【SS】新米モブトレーナーの理想

  • 1◆bEKUwu.vpc23/08/09(水) 21:15:42

    全くもって嘆かわしい。

    ここトレセン学園といえば、ウマ娘だけでなくトレーナーからして見ても最高峰、あこがれを集める学び舎のはずだ。そこにはメジロ家やサトノ家などの名家のお嬢様が集い、日々ターフの上で競い合っている。
     優雅さと気品に満ちた最高の勤務地。
     彼女たちが夢を叶える手伝いをするトレーナーという職業は、まさに誉れの頂点と言って差し支えない。
    自分もそれを夢見てこの仕事についたのだ。
    ウマ娘たちがG1を勝利することを夢見るように、自分もG1トレーナーの称号を得る。
    この格式高い学園で、栄光をつかむのだ。
     ……そのはずが。

     この惨状は一体どうしたのだ。少し視線を上げただけで、「うぇーい」だの何だのと、理解できない奇声と言語でコミュニケーションを取るウマ娘や、姫を目指していると豪語しながら学園の壁を破壊する者、気まぐれで柵を蹴り壊しては補修する者が、視界の端々に映る。
     それだけならまだ良い……いや良くはないが、それらは飽くまでウマ娘と学園の間の話だ。ウマ娘同士でどんな会話をしようが、学園に余計な出費が嵩もうが、それが学園の外に出なければ、別段トレセン学園そのものや所属トレーナーの気高さを傷つけることもないだろう。

  • 2◆bEKUwu.vpc23/08/09(水) 21:16:01

     だが、現状はそれに留まらない。
     食堂で、観覧席で、あるいはターフで。トレーナーと担当ウマ娘同士の会話を耳に挟むごとに、やれ「お前」だの、「アンタ」だのと言った呼び名が聞こえてくる。果ては寮長や生徒副会長の身でありながら「トレ公」や「たわけ」と呼ぶもの、あの“皇帝”と同じシンボリ家に属しながら、担当トレーナーをペット扱いする輩。せめて学園外では取り繕えていれば良いのだが、普段からこれでは、いずれ世間様の耳にも届いてしまうだろう。
     ともかくトレーナーに対して敬意が足らん。
     ……まあ自分も赴任したばかりの新人なのだから、相応の敬意なんて払われる立場じゃないのかもしれないが。

     それに、無駄に距離感が近すぎるのだ。両親への紹介、マスメディアを使って必要以上に親密さをアピールするなど、言語道断。結果、あろうことか担当同士で夫婦となるものまでいる始末。
     我々は教え子と教師に近い関係であり、彼女らが夢を叶えるために尽力するパートナーだ。それ以上でも以下でもあってはならない。ときにぐっと近くで寄り添いたくても、鋼の意思を持って踏み留まるべきなのだ。

  • 3◆bEKUwu.vpc23/08/09(水) 21:16:17

     もし、トレーナーに対して軽口を叩くようなウマ娘がG1を勝利し、それがメディアに悪い形で取り上げられたら? 心無い視聴者によって、そのウマ娘は中傷されるかもしれない。
     「なんだ、あの対応は」、「G1ウマ娘としての品が足りない」などと、こと品格を重視するファンの目の敵にされる可能性だってある。

     トレーナーと言う職業に憧れる少年少女はどう思うだろう。『頑張っても評価されないのでは』『なんだか担当の尻に敷かれていて情けない』と、この業界に不安を覚えるかもしれない。

     確かに我々は裏方だ。だけれども、決して軽視される訳にはいかない。ウマ娘に誰よりも寄り添うべき存在。その卵たちが、トレーナー業に興味をなくしてしまったら?
     それは我々、ひいてはレース業界にとっても良くない状況を作り出すはずだ。

     俺は、レースファンの方々や後輩たちに……そう、節度や風紀を守った、凛々しい姿を見せられるようなトレーナーになりたい。教え子との適切な距離を保ち、周囲には普段から丁寧な姿勢を心がけ、それでいてコンスタントに結果を出す。そうして積み重ねた小さな努力が、トレーナー業の明るい未来へ繋がると信じている。世間への露出の多いこの職業、外聞こそが、ウマ娘の夢や将来の次に重視されるべき要素なのだ。
     まあ、酷くぼんやりした目標なのは自覚しているが、新米トレーナーが掲げる数年後の自画像としてはいい塩梅だろう。重賞を勝つだとか、そういったレースに向けた夢は、いずれ契約するであろう担当ウマ娘に合わせて変わるものなのだし。

