20世紀の色々な馬を紹介

  • 1二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 15:41:31

    『長年活躍した馬』
    『独特の人気を集めた馬』
    『地味に実績がやばい馬』
    『珍しい記録を残した馬』
    『一瞬だけ覚醒した馬』
    『強い印象を残した馬』
    などを紹介

    まだウマ娘化してない競走馬を選出(昭和多め)
    年齢は旧表記(現表記2歳→旧表記3歳)

  • 2二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 15:45:28

    「1」ホワイトストーン 90年世代 32戦4勝 主な勝ち鞍 アメリカJCC・産経大阪杯・セントライト記念

    芦毛馬。デビューからそれなりの成績を残しつつも4歳春まではそこまで目立つ存在ではなかったが、ダービーで人気薄ながら3着に好走し注目を浴びる。秋にはセントライト記念で優勝し、菊花賞ではメジロマックイーンの2着。更にJCにも参戦すると日本馬最先着の4着と好走し、年末の有馬記念では1番人気に推される。しかしここではオグリキャップの奇跡の優勝の前に3着敗戦。このあたりから善戦馬として目立つようになる。

    年明け5歳の産経大阪杯ではダイユウサクを下し優勝するが春天では6着。宝塚記念も4着に敗れ、その後の秋も不振に終わる。6歳時は故障もあり特に好走もなく6戦未勝利。そして迎えた7歳初戦のアメリカJCCでは、レガシーワールド・レオダーバン・シャコーグレイドなどの後輩の強豪が集い、ホワイトストーンは6番人気の低評価で出走。しかしレースでは意表をついた逃げに出るとこれがはまり、レガシーワールド以下を2馬身半差で完封する見事な逃げ切り勝ち。1年10ヶ月ぶりの復活優勝を果たす。その後は7戦して未勝利に終わり、8歳7月のレースを最後に引退した。

    ナイスネイチャと並び90年代前半を代表する名脇役。G1勝利こそなかったが人気は並のG1馬以上のものがあり、アメリカJCCでの復活優勝の際の歓声はG1と遜色ない大きさだった。また28戦連続重賞出走は当時の最多記録だった。


    (動画は復活優勝を果たした93年アメリカJCC)

    1993 AJC杯(GII) ホワイトストーン


  • 3二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 15:47:59

    オグリキャップとトウカイテイオーの有馬に両方出てたのが地味に凄い

  • 4二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 15:49:13

    白石くんすこ

  • 5二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 15:54:12

    「2」コウタロー 63年世代 66戦15勝 主な勝ち鞍 阪神3歳S・阪神大賞典・愛知杯

    阪神3歳Sでコウライオーを下し優勝。その後は大レースでは勝てなかったものの第一線で長く走り続け、7歳末に引退するまでヒカルポーラ・メイズイ・ヤマトキヨウダイ・コレヒデなど当代の強豪達と何度も激闘を繰り広げた名脇役。
    昭和のヒット曲「走れコウタロー」のモデルと思われていたが実は全く関係ないらしい。しかし通算成績が示す通り数多く走った馬(4歳時23戦、6歳時18戦)であり、曲とは関係なくても「走れコウタロー」と応援されていた馬だったかもしれない。
    (画像・動画なし)

  • 6二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 16:14:11

    「3」イナボレス 72年世代 76戦8勝 主な勝ち鞍 オールカマー・目黒記念・愛知杯×2

    「走る労働者」の異名で知られる馬。オーナーが政治家でありその資金の為に数多く走らされていた説もある。実際5歳時に優勝したオールカマーで獲得した優勝賞金は選挙資金としてかなり役立ったらしい。8歳にして過去最多の18戦を走らされたのはさすがに気の毒だという声も多かった。それでも引退後は誘導馬としてなお長く活躍するなど、異次元の頑丈ぶりを見せていた。誘導馬引退後の消息が不明なのが残念。
    中央競馬重賞出走51戦は今もなお最多記録である。
    (画像・動画なし)

  • 7二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 16:33:37

    「4」イチフジイサミ 73年世代 41戦7勝 主な勝ち鞍 春天・オールカマー・日本短波賞


    数々の不運に屈せず大輪の華を咲かせた名馬。デビュー後は10戦して未勝利だったが、初勝利を挙げた後は好成績を続けクラシックへ。しかし皐月賞は怪物ハイセイコーの4着に完敗し、ダービーではハイセイコーに先着するも最後の直線でタケホープから不利を受け同馬の2着と勝てず。秋の菊花賞でもタケホープ・ハイセイコーから離された3着に完敗した。

    その後はしばらく不振が続くが4歳秋にはオールカマーを勝つなど復調し秋天へ。しかしここでも直線でカミノテシオから不利を受けて同馬の2着に敗れる不運に遭う。このまま大レースには無縁で終わるかと思われたが諦めず、6歳の春天で後輩の二冠馬キタノカチドキを下し優勝。悲願の大レース制覇を果たした。この年の秋に引退。引退後は種牡馬になり、様々なゴタゴタに見舞われながらも23歳まで生きた。

    この世代はハイセイコーとその宿敵タケホープの両頭があまりに有名だが、この二大巨頭とダービー・菊花賞で激闘した第三の馬イチフジイサミもまた、この世代を代表する名馬だった。


    (動画は優勝した75年春天)

    1975年天皇賞春 イチフジイサミが2冠馬キタノカチドキとの接戦制す


  • 8二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 16:36:49

    ウイポ10でお世話になるイチフジイサミ

  • 9二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 16:41:39

    「5」ダイナフェアリー 86年世代・牝 

    20戦6勝 主な勝ち鞍 オールカマー・新潟記念・エプソムC・牝馬東京タイムズ杯・京成杯


    中距離以下のG3で優れた成績を残した名牝。デビューから優秀な成績を続け、4歳春の京成杯ではダイナコスモス・ニッポーテイオーを相手に完勝。その後はやや好不調の波がありながらも秋には東京牝馬タイムズ杯で古馬を下し優勝。5歳以降は成績が安定し、オールカマーなどG3で3勝2着を挙げる。5歳末のマイルCS5着を最後に引退。引退後は繁殖牝馬となり15頭の産駒を残し、ローゼンカバリーなどの強豪を輩出するなど活躍。2015年に老衰の為逝去。32歳という大往生だった。

    同期同冠に名牝ダイナアクトレスがおり、その兼ね合いもあって大レースにはあまり出れなかったが非常に能力の高い牝馬だった。成績も非常に安定しており特にG3では5勝2着5回3着1回と抜群に安定していた。またダイナアクトレスと同じく繁殖牝馬としても活躍した。ダイナアクトレスや同期の牝馬三冠メジロラモーヌの影に隠れているが、ダイナフェアリーも同世代を代表する名牝の一頭。


    (動画はラストランの1987年マイルCS(5着)。鞍上の武豊はこれがG1初入着)

    1987年 マイルチャンピオンシップ(GⅠ) | ニッポーテイオー | JRA公式


  • 10二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 16:52:04

    「6」マイネルブリッジ 95年世代 40戦6勝 主な勝ち鞍 NHK杯(当時G2)・福島記念・七夕賞


    G2として最後のNHK杯での優勝、武豊に初めて福島重賞制覇をもたらしたした七夕賞優勝などあるが、このマイネルブリッジを有名にさせたのは96年有馬記念での激走。


    96年有馬記念は牡牝ともに史上最高と呼ばれるメンバーが揃っていた。

    (牡馬サクラローレル・マヤノトップガン・マーベラスサンデー・ジェニュイン・タイキフォーチュン等。

    (牝馬ダンスパートナー・ヒシアマゾン・ファビラスラフイン・ホクトベガ等)

    このメンバーの中で、G1実績が乏しいうえ近走不振のマイネルブリッジは至極当然の最下位人気に。

    ところがいざレースでは4、5番手の好位で進めると、直線では内に進路をとって、有力馬の多くが馬場に苦しむ中で先頭争いに参戦。

    結果勝ったサクラローレルには引き離されたものの2着のマーベラスサンデーとは半馬身差の3着と大健闘。4着以下は4馬身以上引き離していた。

    有馬記念で最下位人気の馬が3着以内に入ったのは史上初(後にアドマイヤモナークが最下位人気で2着)。


    引退後は種牡馬にならず乗馬して繋養され、24歳で逝去するまで静かな余生を送った。

    96年有馬記念以外でのG1は全て掲示板外であり、一世一代の激走だった。


    1996年 有馬記念(GⅠ) | サクラローレル | JRA公式


  • 11二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 16:59:02

    「7」メジロボアール 86年世代 24戦4勝 主な勝ち鞍 阪神大賞典


    デビュー戦では同期ニッポーテイオーに2秒以上引き離されての敗北。5戦目に初勝利を挙げた後もアサヒエンペラー・ダイナガリバー・レジェンドテイオーなど錚々たる同期と対戦した為連敗が続く。それでも4歳夏から地味に成績を残し、菊花賞への出走が叶う。しかしここでは同冠のメジロデュレンが優勝する遥か後方で10着大敗と、結局クラシックでは結果を残せず。それでも最後の秋開催となった阪神大賞典ではマチカネイワシミズ・リワードウィングなどの強豪を抑え重賞初制覇を果たす。すると何故か年末有馬記念へ出走することになる。


    この86年有馬記念は出走馬12頭と小頭数ながら面子は異様に濃かった。

    (主な出走馬はミホシンザン・メジロラモーヌ・ギャロップダイナ・ダイナガリバー・サクラユタカオー・クシロキング・スズパレード・フレッシュボイスなど)

    重賞1勝のみのメジロボアールはメンバー中当然最下位人気で出走。レースでは最後方からレースを進め、直線では混戦状態となった一団を最内からごぼう抜き。ダイナガリバー・ギャロップダイナ・ミホシンザンに次ぐ4着に食い込み、メジロラモーヌ(9着)には先着した。

    翌年以降は4戦して未勝利。そのまま引退した。


    有馬記念では菊花賞を制したメジロデュレンが牝馬三冠メジロラモーヌとの兼ね合いで出走回避したのにも関わらず何故かメジロボアールは出走していた。その理由は不明。

    1986年 有馬記念(GⅠ) | ダイナガリバー | JRA公式


  • 12二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 17:39:16

    「8」チェスナットバレー 84年世代 39戦7勝 主な勝ち鞍 日経賞


    デビュー戦から好走は続くものの中々勝てず、4歳初戦に12戦目にして初勝利。続くレースも勝ったがその後またしばらく好走止まりの連敗が続く。5歳になってからは夏までに6戦4勝と勝てるようになり、秋には秋天5着など重賞でも好走が続く。そして6歳春の日経賞で初重賞制覇を果たす。その後も重賞で活躍するが、秋のアルゼンチン共和国杯で故障し競走中止、そのまま引退した。


