トレーナーさま、わたくしとのチュウがイヤみたいなのです……

  • 1◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:28:48

    ~Trainer's View~

     成り行きで始まった、ブライトとの交際。お付き合いを始めてからというものの、報告やらで色々とバタバタしていたけれど。
     そんな慌ただしい日々が過ぎてからはのんびりと、前よりも彼女との距離が近づきつつあると思う。
     今は交際開始から大体3ヶ月が経った時期で。もはや日常と言っても差し支えなくなってきた、週1でのお茶会の真っ最中だ。

    「トレーナーさま〜。チュウ、してくださいな?」
    「っ?! けほっ!? けほっ!」

     いや、今日のお茶会は日常じゃなかったのかもしれない。あまりにも唐突に。たおやかな笑みを崩さないままブライトが告げてくる。

    「大丈夫ですか? トレーナーさま……」
    「ご、ごめん。いきなりだったから、びっくりしちゃって」

     ……いわゆる俺たちの恋人としての進展具合はハグまでである。
     別にこの部分ものんびりしているから、という訳ではなく。意図的に進まないようにしていた。
     理由は単純に、彼女がまだトレセン学園に所属しているから。
     もうほとんど成人年齢とは言え、ハグより先は学園を卒業してから、というのが俺の意向なんだけれど……。

    「えっと、どうしたの? そういう雰囲気ではなかったと思うんだけども」

  • 2◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:29:03

     彼女がキスをせがむ直前まで、いつもと変わらない、和やかなお茶会だったはず。
     アンティークが好きな彼女らしく、ケーキスタンドにお気に入りのティーカップを用意して。というのが、彼女とのいつものお茶会。
     だから今日だけ特別気合が入ってるとか、そういう訳じゃないのは確かだと思う。
     だとすると今日までに彼女の心境に変化があったのだろうけど……。

    「わたくしとトレーナーさまがお付き合いを始めて、そろそろ3ヶ月が経つでしょう〜? ですから、トレーナーさまからチュウしていただいても良い時期なのではないかと思いまして」

     時期的な話をすると一ヶ月くらいが付き合い始めてからキスをするまでの平均的な期間らしいし、一般的なカップル基準で考えるとそろそろキスしていたって不思議じゃない。
     ただ俺たちは一般的、とはちょっと言いづらいし。どのタイミングで関係を進めていくか、というのはかなり繊細な問題だ。

    「むぅ……」

     ……付き合い始める前から知っていたけど、彼女はスキンシップが好きな類の子だ。
     人目さえなければ腕を組むのは当たり前。ふたりきりの時はそれこそ頻繁にハグを要求してくる。
     そんなブライトからしてみれば行動で愛情を示したい、示して欲しいというのが自然な考え方なのだろう。
     俺としても彼女から抱き着かれたら愛おしくて堪らないし、そのまま抱きしめてしまうのも単純に俺がそうしたいから……。
     いや、ダメだ。どこかでブレーキはかけないといけないんだから。感情に流されず、線引きはハッキリとさせておこう。

    「ごめんけどそういうのは卒業してから、ね?」
    「そう、ですわよね……ダメ、ですわよね……」

     あ、まずい。この流れは前も経験した気がする。

  • 3◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:29:16

    「な、泣かないで!? ブライトとキスするのがイヤとかそういうのじゃないから!」
    「ええ、分かっておりますわ〜……」

     泣くまではいかず、なんとか踏み止まってはいるものの正直涙目だ。まさか断られるとは思っていなかったのだろう。

    「そうですわよね〜……お付き合いを始めて、まだ3ヶ月ですものね……トレーナーさまはわたくしのこと、チュウしてくださるほど好きではありませんわよね……」
    「そうじゃないから! ブライトのことはちゃんと好きだから!」

     ああ〜、そういうことだったのか……。彼女の中では3ヶ月ほど経てば、きっと俺もキスしたいくらい自分の事を好きになっているだろうと。
     そう思っていたからこそこのタイミングだったのかもしれない。
     その推察は何も間違ってはいない。間違ってるとすればキスしたくなるのに1ヶ月もいらない、というだけで。

    「…………ぐすっ」
    「わ、わっ!? ほ、ほっぺとかおでこじゃダメかな!?」

     俺はどうすればよかったのかな!?