  • 4◆bEKUwu.vpc23/08/09(水) 21:16:34

    「トレーナーさん、今日はどうしましょう?」

     トレーニングコース、傍らに立つ彼女はタクティカルワン。我が担当ウマ娘である。
     選抜レースで好成績を残し、天真爛漫に笑いながらオープン勝利の夢を語る彼女が気になって声をかけた。学園のウマ娘にしては控えめな夢を掲げるこの子を、強く後押しできる存在になりたいと、本気でそう思ったのだ。
     ツリ目で挑戦的な子かと思えば、実際に話してみると意外にも礼儀正しい子だったのも好感が持てたポイントだ。

     そして“戦術的”という彼女の名前も気に入っている。一度レースに送り出せば担当がゴール板を越えるまでは見守り、応援するしかないトレーナーだが、彼女の名前は俺たちが共に戦っていることを思い出させてくれる。自分の初の担当ウマ娘は彼女でなければならない。そう思った。
    だが――

    「そうだな。次のレースも中距離だ。変わらずトレーニングを続けるのはもちろん、コースの下見にも行こう。対戦相手の分析はこっちでやっておくから、これは後で情報共有しようか。それと――」

     数ヶ月前に比べてほんの僅かに、瞳の力が陰った彼女が微笑む。

    「そう、ですよね。未勝利戦だからって準備は怠れませんもんね」

     そうなのだ。彼女は依然、未勝利のまま。
     デビュー戦で1番人気の子に8馬身以上の差をつけられて大敗したのを皮切りに、今の今まで惜敗を重ね続けて1着を取ることができていない。
     レースのあとの地下バ道で、涙ぐむ彼女に目線を合わせて励ますことももはや常習化し始めていた。

  • 5◆bEKUwu.vpc23/08/09(水) 21:16:48

    「大丈夫、次こそ取りに行こう」

     はい、分かりました、などと気丈に返事をする彼女。彼女の目の端に諦観が見え始めているのを、見逃すことはできなかった。

     勝利を掴んだウマ娘の後ろで10人以上のウマ娘が敗北を味わうのがこの世界だ。年間のレースの数は当然限られているし、その中でさらに自分の適性にあったもの、そして体に無理のないローテーションで登録することを考えると1着を取る機会は思ったほど多くない。

     事実、年間何人ものウマ娘が夏を迎えるまでもなく夢を諦めて地元へと引き返している。それはどうしようもない現実で、そのウマ娘もトレーナーも悩んだ上での判断なんだろう。
     それを責める権利は他人の自分にはありはしない。

     だけどタクティカルワン、自分のこの担当だけは。
     彼女の目が前を向いている限りは、自分の微力で前を向いてくれる可能性がある限りは、走り続けさせてあげたい。そう思う。

     とにかく、まずは1勝。そこからタクティカルワンの物語が始まるのだから。そのために、自分ができることとは?
     トレーナー室に籠もる以外、夜通し本やレース映像を漁り続ける以外に、まだ何かあるはずだ。何かが――

  • 6◆bEKUwu.vpc23/08/09(水) 21:17:07

     季節は夏を迎え、タイムリミットも近づいていた、あるレース場。

    「大丈夫だよ、タクティカルワン」

    「……」

     地下バ道に立つ彼女は、震えていた。
     無理もない。きっと、これまでの敗北の経験が、彼女を蝕んでいるのだろう。

     『また、駄目かも知れない』

     その恐怖は、きっとトレーナーが感じるものとは比べ物にならないのだろう。
     ……よくもまあ、毎度「大丈夫」だなどと言えたものだ。普段は理想のトレーナー像とやらを語っておきながら、未だ彼女に勝利の一つも与えられていない。無責任にも程がある。頭の中の理性が自分を罵る。
     けれど、今は内なる声に耳を傾けるより、少しでも彼女を勇気づけることに集中しなくては。レース中の彼女の精神を少しでも支えられるような言葉はないだろうか。
    『今回は勝てる』、『秘策がある』、『君が一番』、『信じてる』――。
     浮かんでは消えていく言葉たち。どれも違う気がする。何か、何か言わなくては。彼女を奮い立たせるような、彼女の担当トレーナーとしてふさわしい何かを。
     茹だる頭で固まることほんの数秒、それは突如として起こった。

  • 7◆bEKUwu.vpc23/08/09(水) 21:17:22

    「よぉーし、今日はやるぞォーッ!!!」

    「!?」

     彼女が大声を爆発させた。一体何事かと周囲のウマ娘たちが振り返る。「地下バ道ではお静かに!」と係員の注意も飛んでくる。俺は慌てふためきながら周囲に謝りつつ、担当の肩を掴む。