    昭和末期のズブい馬の代表的存在で、敗れた32戦の成績は2着8回3着12回4着5回5着3回と好走ばかりだった。また名騎手中島啓之は85年6月に亡くなるまでチェスナットバレーの主戦を務めていた。


    動画はシンボリルドルフの4着に敗れた85年日経賞

    1985年 日経賞(GⅡ) | シンボリルドルフ | JRA公式


  • 13二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 17:45:15

    「9」ショウフウミドリ 69年世代 35戦12勝 主な勝ち鞍 宝塚記念


    デビュー戦は8着と大敗したがその後は勝利と好走を続ける。6歳までは全て条件戦以下で走り、24戦7勝2着6回3着6回と安定した成績を残す。

    7歳になってからは条件戦を3連勝し、マイラーズCに重賞初挑戦。ここでは6着に跳ね返されるが次戦の条件戦を勝つと、陣営は次戦に宝塚記念を選択。これは宝塚当日の天候が雨になることを想定し、悪馬場に強いショウフウミドリにチャンスがあると読んでの出走だった。そしてその読みは的中し、雨の不良馬場で開催された宝塚記念でショウフウミドリはメジロアサマ・ベルワイドの両天皇賞馬など格上の相手を激戦の末下して優勝。大舞台で重賞初制覇を果たした。その後は2戦を走り、この年限りで引退。


    準オープン馬でありながら宝塚記念を勝った馬。一世一代の機会をものにしたのも見事ながら、条件戦とはいえ長い間好走を続けていた点も評価出来る馬。

    第13回 宝塚記念 ショウフウミドリ 牡6 55 松本善登 1972.6.4  出走馬:タイヨウコトブキ、シンシティ、キームスビィミー、ベルワイド、メジロアサマ、ヤマニンホマレ


  • 14二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 17:50:04

    「10」キームスビィミー 69年世代 20戦10勝 主な勝ち鞍 京都記念・ハリウッドターフクラブ賞(現京都大賞典)


    デビューは4歳夏。勝ったものの脚部不安に悩まされ次戦は5歳春になるなどクラシックとは無縁。6歳になると脚部も安定しコンスタントにレースに出走。条件戦から順調に勝ち星を重ねると秋には京都記念で優勝し重賞初制覇。6歳まで14戦9勝着外なしという好成績を残す。7歳初戦の大阪杯で初めて着外に敗れたが、本番の春天では盾の栄光をかけて1番人気ベルワイドと直線で激闘。惜しくも半馬身差で敗れる。その後秋のハリウッドターフクラブ賞(現京都大賞典)で勝つが本番の秋天ではまたしても4着に敗れ、このレースを最後に引退。

    敗れたものの、72年春天でのベルワイドとのマッチレースともいえる激闘は昭和の天皇賞の中でも屈指の名勝負と語り継がれている。

    第65回 天皇賞(春) ベルワイド 牡4 58 加賀武見 1972.5.7 出走馬:キームスビィミー、アカネテンリュウ、トウショウピット、シュンサクリュウ、サクラハード、ヒデチカラ他


  • 15二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 18:41:22

    知らん馬ばっかりや…すごい

  • 16二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 19:11:44

    「11」スルガスンプジョウ 74年世代 12戦6勝 主な勝ち鞍 クモハタ記念・セントライト記念・日本短波賞


    馬名の由来はどう考えても「駿河駿府城」。ただの珍名馬ではなく重賞を3勝するなど実力もあり、入着を逃したのも直線で大きな不利があったダービーだけだった。また、共に1番人気ながら3着に敗れたダービー卿CT・日本経済賞では大きな波乱が起きたことでも知られている。


    動画は6着に敗れたダービー

    第41回 東京優駿(日本ダービー) コーネルランサー 牡3 57 中島啓之 1974.5.26  出走馬:インターグッド、キタノカチドキ、スリーヨーク、エクセルラナー、スルガスンプジョ


  • 17二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 19:21:06

    「12」イナリトウザイ 74年世代・牝・アラブ馬 中央12戦7勝 地方7戦6勝 

    別名「アラブの魔女」。アラブ限定戦を圧倒的な強さで3連勝(うち2度レコード・合計着差25馬身以上)し、サラブレッドオープンクラスのレースでもレコード含む3連勝。その後もクイーンCで2着などサラブレッドに劣らぬ活躍を続けた後、4歳夏から地方に移籍(当時は地方のほうがアラブ馬のレベルが高い為)。移籍後は無敵状態でアラブダービーを含む4連勝。迎えたアラブ王冠賞は彼女の強さに白旗を挙げたのか回避馬が続出し競走取り止めという異例の事態にまでなった。代わりに出走した大井の東京盃ではサラブレッド相手にレコード勝ちで優勝した。しかしその後厩務員が急病に倒れるアクシデントがあり、その影響により全日本アラブ大賞典では5着に敗戦(アラブ馬限定レース唯一の敗戦)。その後1戦1勝して引退。繁殖牝馬として多くの優秀なアラブ馬を輩出した。
    アラブ馬唯一の顕彰馬であるセイユウと並び、イナリトウザイは史上最強のアラブ馬の一頭に数えられている。

  • 18二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 19:27:47

    「13」オースミロッチ 90年世代 30戦8勝 主な勝ち鞍 京都大賞典・京都記念


    6歳までに挙げた8勝は全て京都が舞台であり、同舞台で負けたレースも菊花賞(10着)以外の4戦は2着2回3着2回とまさに「京都の鬼」だった。

    しかし7歳になると京都でも凡走を重ねるようになり、限界を感じさせる中で阪神が舞台の宝塚記念に出走。

    メジロマックイーン・メジロパーマー・ニシノフラワーなどの錚々たるG1馬達が人気を集める中、近走不振のオースミロッチは11頭中10番人気の低評価に甘んじる。


    しかしレースでは、スタート直後から雨の影響でかなり荒れている内のコースに敢えて進路をとるという奇襲戦法を敢行。他馬が荒れの少ない外側のコースを走る中ただ一頭内コースをとったオースミロッチは最後まで垂れることなく、直線では押し切りを図るメジロマックイーンと死闘。最後はメジロマックイーンの力に屈し後方から追い込んできたイクノディクタスにも差され3着に敗れた。

    しかしこの奇襲は強烈な印象を残し、後に似たような戦法をとる馬が出てきた際は「オースミロッチの再来」と呼ばれる程になった。宝塚記念後は京都大賞典の3着に入るなどやはり京都で活躍し、この年限りで引退した。


    動画は奇襲を敢行した93年宝塚記念

    1993年 宝塚記念(GⅠ) | メジロマックイーン | JRA公式


  • 19二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 19:35:40

    「14」カシマウイング 86年世代 41戦8勝 主な勝ち鞍 アルゼンチン共和国杯・アメリカJCC・京都記念


    5歳10月まで30戦して5勝を挙げていたが2着14回と勝ちきれないレースが多く長らく条件戦に甘んじる。それでも地道に活躍していた成果か11月のアルゼンチン共和国杯で重賞初制覇。年末の有馬記念にも出走すると6着と健闘し、更に年明けアメリカJCC・京都記念を連勝と一気に覚醒。春天の有力候補に名乗りあげる。しかし春天直前に脚部不安を発症し無念の離脱。秋に復帰するものの復帰戦直後に今度は骨折。1年以上の休養を余儀なくされる。

    もう限界と思われたが、7歳末の有馬記念で復帰すると翌年の重賞で好走を繰り返すなど調子を上げ、8歳にして悲願の春天出走。12番人気の低評価だったが大本命のスーパークリーク・イナリワンに真っ向勝負を挑み。直線半ばまで先頭争いを演じた。最後は両馬に2馬身差で敗れたが3着と好結果を残し、このレースを最後に引退した。

    覚醒直後に故障に泣かされたこと、同時期に長距離の怪物が揃っていたことなどあり大レースには恵まれなかった。それでも最後の春天での健闘ぶりには大きな賛辞が送られた。カシマウイングの主戦騎手は的場均であり、彼と長距離戦で多くの経験をしたことが後のライスシャワーの活躍にも影響していく。


    動画は3着に健闘した90年春天。

    1990年 天皇賞(春)(GⅠ) | スーパークリーク | JRA公式


  • 20二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 19:43:33

    「15」ランドヒリュウ 85年世代 22戦7勝 主な勝ち鞍 高松宮杯・日経新春杯・京都4歳特別


    デビューから4歳春まで京都4歳特別を含む4勝を挙げ、ダービーでも4着と好走する。しかしその後相次ぐ故障に見舞われ、2年以上の休養を余儀なくされる。6歳夏に復帰すると、3戦目の高松宮杯で優勝し見事に復活。ところが再び故障に見舞われ秋は全休。7歳春に再び復帰すると産経大阪杯(当時G2)2着や宝塚記念4着など好走し、前年制した高松宮杯へ。

    この高松宮杯には古馬重賞初挑戦となる芦毛の怪物オグリキャップが出走しており、どれ程の強さを見せるか注目されていた。

    レースはランドヒリュウが完璧なラップで逃げる展開となり、オグリがそれを追う展開となる。直線では両馬の一騎打ちとなり、一時はランドヒリュウが逃げ切り濃厚と見られる展開に。しかし残り100mでランドヒリュウの逃げ脚が鈍り、同時に最後の末脚を炸裂させたオグリキャップがゴール前で差し切り優勝(従来のレコードを0.8秒更新するレコードタイム)。ランドヒリュウは0.1秒差の2着だったが後続は4馬身以上離していた。

    その後は再び脚部不安で休養に入り8歳1月に復帰。年齢的にも限界と思われたが、日経新春杯ではヤエノムテキをクビ差抑えて優勝、産経大阪杯でもヤエノムテキの2着と衰えを見せなかった。しかし脚部不安の為この年夏に引退。

    引退後は種牡馬となり、目立つ実績は挙げられなかったが通算127戦走ったハートランドヒリュウなど渋い馬を輩出した。

    何度も故障に見舞われながらその度復活した不屈の名脇役。高松宮杯でのオグリキャップとの一騎打ちはタイムが示すように内容も非常にレベルが高く、G2史上屈指の隠れた名勝負として語り継がれている。ランドヒリュウはタマモクロス以前にオグリキャップに立ちはだかった強敵と評価されている。