  • 4◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:29:30

    「お前が悪い」
    「まだ何も言ってない!」

     トレセン学園生徒たちは夏休みといえど、当然俺たちトレーナーは仕事がある。
     ばったり遭遇したメジロドーベルのトレーナーと近場のファミレスで昼ごはんを食べに行こうという話になり、ついでにブライトとの近況を相談させてもらおうと思っていたんだけども……。

    「はぁ……なんだ? 今度は何をして泣かせたんだ?」

     相談が、と言った瞬間に俺が悪いことにされた。いや、全く悪くないかと言われたら返答に困るけど。

    「それが……」
    「いや待てよ本当に泣かせたのかよ。それならお前が悪い」
    「だからまだ何も言ってないって!?」

     実際涙目にはなっちゃってたから否定しづらいけど! 取り付く島もなさ過ぎる!

    「……今度は何をやったんだ?」
    「いや、何もやらなかったというか……」
    「はい?」

     俺が何かをやらかす前提なのは気になる。とはいえこの手の相談は信頼できる人物にしか出来ない。
     彼に断られると非常に困るのでここはスルーしておこう。
     手短に、ことのあらましを伝え終えると流石の彼も難しい顔をし始めた。

    「なるほどねぇ……キスをせがまれて断った、か」
    「気持ちとしてはしてあげたくもあるけど。流石にトレセン学園に所属してるうちは何かしら線引きしておかないといけないだろうし」
    「まあ、それはそうだなぁ……」

  • 5◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:29:42

     正直トレーナーと担当ウマ娘で手を繋いで歩いてても仲がいい、で済まされるような世の中ではある。
     だけどそれはそれとして何かしらの線引きはしておいた方がいいに決まってる。
     ただキスを断ってブライトが悲しんでしまった以上、俺の線引きが正しいのかには自信がない。

    「正直お付き合いを始めてる時点でどうなんだとは思うけどな」
    「それを言われたら何も言えないなぁ……」
    「まあまあ。悪いこと、とまでは思ってないぞ。お前、流されやすいから将来的に悪い女に騙されそうだったし」
    「そんなに流されやすそうかなぁ……」
    「いや、いないだろ。流れで仮トレーナーになっちゃってそのまま担当契約したやつなんてなかなか」

     そう言われると反論しづらい。彼はチームを運営してるチーフトレーナーの元で経験を積んでから独り立ちする予定だったみたいで。
     俺と比べたら相当しっかりしてる。紆余曲折あってそのままメジロドーベルの担当になったみたいだけど。
     対する俺の方はと言えば。何故か選抜レースまで面倒を見ることになって。
     そのまま選抜レース後も流れで担当をすることになって。スカウトらしいスカウトすらしていない。

    (……あれ? そういえばブライトとお付き合いを始めることになったのも……)

     ブライトから告白されて。自分も気があるのは確かだったし、それを受け入れる形で交際がスタートした。
     決断したのは俺自身の意思だけど、流されていると言われれば否定はできない。

    「なんだ? 難しい顔して」
    「いや、そういえばブライトと付き合うことになったのも俺からじゃなかったな、って」
    「そりゃそこはお前からいったらちょっと問題だろ。向こうからならともかく、お前から行くのは卒業まで待ってあげろよ、ってなるわ」

     そもそも俺は彼から指摘されるまでは自分の気持ちにも気づいてなかったし。
     どう転んでもブライトから告白を受ける、という形になっていたのかもしれない。少し考え過ぎなのかな……。

