- 1二次元好きの匿名さん23/09/17(日) 19:35:37
その日は、変哲もないいつもの朝から始まった、と思う。特に変わった事は無かった。静謐な朝の空気と、やがて登り始める太陽の方を見て、そう思ったのを覚えている。なんとかなく少し走るルートを変えてみたが、それだけ。いつもと違う道を進んでも、大概人生は変わらないものだ。今日もいい天気になるだろう、白み始めた空を見ながら、そろそろ部屋に帰る時間だと私ことサイレンススズカは踵を返す。
私は走るのが好きだ。何よりも。何故かは判らない。それでも、走り続けた先に、先頭に立ち走り続ける事で見える何かを求めているのかも知れない。その未知なるフロンティア、たどり着くべきエデンに辿り着く事は難しい。そして、そこに留まる事は更に。なら、走るしかないなと言ってくれたトレーナーはまだ寝ている事だろうか。薄く笑い、また足の刻むリズムに集中すれば、あっという間に自室だ。もう少し、走りたかったかも知れない。だが、学校が始まる。新しい一日が。きっと良い日になる。
いつも通り日課の朝のランニングを終え、部屋に戻った私の目に映ったのは、布団を被り、ベッドにまだ横たわる同室の後輩だった。ねぼすけなこのウマ娘の名前はスペシャルウィーク、皆はスペちゃんと呼ぶ。私もだ。いつも元気いっぱいな彼女はその反面朝に弱い。今日の様に遅刻寸前まで寝てる事もある。しかし、彼女にも新しい一日を迎えてもらう必要がある。最近、学校や何気ない時間も楽しいと感じることを教えてくれたのは彼女だ。ならば、答えは自ずと判る。 - 2二次元好きの匿名さん23/09/17(日) 19:36:11
「スペちゃん?そろそろ起きないと遅刻するわ」
「すみません……今日は休みます」
手早く着替えながら呼びかけたところ、そんな答えが返って来た。ズル休み、ではないだろう。彼女はそんな事はしない。とても真面目でまっすぐな子だからだ。なら理由があるのだ。手を止め、歩み寄ると彼女は布団を鼻の頭まで被る様にして顔の半分だけを出していた。その顔は赤く、頬は上気している様に見える。そういえば、彼女は大概寝相が悪い。布団をベッドから蹴落とす事も多い。どうやら、いや間違いなく体調不良らしい。
珍しい、最初に思った感想はそれだった。彼女は体重管理はともかく、体調管理はほぼ完璧だ。身体が丈夫なだけかも知れないが、それはいい事だと今日も怪しげな研究を続けているだろう友人の顔を浮かべながら思う。なんにせよ、チラと時計を見上げればそこまで時間に余裕がある訳でもない。しかし、優先度と言うものはまた別なのだ。 - 3二次元好きの匿名さん23/09/17(日) 19:36:55
「スペちゃん、具合悪いの?大丈夫?」
「違うんです……少し吐き気がするだけで……」
「そう。わかったわ。先生やトレーナーには私から連絡しておくわね。あ、あと何か欲しいものとか……」
「ありがとうございます。スズカさんは優しいです……」
少し小さめの声。眉を下げ、しおらしい様子の彼女に笑いかける。そんな事はない。でも、スペちゃんの為なら私は少し頑張っちゃうわ、なんて。普段と異なる彼女の様子に申し訳ないが新鮮味を感じる。新たな一面かも知れない。彼女にとっても、私にとっても。
今日帰ったら、きっとお腹を空かせて待つだろう彼女におかゆでも作りましょうか、なんて事をぼんやり考える。味付けを忘れない様に、いや汗もかくだろうし塩味は少し強めで。梅干しとかもいいと聞く。ネギも。うん。こんなことを考える様になったんだ。私。
「いいのよ。困った事があったらなんでも言って。スペちゃんの力になりたいの」
「スズカさん……その……」
彼女が珍しく言い淀んだ。なんだろう?こんな時くらい同室の先輩に甘えればいいのだ。スペちゃんは時折こんなところが顔を覗かせる。頼る事、甘える事に対して抵抗がある様だった。それは美徳であるかも知れないが、私にとっては少し寂しい事には変わりない。かわいい後輩のかわいいわがままを、私は聞きたかった。 - 4二次元好きの匿名さん23/09/17(日) 19:37:43
私はこの時まだ気づかなかった。まだ、珍しくも稀にあるだろういつもの1日だと無邪気に思い込んでいた。当たり前と言うのは、実はとても貴重で尊いものなのだと意識する事が無かった。それは奇跡の積み重ねで、簡単に崩れる、と言う事も。
「なに?スペちゃん」
「その……あの……」
「……いいのよスペちゃん。なんでも言って」
ゆっくりとベッドに腰掛けると、スペちゃんは顔を隠してしまう。その手をとり、布団を軽く捲る。近くで見る、珍しく真っ赤な彼女の顔に見惚れていると、その口が動き、私の世界は静止した。 - 5二次元好きの匿名さん23/09/17(日) 19:42:01
「赤ちゃんが出来たみたいです……」
- 6二次元好きの匿名さん23/09/17(日) 19:44:50
──時間の長さは一定ではなく、光の速さだけが一定である、と言うのはどうも真理らしい。確かに、世界の時間は時折止まる事がある。私にとってはそれが今だった。
頬を染め、布団で口元を隠した潤んだ瞳。私の時間は再び動き出す。
「起きてスペちゃん。遅刻するわ」
「寝ぼけてる訳じゃないですぅ!!」
