- 1二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 20:35:18
- 2二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 20:39:56
「53」ランニングフリー 86年世代 47戦7勝 主な勝ち鞍 日経賞・アメリカJCC・福島記念
デビューからしばらくは条件戦で走り続ける。徐々に好走を重ね4歳11月の福島記念では重賞初挑戦ながら優勝。しかし翌5歳は惨敗続きで未勝利に終わる。5歳までは22戦4勝と重賞勝ちはあるが他は特に目立つ成績はなかった。
しかし6歳春、条件戦とOP戦で好走すると格上の春天に挑戦、当然13番人気の低評価だった。しかしレースではタマモクロスに次ぐ2着と大健闘。長距離馬としての資質を開眼させる。
その後秋天で5着、有馬記念で4着とG1で存在感を見せてこの年を終える。
7歳になると1月のアメリカJCCで2年ぶりの重賞制覇。続く日経賞も優勝し、春天の有力候補に。しかし春天本番ではレコード勝ちしたイナリワンの5着に完敗。秋も秋天・JCと着外に敗れた。しかし年末の有馬記念では4着に好走。
翌8歳も現役続行。年明けから重賞で立て続けに好走し、春天では4着に健闘。秋の秋天も5着に入るなど、高齢ながら活躍を続けた。翌9歳のアメリカJCC3着を最後に引退。
昭和から平成にかけて活躍した『無事之名馬』『馬主孝行』の象徴ともいうべき名脇役。特にG1での渋い活躍が目立ち、12回のG1出走中入着は7回、8着以下は1度もなかった。長距離に強く、春天・有馬の長距離G1では出走した6回中着外は1回のみ。またオグリキャップと数多く対戦(10回)しており、うち2回先着している。オグリキャップに2回先着したG1未勝利馬はランニングフリーだけである。また通算獲得賞金は4億を超え、86年世代で2番目につけている。 - 3二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 20:40:17
立ておつ
今月の優駿が脇役にスポット当てて面白かった - 4二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 20:46:55
「54」ランニングゲイル 97年世代 中央24戦4勝 地方8戦0勝 主な勝ち鞍 弥生賞
父は前記のランニングフリー。デビューから4戦は惨敗の連続だったが5戦目で初勝利。更に京都3歳S(OP)ではナリタブライアンのタイムを更新するレコードで勝利し注目を集める。しかし年末の朝日杯は道中不利を受けたこともあり4着敗戦。年明けOP戦を2着とした後、皐月賞トライアルの弥生賞に進む。
この弥生賞には当時猛威を振るっていたサンデーサイレンス産駒(サイレンススズカ・オースミサンデー)、それに対抗するブライアンズタイム産駒(サニーブライアン)、この年台頭したメジロライアン産駒(エアガッツ)、他にもリアルシャダイ産駒やミルジョージ産駒など、出走メンバーには良血馬がひしめいていた。その中で父がランニングフリー(通算産駒30頭未満)というランニングゲイルは、血統的には雑草中の雑草中といえた。
しかしレースでは3コーナーから一気に捲りをかけると4コーナーで先頭にたち、直線では独走状態に。他の良血馬達を相手に圧巻の勝利を収めた。この勝利で一躍クラシックの最有力候補になる。
しかし皐月賞では6着、ダービーも5着に敗戦し、その後故障により離脱。1年後に復帰するがOPを1勝したのみで他は惨敗が続き、6歳1月に再び故障すると翌年から地方に移籍。しかし地方でも惨敗が続き引退した。引退後は種牡馬にならず繋養され、28歳の長寿を全うした。
成績だけなら弥生賞の一発屋ではあるが、その一戦だけでも強烈な印象を残した馬。サンデーサイレンス・ブライアンズタイム・メジロライアンといった名種牡馬の産駒達が覇を競った97年のクラシックに割って入った、ランニングフリーの産駒ランニングゲイル。弥生賞で勝った時の大歓声はG1に劣らない程の大きさだった。
動画は優勝した97年弥生賞(なおこのレースはサイレンススズカのゲートくぐり&大出遅れ、ゴール前での『4馬身のリードをゲイル』という迷実況などでも有名)
- 5二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 20:59:54
「55」カネツクロス 94年世代 28戦9勝 主な勝ち鞍 アメリカJCC・鳴尾記念・エプソムC
4歳時にデビュー戦を含む2勝を挙げ、5歳に入ると5戦して連対を外さない好調ぶりで6月のエプソムCに出走。この時鞍上の的場均は先週にライスシャワーを亡くしかなりの傷心状態だったが、カネツクロスは彼を励ますように勝利を収め重賞初制覇を果たす。その後も毎日王冠は10着に大敗したが次戦のOP戦を勝つと11月の鳴尾記念を逃げきりで優勝すると翌年1月のアメリカJCCも逃げきりで優勝。直近10戦を7勝2着2回という充実ぶりを見せ、春天の有力候補に。
しかし続く日経賞で圧倒的な人気を集めながら2着に敗れた後、故障により春天を回避。夏の宝塚記念に出走したが6着に惨敗し、その後のレースは好走も出来ない不振に陥り、1年半後に引退した。
重賞3勝などの実績を残した名馬であり、またカネツクロスはあのタマモクロスの代表産駒の一頭で、その点でも大きな人気を集めていた。日経賞までは19戦して9勝2着4回という極めて優秀な成績を残していただけに、その後の急激な不振は未だ不明。
動画は優勝した96年アメリカJCC
- 6二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 21:03:47
「56」ヒロデクロス 95年世代 50戦7勝 主な勝ち鞍 市川S(条件戦)
父はタマモクロス。6歳までは主に条件戦を走り、35戦して7勝2着9回3着3回と中々安定した成績を残していたが、重賞では全て惨敗していた。
7歳になって挑戦した重賞も連続して着外に敗戦。6月に出走した安田記念では、メンバー17頭中最下位人気だったのも至極当然だった。
だがここでヒロデクロスは不良馬場の中を予想外に激走し、引き離されたもののタイキシャトルの3着に入るというまさかの大健闘を見せる。
その後は関屋記念5着・スワンS3着と重賞でも好走し、11月のマイルCSへ。安田記念より大分ましになったとはいえここでも9番人気の低評価だったが、タイキシャトル圧勝の後ろで壮絶な2着争いに加わり、再び3着に健闘。春秋マイルG13着という結果を残した。
翌年も現役を続けたが燃え尽きたのか全て着外に敗れ、引退した。
マイルG1連続3着という実績を残しているが、主な勝ち鞍は条件戦の市川Sに留まっている。条件馬が大レースで好走することはたまにあるが、2度やった馬はそうそういない点、ヒロデクロスは中々珍しい馬。
動画は3着に健闘した98年安田記念
1998年 安田記念(GⅠ) | タイキシャトル | JRA公式
- 7二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 21:10:53
「57」ノースサンデー 96年世代・牝 23戦3勝 主な勝ち鞍 アネモネS(OP)
3歳8月にデビューし同年は初勝利を含む2勝。4歳になるとクイーンC3着、アネモネS(OP)を勝ち桜花賞へ。9番人気の低評価だったがレースでは直線で内からよく伸び、ファイトガリバーの3着に好走。続くオークスでは6番人気に。
オークス本番ではスタートから先手をとり、うまくスローペースの逃げに出る。そのまま最後の直線に入ったが、ここでまさかの事態が発生。順調に逃げをうっていたノースサンデーが突然外に大きく斜行し後続に接触、更にその反動で今度は内に大きくよれて再び後続に接触、蛇行と見える程のアクシデントを起こしてしまう。その後なんとか立て直したノースサンデーは5位入線をしたが、多くの他馬の進路を妨害したとして12着に降着となった。
このオークス後は凡走が続き、勝てないまま5歳末に引退した。
96年オークスのノースサンデーの斜行事件は91年秋天のメジロマックイーンの斜行事件と並び20世紀のG1で有名な斜行事件の一つ。救いがあるならば優勝したエアグルーヴと2着ファイトガリバーの激走も大きな見所として残ったところか。とはいえ斜行妨害を受けた他馬は勿論、その後変わってしまったように不振に陥ったノースサンデーも不幸だった。
動画は斜行事件のあった96年オークス
1996年 オークス(GⅠ) | エアグルーヴ | JRA公式
- 8二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 21:17:02
「58」ジンクエイト 77年世代 26戦6勝 主な勝ち鞍 日経新春杯
デビューは4歳。2戦目で初勝利を挙げ、秋から年末にかけては条件戦を3連勝。翌年1月の日経新春杯に重賞初挑戦する。
このレースには海外遠征を控えたテンポイントが出走していた。そしてレース中、テンポイントが悪夢の故障で競走中止という衝撃が起きる中、優勝したのはジンクエイトだった。
このレース後、ジンクエイトは春天で人気薄ながら4着と健闘するがその後は惨敗が続き、更には故障で1年余りの休養を余儀なくされる。
復帰したのは7歳2月。復帰後も惨敗が続いたが、4月の条件戦で2年3か月ぶりの勝利を挙げる。その余勢で春天に出走。15番人気という低評価だったが、レコード勝ちしたニチドウタローと僅差の3着に健闘した。次戦の宝塚記念8着を最後に引退。
競馬史上最大の悲劇の一つとされる78年日経新春杯のテンポイントの故障。そのレースの勝者となったジンクエイトは、テンポイントの悲劇を思い出したくない故に一時期はその馬名を口にすることすら忌まれていた。それはジンクエイトの競走生活にも大きな影を落としていたかもしれない。それで最後に僅かな輝きを残せたことは幸いだった。
