- 1二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 10:47:00
- 2二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 10:54:49
「1」
その日、暖かい陽気に恵まれた春空の下、中山競バ場には超満員の観衆が詰めかけていた。
大きなレースが開催される訳でもない。人気ウマ娘が出走するレースがある訳でもない。
ただ一つ、新たな歴史が誕生するかもしれない場面を見るために。
やがてそのレースの時間がやってきた。
僅か6人しか出走しない、格も平場のマイルオープンレース。
でも誰もが、このレースに注目していた。
出走ウマ娘が、続々と共に入場してきた。
メインの一人が、場内実況で紹介された。
『2番人気メイワキミコ。前年にレコード勝ち3度を記録した快速娘。今日も華やかな爆走がみられるか。』
前年のクラシックから短距離で華々しい活躍を見せているメイワに、大きな歓声が送られた。
そして。『1番人気、ヤマブキオー。』
その実況と同時に、かなりのベテランと思しきウマ娘がコースに入ってきた。
その瞬間、地鳴りのような歓声が起こった。「ヤマブキオー!」「歴史を作れー!」
『7年に渡る競走生活で積み上げてきた勝利の数は19。今日勝てばハクチカラ以来21年ぶりとなる中央平地20勝の大記録が達成されます。果たして今日、新たな歴史が生まれるのでしょうか。』 - 3二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 11:08:20
鍋掛牧場生まれという事は栃木産馬か
- 4二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 11:10:13
「2」
「ヤマブキオー先輩!頑張って下さい!」」
大観衆の最前列から、誰よりも熱い声援を送るウマ娘がいた。姿を見ずとも、声だけでそれが誰だがすぐに分かった。
アイフルか…
声援に応えるように横顔に微笑を浮かべ、ヤマブキオーはスタートゲートの方へ走り出した。
「ヤマブキオー先輩、今日も宜しくお願いします。」
ゲート前に着くと、先にそこに待機していたメイワキミコが挨拶してきた。
「やあメイワ。前々走以来の対戦だね、また当たるとは驚いたよ。」
ヤマブキオーも気さくに挨拶を返した。
「ええ、でも嬉しいです。前回の対戦では得意距離なのに先輩に敗れてしまいましたから、今日は絶対に負けません。」
「おお、強気だね。今回は前回よりも斤量差がないけどいいのかい?」
「構いません。前走の負けは重馬場だったのもありますし。今日は晴天の良バ場。スピード武器の私にとっては最高のコンディションですから。」
「あら言うわね。じゃああたしも『オープンの王者』としての貫禄を見せてやるわ。」
「『オープンの王者』…」
メイワはクスッと笑った。「ヤマブキオー先輩は『中距離の王者』でしょう?」
「ふふ…。」メイワの言葉に、ヤマブキオーはちょっと嬉しそうに笑った。
「あんたのような強い後輩を相手に出来て光栄だわ。良いレースをしよう。」「はい。」
最後にそう言葉を交わし、二人はそれぞれのゲートに向かった。
中距離の王者、か。
ゲート前で最後の準備体操を行いながら、ヤマブキオーは胸が込み上げた。
私も、そう言われるだけの存在になれたんだな。
『ヤマブキオー』。それは、確かな伝説をレースに残したウマ娘の名前。 - 5二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 11:19:42
「3」
***
私の名前はヤマブキオー。
私は生まれつき、体質の弱さと脚部不安を抱えていた。
体は弱いけど、私は自分の競走能力に関してはかなり自信があった。
入学後も、レースでトップを狙えるという自負もあった。実際、私は多くの優秀なトレーナーからオファーを受けて順当にレース生活をスタートさせ、同学年の仲間達からも一目置かれる存在だった。
でも、レースデビューから難なく初勝利を挙げた直後、私は早くも壁にぶつかった。