    1988年 高松宮杯(GⅡ) | オグリキャップ | JRA公式


  • 21二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 19:53:42

    >>20

    この高松宮杯でランドヒリュウの鞍上だったのがタマモクロス主戦騎手の南井克己で、この時のオグリとの対決で得た経験が、後の秋天でのタマモの意表をついた戦法に繋がってく

    その意味でもかなり重要な一戦

  • 22二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 20:00:10

    「16」メジロワース 88年世代 平地22戦6勝 障害21戦11勝 主な勝ち鞍 マイラーズC・中京障害S春・中京障害S秋×2


    故障もあり本格的に走り始めたのは5歳から。条件戦で好走を続け、6歳2月のマイラーズCで格上挑戦ながら重賞初制覇。しかしその後は精彩を欠くレースが続き、夏に障害に転向。6月に障害初戦で勝つと、秋の中京障害Sではレコードタイムで優勝。同一年で平地・障害双方で重賞制覇という珍しい記録を打ち立てる。その後は大障害にこそ勝てなかったが中京障害Sを2勝するなど好走を続け、9歳秋に引退。


    障害では20戦して重賞3勝含む11勝2着6回と非常に安定した好成績を残していたが平地でも22戦で重賞1勝含む6勝2着9回と好成績残しており、平地・障害双方で好成績を挙げた数少ない名馬だった。


    動画は同一年平地・障害重賞制覇の記録を達成した90年中京障害S

    中京障害ステークス 1990年 メジロワース


  • 23二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 20:06:26

    ウマ娘になった馬のレース見てるとよく聞く名前いるな…

  • 24二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 20:15:45

    「17」バンブービギン 89年世代 12戦5勝 主な勝ち鞍 菊花賞・京都新聞杯


    3歳にデビューしたものの中々勝てず、春のクラシックとは無縁で終わる。だが4歳5月に初勝利を挙げると3連勝。秋の神戸新聞杯ではオサイチジョージの2着に敗れるが京都新聞杯(当時秋開催)ではオサイチジョージに雪辱し優勝。迎えた菊花賞では1番人気に推された。

    バンブービギンの父はダービー馬バンブーアトラスで、同馬は菊花賞直前に無念の故障で引退しており、バンブービギンには父の無念を晴らすことが期待されていた。そしてレースでは、オサイチジョージ・レインボーアンバー・ウィナーズサークル・サクラホクトオーなどとの激闘を制し優勝。出走すら叶わなかった父の無念を見事晴らした。

    しかしその後故障が発覚し引退、菊花賞が最後のレースとなった。

    89年世代最強の一頭と評価されていながら古馬でその実力を見せることなく終わったことに対しては、後々まで惜しむ声が大きかった。バンブービギンへの期待と評価の高さは、89年にオグリキャップの主戦騎手だった南井克己騎手が、オグリキャップよりも彼を優先すると明言していたことからも窺える。


    1989年 菊花賞(GⅠ) | バンブービギン | JRA公式


  • 25二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 20:18:40

    >>24

    この菊花賞はサクラホクトオーが目立ち過ぎてるw

  • 26二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 20:25:02

    「18」メルシーアトラ 90年世代 11戦5勝 主な勝ち鞍 日経新春杯


    デビュー戦2着後に3連勝を飾り、「関西の秘密兵器」と期待される。ダービーは大敗したが秋に復調し菊花賞では4着に好走。古馬初戦の日経新春杯ではオサイチジョージ・メジロアルダンなどの強豪を相手に勝ち重賞初制覇。続いて春天の前哨戦として産経大阪杯に出走。

    ここには菊花賞2着のホワイトストーンがおり、両馬の一騎打ちと見られた。しかしレースでは両馬とも良好な手応えで4コーナーを迎えた矢先、メルシーアトラは突然故障を発生し競争中止。開放骨折の重傷で予後不良の診断が下され、安楽死の処置がとられた。

    レース映像ではメルシーアトラの故障と故障後が映されており、現在もなお悲しい記憶としてファンの間に残されている。


    動画は最期のレースとなった91年産経大阪杯(閲覧注意)

    『やっぱり強い!東の横綱ホワイトストーン楽勝!』第35回 産経大阪杯 (GⅡ) ホワイトストーン  田面木博公 1991.3.31  出走馬:メルシーアトラ他  実況:馬場鉄志  #キ


  • 27二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 20:31:32

    「19」マイシンザン 93年世代 12戦4勝 主な勝ち鞍 NHK杯(当時G2)・朝日CC


    祖父がシンザン、父がミホシンザンという偉大な血統。その能力を最も受け継いだ馬としてデビュー前から注目されていた。デビュー戦は2着だったが2戦目で9馬身差の圧勝。その後2戦は惨敗したが続く条件戦でレコード勝ちしクラシックへ。皐月賞は腰を痛めていた影響もあり9着だったが、ダービートライアルのNHK杯では直線で規格外の豪脚を見せレースレコードで圧勝。ダービーではウイニングチケット・ビワハヤヒデ・ナリタタイシンらと死闘を繰り広げ5着と健闘。しかしその後屈腱炎を発症し長期休養に入る。1年半後に復帰するが2戦走ったのみで再び屈腱炎を発症。

    それでも10ヶ月後の6歳秋に復帰すると、復帰戦の朝日CCでレコードタイムで優勝という見事な復活を遂げる。その後秋天を目標に調整を進め好調を維持していたが、秋天前日に屈腱炎を再々発症。無念の離脱となり、その後は復帰することなく引退した。

    世代屈指の能力を持ちながら気性難と故障に泣かされた馬。出走せずに終わった秋天は前日まで2番人気に支持されており、出走出来なかったことが本当に残念である。


    動画は圧巻の豪脚を見せたNHK杯(レース中他馬の故障シーンあり)

  • 28二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 20:43:44

    バンブービギンは南井が自身が乗った中での最強馬って言ったくらいだからね
    ナリタブライアンのことをすっかり忘れてたらしくて流石にブライアンだわって後で訂正したけど
    それでもタマモクロスやオグリキャップより評価してたってことだ

  • 29二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 20:43:59

    「20」トウショウペガサス 82年世代 30戦8勝 主な勝ち鞍 中山記念・ダービー卿CT


    3歳時は朝日杯2着など好成績を残したが4歳時は成績不振が続き、更に故障もあり5歳時は1戦のみに終わる。6歳4月に故障から復帰すると条件戦から徐々に成績を上げていき、秋の毎日王冠ではカツラギエース・ミスターシービーらと激闘を繰り広げ僅差の4着。続く秋天も前記2頭と激闘し4着と存在感を見せる。続くダービー卿CTで重賞初制覇を果たしたが年末の有馬記念は距離不適性もあり最下位に敗れた。

    7歳になると中山記念でサクラガイセン・ダイナカールなどを下し重賞2勝目。その後故障で休養したが、秋に復帰するとマイルCSでニホンピロウイナーの2着と健闘した。8歳になっても現役続行し、勝ち星は挙げられなかったがギャロップダイナ・クシロキング・ニッポーテイオーといった名馬達と闘いを繰り広げた。この年を最後に引退。

    引退後は種牡馬となり、G1馬を2頭輩出。産駒の勝ち上がり率も高くかなりの成績を残した。


    古馬成績が壊滅的だった82年世代の中で最も奮闘したといえる馬。カツラギエースがG1で同世代以外に先着を許したのはシンボリルドルフとこのトウショウペガサスだけである。


    動画は7歳時に優勝した85年中山記念

    1985年 中山記念 トウショウペガサス


  • 30二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 20:53:06

    サクラロータリー(ボソ)

  • 31二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 21:14:20

    「21」ホクトフラッグ 82年世代 7戦3勝 主な勝ち鞍 朝日杯3歳S・函館3歳S


    デビュー戦は好タイムで8馬身差の圧勝。続く函館3歳Sも勝利し重賞初制覇。続く京成杯3歳Sでは2着に敗れたが朝日杯3歳Sでは前走で敗れたイーストボーイやトウショウペガサス相手に勝利。この年の最優秀3歳牡馬に選出される。しかしこの後故障でおよそ2年という長期休養を余儀なくされる。

    復帰したのは5歳12月のダービ卿CTで、朝日杯3歳S以来ほぼ2年ぶりのレースだった。もう終わった馬と見られていた為11番人気の低評価だったが、予想外の2着に好走し3歳王者の実力を見せる。年末の有馬記念は距離もあり大敗したが、年明けの東京新聞杯では再び2着に好走。

    完全復活も間近と思われたが、この後再度の故障により引退した。


    3歳王者になった後燃え尽きる馬は多く、このホクトフラッグもそうなるかと思われていたが、完全復活とまではいかなくても確かな実力を復帰後に見せた特異な存在。2着に敗れたダービー卿CTでもし勝利してたならば、実に中103週での重賞制覇という途轍もない大記録を打ち立てていた(歴代1位は中65週)。その点は少々残念である。


    動画はラストランとなった84年東京新聞杯

    第34回 東京新聞杯 (GⅢ) シンボリヨーク 牡5 54 中野栄治 1984.2.5  出走馬:ホクトフラッグ、スピーデイタイガー 、ハヤテミグ 、トウショウゴッド、ダスゲニー、ハワイ


  • 32二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 21:28:27

    「22」サンシードール 80年世代 12戦5勝 主な勝ち鞍 産経大阪杯


    デビューから4歳7月まで主に条件戦を走り5戦して2勝挙げるがそれ以外は全て着外という極端な成績で、8月上旬の条件戦も着外に敗れる。しかし8月中旬の不良馬場の条件戦で4馬身差の圧勝。その後2戦して着外に敗れたが、6歳3月に重馬場の条件戦で再び3馬身半差の完勝と悪馬場で強さを見せる。続く4月には重賞初挑戦となる産経大阪杯に出走。

    春天の前哨戦であるこの産経大阪杯には、8頭立てながら豪華なメンバーが集った(カツラノハイセイコ・ノースガスト・カツアール・メジロファントム・ハシクランツなど)。しかしレース当日は強い雨に見舞われ、コースは泥田のような不良馬場になっていた。

    レースは悪馬場得意のサンシードールが逃げに出て、2番手にこれまた悪馬場得意のオーバーレインボーがつける展開に。他の有力馬達は馬場の悪さに苦しみ、3コーナーあたりからは次々と後退。直線の時点では人気薄だが悪馬場得意のサンシードールとオーバーレインボーの勝負に。

    しかし直線半ばで、悪馬場得意な筈のオーバーレインボーまでもが悪馬場に手こずり失速。最後は独走状態になったサンシードールが5馬身差をつけて圧勝した(2着オーバーレインボーも3着以下に5馬身差をつけていた)。