動画は3着に入った80年春天
- 9二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 21:26:30
「59」ビンゴガルー 79年世代 16戦7勝 主な勝ち鞍 皐月賞・朝日杯・セントライト記念・京王杯AH
3歳夏にデビュー。6戦して3勝を挙げ、年末の朝日杯も優勝。最優秀3歳牡馬に選出される。
翌年は年明けから3戦連続で惜敗するが、皐月賞本番ではリキアイオー・カツラノハイセイコらを下し優勝。しかし続くダービーでは1番人気ながらカツラノハイセイコの4着。秋は重賞連勝から挑んだ菊花賞で再び1番人気に推されるが早仕掛けが災いし3着に敗れた。
それでも年末の有馬記念では3番人気に推され出走。
だがレースではグリーングラスが優勝した一方で、ビンゴガルーはレース中に故障発生し競走中止という悪夢に見舞われる。診断の結果重度の骨折と判明し、予後不良の診断が下される。
しかし、そのまま薬殺処分される筈だったにも関わらず馬主の必死の願いにより治療を選択。
その結果、奇跡的に骨折から快復。無事に引退し種牡馬入りした。
予後不良から奇跡的に快復した馬。もしビンゴガルーが快復せずにこの世を去っていたら、79年有馬記念のグリーングラスの奇跡のラストランの評価や印象もかなり変わっていたことは間違いない。それだけにこのビンゴガルーの奇跡の復活は大きく称賛された。
また、この79年有馬記念は八大競走勝利馬が9頭出走するなど歴代屈指の豪華メンバーだった。
動画は優勝した79年皐月賞
第39回 皐月賞 ビンゴガルー 牡3 57 小島太 1979.4.15 出走馬:カツラノハイセイコ、ネーハイジェット、リキアイオー、ヨシノスキー、ニホンピロポリシー、サエキヒーロー、サ
- 10二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 21:34:07
「60」メジロファントム 78年世代 44戦5勝 主な勝ち鞍 目黒記念・東京新聞杯
4歳時までは故障もありクラシックとは無縁で、推薦で出走出来た有馬記念も大敗。
しかし5歳2月に東京新聞杯で重賞初勝利を挙げ、その後の重賞でも好走を続けると、秋の天皇賞で人気薄ながらスリージャイアンツのハナ差2着に健闘。続く有馬記念もグリーングラスのハナ差2着に入り、一線級の実力を見せる。
しかしその後故障が発覚し翌6歳は夏まで全休した。秋に復帰すると、秋天でプリテイキャストの大逃げに引き離されながらも2着。これで八大競走3連続2着となる。続く有馬記念では1番人気に推されたがホウヨウボーイの4着に敗れた。
その後も7歳、8歳と現役を続行。年齢を感じさせない走りで大レース含め重賞で好走を重ね、8歳11月の目黒記念では3年2ヶ月ぶりに勝利。翌9歳になっても春天で4着など最後まで力を見せ、同年夏に引退した。
引退後は誘導馬として活躍。誘導馬引退後は功労馬として余生を送り、29歳でこの世を去った。
70年代後半〜80年代前半にかけて活躍したメジロ史上最強の脇役。馬体の美しさでも人気があった。八大競走&宝塚記念で2着3回3着3回、重賞での通算入着数は25回と驚異的な数字を残している。5年連続有馬記念出走はナイスネイチャなどと並び20世紀最多。
動画は最後の勝利となった82年目黒記念(秋)
第95回 目黒記念(秋) メジロファントム 牡7 58 的場均 1982.11.21 出走馬:スーパーサバンナ、ウインバトル、ピュアーシンボリ、アラナスゼット、タケノダイヤ、キョウエイ
- 11二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 21:40:25
「61」キクノペガサス 84年世代・牝 9戦6勝 主な勝ち鞍 愛知杯・阪神牝馬特別・中日新聞杯
デビュー戦は4歳3月と遅れたが完勝。2戦目も完勝したが故障で離脱し春のクラシックには出れず。秋に復帰するとサファイアSでは斜行による不利もあり桜花賞馬ダイアナソロンの3着に敗戦。続く条件戦は楽勝しエリザベス女王杯へ。重賞未勝利ながら5番人気に推され、レースではキョウワサンダーの大駆けに敗れるも2着に好走。その後12月の愛知杯ではニシノライデンなどを破り重賞初制覇。続く阪神牝馬特別でもオークス馬トウカイローマンやグローバルダイナといった強豪牝馬を一蹴し優勝。翌年は京都牝馬特別では2着だったが中日新聞杯では優勝。このレースを最後に引退した。
G1未勝利だが84年世代の隠れた最強牝馬と呼ばれる。クラシックを制した同期の牝馬を全頭破っている。不利を受けたサファイアS以外の8戦は6勝2着2回で負けたレースも僅差と頭抜けた安定感をもっていた。引退の理由は不明だが、まだまだ走る姿が見たかった馬。
動画は2着だった84年エリザベス女王杯
1984年 エリザベス女王杯(GⅠ) | キョウワサンダー | JRA公式
- 12二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 21:46:38
「62」カシマアーバン 83年世代 平地70戦7勝 障害4戦1勝 主な勝ち鞍 ディセンバーS(条件戦)
デビュー8戦目で初勝利。その後は5歳まで主に条件戦以下で3勝と凡庸な成績だったが、6歳に入ると夏までに条件戦で3勝を挙げ、秋には重賞でも好走する。7歳以降は重賞も数多く走るようになり、好走も多く残す。しかし勝つことができないまま、8歳秋には障害に転向。4戦して1勝を挙げたがその後引退した。
条件戦から重賞にかけて長く走った名脇役で、平地レース2着17回(障害含めると19回)という記録を残している。3着も7回(障害含めると8回)記録しており、通算入着数は実に49戦(障害含めると53戦)という驚異的な数になる。その為G2以上未出走の重賞未勝利馬ながら獲得賞金は2億を超えており、ミスターシービー・カツラギエース・ニホンピロウイナーなど強豪揃いの83年世代で賞金ランキング9位に入っている。
動画・画像なし - 13二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 21:55:07
「63」サザンフィーバー 85年世代 5戦2勝 主な勝ち鞍 黒松賞(条件戦)
父のベストブラッドはかなりの良血で馬体も良く大きな期待を集めていたが、脚部不安の為で一度もレースに出ることなく競走生活を終えた。引退後のベストブラッドは種牡馬になり種付けは無料に設定されたが、それでも初年に種付けされたのは1頭のみ。その1頭から生まれたベストブラッドの唯一の初年度産駒がサザンフィーバーだった。
サザンフィーバーはデビュー前から優れた素質を見せ、デビュー戦ではスダホークらを相手に9馬身差で圧勝するという衝撃のデビューを果たし、次戦の黒松賞も勝つ。
だが翌4歳の初戦は3着、次の共同通信杯4歳Sも不良馬場に苦しみサクラユタカオーの3着に敗れた。
そして迎えたスプリングS。出走馬にはミホシンザン・スクラムダイナ・クシロキング・ダイゴトツゲキなど錚々たる同期が集った。
それらの強豪を相手にサザンフィーバーはスタートから逃げにでて、余裕を保ったまま直線に入った。
しかし逃げ切り濃厚と思われた中、残り200m手前で突然故障を起こし転倒。粉砕骨折の重傷で安楽死の処置がとられ、この世を去った。
不幸にも突然の悲劇でこの世を去ったサザンフィーバーだが、僅かな期間とはいえ彼が見せた活躍は父ベストブラッドの種牡馬価値が注目されるきっかけとなり、種付けが急増。その後ベストブラッドは重賞馬ホワイトアローなどを輩出し種牡馬として存在感を見せることになる。サザンフィーバーは「父を救った馬」として、今でも語り継がれている。
動画は3着だった85年共同通信杯4歳S
第19回 共同通信杯4歳ステークス(GⅢ) サクラユタカオー 牡3 55 小島太 1985.2.10 出走馬:ジョーダッシュ、サザンフィーバー、ロードキルター、スダホーク、ロンスパー
- 14二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 22:14:10
「64」エルプス 85年世代・牝 11戦6勝 主な勝ち鞍 桜花賞・4歳牝馬特別・京王杯AH・3歳牝馬S・函館3歳S
かなり小柄な馬体でデビュー前はそれほど注目されなかった。しかしデビュー戦は大敗したものの2戦目で7馬身差の逃げ切り勝ち。続く函館3歳Sでも逃げ切りで重賞制覇。だが次のOP戦では逃げられず最下位大敗。その為次戦の3歳牝馬Sでは11番人気と評価を落とす。しかしここでは逃げが成功し優勝。
翌4歳初戦の4歳牝馬特別も逃げ切り優勝し、桜花賞では本命の一頭として出走。
好スタートから逃げに出ると、重馬場中を快走し優勝。鞍上の木藤隆行騎手も初の大レース制覇だった。
続くオークスは大外枠の為逃げられず距離もあり大敗。それでも秋の京王杯AHでは日本レコードに0.1秒差に迫る好タイムで優勝し重賞5勝目を挙げる。その後は長いローズS2着・エリザベス女王11着と敗れ、その後故障を発症し引退。この年の最優秀4歳牝馬に選出された。
マイル以下で無類の強さを発揮した逃げ牝馬。小柄な馬体で快走する姿は大きな人気を集めた。成績も逃げ馬らしく極端(ローズS以外の負けレースは全て大敗)だった。また同期の強豪牝馬タカラスチールとは5戦5勝(レースも勝っている)だった一方、レース人気では1度しかタカラスチールの上位につけたことがないという不思議な関係だった。
動画は優勝した85年桜花賞
- 15二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 22:18:32
「65」タカラスチール 85年世代・牝 32戦8勝 主な勝ち鞍 マイルCS・関屋記念・クイーンC