  • 6◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:29:55

    「とりあえず話を戻すか。お前としては卒業まではダメ、なのは間違ってないか?」
    「そうだね……卒業までは待ってもらいたいかな」
    「それはそれとしてブライトの気持ちも分かる、って感じか。彼女、スキンシップは好きみたいだし」
    「そうなんだよねぇ……線引きが必要とは言え、どこまで許容してあげればいいんだろう……」

     ブライトの気持ちを取るか、己の倫理観を取るか。世間的に正しいのは後者だと思う。
     だからこそ、間違った選択を取ったとは思わないんだけど……。

    「あのさ。ちなみに聞くけど君だったらキスはセーフ?」

     思わないけど。一応他の人の見解も聞いておきたい。自分がお堅いだけなのかどうなのか。

    「アウトだな、一応。でもバレなきゃいいと思う」
    「割とそこは緩いんだね?」
    「溢れてるとまでは言わないけど、トレーナーとその担当ウマ娘が結婚した話なんて普通に聞くからな。その全員が担当ウマ娘が現役の間は交際してませんでした、とは思わないだろ。というか思ってなかっただろお前も?」

     「もちろん所構わずいちゃついてバレバレなのはダメだと思うけどな」と付け足して。
     確かにトレーナーと元担当ウマ娘の夫婦、というのは普通にいる。
     なんなら元担当ウマ娘の方がG1レースなどで勝っていて有名だったらニュースにもなるし。
     そうなればもしかして現役の頃から付き合ってたのかな、という噂話だって当然出てくる訳で。
     本当にそうだったかどうかは別として、それに対して悪い感情を抱いたことは別にない。
     要はオンとオフをきっちり切り替えていれば周りは意外と気にしない、というのが彼の意見だ。
     その辺は大丈夫だ。学園ではきっちりトレーナーと担当ウマ娘の距離感は保てているはずだし、距離が近いのは休日の時くらいだ。
     付き合い始めたからと言ってトレーニングなどで変わったことは特にない。

  • 7◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:30:09

    「……いいのかな、このままで」
    「俺からいっそのことキスしちゃえば? とかは言えないけど。でもそれでギクシャクするのも違くないか? とは思うぞ」
    「ギクシャクってほど深刻でもないよ、流石に」
    「ふ~ん。まあ最終的にはお前が決めることだし。あんまり深刻じゃないなら俺からはもう何も言えないな」
    「いや、他の人からの意見が聞けて助かったよ。ありがとう」

     彼に相談してみて気持ちは少し軽くなった。線引きをするのが悪いわけじゃないけど、気にし過ぎだったのは確かかもしれない。

    「で、お前はいつ食べ終えるの?」
    「へ? あ!?」

     ブライトとの事で頭がいっぱいで。完全に食事をする手が止まっていた。
     相談を受けていた彼の方は合間合間にしっかり食べていたようだけど。

    「全く……ブライトに似てきたんじゃないの?」
    「いや、俺はあそこまでのんびりしてない!」
    「いいけど早く食べないと置いて帰るぞー」

     少し冷めてしまった料理を急いで掻き込む。いや、似てきてるわけではないと思うけどなぁ……。

  • 8◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:30:21

    ~Bright's View~

    「ドーベル〜……トレーナーさまはどうやらわたくしのことが好きではないみたいですわ〜……」

     トレーナーさまとのお茶会から数日経って。結局あの日はおでこにはしてくださいましたが、口へのチュウは断られてしまいました。

    「いや、何をどうしたらそう思うのさ……」

     今日のお茶会はドーベルからのお誘いですけれども。
     なんだかトレーナーさまとお付き合いを始めてからというものの、ドーベルから誘われる機会が増えたような気がします。
     それはそれとして、良い機会なので先日の出来事を相談させてもらいます。

    「トレーナーさま、わたくしとのチュウがイヤみたいなのです……」
    「チュ!? え、そ、そこまで進んでたの?」
    「ほわ? いいえ〜、まだしておりませんわ〜?」
    「あっ、そ、そうなんだ……」