どうやらまだ夢の続きにいるらしい彼女にかけた言葉は、彼女を夢から醒ますには足りなかった様だった。 - 7二次元好きの匿名さん23/09/17(日) 19:50:55
私は今何をしているんだろう。ふと、そう思う。学校に行くべき時間は迫りつつある。しかし、私はまだベッドに腰掛けていた。それは何故か、またしても丸まってしまった布団を撫でながら、その布地に辛抱強く語りかける事に決めたのだった。しかしそれは、なんとも不思議な光景に思えた。廊下を誰かの靴底が小気味よく叩く音、窓からは楽しげな小鳥の囀りや、誰かの朝を告げ今日も会えた事に感謝する言葉、騒がしい話し声がするが、それがとても遠く聞こえる。本来なら私もその世界の一員のはずなのだが、今日はどうも仲間外れらしい。
ようやく彼女が顔を覗かせた。潤んだ上目遣いはそのままに、彼女になるべく優しく話しかける。彼女は夢の中にいるらしいが、私にとってはここが紛れもない現実だ。しかし、どうやら彼女も同じ現実を生きているらしい。ただ、どうやらそれを映すミラーかレンズが少しズレているようだった。
認識の中に私たちは生きる。それがズレたのなら、常識には非常識に、嘘は真実に、全てが変わる可能性を秘める。異文化では無く、異世界。歩み寄るか走り寄るかは私次第。拒絶は無しだ。 - 8二次元好きの匿名さん23/09/17(日) 20:07:40
「……あのねスペちゃん。赤ちゃんはね、男の人とそれは深い深ーい関係を持たないと出来ないの。スペちゃんにはそんな男の人いるの?」
「い、居ないですけど……でも出来たんです。ほら、お腹もこんなに大きく……」
「それは食べ過ぎよスペちゃん」
彼女は布団を捲り、まんまると膨らんだお腹を私に見せてきた。目を凝らすも、見慣れたいつものお腹に見えた。普段よりは少し大きめに見えるがそれも誤差の範囲、そもどう見てもただの食べ過ぎだった。彼女は食べる事が大好きで、それこそ体型が変わるくらい食べる。食に関してあまり関心の無い私にはある意味羨ましい事であるし、楽しそうに美味しそうに嬉しそうに食べる彼女は見ていて微笑ましい。いつも、と言ってはなんだがそうなのだ。それが何故今日に限って。
思わず天を仰ぐ。天井は答えを教えてくれる訳では無いが。 - 9二次元好きの匿名さん23/09/17(日) 20:36:47
「そんな事ないです!確かに赤ちゃんが……どうして……」
「どうしてと言われても……」
「……大丈夫です。誰の子かわかりませんけど、赤ちゃんに罪はありませんし……私の子です。1人で産みますから……頑張ります……」
「何も大丈夫じゃないわ。あのねスペちゃん……」
「なんで……!」
「え?」
気がつけばスペちゃんは俯いていた。その表情は窺い知れない。だが、彼女の肩は震えていた。失言、だったかも知れない。謝らないと。時には真実より寄り添うことの方が大切だと教えてくれたのは他でもないこの子なのに。 - 10二次元好きの匿名さん23/09/17(日) 20:57:20
「なんでそんなに酷いこと言うんですか!なんでそんなに……も、もしかしてスズカさんが……」
ウソでしょ。 - 11二次元好きの匿名さん23/09/17(日) 21:15:00
「落ち着いてスペちゃん。ウマ娘同士じゃ赤ちゃんは出来ないわ」
「じゃ、じゃあこの子は……」
「スペちゃん落ち着いて。思い出してみて。最近誰かとたくさん触れ合った事ある?無いとおも」
「……スズカさんです」
「え?」
「だから!スズカさんしか思い浮かびません!」
「スペちゃん?」
「昨日もスズカさんが私の尻尾をブラッシングしてくれたんじゃないですか!どうして認めてくれないんで……うぷ……」
「大丈夫スペちゃん!?これ袋よ!」
「うぅ……つわりです……」
「違うと思うわスペちゃん。きっと風邪よ……」
目まぐるしくくるくるあちらこちらへいく彼女へ咄嗟にビニール袋を差し出しつつ、呻くスペちゃんから目線を外し、小さく天を仰ぐ。一体どうしちゃったのかしら。何か悪いものを食べたりしたらこんなことになるの?本当にいろんなものを食べたがるからこの子……もし本当にそうならオグリ先輩も危険かも知れないわね。まぁタマモクロス先輩ならなんとか丸めこめるのかしら。そんな信頼がある。あの2人は。
そしてうまく説明出来ない、どんどんあらぬ方向へ転がしてしまっている自分の無力さにはほとほと呆れ果てる。もう少し対人コミュニケーションを学ぶべきね。そしたら夜走りに行く時エアグルーヴに見つかっても上手く躱せるかも知れないし。 - 12二次元好きの匿名さん23/09/17(日) 21:57:02
「違います……私にはわかるんです……でも、やっぱりスズカさんは優しいです……好きです。順番は逆になっちゃいましたが結婚してください。幸せになります」
「幸せになるのね……とりあえず今日は休みましょう。ね?連絡するから……その、離してスペちゃん」
どうやらどうしようもないらしい。スマホを片手にベッドを立とうとした所を掴まれる。そのまま腰に縋り付いたスペちゃんは顔を押し付けてグリグリしてくる。少し恥ずかしいしくすぐったいわスペちゃん。それにしても熱いわね。やっぱり風邪よ。お医者様に……いや、やめとこう。少なくとも今は。それと、結婚云々は……聞かなかったことにしましょう。それがお互いのためになると思う。熱によるうわ言かも知れないけど、嬉しいと思ってしまう気持ちは心の底に押し込めて。今はやらなきゃいけない事があるもの。チラリと時計に目をやれば、もうとてもじゃ無いけど間に合う時間では無かった。緊急事態となれば先生も許してくれるでしょう。詳細は話せないけれども。スペちゃんの名誉の為に。 - 13二次元好きの匿名さん23/09/17(日) 22:08:23
