【SS・トレウマ注意】そして、アドマイヤベガは

  • 1二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 23:42:16
  • 2二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 23:42:28

     冬の夜は星がよく見える。寒ささえ我慢できるのなら、天体観測には絶好の季節だ。吐いた息が白いことに、冬の実感を覚えながら空を見上げれば、夜の始まりを告げるような暗い青が見える。

    「……もうこんな季節なのね」

     小さく呟く。すっかり寒くなったと思う。トレーニングをするのなら、ウォームアップとクールダウンはより入念にしたほうがいいだろう。そこまで考えて、まだ現役時代の癖が抜けていないことに苦笑した。
     ドリームトロフィーリーグからも引退して、すでに半年ほど経つ。まもなく訪れる次の春には、トレセン学園から卒業だ。ここ数ヶ月はトレーニングもしておらず、せいぜいが肉体を保つための最小限の運動。それなのに、どうにもトレーニングや、レースのことを考えてしまう。

     しかしそれも、きっと徐々に薄れていく。卒業後に待っている新生活に追われ、気がつけば、レースはテレビの向こう側か、柵の先にあるものへと変わっていくだろう。
     それを寂しいとは思わない。私は走りきった、という自覚がある。胸にあるのは充実感、あるいは満足感のような誇らしさで、これからの人生を彩ってくれるに違いない。

     それもこれも、きっと。

    「待たせたかな、アヤベ」
    「……いえ、そんなに」

     両手に温かいココアを持った、この人に――トレーナーに支えてもらいながら、ここまで走ってこれたからだろう。

  • 3二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 23:42:40

     こうして二人で天体観測をするのも、もう何回目だろうか。とある休日にプラネタリウムを共に楽しんだ後に、天体観測を一緒にしよう、という話になったことを覚えている。
     だからか、準備をする姿も手慣れたもので、テキパキと望遠鏡を組み立てていく。

    「すっかり、慣れたものね」
    「何度もやってるからな。……よし、できた」

     組み立て終えて、一息つくトレーナー。白くて細長いその望遠鏡は、初心者向けのものだ。天体観測を数回してから、トレーナーがおすすめのモデルを聞いてきたことを覚えている。
     望遠鏡に少しだけ付いた傷や汚れは、買って持ってきた初日に、組み立てに失敗して落としてしまったときのものだ。あのときは説明書とにらめっこしながらの組み立てだったためか、手元がおろそかになってしまったらしい。

    「今までありがとうな」

     トレーナーはそう言いつつ、望遠鏡を軽く撫でる。前回の天体観測のときに、新しい望遠鏡を買うことにした、と言っていたことを思い出す。より性能の良いものが欲しくなったとか。
     そのため、この望遠鏡を使うのも、今日が最後らしい。

     ちょうど、アドマイヤベガが卒業する前の、最後の天体観測である今日に。

    「――――」

     白く、細長く、初心者向けの望遠鏡。その卒業と、自分の卒業が、少しだけ重なった。

  • 4二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 23:42:50

    「アヤベ? どうかした?」

     少しぼうっとした姿を見せたからか、トレーナーが心配そうにこちらを見ていた。軽く首を振って、感傷を振り払う。

    「いえ、なんでもないわ……始めましょう」

     そう、ただの感傷だ。トレセン学園からの卒業――すなわち、トレーナーとの別れ。それを、初心者向けの望遠鏡と重ねてしまっただけ。これまで長くお世話になった相手との別れを思って、少し感傷的になっただけ。
     それだけだ。

     アドマイヤベガの言葉に、まだ多少心配そうなトレーナー。しかしそれでも、なんでもないという言葉を信じることにしたのか、意識を天体観測へと向けていく。
     二人揃って夜空を見上げる。夜の青が深まって、そこにポツポツと小さな光が見える。これから夜が深まるごとに、その光が増えていくだろう。

    「一番星は見逃しちゃったか」
    「……見たかったの?」
    「まあその……せっかくだし、な」

     少し照れくさそうにしながら、そんなことを言う。普段はそんなことを言わないのに、まるで少しでも長く天体観測していたいかのようだ。そこに思い至って、ふと気づいた。

     ああ、……トレーナーさんも、少し感傷的になっているんだ。私と、同じように。

  • 5二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 23:43:03

    「ねえ、トレーナーさん」

     ふと、そんな呼びかけが口を衝く。そのことに、彼女自身が驚いた。私はなにを、言いたいのだろう。続く言葉は思いつかず、こちらに顔を向けたトレーナーの顔を見る。
     なにを、言いたいのだろう。自分の心に問いかけるも、言いたいことも、聞きたいことも、思いつかない。