     ドーベルが熱心に読んでいた漫画では3回目のデートだから、という理由でチュウをしていたので。
     もしかしたら、トレーナーさまもそろそろ意識してくださっているのではと思ったのですけれど……。
     あら? そういえばチュウをした理由は3ヶ月ではなく3回目のデートだから、でしたわね。わたくしとしたことがうっかりしておりました。

    「えっと……理由は聞いたの? その……キスするのが嫌な理由」
    「わたくしがまだトレセン学園所属だから、だそうですわ〜……」
    「それはブライトのトレーナーが言うことが正しいんじゃないのかな……」

     そうなのです。トレーナーさまのおっしゃることはよく分かります。
     正式にお付き合いを始めているとしても、あまり羽目を外しすぎないように、どこかで線引きをするべきだということは。
     分かっては、いるのです。いるのですけど……。

  • 9◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:30:33

    「ですけれど〜……わたくし、卒業までは待てませんわ〜……」
    「ま、待てないの? いっつものんびりしてるのに」

     チュウはまだですけれど、ふたりきりになると「おいで」と抱き締めてくださって。
     力強く、ではなく。ふんわりと包み込んでくださる温もりに、胸がぽかぽかして。
     でも、それがどこかもどかしくて。抱き締められた後に感じる、陽に当てられたような熱がいつまでも残ってしまって。
     きっとその熱を、胸の内から吐き出したくて。トレーナーさまとチュウをしたいと、強く想ってしまうのでしょう。

    「……ブライトもそういう顔するんだね」

     そういう顔、とはどういう顔なのでしょう?

    「ほわぁ?」
    「ううん、なんでもないよ。でもそっか……キスしてもらえる可能性があるとしたら、トレーナーの方からしたくなるように仕向けてみるとか?」
    「そのようなことが出来るのですか〜?」
    「し、知らないけど。でも全くしたくない、って訳じゃないんじゃない?」
    「具体的には、どのようにするべきなのでしょう〜……ドーベルは、詳しいですわよね?」
    「あ、アタシは男の人が苦手だし、どうすればキスしたくなるとかよく分かんないんだけど……」
    「ドーベルのよく読んでいる漫画では、チュウをしているページがあるでしょう?」
    「それは漫画だし! 実際の男の人とは全然違うというか……! あんまり参考にならないと思う……」

     そうでしょうか? わたくしのトレーナーさまも、ドーベルのトレーナーさまも。
     漫画に出てくる殿方のように素敵だとは思うのですけれど。それとも漫画よりもも〜っと素敵、という意味でしょうか?

    「けれど、何も参考がないよりもきっと役に立ちますわ〜」
    「漫画の話だからね? あんまり真に受けないでよ?」
    「ええ。あくまで参考までに。お願いしますわ〜」
    「……やっぱりヒロインの子に対して可愛いとか。そんな風に思った時が多い……と、思う……」

  • 10◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:30:46

     漫画での出来事を反芻するように。熟考した後に出された答えは自信がなさそうでしたけれど。なるほど、可愛いと思った時、ですか。

    「でもブライトはアタシと違って普段から可愛いし、あんまり参考にならないかも……」
    「ドーベルも普段から愛らしいですわ?」
    「そういうのは今はいいから!」
    「うふふっ♪ まあまあ〜。そんなに謙遜しなくても、きっとドーベルのトレーナーさまだってそう思っているに違いありませんわ〜♪」
    「アタシの話はいいの! 今はブライトの話でしょ!?」

     まあ。ドーベルが愛らしいのは本当なのですが。恥ずかしがり屋さんですから、あまりこの話は続けない方がいいでしょう。
     それよりもドーベルの言う通り、わたくしが今後どうするべきか、ですわね。トレーナーさまに可愛いと思っていただく……。

    「トレーナーさまは、わたくしのことを可愛いと思っているのでしょうか……」
    「いや、そこは疑う余地がなくない?」
    「けれどあまり可愛いとは言われたことがありませんのよ〜?」
    「……確かにあんまりそういうこと言うタイプには見えないかも。恥ずかしいんじゃないの? 直接言うのは」