「嫌です。逃がしません。スズカさんは優しいので逃げないと思いますけど、逃げるかもしれませんし……大逃げですもん」
「大丈夫よ。少し電話するだけだから」
「でも、スズカさん脚速いですし……」
「いい子だから……」
「わかりました……でも部屋の前にいてください。約束ですよ」
「わかったわ」
先ほどまでの覚悟はどこへやら。ひしとしがみついてくるスペちゃんのあまりの勢いに流されていく自分が居るのを冷静に自覚していたが、それとこれとは話が別だった。いつだって私は流されていく私を傍観する事しか出来ない気がしてきた。さようなら日常。こんにちは非日常。でも涙目のスペちゃんのお願いを無碍に出来る人はいないと思う。実際くらりと来た。頑張れ私。負けるな私。
なんとか部屋の外に出て、簡単な連絡を学校とトレーナーに。これでとりあえず休む連絡はしたけど……大変な事になったわ……でもほっとく訳にもいかないわね。とりあえず今日一日は、確実に。早く冷静さを取り戻せればいいのだけど。 - 14二次元好きの匿名さん23/09/17(日) 22:46:45
「スズカさーん!居ますかー!本当に居ますよね!?そんな、まさか……うぅ、ぐすっ……すずかさん……」
「ウソでしょ……ここに居るわ。スペちゃん。今日一日は一緒にいましょ」
まるでジェットコースターの様な情緒だった。鼻をすする音に慌てて扉を開けて部屋に戻る。半泣きのスペちゃんが抱きついて来て驚いたが、なんとか受け止めた。私の胸の中で啜り泣くスペちゃんをなんとかそのままベッドに誘導し、寝かせて布団をかける。やはり不安なのかも知れない。戯言だと決めつけて学校に行かなくて本当によかった。この状態のスペちゃんを1人にさせるのはあまりにも危険過ぎる。
「ぐすっ、スズカさん……すき……」
「私もよ」
「この子も……きっとそうです」
「そうね……とりあえず、今はしっかり休んでね。スペちゃん」
「なでなで……」
「なでなでして欲しいのね。わかったわ」
「手も……」
「今日は甘えんぼね」
「うぅ……ありがとうございます……結婚しましょう……」
「そのうちね。そのうち」 - 15二次元好きの匿名さん23/09/17(日) 23:26:22
この地獄は……?
- 16二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 04:31:58
少し熱を感じる頭を撫でると、スペちゃんはふわりと笑った。その笑顔に胸が少し苦しくなるのを抑え込み、スズカは聞かれない様に嘆息する。本当に……もう。目の前の声がどんどん小さくなっていく。瞼はもう閉じていた。また、夢の中に行くのだろう。小さな呟きだけが静寂の中で確かに空気を震わせていた。
「おかあちゃんにも……あ、式は……みんなも……」
「やっぱり……疲れてたのね。おやすみ。スペちゃん」
静かな寝息を立てるスペちゃんの前髪を、掬うようにしてかるく手でかき混ぜる。今はおやすみなさい。いい夢を。いつも頑張っているのだから、今日や明日ぐらいは休んで。たくさん、いっぱい甘やかしてあげよう。きっとそれが解決に繋がることを信じて。
軽く首を捻り、手を見下ろす。しっかりと繋がれた手は、暖かい。細い指は滑らかで、しなやかだ。だが、それでいて力強い。走るウマ娘の手だ。でも、それは今日はおやすみ。誤魔化す様に手をむにむにと揉んでみる。皮膚があり、筋肉があり、骨がある。生きている。当たり前だが、今はその当たり前を再確認したい気分だった。そう、薬指に目がいってしまうのは、スペちゃんのせいだ。そうに違いない。自分の頬に熱が差すのを感じる。どうやら、熱に浮かされてるのはスペちゃんだけじゃないらしい。
ため息を一つ、気持ちを切り替える為にも独り言を口にした。 - 17二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 04:41:56
「さて、どうしようかしら」
「どうしようか?」
「叩けば治るかしら……そんな訳無いわね」
「ま、そうだな」
「……」
「……」
独り言は独り言で終わらなかった。ゆっくりと首を巡らすと、壁に寄りかかったゴールドシップさんがひらひらと手を振るのが目に映る。不思議と驚きは無かった。ただ、力無く頬が緩み、苦笑が漏れたのをどこか他人のことの様に感じただけだった。
「おはようゴールドシップさん」
「おう、おはようさん」
「……いつから?」
「今日は少しコースを変えようかしら、あたりから、か?」
「ウソでしょ、本編が始まる前じゃないの……」 - 18二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 06:07:14