体質の弱さからくる脚部不安から故障が発覚し、いきなり長期休養を余儀なくされてしまったのだ。
誰もが抱くクラシックという夢を、私は早くも失ってしまった。
出れずに終わったクラシックでは地方からきたハイセイコーが大活躍して空前のブームを巻き起こす中、私はそれとは全く無縁の日々を送らざるを得なかった。
そして、その後も脚部不安は私をずっと悩まし続けた。
それなりの成績を残しながらも思うようにレースに出れない日々が続き、焦燥感ばかりが募っていった。
それだけでなく、私は能力においてスピードが優れている反面パワーやスタミナに欠け、長距離で好成績を残すことが難しい弱点があった。
この時代の大舞台といえるレースは長距離レースが殆どで、私がその頂点を目指すのは宿命的に難しい状況にあったのだ。
そうした幾つもの厳しい現実と直面しながら、私は競走生活の日々を送っていた。 - 6二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 11:33:01
「4」
そうした中、3年目の秋。
この年の春に初めて重賞を勝ったもののそれ以降は脚部不安で休養にあてていた私は、11月の1800mのオープン戦で復帰することにした。
するとなんと同じレースに、大レースの前哨戦としてハイセイコーとタケホープ(他に前年の有馬記念勝者ストロングエイトも)出走してきたのだ。
同期とはいえ遥か雲の上のような存在だったハイセイコー(皐月賞・宝塚記念など優勝)とタケホープ(ダービー・菊花賞・春天など優勝)。
この二人と対決出来ることに私は驚きつつも、ここで私の力を見せてやろうと意気込んだ。
そしてこのオープン戦で、私はハイセイコーもタケホープも破って勝った。
タケホープは勿論、中距離以下では無敵だったハイセイコーを私は初めて負かした。
二人に比べれば無名同然だった私が挙げた大金星に誰もが驚き、私は一躍大きな注目を集めることになった。
私自身、まさか本当に二人に勝てるなんて思わなかったし、この勝利は大きな自信にもなった。
“中距離以下ならば私は間違いなくトップレベルにある”と。 - 7二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 11:41:23
「5」
だけどその後の私には、ハイセイコー・タケホープを破ったウマ娘としては到底相応しくない現実が待ち受けていた。
大金星を挙げた直後の秋天では、苦手の長距離とはいえ全く良いところなしの13着に大敗。
その後も芳しくない成績が続き、翌年の春にはまた故障で長期休養を余儀なくされ、私への期待は一気に雲散霧消した。
秋に復帰した後は重賞勝ちなどそれなり成績は挙げたもののあまり目立つものでもなく、私は4年目までを終えた。
明けて5年目。
私はぼつぼつ引退を考える時期に差し掛かっていた。
実際、5年目以降になるともう能力や成績の上昇は難しい。
4年目までの私の成績は21戦8勝。
重賞勝ちが二つあるとはいえ故障の影響でレース数も多くなく、目立つ実績とも一線級の活躍ともいえるものではなかった。
とはいえ脚部不安など弱点を抱えた身としては頑張った方かなと、私は自身の競走生活に潮時に感じていた。
でもそんなことを思っていた矢先、私は運命の出会いをした。
それは年明け初戦の金杯、そのレース前日のことだった。 - 8二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 11:57:19
「6」
金杯の前日、学園で調整を終えた私に会いにきた一つ下の後輩がいた。
名前は、アイフル。
彼女も金杯に出走する一人で、その挨拶として私に会いにきたらしい。
アイフルは私と同じく中距離以下を主戦としているウマ娘だが、特に実績はない無名の存在で、私とも初対面だった。
そしてどうやらアイフルは、私に憧れているようだった。
理由は、私がハイセイコーとタケホープを破ったレースを見ていたかららしい。
「あのハイセイコー・タケホープ先輩を相手に勝ったヤマブキオー先輩がかっこ良すぎて、私も先輩みたいになりたいと思ったんです!」