     そうなのでしょうか……。そうだといいのですけれど……。

    「う~ん……キスしてもらえるかは別として、とりあえず可愛い、って言ってもらえるように頑張る?」
    「ええ、そうしてみますわ。ドーベル、協力していただいてもよろしくて?」
    「ここまで乗りかかった船だもんね……流石に断れないよ」

     ちょっぴり困ったような笑顔なものの、頼られるのはまんざらでもないみたいで。わたくしとしても、ドーベルに協力してもらえるのはとても助かります。

    「デートの予定とか近かったりしないの?」
    「そうですわね〜……次のトレーナーさまのお休みに、メジロの別荘へお連れしようかと」
    「……ねぇ、アタシが協力する必要あるの?」
    「はい♪ と~っても、心強いですわ♪」

     だって、とっても愛らしいドーベルですもの。きっと、素敵な方法を思いついてくれるに違いありませんわ♪

  • 11◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:30:57

     日は流れ。ようやくトレーナーさまも纏まったお休みが取れたようで。
     メジロが所有している、数ある別荘のひとつへと招いています。
     お誘いした時には「トレーナーと担当ウマ娘がふたりきりで一つ屋根の下過ごすのは……」と渋い顔をされていたのですが。
     別荘には日頃管理をしてくださっている使用人の方々も常駐しているので、ふたりきりになる訳ではない事が後押しになったようで。無事お誘いする事が出来ました。

    「さあトレーナーさま、荷物はこちらへ」
    「あ、ああ、うん。ありがと。……それにしても凄いな、メジロ家」

     こちらには今日を合わせて3日ほど滞在する予定なのですが、どうやらトレーナーさまは別荘地というものに不慣れなようで。そわそわと落ち着きがなさそうです。

    「あまりこういった場所には来られませんか~?」
    「そりゃあ。お嬢様だな~、とは常々思ってるけど。こうしてスケールの違いを目の当たりにするとどうにも落ち着かないね」
    「ふふっ♪ では、わたくしがエスコート、しなくてはなりませんわね♪」
    「うん、お願いできるかな。この辺りには何があるの?」
    「そうですわね~。坂道を下っていけば海の近くに出られますし。近くにはひまわり畑もありますわ。それから~────」

     温泉もございまして~、と続けようとしたところ。グ~、という低い音が間に挟まり。照れくさそうに、トレーナーさまがお腹をさすられて。

    「……その前に、お昼ご飯が食べたいかな?」
    「ふふふ♪ ええ。昼食をいただきながら、今日の行先を決めましょうか~」

     なにせ3日間こちらに滞在するのですから。それにトレーナーさまの折角のお休みですし。しっかりリフレッシュしていただきたいですもの。

    (そして、叶う事なら……)

     いいえ、叶う事なら、ではございません。そうしていただく為に頑張ると。ドーベルにも相談に乗っていただいたのですから。

  • 12◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:31:07

     昼食を食べ終えて。まずは海の近くに出てみることに。
     ドーベルの持っているものとは少し違いますけれど、つばの広い帽子を被っているおかげで、鋭い日差しもいくらか和らいでいるみたいです。それに、海の方から吹いてくる潮風も心地良くて。

    「合宿以外で来る海は久し振りだな〜」
    「あら? トレーナーさまは合宿以外では海には来られないのですか?」
    「一人で行っても寂しいだけだしね。ドライブとかの趣味もないし」
    「お友達なら、ドーベルのトレーナーさまがおられるでしょう?」
    「いやいや、流石に男二人で海に行っても楽しくないよ」

