- 1二次元好きの匿名さん23/09/05(火) 01:44:06
- 2二次元好きの匿名さん23/09/05(火) 01:44:24
そんな私の経験と知識を、URAは欲しているらしい。確かに、ルドルフとその生家に影響を受けて積極的に海外遠征をこなしてきた私の経験は、今の海外に開かれた環境に役立つかもしれない。ただ、非常にありがたい話だが、正直私のことなど参考にならないという思いもあった。
今の私があるのはシンボリルドルフという偉大な名バがいたからであり、彼女の功績によって、私はこの年までトレーナーを続けてこられた。もしルドルフと出会わなければ、早々にトレーナー業を辞めていた――そんな自信すらある。この心身の基盤はルドルフであり、あの誰よりも賢い優駿がいたからこそ、私の知識と経験はここまで精錬されたと言ってもよい。
もし話を聞くなら私ではなく、彼女ではないのか。トレセン学園まで足を運んでくれたURAのスタッフにそんなことを言いかけて、ギリギリで口を噤む。 - 3二次元好きの匿名さん23/09/05(火) 01:44:39
ルドルフと過ごしたあの期間を形にすることは、今の自分が出来る彼女への最大の恩返しなのではないか。
全てのウマ娘を幸福に――彼女の理想は、自分の「ウマ娘優先主義」にも繋がっている。私の表現物が後輩トレーナーの参考となり、結果その担当ウマ娘に還元されるのならば、これ程嬉しいことは無い。そうしてウマ娘が幸せになるのなら、ルドルフの理想の実現が近付いたことにもなる。
断ろうとしたところを一転して、私はURAのスタッフに了承の言葉を伝えた。曰く「期限は問わないから、出来るだけ密度の濃いものをお願いしたい」とのことなので、ゆっくり当時を想起しながら筆を執ることにした。
しかし……。 - 4二次元好きの匿名さん23/09/05(火) 01:44:58
「うーむ……」
どうにも筆が進まない。
これは決して、ルドルフとの思い出が薄い訳ではない。彼女と過ごした三年余りはあまりに鮮烈で、今なお私の心に刻み込まれている。むしろ、その思い出があまりにも色濃く、尊いものであるからこそ、これを余人に晒してしまうことに抵抗感を覚えてしまうのだ。
依頼を受けた時の決意はどこへやら、彼女との思い出を独占したい粘ついた自分へ嫌悪感すら覚えてしまう。
それも仕方のないことだ、と半ば正当化する自分もいた。ルドルフ程のウマ娘など、長いトゥインクル・シリーズの歴史の中で一体何人いるのか。そんなウマ娘を担当してしまっては、どこか狂ってしまうのも当然と言える。 - 5二次元好きの匿名さん23/09/05(火) 01:45:13
そうして殆ど進捗がないまま、三か月が経ってしまった。
URAからは「期限は問わない」と言われているものの、流石にこれ以上提出を遅らせるのはまずい。そう判断した私は、とうとう最終手段に出ることにした。
携帯電話を取り出し、電話帳に登録されているある番号へと連絡を掛ける。
通知音がしばらく鳴った後、落ち着きのある凛々しい音が私の鼓膜を揺らした。 - 6二次元好きの匿名さん23/09/05(火) 01:45:29
『もしもし』
「……久しぶりだね、ルドルフ」
『――あぁ、トレーナー君。一別以来……前回話したのはURAでのパーティーだったかな』
その声の主は、今まさに私の頭を占める存在――シンボリルドルフだった。 - 7二次元好きの匿名さん23/09/05(火) 01:45:49
「あの時は僕がパーティーの主役だったから、君と話す時間をあまり作れなかった。すまない」
『構わないさ。私も主催になった経験はあるから、その辺りの都合は重々承知している。むしろ、中央の勝利記録を更新した偉大なトレーナーを、私が独占してしまっては方々に申し訳が立たないさ』
「シンボリ家の当主である君に文句を言える者なんていないさ」
『私としては、立場抜きで接してほしいのだが……。ところで、今日はどうしたんだい?』
「実は――」 - 8二次元好きの匿名さん23/09/05(火) 01:46:03
私はURAとの一件を、余すことなく彼女に伝えた。
私の経験を形にするということは、それすなわちシンボリルドルフを形にするということでもある。親しき中にも礼儀あり――そういう意味では彼女も当事者であり、こうして話を伝えて筋を通しておかなければならない。また、彼女と思い出話に花を咲かせることで、少しでも執筆意欲を沸かせたいという思いもあった。
『そうか。私との日々を、形に……』
私の話を聞いたルドルフの声色は、どこか嬉しそうだった。 - 9二次元好きの匿名さん23/09/05(火) 01:46:18
『そういうことなら、是非私も協力させてもらおう』
「そうか……! ありがとう、ルドルフ」
『礼はいらないさ。私と君の仲は一心同体――トレーナー君が私の理想を支えてくれたように、私も君の思いを応援したいんだ』
あぁ――本当に、彼女は……。
内心の感激を悟られぬよう、平然と声を発するよう努めながら、私は本題を切り出した。 - 10二次元好きの匿名さん23/09/05(火) 01:46:32
「まず、僕たちが出会った時の話から……」
そうして私たちは、あの時の――輝かしく、何時になっても色褪せない最高の思い出話に興じるのだった。 - 11二次元好きの匿名さん23/09/05(火) 01:46:46
ルドルフとの久方ぶりの会話は、私にとって望外の刺激になったらしい。
これまではどこか重かった筆が信じられない程速く動く。自身の思考が明瞭となり、次から次へと当時の思い出――重要なレースから日常の些細な出来事まで、その尽くが浮かび上がっては、巧みに修辞されて文章という形で出力されていく。
「ふぅ……とりあえず完成かな」
結果、三か月経っても全く進まなかった原稿が僅か一週間で仕上がってしまった。
一通り目を通して校閲したつもりだが、幾分素人なので見落としはある筈だ。とりあえずURAに送って確認してもらおう――ファイルを保存しようとしたところで、あることに気付いた。 - 12オワリ23/09/05(火) 01:47:04
「タイトルを決めてなかったな」
書籍において最も肝心とも言えるタイトルを決めていなかったのだ。
これに相応しいタイトルとは、一体何なのか。「皇帝」と呼ばれたシンボリルドルフと駆け抜けたあの日々を、彼女の偉大さを表現するに相応しいタイトル……。
そう思った瞬間、脳裡によぎったのはルドルフの領域――あの気品に溢れ、見る者全てを心酔させる王者の風格を纏った、後ろ姿だった。
「……よし」
私はメールソフトを立ち上げ、今回の一件の担当スタッフに連絡を取る。
そのメールに添付された原稿のファイル名は、「ルドルフの背」だった。