「あーそー。私はあのレースだけのただの一発屋みたいなもんだけど。」
「そんなことはありません。故障から復帰した後のダービー卿CTも強い勝ち方でしたし、ヤマブキオー先輩は中距離のトップレベルであることは間違いないですから。」
「ふーん。変わり者ね。アイフル、だっけ?」
「はい、まだ重賞すら殆ど走ってないウマ娘ですけど、これから先輩みたいにどんどん強くなっていきますので覚えて下さい!」
「あら、意外と自信家ね。」
「ええ、ずっと惜敗続きで悔しい思いをしてきましたけど、ようやくオープン入りを果たせたんで、これからは一気にいきます!」
「ふーん、アイフルねえ…通算28戦6勝、…2着10回3着6回。私と違って頑丈だったみたいだけど、成績では随分苦労してきたわね。」
「えへへ。」
アイフルは照れくさそうに笑った後、キリッと目を光らせて私に言った。
「明日の金杯、手強い相手が多いですけど、私が勝って見せますので宜しくお願いします。」
「…あら、言うじゃない。」
強気な意思表示をしたアイフルに、私はちょっとだけ驚いた。
「じゃ、私は中距離の先輩として、その厳しさを教えてあげるわ。」
「ええ、是非とも。」
憧れという私に対し、アイフルは少しも気後れしない態度で応えた。
それが、私とアイフルの出会いだった。 - 9二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 12:21:04
「7」
そして、翌日の金杯。
優勝したのはアイフルだった。
私以外にも実績の高い出走者がいたにも関わらず、アイフルは堂々と渡り合って内容ある勝利を収めた。
一方の私は5着に惨敗した。
「ヤマブキオー先輩、思ったより歯応えなかったですね。」
レース後、私と会ったアイフルは辛辣な言葉を投げかけてきた。
「勝てたのは嬉しいですけど、先輩の不甲斐ない走りだけは、対決を楽しみにしていただけにちょっと残念です。」
「…随分と言うわね。」
私は悔しさを感じながらも、言い返す言葉がなかった。
悔しさを滲ませる私に、アイフルは言葉を続けた。
「まあ良いです。また次の対戦時にもう一度先輩のお力を拝見しましょう。それで私が勝てたら、私は愈々長距離を見据えた戦いに入りますから。」
「長距離?あんた中距離以下が主戦じゃないの?」
「ハハ、私はまだ諦めてないんですよ、長距離の大レースを勝って頂点に立つという夢を。その夢を叶える為なら、距離の壁も超えて見せます。」
そう言ったアイフルの視線は、確かに高みを見つめていた。
“負けたくない…”
高みを見据えるアイフルを見て、私はこれまでにない闘争心が湧き上がるのを感じた。
“このウマ娘だけには、絶対に負けたくない…” - 10二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 12:39:17
「8」
そして2ヶ月後の中山記念。私とアイフルは再戦した。
今度は私が勝った。直線で上手く先頭に立つと、猛追してきたアイフルをアタマ差凌いでの優勝だった。
「流石ですねヤマブキオー先輩…これでこそ私が憧れた先輩です…」
レース後、アイフルは負けた悔しさを滲ませながらも嬉しそうに私に声をかけてきた。
「あんたに連続で負けては先輩の面目がないからね。今回は勝たせてもらったよ。」
言葉を返しながらも、私は今までとは違う勝利の味を感じていた。
それは単にレースを勝った味だけではない、勝ちたい相手に勝てた味。
「あんたは、私にとって運命の相手かもね。」
私は、薄々意識していたことをぽつりと言った。
「運命の相手?」
「好敵手ってこと。そういう存在、私には今までいなかったからさ。…これからは、あんたを好敵手だと思って良い?」
「それは勿論です。私も今後は、ヤマブキオー先輩を好敵手として意識します!」
私の言葉を、アイフルは快く受け入れてくれた。
それ以後、私とアイフルは毎戦のようにレースで対決した。
京王杯SHでは私が勝ち、アルゼンチン共和国杯ではアイフルが勝った。
夏のオープン戦でも2度対戦し1勝1敗。
どのレースも、先着した方がレースも勝利していた。