     そうでしょうか〜? おふたりは仲良しさんみたいなので、きっと楽しく過ごされるとは思うのですけど。

    「そういうブライトは合宿以外でも海には行くの?」
    「はい〜。プライベートビーチのある別荘がありますので。毎年というわけではございませんが」
    「こ、ここ以外にも別荘があるんだね……いやまあ、そうだよね……」
    「いずれはお招きしますわ?」
    「え!? あ、そういう流れ!? 毎年色んな別荘にお邪魔する感じなのかな!?」
    「いくつか別荘はあるので、数年は別の場所でも大丈夫ですけれど。何十年もの間、全て別の別荘をご用意することは出来ませんわ?」
    「いや、色んな別荘に行きたいわけじゃないから大丈夫だよ!?」

     あら、そうでしたか。わたくしとしたことが、早とちりをしてしまいましたわ。
     しばらくの間、のんびり散歩をしていると砂浜に出られる場所に。折角ですから、もっと近くで海を感じようと波打ち際を並んで歩きます。

  • 13◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:31:17

    「こうして砂浜を歩いているとなんだか……」
    「恋人みたい、でしょうか~?」
    「あっ、うん。よくわかったね?」
    「はい~。わたくしも、おんなじことを考えておりましたので~」

     目的もなく、ただふたりで歩いているだけなのに合宿の時や、メジロ家の皆さまと来る海とは全然違って。
     潮の匂いと、ざあっと立てる波の音。それに、隣にいるトレーナーさまの息遣い。この世界に、わたくしたちふたりしかいない錯覚に陥ってしまいます。

    「そういえば今日のブライトはいつもと雰囲気が違うね」
    「それでしたら。きっと今着ている服は、ドーベルが選んでくれたものだから、ですわ」

     ドーベルが選んでくれたベージュのシャツワンピース。髪型もドーベルがお姉さまから贈ってもらったワンピースを着ている時のように、ハーフアップにしてみて。『普段と印象を変えれば何か言ってくれるんじゃない?』とドーベルの言っていた通り、トレーナーさまの反応は好印象です。

    「あ、ああ〜! なるほど!」
    「それで、トレーナーさま? 感想などはありますでしょうか?」
    「そうだね……いつもはふわふわとした印象で可愛らしいけど、今日は楚々とした感じで綺麗だよ」
    「綺麗、ですか〜……」

     褒めていただけて喜ばしいと思うと共に。可愛いではなく、綺麗という感想に、どこかむず痒さを覚えてしまいます。

    「お気に召さなかったかな……?」
    「その、トレーナーさまに可愛いと言っていただきたくて。それで普段と印象を変えたくて、ドーベルに服を選んでいただいたのですけれど」

     けれど確かに。ドーベルの服のセンスはアルダンさまやマックイーンさまと似ておりますし。可愛らしいと言うよりも、綺麗と言ったほうが相応しいのかもしれません。
     ……そうですか〜。今日は綺麗で普段は……あら?

  • 14◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:31:29

    「トレーナーさま? 普段のわたくしは、トレーナーさまの目には可愛らしく映っているのですか?」
    「俺には勿体ないくらい可愛いな〜、とは常日頃思ってるけど」
    「ほわ……」

     トレーナーさまに可愛いと言っていただく。その目的は果たされました。けれど予想をしていた方向とは違っていて。

    「……普段からも〜っと、口にしてくださると嬉しいですわ?」

     夏の日差しよりも、ほかほかと胸の内が熱くなってしまって。少しだけ、帽子のつばを下ろします。
     視線を合わせるのが恥ずかしいだなんて、トレーナーさまとお付き合いを始めるまでは知りませんでしたわ〜……。

    「そういうところだよ、ブライトの可愛いところ」
    「今じゃありませんわ〜……」
    「ごめん、これからは普段から口にするよう心掛けるよ」

     楽し気なトレーナーさまとは違って、わたくしは恥ずかしくて仕方ありません。口にされていなかっただけで、普段から……わたくしのこと……。

    「ブライト? 足元気をつけて?」
    「ほわっ?」

     トレーナーさまが声を掛けてくださるも、帽子を目深に下ろしたままで、足元が上手く見えません。気付けばぬめりけを帯びた何かを踏んでしまいました。
     気をつけて欲しかったのはきっとこれ……海藻のことだったのでしょう。そのまま足を滑らせてしまい──。

