祖母が亡くなったから祖母からきいた長崎の原爆の話をするよ

  • 1◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 13:44:58

    長崎の原爆は広島ほど語られないから父方のばあちゃんが経験した長崎の原爆の話をする
    書きためてないからめちゃくちゃ話進むの遅いからそこのところよろしくおねがいます
    荒らしは無言で通報してほしいなとおもってます
    協力お願いします

  • 2二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 13:45:24

    しえん

  • 3二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 13:48:28

    あげ

    俺も長崎の事や戦中のことを大正生まれだった祖父さんから聞いて育った

  • 4◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 13:49:15

    ばあちゃんは当時憲兵隊のじいちゃんのところに既に嫁に行っていて、旦那であるじいちゃんは中国に派遣されていたから、ばあちゃんは自分の実家の手伝いに帰っていた
    当時はむし暑くて、上半身は下着だけで昼飯のしたくをしていたらしい
    早いけどもうお昼を食べようかとばあちゃんの母親とばあちゃんが机に座ったところで原爆が投下された

  • 5◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 13:54:06

    >>2

    >>3

    しえんとあげありがとう!

    年配のかたはあまり語ってくれないから語ってくれるかたの話は貴重だよね


    ばあちゃんの実家は家族が兄妹が多かったから食卓もその分でかかったらしい

    原爆投下の衝撃と一緒に床が抜けて食卓の下に潜り込むように、ばあちゃんとばあちゃんの母親は落ちたそうだ


    ばあちゃんの座ってた背後には食器棚があって、背中と首筋に破片がぶっささってたらしいけど、怪我という怪我はそれだけで済んだらしくて骨折とかはなく五体満足だった

    ばあちゃんの母親はばあちゃんが肉壁になったみたいで怪我一つなかったらしい

  • 6◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 13:59:15

    崩れ落ちた家のしたから何とか這い出してみたらまともな形をした家はひとつもなくて、唯一無事だったのは防火水槽くらいだったらしい
    他に生きているひとはいないかと辺りを見回したら、なんとか無事に生きている近所の人もいて、その人たちと協力して防火水槽に布団や着物なんかをぶちこんだ

    ばあちゃんは東京にも住んでいた時期があって、東京大空襲も経験したからその知恵が生きたんだとおもう
    水のはいった防火水槽に布団なんかをいれとけば火が回ってきても燃えないし、後から干せば使えるからという判断だった

  • 7◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 14:03:16

    ひととおりやるべきことは終わったばあちゃんは、崩れた家にずっといるわけにもいかない
    今ならだいたい車で二時間の所に旦那の実家があるからそこまで避難しようと考えたそう
    けどここで問題が一つ出てきた

    自分達のいく先をどうやって旦那であるじいちゃんや他の人たちに伝えるかということだ
    仕方なく崩れ落ちた家の目立つ場所に「旦那の実家にいます」と書いてから目的地にむかって歩きだした

  • 8二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 14:07:00

    >背中と首筋に破片がぶっささってたらしいけど

    普通に大怪我では…つーか東京大空襲の経験が即生きるって過酷と言うか凄いと言うか

  • 9二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 14:08:11

    布団を水にぶち込んだ話は東京のばあちゃんも言ってたな

  • 10◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 14:10:31

    歩いている途中ばあちゃんのお父さんが合流した
    ばあちゃんのお父さんも五体満足だったらしい
    三人で旦那の実家へ荷物も持たず歩きだした
    歩いていると、沢山の豚が焦げて転がってるのをみかけたばあちゃん
    こんなに豚がいたかしら、とおもってみていたら「あまりみるもんじゃない」とお父さんに目をそらされたらしい
    「どうして」ときくと「あれは焼けてぱんぱんに膨れ上がって亡くなっている人間だ」と返された
    その時なぜか怖いな、気持ち悪いな、という感情は全くわかなかったと言っていた
    月日が経ってもその理由はわからないと言っていた

  • 11◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 14:16:20

    二、三日寝ずに歩いたらしい
    道行きに出会った親切な方が、たべるものもない三人をみかねてトマトと胡瓜を出してくれた
    ばあちゃんはトマトと胡瓜どっちも嫌いだった
    お腹がへって仕方なく胡瓜を食べた
    こんな状況でもトマトは食べなかったんだから私は一生トマトは食わないだろう、といつも言っていた

