重を落とす。今のレーススタイルとは別の形を模索する――でも、あたしはみんなの期待する「ちゃんこ鍋」のままであり続けたかった。たとえそれで競技人生が短くなっても、勝負するお友達、ファンの期待するあたしの味を守り続けたかった。

     その選択自体に後悔はしていない。していないのだ。実際、あたしは残されたレースの時間を精一杯駆け抜けていたし、あたしもみんなもハッピーだった。
     けど、それでも――どうしても不安や焦燥に似た何かを感じる日があった。こんなのはあたしらしくない。少なくとも、思い描いたおいしい「ちゃんこ鍋」には程遠い。そんな自覚はあった。おいしくないスープをひたすらコトコトと煮詰めたようなもの――形容詞しがたいもやもやが、あたしの頭の中を一杯にしてしまっていたのだ。

    「う~ん……」

     一際大きい溜息を胸から吐き出す。味気ない空気の塊は暗闇の水底に重く溶けて行った。

  • 2二次元好きの匿名さん23/08/06(日) 21:51:27

    「……ボノ?」

     そんなあたしの背後から小さな影が近づいた。あたしとは30㎝以上も差がある、とっても、とっても小さな影。ビコーちゃん――あたしの大切なお友達にしてちっちゃなライバル。けれども、今の部屋で一番存在感のある影だった。

    「ごめんねぇビコーちゃん。起こしちゃった?」
    「ううん、アタシもなんか眠れなかったし……そんなことより!」

     静寂を破る、凛としたビコーちゃんの声が響いた。

    「ボノ、なんかすっごく寂しそうだった!……アタシにできること、なにかないかな?」

     ビコーちゃんがあたしを見上げる。くりくりとした水色の目が、真剣な眼差しが。暗闇の中で矢鱈と目立って見えたような気がした。

    「……ね、ビコーちゃん。ちょっとだけ、お空を一緒に見ようよ~」

     あたしは色褪せた星空を眺めながら、小さな親友に胸の内を吐き出していた。

  • 3二次元好きの匿名さん23/08/06(日) 21:51:49

    「多分、あたしは忘れられるのが怖いんだよねぇ」

     どんなに美味しい料理を食べたとしても。食べる機会が失われてしまえば次第に記憶からはなくなってしまう。あたしの今抱えている焦燥も、多分似たようなものだった。ビコーちゃんに愚痴を聞いてもらって、話を纏めて。ようやく浮き彫りになったもやもやだった。

    「……そっか。ボノも大変だったんだな……」

     あたしの話を聞いて、泣きそうな顔のビコーちゃんが呟いた。そして、あたしに向けて、それ以上にビコーちゃん自身に言い聞かせるような声色で、星空を見上げながら続く言の葉を紡いでいた。

    「アタシはさ、ボノに救われていたんだ。レースで活躍できていなかったとき。アタシはヒーローになんてなれないダメダメだって落ち込んでいたとき」

    「ミカン畑の帰りにボノに励まして貰って。それでまた頑張ろうって思えたんだ」

     一言ずつ、ビコーちゃんの声色が大きくなっていく。重かったはずの水底が、暗くて仕方がなかった星空が。少しずつ明るくなっているような、そんな錯覚を抱いた。

  • 4二次元好きの匿名さん23/08/06(日) 21:52:07

    「……アタシは。アタシはあんまり勝ててないし、ボノにも負けちゃってる」

    「けど、ボノが居るから。追い越したいボノのおっきい背中が前にあるから、アタシらしい走りが出来る」

    「ボノがレースから居なくなるのはホントに寂しい……だけどな――」

     夜空を見上げるビコーちゃんの瞳。水色の綺麗な瞳に、一筋の流星が輝いて消え去った。一瞬で消え去るはずの光なのに、まだビコーちゃんの目は燦爛と輝いて見える。星空が、流星がビコーちゃんの中に瞬いているようだった。