デビューから4戦はパッとしなかったが2勝目を挙げたあとは成績が安定し、4歳1月のクイーンCで重賞初制覇しクラシックの有力候補に。しかし1番人気に推された桜花賞では15着に大敗。
その後はクラシックを諦めマイル以下の路線を走り、8月の関屋記念で重賞2勝目。この時点で通算7勝を挙げていた。
しかし次戦の京王杯OHで天敵エルプスの6着に敗れたあとはしばらく勝利から見放される。5歳時は10月のスワンSまで重賞で5戦3着以内に入りながらも未勝利だった。
しかし11月のマイルCSで、6番人気ながら並いる強豪を下し優勝。1年半ぶりの勝利をG1初制覇で飾る。その後は4戦して未勝利に終わり、6歳4月に引退。
グレード制以降、初めて古馬G1を制した牝馬として名を残している。後に古馬G1ではパッシングショット・ダイイチルビー・ノースフライトなど多くの牝馬が優勝し、それらの牝馬に比して実績で劣るタカラスチールの印象は時代が経つにつれだいぶ薄くなってしまった。
しかしタカラスチールがマイルCSで破った相手はあのニッポーテイオーであり、彼をハナ差で退けての優勝は価値が高い。また28戦目でのG1勝利は20世紀の牝馬の中では最も遅い記録であり、タフさにおいても評価される馬である。
動画はニッポーテイオーを下し優勝した86年マイルCS
1986年 マイルチャンピオンシップ(GⅠ) | タカラスチール | JRA公式
- 16二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 22:22:25
「66」バリモスニセイ 64年世代 40戦12勝 主な勝ち鞍 産経大阪杯・鳴尾記念・スワンS・阪急杯・朝日CC・京阪杯・中日杯・京都杯
クラシックでは皐月賞・ダービーとシンザンの後塵を拝したが、秋に朝日CCで重賞初制覇を果たした後連闘で挑んだ京都杯でシンザンに勝利。ただ菊花賞では6着に敗れシンザンに三冠制覇をされてしまう。
翌年春はシンザンが休養していたが無双状態のアサホコがおり、春天では3着に完敗。夏の宝塚記念では復帰したシンザンと対決するが惜しくも半馬身差に惜敗。秋天もシンザンの11着に大敗し大レース制覇はならなかった。しかしこの年は鳴尾記念など重賞3勝を挙げるなど結果も残した。
翌年は大阪杯でキーストンらを破りレコード優勝、スワンSではハクズイコウ・カブトシロー・ダイコーター・チトセオーといった当代の強豪を下し優勝。しかし春天はレース前に競走除外の憂き目にあってしまう。その後秋の京阪杯でワカクモなどを破り重賞8勝目。当時の重賞最多勝記録に並ぶ。しかしその後は惨敗が続き、7歳6月に引退した。
シンザンを重賞競走で破った唯一の馬。成績が示すように大レースを勝ってもおかしくない実力の持ち主だった。
動画はシンザンの2着だった65年宝塚記念
第6回 宝塚記念 シンザン 牡4 59 栗田勝 1965.6.27 出走馬:バリモスニセイ、パスポート、ハツライオー、ヒカルポーラ、オーヒメ他
- 17二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 22:28:47
「67」アサホコ 63年世代 50戦12勝 主な勝ち鞍 春天・アメリカJCC・スワンS・京王杯SH・金杯
「シンザンが恐れた馬」と呼ばれる馬。3歳にデビューし4歳時は22戦走るが全て条件戦で、5歳もほぼ条件戦のみを走り、数戦出走した重賞も好走はあったが未勝利に終わる。
しかし6歳初戦の金杯で重賞初制覇を果たすと、その後アメリカJCC・京王杯OH・スワンSと重賞4連勝。突如覚醒する。
続く春天では大本命のシンザンが体調不良で回避し、アサホコが断然の1番人気となる。
レースでは不良馬場を独走。後続に7馬身差をつける圧勝で春天を制する。
その後夏は調子を落としてOP戦を2勝するにとどまり、7歳5月のアルゼンチンJCCでコレヒデの2着に敗れたのを最後に引退した。
晩成馬の代表格。5歳まではほぼ条件戦で40戦5勝だったのに対し、6歳以降は10戦して重賞5勝含む7勝2着2回と、空前絶後とも言える突然の覚醒ぶり。もし春天でシンザンが出走出来ていたとしても、当時のアサホコには勝てなかったかもしれないと言われている。
動画は優勝した65年春天。レースを見る限り確かにシンザンと互角以上だったかもしれない。
- 18二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 22:32:02
「68」カミノテシオ 73年世代 21戦5勝 主な勝ち鞍 秋天・京成杯
デビューから好成績を残し、4歳1月の京成杯で重賞初制覇を果たしクラシックの有力候補に。しかし弥生賞では怪物ハイセイコーの4着に敗れ、皐月賞でもハイセイコーの7着に惨敗。
それでもダービー前哨戦のOP戦を圧勝し、その後の調教も絶好調で打倒ハイセイコーの1番手と目される。だがダービー前日の調教後に故障を発症し無念の出走回避。更にその後1年以上の休養を余儀なくされる。
4歳夏に復帰、未勝利ながら毎日王冠3着、目黒記念2着と好走しなんとか秋天への出走を決める。ハイセイコーが出走回避したこともあり本命不在の混戦状態の中、5番人気に推された。レースでは直線で横一線から抜け出し、同期のイチフジイサミの追撃を凌いで優勝。天皇賞馬の栄光に輝いた。
その後は燃え尽きたように惨敗が続き、6歳末に引退した。
優勝した秋天は、本命のハイセイコーが不在だったこと、カミノテシオがハイセイコーに未先着だったこと、その後のカミノテシオの不振などもあり評価も印象もやや低い。しかしハイセイコー不在とはいえ秋天のメンバーは当代の強豪が顔を揃えており、その中で優勝したことはカミノテシオの実力を証明している。ちなみにタケホープに対しては2戦2勝だった。
動画は優勝した74年秋天
1974年天皇賞秋 カミノテシオ ~実況:ラジオ関東・林洋右アナ
- 19二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 22:49:59
「69」スガノホマレ 72年世代 45戦8勝 主な勝ち鞍 京王杯AH・CBC賞・東京新聞杯・日本短波賞
デビューから類い稀なスピードを武器に、4歳6月まで実に3回のレコード勝ちを収める。クラシックでは無縁だったが日本短波賞ではイシノヒカル(この年の菊花賞&年度代表馬)を破り重賞初制覇。年末のCBC賞(当時1400m)でもレコード勝ちで優勝する。
翌5歳も東京新聞杯で優勝するなど活躍したが、春天でレース中に故障し競走中止するアクシデントに見舞われ、その後1年以上休養を余儀なくされる。翌年夏に復帰すると、夏の京王杯AH(当時1800m)では日本レコードで優勝する。しかしその後は20戦以上走るも未勝利に終わり、8歳末に引退した。
昭和最強世代とされる72年世代の快速馬。全て異なる距離での5回のレコード勝ちはタケシバオーと並ぶ中央タイ記録。京王杯AHで記録した1800m1分46秒5の日本レコードは12年後のサクラユタカオーまで破られなかった。 - 20二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 22:55:37
名馬の裏にもまた名馬がいるって言うのも面白いな
- 21二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 23:07:40
「70」ベルワイド 71年世代 33戦8勝 主な勝ち鞍 春天・目黒記念・セントライト記念
4歳まではセントライト記念を優勝したもののクラシックは菊花賞4着が最高成績だった。
しかし5歳の春天では本命不在の中1番人気に推され、キームスビィミーとの直線400mに渡るマッチレースを制して優勝。八大競走勝利馬になる。
その後は長く不振に陥るが6歳11月の目黒記念で久々の重賞制覇をレコードで飾る。その後は未勝利でだったが第一線のレースで走り続け、7歳の有馬記念を最後に引退した。
71年世代唯一の古馬八大競走勝利馬。71年世代は二冠馬ヒルイマイの早期引退や菊花賞馬ニホンピロムーテーが古馬八大競走未出走だったことに加え、下の72年世代が最強だったこともあり古馬では苦戦が続いた。その中で世代大将格として長く走り続けたベルワイドには高い評価が与えられている。特にレコード勝ちした目黒記念での相手はストロングエイト・タニノチカラであり、72年世代の代表馬である両頭を破っての優勝は非常に価値の高いものだった。
動画はストロングエイト・タニノチカラを破って優勝した73年目黒記念
1973年目黒記念秋 ベルワイドがレコード勝ち、レース後に解説の大橋巨泉氏の懐かしい声も! ~ラジオ関東
- 22二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 23:20:20
「71」カシュウチカラ 76年世代 47戦9勝 主な勝ち鞍 春天・目黒記念×2・アメリカJCC・京王杯AH
クラシックとは無縁で特に目立つ成績もないまま4歳を終えるが、5歳2月の目黒記念では人気薄ながらグリーングラス・クライムカイザーを破って優勝し注目される。春〜夏にかけては冴えなかったが、秋の京王杯AHでは再び人気薄ながらプレストウコウを破り優勝。その後秋天に出走するが4着に敗れこの年を終える。
翌6歳になるとアメリカJCCで再びグリーングラスを破り優勝。目黒記念でも連覇を果たす。しかし3番人気で迎えた春天はグリーングラスの3着に敗戦。秋の秋天にも2番人気で出走するが再び3着に敗れた。
しかし7歳に出走した春天で、サクラショウリを半馬身差で破り遂に悲願の天皇賞制覇を果たす。
その後は燃え尽きたように凡走が続き、9歳2月に引退。
TTG世代を代表する一頭。天皇賞制覇に全てを賭けたような馬で、4度目の挑戦で春天を制した際は『執念が通じた』と実況された。TTGの中では同じ長距離馬のグリーングラスと数多く対戦し、ライバルと言える関係にあった(通算7度対戦して3勝4敗)。また、テンポイントとは未対戦だがトウショウボーイとは一度対戦し、先着している。
