- 1二次元好きの匿名さん23/08/27(日) 01:21:10
旧理科準備室、私のコレクション置き場兼タキオンさんの研究室。
私は愛用のマグカッグに口を付けて、残っていた珈琲を飲み干した。
その味は普段よりも苦く、渋く感じられて、今の私の心境を表しているかのよう。
「さあ、そろそろ始めなくては…………いけませんね」
珈琲の片付けを済ませると、とある機材を鞄から取り出す。
それはトレーナーさんからお借りした、ポータブルプレーヤー。
────これから私は、ライブに向けて、歌とダンスの練習をしなければならない。
とあるイベントでライブを披露することとなり、そのための練習。
普段であれば学園内のダンススタジオでレッスンを行うところ。
けれど、今回に関しては可能な限り、誰にも見られたくなくて、ここを選んだ。
タキオンさんは遠征の最中でトレセン学園にはいません。
ポッケさんもご友人とお出かけということで、ここに来ることはない。
トレーナーさんには、今日はお休みと伝えているので、きっとトレーナー室で事務作業中。
…………本当は、あまり良くないこと。
それは分かり切っていて、心は罪悪感で炎を焦らされるように痛くなる。
けれど、それでも、今回だけは、どうしても見られたくなかった。
私は、複雑な気持ちを飲み込みながら、プレーヤーの再生ボタンを押す。
『さあみんな! はっじまるよー!』
満面の笑みを浮かべるトップロードさん。
そう、私が歌い、踊らなければならない曲とは────『トレセン音頭』なのだった。 - 2二次元好きの匿名さん23/08/27(日) 01:21:35
――――なんで……私なんですか……!
トレーナーさんから、私がこの曲のメインボーカルに選ばれたと聞かされた時の第一声。
きっとポッケさんならば、それはもう勢い良くこなしてくれる違いない。
『そういう』役回りという意味合いならば、タキオンさんが適任だと思う。
しかし、トレーナーさんは目を逸らしながら「大人の事情なんだ」としか言ってくれなかった。
上の方からの直々の依頼で断れないらしく、彼は両手を合わせて拝むように私に頼み込む。
…………まあ、結局のところ、トレーナーさんからお願いされると断れない、私も私なのだけれど。
「はぁ……ですが…………これは……」
映像を見終わって、一旦停止ボタンを押しながら、大きなため息を一つ。
踊りそのものはもっと難しい振り付けの曲もあり、覚えるのは苦労しない。
ですが、この、なんというか、素っ頓狂な勢いは、私にはなかなか真似出来なかった。
私は、あらかじめ用意した姿見の前に立ちます。
「さっ、さあみんな、はっ、はっじまるよー…………」
鏡の中には引き吊った、笑顔ようなものを顔に張り付けた黒髪の女。
呼びかけるようにひらひらと振られているはずの手のひらは、指を曲げた状態で固まっている。
それはまるで『これからお前の魂を引きずり出してやるぞ』と悪霊が笑みを浮かべているよう。
これが本当に悪霊の姿であったらどれだけ良かっただろうか。
残念ながら、鏡に映っているのは他でもないマンハッタンカフェ、私自身の姿に間違いなかった。
「……~~っ!」
私は、思わずその場に崩れ落ちてしまう。
あまりにも、あまりにも、私の世界とはかけ離れ過ぎていた。
やはり私には、このような可愛らしい仕草は、似合わない。
同じことをトレーナーさんにも伝えましたが、わかってはもらえなかったことを思い出す。 - 3二次元好きの匿名さん23/08/27(日) 01:21:58
記憶の中のトレーナーさんは、私の言葉に、目を丸くしていた。
私が何を言ってるのかが心底理解出来ない、そう言わんばかりに。
そして、彼は言い放つ。
それはまるで簡単な計算の答えを伝えるように、あっさりと、当然のように。