    「ボノが走れなくなっても!その分アタシは走り続ける!」

    「そうすれば……アタシに勝ったボノのことを誰も忘れない。アタシを通じてきっと、ボノも――」

     色褪せた暗闇の中で見た輝き。小さいけれども、あたしを惹きつけて止まない光。とっても小さいビコーちゃんが、あたし以上に大きく見えた。

     その流れ星のような輝きに名前を付けるとしたらなんだろうか。このときのあたしには分からなかった。ただ一つ確かなのは、それが小さくても綺麗で、ボーノなものであるということだけだった。

    「……あっ!流れ星だ!ボノ、ボノ!願い事しなきゃ!」
     
     ぎゅっと手のひらを合わせて、輝く流れ星に願う。今はただ、目の前の小さな親友と少しでも長く走れるように祈るばかりだった。

  • 5二次元好きの匿名さん23/08/06(日) 21:52:22

     それから程なくして、あたしはトゥインクル・シリーズを引退した。終わりはあっけなかった。覚悟はしていたこと――脚が限界を迎えて走れなくなった。
     もう少し走っていたかったという未練はある。けれども後悔はなかった。自分で悩んで、トレーナーさんと一緒に決めた道だったからだ。
     あたしらしいパワフルなレースを貫き通せたし、ビコーちゃんをはじめとしたライバルのお友達とも、胸の奥がアツアツになるような、出来立てのちゃんこ鍋のような満足の行く勝負ができたと思っている。

    「今日のレース……ビコーちゃん頑張ってほしいな~」

     引退してから初めて訪れたレース場。パドックのビコーちゃんがぶんぶんと手を大きく振っている姿が見える。あたしが引退した後も、ビコーちゃんは宣言通り走り続けていた。
    レースの発走に向けて、レース場全体が盛り上がっていく。現役中、グツグツと煮えたぎる位に感じた、慣れ親しんだ熱気は、少しだけ自分から遠いものになってしまった感じがした。

  • 6二次元好きの匿名さん23/08/06(日) 21:52:46

    『ビコーペガサスだ!遅れてきたヒーローがここであがってきた!』

     目の前で響く蹄鉄の轟音。ウマ娘たちの汗と涙の熱を感じる。最終直線で必死に頑張っているウマ娘たちは輝いていて、星が瞬いているようだった。そして、ビコーちゃんがそんなバ群を切り裂いて行く姿が近くに見える。

     それはまさに、夜空を翔ける流れ星のようだった。

     そして、ビコーちゃんの目の前にはあたしが居た。実際にレースで走ってはいないけれど――ビコーちゃんはあたしの背中を追っていた。ビコーちゃん、いやビコーちゃんだけじゃない。きっとその場に居た全員があたしを見ていたのだ。ビコーちゃんの輝きを通じて、確かにあたしは走っていたのだ。

    『ゴール!ビコーペガサスです!ビコーペガサスが1着を勝ち取りました!』

     ゴールの先でビコーちゃんが笑っている。ニッと笑う得意げな顔がどうしようもなく、あの日の輝きと重なって見えて。あの日分からなかった光の名前が、今ははっきりと理解できた。

     あの流れ星のような輝き――それこそが、カッコイイヒーローというものなのだろう。

     その光は酷く、眩しくて。どうしようもなく心が震えて。
     なぜだか訳もなく――あたしは泣きそうになった。

  • 7二次元好きの匿名さん23/08/06(日) 21:52:56

    お読み頂いた方々、誠にありがとうございました!
    久方ぶりにウマ娘のSSを書いてみました。
    ビコーちゃんがいつまでも実装されず。
    ビコーとボーノのお話をもっと読みたいと思ったら自然と筆を取っておりました。
    少しでもお楽しみ頂けたのなら幸いです。

  • 8二次元好きの匿名さん23/08/06(日) 21:55:21
  • 9二次元好きの匿名さん23/08/06(日) 22:12:51

    本人がどれだけ腹括っていてもボーノの引退はやっぱり辛い 去った者を背負うビコーは最高にカッコいいヒーローだなあ

  • 10二次元好きの匿名さん23/08/06(日) 22:33:52

    なんか見覚えのある文体だな……?
    過去作を見て生きとったんかワレェ!となりました
    熱血スポコン系、しかもビコーとボノのSSは貴重ですしとっても熱いお話で心がジーンとしました!