アイフルが目標である秋天を目指して着実に実績を積んでいくのに対し、私も初めて故障なく夏場を超えられ、中距離レースで多くの好走を残せるようになった。
アイフルという好敵手が生まれたことが、私に新しい強さを与えてくれていた。 - 11二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 17:28:50
「9」
やがて迎えた、秋の天皇賞。
この長距離の大レースに、私もアイフルも出走した。
中距離以下でしか実績のない私は低人気だったが、中距離以上でも少しずつ実績を挙げていたアイフルは上位人気に推されていた。
その秋天、私はやはり距離が長く惨敗した。だけど優勝したのはアイフルだった。
中距離までのウマ娘と言われていたアイフルが、3200mのレースで長距離の強豪達を倒し大レースを制したのだ。
前年までは格下のレースでも満足に勝てなかった凡庸なウマ娘が多くの壁を乗り越えて頂点に立った姿に、私は心から感動した。
秋天の後、アイフルと会った私は、彼女を讃えながら色々な話をした。
「あんたは大したウマ娘だよ、本当に距離の壁を超えて頂点に立つなんて。」
「えへへ、先輩に褒められるなんて光栄です。」
「同じ距離を走る仲間としても嬉しいよ。私もまた一つ、あんたから大切なことを教わった気がする。」「大切なこと?」
「夢や目標を持つことだよ。あんたがこれほどの事を成し遂げられたのは、それを抱いてたからだろ?」「ええ、そうです。私には天皇賞優勝という確固たる目標がありました。…また今は、新しい夢が出来ましたが。」
「へーなに?」
「真の頂点に立つことですよ。先に天皇賞で優勝した先輩達や、新たに台頭してきた後輩達を大舞台で倒して、私が最強だと示したいんです。」
「はー、これはまたすごい目標ね。」
「成せると信じてますよ。先輩の目標は?」
「私はねえ…ちょっと大レースとか頂点はもう年齢的に厳しそうだから…それとは違う、達成出来ると思える目標は一つあるわ。」
その後、私はその夢を口にした。
それは、アイフルにだけにしか伝えなかった。 - 12二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 17:47:38
「10」
秋天に続いて、私とアイフルは有馬記念に出走した。
私はともかく、アイフルにとっては現役最強を証明する為の重要なレースだった。
しかし結果は、この年のクラシックの主役だったトウショウボーイがレコードタイムで優勝。2着もその同世代のテンポイントで、アイフルは3着に敗れた(私は4着)。アイフルにとって最強を証明する筈であった舞台は、新世代の強さを証明する舞台となってしまった。アイフルの抱いてた目標は挫折した。
更に翌年の初戦、私とアイフルはアメリカJCCに出走した。しかしここでもまた、先のトウショウボーイ・テンポイントと同世代のライバルであるグリーングラスに二人揃って敗れた(私が2着でアイフルが3着)。
“TTG”と称される新世代は、明らかに私やアイフルとは一段違う強さを持っていた。それを痛感せざるを得なかった。
それでも、アイフルは目標を諦めなかった。
アメリカJCCの後、オープン戦で私に敗れたものの中山記念では私を倒し優勝したアイフルは、続くアルゼンチン共和国杯も勝ち、次の目標を宝塚記念に定めた。
全てはTTGを倒して最強となる為に。
私は宝塚出走に反対した。TTGの強さは、アイフル含め旧世代の自分達とは次元が違うと感じていたから。
年齢的な衰えも含めてもうTTGに優れるとは思えない。
しかもアイフルにとって宝塚記念は初めての関西への遠征レースだ。
勝ち目が見つからないのに何故挑もうとするのかと、私はアイフルを問い質した。
でも、アイフルは意志を変えなかった。
そして6月の宝塚記念。TTG世代以外で唯一出走したアイフルは、TTGの4着に完敗した。
最強への夢が完全に閉ざされると同時に、アイフルの脚部に故障も発覚し、彼女は引退した。 - 13二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 18:11:38
「11」
引退後のアイフルと会った私は、彼女を労いつつも、どうしてこんな無謀な戦いを挑んだのか再度尋ねた。