────そんなことはないよ、カフェ自身が可愛いんだから。
「…………アナタという人は……本当にもう」
あの時の言葉が蘇って、思わず顔に手を当ててしまう。
頬はマグマのように熱くて、けれど、口元は緩んでいて。
トレーナーさんが何気なく言ったことに、私は簡単に撃ち落とされてしまった。
我ながら、なんというか。
私は、ゆらりと立ち上がり、再度プレーヤーに近づいて再生ボタンを押した。
そこにはトップロードさん達が可愛らしい仕草で、歌い、踊っている姿が流れてくる。
私がこれを完璧にこなせば────トレーナーさんはもっと可愛いと思ってくれるのでしょうか。
もはや風前の灯火だった心の種火が、徐々に大きくなっていくのを感じる。
胸の中から熱さが広がっていき、手足に活力が戻っていくような感覚。
……こんな私欲剥き出しなモチベーションの保ち方で、本当良いのでしょうか。
そんな疑問を微かに抱きながらも、私は『トレセン音頭』の練習を再開するのだった
「んーまーっ、まーっ、まーっ、まーっ…………本当になんなんですかこの歌詞」 - 4二次元好きの匿名さん23/08/27(日) 01:22:20
しばらく練習を続けていると、徐々にあの勢いにも慣れてくる。
躊躇いもなくなっていき、曲のメロディーに合わせた踊りや歌が出来るように。
改めて聞いてみれば、祭りらしいハレの日の雰囲気を良く表している素晴らしい楽曲だと思う。
あの良くわからなかった歌詞だってちゃんと見れば………………はい、それはさて置いて。
そろそろ良い時間になってきたので、切り上げなくてはいけない。
「最後に……あの部分を…………もう一度やらないと」
それは、終盤のサビに繋がる、重要なパート。
歌だけではなく振り付け、表情に至るまでしっかりこなさなくては、完璧とは言えない。
再度、鏡に正面から向き合って、大きく深呼吸。
映像の動きを脳裏に思い浮かべて、それをトレースしながら、歌を小さく奏でる。
どどどどどーすんの────。
「…………どーすんの♪」
頬杖をつくようなポーズを取って、軽く小首を傾げて。
明るく、元気で、楽しそうに笑顔を浮かべて、鏡に向けてパチリとウインクを飛ばした。
「カフェ! なんか酸素持ってきてくれとか連絡入ってたけど大丈夫…………あっ────」
直後、慌てた様子で入ってきたトレーナーさんと、鏡越しでパチリと目が合った
きょとんとした顔で、ぽつりと一言だけ漏らし、彼は固まってしまう。
そして私も、ウインクをしたままの状態で、身動きが取れなくなった。
まるで神話のメドゥーサのよう。
痛いほどの沈黙が場を支配する最中、まるで走馬灯のように直前の歌詞が私の頭の中でリフレインする。
どどどどどーすんの、どーすんの。 - 5二次元好きの匿名さん23/08/27(日) 01:22:41
「……なんか滅茶苦茶で息が苦しいとか星が瞬くとかカフェからLANEが入ってて」
「私は……ずっと練習していたので…………きっと“お友だち”の仕業ですね……」
見れば、私のスマホは置いた覚えのない位置にあった。
以前は物を動かす程度だったのですが、最近はどんどん芸達者になっている。
納得したように苦笑するトレーナーさんは、やがて気まずそうな表情を浮かべた。
「あー……ところで、ダンスの練習してたんだ」
「…………すいません……どうしても……一人でやりたくて」
「まあ、気持ちは痛いほどわかるからアレなんだけど、出来れば声だけはかけて欲しいな」
「……はい……今度から必ず…………相談をしますね」
「万が一があると大変だからね、“お友だち”もそれを心配してくれたのかな?」
「それは……ないと思います」
これは、間違いなく、悪戯でしょう。
それほどトレーナーさんを気に入ってくれているのでしょうが、色々と複雑だ。
……私のトレーナーさんだから、ダメだからね?