    「えっ、と……」

     口の中で言葉を余らせる。それでもやっぱり、言葉は見つからず、

    「……なんでも、ない」

     誤魔化すように、視線を外して夜空を見る。そしてそんな自分に向けて、トレーナーは、

    「そうか……わかった。言いたくなったら、言ってくれ」

     いつものように。これまでずっと、そうしてくれてきたように、私の言葉を待ってくれる。
     いつだって、そうだった。「アドマイヤベガのやりたいこと」を尊重して、それを言葉にするまで待ってくれる。必要なら、そっと手を差し伸べるようにして、促してくれる。この人はそういう人で、ずっと、私のことを支えてくれた人だ。

     でも、今回は、少しだけ違う。だって、言いたいことがあるわけではなくて。聞きたいことが、あるわけでもなくて。
     ただ、自分がなにを言いたいのか、聞きたいのかがわからなくて、言葉にできない。

     私は、この人に、なにを言いたいのだろう。なにを、聞きたいのだろう。わからない。

     そこで、ふと。いつかの日に得た、問いを思い出した。

  • 6二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 23:43:13

     私は、……この人に、トレーナーさんに、恋を、しているのだろうか。

     今でもこの胸の中で、ずっと心にある暖かさは、その熱を主張している。しかし、あの時から今に至るまで、この心に名前をつけられていない。結局、あのときに思った「いつかの日」は未だに訪れず、こうしてまだ「わからない」を繰り返している。
     アドマイヤベガはわからない。もしかすればこの心が「恋」なのかもしれないが、それに確証を持てないままでいる。

    「やっぱり、わからない……」

     小声でつぶやく。口の中で消えるほどに小さいそれは、トレーナーの耳に届かなかったようだ。トレーナーは初心者用の白い望遠鏡を覗き込んで、角度を調整したり、感動したように小さく息を吐いたりしている。

    「アヤベ、いい感じに見えるよ」

     自信がありそうな様子で、トレーナーはアドマイヤベガを手招きする。しっくり来る角度を見つけたようだった。トレーナーと望遠鏡の近くまで移動して、そっと覗き込む。

    「どうかな」
    「……ええ、よく見えるわ」

     使い始めた頃の、ピントがボケてよく見えないようなことも、今となってはもうない。望遠鏡を通してくっきりと、冬の星空が目に映る。もう、初心者なんて言えないわね、なんて思う。

    「教師が良かったからな」

     すぐ近くから、トレーナーの自信有りげな声。望遠鏡から視線を外して、調子に乗らないよう少し釘を刺そうかと顔を上げてみれば、トレーナーがどこか寂しそうな表情を浮かべていることに気がついた。

  • 7二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 23:43:25

    「……どうかしたの?」

     怪訝に思い、問いかけてみる。なにか、変なことでもあっただろうか。
     トレーナーは少しバツが悪そうに、口を開く。

    「その、……こうして一緒に天体観測をするのも、これで最後になるかと思うと、少し」

     そこから先は、言葉にもならず。惜しむように、静かに、小さく、そんなことをつぶやく。

    「……そうね」

     その気持ちは、分かる気がする。契約してからずっと、一緒に走り続けてきた。ずっと寄り添い、支え、導いてくれた。そんな相手との別れが、もう間もなく訪れる。
     同じような気持ちを抱いていることが、なんだか嬉しく感じて。そのことにまた、心にある暖かさが、熱を主張してくる。

     ねえ。ずっとずっと、私のことを支えてくれた、あなた。この胸にあるものを、どう伝えればいいだろう。この感謝を、この心を、この暖かさを。どうやって、どう言葉にすれば、あなたに伝わるのだろう。

     いろいろな言葉が、浮かんでは消えてゆく。ありがとう、楽しかった、嬉しかった。どの言葉も、どの心も、全部全部本当のことなのに。それでも、この人に届けたい言葉にならない。うまく言葉が繰れなくて。伝えたい気持ちはたくさんあるのに、言葉にできなくて。