    そしてやっとこさたどり着いた旦那の実家はまあ平和そのものだった
    住人は誰一人長崎市内でそんなことがあったなんて知らなくていつもの生活をしていたらしい
    旦那の実家へ向かうと義理の両親に心底ビックリされたと言っていた

  • 12二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 14:20:05

    イッチのお祖母様の実家と、義実家は爆心地から見てどんな位置関係なんだろ

  • 13二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 14:22:09

    この年齢まで生きてたなら放射能の影響ない程度に距離はあったんだろうな
    だが爆風そんなにすごかったのか

  • 14◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 14:26:18

    しばらく旦那の実家で過ごしていると中国からじいちゃん(旦那)が帰ってきて真っ先にばあちゃんの実家へ向かったらしい
    なにもなくなってしまったばあちゃんの実家をみてビックリしていたけれどすぐに書き置きを見つけて、迎えに来てくれた
    けれど一週間以内に長崎へ入ってしまったからじいちゃんも被爆してしまった
    ばあちゃんのけがは腕の良いお医者さんにみてもらって縫合してくれたけれど、首筋から斜めに入る傷跡が目立っていてよくスカーフを巻いて隠してた

    大変だったのは原爆投下後も続いた
    国の政策で持ってた土地をぜんぶ没収されたり、軍人は教職や政治関係の仕事につけないから、じいちゃんは慣れない船の仕事を始めたけれど、海難事故を起こして今の価値で億単位の借金をしたり
    めちゃくちゃ苦労したらしい

  • 15◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 14:30:00

    >>12

    ばあちゃんの実家は爆弾投下されためちゃくちゃ近くにあって、そこから車で二、三時間のところにじいちゃんの実家があるよ

    当時は車はないから徒歩で二、三日かけて向かったらしい

    >>13

    むしろ投下場所近くの距離に家があったから、台風の目みたいな感じだったのかなって言ってた

  • 16二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 14:30:08

    わしの爺ちゃんも農地改革で土地没収されたわ
    小作人がそれ売って土地成金になった

  • 17二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 14:30:22

    サラッと書いてるけど終戦前後のゴタゴタの中で中国から無事に帰ってこれて良かったなお祖父様

  • 18◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 14:34:54

    >>16

    それはつらいね!

    うちもじいちゃんが戦後、馬でもかってのんびりするための土地を全部とられたって言ってた

    >>17

    中国では上の方からきた悪いひと(当時の憲兵隊からみて)の書類に刑罰を執行するための判子を押す仕事をしてたって聞いた

    だから戦後中国共 産党から「○○(じいちゃん)はどこだ!」って捜索されていたということを、戦後に中国から帰ってきた同僚にきいたらしい

  • 19◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 14:39:38

    8月9日、テレビをみるたびにばあちゃんは悲しそうにしてた
    口癖みたいに戦争はダメだって言ってた
    ばあちゃんの言う、戦争がダメだって理由をたぶん自分は正確に把握して、理解しきれていないけれど、こうやって書き残しておくことで少しでもどこかの誰かの記憶に残り、ふとしたときにでも何かのためになったらいいなと思う
    長文失礼しました
    あとはみんなの家族の戦争体験とか語っていってほしい

  • 20二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 14:41:07

    母方の祖父がニューギニア帰りと聞いた時はマジかとなった

  • 21◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 14:42:01

    東京大空襲のときは中心地から離れていたからすぐ高台に避難して、妹と一緒に飛んでいく戦闘機だか爆撃機だかの数を数えていたらしい
    100くらいかぞえたところで飽きたと言ってた

  • 22◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 14:43:23

    >>20

    よく生きて帰ってきてくださったね

  • 23二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 14:44:34

    >>19

    イッチ乙でした、お祖母様の貴重なお話をありがとう

    うちのばあちゃんも大阪の空襲に遭ったけど、黒焦げの死体があちこちにあるの見ても「もう悲しいとか怖いとか、そんなのじゃないの」と言ってたな…女学校の友達の半数は生きて戦後を迎えられなかったとか

  • 24◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 14:46:32

    自分の兄妹の一人に一人だけ身体的に特徴のある家族がいるんだけど、その兄妹に会うたびにばあちゃん謝ってたな
    「自分が原爆になんかあったから、お前にまで業を背負わせてしまって」と言ってた
    べつにそこまで気にしてないんだからそんなに自分をせめてほしいくないと本人は言ってたけどずーっとばあちゃんは気にしてた