心の中でそう呟けば、笑い飛ばすかのように部屋からカタカタと音が鳴り響く。
「うわ、急に音が……」
「…………“お友だち”も反省しているみたいなので……許してあげてください」
「まあそれは構わないけど…………良いものも見れたしね」
「……っ!」
トレーナーさんは優しく、そしてほんの少しだけ揶揄うように微笑む。
彼が部屋に入っていた直後、彼の方からは私の顔は見えてないのかと期待していた。
けれどそんなことはないということは、彼がぽつりと零した言葉からすぐにわかってしまった。
────あっ、可愛い。 - 6二次元好きの匿名さん23/08/27(日) 01:23:13
「そっ、それにしても……“お友だち”は…………どんなメッセージを」
私は思い出したように、誤魔化すように、顔の熱さを隠すように話を変えた。
スマホを手に取って、LANEを起動させるとそこにはトレーナーさん当てに、覚えないメッセージが並んでいる。
嘘ではあるものの、そこまで悪質な内容ではなく、ほっと肩をなでおろす。
そして下までスクロールしていって、最後の送信内容。
「こっ、この画像は…………!?」
「……画像なんてあったっけ?」
トレーナーさんは不思議そうな表情を浮かべて、彼自身のスマホを操作する。
それを見て私は、失敗したと気づいた。
最後のメッセージはトレーナーさんが部屋に入ると同時くらいに送られたもの。
すなわち、反応せずにこちらから取り消しをしていれば見られずに済んでいた。
「……うん、やっぱり可愛いよ」
そう言って、トレーナーさんはスマホの画面を私に向ける。
そこには先ほど私が鏡で見た、ポーズを決めてウインクをする私の姿が写っていた。
心が騒めき、かき乱されて、尻尾が、耳が逆立つのを感じる。
ああ、ダメです、トレーナーさん。そんな姿じゃなくて、もっと、もっと。
……もっと?
自分の思考に疑問を抱いて、そして妙にすんなりと、真理に辿り着いた。
私のトレセン音頭は、まだまだ練習中。
もっともっと、上手く歌うことが出来る。
もっともっと、綺麗に踊ることが出来る。
もっともっと、柔らかく笑うことが出来る。 - 7二次元好きの匿名さん23/08/27(日) 01:23:33
「トレーナーさん…………その画像は消してください」
「えっ……あっ、そうだよな、そっか……うん、そうだね」
沈んだ声色でとても残念そうに、トレーナーさんはスマホに目を落とした。
素直な人だ、きっと律儀に画像を削除してくれるのだろう。
操作に集中している彼に、私は静かに近づいた。
彼に、私の本当の意思を、はっきりと伝えるために。
けれど、言葉を口にする直前、ふと、考えてしまう。
本当に、こんなことを宣言しても良いのだろうか、と。
そんな弱気を吹き飛ばすように────トレセン音頭の歌詞が、頭の中に過った。
目指すは頂き、目指すはぶっちぎり、恐れることなかれ。
私は意を決して、彼の耳元にそっと囁いた。
「……いずれ…………もっともっと可愛い私を……見せてあげますから、ね?」 - 8二次元好きの匿名さん23/08/27(日) 01:24:10
お わ り
トレセン音頭は無限に見てられますね
個人的なオススメはパールさんのもーいーよーです - 9二次元好きの匿名さん23/08/27(日) 01:51:40
びゃぁああカフェSSありがたいぃぃ!!疲れた体に染み渡るぅぅ!!!
しかしながら歌詞の使い方が巧みすぎる……あと最後の囁き、尊い……
やべぇ滅茶苦茶描きたい……創作捗る…… - 10二次元好きの匿名さん23/08/27(日) 02:21:08
このコーヒー甘いなぁ…良き…
- 11二次元好きの匿名さん23/08/27(日) 06:28:12
早い そして可愛い
- 12二次元好きの匿名さん23/08/27(日) 06:28:58
マックスコーヒーかな
- 13二次元好きの匿名さん23/08/27(日) 06:36:24
俺はブラックコーヒーを頼んだはずなんだがゲロ甘なので店にクレームつけてくるよ(訳 ありがとうございます
- 14123/08/27(日) 07:17:26
- 15二次元好きの匿名さん23/08/27(日) 07:18:06
すきぃ!
- 16923/08/27(日) 13:35:59
- 17二次元好きの匿名さん23/08/27(日) 13:44:55
画像反映支援
- 18二次元好きの匿名さん23/08/27(日) 13:55:09
お友達いい仕事するじゃないか
- 19123/08/27(日) 19:54:07