    「タクティカルワン、どうしたんだ一体!?」

    「いやー、そりゃ気分も上がるってもんですよ!」

     妙に砕けた彼女の言葉。まさか先の自分の声掛けが効いたわけでもあるまい。一体何がそんなに彼女の感情を高ぶらせたのだろうか?
     目を白黒させていると、彼女が意地悪そうに口を釣り上げ、笑った。

    「トレーナーさんも随分悪い子になっちゃったんですねぇ。噂になってますよ? 『未勝利ウマ娘のトレーナーが、同じ未勝利ウマ娘の出走予定を手当たり次第に嗅ぎ回ってる』って。それも同僚や学園の子だけじゃなくて、路地裏でフリーのレースを楽しむウマ娘に絡むだけじゃなくて、記者の人にも頼み込んでたみたいですね。特に有名な女性記者の方にはこっぴどく怒られたとか。記事に書かれなくて幸いでしたね」

  • 8◆bEKUwu.vpc23/08/09(水) 21:18:04

    「……」

     言葉を失う。それは彼女が知るはずもない事だった。
     確かに、俺はこのレースに向けて準備していた。いつも通り、彼女の弱点を補うようなメニューを組んだり、過去のレースを参考にするだけじゃ足りないと思い、人づての噂にすら縋った。
     残り少ない機会、強いライバルが走らず、それでいてタクティカルワンにとって有利な馬場になるレースを、確実に選ぶためだ。
     もちろんライバルたちを陥れるような不正などはしていない。でも、誇りだのなんだのと、高潔さを語っていたトレーナーがこんな裏工作をしていると知ったら、きっと自分の担当は失望するだろう。そう思って隠していたのに。

    「迂闊でしたねぇ。学生同士のネットワークって、意外とスゴいんですよ? まったく、傍から見たら、ちょっとみっともないですよね」

     一息つくと、にやにや笑いを潜めて、やや真剣な面持ちで彼女が問う。

  • 9◆bEKUwu.vpc23/08/09(水) 21:18:17

    「貴方の夢、理想のトレーナー像は諦めちゃったんですか?」

    「……いや、形を変えただけだよ」

    「それは、どんなふうに?」

    「外面や、トレーナーの未来なんて大層なものを気にするんじゃなくて、今の、目の前の担当が笑顔でいること。それを一番喜べるトレーナーになりたい。そう思うようになった。それこそが、きっと後進にも誇れるトレーナーの姿なんだって」

    「そうですか。私の笑顔が見たい、と」

    「ああ」

    「うん、今までで一番、力が湧いてきます」

     柔らかく、しかし闘志に燃える眼。一瞬目を閉じ、踵を返すと、彼女はターフへと向かう。

    「行ってきます、トレーナーさん。私から目、逸らさないでくださいね」

    「ああ、行ってらっしゃい、タクティカルワン。1番の君を、待ってる」



     そうして始まった、たった数分間のレース。

     ハナ差。しかし彼女は確かに先頭を走っていた。

  • 10◆bEKUwu.vpc23/08/09(水) 21:18:37

    「やったぁぁぁ! やりました、トレーナーさん!」

    「ああ、ああ! おかえり!」

     夏の地下バ道に歓喜の声が鳴り響く。
     未勝利戦、芝2000mを走りきった彼女は見事1着をもぎ取った。
     もう夏の終わりまであと数レースもない状態で、なんとか首の皮一枚がつながった、といったところだった。

     最終直線では肝を冷やしたが、その姿を目に焼き付けんと、コースを凝視したままひたすらに彼女の名を叫んだ。掲示板に映し出された彼女の番号が視界に入った瞬間、転げ落ちるようにして、急ぎ地下バ道まで駆けつけたのだ。

    「トレーナーさん!」

    「お、おぅ」

     勢いのまま、汗の滴る体操服姿で抱きつかれる。
     戸惑いを含みながら出た言葉とは裏腹に、迷いもなく彼女を抱きしめる事ができた。

    「私、1着です!」

    「おめでとう、本当に! これでまだまだ、一緒に走り続けられるな」

    「うん、ありがとう、ございます!」

     以前の自分なら距離を取っただろうか? ああ、全く愚かだった。この包容は、彼女と自分の旅路の結晶だ。それはただただ愛おしいだけで、恥ずべき物でもなんでもない。

     自分の頭の片隅で、“同期のようにクラシック、あるいはティアラ路線を走らせてあげたかった”だとか、“有マ記念を走る彼女が見たかったが、もはや”などと邪魔な理性が声を上げるのを感じる。悪い癖だ。しかし、ふと視線を落とした先、胸の前の熱と笑顔が、暗い考え絵をあっという間にかき消した。
     そうだな。彼女の頑張りが今、ようやく実を結んだのだ。涙を浮かべて喜ぶ彼女に、称賛の声以外は似合わない。