  • 25◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 14:48:10

    >>23

    おつありです

    戦争経験者はみんな似たような事を言うんだね

    たいへんな中でも生きてくださったことに感謝だね

  • 26二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 14:51:58

    長崎の話はあんまり聞くことないから知れてよかった乙

    うちのじいちゃんはギリ大正生まれで英語やりたくて海軍に行った人だったんだけど
    終戦で軍が解散になって仕方ないから炭鉱で金貯めて大学行ったって聞いたわ

  • 27◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 14:54:40

    ばあちゃんの兄妹はみんな戦争でしななかったみたい

    長男→特攻にむかう日に終戦宣言されてかえってきた

    次男→乗ってた船を魚雷がおそう、しかし当時県の5位以内に入るほど泳ぎ達者だったので、泳いで陸に上がり帰還したが、どっかの島に派遣され昼夜逆転生活をしていたせいでしばらく夢遊病患者みたいになってた

    妹→学校にいる生徒で工場で製造の手伝いの途中に原爆投下、おつかいに出ていた祖母妹と同級生一人のこして全員工場で亡くなった

  • 28◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 14:56:37

    >>26

    おつありです!

    炭鉱の仕事も大変だったって軍艦島で炭鉱夫してた家族に聞いたことある

    やりたいことをきっちりと見据えて大学にまで入ってるのすごいな

  • 29二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 15:02:09

    >>27

    凄い強運のご家族だ…とは言え紙一重で生き残って周囲は亡くなるのもそれはそれでしんどいだろうな

  • 30◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 15:03:30

    ちなみにじいちゃんは死に際ばあちゃんの名前を呼ばず全く知らない女性の名前を呼んだらしい
    たぶん中国にいたとき仲良くなった飲食店の女性のなまえだろうってばあちゃんは言ってた

    ばあちゃんとじいちゃんの結婚は小さい時から決まっていたものだったし、「あんなワガママなやつのと結婚なんて出来ない」と結婚前にじいちゃんがキレたこともあったらしいからばあちゃんに愛情はあんまりなかったんだとしても仕方ないかって思う

  • 31◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 15:07:01

    >>29

    めちゃくちゃつらかったと思う

    ばあちゃんの二番目のお兄さんは夢遊病患者になった上に、兄弟同然の親友亡くして後から首吊ってなくなったらしいし


    ばあちゃんの叔父は部下とトラック運転中に原爆投下の暴風で飛ばされて、毬みたいに転げ回ったけど部下は亡くなって自分だけ生きてたみたい

  • 32二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 15:13:31

    家はひいばあさんが経験者だったな
    家の上をよく戦闘機が飛んでたんだよって教えてくれた
    これ以上は聞かなかったし聞けなかった

  • 33◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 15:14:56

    >>32

    自分からはききにくいしきけないよな

  • 34二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 15:16:36

    九州住みだから長崎の話は小学校の時にやったけどやっぱり経験者の話は辛いな
    しかし東京大空襲も原爆も経験して生き延びたの凄いな

  • 35◆scBF8zYZ2fp723/08/09(水) 15:17:59

    >>34

    なんどきいても辛いよね

    本当によく生きてたよね…

  • 36二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 15:26:01

    大叔父が16歳でフィリピン行って帰らぬ人になってしまってから息子を喪った曽祖母は心が壊れて某カルト宗教のめり込んで次男の祖父がすごく苦労したって話は聞いたな
    耐えられないほど辛いことがあると宗教に救いを求めてしまうのもしょうがないのかもしれないけど生き残った家族を厄介事に巻き込むなよと思った

  • 37二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 15:30:23

    ばあちゃんは終戦時低学年で埼玉の疎開先にいたから特に大きなことはなかったらしいんだけど
    赤坂の実家が焼けたとかお姉さんの旦那が3000円で買った渋谷の家が焼けたとか
    ちょっとした小金持ちから一気に困窮したらしい

  • 38二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 15:31:05

    うちの祖母の兄(大叔父)は父を亡くして女ばかりの家庭の唯一の跡取り息子だったんで、召集令状が来た時に母親(曾祖母)が心配して
    知り合いの軍部の偉い人に安全な内地の勤務に回してくれるようこっそり頼みに行こうとした
    だけど当の息子はそれを知って激怒して、自分だけそんな卑怯な真似はできないと母親を止めた
    結局息子は海外に送られて戦死し、碌に遺品も残らなかった
    母親は「あの時あの子を押し切ってでも頼めばよかった」と一生悔やみ続けて亡くなったって祖母に聞いたな

