- 1二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 14:30:38
[夏合宿の宿には幽霊が現れる]
そんなウワサを聞いたのはいつの話だったか。数あるトレセンの怪談の中でもとりわけ不気味なものの一つ。
曰く、合宿の宿に出現するびしょ濡れのウマ娘と目が合うと海の底に沈められて戻ってこれなくなる。そしてそれはかつてトレセン学園の学生で夏合宿中に溺死したウマ娘である。ここまでが基本の話。
逆に言うとそこから先は、事故か自殺か殺人かといった具合で派生形が多く、海に沈める幽霊の目的も恨みやら仲間を増やすといったものまで千差万別だ。要は典型的な『学校の怪談』である。
私としては『海に沈められて戻ってこれなくなる』のになんでこの話が伝わっているのかなど疑問な所がありこの話には懐疑的だったのだが……。
「カフェ……?」
「いえ……大丈夫です……」
トレーナーさんが心配そうに私に声をかけてくる。
夏合宿、夜のトレーナー室。
部屋の中にいるのは、私、トレーナーさん、そして。
美しいウマ娘だった。黒鹿毛のロングヘア、古いトレセンの制服、病的なほどの青白い肌色、異常な存在感。雨でもないのにその全身はぐっしょりと濡れていて、その瞳は白く濁り切っている。
水が垂れるポタリ……ポタリという音が小さく部屋に響く。
”それ”は私には全く反応せず、ただトレーナーさんを見つめていた。今にも触れ合ってしまいそうなほどの至近距離で、覗き込むように。
(トレーナーさんには……見えていない……?)
微かな磯の香りがし始めたトレーナー室で、そっと息を吐く。
なるほど。認めなければならない。
ウワサは全くの与太話だったというわけでもないらしい。 - 2二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 14:31:22
この話の重要なところは、『目を合わせると海の底に沈められる』だ。つまり至近距離で”それ”に覗き込まれているトレーナーさんは、完全に狙われている状態だ。
しかし今のところはトレーナーさんの方は目の前の”それ”に全く気が付いていない。だから目を合わせたことになっていないのだろう。
(トレーナーさんに”それ”の存在を悟られてはいけない)
私は心の中でそっと判断する。ウワサがウワサ通りならば、トレーナーさんが目の前の”それ”に気が付いて、目を合わせてしまった場合は非常にマズイことになる。
そして私のトレーナーさんは決して勘が鈍い訳ではない。普通に気が付いてしまう可能性も十分にあり得る。
……冷汗がたらりと肌を伝うのを感じる。
強烈な緊張。そして焦り。
対応を間違えてはならない。私は何としてもトレーナーさんを守らなければならない。
「あの……トレーナーさん……」
私のトレーナーさんは”よくないもの”に好かれやすい。
ちょっと目を離したら直ぐに何かに気に入られている。目を離さなくてもそういうものが寄ってくる。
かつてトレーナーさんが”よくないもの”を惹きつけた時、私は夜通し一緒にいることで彼を守ったが今回はその手も使えない。
なにしろあの来訪者は部屋の扉を開かなければそれで解決できる相手だったが、今回の場合は既に侵入されているのだ。”それ”は今もじっとトレーナーさんを見つめており、正直かなり追い詰められた状況といえる。
そしてあの時と違って今はトレーナーさんに現状を説明することも悪手だ。なにしろ”それ”は彼の目と鼻の先にいるのだ。私が説明することでうっかりトレーナーさんが”彼女”を視認してしまうような事態になったら目も当てられない。 - 3二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 14:32:25
つまり私はトレーナーさんにすら悟られずに物事を解決しなければならないことになる。
(まずはこの夜をやり過ごしたい……)
基本、昼にはこういうものは出てこない。だからこそ今夜だけは凌いで一度考える時間を欲しい。
そう思考し、トレーナーさんに近づく。
「今夜……私と一緒にいてくれませんか……?」
「えっ?」
放置は出来ない。明日の朝、トレーナーさんが溺死した事を知るなんてことだけは絶対に避けたい。
真剣に彼を見つめる。トレーナーさんは相当な困惑を浮かべながら私を見つめ返した。
しばらくしてどこか合点がいったように言う。
「ああ……またなにか”よくないもの”が」
「違います」
慌てて否定する。
私たちが想像以上に危うい橋の上に立っていることを自覚する。”彼女”は反応を見せず、変わらずじっと彼を見つめ続けている。
「……ホームシックです」
「えっ?」
「こちらに来てから毎晩寂しく……眠れない夜を過ごしてきました。不眠症になりそうです……。もしトレーナーさんが一緒にいてくれれば安心して眠ることができるのですが……」
「えっ本当か……⁉」 - 4二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 14:32:57
噓八百。
何食わぬ顔をしてつらつらと思ってもいないことをまくしたてる。
トレーナーさんが申し訳なさそうに「気が付けなくて悪かった……」と謝るのを見て罪悪感で心がひび割れる。それでも一緒に寝るというのは……と迷っている彼を見て、もうひと押し。
「一晩だけでいいです……。アナタと一緒なら私はきっと……」
渋々と、アナタは私の申し出を了承した。 - 5二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 14:33:29
果たしてゆっくり眠れたかどうかはさておき、朝を迎えることはできた。
「カフェ……その……本当にちゃんと寝られた……?」
「ええ。たくさん眠れました。もう安心です」
カンカン照りの砂浜に陽気な波の音。トレーニングに健康的な励む声。