動画は優勝した79年春天
『執念が通じました!カシュウチカラです!』第79回 天皇賞(春) カシュウチカラ 牡6 58 郷原洋行 1979.4.29 出走馬:サクラショウリ、シービークロス、キャプテンナムラ他
- 23二次元好きの匿名さん23/08/31(木) 23:33:27
「72」アイフル 74年世代 43戦12勝 主な勝ち鞍 秋天・アルゼンチン共和国杯×2・中山記念・金杯
5歳までは一介の条件馬で、6勝を挙げていたが2、3着が多く中々殻を破れなかった。
しかし6歳初戦の金杯でイシノアラシ・ヤマブキオーなどを破り重賞初制覇。その後中山記念・京王杯SHでは共にヤマブキオーの2着に敗れたが、5月のアルゼンチン共和国杯では再びヤマブキオーらを下し優勝。
その後秋にOP戦で2度ヤマブキオーと対戦(共に1着と2着)した後、11月の秋天に出走。
そしてイシノアラシ・ヤマブキオー・ロングホークなどの強敵を下し優勝。天皇賞馬となる。
続く年末の有馬記念ではトウショウボーイ・テンポイントに次ぐ3着(ヤマブキオー4着)に入り、この年の最優秀5歳以上牡馬に選出される。
翌年も現役を続行。アメリカJCCではグリーングラスの3着に敗れ(ヤマブキオー2着)、続くOP戦もヤマブキオーの3着に敗れたが、中山記念ではヤマブキオーとの最後の対戦を制し優勝。続くアルゼンチン共和国杯もトップハンデを背負いながら圧勝。
しかし宝塚記念ではTTGの4着に敗れ、このレースを最後に引退した。
70年代を代表する晩成馬。一つ歳上のヤマブキオーとは6歳以降だけで11度対戦し6勝5敗と好敵手関係にあった。うち9戦で先着した方がレースも勝利しており、同一レースでこの両頭に先着出来た馬はトウショウボーイ・テンポイント・グリーングラスだけである。成績の安定感も際立っており、12勝の他に2着13回3着10回と1〜3着全てが二桁回数という珍しい記録をもっている。またアイフルの馬主は同馬が初の所有馬であり、最初の所有馬が天皇賞馬になるという極めて稀な記録を残している。
動画はアイフルの回想
- 24二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 01:16:33
- 25二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 01:18:57
オグリキャップに2回先着したG1未勝利馬、ある意味めっちゃ有名なマーチがいるぞ
- 26二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 08:58:24
「73」シルクライトニング 97年世代 16戦2勝 主な勝ち鞍 若葉S(OP)
デビュー戦は大差負けの2着だったが2戦目で初勝利を挙げる。
その後5戦は勝ち馬から0.1秒差以内での惜敗が続くが、若葉Sでサニーブライアンらを下し久々の勝利を挙げ、皐月賞への出走権を勝ち取る。
10番人気で出走した皐月賞では中団につけると、直線で逃げ粘る11番人気サニーブライアンを猛追。僅かクビ差及ばなかったが2着に好走した。
皐月賞での好走やデビュー後の安定感が評価され、ダービーでは有力馬の1頭に挙げられた。しかしダービー出走直前、落鉄による故障でまさかの出走除外。
その後は別人のように惨敗が続き、故障などもあって未勝利のまま引退した。
シルクライトニングの主戦騎手は当時49歳の安田富男で、ダービーでは当時の史上最年長制覇の記録も大きく期待されていた。それだけにまさかの故障除外は誰もが惜しんだ。またシルクライトニング&安田富男は人気薄ながら皐月賞を逃げ勝ったサニーブライアンを出走馬中最も警戒しており、もし無事に出走出来ていたならば違ったレース展開になっていたことは間違いないだろう。
なお、現在もシルクライトニングは繋養先で健やかに余生を送っている。
動画は無念の出走除外となったダービー
【ライトニング負傷、ブライト蹴り上げ、フクキタル暴走】49歳 安田富男、最後のダービー挑戦
- 27二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 09:18:25
「74」イダテンターボ 89年世代 33戦4勝 主な勝ち鞍 七夕賞
4歳4月にデビューするが勝ち馬から大差に敗れるレースが続き、16戦したものの3着2回が精一杯で未勝利のまま4歳を終える。しかし5歳2月のレースで10番人気ながら勝利、19戦目にしてようやく初勝利を挙げる。
するとその後、6月まで7戦2勝2着2回と成績が急上昇。6月の条件戦ではレコード勝ちを収め、その余勢で格下の条件馬ながら7月の七夕賞に出走。12番人気と低評価だったが、レースでは1番人気のタカラフラッシュをハナ差で破り優勝、大金星を挙げる。
しかしその後は6戦して全て着外に敗れ、この年で引退した。
「七夕賞のターボ」といえば誰もがツインターボを思い出すだろうが、その3年前に同じターボの名を持つ馬が勝っていたことはあまり知られてない。ツインターボと違い逃げ馬でもなく実績も知名度も劣っているが、初勝利に20戦近くかかったにも関わらず初勝利からは僅か半年足らずで重賞を勝利するという珍しいドラマをこのイダテンターボは持っている。
なお阪神とは関係ない。
動画は七夕賞優勝後に出走した90年オールカマー(8着)
『内からアルダン!内からアルダンと、そしてピンクの帽子が飛び込んできた…』第36回オールカマー (GⅢ) ラケットボール 1990 出走馬:アウトランセイコー、ジョージモナーク
- 28二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 09:27:16
「75」ダイシンフブキ 86年世代 6戦5勝 主な勝ち鞍 朝日杯3歳S・弥生賞・京成杯3歳S
非常に濃いインブリード血統の競走馬。デビュー戦、2戦目と好内容の勝利を収め、京成杯3歳Sではメジロラモーヌ以下を3馬身以上離して優勝。圧倒的な1番人気に推された朝日杯でもダイナコスモスを1馬身半差で退け優勝。4戦4勝の無敗朝日杯王者となり、この年の最優秀3歳牡馬に選出される。
しかし血統面からくる距離の不安が問題視され、4戦初戦の弥生賞では無敗の3歳王者にも関わらず3番人気に。レースでは超スローペースなる展開で折り合いに苦労しながらも、直線で逃げていたニッポーテイオーを捉え、ダイナコスモス・アサヒエンペラーらの追撃も凌ぎ優勝。距離不安を払拭させた。
しかし1番人気に推された本番の皐月賞では直線で全く伸びを欠き、ダイナコスモスから引き離された7着に完敗。レース後に骨折が発覚し休養に入ると、その後復帰しないまま引退した。
引退後は種牡馬になるもインブリードである為牝馬が中々集まらず、活躍馬を出せぬまま種牡馬も引退した。その後の行方は分かっていない。
錚々たる同期を相手に勝ちながらも血統と故障に泣かされた悲運の無敗3歳王者。無事ならば同期のニッポーテイオーと共に短距離で活躍していた可能性が高い。
動画は優勝した85年朝日杯3歳S
1985年 朝日杯3歳ステークス(GⅠ) | ダイシンフブキ | JRA公式
- 29二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 09:44:18
「76」ジョーロアリング 89年世代 13戦6勝 主な勝ち鞍 阪急杯
体質の弱さや故障もあり、デビューは5歳3月のダート戦とかなり遅れた。2戦目で初勝利を挙げるがその後故障で1年近く休養。6歳2月に復帰しダートの条件戦を走っていたが、復帰3戦目からは芝へ。
すると芝転向1戦目のマイル戦を好タイムで5馬身差の勝利。続くレースも8馬身差で圧勝し注目を集める。
そして6月の阪急杯では重賞初出走ながら圧倒的な1番人気に推され、レースでも不良馬場を快走しヤマニングローバル・イクノディクタスなどを下して優勝。短距離の新星として台頭する。
しかしその後故障により離脱。復帰した10月のスワンSでは2番人気に推されたが13着に大敗。その後は4戦して未勝利のまま引退した。
ケイエスミラクルと共に91年の短距離界で一瞬の輝きを見せた馬。G1未出走の為にケイエスミラクルに比べると印象は薄いが、その活躍は確かな衝撃を与えた。惨敗したとはいえ91年スワンSにはダイイチルビー・ダイタクヘリオス・バンブーメモリー・ケイエスミラクル・ダイユウサクといった当代の強豪が顔を揃えており、その中でダイイチルビーに次ぐ2番人気に推されたことはジョーロアリングが覚醒時に見せた強さと衝撃の大きさを如実に表している。それだけに覚醒直後の故障が悔やまれる。
この動画の6分30秒過ぎから優勝した91年阪急杯
- 30二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 12:11:37
「77」ナルシスノワール 89年世代 34戦7勝 主な勝ち鞍 スワンS・スプリングS・東京新聞杯
4歳春にはスプリングSで優勝しクラシックの有力候補に挙げられるが、皐月賞で9着に敗れるとその後はマイル〜短距離を主戦とするようになる。
主に1400m以下のレースで好結果を残し、5歳秋にはスワンSでパッシングショットを下し優勝。年末にはこの年からG1となったスプリンターズSで4着に好走。
6歳時は安田記念で15番人気ながらダイイチルビーの5着、スプリンターズSでも11番人気ながらダイイチルビーの2着とG1で好走する。
7歳2月には東京新聞杯で優勝し重賞3勝目。その後は不振が続いたが、年末のスプリンターズSでは12番人気ながらダイタクヘリオス・サクラバクシンオーに先着してニシノフラワー・ヤマニンゼファー次ぐ3着に好走、短距離での強さを見せた。
翌8歳の2月に引退。
短距離G1黎明期の名脇役。短距離ではハイペースの先行から逃げ粘ることが多く、スプリンターズSでは3年連続その走りで好走している。馬名の美しさもあって人気があった。