    一枚だけ残った写真見せてもらったけど、優しそうなイケメンだった

  • 39二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 15:43:46

    うちの母方の祖父の話で、昨夜話してた人が次の日に亡くなった。
    銃弾が頭の上を飛び交ってて、隣にいた人が撃たれてそのまま息を引き取った。
    あんな怖いことはなかった。絶対に戦争なんかしちゃならんってことを酒に酔っ払った時はよく言ってたっけ。
    小さいながらにそれが怖くて仕方なかった。
    あと父方の祖父は爆心地から凄く遠い場所にいたけど、はっきりとキノコ雲が見えて恐ろしくて仕方なかったって言ってたな。

  • 40二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 16:03:50

    10年ほど前に死んだうちの曽祖父はシベリア抑留からの帰還兵らしいけどあまり話はしてくれなかったな
    時々家に来られる住職さんには話してたらしいけど
    背中に銃創がある事を話してくれたことぐらいしか覚えてない
    今思うとちゃんとお願いして聞いておけばよかった

  • 41二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 16:07:51

    私の亡くなった祖父が衛生兵?みたいなことをしてて、広島に原爆が落ちた次の日に救護活動に当たったって聞いた その影響で被爆者手帳持ってた
    そこら中に人が倒れてて「兵隊さーんお水ください」って言われたけど、全身やけどしてる人に水をあげるとショック死しちゃうからあげられなかったって
    そのあとぽつりと「でも今思うともう助からなかっただろうし、最期の願いだけは聞いてあげてよかったかもなぁ」って言ってたのをついこの前思い出した 元々口数の多い人ではなかったけど、特別原爆の話はしたがらなかったな

  • 42二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 16:16:58

    うちの家族は誰も徴兵されてない、というのも可能性があったひいじいちゃんが事故で指が無かったからと聞いた
    その代わり一昨年亡くなった婆ちゃん(94)が東京大空襲にあってる、サイレンを聞くと空襲を思い出すとか家の周りが全部燃えたとかよく話してた
    やっぱり婆ちゃんも「戦争なんてろくでもない」とは言ってたけど最期まで思想が強めでアメリカが嫌いだった

  • 43二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 16:27:41

    祖父が長崎出身で兄妹を二人亡くしてるんだが、彼はずば抜けて勉強ができたので兄弟の中で唯一大学に行って
    そのために被爆せずにすんだんだことを「自分だけ助かってしまった」と負い目に感じていたようだった
    9日は毎年登校日で平和学習をしていたので、9日に祖父には会うことはなかったのだが、自分が大学進学後に里帰りで祖父宅に泊まったとき
    仏壇に手を合わせて「苦しかったろう、許してくれ、許してくれ…」って涙を流してるのを目撃して衝撃を受けた
    本人や友人から聞く祖父のエピソードは「長崎訛りを馬鹿にしてきた同級生を投げ飛ばして『オイは間違ったことはしとらん』と絶対に謝らなかった」とか
    「『東京モンに舐められてたまるか』と目玉から血が出るほど勉強して博士号取った」とか豪快なものばかりだったし
    泣くところなど一度も見たことがなかったのだが、祖母曰く「8月9日は毎年こうよ」とのことだった

  • 44二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 16:30:54

    このレスは削除されています

  • 45二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 16:33:39

    2年前に死んだじいちゃんから「死んだらお棺に一緒に入れてくれ」と言われてた中に若い軍人さんの写真があった
    裏に名前と隊の名前?があったから調べてみたらじいちゃんの同期で末期の沖縄に配属されてそのまま行方不明の人だったらしい
    じいちゃんにとって軍は青春時代だったみたいで長いこと同期会もやってたけど
    何十年も経っても写真を持ち続けて一緒に焼いたのは生き残った側としていろいろ思うこともあったんだろうな

  • 46二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 16:34:04

    ごめん44は誤字がひどかったから消しました
    戦争を経験したおばあちゃん数え年で100歳まで生きたけどとても自分はそこまで生きれるとは思えない
    タフすぎる