その時アイフルは、初めてその理由を答えてくれた。
「好敵手だったヤマブキオー先輩が抱いた目標を、後押ししたかったからです。」
「…私の目標の後押し?」
「ええ。先輩の掲げた目標は、私のそれよりも困難だと思った。それを後押しする為には、私がより困難な目標に挑む姿を見せることしか出来ませんでしたから。」
「あんた、私の為にそんなバカなことを?」
「勿論自分の為でもありますよ。私は勝てると信じて、全力をもってTTGに挑んだ。結果は報われずとも、そのことに後悔はしていません。私は目標を叶える為に、やれるだけのことをやりきりましたから。」
そう言うと、アイフルはふっと微笑った。
「あとの私の願いは、この私が残した姿が、ヤマブキオー先輩の偉大な目標を叶える力になることです。最高のライバルだったヤマブキオー先輩の目標…20勝という目標の。」
「…分かった。」
アイフルの言葉を私は胸に噛み締めた。
「必ず、目標を叶えて見せるわ。」
昨年、私が掲げた目標は『中央通算20勝』という数字だった。
その数字に到達出来たウマ娘は歴史上でも十数人しかおらず、ここ20年では誰も到達していないとてつもない記録だった。
アイフルが引退した時、私は通算勝利を15勝まで乗せていた。
しかしもう6年目のという年齢面での衰えや、今後のレースにおける斤量面の負担などからして今後多くの勝利を積み重ねるのは厳しいと感じていた。
でも、もうそんな弱音は封印し、絶対にその目標を叶えると心に誓った。 - 14二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 18:34:45
「12」
その後、私は一つ一つ勝ち星を積み重ねた。
アイフルが引退した2週間後にあったレースは8バ身差で圧勝。
7月のオープン戦ではTTGよりも更に後輩の怪物マルゼンスキーに木っ端微塵にされたけど、8月上旬のオープン戦では『62』という斤量にも屈せずに勝利した。
そして8月下旬の函館記念では『63.5』という大レース覇者でも中々背負わない斤量を背負って勝利を収め、通算勝利を18まで伸ばした。
この勝利で、周囲も私が徐々に近づく20勝という数字に注目するようになっていた。
周囲が騒がしくなる中、私は函館記念の後を休養にあて、翌年に目標達成を成し遂げると定めた。
迎えた翌7年目。普通ならもう引退するか、引退せずとももう第一線での勝利は不可能に近い年齢。
私ももう残された時間がないことは分かっていた。
7年目の初戦は短距離のオープン戦だった。相手には、短距離重賞勝ち含めレコードタイムを次々と出していたメイワキミコがいた。
かなりの強敵相手であり、実績があるとはいえ休み明けの私が勝つのは難しいと思われていた。
だが、私はそのメイワキミコ相手に激闘の末クビ差で下し勝利、遂に20勝に王手をかけた。
でも20勝に王手をかけた次戦の中山記念では、得意距離に関わらず勝てるチャンスもなく敗れた。
もう戦える力は僅かしか残っていない。
それを痛感しつつ、私は中山記念から2週間後のマイルのオープン戦に出走を決めた。
そしてこの日。
今度こそ20勝を達成させると決意して、私は中山競バ場のターフに立っていた。 - 15二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 19:25:35
「13」
***
ファンファーレが鳴ると、ヤマブキオーは大きく深呼吸してゲートに入った。
これが通算45戦目。数多くの経験を重ねてきた彼女でも、これまでとは桁違いに胸が高鳴っていた。
最もそれは緊張ではなく、高揚感だった。
これまでの歴史で、どれだけのウマ娘が〈20勝〉という数字への挑戦権を得られただろうか。
自分はその数少ない一人になれたんだなと、その事実に高揚していた。
傍らを見ると、メイワキミコら他の出走者達もゲート入りしている。
いよいよ出走か。
ヤマブキオーは胸の高鳴りを抑えて、スタートに集中した。
レースがスタートした。
快速ウマ娘のメイワキミコが好スタートから先頭に立ち、そのまま逃げる形でレースを引っ張る展開となった。