動画は3着に入った92年 スプリンターズS
1992年 スプリンターズステークス(GⅠ) | ニシノフラワー | JRA公式
- 31二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 12:24:40
聞いたことある奴らだ
- 32二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 18:21:00
「78」エルウェーウィン 93年世代 40戦5勝 主な勝ち鞍 朝日杯3歳S・アルゼンチン共和国杯
3歳10月にデビュー。ハナ差で勝利を収めると2戦目のOP戦も同着ながら連勝。そして挑んだ朝日杯では圧倒的人気に推されていたビワハヤヒデ相手にハナ差で競り勝ち、無敗の朝日杯王者となり最優秀3歳牡馬に選出された。
しかしその後脚部不安により長期休養。4歳11月に復帰するが2着に敗れ、年末の有馬記念も大敗。4歳時は2戦2敗で終える。復活を期した5歳時も脚部不安で4戦しか走れず再び未勝利に終わる。6歳時は5歳時より多く出走出来たものの5戦連続3着など惜敗が続き、この年も7戦して未勝利で終わる。
明けて7歳。脚部の状態が落ち着いたこともあり年初からレースに出走を続けるが、年齢もあり惨敗が目立つようになり、11月初めのOP戦まで14戦して未勝利。4歳から数えて実に27連敗を記録する。
しかし11月中旬のアルゼンチン共和国杯で14番人気の低評価を覆し優勝。重賞制覇で3年11ヶ月ぶりの勝利を飾る。
更に2戦後のOP戦でも勝利。完全復活を予感させたが直後故障により離脱。
1年後復帰後するが7戦全て着外に敗れ、この年夏に引退。
3歳G1を勝った後不振に陥りそのまま引退する馬は数多く、エルウェーウィンもその1頭になると思われていた。しかし負けても負けても走り続けた末、28戦目にして掴んだ勝利は、今なお競馬史に残る奇跡の復活劇の一つとして語り継がれている。
動画はビワハヤヒデを破って優勝した92年朝日杯3歳S
1992年 朝日杯3歳ステークス(GⅠ) | エルウェーウィン | JRA公式
- 33二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 18:27:00
ワイの押し馬は出るかな
- 34二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 18:32:51
「79」メイショウテゾロ 95年世代 27戦3勝 主な勝ち鞍、シンザン記念
デビュー戦から3戦目のシンザン記念まで3連勝。しかし早熟かつ気性難などもありその後は引退まで24戦して未勝利、そのうち23戦で着外に敗戦した。
唯一着外に敗れなかったレースは、4歳秋に出走した95年マイルCS。
シンザン記念を制したものの、真面目に走らない悪癖からその後ダービー18着など着外の惨敗が続いていたメイショウテゾロは、なんとか出走出来たこのマイルCSでも16番人気の低評価だった。
そしてレースでも途中までやる気のない走りで後方を走っていたが、4コーナーから直線に入ると突然スイッチが入ったように爆走開始。同じく後方にいたトロットサンダーと共に先行勢をごぼう抜き。
最後は脚色に勝るトロットサンダーに敗れたものの、ヒシアケボノ・ビコーペガサスらに先着の2着とまさかの大健闘。馬連10万を超える大波乱を演出した。
前述のように勝ちレース以外で好走したのはこの95年マイルCSだけである。現役の最後まで真面目に走ることが殆どなかったというメイショウテゾロが何故このマイルCSだけ突然爆走したのか、その理由は鞍上にも陣営にも分からなかったらしい。20世紀屈指の大波乱であると共に、20世紀で最も謎の激走とも言えるだろう。
動画は謎の激走をした95年マイルCS
1995年 マイルチャンピオンシップ(GⅠ) | トロットサンダー | JRA公式
- 35二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 18:46:27
「80」ハイパーナカヤマ 98年世代 24戦4勝 主な勝ち鞍 春望S(条件戦)
4歳1月にデビューし2戦2勝と上々のスタートをきると、3戦目は2月重賞の共同通信杯4歳Sへ。ここには同じく2戦2勝ながら衝撃的な強さで勝ってきたエルコンドルパサーが出走し圧倒的な人気を集め、ハイパーナカヤマはそれに次ぐ2番人気に支持される。雪の影響でダートにコース変更されたレースで、ハイパーナカヤマとエルコンドルパサーは直線に入ると他馬を引き離し一騎うちに。途中までハイパーナカヤマは粘りを見せたが残り100mからはエルコンドルパサーに突き放され、2馬身差の2着に完敗。
それでも後続は6馬身千切っており、タイムも良かったことからレース内容は高い評価を受けた。
しかし激走の反動で故障が発覚、1年以上の休養を余儀なくされる。
復帰したのは5歳10月で、折しもエルコンドルパサーが海外で大活躍を見せた直後だった。その為かつて彼に健闘したハイパーナカヤマの馬券人気は過剰な程高くなり、復帰後1番人気に推されるレースが続いた。人気は高いものの復帰後長く勝てなかったハイパーナカヤマだが、6歳11月に久々の勝利。数戦後の条件戦も勝利したがそこで故障離脱。7歳10月に復帰したもののさすがに人気も落ち、成績もその後は未勝利で8歳11月に引退した。
エルコンドルパサーに善戦したことで知られている馬。他にもエルコンドルパサーに善戦した馬はいるがその殆どが強さの底を見せていた一方、復帰時点ではまだ3戦しかしてなかったハイパーナカヤマに人気と期待が集まったのは一種の怪現象でもあった。なお成績自体は4勝の他に3着以内も11回とそれなりの安定感もあり、馬券人気があった理由は決して過剰人気だけだったわけでもない。
動画はエルコンドルパサーと対決した98年共同通信杯4歳S
1998年 共同通信杯4歳ステークス | エルコンドルパサー | JRA公式
- 36二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 18:50:04
「81」ナカミアンゼリカ 85年世代・牝 16戦1勝 主な勝ち鞍 新馬戦
3歳11月にデビューし勝利。年明け初戦のクイーンCではタカラスチールの2着に好走。桜花賞は出走しなかったが、4歳牝馬特別で4着の後オークスに5番人気で出走。ハイペースの展開の中直線で先頭に立つがゴール前でノアノハコブネの強襲にあい2着に惜敗。その後は2戦で惨敗し、秋のエリザベス女王杯では12番人気に落とすが、レースではリワードウイングの3着に好走。古馬以降の活躍も期待されたが5戦連続で着外に敗れ、5歳6月に引退。
オークス2着・エリザベス女王杯3着とG1で好結果を残し、他にも重賞で好走がありながら、勝ち鞍は新馬戦の1勝に留まっている珍しい馬。後のエタリオウと似ている。またデビューからオークスまでの主戦騎手は中島啓之で、オークスは彼が病で急逝する一月前の騎乗だった。
動画は2着だった85年オークス
1985年 オークス(GⅠ) | ノアノハコブネ | JRA公式
- 37二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 18:56:58
「82」ホリノカチドキ 85年世代 15戦4勝 主な勝ち鞍 道頓堀S(条件戦)
父はキタノカチドキ。4歳にデビューし、7戦3勝とまずまずの成績を残す。5歳初戦の道頓堀S(条件戦)を勝ち、OP戦2着を挟んで安田記念へ。6番人気に推されたレースではスタートから逃げに出て、余裕をもって直線に入り他馬を引き離して逃げ切りを図る。しかし残り100mで1番人気の天皇賞馬ギャロップダイナに差され惜しくも2着に敗れる。その後阪急杯2着、CBC2着など短距離で成績を残すが勝つことは出来ず、6歳1月のOP戦6着を最後に引退。
現在のところ、グレード制以降の安田記念2着馬で唯一の重賞未勝利牡馬。
動画は2着だった86年安田記念。最後の直線で何故かギャロップダイナをガン見してるのが印象的
1986年 安田記念(GⅠ) | ギャロップダイナ | JRA公式
- 38二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 19:01:35
「83」インターマイウェイ 93年世代 中央36戦7勝 地方15戦0勝 主な勝ち鞍 産経大阪杯・函館記念
父はニッポーテイオー。マイル〜中距離を主戦に5歳までOP戦3勝含む5勝を挙げていたが、重賞では着外の惨敗が殆どで結果を残せていなかった。
6歳3月の中山記念も9着に大敗し、続いて挑んだ産経大阪杯(阪神大震災の影響で京都開催)では12番人気の低評価に。
しかしレースでは中団につけてレースを進め、直線に入るとネーハイシーザーなど上位人気馬が苦しい走りを見せる中で末脚を炸裂させ、混戦状態の中を抜け出し先頭でゴール。低評価を覆し重賞初制覇を果たす。
その後4番人気で出走した8月の函館記念でも優勝。産経大阪杯がフロックでないことを証明した。
しかし秋の天皇賞で7着に敗れた後故障により休養。10ヶ月後に復帰したものの精彩を欠くレースが続き、8歳4月からは岩手競馬に移籍。しかし岩手でも15戦未勝利に終わり引退した。
産経大阪杯で優勝した際の単勝14040円は当時中央重賞歴代4位の高配当で、京都開催とはいえ1分59秒3のタイムもレースレコードだった。また函館記念で倒した相手もホクトベガ・トロットサンダー・マチカネタンホイザという強豪達を破っての価値ある優勝で、優勝した重賞2戦はどちらも強烈な印象を残した。
動画は優勝した95年産経大阪杯
- 39二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 19:05:35