ほいこれマスク、一応つけとけよ。昨日どうもスペの様子がおかしかったからなぁ、なんて溢す彼女の目は困惑と優しさ、不安さが入り乱れてる様に見えた。昨日から気づいていたのね、と言う驚きと悔しさに私は口をつぐまざるを得なかった。彼女、やはり周りを全く見てない様で、その実1番見えているのかも。私には無いその細やかな気遣いは、とても眩しく見えて。そんな私の様子を見てか、ゴールドシップは軽く肩をすくめ、戯けた様に口を開いた。
「まぁそれはいいんだよ。で?どうする?」
「……事情は把握してるのね?」
「ガッツリな。あまりオオゴトにしたくは無いけどよ、こりゃ協力がいるかもな」
「珍しく、真面目なのね。助かるわ」
スペちゃんのおでこにどこからか取り出した冷却シートを貼りつつ、ゴールドシップは軽いため息と共にどこか遠い目だった。過去に何かあったのかも。聞かないけれど。今はスペちゃんだ。頭を軽く撫で、額の汗を拭く。熱はまだあり、顔も赤いけれど、呼吸等は正常だった。だからこそ、少しずつ不安が大きくなっていく。スペちゃんは治るのだろうか。いや、治るに決まっている。しかし、問題は解決の糸口すら見えなかった。私はあまりにも無力だ。幸運にもあまり恵まれないらしい。フクキタルの手でもいいから借りたいわ。 - 19二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 07:39:13
「──ナイーブな問題だぜ実際。それに、可愛い後輩の為には一肌脱がないとな?まぁ起きたら治ってるかも知れないけどよ」
「えぇ、そうね……でもやはり備えてはおくべきね。何か案はある?私は説得できなかったけど、あなたなら……」
「いんや、難しいな。単純に人数を増やすのはアリかも知れないが、意固地になるか、ショック療法みたいなもんになるかもだぜ?」
後々の事も考えてやりたいしな、病院に行くのも一つの手として考えておくか、なんたってアタシらは多感なティーンエイジャーだぜ?口調こそ軽いが、真剣な顔のゴールドシップさん。椅子に腰掛け、背もたれに顎を乗せていても、その瞳はまっすぐにスペシャルウィークだけに向けられてた。私は目を逸らす訳でもなく、締め切られたカーテンの隙間の空を見上げる。私は彼女に何が出来るだろう。いざと言う時は……いや、考え過ぎだろう。そうに違いない。 - 20二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 07:42:09
「──それでもやってみる価値はあると思うわ。そうならないといいけど」
「……だな。とりあえず、これは差し入れな?アタシはちょっくら行ってくるわ。こんな時の心当たりがあっからよ。空振りならなきゃけど」
立ち上がった彼女は私にビニール袋を手渡した。ずっしりと重たいそれの中には、スポーツドリンクやお茶、栄養ゼリーやレトルト食が入っていた。とてもすぐさま用意出来る量では無い。疑う訳もなく、彼女の観察眼は本物だったらしい。まぁ、普段より妹の様にかわいがっているのは伊達では無いようだった。本当に面倒見がいい。交友関係が広い理由がよくわかる。スペちゃんもゴールドシップさんを通じて仲良くなった人も多いとこの前言っていたし。2人仲良く何かやる事もしょっちゅうで、実際私もその標的に選ばれたが、あの時は……いや、今はいい。彼女がこれから行く先も、別に遊びに行く訳でも、授業を受けに行く訳ではないのだろう。なら、彼女に出来る事は彼女に任せるしかない。私は私に出来る事を。スペちゃんの為に。
「差し入れまで……ありがとう。じゃ、また後で」
「あいよ。それまでは頼んだぜ?婿殿?」
「そうね。大船に乗ったつもりでいて頂戴」
「冗談だぜ?」
「……冗談よ?」 - 21二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 07:45:21
一旦休憩します。
後今更ながらすみませんキャラ崩壊注意です。 - 22二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 08:10:22
スズカは寄り添える、ゴルシは動ける。いいお姉さんしとる。
- 23二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 09:00:24
それでも少しだろうとふざけずにはいられないのが彼女らしかった。それとも私の為か。わざと作った真面目な顔で返すと、同じ様な顔で返される。2人で小さく笑い合い、彼女は私の肩を軽く叩き出て行った。私はその背中を見届けると、軽く頰を張り洗面器とタオルを取る為に立ち上がる。さて、後にも先にもまずはスペちゃんだ。スマホに入るクラスメイトからの通知に返事をしつつ、私は気合いを入れ直す。出来る事をしよう。それが今の私の最速だ。
- 24二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 09:03:17
病人の世話というのは、案外少ないものだ。勿論、介護が必要な重病人には全く当てはまらないが。今は多くの家事をする必要がある訳でも無く、病院に連れていく訳でもなく。勉強も宿題や次の予習まで終わっていたスズカは、多少手持ち無沙汰になりながらもスペシャルウィークの隣で多くを過ごしていた。時折冷却シートを交換したり汗を拭いたりしたが、幸か不幸か来訪者も無くスペシャルウィークは目を覚ますことなくこんこんと眠り続けていた。