  • 11二次元好きの匿名さん23/08/06(日) 23:57:52

    感想ありがとうございます!励みになります!


    >>9

    実は選手生命を天秤にかけても自分の走りを貫くという重い命題を扱っているボーノシナリオ……

    覚悟が凄くて、ボーノ自身もとっても良い子で。

    少し解釈違いを生むかもしれませんが、やっぱりボーノも学生なので思い悩むときもあると思うのです。

    ビコーとそこら辺を支えあっていたら素敵だなぁと思って書いてみました!

    ビコーのカッコよさを表現できていたのなら嬉しいです!


    >>10

    超久しぶりにSSを書きました!また読んで下さり嬉しいです!

    スポ根系のSSやビコーやボーノのSSは自分も大好きなのでもっと増えて欲しいですね!

  • 12二次元好きの匿名さん23/08/07(月) 01:05:51

    ファンです。
    明日感想書きに来るので保守させてください

  • 13二次元好きの匿名さん23/08/07(月) 07:37:22

    保守

  • 14二次元好きの匿名さん23/08/07(月) 17:41:18

    ビコーとボノのSSが自薦されてたのを見た瞬間あなただと思って飛んできたはいいものの夜も遅く保守しかできなかったファンです。

    読みました〜やっぱり好きです。ビコー推しなんですがボーノも好きで、ボーノ育成したときの切なさがよみがえってくるようでした。

    >>「多分、あたしは忘れられるのが怖いんだよねぇ」

    これが本当に切ない。でも小さなヒーローが一緒に走っていたからこそ、ボーノもビコーも凹凸コンビとして忘れられることなく語り継がれていくのかなぁと感じました……あとやっぱ文体好きすぎてですね……以前よりもパワーアップされとる……洗練度が高まってる……と興奮しました。久しぶりにSS拝見できてとても嬉しかったです!

    またあなたの作品が読めたら幸いです!

  • 15二次元好きの匿名さん23/08/08(火) 00:22:10

    ボーノとビコーのコンビ良いよねぇ
    ボーノの心理描写とビコーのカッコよさが良かった
    ビコーが流れ星ってそれっぽい固有モーションあったペガサス流星拳を思い出すわ

  • 16123/08/08(火) 02:15:42

    感想ありがとうございます!励みになります!


    >>14

    いつも拙作をお読みいただき、しかもファンとまで言って下さるのは大変光栄です……!

    ボーノのシナリオは選手生命と自分らしい走り方という命題に真っすぐ向き合った名シナリオなのですが、切なさも凄くて……。ビコーとの絡みも素敵なシナリオでしたので、なにか幕間やアフター的なものを書けないかと模索した結果がこのSSでした!ビコーとボーノの凸凹コンビ……良いですよね!

    文体もお褒め頂けるとは!心理的、視覚的な情景描写に力を入れてみました!

    重厚な感想を下さり、ホントに嬉しかったです!ありがとうございました!


    >>15

    ビコーとボーノのコンビ良いですよね!体格が違うからこそ映える組み合わせ。どちらも凄く良い子で素敵なのです。

    各種描写もお褒め頂きありがとうございます!

    ビコーはどう考えても聖闘士星矢パロのモーションあるので、流れ星の元ネタの1つでした()

  • 17二次元好きの匿名さん23/08/08(火) 04:01:44

    すき

  • 18123/08/08(火) 06:17:15

    >>17

    いつもの神絵師様!?ありがとうございます!!

    ビコーとボーノがどちらも可愛いし、ビコーの目がキラキラしてるのが本当に良い……!!

    最高のイラストありがとうございました!!

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