    大波乱の展開で重賞初制覇を飾ったサンシードールは、次走の春天では7着に大敗。このレースを最後に引退した。


    悪馬場最強馬との声も高い馬。同じく悪馬場の猛者として名高いオーバーレインボー(重・不良馬場で通算12戦3勝2着6回3着1回)ですら失速した程の馬場を易々と駆け抜けた点がそれを強く裏付けている。通算で挙げた5勝以外は全て着外だった。また、主戦を務めていた栗田伸一騎手はこの産経大阪杯が唯一の重賞勝利だった。


    1981年 大阪杯 サンシードール


  • 33二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 21:53:00

    「23」アサヒエンペラー 86年世代 11戦2勝 主な勝ち鞍 若竹賞(条件戦)


    「未完の大器」と呼ばれた馬。3歳10月のデビュー戦では1番人気に推されたが不良馬場もあり最下位敗戦(1着はニッポーテイオー)。それでも年末の2戦目で初勝利を挙げ、4歳初戦の若竹賞(条件戦)も5馬身差で完勝し、クラシックの有力候補に。しかし弥生賞では4着に敗戦。皐月賞もダイナコスモスに引き離された3着敗戦。1番人気に推されたNHK杯も3着に敗戦。本番のダービーでもダイナガリバーの3着に敗れ、惜敗続きで春のクラシックを終えた。秋のクラシックはセントライト記念2着の後に脚部不安を発症し休養に追い込まれ、菊花賞には出走出来なかった。

    それでも5歳3月に復帰戦を2着で終えると、本番の春天ではミホシンザン・ニシノライデンらと激闘。しかしゴール前でニシノライデンの斜行を受ける不運に見舞われミホシンザンの2着に敗戦(2着入線のニシノライデンは斜行により失格)。更にレース後骨折が発覚し長期休養。1年後の春天で復帰したものの大敗し、このレースを最後に引退した。

    引退後は種牡馬として結果は挙げられなかったが功労馬として繋養された。


    デビュー前から脚部不安を抱えており、競走生活中は常にそれに悩まされていた。G1含む重賞で5度も3着以内に入りながら勝ちはなかった為、主な勝ち鞍は条件戦になっている。ただ脚部不安に悩まされた競走生活中と違い引退後はかなり元気だったようで、95年にシンザンが危篤状態に陥った際はアサヒエンペラーから多量の輸血を受け、そのおかげで奇跡的に快復したというエピソードがある。シンザンは36歳という大長寿だったが、アサヒエンペラーもまた35歳という大長寿だった。


    動画は2着の87年春天

    1987年 天皇賞(春)(GⅠ) | ミホシンザン | JRA公式


  • 34二次元好きの匿名さん23/08/22(火) 22:44:48

    「24」ジュサブロー 85年世代 中央4戦1勝 地方22戦15勝 主な勝ち鞍 オールカマー


    東海公営の名古屋競馬でデビュー。3、4歳と好成績を残すと、5歳春から一気に覚醒。地方芝重賞の東海桜花賞を含む怒涛の7連勝を飾り、9月には中央のオールカマーに地方馬として招待される。

    この年からオールカマーはJCに出走する地方馬を決めるレースにもなっており、それを目指して多くの地方の強豪が参戦。ジュサブローは東海公営でもあり南関東の馬と比べると人気はやや薄かった。しかしレースでは重馬場でスローペースの展開の中先行集団で進め、3コーナーから先頭に進出。直線では他の中央・地方馬を置き去りにして独走し、3馬身半差で優勝した(地方所属馬として初の中央重賞優勝)。地方馬代表として挑んだJCでは0.7秒差の7着に敗れたが、その健闘は讃えられた。翌年には中央に移籍し、日経賞ではミホシンザンに次ぐ2着でダイナガリバーに先着するなど実力を見せた。この年を最後に引退。


    未だに東海公営で大きな人気を残している名馬。オールカマーでの勝ちっぷりやその後のレースぶりを見ても中央の第一線と互角に渡り合える実力は備えていた。JC7着はオールカマーからJCに挑んだ地方馬の中では最先着の成績だった。芦毛の地方馬といえば勿論オグリキャップであるがこのジュサブローも芦毛の地方馬。また初勝利から4勝目までの鞍上は伝説の名騎手坂本敏美だった。


    1986年 オールカマー ジュサブロー


  • 35二次元好きの匿名さん23/08/23(水) 00:56:55

    >>20

    「ハートランドヒリュ」だよ!

  • 36二次元好きの匿名さん23/08/23(水) 01:11:04

    >>26

    半弟のメルシーステージもドラマのある馬だった…

  • 37二次元好きの匿名さん23/08/23(水) 02:14:00

    こういうの「名脇役列伝」って感じで好きだわ

  • 38二次元好きの匿名さん23/08/23(水) 06:52:59

    「25」セントシーザー 85年世代 37戦8勝 主な勝ち鞍 阪急杯・CBC賞


    デビューからほぼ一貫してマイル以下のレースを走り続け、常に安定した走りを見せ続ける。重賞は長く勝てなかったが6歳夏に阪急杯で初重賞制覇を果たすと、7歳春に引退するまでCBC賞優勝やマイルCS2着など更に優れた成績を残し、ニッポーテイオー・ダイナアクトレスとマイル〜短距離を牽引した。通算37戦して3着以内を逃したのは8回、入着を逃したのは僅か2回であり、その為重賞勝利はG3の2勝のみながら世代ではミホシンザンに次いで2番に多い賞金を獲得した。


    動画はラストランの88年京王杯SC。ダイナアクトレス・ニッポーテイオーに次ぐ3着だった

  • 39二次元好きの匿名さん23/08/23(水) 11:50:58

    「26」タマミ 70年世代・牝 24戦8勝 主な勝ち鞍 桜花賞・スプリンターズS・京王杯SH・阪神4歳牝馬特別・クイーンC


    3歳時は7戦2勝とさして目立つ成績ではなかった。しかし4歳初戦のレースをレコード勝ちすると俄に注目を集める。その後クイーンC・阪神4歳特別と重賞を連勝すると桜花賞の最有力に。そして桜花賞本番では好スタートから逃げに出ると、競りかけてきた他馬を逆に競り落とし直線に入ると独走。4馬身差の逃げ切りで桜花賞制覇を果たした。その後オークスでは距離もあり大敗。クイーンSも距離が長く大敗したが、適性距離のスプリンターズSでは不良馬場を逃げ切り優勝。その後は不適性距離で大敗が続いたが、この年の最優秀スプリンターに選出された。翌年も京王杯SHでメジロムサシを下して優勝。5歳夏をもって引退した。

    4歳以降の成績がマイル以下で7戦6勝2着1回とほぼ完璧だったのに対し1800m以上では全て敗れるなど。典型的なマイル〜短距離馬だった。スタートが非常に速く、最初の3ハロンで破格のタイムを出すことも多かった。容貌にも人気があり、「美少女」という渾名をつけられていた。


    動画は優勝した1970年桜花賞

    第30回 桜花賞 タマミ 牝3 55 高橋成忠 1970.4.5  出走馬:スターウイング、ハーバーゲイム、ナポリ、ジュピック 、ヒデシャイン、ケイサンタ、リュウメイン、マイタマナー、


  • 40二次元好きの匿名さん23/08/23(水) 17:22:52

    うーん素晴らしい!
    昔の馬って八大競走とかG1勝った馬はよく話題になるけど、その他の重賞を勝った馬の話ってあんまり見る機会無いから
    こういう物はありがたいね~

  • 41二次元好きの匿名さん23/08/23(水) 18:29:32

    「27」ヤマニンウエーブ 70年世代 48戦10勝 主な勝ち鞍 秋天・京都記念


    6歳夏まで主に条件戦で燻っていたが、6歳秋に朝日CCで2着と好走すると1戦挟み京都記念で重賞初制覇。その勢いで秋天へ出走する。

    この年の秋天は出走馬に八大競走勝馬がいない混戦状態で、ヤマニンウエーブは可も不可もない7番人気に推された。レースはスタート直後にオウジャが鞍ズレで落馬というアクシデントから始まる。更に8番人気のパッシングゴールが大逃げに出て、向こう正面では20馬身以上の差をつける展開に。ヤマニンウエーブは中団から後方につけてつけてレースを進める。3コーナーに入るとパッシングゴールと後続の差は徐々に縮まり、直線に入った時点では10馬身ほどの差に。しかし後続の先行勢につけていたキクノハッピーが故障し競走中止、更に直線半ばでコンチネンタルも故障で競走中止するというアクシデントが立て続けに発生。その中でパッシングゴールは残り200mで後続に捕まったが、そこから再び差し返すという驚異の粘りを見せる。そのままパッシングゴールの粘り勝ちかと思われたゴール前、大外から脚を溜めていたヤマニンウエーブが急襲。最後の最後にクビ差差し切って優勝し、天皇賞制覇を果たした。

    天皇賞馬となったヤマニンウエーブだがその後は好走するものの勝てないレースが続き、7歳春に引退した。


    72年の秋天はオウジャ落馬、キクノハッピー・コンチネンタル故障競走中止(共に予後不良)、タマホープ故障(競走能力喪失)などとアクシデントが相次ぎ、別名「惨劇の天皇賞」と呼ばれている。その一方でレース内容はパッシングゴールの激走、ヤマニンウエーブの末脚や鞍上の福永洋一の好騎乗(福永洋一はこれが天皇賞初制覇)など見所が多いレースでもある。天皇賞以外の実績が乏しい為ヤマニンウエーブは一発屋と見られがちではあるが、通算で2着を13回記録するなど安定感は持ち合わせていた。


    【競馬】1972年天皇賞秋 パッシングゴール大逃げもヤマニンウェーブが差し切る ~ラジオ実況


  • 42二次元好きの匿名さん23/08/23(水) 20:17:30

    「28」ヤマブキオー 73年世代 47戦20勝 主な勝ち鞍 中京記念・中山記念・金鯱賞・ダービー卿CT・函館記念・京王杯SH


    1970年代の伝説の競走馬。

    適性が中距離の為、当時は長距離戦ばかりだった大レースには縁がなかったが、重賞戦線で長く活躍し中山記念など重賞通算6勝を挙げた。


    『ヤマブキオー伝説その1』

    1800m以下で非常に強く、5歳秋のOP戦では同期のハイセイコー・タケホープを破って勝利(ハイセイコーが1800mで唯一負けた相手)。

    通算で出走した1800m以下のレースでは30戦18勝2着5回3着3回着外なし。

    『ヤマブキオー伝説その2』

    大レース未勝利にも関わらず過酷な斤量で出走することが多く、通算7戦で60キロ以上を背負っている。

    だがそのうち5戦で勝利を挙げており、7歳夏の金鯱賞では60.5キロを、8歳夏の函館記念では63.5キロを背負って優勝している。

    60キロ以上の斤量で5勝はエリモジョージ(4勝)・テンポイント(3勝)より多く70年代最多。

    『ヤマブキオー伝説その3』

    9歳3月のOP戦で勝利し、ハクチカラ以来21年ぶりの中央平地20勝の大記録を達成(20世紀最後の中央平地20勝)。


    9歳まで第一線で現役を続けたこともあり、ハイセイコー・タケホープ・キタノカチドキ・トウショウボーイ・テンポイント・グリーングラス・マルゼンスキーといった歴史的名馬と対戦している。