ギラギラと照りつける太陽の下で、私はそっと周囲を見回した。
取り敢えず、いない。
ひとまずホッと安心する。よかった、仮にこんな状態でも追跡してくるようならお手上げだった。
しかし油断できる状況ではない。”彼女”のトレーナーさんに対する執着は尋常なものじゃなかった。このままでは間違いなく、今夜もトレーナーさんの下に”彼女”は現れる。
「海って危ないですよね……」
「……??あ、ああ……?そうだな……?」
情報収集をする。多少強引な流れではあるが、あえて直球で行く。
「ここで事故とか……ありませんでしたか……?」
「え……そういうの分かるのか……?」
彼は驚いたように私を見る。
一瞬逡巡したようなそぶりを見せたが、結局そのまま語り始めた。 - 6二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 14:33:41
「これは40年ぐらい前なんだけど……あったんだ。溺れたトレーナーを助けに行こうとして、ウマ娘の方が溺死した事故が」
曰く。
そのトレセン学園所属の新人のトレーナーと担当ウマ娘は夏合宿で水遊びをしていたらしい。
そこでトレーナーが波にさらわれて溺れた。ウマ娘はそれを助けに行こうとして彼女の方も溺れた。
結局助かったのはトレーナーだけだったようだ。
「それから水場でのトレーニングのルールの取り決めとかが色々あって……トレーナー試験の勉強でするような話なんだけど……」
「なるほど……」
おそらくその事件がウワサの原因なことは間違いないだろう。それに”彼女”の正体も。
だとしたら……。
「まあ今日は水の中に入るようなトレーニングはしないから……」
そういうトレーナーさんのことは置いて思考を進める。
もしかしたらどうにかできるかもしれない。 - 7二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 14:34:04
(来た……)
夕暮れ。トレーナー室。昨日と同じ状況。
気が付けば、そこにいる。じとりと湿度が上がるのを感じて初めて存在に気が付く。
神出鬼没。人ならざる者。
今日も”彼女”はその濁った瞳でトレーナーさんをのぞき込んでいた。
私はトレーナーさんに駆け寄って、ギュッと抱きつく。
彼はひどく混乱したような声を出すが、気にしない。
これが対応策。私の予想が正しければ……これで話は終わるはずだ。
”彼女”に向かってはっきりと宣言する。
「この人は、私のトレーナーさんです」
えっ……と声が聞こえそうなしぐさで、”彼女”はこちらを振り返った。
一瞬見つめ合い、彼女は泣き出しそうな表情を浮かべる。
次の瞬間、”彼女”はわずかに身じろぎするとパッと消え去った。
余りにもあっけなく、”彼女”は身を引いた。後には僅かな磯のにおいと水たまりが残るだけだった。 - 8二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 14:34:30
答え合わせ。
私は最初から勘違いしていた。
あれが本当に「目を合わせたら死ぬ」幽霊なら怪談として残るはずがない。わかっていたはずなのに、完全に冷静さを失ってしまった。
”彼女”が件の事件のウマ娘なら、幽霊になってまでやりたいことはむしろ分かりやすい。
彼女はトレーナーを助けようとして自分が溺死したウマ娘なのだ。ならばトレーナーの安否を確認したいに決まっている。
つまり人を覗き込むのはただ探しているだけなのだ。かつての自分のトレーナーが元気な姿を見せてくれるのを。そう考えると私には目もくれずにトレーナーさんばっかり見ていたのも納得がいく。あの白く濁った瞳で見分けられるのかは疑問なところだけども。
だから私が人違いを指摘したらすぐに撤退したのだ。彼女の目当ては、あくまで彼女のトレーナーだったのだ。
結局ウワサはウワサに過ぎないということだ。正体見たり枯れ尾花とは少し違うが、ウワサよりもずっと無害で可哀想な幽霊。怖いのは、見た目だけだ。 - 9二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 14:35:08
残暑も終わり涼しげな風が吹き始めたお彼岸の季節、私はふと彼女の事を思い出してトレーナーさんに聞いた。
最後の疑問。
果たして彼女の本当のトレーナーさんは事件の後どうなったのか。そしてどうして彼女に会いに行ってあげなかったのか。
トレーナーさんは周囲を見回した後、ささやき声で私に耳打ちした。
「自殺したよ」
「えっ?」
トレーナーさんはひどく複雑な表情で、こう言った。
「耐えられなかったんだろうね。自分のミスで守るべき生徒に助けられ、守るべき生徒を失ってしまったことを。」
同じ立場としては世界で一番恐ろしくて怖い話だよ、とトレーナーさんは締めくくった。
……おそらく”彼女”はこの結末を知らないのだろう。
あの去り際に見せた泣き出しそうな顔が頭をよぎる。
待ち人は来ず、それを知らずに探し続けるウマ娘。
最期の献身も遂に届かず、きっとこれからも彼女はあの濁った瞳でその人を探し続ける。
私はそっとため息をついた。
あまり”そういうもの”に同情するべきではない。引きずられて、帰ってこれなくなる。
しかしそれにしても、これはあまりにも………………………………
「浮かばれない話ですね……」
秋風がふわりと私の頬を撫でていった。 - 10二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 14:39:29
これはいいSS
いい読後感だ…… - 11二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 14:42:52
後味悪い話なのに爽やかだな
- 12二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 14:50:55
可哀想すぎないか????