     私は、この人になんと伝えたいのだろう。わからなくて、もう一度トレーナーを見る。
     そこにあるのは、先ほどと変わらない顔。これまでと変わらない顔。ずっとずっと、一緒に歩んできた人の顔。

     ――そして、もうすぐ別の道を歩み始める、別れる人。

     そこに思い至って、ふと、一つの思いが、自然と言葉になった。

  • 8二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 23:43:35

     ――寂しい。

     別れへの、寂寥。

     もうすぐこの人と私は、別々の道を歩み始める。これまでと違って、簡単に会えなくなる。会おうと思ったら、意識して連絡して、ちゃんと約束をして時間を取って。これまでのように、トレーナー室に行けば会えるような関係性ではなくなるのだ。
     そのことが、寂しい。トレーナーさんとずっと歩んできた数年間。当たり前だった日常が失われてしまうことが、どうしようもなく寂しい。それはきっと、きっと、きっと――?

     別れへの寂しさ。これまでとは違う関係性。そして、

     ――別れたく、ない。

     そんな、ほんの少しの執着が、心にあることに気がついた。それは、あの暖かな心の近くにある。手放したくない。別れたくない。この人ともっと、一緒に歩んでいたい。
     暖かだった心の、熱が増す。強く強く主張するそれは、このまま別れたくないと叫んでいる。

     どうして? 私はどうして、こんなにも別れたくないと思っているのだろう。わからない。

    「アヤベ?」

     様子がおかしいことに気がついたのか、トレーナーはアドマイヤベガに声をかける。その顔は、これまでの数年間でずっと見てきた顔。心配そうで、こちらを気遣っている顔。見慣れていて、これから忘れていくかもしれない、そんな顔。
     心にある寂しさと、別れたくないという思いと、トレーナーの顔が重なる。そして、

     ――ああ、……そう、なのね。

  • 9二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 23:43:45

     ずっと、貰ったものばかり考えていた。この人はずっと、私に多くのものを与えてくれた。だからつい、貰ったもののことばかり考えてしまったけれど。
     でも、違う。違った。
     この人が教えてくれたのは、この人がずっとずっと、教え続けてくれていたのは。

     自分がどうしたいか、自分はなにが欲しいのかを、言葉にして伝えることだった。

     そのことを思い出して、本当に答えるべき問いを、やっと見つけた。私は、この人になにを求めているのだろう。答えなんて、すぐに見つかった。

     もっと、一緒に、いたい。
     一緒に、みなみじゅうじ座を、見に行きたい。

     ついてきてくれるだろうか、じゃない。ついてきて欲しいと、そう思う。
     今の時間を終わらせたくない。続けていたい。もっと、一緒に星を見たい。横にいるあなたの暖かさを、ずっと、感じていたい。

     あなたと、一緒に生きていたい。

     その思いに行き着いたとき、ずっとわからなかった問いに、心に、やっと名前が見つかった。

     ――私、この人のことが好きなのね。

     その心に、「恋」と名前がついた。

  • 10二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 23:43:56

     私は、この人が、好き。
     私は、この人に、恋をしている。
     私は、この人と――

     ――これからも、ずっと、一緒に生きていきたい。

     自覚する言葉を、心に連ねていく。そのたびに、形が確かになっていく。暖かくて、まるで燃えるようで、それでもどこか心地よくて。
     この心を、恋と呼ぶのだと、自然に理解したから。

    「……私、こんなに」

     この人のことが、好きだったのね。

     思わず、笑いが漏れる。こんなにも強く、熱く、恋をしていると主張する心に、どうして今まで気がつけなかったのだろう。自分の鈍感さが、今ならよくわかる。
     オペラオーも、トップロードさんも、ドトウも、あの3人があんな反応をしたのもよくわかる。きっと、傍から見ればわかりやすかったことだろうから。

     この夜が終わったら、ちゃんと報告しよう。あのときの問いに、答えが見つかったのだ、と。

     そして改めて、トレーナーのことを見る。相変わらず、すこし寂しそうで、少しバツが悪そう。相変わらずの、ずっとずっと見てきた人が、そこにいる。
     ずっとずっと、一緒にいたいと思える人が、そこにいる。