    好敵手だったのは一つ後輩の天皇賞馬アイフル。

    大レース未勝利だった面に加え、この70年代はハイセイコー・TTG・マルゼンスキーなどの印象が強すぎる為ヤマブキオーの知名度は現在では低いが、当時の中距離最強馬の一頭であったことは間違いない。どうか語り継がれて欲しい名馬。

    ちなみに、ヤマブキオーの後に中央で20勝を挙げた馬はオジュウチョウサン(平地・障害合計20勝)。中央平地20勝はまだヤマブキオーが最後。


    動画はヤマブキオーが宿敵アイフルを下して優勝した76年中山記念

    1976年 中山記念 ヤマブキオー


  • 43二次元好きの匿名さん23/08/23(水) 22:28:42

    「29」ニッポーキング 76年世代 24戦11勝 主な勝ち鞍 安田記念・セントライト記念・京王杯SH・クモハタ記念

    TTG世代最強の短距離馬。半姉にイットー。セントライト記念やクモハタ記念など中距離でもそれなりに勝っているが、特筆して強かったのはマイル以下の短距離であった。その真価が発揮されたのは6歳夏で、オープンの1400m戦を7馬身差のレコード勝ち。続く安田記念(当時はハンデ重賞)ではトップハンデにも関わらず6馬身差で優勝。更に続く1200m戦も6馬身差のレコード勝ちと圧倒的な強さを見せた。
    1400m以下では6戦4勝2着2回とほぼ完璧な成績を残した。当時はマイル・短距離共に大レースがなかったが、当時の短距離王であることは誰もが認めていた。
    おまけにニッポーというと彼ではなくマイルの帝王ことニッポーテイオーの方が有名になってしまったのもやや不運。
    なお両ニッポーとも主戦騎手は郷原洋行だった。

    画像・動画なし(以前はYouTubeに78年安田記念の動画あったのだが今はないみたい)

  • 44二次元好きの匿名さん23/08/23(水) 22:33:17

    セキテイリュウオーとか?

  • 45二次元好きの匿名さん23/08/23(水) 22:56:03

    「30」パスポート 63年世代・牝 39戦10勝 主な勝ち鞍 中京記念・阪急杯・朝日CC・毎日杯

    桜花賞2着・オークス2着とクラシックは惜敗続き。秋は果敢に菊花賞に挑戦し、メイズイ(二冠馬)には先着したものの3着。それでもこの年は前期の活躍に加え毎日杯・朝日CCを優勝していたことが評価され最優秀4歳牝馬に選出。古馬になるとスワンSではメイズイに敗れ2着だったが手薄メンバーの阪急杯ではあっさり優勝。しかし夏の宝塚記念では、リユウフオーレル(前年の宝塚・秋天・有馬記念優勝馬)には先着したものの覚醒中のヒカルポーラ(この年春天から6連勝)にハナ差敗れ2着。秋の朝日CCでは後輩バリモスニセイ(重賞8勝馬)に敗れ連覇ならず。秋天では落馬で競走中止の憂き目に。翌年も現役続行し、中京記念ではバリモスニセイを下し重賞4勝目。だが春天では無双状態のアサホコ(重賞4連勝中)に完敗の5着。宝塚記念ではシンザン(三冠馬)とバリモスニセイの激闘に加われず3着に完敗。その後は精彩を欠き、この年限りで引退した。
    敗北ばかり連ねてきたが負けた相手を見れば歴史的名馬や当代屈指の強豪ばかりで、牝馬にも関わらずそれらを相手にほぼ互角の善戦を続けたことは称賛に値する。同時期に活躍した牝馬トーストと共にこの時代を盛り上げた名牝。

    (画像・動画なし)

  • 46二次元好きの匿名さん23/08/23(水) 23:03:05

    「31」トースト 63年世代 39戦17勝 主な勝ち鞍 アルゼンチンJCC・毎日王冠・中山記念・金杯

    中距離以下を中心に5歳まで9勝を挙げたものの、重賞では桜花賞2着など好走も多かったが未勝利だった。だが6歳初戦の金杯で、この年宿敵となるヤマトキヨウダイ以下を下し重賞初制覇を果たす。更に中山記念でも再びヤマトキヨウダイを下し優勝。
    夏のアルゼンチンJCC(現アルゼンチン共和国杯)ではレコードタイムで優勝し、秋初戦の毎日王冠ではウメノチカラ・ヤマトキヨウダイをハナ差で下し優勝。秋天では距離に不安がありながらもレコード勝ちしたヤマトキヨウダイの2着に奮戦。年末の有馬記念でもメイズイ・ヒカルポーラに先着してヤマトキヨウダイの2着に入った。この年の大活躍が認められ、最優秀5歳牝馬に選出された。
    この年限りで引退し、繁殖牝馬としてラッキールーラーを輩出した。

    前記のパスポートと共にこの時代を盛り上げた名牝。特に6歳時の活躍は後のトウメイにも見劣りしない内容と言える。中距離以下のレースに数多く出ていたが秋天、有馬での好走など長距離も強い牝馬だった。

    画像・動画なし(20世紀の名馬100選のメイズイの動画で少しだけ登場してる)

  • 47二次元好きの匿名さん23/08/23(水) 23:18:30

    「32」キングスピード 69年世代 平地30戦6勝 障害10戦10勝 主な勝ち鞍 京都杯

    デビューからかなりのペースでレースに出走し続け、4歳秋まで25戦し4勝を積み重ねる。しかし重賞では毎日杯2着が目立つ程度で皐月賞は22着など大敗していた。

    その為、菊花賞前哨戦の京都杯ではメンバー中最低人気で出走。
    しかしここでは不良馬場の中敢行した大逃げが完全にハマり、アカネテンリュウ・ダイシンボルガード・リキエイカンといった錚々たる同期を9馬身以上千切る大波乱を演じる。

    だが本番の菊花賞では20着に惨敗。その後3戦した後、障害に転向。

    5歳2月に障害戦デビュー。難なく勝利を収めるとその後連勝街道を爆進。8月まで怒涛の障害戦10連勝を飾る。
    しかしその後脚部故障により離脱。そのまま復帰することなく引退した。
    障害重賞に出ていないが10戦10勝の成績が評価され、この年の最優秀障害馬に選出されている。


    異様なレース出走数、フロックというには強すぎた京都杯の圧勝劇、障害戦での無敵ぶりから急な引退と、非常に謎の多い名馬。障害重賞未勝利で最優秀障害馬に選出されたのは未だこのキングスピード一頭のみ。また障害9戦目は障害重賞馬であるブゼンエイトと史上でも数少ない2頭立てのマッチレースをしている。

    (画像・動画なし)

  • 48二次元好きの匿名さん23/08/24(木) 01:07:46

    >>46

    ラッキールーラの母ってこんな名牝だったのか!

    ラッキールーラ産駒のダイカツジョンヌもなかなか個性派

  • 49二次元好きの匿名さん23/08/24(木) 07:46:30

    「33」ジョセツ 70年世代・牝 31戦10勝 主な勝ち鞍 高松宮杯・目黒記念・ダービー卿CT・福島大賞典・七夕賞

    5歳夏までは条件戦を主に走り重賞でもぽつぽつ好走を続けていた。5歳秋の七夕賞をレコード勝ちで重賞初制覇を果たすと福島大賞典・ダービー卿CTと重賞を連勝し一気に台頭。年末の有馬記念は最下位に終わった(優勝はあのトウメイ)が存在感を示した。翌6歳は春に目黒記念を優勝、夏には高松宮杯でメジロアサマ・ヤマニンウエーブなどを下し優勝するなど牡馬の一線級相手に活躍。この年の最優秀5歳以上牝馬に輝いた。その後は故障もありレースには殆ど出ず引退。

    この時代の牝馬といえばトウメイの存在があまりに巨大であるが、ジョセツもその影でかなりの活躍をした名牝。また半姉のハクセツもかなりの活躍をしていた牝馬であり、七夕賞のレコード勝ちはハクセツのタイムを上回ってのものだった。ちなみにハクセツ・ジョセツとも新人時代の岡部幸雄であり、岡部にとっても記憶に残る名牝だった。

  • 50二次元好きの匿名さん23/08/24(木) 11:09:18

    「34」グレートセイカン 75年世代 31戦10勝 主な勝ち鞍 札幌記念・オールカマー・ダービー卿CT

    デビューから芝・ダート双方の条件戦を走り続け双方でそれなりの成績を残す。5歳になってからはダート戦で連続大差勝ちするなどダートの強豪として一躍台頭し、夏の札幌記念(当時はダート重賞)を迎える。

    この札幌記念には休養明けの4歳馬トウショウボーイ・クライムカイザーという両クラシック馬が参戦し、会場は最多入場記録を更新する数の観客が詰めかけるなど大きな注目を集めた。グレートセイカンはダート実績を買われトウショウボーイに次ぐ2番人気に支持される。
    レースはトウショウボーイがスタート出遅れ、グレートセイカンが先行する展開に。その後クライムカイザーがダートに苦しむ一方でトウショウボーイは徐々に進出し、直線でグレートセイカンを捉えにかかる。しかしグレートセイカンはトウショウボーイの追撃をクビ差凌ぎ優勝。ダート強豪の貫禄を見せた。

    その後グレートセイカンはオールカマー・ダービー卿CTを優勝するなど芝でも成績を残し、引退まで芝・ダート双方の強豪として活躍した。

    76年世代(TTG世代)以外の競走馬でトウショウボーイに先着した数少ない一頭であり、その上レースまで勝利したのはこのグレートセイカンのみである。

    (画像はトウショウボーイを破った札幌記念)