「84」ロンシャンボーイ 92年世代 中央23戦6勝 地方5戦0勝 主な勝ち鞍 高松宮杯・京阪杯
デビューは4歳5月と遅く、初勝利も11月と遅かった。5歳4月までは勝利と惨敗を繰り返していたが、重賞初出走となった5月の京阪杯で逃げ切り優勝(なお落馬したカラ馬に先着されている)。続いて果敢に宝塚記念に挑戦するが、スタート前にゲートを飛び出してしまうアクシデントもあり最下位に惨敗。
更に続いて出走した7月の高松宮杯では前走の惨敗に加えナリタタイシン・シスタートウショウ・マチカネタンホイザなどの強豪が出揃ったこともあり7番人気の低評価に。しかしレースではスタートから逃げに出ると、そのまま快調にレースを進め、最後の直線ではナリタタイシンの猛追も完封しレコードタイムで優勝。
この優勝で中距離の新星として注目されたが、その後は不可解な惨敗街道。全てのレースで勝ち馬から2秒以上引き離されての惨敗で、6歳時の産経大阪杯では9秒以上、7歳時のOP戦では11秒以上離されての敗戦。そして7歳末に地方に移籍するが5戦未勝利で、8歳末に引退した。
色々とネタが豊富な馬。勝った高松宮杯も京阪杯も間違いなく強い勝ちっぷりだったが、宝塚記念での暴れっぷりやカラ馬に先着などの方がどうしても目立つ。高松宮杯後の不可解な惨敗は陣営にも分からなかったらしいが、引退後のロンシャンボーイは無事に余生を送り27歳まで生きた。
動画はスタート前にゲートをぶち破った93年宝塚記念
- 40二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 19:12:54
「85」アンバーライオン 93年世代 16戦2勝 主な勝ち鞍 シンザン記念
3歳時は2戦目に逃げ切りで初勝利を挙げ、重賞でも好走。4歳初戦のシンザン記念では2番手先行からナリタタイシンなどを破り優勝。弥生賞ではかかってしまい6着に惨敗するが、16番人気に評価を落とした皐月賞ではスタートから逃げ粘りナリタタイシンの5着に奮闘。続くダービーも逃げをうち、最後は力尽き8着に敗れた。その後は中距離以下のOP〜重賞を主に走りながらもしばらく惨敗が続いたが、6歳5月の京阪杯では逃げ粘ってダンツシアトル・チョウカイキャロルに次ぐ3着に健闘した。その一月後のレースを最後に引退。
BNWの対決で沸いた93年春クラシックを逃げで魅せた馬。皐月賞・ダービー共に今日もなお語られる名レースの為、いずれのレースでも逃げで存在感を見せたアンバーライオンの知名度は結構高い。
動画は逃げ粘った93年ダービー
- 41二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 19:21:41
「86」ドージマムテキ 93年世代 中央50戦4勝 地方2戦0勝 海外5戦0勝 主な勝ち鞍 京王杯AH
マイル以下を主戦として長く走り、4歳時のマイルCSでは3着、95年の京王杯OHではジェニュイン・ヒシアケボノらを下し優勝するなど渋い活躍を見せた。
しかしドージマムテキが最も評価されている点は海外遠征馬の帯同馬として長く活躍したことであり、フジヤマケンザン・アグネスワールドが海外遠征した際はドージマムテキが帯同馬になっていた。日本馬の海外遠征成功の影の功労者として評価されている。
なお96年に海外遠征したフジヤマケンザンの帯同馬になった際は、フジヤマケンザンの海外重賞制覇の快挙の裏で彼も現地の重賞レースで2着と好走している。
動画は優勝した95年京王杯AH
1995年9月10日 第40回 京王杯オータムハンデキャップ(GⅢ)
- 42二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 19:26:35
「87」ミスターシクレノン 88年世代 32戦5勝 主な勝ち鞍 鳴尾記念・ダイヤモンドS
4歳まで3勝挙げるが特に目立つ活躍はなし。
5歳になると金杯と京都記念で2着に入る活躍を見せ、春天では16番人気の低評価ながらイナリワンの2着に大健闘。続く宝塚記念でもイナリワンの3着に入り確かな実力を示した。
その後秋の京都大賞典ではスーパークリークの2着に入り、鳴尾記念ではレコードタイムで優勝し重賞初制覇を果たす。6歳、7歳時は未勝利ながら重賞戦線で活躍を見せ、8歳2月のダイヤモンドSでは久々の勝利を重賞2勝目で飾る。これを有終の美に引退した。
長距離を中心に活躍した88年世代の名脇役、スーパークリークが不在だった89年前半期の長距離戦線では世代の大将格といっていい活躍と存在感を見せた。
動画は優勝した89年鳴尾記念
競馬 GⅡ 1989年12月03日 第41回 鳴尾記念 ミスターシクレノン
- 43二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 19:30:00
「88」ダイナカーぺンター 87年世代 中央25戦8勝・地方28戦0勝 主な勝ち鞍 阪神大賞典・京都記念
4歳4月に初勝利を挙げ、その後はしばらく勝ち負けを繰り返す。
5歳初戦のOP戦を勝ったが京都記念では惨敗。
続く3月の阪神大賞典では7頭中5番人気と低評価だった。
このレースには前年秋から破竹の連勝を続けるタマモクロスが出走しており圧倒的な人気を集めていた。
しかしレースでは逃げたダイナカーぺンターがうまく超スローペースに持ち込む展開となり、充分な余力を残して直線に入ると粘りに粘って逃げ切りを図り、最後は突っ込んできた本命タマモクロス・伏兵マルブツファーストと全く並んでゴールイン。
長い写真判定の末、タマモクロスと同着で優勝(グレード制以降初の重賞同着1位)となった。
その後は春天16着など冴えないレースが続いたが、翌6歳2月の京都記念ではドクタースパートなどを破り重賞2勝目。他にも宝塚記念4着やOP戦2勝など存在感を見せた。
同年有馬記念11着の後故障が発覚し離脱。その後は地方のホッカイドウ競馬に移籍し3年程レースを走ったが未勝利のまま引退した。
全盛期のタマモクロスと同着優勝したことで有名。レース展開が幸いした点もあるがそれはダイナカーぺンターによって作られた展開でもあり、見事な作戦勝ちと評価されていい。精密な逃げ馬としてハマった時はかなりの強さを見せることが多い為、惨敗したものの最後の有馬記念ではG1未勝利にも関わらず5番人気に推されていた。
動画はタマモクロスと同着優勝だった88年阪神大賞典
1988年 阪神大賞典(GⅡ) | タマモクロス・ダイナカーペンター | JRA公式
- 44二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 19:34:51
「89」サンエイソロン 81年世代 20戦6勝 主な勝ち鞍 産経大阪杯・京都新聞杯・NHK杯・スプリングS
3歳8月にデビュー後、翌4歳2月まで9戦2勝2着3回3着2回と安定感ある走りを見せ、皐月賞トライアルのスプリングSでは1番人気に応え優勝。
しかしその後故障の為皐月賞は回避。
ダービートライアルのNHK杯で復帰すると、最後方につける展開から直線で皐月賞馬カツトップエースなどをごぼう抜きし完勝といえる内容で優勝。
無事出走したダービーでは断然の1番人気に支持されたが、あまりに後方からレースを進めたことが災いし、直線で猛烈な追い込みを見せるもカツトップエースを捉えきれずハナ差で敗れる。
その後夏は休養にあて、復帰した秋はセントライト記念2着の後京都新聞杯でレコード優勝。2冠馬カツトップエースが引退したこともあり菊花賞では再び1番人気に。
しかし今度は伏兵ミナガワマンナの大駆けに完敗の2着。クラシック制覇はならなかった。
その後は翌5歳まで休養にあて、春天前哨戦の産経大阪杯ではカツアールなどを下し優勝。
しかし春天直前に再び脚部不安を発症し出走はならなかった。
その後高松宮杯・毎日王冠と連続2着し、ようやく出走出来た秋天ではアンバーシャダイ・ヒカリデユールなどを抑え1番人気に推される。しかしレースでは全く伸びず12着に大敗。その後脚部不安が悪化した為このレースを最後に引退した。
「トライアル3冠馬」として有名な馬。後方からの直線一気の末脚は華があったがその分勝ち馬に届かないことも多く、特にダービーではそれが顕著だった。脚部不安に悩まされたことも大きく、八大競争は有に勝てる実力を持ちながらも無冠に終わった悲運の馬。
動画は優勝した81年NHK杯
- 45二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 19:39:57
「90」テュデナムキング 83年世代 23戦6勝 主な勝ち鞍 中山記念・ダービー卿CT
4歳1月にデビュー。主に条件戦以下を走り、11月までに15戦して4勝を挙げるがクラシックとは全く無縁で終わる。しかし12月のダービー卿CTで8番人気ながら優勝。更に出走した有馬記念では12番人気ながら2着と好走し、一躍世代の強豪として台頭する。
翌5歳の初戦の中山記念で重賞2勝目を挙げる。しかし2番人気に推された春天では17着に大敗。その後脚部不安で秋まで休養。復帰戦も惨敗し、迎えた秋天はミスターシービー・カツラギエースなどと大きく引き離された8番人気に。しかしレースでは後方から鋭く追い込み、ミスターシービーの半馬身差2着と再び健闘し底力を見せる。だがその後故障で長期休養。1年後復帰したが思うような走りは出来ず7歳1月を最後に引退。
シービー世代の中でも異彩を放つ名脇役。はまった時の末脚の切れ味は抜群であり、秋天ではミスターシービーを大外後方からあわや差し切りかけた程だった。また様々な記録を阻止してきた馬でもあり(ダービー卿CTでホクトフラッグの2年ぶり復帰戦重賞制覇を阻止・有馬記念でアンバーシャダイの史上初5億円馬を阻止・中山記念でエイティトウショウの3連覇を阻止・秋天でロンググレイスの牝馬秋天連対を阻止)、敵役という点でも印象に残っている。ちなみに活躍を始めた4歳12月以降の主戦騎手は的場均だった。