  • 47二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 17:10:30

    曽祖父がシベリア抑留から帰ってきた人だったな
    子ども好きで地元でも知れた人格者だったらしいけど口シアのことだけは死ぬまで大嫌いだったと父に聞いた

  • 48二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 17:17:59

    戦争体験ってどんな家系でもあるよな
    まぁ日本が当時徴兵やって一億玉砕掲げてたから当たり前っちゃそうなんだが

    自分はばあちゃんと仲悪いしじいちゃんは産まれてすぐ亡くなったからないな…

  • 49二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 17:22:57

    うちの祖父が戦争経験者だけど、「真っすぐ突撃しないで敵のいなさそうなところに突撃するのが生き残りのコツ」って言ってたな

  • 50二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 17:47:50

    イッチ貴重な話ありがとう。東北出身だからか長崎広島より地元の空襲について学習すること多かったから聞けてよかった。
    今は亡き祖父が認知症になって施設に入ったとき度々パニックになって職員さんに取り押さえられる度に「国のために死.ねない」「何をさせる気だ」って言ってたらしく戦争は消せない記憶なんだろうな…

  • 51二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 18:00:33

    このレスは削除されています

  • 52二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 18:04:59

    今も生きてる祖母の話

    祖母の父親(自分から見て曽祖父)は当時日本領だったお隣の国の鉄道のお偉いさんで、祖母もめちゃくちゃお金持ちの家のお嬢さんだった
    けど戦争で負けて財産とかを全て奪われて殺されそうになった、ただ曽祖父は親切で優しい人だったらしく曽祖父に助けてもらった地元の人達が汽車の煙突?に布団とかを敷き詰めてこっそり逃がして貰ったらしい
    布団を敷き詰めたのは高熱だから熱を遮断するためね
    その後は逃げてる日本人の人たちと合流して身を隠しながら何とか船に乗って帰ってきたらしいけど、見つかれば殺されるから泣いてしまった子供とかはその場で殺された
    土を掘る手段も無かったから殺した子供を木に括りつけて、中には子供だけここに残していけないと一緒に死ぬ親もいたらしい
    祖母はまだ幼かったし兄弟も結構いたけど幸い皆賢い子だったから1回も泣かずに家族揃って帰ってこれたって
    日本に帰ってきてからの話は聞いたことないけどなんだかんだ兄弟姉妹全員良いとこ育ちで出来ることも多かったから職には困らなかったみたい

  • 53二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 18:08:05

    俺の父親は戦中生まれだから終戦直後の話とかはよく聞いたな
    飼ってた犬が夕食の焼き肉になったのは今でも心の傷になっているらしい

  • 54二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 18:48:37

    全国で一番満州に移民した人が多かった地域の出身
    毎年講話を聞いたけど、関東軍に見捨てられた後戻ってきた中国の現地の人やロ.シア軍に怯えながら病気の蔓延した電車と船に乗って帰国した様子を聞いて絶対に戦争したくないって思った
    すごく田舎で地区の人皆知り合いって感じのところだったから、凍った子どもを埋めた話をしたあとにこの地区のだいたいの人の家族にはこういう歴史があるんだよって言われたのが一番響いたな…

  • 55二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 18:58:14

    祖父の一番下の弟は原爆で亡くなって遺骨も残らなかったし他にも親兄弟が何人も亡くなった
    本人は中国の戦場じゃない地域にいたから人を殺さずにすんだし鶏のエサを食べて暮らしてたってよく言ってた
    祖母は被爆したけど家族も本人も無事ですぐ疎開したんだけど火傷で手の皮が垂れた人をいっぱい見たって言ってた
    痛い痛いって言ってるけど何もできないから可哀想だったって
    原爆投下時はとにかく真っ白になったんだって
    具体的にどうなったの?って詳しく聞いてもただ全部真っ白になったとしか言わなかった

  • 56二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 19:04:23

    小倉に落ちてたら自分は生まれてなかったと言われたことあるな
    前日の八幡製鉄所空襲の煙がまだ残ってたのもあるという落ちなかった理由も哀しい

  • 57二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 20:34:38

    祖母が疎開した際の苦労話をこの時期によく言ってたっけ
    火垂るの墓程ではないけど畑仕事とは無縁の生活だったからかなり辛かったらしい

  • 58二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 20:41:36

    祖母は愛媛の田舎にいた人で空襲とかはほとんどなかったらしいが
    広島に原爆が落ちた時は瀬戸内海の向こうの空が赤く染まって異様な雲が出ていたと言っていた

  • 59二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 21:07:59

    最近亡くなった祖母は山口県出身なんだけど家から広島の原爆の雲が見えたらしくて、
    母親に「母ちゃん、なば(キノコの方言)が出たよ」って伝えたら「バカタレ、家の中入っとれ!」と叱られたとか