  • 51二次元好きの匿名さん23/08/24(木) 12:05:36

    「35」シルバーランド 73年世代 27戦14勝 主な勝ち鞍 愛知杯×2・マイラーズC・CBC賞・京阪杯

    日本競馬に大きな1ページを刻んだ馬。


    デビューから3連勝を飾るが虚弱体質による脚部不安の為4歳春は全休。秋に復帰するが菊花賞9着とクラシックでは結果を残せず。それでも年末の愛知杯で重賞初制覇。その後も休養を挟みながら重賞戦線で地道に成績を残し、5歳夏には愛知杯で再び優勝。7歳春にはマイラーズCで優勝。12月のCBC賞ではトップハンデを背負いながらレコード勝ちと活躍。ラストランとなった8歳11月の京阪杯も優勝で有終の美を飾った。


    虚弱体質と闘いながら中距離〜短距離で優れた成績を残した快速馬。数多く残した実績の中でも特筆すべきは4歳の愛知杯優勝で、これは1分59秒9のレコードタイムでの優勝であり、日本の2000mのレースで史上初めて2分を切るタイムだった。この記録によりシルバーランドはその名を競馬史に残している。またCBC賞でトップハンデながら記録した1分21秒8も当時の日本レコードだった。


    (動画は史上初めて2000mで2分を切るタイムを出した73年愛知杯)

    第11回 愛知杯 1973(昭和48年) シルバーランド


  • 52二次元好きの匿名さん23/08/24(木) 17:59:07

    「36」クラウンピラード 76年世代 25戦4勝 主な勝ち鞍 斑鳩特別(条件戦)

    TTG世代で最も不運な馬。


    デビューから4歳までは条件戦以下で2勝と凡庸な成績。

    だが5歳初戦から条件戦を連勝すると、重賞初挑戦の京都記念ではテンポイントの3着に健闘。続く中京記念も2着に好走。

    鳴尾記念では再びテンポイントの3着に敗れたがクライムカイザーやエリモジョージに先着。

    迎えた本番の春天では12番人気ながらテンポイントに半馬身差の2着と大健闘、グリーングラス・クライムカイザーには先着した。


    その後秋まで休養に当てるとオープン戦を2戦(どちらもシルバーランドの4着・2着に敗戦)し、目黒記念に出走し2着。

    本番の秋天ではトウショウボーイ・グリーングラスに次ぐ3番人気に推され、レースでは直線でその2頭を交わして先頭に立ったしかし今度こそ勝利と思われた矢先、ゴール前で大外から強襲したホクトボーイの末脚に屈しまたしても2着。

    この年は天皇賞2戦含め重賞6戦全て3着以内ながら勝てず、オープン戦も2敗の為年間未勝利に終わった。

    翌年以降は高松宮杯で3着があったものの故障などで精彩を欠き、7歳の秋天7着を最後に引退した。


    TTG世代の隠れた名脇役。5歳時の善戦ぶりは後のステイゴールドと共通するものがある。通算で重賞を9戦して3着以内7度、春秋天皇賞共に2着という好成績を残しながらも、主な勝ち鞍は条件戦。重賞はおろかオープン戦すら未勝利に終わったのは時代が悪かったとしか言いようがない。ちなみに条件戦では挙げた4勝以外のレースは惨敗が多かった。


    動画はテンポイントの2着に敗れた77年春天

    【競馬ライバル伝説】1977年天皇賞春~TG再戦はテンポイント勝利~ラジオ実況


  • 53二次元好きの匿名さん23/08/24(木) 18:58:24

    「37」ラフオンテース 80年世代・牝 30戦9勝 主な勝ち鞍 阪神3歳S・デイリー杯3歳ステークス・北九州記念・朝日CC・小倉記念


    小柄な馬体ながらデビューからレコード勝ちを含む3連勝。デイリー杯3歳Sも勝ち重賞制覇を果たすと、暮れの阪神3歳Sではノースガスト・オペックホースといった強力な牡馬を相手に勝利。無敗の5連勝で最優秀3歳牝馬に選出される。


    しかし4歳初戦のきさらぎ賞で初敗戦を喫すると、その後は長く不振に陥る。好走もあったが4歳時は未勝利に終わり、5歳になってからも夏まで未勝利、実に15連敗を喫する。


    しかし7月の小倉日経賞で久々の勝利を日本レコードで飾ると、そこから怒涛の重賞3連勝。突然の復活を遂げる。その後は未勝利に終わったがこの年の最優秀5歳以上牝馬に選出された。

    6歳夏に引退。繁殖牝馬になったが放牧中突然の事故により7歳で急逝。


    同期の牝馬ではハギノトップレディが有名だが、ラフオンテースもまた個性的な強豪牝馬だった。5連勝→15連敗→4連勝→6連敗という極端な成績は中々見れない。



    動画は最後の勝利となった81年朝日CC

    1981年 朝日CC ラフオンテース


  • 54二次元好きの匿名さん23/08/24(木) 19:09:00

    「38」ウメノシンオー 83年世代 17戦3勝 主な勝ち鞍 ラジオたんば賞

    ミスターシービーを破った最初の馬。


    3歳時に2勝を挙げるが、クラシックではあのミスターシービーがいたこともありダービー5着が精一杯。

    ダービー後のラジオたんば賞で重賞初制覇を飾るがその後は不振が続き、不運にも5歳秋の放牧中に心臓麻痺で現役のまま急逝した。


    重賞馬ではあるが、それよりもウメノシンオーの語られるべきはミスターシービーの初期の強敵であったことだろう。3歳末のひいらぎ賞(条件戦)ウメノシンオーはミスターシービーと初対戦し、彼の豪脚をクビ差凌いで勝利している。翌年の共同通信杯4歳Sでもウメノシンオーはミスターシービーと対戦し、差しつ差されつつの激闘の末今度はアタマ差で敗れた。

    この2戦の結果と内容は、後にミスターシービーが歴史的名馬となっていくにつれてウメノシンオーの名も広く知らしめることにもなった。


    ミスターシービーが4歳までに敗れた相手はウメノシンオーの他は僅か3頭(ミスターシービーが4着に敗れた京都新聞杯で、同馬に先着したカツラギエース・リードホーユードウカンヤシマの3頭)であり、レースも勝ったのはカツラギエースとこのウメノシンオーのみ。

    ミスターシービーの本格化前の勝利だったので一概に評価は出来ないが、決してフロックの勝利でなかったことは共同通信杯でミスターシービーと再び激闘したことからも明らかだろう。


    動画はミスターシービーと激闘した83年共同通信杯4歳S

    第17回 共同通信杯4歳ステークス(トキノミノル記念) ミスターシービー 牡3 55 吉永正人 1983.2.13  出走馬:ウメノシンオー、ブルーダーバン、ビッグダンディー、ドウカン


  • 55二次元好きの匿名さん23/08/24(木) 19:30:40

    「39」ローラーキング 81年世代 地方49戦15勝 中央20戦3勝 主な勝ち鞍 マイラーズC・札幌記念

    短距離皇帝と韋駄天をまとめて破った馬


    6歳までは南関東の大井競馬所属。白山大賞典を勝つなど実績を積み重ね、7歳に中央に移籍。

    中央初戦の東京新聞杯で14着に大敗し、続いてマイラーズCに出走。


    このマイラーズCには、ニホンピロウイナー・ハッピープログレスが出走していた。

    ローラーキングは前走の大敗もあって人気はブービーの12番人気だった。

    レースは不良馬場の中でニホンピロウイナーが逃げに出て、ローラーキングは3番手でそれを追う展開に。

    そして直線で逃げ込みを図るニホンピロウイナーを残り100mで内から差し切り、ハッピープログレスの追撃も抑え1馬身差で優勝、大金星を挙げた。


    その後は惨敗と好走を挟みながら、夏の札幌記念では後輩の南関東三冠馬サンオーイをクビ差抑え優勝。マイラーズCがフロックでないことを示した。

    その後は13戦して未勝利に終わり、9歳1月に引退。


    ニホンピロウイナー・ハッピープログレスは共に短距離黎明期の名馬として名高い。マイラーズC後、ハッピープログレスは『韋駄天』と異名された強さで春短距離3冠制覇を達成し初代短距離王者に。そしてニホンピロウイナーはこの年の秋から翌年まで圧倒的な強さでマイル以下を制圧し『短距離皇帝』として君臨する。

    その全盛期直前とはいえ、この両頭をまとめて破ったローラーキングの勝利は非常に大きな価値がある。ニホンピロウイナーがマイル以下のレースで最後に敗れたのはこのマイラーズCのローラーキングだった。


    動画は金星を挙げたマイラーズC

    第15回 読売マイラーズカップ (GⅡ) ローラーキング 牡6 57 丸山勝秀 1984.2.26  出走馬:ニホンピロウイナー、リードアイリス、ハッピープログレス、ミスラディカル、オペ


  • 56二次元好きの匿名さん23/08/24(木) 19:42:07

    「40」サンライズフラッグ 97年世代 29戦5勝 主な勝ち鞍 鳴尾記念

    女帝を破った馬。


    4歳にデビュー。新馬戦から条件戦を12戦走り2勝を挙げたが他は惨敗が多くさして期待のない成績に終わる。しかし5歳から中距離の条件戦を中心に走るようになると8戦2勝2着4回と成績を挙げ、6月には鳴尾記念に重賞初挑戦。


    この鳴尾記念にはエアグルーヴが参戦しており圧倒的な人気を集めていた。サンライズフラッグは7番人気の可も不可もない評価。だが大雨の不良馬場で開催されたレースでサンライズフラッグはエアグルーヴを直線で捉え、3馬身差に千切って勝つという大金星を挙げる。

    この勝利により宝塚記念にも出走したがここでは8着と大敗。

    それでも秋には朝日CCで3着とした後、サイレンススズカ・エルコンドルパサー・グラスワンダーが対決した伝説の毎日王冠に出走。最後方から追い込みをかけての3着と好走する。更に続く秋天でも後方から追い込みをかけて3着に好走。秋重賞3連続3着の結果を残す。

    その後は4戦して全て着外と精彩を欠き、翌年夏に引退した。


    目立つ活躍したのは98年夏〜秋の半年間だけであるが、その期間だけでも強い印象を残した馬。不良馬場とはいえ女帝エアグルーヴを破った鳴尾記念は圧巻の勝ちっぷりだった。毎日王冠・秋天も記憶に残るレースとなった為、実績以上に知名度の高い馬と言える。


    動画は最後方から3着に入った98年毎日王冠

    1998年 毎日王冠(GⅡ) | サイレンススズカ | JRA公式


  • 57二次元好きの匿名さん23/08/24(木) 21:43:08

    「41」エイシンワシントン 94年世代 25戦8勝 主な勝ち鞍 セントウルS・CBC賞


    デビュー戦は1200mをレコード勝ち。後もマイル〜短距離を主戦にレースを走り、4歳秋にセントウルSで重賞初制覇。年末のスプリンターズSでも4着と好走。しかし5歳2月のオープン戦でレコード勝ちした後に故障が発覚し離脱。秋に復帰後もしばらく凡戦が続く。