  • 11◆bEKUwu.vpc23/08/09(水) 21:18:54

     ひとしきり抱き合った彼女が、少しだけ落ち着きを取り戻した。

    「えへへ……うわぁ、ごめんなさい、トレーナーさん。服、私の汗でびちゃびちゃになっちゃってます」

    「はは、汗臭い」

    「ひどい」

    「でも、これも初勝利の味だな。悪くない」

    「記憶に残すなら、もう少し違うのにしません? ほら、その応援で枯らした喉のむず痒さ、とか。あと、今のセクハラっぽいです」

     彼女を腕の中から開放する頃にはふたりともすっかり汗まみれだったが、お互いの顔を見つめて笑いあった。

     視界の端、笑顔で眺めていた女性記者が、その様子を取り上げた。
     しかし、それは未勝利戦のたった一幕である。記事はひっそりと、特に誰の目にも留まることなく流れていった。
     今は、それでいいのだろう。俺たちのレースはようやく始まった。
     全てはこれから、なのだから。

  • 12◆bEKUwu.vpc23/08/09(水) 21:19:27

    以上になります。
    ここまで読んでいただきありがとうございました。

  • 13二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 21:21:17

    良いですね……これは良い……良いですよ……うん、良い……これは、良い……

  • 14二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 21:31:10

    >>13

    おぉ、こんなに早く……ありがとうございます!

    えへへ

  • 15二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 21:47:28

    いいね…

  • 16◆bEKUwu.vpc23/08/09(水) 22:09:23

    >>15

    ありがとうございます!!

    えへへへ

  • 17二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 22:48:00

    「うん、今までで一番、力が湧いてきます」
    ここ大好き

  • 18◆bEKUwu.vpc23/08/09(水) 23:19:28

    >>17

    ありがとうございます!

    貴方のお陰で私まで元気になれそうです!

  • 19二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 23:34:09

    良い……なかなか勝てなかったからこその絆を感じます

  • 20二次元好きの匿名さん23/08/09(水) 23:34:21

    理想のトレーナー像を変えて担当に寄り添うような理想になってるのすこすこのすこ

  • 21◆bEKUwu.vpc23/08/09(水) 23:46:45

    >>19

    ありがとうございます!

    普段育成で見かけるモブウマ娘だって、彼女たちからすれば主役のはずですもんね

    トレーナーとの絆だって、きっとあるはずですよね


    >>20

    ありがとうございます!

    もう、最初に表現したかった根源のところをお褒めいただいて、もう……ありがとうございます!

  • 22二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 06:13:56

    このレスは削除されています

  • 23二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 09:08:02

    上げさせてもらおう

  • 24二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 12:32:12

    最近モブ系多いな
    世界観ひろがりんぐ

  • 25二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 15:14:30

    真面目一徹の新人が真面目なままに変わってゆく姿、“担当と共に成長する”って感じでYESだね

  • 26◆bEKUwu.vpc23/08/10(木) 20:51:05

    >>23

    >>24

    ありがとうございます!

    モブだってウマ娘世界に必要不可欠な登場人物ですもんね

    関連スレなんてなんぼあってもいいですよね!


    >>25

    ありがとうございます!

    我々の目には映らないけど、育成の裏ではきっと、モブたちも負けないくらいのドラマを繰り広げて成長しているはず

    たまにストーリーで顔を出す「ちょっと嫌な感じのトレーナー」だって、もしかしたら3年を経るころには変わっているかも?

    (例:シチーで一瞬だけ出たトレーナー)

    いやー、妄想が広がりますな!

  • 27二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 22:23:51

    モブの一人一人にもドラマがあるはず
    いいね、とてもいい……

  • 28◆bEKUwu.vpc23/08/11(金) 00:34:34

    >>27

    コメントありがとうございます!

    良いですよね……色々と考察しがいのあるウマ娘の世界観、大好きです

  • 29二次元好きの匿名さん23/08/11(金) 07:38:55

    良い…

  • 30◆bEKUwu.vpc23/08/11(金) 12:19:29

    >>29

    コメントありがうおおおおお!!?

    ありがとうございます!


    やっぱり貴方の1枚絵、良いですねぇ

    SSを書いてるときのテンションの昂りが、もう一度想起されるといいますか


    ああ、思いっきり彼女を抱きしめたい!


    重ねてありがとうございます!

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