一方無難なスタートを切ったヤマブキオーも、メイワキミコの2、3馬身後方につけてレースを進めた。
「余裕ですね先輩。」
先頭を走るメイワが背向けたまま声をかけてきた。
「余裕あるのは結構ですが、油断するとこのまま逃げ切っちゃいますよ。」
「心配いらないよ。あんたといきなり競り合うなんて愚はしないからさ。前走は入れ込んで息切れしちゃったし、もう同じ失敗はしないよ。」
「はー、修正能力あるんですね。」
「それもあたしの取り柄だからね。そうじゃなきゃすぐに連敗しちゃうし、勝ち星なんて碌に積み上げられないもん。」 - 16二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 19:36:45
「14」
レースはメイワが逃げる展開のまま、3コーナーを迎えた。
他走者が徐々に彼女との距離を狭めようと動く中、ヤマブキオーはまだ特に動かずにいた。
「まだ来ないんですか?本当に逃げ切っちゃいますよ。」
「行きな、まだタイミングじゃないから。」
「タイミング?ふふ、いつでも私など捉えられるという余裕ですか。」
「はは、余裕ねえ…」
メイワの言葉に、ヤマブキオーはふと懐かしむような表情をした。
「私は、あいつが現れてからは余裕で走れたことなんてあんまりなかったな。」
「あいつ…アイフル先輩でずか?」
「あら、よく分かったわね。」
「分かるに決まってるじゃないですか。ヤマブキオー先輩とアイフル先輩のライバル関係は有名ですし。」
「えー有名なの?」
「有名ですよ。いつもヤマブキオー先輩が先行勢を外から追い込んで先頭に立って、その後にアイフル先輩が追い込んでくる展開ばかりでしたし。」
「はは、あいつの切れ味は凄かったからねえ。」
今日この場に来ているであろう好敵手の姿が浮かび、ヤマブキオーは笑った。
「あいつ程じゃないけど、私もそれなりのキレは持ってるからねえ…そろそろいくか。」
4コーナーが近づいたのを見、ヤマブキオーは動き出した。
他の走者達と違い、明らかに余裕ある手ごたえで。
『レースは4コーナー!ヤマブキオー上がってきた!ヤマブキオーやはり外からだ!レースは最後の直線に入りました!歴史を創るのかヤマブキオー!』 - 17二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 19:45:42
「15」
直線に入った時点で、メイワキミコとヤマブキオーの差はまだ2バ身ほどあった。
しかし残り200mを切る頃には、末脚を繰り出したヤマブキオーはまだ余裕を残したままで、メイワキミコの横に追いついていた。
「…勝負ありですね。」
並びかけられたメイワが、懸命に抵抗しつつも観念したように苦笑した。
「斤量差が殆どないとこれだけの実力差ですか。やはり中距離の王者ですね。」
「ハハ、そう言ってくれると嬉しいよ。」
大観衆の大歓声が降り注ぐ直線、ヤマブキオーは嬉しそうに微笑った。
「あんたには少し距離が長かったからね。さすがにこのレースでは私に一日の長があるわ。」
「私じゃ相手不足でしたか?」
「まさか。私が強過ぎるだけで、あんたも充分強いでしょ?」
「あはは、言ってくれますね。」
「中距離の王者だからね。一度ぐらい言ってもいいじゃん。」
ヤマブキオーは笑ったあと、言葉を続けた。
「でも、あんたのように強い相手がこのレースに出てくれたことには感謝するわ。大きな歴史を創る時はそれに相応しい相手も必要だから。」
「それはありがとうございます。では、歴史を創って下さい。」
「うん。」
メイワの言葉に頷き返すと、ヤマブキオーは差し迫ったゴールを見据え、最後の末脚を炸裂させた。
『ヤマブキオー、メイワキミコを交わした!ヤマブキオー先頭だ!ヤマブキオー先頭!遂に、遂に21年ぶりの扉が開かれます!ヤマブキオー1着でゴールイン!この瞬間、中央平地20勝ウマ娘が新たに誕生しました!その名はヤマブキオー!長らく脇役に甘んじたウマ娘が史上に残る大偉業達成!』 - 18二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 20:06:57
「16」
“よしっ!”