- 13二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 14:52:42
寝不足になるって言われたらそりゃ聞くけど……
後味悪くて刺さった - 14二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 14:59:37
“お友達”さぁ あの子に教えてあげてよ
- 15二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 15:02:13
噓がだいぶ下手くそなカフェかわいい
幽霊ちゃん健気でかわいそうすぎませんか…? - 16二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 15:04:35
「浮かばれない話」が
海の底に沈んだ、助けても無駄だった、成仏出来ずに彷徨ってるのトリプルミーニングで好き - 17二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 15:05:54
こういう季節感を感じるss好み
- 18二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 15:08:42
これだけ責任感のあるトレーナーならきっと最期に選んだ場所は海なんじゃないかな?
溺れた娘の遺体が見つかってなくて今も海を探してる…とか - 19二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 15:10:28
物語シリーズ味を感じる
- 20二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 15:19:54
思ったよりだいぶヘビーだった
- 21二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 15:20:55
悲しい…
嘘ついて一緒に寝ているカフェくらいしかかわいいが出来ない… - 22二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 15:24:21
そういえばお彼岸だったね
- 23二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 15:25:20
自分が死んでいることに気が付いてないまであるな…
- 24二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 15:27:07
溺れている人を助けに行ってはならない(戒め)
- 25二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 15:31:07
カフェのトレーナーと似てたのかな……
- 26二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 15:35:49
あるよね…登場人物全員死亡して誰が伝えたのか分からない怪談
- 27二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 16:04:57
ホラーssというよりハイセンスな短編って感じで滅茶苦茶好き
- 28二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 16:09:26
本当に可哀想なのはルール違反スよね?
- 29二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 16:15:51
なんだかんだで結構イチャイチャしてて草
- 30二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 16:47:10
ウマ娘でもダメだったか……
- 31二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 17:03:03
守ることに必死で距離感バグってるカフェほんとかわいい
話はとても悲しい…… - 32二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 17:55:02
ただひたすらに悲しい話だな……。
願わくば、”彼女”が真相を知って成仏できたとき、あの世でトレーナーと再会できますように - 33二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 18:23:38
だからちゃんと現実を受け止めて生き続けなければならなかったんですね(1敗)
- 34二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 18:29:47
自殺したトレーナーさんは担当だった子が唯一の未練だったから現世に留まってはないんだろうなぁ…と思うともう二人が巡り会うことは決してないんだろうな
教えてあげるのが吉なのかもわからないね - 35二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 18:39:39
- 36二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 18:48:58
本当に救いのない話でダメだった
- 37二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 19:11:42
本職のライフセーバーでも溺れる人に掴まれたらヤバいので、後ろから近づいて一度沈めて気絶させるのが定跡と聞く
- 38二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 19:19:25
この子の目が濁って前が見えなくなってるのあまりにも残酷で泣いた
- 39二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 20:23:21
カフェと水遊びする話はどこに……????
- 40二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 20:39:53
きっと救われる日は永久に来ないのだろうなと思うと虚しくて仕方がない
良いSSだった、ありがとう - 41二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 20:52:10
- 42二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 20:54:58
- 43二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 21:06:29
それで担当ウマ娘を殺めてしまったとしたらそりゃ死にたくもなるわな……
- 44二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 21:09:27
- 45二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 21:10:44
このレスは削除されています
- 46二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 21:22:11
悪霊扱いしなくていいじゃん‼
- 47二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 22:20:07
心地いい虚無感が味わえて良かった
- 48二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 22:38:07
これ見て涼しくなったことに気がついた。
部屋から出ないと分からないねんな… - 49二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 23:19:49
面白かった
- 50二次元好きの匿名さん23/09/24(日) 23:52:13
そりゃ水遊びできねえな……