  • 60二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 21:11:32

    父方の祖父が兵隊さんだった
    小学生の頃、戦争の話を聞いてくる宿題で祖父に尋ねたら「本当にろくでもない」「あんなこと早く忘れた方がいい」
    と言われて衝撃だった
    今まで戦争体験を語ってくれた人たちは「忘れないでほしい」という思いで話してくれてたから、忘れた方がいいなんて考えたことなかった
    でもよく考えてみると、辛い思い出なんて何度も振り返りたくないし人に話したくないよな…

    そんな祖父だったから戦争中の話もあんまりなくて、「いつもお腹が空いてて、行軍の訓練中田んぼの畔に植わってる大豆をこっそり取って隠れて食べたらお腹を壊した(祖父だけじゃなくてみんな)」とか「東京大空襲のとき千葉にいたが、空が赤くなってるのがそこからでも見えた」くらいしか覚えてない

  • 61二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 21:15:14

    ワイの大叔父(祖父の兄)はミンダナオで戦死したらしい

  • 62二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 21:47:08

    このレスは削除されています

  • 63二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 02:19:46

    このレスは削除されています

  • 64二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 02:28:44

    ひいじいちゃんが戦車か何かに乗っていた時に爆撃されて隣の人が吹き飛んで即死したって聞いた
    もしちょっとでもズレてたら自分は今ここにいなかったから本当に紙一重で生きてるんだなって思う
    ひいばあちゃんも広島に原爆が落ちる1週間前くらいに山口に帰ってて被爆しなかったらしい

    戦争、原爆、ダメゼッタイ

  • 65二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 02:41:06

    都民だけど少し前に亡くなった祖母から「私が女学生だった頃、五反田で米軍の機銃掃射があったよ。パイロットと目が合うくらいうんと低いところをブーンと飛んで、もう、下は、凄まじいものだよ」と言われたことがある
    なんかこう、ゲームや映画で気軽に戦闘機かっけーつってごめんなって思った。銃口がこっち向いてないから気軽にそんなこと言えるんだよな…。
    おしゃれでハイカラで西洋大好きばあちゃんだったけど、そこに至るまでの人生がいろいろあったんだろうな

  • 66二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 02:44:35

    もう亡くなったけど、祖母の友達にシベリア抑留から生還した人がいた

    その人はすごく明るくて身だしなみもきっちりしてる紳士だったけど、ある日いつもと変わらない調子で「夜寝てたらなぁ、ザー、ザー、って音がするんだ。それを聞くと、『ああ、また明日1人死ぬんだな』って思ってた」って言われた。

    何の音?って聞いたら、「ザーって言うのはシラミが人間から逃げていく音だよ。人間は衰弱すると体温が下がるから、シラミは『あ、この宿主もう死ぬんだな』って思って逃げるんだよ。やっぱりその音がした方に寝てたやつは朝には死んでるんだ」

    って淡々と話してくれた。後で祖母から、そのお爺さんはシベリアで日本兵の死体を焼却する仕事をさせられてたらしいってことを聞かされた。

  • 67二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 03:30:10

    このレスは削除されています

  • 68二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 03:53:06

    自分の曾祖父はどうやら大陸にいたらしい。戦時中の本人については断片的な(ぶっちゃけ怪しい)話しかないので割愛するが、残された数少ない当時の遺品のなかに、同業の友人から貰ったと思われる一枚の年賀葉書と写真がある

    日付はまさに終戦の年。写真に映るのは開業したばかりの病院と、その前で記念撮影する友人たちスタッフの姿。“ようやく一国一城の主となれました”から始まり、筆が乗ってお手伝いの現地の少年まで余すところなく紹介する文面からは、彼の情熱と誇らしげな気持ちが伝わってくるようだ

    彼らはこの後どうなったのか?無事に日本に帰れたのだろうか?意図的に当時の記録を残さなかったフシのある曾祖父がこの手紙だけは手放さなかったことを思うと、自分もどうしてもこれを処分する気にはなれない