動画は優勝した84年中山記念
- 46二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 19:42:51
「91」カーネルシンボリ 74年世代 18戦8勝 主な勝ち鞍 目黒記念・弥生賞・東京4歳S・京成杯3歳S・北海道3歳S
同期にキタノカチドキ。デビュー戦を9馬身差の圧勝。その後も重賞2戦を含め5連勝と衝撃的なスタートを切る。朝日杯はまさかの6着に敗れ初黒星を喫したが4歳になると東京4歳Sに続き弥生賞も勝利。ここまで8戦7勝という好成績を挙げ、打倒キタノカチドキの最有力候補と期待される。しかし皐月賞直前に故障が発覚。秋まで全休を余儀なくされ、クラシック3冠は未出走に終わる悲運を味わう。
復帰後は凡戦が続いたが、5歳2月の目黒記念で復活の勝利。しかし春天直前にまたも故障し休養に入る。それでも11月の復帰戦を3着とし秋天に出走。敗れたもののフジノパーシアの2着に好走する。だが年末のの有馬記念は10着に惨敗。翌6歳に入ると1戦したのみでまたもや故障により長期離脱。1年半後の7歳9月に復帰し2戦走るが勝ち星は挙げられず、この年限りで引退した。
相次ぐ故障に泣いた悲運の馬。素質や能力はキタノカチドキと遜色ない程に評価されており、もしクラシックを無事に走れていたら彼との名勝負が残されていただろう。キタノカチドキとは遂に未対戦に終わっている。また、5歳2月に優勝した目黒記念は鞍上の野平祐二騎手の引退レースでもあり、その有終の美を飾ったことでも知られている。
動画は優勝した75年目黒記念
- 47二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 19:43:23
- 48二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 19:50:53
「92」ホワイトフォンテン 73年世代 50戦11勝 主な勝ち鞍 日本経済賞(現日経賞)×2・アメリカJCC・アルゼンチン共和国杯
デビューから逃げを武器に数多く走っていたが、オープン戦以下では勝ち星を挙げられるものの重賞以上ではさっぱりという成績が続いた。
ところが6歳6月の日本経済賞で、ホワイトフォンテンは10番人気ながらイチフジイサミ・フジノパーシアといった強豪を相手に逃げ切りで優勝という波乱を起こし、更に9月の毎日王冠でも7番人気ながら再びイチフジイサミ・キクノオーなどを破り優勝。中距離以上の新星として注目される。
しかしその後3戦着外に敗れ、7歳1月のアメリカJCCでは8番人気の低評価で出走。ところがここでもまたイシノアラシ・フジノパーシアらを相手に逃げ切り重賞3勝目。もはやフロックではない実力を見せつける。
その後は比較的安定した成績を続け、7月の日本経済賞では4番人気でアイフル・イシノアラシらを破り連覇達成。重賞4勝目を挙げた。
その後は着外の敗戦が続き、翌年レース前の故障により引退した。
芦毛の逃げ馬であったことから「白い逃亡者」と呼ばれ、ハイセイコー人気で沸いた時代の中でも特に存在感を放った名脇役。逃げ勝つか惨敗かという極端な成績が彼の人気に火をつけた。逃げ勝った4つの重賞で下した相手はいずれも当代の強豪ばかりであり、恐らくホワイトフォンテンが出たレースで安心して走れた馬は一頭もいなかっただろう。個性的な逃げ馬は数多くいるがその元祖はこのホワイトフォンテンであり、ハイセイコー人気の中で見せた彼の活躍は新たな競馬の始まりでもあった。
動画は逃げを魅せた75年有馬記念
【競馬実況】1975年有馬記念 イシノアラシがすっとんできた! ~実況:林洋祐(ラジオ関東)
- 49二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 19:53:33
「93」ナオキ 72年世代 30戦13勝 主な勝ち鞍 宝塚記念・鳴尾記念・中京記念×2・金杯
3歳にデビューするが故障による長期離脱もあり初勝利は4歳9月と遅かった。それでも11月から翌年にかけてレコード勝ち含む3連勝と台頭し、5歳3月の中京記念で重賞初制覇。
しかしその後、春天ではタイテエムの4着、宝塚記念ではハマノパレードの3着、秋天はタニノチカラの6着、有馬記念はストロングエイトの6着と、いずれも同期相手に敗れる。
6歳1月の金杯ではレコード勝ちし重賞2勝目を挙げるが直後故障し長期休養。秋に復帰するも結果を残せずこの年を終える。
明け7歳は初戦のOP戦で1年ぶりの勝利を挙げると、続く中京記念・鳴尾記念と連勝し復活。春天は惨敗したが宝塚記念では遂に優勝。母エイトクラウンも同レースを制しており、史上初の母子宝塚記念制覇となった。その後は4戦して未勝利に終わり、この年限りで引退した。
最強72年世代の強豪の一頭。タイテエム・タニノチカラなど同世代の代表馬に比べるとやや印象は薄いが、故障と闘いながら宝塚記念含む重賞5勝の実績や4回のレコード勝利の記録などを残している点、世代筆頭級の実力はそなえていた。宝塚記念母子制覇は現在でもこのエイトクラウン・ナオキの一例のみである。
動画は優勝した75年宝塚記念
第16回 宝塚記念 ナオキ 牡6 55 佐々木昭次 1975.6.1 出走馬:モアーキャッスル、 ニホンピロセダン、イナボレス、 フェアーリュウ 、ミリオンパラ、マサエイシュン
- 50二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 19:55:43
的場さんがライスより新馬の教育を優先してライスの鞍上から降ろされそうになった時の新馬らしいよね
- 51二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 19:58:14
「94」ノボルトウコウ 72年世代 68戦13勝 主な勝ち鞍 スプリンターズS・小倉記念・関屋記念・福島記念・七夕賞
半弟はプレストウコウ。半弟と違いクラシックでは皐月賞15着・ダービー25着など壮絶に大敗し、以後は中距離以下に路線変更。
10月のスプリンターズSではハクホオショウなどを下し重賞初制覇。しかしその後重賞では善戦止まりのレースがしばらく続く。
それでも6歳春以降に充実期を迎え、4月の小倉記念で久々の重賞制覇。続く5月の関屋記念も優勝し、11月の福島記念でも優勝と、ローレル路線で好成績を残した。その後も7歳10月の七夕賞で優勝、8歳時にもローカルもOP戦で2勝挙げるなど存在感を見せ、8歳11月のレースを最後に引退。
同期のイナボレスと共にローカル重賞戦線で長く活躍した名脇役。13勝のうち10勝を1800〜1700mの非根幹距離で勝っているが、1200mのレースでも6戦して全て連対など短距離でも成績を残していた。長距離重視という時代もあり、1200mのスプリンターズS優勝後に3600mのステイヤーズSを走るという現代では考えられないローテも経験している(当然最下位)。また安田富男騎手に初重賞制覇を与えた馬でもある。
動画は優勝した72年 スプリンターズS
- 52二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 20:01:09
「95」アカネテンリュウ 69年世代 36戦13勝 主な勝ち鞍 菊花賞・日本経済賞・アメリカJCC・目黒記念・セントライト記念・東京新聞杯
初勝利は7戦目の4歳3月。10戦目から3連勝を挙げ、秋のセントライト記念では優勝。驚異の上がり馬として注目され、菊花賞では4番人気で出走。リキエイカン・ダイシンボルガード以下を4馬身差の完勝で優勝。クラシック最後の一冠を制覇する。
年末の有馬記念では惜しくもスピードシンボリのハナ差2着に敗れるが、この年の最優秀4歳牡馬選出。
5歳の春は春天5着など4戦して未勝利だったが5月以降は日本経済賞優勝など4連勝で復調。秋天では春天に続いて1番人気に推された。しかしメジロアサマの3着に敗れ、年末の有馬記念ではまたもやスピードシンボリにアタマ差で敗れ2年連続2着と大レースで惜敗が続いた。
翌6歳は初戦のアメリカJCC優勝後に故障で春天には出れず、秋は目黒記念で優勝したもののその後大流行した感冒の影響で秋天では10着・有馬記念は出走回避と不運が続いた。
7歳では3月に東京新聞杯で優勝し重賞6勝目を挙げ、悲願成就をかけて4度目の天皇賞に挑むがベルワイドの3着に敗れ、このレースを最後に引退した。
上がり馬の代名詞として名を残している。天皇賞・有馬記念で計4度1番人気に推されるなど、実力は当代随一と見られていた。しかしこの時代の古馬戦線はスピードシンボリ・トウメイの印象があまり強く、実力・実績の割にはやや後世の印象が薄い。有馬記念での連続惜敗や円熟期の感冒大流行などの影響で、大レース優勝が菊花賞のみに終わったことは不運としか言いようがない。
- 53二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 20:09:50
「96」フラワーウツド 64年世代・牝 36戦15勝 主な勝ち鞍 牝馬特別・東京牝馬特別・オールカマー・日本短波賞・クイーンS
半姉にトースト。3歳にデビューし3戦目に初勝利を挙げ、4戦目の条件戦ではカネケヤキと対戦し2着(カネケヤキ1着)、その後朝日杯にも出走し4着(カネケヤキ2着)とまずまずの成績を残す。明け4歳は5戦して2勝2着2回と好成績を残し、桜花賞は2番人気で出走。しかしカネケヤキ(4番人気)の12着に大敗。その後距離適性もありオークスは断念する。
すると6月にOP戦を勝ち、同月の日本短波賞も勝って初重賞制覇を果たすと、夏休養を経た後の9月のクイーンSでは2冠牝馬となっていたカネケヤキと対戦、同馬を4馬身差で下し優勝する。その後もオールカマーでコウライオーなどの強豪牡馬を相手に優勝。OP戦勝ちを挟んで11月の東京牝馬特別では58.5キロのトップハンデを背負いながら優勝。年末のOP戦も勝ち、6月以降を怒涛の7連勝で締めくくる。