    6歳3月にオープン戦で久々の勝利を挙げるが、その後は重賞で連続惨敗。

    もう限界と思われたが、5ヶ月の休養を経て出走した11月のマイルCSでは15番人気の低評価を覆し3着に好走。更に連闘で挑んだCBC賞をレコード勝ちし見事に復活を遂げる。


    そして年末のスプリンターズSに3番人気で出走。

    レースでは好スタートから逃げに出ると、直線では同じく好スタートから2番手につけていたフラワーパークとの一騎打ちに。

    そのまま最後まで両馬譲らず、全く並んでゴールイン。

    長い写真判定の末、僅か1㎝差でフラワーパークが優勝。エイシンワシントンは惜しくも2着に敗れた。


    翌年、レースに向けての調教中に競走能力喪失の骨折を負い引退。スプリンターズSが最後のレースとなった。


    スプリンターズSでのフラワーパークとの1㎝差の死闘は今でも語り草である。通算で挙げた8勝中7勝が1200mと完全なスプリンターだった。長い苦難を乗り越えてようやく覚醒の時期を迎えていただけに故障引退が悔やまれる。


    「1㎝差の名勝負」こと96年スプリンターズSの動画(途中他馬の故障シーンあり)

    1996年 スプリンターズステークス(GⅠ) | フラワーパーク | JRA公式


  • 58二次元好きの匿名さん23/08/24(木) 22:24:26

    たぬき図鑑でもあんま見ない名馬多いな

  • 59二次元好きの匿名さん23/08/24(木) 22:27:08

    「42」ミスターアダムス 88年世代 39戦5勝 主な勝ち鞍 嵐山S(条件戦)


    ずっと条件戦を走り続け、晩年の6歳末からぽちぽち重賞に出走したが勝利はなく、最終的に主な勝ち鞍は6歳秋の嵐山S(3000mの条件戦)となっている。

    だがその嵐山Sで下した相手はあのメジロマックイーン(当時4歳)であり、その点で有名。


    翌年の阪神大賞典でこの2頭は再び対決し、今度はメジロマックイーンが雪辱(ミスターアダムスは3着)。

    そして本番の春天でもメジロマックイーンが優勝し、ミスターアダムスは2着に敗れた。


    メジロマックイーンが3000m以上のレースで敗れた相手はライスシャワーとこのミスターアダムスだけである。

    実績は全くかけ離れているので宿敵関係などではないが、メジロマックイーンにとってミスターアダムスは長距離で数少ない恐れた相手だったかもしれない。

    なお両頭に共通しているのは成績の安定ぶりで、通算で4着以下は一度のみ(降着除く)だったメジロマックイーンに対し、ミスターアダムスも通算39戦中着外だったのは僅か3戦だけだった。


    動画はメジロマックイーンを破った嵐山S

    メジロマックイーン 1990年 嵐山ステークス(4歳1500万下) (優勝馬:ミスターアダムス)


  • 60二次元好きの匿名さん23/08/24(木) 22:34:05

    >>59

    この嵐山Sで負けたマックイーンは菊花賞への出走権を獲得出来ず大ピンチになったけど、直前に回避馬が出たことで運良く出走出来て、そして優勝した。

  • 61二次元好きの匿名さん23/08/24(木) 22:48:40

    「43」ビッグファイト 91年世代 40戦4勝 主な勝ち鞍 新潟3歳S・京成杯3歳S

    あまり語られない悲劇の馬。


    デビュー戦は9馬身差のレコード勝ち。続く新潟記念では斤量が0.5㎏重いハプニングがありながら2馬身差で優勝。続く京成杯3歳Sも圧倒的な支持に応えて優勝と見事な競走生活のスタートを切る。

    しかし続く朝日杯3歳Sではレコード勝ちしたリンドシェバーに敗れ2着。

    年明けの京成杯も2着に敗れる。


    ここまではそこまで悲観する成績でもなかったが、この後長く勝ち星から見放される。

    7歳1月までなんと30連敗。京成杯後の28戦は3着2度あるだけという異常な程の不振だった。


    実はこの不振の理由は、放牧中に抗生剤を過剰に摂取してしまい、薬物中毒に近い状態になってしまったという不運な出来事があった為だった。

    その後遺症は成績が示すように非常に深刻なものだった。


    それでも関係者が懸命な治療と努力を長年続けた末、7歳2月の銀嶺Sで実に31戦ぶり、年月にして3年2ヶ月ぶりの勝利を挙げる。


    その後も夏の阪急杯で3着に好走するなど復活の兆しを見せていた。

    しかし7歳秋、調教中に起きた不慮の事故により重傷を負い、予後不良と見なされ安楽死の処分が執られた。


    無事ならば同期のヤマニンゼファーと共に短距離で活躍してたかもしれない馬。

    最後の不慮の事故の理由にも薬物の影響があったとされている。


    動画は優勝した京成杯3歳S

    第26回 京成杯3歳ステークス (GⅡ) ビッグファイト 小島太 1990.11.11  出走馬:レガシーオブゼルダ、マネーワン、エドノトウイコウ、マイディアボーイ他  #キャッスルリ


  • 62二次元好きの匿名さん23/08/25(金) 01:50:52

    >>56

    ニコニコ動画に1998年の鳴尾記念があったのでお収めください

  • 63二次元好きの匿名さん23/08/25(金) 08:01:14

    「44」スエヒロコマンダー 98年世代 60戦7勝 主な勝ち鞍 鳴尾記念・小倉大賞典

    98年世代の名脇役。


    4歳末まで24戦とこの時代の馬にしては数多く走るが実績は条件戦以下の2勝のみで特に目立つ点はなし。しかし5歳に入ると条件戦を連勝し重賞でも好走。4月の小倉大賞典でレコードタイムで重賞初制覇を果たす。更に6月の鳴尾記念でも優勝。重賞常連の仲間入りを果たす。ただG1では全て着外に惨敗した。その後6歳時は重賞9戦で7度入着、7歳時は3度の重賞2着と重賞戦線で長く活躍する。勝ち星からは長く遠ざかっていたが8歳9月のOP戦で3年2ヵ月ぶりの勝利。その後も重賞で好走し、9歳1月に引退。


    G1での好走はなかったがG2以下の重賞では2勝の他に17回入着を果たすなど、重賞戦線の常連として長年活躍した。賞金も4億4000万以上獲得しており、最強世代と言われる98年世代の中でも上位10位に入っている。通算60戦したタフさも評価できる。京都大賞典では00〜02年に3年連続出走しいずれも逃げで好走している。


    動画はテイエムオペラオーの4着に入った2000年京都大賞典

    2000年 京都大賞典(GⅡ) | テイエムオペラオー | JRA公式

    ありがと

  • 64二次元好きの匿名さん23/08/25(金) 09:46:24

    「45」ユウトウセイ 93年世代 21戦10勝 主な勝ち鞍 京都記念

    優等生。


    体質が弱くデビューは4歳。10月に初勝利し年末に2勝目を挙げるが、その後しばらく休養。

    5歳6月に復帰し連勝するが、脚部不安の為またもや休養。

    1年後の6歳7月に復帰。復帰戦こそ大敗するが3戦目から条件戦を連勝。続くOPも勝ち今度こそ覚醒と思われた矢先、またもや脚部不安で長期離脱を余儀なくされる。


    7歳の11月に復帰。2戦目のOP戦で勝つと、年明け8歳の1月に金杯で重賞初挑戦。前年の皐月賞馬イシノサンデーの2着と健闘する。

    そして続く京都記念ではサンデー四天王と呼ばれたロイヤルタッチを破り優勝。8歳にして重賞初制覇を果たす。

    続く産経大阪杯では先のイシノサンデー・ロイヤルタッチに加え、当時の三強の一角マーベラスサンデーと対決。惜しくもマーベラスサンデーの2着に敗れたが他の2頭には先着した。


    その後夏の宝塚記念にG1初出走するがここでは7着に惨敗。続くOP戦を勝ち再びG1の秋天に挑んだがここでも9着に大敗。このレースを最後に引退した。



    目立った活躍こそなかったが、21戦10勝2着4回3着2回と名前のように優等生と言える成績を収めた。競走生活を通じて体質の弱さと闘いながら8歳にして全盛期を迎えた点でいえば晩成の優等生だろう。


    動画はマーベラスサンデーの2着だった97年産経大阪杯

  • 65二次元好きの匿名さん23/08/25(金) 17:54:50

    ほしぬ

  • 66二次元好きの匿名さん23/08/25(金) 19:41:28

    >>20

    シングレで省略されてたのが勿体ない

  • 67二次元好きの匿名さん23/08/25(金) 20:01:18

    「46」クリスザブレイヴ 97年世代 19戦9勝 主な勝ち鞍 富士S

    ノーザンテースト最晩年の産駒にして最後の大物。


    デビュー前から優れた素質が注目され、「ノーザンテースト最後の大物」と期待される。

    その期待に応え3歳秋のデビュー戦から連勝するが、1番人気に推された朝日杯は15着に大敗。その後骨折で長期休養を余儀なくされる。


    1年半後の5歳5月に復帰するが僅か2戦で脚部不安の為再び休養。


    1年後の6歳6月に復帰すると、復帰2戦目の条件戦からOP戦にかけてレコード勝ち含めた4連勝と台頭。

    しかしその勢いで挑戦した秋天は16着と大敗。

    その後OP戦は2勝したものの重賞では勝てず、7歳2月に屈腱炎を発症。

    年齢的に引退も考えられたが現役続行を決断し長期休養へ。


    復帰は8歳8月。復帰戦の関屋記念を2着に好走し、続く京王杯OHも2着。

    そして好調のまま迎えた10月の富士Sで、ダイタクリーヴァ・ネイティブハートといった強豪を抑え優勝。

    悲願の重賞制覇を果たすと同時に、ノーザンテースト産駒の20世代連続重賞勝ちの大記録を達成した(そしてこの勝利がノーザンテースト産駒最後の重賞勝利となった)。

    この年を最後に引退。



    主な勝ち鞍はG3の1勝のみであるが、その1勝は競馬の歴史において非常に大きな価値のある1勝であった。クリスザブレイヴにとっても、競走生活のおよそ7割を故障休養にあてた苦労を乗り越えての、文字通り不屈の勝利だった。