何事もなく昼食をつつがなく摂り、寮のキッチンへ向かう。レトルトのご飯で手早くお粥を作り、共用の冷蔵庫からネギを拝借する。塩を振るのも忘れない。ここを使う人はあまり居ない。多くが普段食堂で済ませるからだ。料理がからきし、と言う子も多い。何故かスピカはほぼ全員出来る珍しいチームらしいが。あぁ見えてウオッカやテイオーも卒なくこなすのだ。ゴールドシップも言わずもがな。私も得意では無いが、これぐらいは。
そう広く無いキッチンを軽く見渡す。ここが賑わうのは一部のイベントが迫る時期だけで、それ以外の時はだいたい閑散としている。授業時間中は尚更だ。また非日常。でも悪くはなかった。冷蔵庫にネギを借りた事をメモに書き貼り付けながら、昔を思い出す。風邪を引いた時、いつも以上に優しい母が食べやすい様にと色々工夫してくれていたのを思い出し、にんじんをすりおろして入れる。これでよし。きっとね。 - 25二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 09:04:38
部屋に戻っても状況は特に変わらなかった。無理に起こす必要もあるまい。冷めても温めればいいとお粥にラップをかけ、机の隅に置く。振り返ると、微かな物音が響くこの部屋が少し明るく見えた。珍しくゆっくりと流れる時間に、スズカはある種の安らぎを感じてもいた。充実した、それこそ目まぐるしい日々だったからこそ、今はそれらが全て遠く思える。小さな寝息をバックに、読みかけだった本を読んだりする余裕はあり、走れない事に多少の不満は感じつつも、眠る彼女の顔を眺めたり、その頬を軽くつついてみることで発散もしていた。ふにふにだった。授業の時間が終わり、放課後のトレーニングの時間になっても部屋にいるというのは新鮮で、洗面器の水を変える途中ふと窓の外を見ると、日は既に傾き始めていた。光に赤が混じり、それが長く影を落とす。長い一日だったと振り返る。しかし悪くは無かった、とも思えた。このまま何もなく終わればいい。明日になればきっとよくなる。そう思い込むようにしていた。
「……あ、スズカさん」
「おはよう。スペちゃん。気分はどう?食欲はある?」
「あんまりです……でも、この子の為にも……」
部屋に戻るとスペちゃんは起きていて、顔色はかなり良くなっていた。認識は相変わらずだったが。それでも一歩前進だ。弱った体には弱った心しか宿らない。身体が良くなれば自ずと心もいい方向へ進む場合が多い。それにしてもスペちゃんの口から食欲が無いなんて言葉を聞くなんて。明日は槍ね。 - 26二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 09:05:27
「……そうね。身体は労わらないと」
「スズカさん、今日学校は……」
「今日は休ませてもらったわ。スペちゃんが心配だもの」
「ごめんなさい、私のせいで……」
「いいのよ。あ、熱は……まだ少しあるわね。無理しちゃダメよ」
「はい。あ、スズカさん、その、相談したい事が……」
「なぁに、スペちゃん」
「この子の名前の事なんですけど……」
洗面器を机に置き、ベッドに座ってスペちゃんのおでこに手を当てながら考えていると、スペちゃんは自分のお腹に手を当てながらすごいことを言い出した。だが当然と言えば当然だろう。しかしながらあまり踏み込み過ぎると帰って来れる自信がない。なんとかのらりくらりとかわしながらやるしかないわね。スペちゃんには悪いけど、状況の把握も必要だし。名前は……うん。素敵な名前が思いつけばいいけれど。 - 27二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 09:06:46
「素敵ね。あ、そう言えばスペちゃん、いつ気づいたの?」
「今日の朝です」
「そうなのね。成長がすごいわね」
「あ、スズカさんも触りますか?きっとこの子も喜びます」
「そうね……すべすべね」
「スズカさん。2人で暮らす家はどうしますか?子供は何人欲しいですか?」
「え?あ、そうね……」 - 28二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 12:40:00
とてもよろしくない。どんどん具体的な話になって来た。かなり前のめりなスペちゃんは私の腕に抱きつき、頬擦りまで始めている。正直私の語彙力やコミュニケーション能力ではもう限界だ。いっそのこと話を合わせて楽しい未来と夢の話をした方が楽かも知れないと思い始めた矢先、救いの音がした。扉を控えめに叩く音。危なかった。ありがとう見知らぬ誰か。先に感謝しておく。あなたは救世主よ。
「?誰かしら」
「あ、はーい」
「グラスワンダーです。スペちゃんが風邪を引いたと聞いて、代表でお見舞いに……」
「そうなのね、ありがとう。でも……」
「グラスちゃん!入って入って」
「ちょ、スペちゃ」
「はい。それでは少しの間お邪魔しますね……スペちゃん?」