  • 15◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:31:39

    「ブライト!?」

     恐らく支えたかったであろうトレーナーさまと共に、バシャン、と飛沫を立てて海の中へ。

    「あちゃ~……」
    「ふふっ、ふたりともびしょ濡れ、ですわね♪」

     火照ってしまった肌に、海水は心地良くて。熱くて仕方なかった胸の内を、ちょうど良く下げてくれました。
     それにトレーナーさまもびしょ濡れなのがどこかおかしくて。先程可愛いと言ってくださったトレーナーさまとは違って、むしろ今は、トレーナーさま自身が可愛らしいかもしれません。

    「ごめん、折角ドーベルに選んでもらった服なのに……」
    「いいえ〜。お気になさらず」

     トレーナーさまは申し訳なさそうな顔をされておりますけれど。ドーベルに選んでもらった目的は果たされたので。

    「トレーナーさまに可愛いとも、綺麗とも言っていただけましたから♪」

     数日前までの不安は、波と共に流されていきました。

  • 16◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:31:50

     楽しい時間というのはあっという間に過ぎるもので。一日目はあの後服を着替える為別荘に戻って。
     ふたり揃ってびしょ濡れになった姿に、使用人の方々に少し心配をかけてしまいましたけれど。
     夕食の後には温泉に浸かりに行って。夜風に当たりながら行く帰り道は、澄んだ星空が、キラキラと眩くて。
     本日は日中ひまわり畑に行って。一面広がるひまわりも素敵でしたけれど、トレーナーさまに『笑った顔がひまわりみたいだと思って』と言っていただけたのが、とても嬉しくて。
     きっとトレーナーさまに向けているものだから、そう映ったのだと思います。ひまわりは、日に向かって咲くものですから。
     こちらに来る前日にドーベルに相談していた通り、可愛いとも言っていただけましたから。キスまでは、していただけませんでしたけれど。
     でも良いのです。わたくしのペースだけではなく、トレーナーさまのペースにだって、合わせたいのですから。
     「可愛い」と言っていただけるようになっただけでも、今は十分なのです。

    「トレーナーさま。此度の休暇は、よい気分転換になったでしょうか~?」
    「そこまで考えてくれてたの?」
    「はい~。いつも忙しそうにしておられましたので。ここでなら、お仕事のことは忘れて、ゆるりと過ごしていただけるのではないかと」
    「……そうだね。うん、リフレッシュ出来て、明日からまた頑張れそうだよ」

     夜のテラスでふたり、レモンティーを口にしながら。カランと響く氷の音が、グラスの中身が少ないことを告げているようで。

    「あのさ、なんだか向こうに戻ったら中々言い出せそうにないから、今のうちに言っておこうと思うんだけど」
    「はい〜、なんでしょう〜?」
    「これからはもっと、ブライトのことを恋人として見ようと思う」

  • 17◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:32:16

     それはつまり、どういうことなのでしょう?

    「そういえば俺ってブライトとの事に関しては受け身なことが多かったと思ってさ。それだけじゃ、やっぱりダメだよね」
    「いいえ〜。のんびりさんなわたくしの為に、ゆるりとした歩調で合わせてくださっていること。わたくしは知っておりますわ」
    「……そう言ってくれると助かるけどね。でも実際に『可愛い』とか。しっかり言ってあげられてなかったみたいだし。だから、俺が君にしたいことも。ちゃんと出来たらな、って」

     わたくしが悩んでいたように。トレーナーさまも、わたくしとの距離はどこまで縮めていいのか悩まれていたようで。
     わたくしが求めていた距離はきっと、近すぎる距離。トレーナーさまが求めていた距離はきっと、少しだけ遠い距離。
     ふたりで歩むペースとしては相応しくなかったのかもしれません。