翌5歳初戦にアメリカJCCで大敗し連勝が止まるとその後はOP戦を勝ちつつもあまり冴えない成績が続いたが、11月の牝馬特別(前東京牝馬特別)で優勝し連覇達成。その後もOP戦2勝を重ね、6歳2月のレースを最後に引退。
同期の牝馬では2冠に輝き菊花賞でシンザンと対決したカネケヤキの活躍があまりに有名であるが、フラワーウツドもカネケヤキに劣らない活躍を見せていた牝馬。カネケヤキを直接対決で勝利していることは勿論、その他のレースで倒した面々や内容も見ても当時のフラワーウツドの強さはかなりのものであったことが推測出来る。牝馬特別で58キロ以上の斤量で勝った馬は史上3頭しかおらず、フラワーウツドの後となるとあのトウメイ(59キロ)だけである。
動画・画像なし - 54二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 20:12:13
実際にはフジヤマケンザンが香港国際Cを勝ったのは95年、ドウジマムテキが香港国際ボウル2着だったのは96年と1年ずれています。
- 55二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 20:21:13
「97」 ニットウチドリ 73年世代・牝 21勝6敗 主な勝ち鞍 桜花賞・ビクトリアC・阪神牝馬特別
デビューから比較的安定した成績を残し、クラシック前哨戦の阪神4歳牝馬特別では断然人気のキシュウローレルを下し優勝。桜花賞では1番人気に推され、レースではスタートからキシュウローレルとのマッチレースの展開になり、最後は直線でキシュウローレルを競り落とし優勝。クラシック1冠目を手にする。
しかしオークスではナスノチグサの2着に敗れた。
それでも秋のビクトリアC(当時の牝馬クラシック3冠目)ではナスノチグサに雪辱し優勝。牝馬2冠を達成する。
更に年末の有馬記念にも出走。スタートから逃げに出ると、後続勢が牽制しあっていたこともあり理想的な展開になり、余力を充分に残したまま先頭で直線へ。懸命に逃げ粘り最後はストロングエイトに差されたものの、ハイセイコー・タニノチカラに先着の2着と大健闘した。この年の最優秀4歳牝馬に選手されている。
翌年以降は燃え尽きたように凡走が続き、5歳を最後に引退した。
牝馬2冠に加えオークス・有馬記念で2着という現在でも例の少ない出色の成績を4歳(現3歳)時に残した牝馬。その後は不振だったとはいえ4歳時に残した勲章の数々は大きく称賛される。また史上初めて獲得賞金が1億を超えた牝馬でもある。
動画は優勝した73年桜花賞
『果たしてこの2頭の一騎打ちになるかどうか!…ニットウチドリ強し!』第33回 桜花賞 ニットウチドリ 牝3 55 横山富雄 1973.4.8 出走馬:キシュウローレル、キソジ、ホウシ
- 56二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 20:24:21
「98」ストロングエイト 72年世代 37戦9勝 主な勝ち鞍 有馬記念・アメリカJCC・鳴尾記念
5歳夏までは一介の条件馬。秋にオープン入りすると目黒記念ではベルワイドの2着、秋天ではタニノチカラ4着と好走する。
迎えた年末の有馬記念はベルワイド・タニノチカラ・ハイセイコー・ヤマニンウェーブなど錚々たる強豪が集結し、重賞未勝利のストロングエイトはブービーの10番人気。しかしレースでは同じく人気薄で逃げるニットウチドリをゴール前で差し切り、ハイセイコーらの猛追も退けて優勝。重賞初勝利を有馬記念で挙げた。
展開に恵まれたフロック勝利と評されていたが、翌6歳3月には鳴尾記念で優勝。本番の春天ではハイセイコー、タケホープに次ぐ3番人気に支持され、敗れたもののタケホープのクビ差2着と底力を見せる。
しかし続く宝塚記念ではハイセイコーの6着に惨敗し、その後も惨敗が続いた。
それでも7歳1月のアメリカJCCで重賞3勝目を挙げ、このレースを最後に引退した。
最強72年世代の代表馬の一頭。有馬記念優勝をはじめ、長距離では確かな強さを見せ続けていた。また敗れたものの宝塚記念では、中央入り後のハイセイコーが初めて1番人気を譲った相手でもあった。
- 57二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 20:25:24
最初に浮かんだのが(動画のサムネ見て)横山のDNAの遺伝力ェ………でごめんなさい
- 58二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 20:33:22
「99」パーシャンボーイ 85年世代 11戦5勝 主な勝ち鞍 宝塚記念
外国産の良血馬。しかし体質が弱くデビューは4歳2月。しかし3戦して未勝利、更に重度の骨折をし長期休養を余儀なくされる。復帰は5歳2月で、復帰後も2戦は惨敗した。しかし3月の条件戦で初勝利をレコードで飾るとその後の条件戦も連勝と台頭。OP戦2着を挟んで5月の条件戦も勝つと、推薦で6月の宝塚記念に出走する。
当年宝塚記念は本命不在の混戦状態で、その中でパーシャンボーイは主な勝利が条件戦ながら、レース前の最終追い切りで上がり3ハロン33.0秒という破格の時計を出したことが買われ3番人気に推される。
そしてレースではメジロトーマスやスズカコバンなどを抑え優勝。初重賞勝ちをG1の宝塚記念勝利で飾り、外国産馬として史上初のG1勝利の快挙も達成した。
その後秋に向けて更なる活躍が期待されたが、体質弱さから屈腱炎を発症し離脱。そのまま引退した為、宝塚記念が最後のレースとなった。
20世紀で最も地味かつ謎のG1馬。初勝利から宝塚記念優勝までの期間が僅か3ヶ月弱だった上、主なレースも宝塚記念しか出ていない。一瞬だけ現れて一瞬で消えていった馬は数多くいるが、G1勝ちと共に一瞬で消えていった馬はこのパーシャンボーイだけだろう。
動画は優勝した86年宝塚記念
1986年 宝塚記念(GⅠ) | パーシャンボーイ | JRA公式
- 59二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 20:42:13
「100」ハッピープログレス 81年世代 27戦11勝 主な勝ち鞍 安田記念・スプリンターズS・京王杯SC・阪急杯・CBC賞×2
5歳1月までに挙げた5勝は全て1400m以下のレースと短距離で強さを見せており、脚部不安による休養を挟みつつ5歳12月のCBC賞で初重賞制覇。翌6歳6月の阪急杯ではニホンピロウイナーなどを下し重賞2勝目と短距離馬として台頭する。しかし12月のCBC賞ではニホンピロウイナーの2着に敗れ、この年の最優秀短距離馬も同馬に獲られる。
翌7歳はグレード制発足の84年であり、マイル以下のレース体系が大幅に整備され、その中でスプリンターズS(当時春開催のG3)・京王杯SC・安田記念が春短距離三冠と位置付けられた。ハッピープログレスはこの3戦を目標としてローテを組み、結果この3戦全てを見事優勝。春短距離三冠に輝いた。
しかしこの春はニホンピロウイナーが故障で不在であり、短距離最強馬とは認められなかった。
そして秋のスワンSでハッピープログレスは復帰したニホンピロウイナーと対決。しかしここではレコード勝ちしたニホンピロウイナーに引き離された3着敗戦という屈辱を味わう。それでも続く第一回マイルCSで再びニホンピロウイナーと対決。レースは坂の下りで捲りを仕掛ける戦法が功を奏し、直線で逃げ切りを図るニホンピロウイナーと一騎打ちに。しかし僅か半馬身差及ばすニホンピロウイナーに敗れる。
頂上決戦には敗れたが、引退レースとなった12月のCBC賞ではトップハンデを背負いながら優勝。ニホンピロウイナー以外には負けないことを証明しターフを去った。
短距離黎明期の絶対王者ニホンピロウイナーの最強の敵だった競走馬。通算対戦成績では初戦の阪急杯を勝ったのみの1勝5敗と完璧に敗れた。しかし全盛期の6歳6月以降はニホンピロウイナー以外に負けることはほぼなく、同馬不在のレースは全て勝った。ニホンピロウイナーがいなければ彼が一時代を築いていたことは間違いない。マイル以下の古馬混合重賞6勝は、20世紀ではニホンピロウイナー・タイキシャトル(共に7勝)に次ぐ記録だった。
動画はニホンピロウイナーの2着だった84年マイルCS
1984年 マイルチャンピオンシップ(GⅠ) | ニホンピロウイナー | JRA公式
- 60二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 20:43:15
ハッピープログレスはもっと語られてイイ
- 61二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 20:53:26
以上
100頭記したかったのでなんとか目標達成
所々間違いがあって申し訳ない
指摘してくれた方々感謝
また続き書くかもしれないので宜しく - 62二次元好きの匿名さん23/09/01(金) 22:59:13
ハッピーは84年はマイル以下の重賞勝利がピロウイナーより多かったのに直対で負けたから最優秀短距離馬になれなかった
- 63二次元好きの匿名さん23/09/02(土) 02:03:50
1984年 安田記念(GⅠ) | ハッピープログレス | JRA公式
ハッピープログレスの馬主の名前を見てびっくりしたのは多分自分だけ
- 64二次元好きの匿名さん23/09/02(土) 13:36:51
興味深いスレだった
続き書くかもに期待して保守 - 65二次元好きの匿名さん23/09/02(土) 22:01:05
セキテイリュウオー、ウメノチカラ…続き投下を期待して保守
- 66二次元好きの匿名さん23/09/02(土) 22:03:59