ゴールした瞬間、ヤマブキオーは右手を大きく突き上げ、満面の笑顔で大観衆を向いて何度もガッツポーズをした。
大レースとは無縁だった彼女が初めてする派手な喜びの表現だった。
「おめでとうございます!ヤマブキオー先輩!」
レース終了後、観衆の中から飛び出して駆け寄ってきた後輩がいた。言うまでもなくアイフルだった。
「素晴らしい、圧巻の勝ちっぷりでした!」
「ありがと、少しはかっこいい姿見せれたかしら?」
「何言ってるんですか、先輩はいつもかっこいいですよ。」
「あはは、褒めるわね。」
ヤマブキオーは照れたように笑い、それからほっとしたようにアイフルを見つめた。
「あんたとの約束は果たせたわ、ありがとう。これで私も、少しは皆の記憶に残るウマ娘になれたかしら?」
「何言ってるんですか。」
アイフルは、場内の光景を見て下さいと促した。
大観衆の歓声、ヤマブキオーの打ち立てた大記録への祝福と賛辞の嵐に、場内は満ちていた。
「記憶にも記録にも残り続けますよ。先輩の打ち立てた記録も、その残した蹄跡も。」
「…ありがとう。」
ヤマブキオーは、ちょっと声を詰まらせて目元に手を当てた。
「あれ、先輩泣いてるんですか?」「うるさいわね、泣いてなんかないわよ。」
照れくさそうに目元をゴシゴシすると、ヤマブキオーは目を開いて再び大観衆を見た。
その観衆の中には、かつて彼女と共にレースを走った戦友達の姿も数多くあった。
「皆、ありがとう!」
ヤマブキオーは大きく声を張り、満面の笑顔で右腕を突き上げた。
(終わり) - 19二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 20:07:44
参考
ヤマブキオー 73年世代の競走馬 八大競走勝ちはないが中央距離以下の重賞で6勝 現在最後の中央平地20勝馬
アイフル 74年世代の競走馬 76年の秋天優勝馬&最優秀古馬
メイワキミコ 77年世代の競走馬(牝馬) スプリンターズS連覇など短距離で活躍
76年金杯〜77年中山記念まで、ヤマブキオーとアイフルは11度対戦(アイフル6勝・ヤマブキオー5勝) - 20二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 21:28:04
TTG時代を調べてたら見つけたヤマブキオー
こんなすごい馬いたんだな - 21二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 21:34:13
ハイセイコーと同期なのね。今と違ってOP戦出やすいとはいえ中央で20勝は凄い
- 22二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 21:45:22
アイフルは1着12回、2着13回、3着10回と1〜3着全てで二桁回数記録してる珍しい馬
- 23二次元好きの匿名さん23/08/30(水) 23:40:06
距離の面で時代に恵まれなかった馬
- 24二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 01:52:39
もしかして対TTGってク〇ゲーなんじゃないスか?
- 25二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 06:39:16
TT・TGだけなら勝負になる
- 26二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 07:57:22
ヤマブキオーとアイフルのライバル関係は当時の競馬ファンの間では結構有名だったらしい
11回対戦して戦績はほぼ5分、先着した方が大体レースも勝ってる
この両馬に同一レースで先着出来たのはTTGだけ - 27二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 09:45:09
最後の20勝馬なのに知名度低いのが意外