- 1二次元好きの匿名さん23/09/20(水) 17:01:54【二十歳のころ 吉田照哉氏(4)】「面白い日本人がいるよ」岡田繁幸氏と運命の出会い 父の吉田善哉が衝動買いした米国ケンタッキー州の牧場、フォンテンブローファームで場長として過ごした4年間は、採算が取れず悩みながらも、馬乗りも生産も経営も全て、…www.sanspo.com
父の吉田善哉が衝動買いした米国ケンタッキー州の牧場、フォンテンブローファームで場長として過ごした4年間は、採算が取れず悩みながらも、馬乗りも生産も経営も全て、若さゆえの一生懸命さで乗り切りました。
もちろん、楽しみも喜びもありました。北米3歳王者に輝いたワジマが走るときは喜び勇んで競馬場へ行ったし、アーサー・ハンコックと出会えたのも幸運でした。そして、私と同じ日本の若きホースマンとの出会いも大きな財産になりましたね。
1973年7月、キーンランドのせりで1歳のワジマを当時の史上最高価格の60万ドルで落札直後、預けていたクレイボーンファームに馬を見に行ったときでした。「面白い日本人がいるよ」と牧場のスタッフに言われたのです。
「オカーダ!」と従業員が笑いながら呼ぶと、厩舎の2階から寝起きの顔をした長身の男が降りてきました。これが、後にビッグレッドファームグループの代表となる岡田繁幸との初対面。スタッフにからかわれる姿を見て「アメリカ人に人気があるな」と思ったものです。
日本で有名な馬産家一族の両家だけどこの記事見るにもしかして2人はマブダチもん?
- 2二次元好きの匿名さん23/09/20(水) 17:03:48
アメリカでほぼ一文無しの総帥の面倒を見てたみたいな話は聞いた事あるもん 渡英までの云々
ソース忘れたから多少のブレはあるもんけど - 3二次元好きの匿名さん23/09/20(水) 17:09:31
http://race.sanspo.com/smp/keiba/news/20170525/etc17052511000002-s.html
米国を不法就労により半年で退去させられ、次に渡った英国も3カ月程度の短い滞在。日本へ帰ってきてからは実家の牧場を継ぐつもりでした。しかし、「馬は売って無事に届けるだけでいい」というおやじの考えにはどうしても納得できなかった。買ってもらった以上は鍛えて好結果を出すとか、あの牧場で買ってよかったと思ってもらえるようにしたかったのです。結局意見が合わず、独立する道を選びました。一銭もない状態でのスタート。23歳のときでした。
岡田兄は家を継がないで出てったもんだから岡田弟がカリフォルニアで馬産やるつもりが家に戻って来て継いだそうもん
- 4二次元好きの匿名さん23/09/20(水) 17:17:17
どっちも良い意味でおかしい人だもん
- 5二次元好きの匿名さん23/09/20(水) 17:25:18
仲良かったもんね…
- 6二次元好きの匿名さん23/09/20(水) 17:36:17
- 7二次元好きの匿名さん23/09/20(水) 17:44:54
渡英する時にコンコルド乗せてもらったり本当仲良かったぽいよな
https://race.sanspo.com/smp/keiba/news/20170524/etc17052411000002-s.html
- 8二次元好きの匿名さん23/09/20(水) 17:45:00
- 9二次元好きの匿名さん23/09/20(水) 17:51:37
- 10二次元好きの匿名さん23/09/20(水) 18:40:23
社台70年代の繁殖は基礎輸入牝系の子孫ばかりで正直貧弱だったもんね…
- 11二次元好きの匿名さん23/09/20(水) 18:58:12
ガーサントから始まりガンガン繁殖質を上げていったのが良い方向に進んだもん?
- 12二次元好きの匿名さん23/09/20(水) 19:28:20
その代わり馬は美浦でマズい水飲まされる事になったんじゃないかもん?