あれは草原の蒼い鷲の歌と言って

  • 1二次元好きの匿名さん21/12/18(土) 07:51:31

    あの歌を唱している女の子はカチューシャなんだ。
    彼女の歌声が恋人に届きますように。

  • 2二次元好きの匿名さん21/12/18(土) 08:06:02

    ロシア民謡を代表する「カチューシャ」は1938年に作曲されたんだ。

    元々ソ連のジャズオーケストラ芸術監督だったブランテルがソ連式ジャズを目指して作られたものなんだ。
    ブランテルは作詞家イサコフスキーの歌詞に注目し、秋のジャズ公演に間に合わせるよう早急に完成させるよう依頼し、イサコフスキーは後半の歌詞をわずか3日で完成させたそうなんだ。
    初公演は女性ジャズ・シンガーのバティシチェヴァによって歌われ、ブランテルのの予想通り大成功を収めたんだ。
    当初「カチューシャ」はジャズの歌だったんだが、しばらくするうちに女性民謡歌手ルスラーノヴァによって民謡式にアレンジされイメージしやすい民謡版「カチューシャ」が広まることになったんだ。

  • 3二次元好きの匿名さん21/12/18(土) 08:17:47

    カチューシャの歌詞は女の子が国境で軍務に励んでいる恋人に愛の歌を歌ってる姿をかもしているが、当時の世相はスペイン内戦、ノモンハン事件、ナチスとの緊張感で暗い影があったんだ、言ってみれば先に紹介した「ポーリュシカ・ポーレ」と同じく時代背景を色濃く反映しているんだ。
    イサコフスキーも当時を振り返り「いつ戦争が起きてもおかしくない中で、祖国防衛は歌の重要なテーマだったんだ。いずれの曲もこれを避けて通ることはできなかった」と述べている。
    30年代のソ連を取り巻く背景を想像しながら歌を聞くのも面白いかもしれない。

  • 4二次元好きの匿名さん21/12/18(土) 08:33:04

    「カチューシャ」は数々の替歌や諸外国でアレンジされていったんだ。
    大祖国戦争のさいは、ロケット砲が「カチューシャ」のあだ名で呼ばれたことから「カチューシャ」部隊を歌った替歌がたくさん作られたんだ。
    これ以外にも数々の歌が歌われたことにより「カチューシャ」はこの戦争の代名詞になったんだ。

    半世紀が過ぎた今でも「カチューシャ」は歌い手を変えて生き続けていて、戦争のテーマでありロシア人への親しみを込めた歌であり、純愛の歌であり、女性への愛を歌った様々な思いが込められているんだ。

  • 5二次元好きの匿名さん21/12/18(土) 08:40:23

    ちなみにこの掲示板の大半の人がこの歌に触れたのは多分「ガールズuntパンツァー」だろう
    雪上を疾走するプラウダ学園の流れるテーマとしてインパクトは強く以降も学園テーマ曲として固定されている

    あと「カチューシャが歌のカチューシャを採用したのは自分の名前と一緒だからで中身が愛の歌なんて知らないんじゃないの?」という意見があるが上で触れたとおり「カチューシャ」は時に闘争の曲でもあるから気にしないほうが良いんだ

  • 6二次元好きの匿名さん21/12/18(土) 09:06:20

    正式名BM-13通称「カチューシャ」は大祖国戦争で赤軍を代表する兵器だが、開発当初はこれほどの活躍をするとは思われてはなかったんだ。
    それどころか砲兵将校たちからは「カチューシャ」の正式採用に猛反発があったんだ。
    「一発必中の精神を信条とする赤軍砲兵において、こんな数撃ちゃ当たるような物なんかいらんぞ!」
    これは後の砲兵の重鎮ヴォロノフ元帥の言葉なんだ

  • 7二次元好きの匿名さん21/12/18(土) 09:51:35

    BM-13の重要な部分な発射用のレールで、土台は何でもよくトラック以外にも軽戦車やトラクターなどが用いられたんだ。
    弾頭のRS-132またはRS-82は元々空対空ロケット弾として採用されていて、初実戦はノモンハン事件だったんだ。
    ちなみに資料では戦果を収めたと言われているが、正直に無誘導のロケットが航空機に当たるとは思えないから眉唾の話かもしれない。

    砲兵将校からは批判されていたが、スターリンは1941年6月21日に正式採用、大量生産命令が出されたのは戦争が始まる数時間前だったそうだ。

  • 8二次元好きの匿名さん21/12/18(土) 10:33:44

    「カチューシャ」が最初に実戦投入されたのは、7月14日オルシャのこと、このときオルシャはドイツ軍の手中にあって、物資の集中と多数の部隊がここに集まっていたんだ。
    カチューシャ部隊の指揮官はイワン・フレロフ大尉
    冬戦争で武勲を上げた男なんだ。
    そして「カチューシャ」の斉射により、ドイツ軍は文字通り消し飛んだんだ。
    ドイツ軍参謀本部のハルダーは「ロシア軍が未知の兵器を使用した!」と戦慄したんだ。
    ここにソ連勝利の鍵の一つ「カチューシャ」が産声を上げたんだ

  • 9二次元好きの匿名さん21/12/18(土) 10:41:51

    >>8

    フレロフ大尉は、その後もカチューシャ部隊を指揮してスモレンスクで奮戦するんだが、10月頃にドイツ軍に包囲されてしまったんだ。


    このとき秘密兵器だったカチューシャをドイツに鹵獲されないために部隊の「カチューシャ」を徹底的に破使用どころか研究すらできないほどに破壊して、フレロフ大尉を含めた部隊の全員が玉砕したんだ。

    死後祖国英雄勲章を授与されさらにソ連崩壊後、ロシア英雄称号を授与されたんだ。

  • 10二次元好きの匿名さん21/12/18(土) 11:14:16

    「カチューシャ」は面制圧に最適な兵器だったが、一方で精密な目標を攻撃するには向いていないことや敵の攻撃に対しての脆弱さが短所として知られていたんだ。
    そこで赤軍は奇襲用兵器として使用したんだ。敵にとって予想外のタイミングからあらわれて、広範囲に破壊をもたらし、そして一回斉射したらすぐさま「カチューシャ」部隊は転進し行く手をくらます。
    いわば「一撃離脱」が部隊の運用方法だったんだ。

  • 11二次元好きの匿名さん21/12/18(土) 14:12:56

    ソ連は「カチューシャ」を運用する際は極めて細心の注意を払っていたんだ。

    彼らは親衛迫撃砲部隊の通称で知られていて、司令部直属の運用をされ敵に行動をさとられないよう秘密部隊として扱われたんだ。ちなみに給料は通常部隊の2倍で待遇も良かったそうだ。

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