    「では、今度はわたくしが。トレーナーさまのペースに合わせなくては、ですわね〜」
    「う〜ん、そこまではしてもらわなくてもいいかな……?」
    「でしたら、わたくしたちのペースを探すというのはどうでしょう〜?」
    「……そうだね、それがいい」

     だからこそ、ふたりで歩くのに心地いいペースを。ふたりで探して、ふたりで合わせて。そうしていつしか、ふたりの歩調が馴染んでいくのでしょう。
     気付けばお互いのグラスは空になっていて。どちらともなく室内に戻ろうと、席を立とうとした時。

    「ごめん、中に戻る前に。一個だけ言い忘れてたことがあった」
    「ほわぁ?」

  • 18◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:32:29

     不意に掛けられた声に横を向くと──。

    「──────」

     見慣れない距離にある、間近に見えるトレーナーさまの端整なお顔。思考が止まり呆けていると、いつの間にか離れていて。

    「この事は、内緒にしておいてね?」

     頬を赤らめて、とっても恥ずかしそうに。しっー、と人差し指を口に当て。今したことはふたりだけの秘密だと。
     恥ずかしさを紛らわすようにそのまま室内へと戻っていきました。

    「ほぁ……」

     今したことは、ふたりだけの秘密。今、わたくし、トレーナーさまに……。

    「ほわっ……」

     唇に、ほのかに残るレモンの味は。夜気でも冷めない熱を宿して。

    「わたくし、本当に~……」

     もう一度、触れて欲しいと。指先だけで無意識に、その輪郭をなぞっていました。

  • 19◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:32:43

    みたいな話が読みたいので誰か書いてください。

  • 20二次元好きの匿名さん23/08/14(月) 12:33:07

    18レスに渡ったお話を我々に書けと!?

  • 21二次元好きの匿名さん23/08/14(月) 12:33:08

    うげえっ

  • 22◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 12:33:34
  • 23二次元好きの匿名さん23/08/14(月) 12:33:56

    お前が終わらせた物語だろうが!!

  • 24二次元好きの匿名さん23/08/14(月) 12:48:31

    知ってると思うけど18レスで完結したスレは伸びないんだ

  • 25二次元好きの匿名さん23/08/14(月) 13:12:52

    レモンティーに砂糖ドバドバ入れるんじゃないよ!!!

  • 26二次元好きの匿名さん23/08/14(月) 13:15:44

    ここまで繊細な描写をしておいて更に要求するのか…欲しがりさんめ

    あ、ブライト(とベルちゃん)がとても可愛らしくて素敵なSSでした

  • 27二次元好きの匿名さん23/08/14(月) 13:22:31

    ドーベルとベルトレの前作主人公感好き

  • 28◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 22:45:18

    おでけけ前にフラっと投下するもんじゃないですね……
    反応その他諸々がな~んにも出来ない

    アルダンは口づけ、ドーベルはキス、ブライトはチュウでしょニュアンス的にという思考に囚われた結果パワーシチュエーションに頼らないようにせねばという前作時点での考えは吹っ飛びました
    書きたかったので仕方ない
    いや、分かりません?口づけとキスとチュウには大きな違いがあるの

    とりあえず私が書くとちょっと乙女プラグイン作動させ過ぎじゃない?ってくらいにモリモリ森鴎外しちゃうのは反省点
    あと最後の地の文が5→7→7→8→7→5→7→7→5→7で最後8になっちゃってるところ
    絶対ここ7音だったなぁ……と妥協したので渋に上げたものはそのうち直します

    ここまで読んでいただきありがとうございました。

  • 29◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 22:45:57
  • 30◆y6O8WzjYAE23/08/14(月) 22:47:21

    >>27

    このふたりこの世界線では別にくっついてないんですけどね

    付き合ったその後にドーベルが興味津々なのもその影響です

  • 31二次元好きの匿名さん23/08/14(月) 22:51:11

    >>24

    他に18レスで完結したスレが有るかのような言い方はやめるんだ

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