流石大和撫子を目指す乙女、配慮は完璧だった。問題はもはやアメリカンな程オープンなスペちゃんだった。止めるのも間に合わず入って来てしまった彼女は目を丸くしていた。無理もないと思う。大変申し訳ない。風邪をひいて休んでいると聞いた級友のところに来たら、同室の先輩に抱きついて頬擦りしてる訳なのだから。とてもじゃないが風邪ひきがする事ではない。誰だって疑問に思うだろう。勿論私もだ。彼女からしたら非常識な2人がズル休みをした様にも見えるだろう。勿論そんなふうに考える子では無いと理解しているが、ただ申し訳なかったのは本心だった。 - 29二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 12:41:04
「グラスちゃん?」
「その、スズカ先輩?なんでスペちゃんと腕を組んでるんですか?」
「え?あ、これは」
「グラスちゃん、私、スズカさんと結婚するんです」
「は?」
部屋の温度が2、3度下がった気がした。グラスさんの怒りは真っ当だった。当たり前である。事情を知らなければどう考えても悪ふざけとしか思えないだろう。でもスペちゃんは至って真面目だ。大真面目なのだ。この致命的な齟齬を釈明するのは今の私には不可能だった。現在進行形で腕組まれてるし。彼女とは良好な関係を築けていると思って来たが、それも今日までか、または級友の先輩から変人にクラスチェンジしてしまうか。どちらにせよロクでもなかった。
恐る恐るグラスさんの顔色を伺うと、貼り付けた様な笑顔でもうダメだった。事ここに極まると苦笑も出ないと言う事なんて知りたく無かった。対して隣のスペちゃんはこれ程にないくらいニコニコである。この短時間にここまで認識が拗れる事は普通あるだろうか、いやない。 - 30二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 12:41:29
「もう赤ちゃんも居ます!」
「……は?」
──終わりだ。 - 31二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 12:41:54
「あの」
「順番は前後しちゃいましたけど、今度結婚指輪を……」
スペちゃん?お腹を愛おしそうに撫でないで?未来の展望を述べないで?よく考えたら風邪ひいてるのにお腹を出すのはあまり良く無いのじゃないかしら。今更かも知れないけれど。グラスさん?違うのよ?勘違いなの。スペちゃんの。あなたがスペちゃんにとって友達でライバルで大切な存在だから伝えてるのよ。そんなに肩を振るわせないで冷静に話を……あれ、何故か人が増えてない? - 32二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 12:42:27
「……風邪を引いたと聞いて来たら……スペちゃん?ふざけるのもいい加減に」
「ふざけてなんかいません!!」
びっくりした。スペちゃんそんな大声出せるのね。グラスさんもまた目を丸くしてるわ。あ、足音。そりゃまあ突然怒声が聞こえたらそうよね。また凄い数ね。お茶を出そうにもコップの数が足りないわ。 - 33二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 12:42:56
「なんでそんな酷い事言うんですか!グラスちゃんでも許しませんよ!」
「す、スペちゃん……?」
「スペちゃん?落ち着いて。声をおと……いや、違うんです。人を呼ばないで……」
「スズカさんからも何か言ってあげて下さい!私達の邪魔をしないでって!」
「いや凄い人だかりね。こんなに居たのかしらってくらい集まるわね」
「この子の為にも……人の幸せを喜べないなんて!そんなグラスちゃん、嫌いです!」
「きっ……」
「うぅ……これがマリッジブルー……辛いです……スズカさん……わたし……」
「それは多分意味が違うわスペちゃん。その、ごめんなさい……今はその、そっとして欲しいと言うか……後、後で説明を……」
「ううん!スズカさん!負けないで幸せになりましょうね!この子の為にも!ここに居るみんなに宣言しませんか?健やかなる時もとかなんかのヤツです!」
「……大変な事になってきたわね。本当に……」
「あ、スズカさんは神前式がお好みですか?私はどちらも似合うと思いますけど、ドレスやタキシードのスズカさんも見たいと思ってますし……」
「いや他人ごとかよ……おいおい見せもんじゃねーぞ!おら!散れ!しっしっ……想像以上に大事になっちまったか?」
もうてんやわんやだった。やはり私は流される事しかできなかったらしい。半ば放心状態でスペちゃんに揺すぶられてたら、気がついたら人は居なくなっていた。代わりにいたのはゴールドシップさん。何やら紙袋を持っている。なんだろう、また差し入れだろうか。まだ全然減ってないのだが。 - 34二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 12:43:38
「……ゴールドシップ先輩?」
「そうだべさ。そ、楽しみにね?いやーそんな事は……えへへへへ」
「おわグラスか!ってどうしたその顔?おらこっち来いお前にゃそんな顔似合わねぇぞ全く……」
「いえ……」
スペちゃんに怒鳴られたのが余程ショックだったのだろう、青い顔をして立っていたグラスさんにゴールドシップさんも驚いていた。正直フォローしたかったが自分もいっぱいいっぱいだった。ゴールドシップさんにもみくちゃにされてるグラスさんは無抵抗で、スペちゃんは何か言いながらきゃーきゃー言っている。いや電話してる?誰に?なんで?