    動画は優勝した01年富士S

    2001 富士S ノーザンテースト最後の大物と言われたクリスザブレイヴの初重賞制覇


  • 68二次元好きの匿名さん23/08/25(金) 20:42:43

    「47」トーアファルコン 84年世代 26戦8勝 主な勝ち鞍 京王杯SC・CBC賞 小倉3歳S
    とにかくでかい馬。

    デビュー戦を勝つと次戦の小倉3歳Sも勝ち早くも重賞ウイナーに。だがその後故障により長期休養に。4歳12月に復帰するもその後5戦して惨敗が続き、5歳3月に故障で再び休養。

    6歳1月に復帰すると、今までの鬱憤を晴らすように一気に4連勝。4月の京王杯SCではギャロップダイナ・タカラスチールらの強豪を相手に勝利し、怒涛の5連勝を飾る。この時の馬体重は570㎏で、中央競馬における最高馬体重での重賞制覇という記録も打ち立てた。続く安田記念では2番人気に推されたがここではギャロップダイナの5着に完敗。その後再び長期休養に入る。

    1年3ヶ月後に復帰したが2戦のみで再度休養。翌年の8歳3月に復帰する。その後はレースに次々と出走するも年齢ゆえか重賞では惨敗が続く。それでも12月のCBC賞では14番人気の低評価を覆し優勝(馬体重は568㎏)。2年半ぶりの復活勝利を挙げ、これを有終の美に引退した。

    あのヒシアケボノよりもでかい馬体を武器に短距離で活躍した馬。最高馬体重での重賞制覇の記録は2019年まで破られなかった。

  • 69二次元好きの匿名さん23/08/25(金) 20:46:55

    「48」キョウエイレア 82年世代 34戦9勝 主な勝ち鞍 高松宮杯

    史上最強の隻眼馬。


    デビュー後間もなく事故により片目を失うアクシデントに見舞われ、大きなハンデを背負いながら競走生活を送ることになる。

    快速馬ではないが隻眼ゆえ逃げを武器に走り、その為「隻眼の逃亡者」と呼ばれるようになる。


    そのキョウエイレアが輝いたのは6歳夏。この年は春から好調を維持していたキョウエイレアは6月に高松宮杯に出走。ここにはカツラギエース・スズカコバンという中距離の猛者が出走しており、両頭が人気を分け合っていた。しかしキョウエイレアはいつものように逃げに出ると重馬場の中を快走。4コーナーでカツラギエースが馬場にもたつきスズカコバンもその煽りを受けるという荒れた展開の中、キョウエイレアは単騎直線を独走。最後はスズカコバンの追撃を振り切って優勝した。


    その後は度々重賞で好走したものの勝利は挙げられず、7歳の6月に引退。


    隻眼で重賞を制した希少な競走馬の一頭。馬場や展開に恵まれた面はあったが隻眼の不利に比べれば易いものであろう。


    動画は優勝した84年高松宮杯

    第14回 高松宮杯 (GⅡ) キョウエイレア 牡5 57 田島信行 1984.624  出走馬:スズカコバン、ヤマノシラギク、ネーハイアンサー、カツラギエース、ルーキーオー、ブルーギャ


  • 70二次元好きの匿名さん23/08/25(金) 21:14:33

    「49」ラグビーボール 86年世代 8戦4勝 主な勝ち鞍 高松宮杯・NHK杯


    デビューはやや遅れて4歳2月であったが、新馬戦、条件戦と連勝し、この年の「関西の秘密兵器」と期待される。皐月賞には間に合わなかったがNHK杯ではニッポーテイオー・アサヒエンペラーを下し優勝。迎えたダービーでは皐月賞馬ダイナコスモスを抑え1番人気に推された。

    しかしここではダイナガリバーの4着に敗退。

    それでも心機一転して挑んだ高松宮杯ではスズカコバンら歴戦の古馬を相手に勝利し存在感を見せつける。秋初戦の京都新聞杯では4着に敗れたものの菊花賞本番では再び1番人気に支持される。しかしここでもメジロデュレンの3着に敗北。クラシックは未勝利に終わった。しかし菊花賞から中一週で挑んだJCでは4着と健闘した。

    しかしその後、元々不安のあった脚部不安が深刻化し離脱。なんとか復帰を目指したがそれは叶わず、JCが最後のレースとなってしまった。


    同世代のアサヒエンペラーと共に故障に泣かされた馬。グレード制以降4歳で高松宮杯を勝った馬はオグリキャップとこのラグビーボールだけである。


    動画は4着だった86年JC

    1986年 ジャパンカップ(GⅠ) | ジュピターアイランド | JRA公式


  • 71二次元好きの匿名さん23/08/26(土) 00:50:26

    聞いたことのある絶妙な馬を出してくるね…

  • 72二次元好きの匿名さん23/08/26(土) 02:25:05
  • 73二次元好きの匿名さん23/08/26(土) 06:56:20

    「50」ヤマニングローバル 90年世代 29戦5勝 主な勝ち鞍 アルゼンチン共和国杯・目黒記念・デイリー杯3歳S


    ミスターシービーの代表産駒としてデビュー前から大きな注目を集め、それに応えデビューから圧勝の連続。翌年のクラシック三冠制覇すら期待される程だった。

    しかしデイリー杯3歳Sを勝った直後に重度の故障が発覚。予後不良寸前の重傷で引退やむなしと思われたが、陣営は復活を信じて治療にあたる決断をする。


    長い休養を経て復帰したのは5歳1月。脚にボルトが入った状態での復帰だった。復帰後しばらくは惨敗が続くが、夏場に入ると徐々に成績を上げていき、11月のアルゼンチン共和国杯で遂に復活勝利を挙げる。更に翌年2月の目黒記念も優勝。11月の天皇賞では15番人気の低評価を覆し3着に好走と活躍する。その後は燃え尽きたように惨敗が続き、8歳3月に引退した。



    「脚にボルトを入れて走った馬」として有名。重度の故障を乗り越えた競走馬の代表例にも挙げられる。ヤマニングローバルの復活劇は後に同様の骨折をした競走馬達にも大きな影響を与えた。競馬の常識を覆した一頭といえる。


    ダイタクヘリオス 1989年 第24回デイリー杯3歳ステークス(GII) (優勝馬:ヤマニングローバル)


  • 74二次元好きの匿名さん23/08/26(土) 08:28:46

    「51」キタノカチドキ 73年世代 15戦11勝 主な勝ち鞍・皐月賞・菊花賞・阪神3歳S・マイラーズC・神戸新聞杯・京都新聞杯・スプリングS・きさらぎ賞・デイリー杯3歳S

    競馬に革命をもたらした馬。


    デビュー戦から圧勝の連続で、無敗で阪神3歳Sで優勝し3歳王者に。4歳になっても無敗のまま皐月賞優勝し、この時点で無敗の三冠馬確定とすら言われた。しかしダービーでは、この年にあった厩務員ストライキの影響で調子を乱し、コーネルランサーの3着に初敗戦。それでも秋には再び重賞を連勝。距離が厳しいと思われた菊花賞も見事優勝し二冠馬に。この年の年度代表馬に選出される。4歳までの成績は11戦10勝、重賞8勝(大レース級3勝)という恐ろしいもので、フリーハンデではシンザンを超える「64キロ」の評価を与えられた。

    翌年初戦のOP戦こそ斤量がきつく敗れた(勝ち馬と斤量差が10キロあった)が、続くマイラーズCではタニノチカラ・イットーという当代の名馬と対決し、不良馬場にも関わらずレコードに迫るという圧巻の走りで優勝。最強馬の実力を証明する。しかし続く春天では1番人気に推されながら、距離不適性が響いてイチフジイサミの2着に痛恨の敗北。その後脚部不安で長期休養に入り、万全とは程遠い状態のまま年末の有馬記念に出走。2番人気に推されたがレース中に両脚を骨折。初の8着と大敗し、このレースを最後に引退した。


    狂気と恐れられたスピードとセンスを武器にターフに君臨した、暴君ともいうべき馬。パワー重視であった当時の競馬においてキタノカチドキが絶対的なスピードで無敵を誇ったことは、競馬がスピード重視に変わる転換にもなった。その意味において競馬に革命をもたらした馬と言える。

    同じ70年代の名馬であるハイセイコー・カブラヤオー・トウショウボーイ・テンポイント・マルゼンスキーなどに比べると現在での知名度はやや低いが、70年代最強の馬だったのは恐らくこのキタノカチドキだろう。顕彰馬になってないのが不思議とすら思う程の馬である。


    20世紀の名馬 78位 キタノカチドキ


  • 75二次元好きの匿名さん23/08/26(土) 09:35:15

    「52」ヤマニンミラクル 92年世代 22戦3勝 主な勝ち鞍 京成杯3歳S

    ミホノブルボンを倒しかけた馬。


    3歳秋のデビュー戦から3戦全て1番人気で2勝を挙げる。4戦目の京成杯3歳Sも1番人気に応え優勝。そして3歳王者を決める朝日杯へ。


    ここには、デビュー2戦を衝撃的な内容で勝ってきたミホノブルボンが出走し圧倒的な人気を集めていた。

    ヤマニンミラクルは初めて1番人気を外れたもののミホノブルボンに次ぐ2番人気(3番人気にはマチカネタンホイザ)に推された。

    レースではスタートからかかり気味になったミホノブルボンをマークする形でレースを進める。直線に入ると先頭に立ったミホノブルボンを外から強襲。残り100mから壮絶な叩き合いとなったが、最後はミホノブルボンの粘りにハナ差及ばず2着に敗れた。

    その後4歳に入ると凡走が続き、ダービーも10着。秋の京都新聞杯ではミホノブルボン・ライスシャワーに次ぐ3着に好走したが、菊花賞では8着。その後は重賞やOP戦で惨敗と好走を繰り返し、6歳夏に引退。



    朝日杯ではミホノブルボンをあわやというところまで追い詰めた。もしミホノブルボンが無敗三冠を達成して引退してたら、同馬を最も追い詰めた馬として語られていただろう。


    動画はミホノブルボンと激闘した91年朝日杯

    1991年 朝日杯3歳ステークス(GⅠ) | ミホノブルボン | JRA公式


  • 76二次元好きの匿名さん23/08/26(土) 15:27:59

    スレ主だけどこのスレでの競走馬紹介はここまで
    いずれまたスレ立てて続きを書く予定
    閲覧ありがとう

  • 77二次元好きの匿名さん23/08/26(土) 16:06:25

    >>76

    乙でした。最後にひとつゴメンなさい

    >>67の京王杯OHは京成杯AHですの(小声)

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