    77年前の葉書に残された、今は無き友人の生きた証と大陸の日常風景、そして二人の友情を可能な限り伝えなければいけない気がする

  • 69二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 06:29:14

    田舎で畑持ちの家の気だった祖母
    白い米を弁当にしていると周りにバレないよう表面に麦を敷いていたらしい
    畑の手伝いをしているとしばしば盗人を見つけたが怖くて何も出来なかったと言っていた

  • 70二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 06:34:08

    とにかくアメリカが戦略的に必要の無い民間人大量虐殺をしたということを忘れてはいけない

  • 71二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 06:45:56

    祖父は徴兵されて戦地に向かう途中、港が襲撃され怪我をしたため帰国
    なんとか退院して家で療養するも子どもを戦地で亡くしたご近所さんに色々言われ針のムシロ
    自力で歩ける程度に回復した頃に原爆投下
    爆心地近くに親戚が下宿してたからその人を探しに市内に入ったが結局親戚は見つからず(定義的には一応被爆したことになる)
    戦後に戦争に肯定的だったご近所さん達が一斉に意見を翻して反戦活動やらに参加しだし物凄いショックを受けたそうな
    詳しくは語らなかったけど「俺たちにあそこまで言っておいて自分たちは…」と普段穏やかな祖父が物凄く憤慨していたのが印象に残っている 何言われたんだ……

  • 72二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 10:32:22

    うちの爺ちゃん炊事を担当してたらしくて偉い人にも気に入られて肥えて帰ってきたと聞いた
    捕虜の食事なんかも出すから仲良くなってコインかなにか貰ったりとかしたけど持って帰ってくるわけにもいかないからどこかの島に埋めてきたとかなんとか
    もう亡くなって20年近く経つから曖昧な話だけど

  • 73二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 11:05:53

    >>3だけど、今どきは創作でしか見聞きする事ができない本物の記憶を聞けたのは宝物。


    だからこそ、何も知らない癖に「戦争はいけない!」と口先だけで叫ぶ奴らに違和感しかないのよ

  • 74二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 11:10:02

    うちはあまり戦争体験を話してくれない家だったなあ
    母方の祖母が空襲の時に自転車に乗って逃げようとしたけれどダメだったから姉妹で乗り捨てて川に逃げたって話をコミカルに語ってくれたくらいだ

  • 75二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 12:37:36

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  • 76二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 12:43:38

    祖父が空襲やら疎開のこと話してくれたが幼稚園児に話してもなぁ

  • 77二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 14:55:01

    爺ちゃんは当時今の中学生くらいだったけどゼロ戦のパイロットになろうとしてたらしい
    でも背が低くて試験受けられなかった、だから今お前が居るんだって自分が背が低いのを愚痴った時に言ってた
    あと東日本大震災で被災して停電した家の中でダルマストーブの灯りで一晩過ごした時に婆ちゃんが空襲された時を思い出すねぇとも言ってた
    爺ちゃんも婆ちゃんも空襲で亡くなった遺体をずいぶん見たらしい

  • 78二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 15:12:43

    この世代(いわゆる戦中派)の「戦後は余生」って言葉がむちゃくちゃ重いよね…


    三島 由紀夫 - Yukio Mishima on WWII and Death - Full NHK Interview (1966)


  • 79二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 17:27:32

    友達のおばあちゃんが東京大空襲経験してたの思い出した
    下水管に隠れて生き延びたらしい

  • 80二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 18:18:03

    母方は満州にいたらしくそこまで酷い目にはあってなかったみたいだな
    曾祖父さんが歯医者様だった

  • 81二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 18:27:55

    うちの祖父は戦争時代に生きてるけど誰一人戦地には行かなかったんだよな
    父方の祖父(新潟)は徴兵検査の時点で鼻血出したりとか身体が弱かったらしくて不合格になったから
    母方の祖父(北海道)は予科練で特攻隊の訓練中だったけどそのまま終戦したので運良く無事
    母方の祖母がB-29のコックピットにいるパイロットが見える距離まで接近されたことあったらしいけどよくまあ無事だったなあ…

  • 82二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 21:07:38

    どれも貴重な話だね
    聞けてよかったと思う

  • 83二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 21:16:22

    自分が祖母から聞いた戦争体験って
    弟を背負って農作業してた
    近所にB29が飛んできた
    とうもろこしが砂糖の代わりだった
    くらいなんだよな…
    ただ先祖代々の新潟市民なので原爆落とされてたら生きてなかったんだよなとはよく思ってる

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