「あーもー!スズカ!これ!」
「え?これは……VRウマレーター?」
「──の改良型と言うか魔改造と言うかそんなヘッドギアだ!アタシが調整したからモーマンタイだぜ!いやとりあえず後は頼んだ!アタシは今からコイツと旅に出るから!じゃーな!」
「行っちゃったわ……」
お、これお前の差し入れか?ここ置いとくからな?グラス、用事があるんだ付き合ってくれるだろ?今夜は寝かせないから覚悟しとけよ絶対だかんな……私に紙袋を押し付けたゴールドシップさんは嵐の様に去って行った。明らかに落ち込んでいるグラスさんを連れて。明日、2人に謝罪とお礼が必要ね。ようやく回り始めた頭と、急に静かになった部屋。もうため息も出ない。どっと疲れた。ただ、相当の申し訳なさだけが部屋を回っている。私の代わりに。 - 35二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 12:44:02
「2人きり、ですね。スズカさん」
「そうね……さっきはちょっと大きな声出したわねスペちゃん」
「だってグラスちゃんが……」
「スペちゃん」
「……はい」
少し語気を強めると、やはり、思う所はあったのだろう。しょんぼりと肩を落とし項垂れるスペちゃん。その頭を撫でる。仕方ない。起きてしまった事は。スペちゃんにとり、それだけ大切な事だったのだからさらに。
気がつけば陽は沈み、少しずつ夜が深まりつつあった。まだ早いが、本当に嵐の様な一日中だったとさえ思う。腕の中で涙ぐむスペちゃんを抱きしめ、本当にこの子はいい子だと改めて思う。冷静じゃ無かったとはいえ、勢いとはいえ、怒鳴ってしまった事への罪悪感だろう。今の状態でもそこは変わってなかった。スペちゃんはスペちゃんだった。当たり前なのに。 - 36二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 12:44:27
「きっとグラスさんも分かってくれるわ。明日、良くなったら謝りにいきましょうね。私も一緒に行くから……」
「はい……今日は、疲れちゃいました」
「早いけど寝ましょ。お粥作ったけど、食べ」
「手料理!いただきたいです!」
「……判ったわ。温めてくるわね」
る、と聞く前に食いつかれた。あんなものを手料理と呼んでいいのなら。喜んでくれるのは素直に嬉しいけど、がっかりされたら少し悲しいかも知れない。味見はしたが、自分の舌を信用している訳でもないし。
「どうぞ召し上がれ」
「いただきます!」
スペちゃんの食欲は大丈夫そうだった。勢いよく食べ、おいしい、おいしいと言ってくれていた。こんな時、ふーふーしてあーんするもの、と聞いていたがどうやら違うらしい。ホッとしたのか、それとも。顔色ももう殆ど普段と変わりない。おでこの冷却シートを剥がすと、恥ずかしそうに笑うその顔を何故か直視出来なかった。 - 37二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 12:44:51
「これゼリーとお薬よ。飲んで寝たら、明日になればきっと良くなるわ」
食器を片付け部屋に戻ると、スペちゃんは何も言わずにベッドを叩く。座ると抱きついて来たのでしたい様にさせる。でも、水分は摂らないと。スペちゃんはこの半日殆ど飲み食いしていないのだから。寝てるだけでも汗はかく。水分不足は危険だ。抱きつかれたまま机に手を伸ばし、差し入れを手に取る。その量に少し驚きながら。気がついたらかなり増えている。人が集まった時、きっと皆置いて行ってくれたのだろう。スペちゃん、大丈夫よ。あなたはみんなにこんなにも愛されている。私とは違う。
ゼリーを飲み、薬を飲み。歯磨きの代わりに口を濯いで。寝る準備は万端だった。まだ早い時間で、昼間あれだけ寝ていたのに、スペちゃんはもう眠そうだった。丈夫なウマ娘だろうと、治りかけだろうと、病人は病人なのだ。それでいい。 - 38二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 12:45:14
「……眠くなるまで、お話してくれますか?」
「いいわ。なでなでもしてあげるわ。手も握る?」
「……となりで、一緒に寝て欲しいです。ぎゅーってして下さい」
「……はい、これでいい?」
……あたたかい。
「はい……あたたかくて……スズカさん……」
「なぁに、スペちゃん」
「一緒に……仲良く……」
「そうね。スペちゃん……」
「明日は……きっと……」
「おやすみ。スペちゃん」
そうして瞼を閉じたスペちゃんは、すぐに寝息を立て始めた。しばらくそれを眺めていたが、体を起こし紙袋からヘッドギアを取り出す。一緒に説明書も転がり出て来た。どうやら、これをつけて寝るだけで今の症状を緩和させることが出来るらしい、おおよそその様なことが赤いペンで追加で書かれていた。他の内容は難しすぎて少しわからなかったが。 - 39二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 12:45:40
「これで、よし……」
起こさない様にスペちゃんの頭にヘッドギアを被せ、スイッチを入れる。タキオンが作ったのね。いや仕組みを理屈で説明されてもわからないわ。波?睡眠?リラックスするツボ?なんか後半怪しくないかしら?それに使い方を説明すべき説明書に理論をこんなに書くことある?とにかく、なんとかなればいいけど……ならなかったら……。
「──いえ、きっと明日には良くなってるわ。スペちゃん」
信じましょ。きっと悪い事にはならない。スペちゃんの前髪を軽くかき上げて、おでこに……うん、きっと大丈夫。今日の事も忘れちゃえばいい。また明日からは、いつものスペちゃん。いつもの私たち、いつもの日常よ。 - 40二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 12:46:09