     そのことが、嬉しい。だから。

  • 11二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 23:44:06

    「ねえ、トレーナーさん」

     気がつけば、そんなふうに声をかけていた。先程は口ごもってしまった、その言葉。今なら、続けたい言葉がはっきりわかる。

     この恋心を告げたのなら、どんな顔を見せてくれるだろう。
     きっと、最初は驚くのだろう。あるいは、慌てたりするのだろうか。いつかの日のプラネタリウムで、「アヤベが好きだから」なんて言った直後の慌てようのように。

    「アヤベ? どうかした?」

     こちらに視線を向けて、言葉を待つトレーナーの姿を見る。いつものように、こちらの言葉を待ってくれている。今までだって、そうしてくれたように。
     だから、この恋心を伝えることに、怖さなんてまったくない。

     どういう反応を返してくれるだろう。どういう表情を見せてくれるだろう。
     応えてくれるだろうか。断られてしまうだろうか。

     ああ、どんなものでもいい。伝えないなんて選べない。
     だってこんなにも、この恋心が熱いから。たとえ断られたって、何度だって伝えたいと思えるから。

     いつの日か、みなみじゅうじ座を、あなたと一緒に見に行きたいと願うから。

     だから。

    「私、あなたのことが――」

     そして、アドマイヤベガは、笑顔とともに、その恋心を言葉にした。

  • 12二次元好きの匿名さん23/08/10(木) 23:44:16

    以上、おしまい。
    クソ熱いのに冬の話を投下するSS書きがいるらしいですよ。俺です。
    そんなわけで、今更ではありますが、1に書いたSSの続編というか後編でした。

    アヤベさんの恋心自覚シチュ、こういうのが個人的にはしっくり来ます。
    「この星明かりをしるべにして」のトレーナーとのやり取りが好きなので、そこを参考にしました。

    告白の結果は、お好きに解釈どうぞ。
    個人的には一度断られて、ガン攻めアヤベさんが誕生するルートとか美味しいと思ってます。

  • 13二次元好きの匿名さん23/08/11(金) 11:14:36

    一度だけあげ

  • 14二次元好きの匿名さん23/08/11(金) 11:43:16

    前作も何度も読み返すくらい好きな作品だったので続きが読めて嬉しい……
    良いお話でした

  • 15二次元好きの匿名さん23/08/11(金) 12:37:12

    前作から好きだったものの続編嬉しい
    恋心自覚するまでの描写丁寧で凄い…ドキドキした

  • 16二次元好きの匿名さん23/08/11(金) 14:57:15

    素敵でした

  • 17二次元好きの匿名さん23/08/11(金) 15:53:00

    素敵だ
    これしか思いつかないんだ

  • 18二次元好きの匿名さん23/08/11(金) 16:05:39

    前作も大変良かったです アヤベさんもついに自覚を…先の展開が楽しみですね

  • 19二次元好きの匿名さん23/08/11(金) 16:07:13

    おお…ってなった
    募らせて溜めて溜めてスッと納得するみたいに自覚するのいいな
    前作に引き続いていいSSだ

  • 20二次元好きの匿名さん23/08/11(金) 17:37:42

    感想ありがとうございます!嬉しい……嬉しい……。


    >>14

    前作に引き続き、ありがとうございます!

    何度も読み返していただけたとは、作者として感無量です。


    >>15

    長らくお待たせしてしまいました、ありがとうございます!

    自覚描写は丁寧に書いたので、お褒めいただけて嬉しいです。


    >>16

    前作に続き、今作でもイラストありがとうございます!

    自覚する瞬間、言葉になる瞬間、その一瞬のためにこのSSを書いたので、イラスト化いただけてとても嬉しいです!

    アヤベさんは脚。


    >>17

    その一言が嬉しいです!

    感想していただけて、次も書いてみようと思えます。


    >>18

    前作も読んでいただき、ありがとうございます!

    自覚したアヤベさんは強いと勝手に思っており、断られてもカレンちゃんがドン引きするレベルでガン攻めするんだろうなあ、とか思ってます。


    >>19

    前作に続き、今作もありがとうございます!

    前作から今作の前半まで溜めたので、自覚の瞬間を評価いただけて嬉しいです。

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