「そうね……あとは、ちょっと、うん。ちょっとだけ、走って来ようかしら」
「そうか」
「スペちゃんを起こさないように……」
「そうだな。起きた騒ぎは仕方が無いが、そのおかげでこっちはさっきまでてんてこ舞いだったんだがな」
「……」
「……」
……デジャヴ。
「こんばんはエアグルーヴ」
「こんばんはスズカ。いい夜だな」
「じゃあ走ってくるわね」
「なにがじゃあだ許可する訳ないだろたわけ」 - 41二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 16:43:05
いつもの通りの朝だった。抱きついていたスペちゃんからこっそり抜け出し、走る。結局、なんとなくで変えてみた走るルートは元に戻した。特に変わり映えのしない景色。それでも、今は変わらない日にありがとうを。いつもの時間に部屋に戻ればスペちゃんはベッドの上で大福になっていた。
「おはようスペちゃん。見事にまんまるになって布団にくるまってるわね……気分はどう?」
「……最悪です」
「確認だけど……」
「スズカさん」
この世の終わりの様な声だけど、受けごたえはしっかり。良くなったのね。良かったわ。
「なぁに?スペちゃん」
「その……」
「うん」
遮ったところまではいいものの、どんどん萎んでいく声を聞き取る為、ベッドの上に腰掛ける。大丈夫よ。一字一句聞き漏らさないから。安心して。布団の上から優しく撫でる。今は、そうね。スペちゃんが赤ちゃんみたいね。 - 42二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 16:43:58
「死にたいです……」
「だめよスペちゃん」
「でも……」
布団を剥ぎ、真っ青な顔でさめざめと泣くスペちゃんを抱き寄せる。落ち着かせる様に背中を叩けば、胸からは嗚咽が聞こえてくる。泣かないで。スペちゃん。あなたが泣いてると辛い。あなたが悲しいと悲しい。あなたには、笑っていて欲しいの。
「スペちゃん。失敗は誰にだってあるわ。勿論私にだって。それに、あれはきっと、不可抗力と言うものよ」
「うぅ……でも」
「元気出してスペちゃん。いいのよ。困った事があったらなんでも言って。スペちゃんの力になりたいの」 - 43二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 16:45:43
──だから、顔を上げて?
「スズカさん……その……」
「なに?スペちゃん」
「その……あの……」
「……いいのよスペちゃん。なんでも言って」
おずおずと顔を上げたスペちゃん。目元に浮かぶ涙をそっと拭き、精一杯の笑顔で笑いかける。今の私の言葉にも、態度にも、嘘偽りは一切ない。あなたが世界を愛している様に、世界もあなたを祝福してくれるのよ。お母様がいて、ゴールドシップさんがいて、トレーナーが、グラスさんが、友達が、仲間が、みんながいる。私も。スペちゃん。だから。
「け、結婚の事なんですけど……」
スペちゃんの発言に、私の時間は……別に止まらなかった。
「起きてスペちゃん。遅刻するわ」
「寝ぼけてる訳じゃないですぅ!!!!」
おわり。 - 44二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 16:47:25
おまけ
「え?何?結局結婚すんの?」
「そうなのですか!スズカ先輩、おめでとうございます」
「いや、そうじゃないのよ。でもスペちゃん、お母様に連絡しちゃったらしくてその誤解を解きに……」
「あー、その、なんだ?がんばれよ?」
「えぇ。じゃあとりあえず行ってくるわね」
「いってらー」
「で、スペとは?」
「大丈夫です。でも、すごい勢いで謝られました。スペちゃんは悪く無いのに」
「ま、仲良くしてやってくれよ。本当にいいヤツなんだ」
「えぇ、存じ上げてます。私はスペちゃんの親友ですから。ところで……」
「あぁ。滅多には無い事なんだが、そう言うことは往々にしてある時はあるんだよ。まぁ、しばらくは無いと思うんだけどよ。なんかどっと疲れたな。旅行にでも行きてー気分だよ……月は遠いな、フランスとか行かね?」
「ふふ、是非今度一緒に行きましょう。でも、パリも遠いですから……まずは隣の国はどうですか?」 - 45二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 16:48:21
おまけ そのに
「だからよスカーレット……オレ、この子のためにもお母さんになりたいんだよ」
「バカねウオッカ。アンタがママになるのよ」
ほんとうにおわり。 - 46二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 16:51:13
- 47二次元好きの匿名さん23/09/18(月) 16:53:21
良いSSだった…
- 48二次元好きの匿名さん23/09/19(火) 01:56:56
面白かった
面白かったが…
ええと、つまり…結局どういうことだってばよ? - 49二次元好きの匿名さん23/09/19(火) 08:41:27
これ多分スズカはスペに実家に連れ込まれてるし、グラスの言う隣の国ってもしかしてアメリカ……?
- 50二次元好きの匿名さん23/09/19(火) 20:13:03
>彼女は体重管理はともかく、体調管理はほぼ完璧だ。
何気に辛辣で芝
- 51二次元好きの匿名さん23/09/19(火) 20:53:47
ここらへん、なんの身も無いかいわしてるのなんか好き。そりゃ妊娠なら昨日の今日でお腹膨らまないけどなんかシュール過ぎるw