(SS注意)凱風快晴

  • 1二次元好きの匿名さん23/09/26(火) 23:51:37

    「……くしゅっ」

     お出かけ先の森の中、隣から可愛らしい小さなくしゃみの音。
     見れば担当ウマ娘のヤマニンゼファーが、両手で口元を押さえていた。
     こちらの視線に気づいたのか、彼女は少し恥ずかしそうに笑う。

    「先日までは炎風も斯くやという暑さでしたが、急に色なき風が吹いてきましたね」
    「ああ、急に冷えたからね……これから暑さも和らいでくれるといいんだけど」

     俺とゼファーは少し肌寒さを感じるほどの風を眺めるように、空を見上げた。
     木々の騒めき、鳥達の鳴き声、広がる青い空には垂らした牛乳のような雲が混じっている。 
     もう9月も終わる時期なのに、夏の暑さはずっと続いていた。
     トレーニングやレースにも支障が出てしまうくらいなので、そろそろ勘弁してもらえると助かる。
     ぴゅうと、一陣の風が吹き抜ける。
     大丈夫かな、そう思って隣に視線を送ると、彼女は心地良さそうに目を閉じて風を受け入れていた。

    「爽籟、ですね。熱風の中の緑風も嫌いではありませんが……」
    「やっぱり秋には秋の風を感じたいよね」
    「はい、荻の声が聞こえて来るのが待ち遠しいです」

     そう言って、ゼファーは楽しそうに微笑む。
     そんな彼女の愛らしい顔を見ていると、急に、俺の中で疑問が生まれた。

    「そういえばさ、ゼファーはどの季節の風が一番好きなんだ?」
    「……それは難風な質問ですね、全ての風にはそれぞれの良さがありますから」
    「あー……ごめん、ちょっと無神経な質問だったかもしれない」
    「いえ、気にしないでください。そうですね、厳しくも生命の強さを確かに感じられる冬の風、熱波の中で涼を楽しめる夏の風、花の香りと出会いを運んでくれる春の風、様々な自然の恵みをもたらしてくれる秋の風、全て素晴らしい祥風ですが」

     ゼファーは一瞬だけ、ちらりとこちらを見やる。
     その目は、俺に何かを期待しているようにも感じられた。

  • 2二次元好きの匿名さん23/09/26(火) 23:51:53

    「やはり今くらいの時期の風が、私としては一番好みなのかもしれません」
    「なるほど、今年は残暑が厳しかったけど、例年なら過ごしやすいからね」
    「ええ、それに花野風に紅葉、森のお色直しを楽しめる時期ですから」
    「ははは、森のお化粧か、うん、確かにここの変化も楽しみになってきたよ」

     綺麗な赤色に染まる木々と、華やかさはないけれど落ち着いた趣の花々を想像する。
     そして、森の仲間達と楽しそうに歌い踊るゼファーの姿も一緒に。
     それだけで何だか楽しい気分になり、森が徐々に変化していくのが待ち遠しくなってきた。

    「鮭嵐に黍嵐、食べ物だって美味しくなっていく季節ですし、そして何よりも────」

     一瞬、言葉を止めてゼファーは俯いた。
     彼女にしてみれば珍しい態度、その表情を俺からは窺うことが出来ない。
     しばらくしてから顔を上げた彼女は、意を決したような、そんな表情をしていた。
     じっとこちらを見つめて、何か大切なことを伝えるように、はっきりと言葉を紡ぐ。

    「凱風快晴の、季節ですから」

     凱風快晴、確か有名な絵の名前だっただろうか。
     彼女の言葉が気になって調べた時に目にした覚えがある、綺麗な赤富士が描かれた絵だ。
     赤富士は晩夏から初秋にかけて見られるらしいから、この時期のことなのだろう。
     確かに良く、彼女は凱風という言葉を口にする。
     つまるところは、良い風と良い景色が見られる季節だから、ということだ。

    「そっか、確かに気持ちの良い風を浴びながら、自然を楽しめるのは良いね」
    「…………」

     俺は微笑んでゼファーに同意をしてみたのだが、いまいち反応がよろしくない。
     むしろどこか不満げに俺をジトっと見つめて、やがて小さくため息をついた。

  • 3二次元好きの匿名さん23/09/26(火) 23:52:18

    「……わかってはいましたけど、あなじです」
    「えっと、なんか悪いこと言っちゃったかな」
    「いえ、心配は凪ですよトレーナーさん。ああ、それにしてもたま風が強くなりましたね」

     そう言うとゼファーは芝居ががった動きで、大袈裟に、わざとらしく腕を組んで背中を丸めた。
     ……いや、確かに少し冷えるけど、そこまで寒いということはないはずなんだけど。
     俺が戸惑っている間も、彼女はチラチラとこちらを見ながら、ぴこぴこと耳を動かす。
     先ほどと同様、何かに期待したような様子で。
     しばらく俺は思案して、羽織っていたジャケット代わりの黒いリネンシャツを脱ぐ。

    「あー、ゼファー、寒いならこれ羽織る?」
    「…………おしあなです」
    「……ごめん、違ったみたいだね、これはいらないかな」
    「無風とは言ってません、さあさあ、どうぞこちらへ」
    「えー……」

     尻尾を振りながら、背中をこちらに向けるゼファー。
     なんとも言えない気分になりながらも、シャツを彼女に羽織らせてあげた。
     彼女にとっては少し大きめで、コートを着てるような感じになってしまう。
     それでも満足そうに、彼女は俺のシャツで自らを包んだ。

    「ふふっ、なんだかハンカチさん、いえ、傘さんみたいですね」
    「大丈夫? 暑くない?」
    「ふふっ、温風に包まれてるみたい……すんすん、それに香風も心地良くて」
    「……にっ、匂いを嗅ぐのは勘弁して」
    「あら、それは乾風。ああ、それにしてもまだ朔風です、手もかじかんでしまいそう」

  • 4二次元好きの匿名さん23/09/26(火) 23:52:33

     ゼファーは素直に鼻先をシャツから離してくれる。
     そして、またしてもわざとらしく、その小さな両手をこすり合わせた。
     絶対そんな寒いわけないのだが、多分そういうことではないのだろう。
     彼女はしきりに手を揉んだり、合わせたりしながら、やはりこちらに目配せをする。
     ……これはもしかして、そういうことなのだろうか。
     間違っていたら恥ずかしいなと思いながら、俺は恐る恐る彼女に向けて手のひらを差し出す。

    「…………手、繋ごうか?」
    「…………!」

     ゼファーの耳と尻尾をピンと立たせた。
     やっぱ違ったかなと一瞬思ったが、ふわりと柔らかく微笑んだ彼女を見て思い直す。
     
    「…………♪」

     小さくて、細くて、温かい、ゼファーの手が、俺の手と合わせるようにぴとりと触れた。
     そして彼女はゆっくり、丁寧に指を一本ずつ絡ませて、尻尾をぶんぶんと左右に揺らす。

    「ふふっ、まるで雪解風、冬を通り過ぎてしまいそうです」
    「そうだね、俺もちょっと熱くなってきそうだよ」

     恥ずかしくて。
     それは流石にゼファーへは伝えなかったけれど。
     しかし彼女は何かを察したのか、少し悪戯っぽい笑みを浮かべる。

    「……えいっ」
    「うわ!」

  • 5二次元好きの匿名さん23/09/26(火) 23:52:50

     突然、ゼファーは俺の手を強く引いた。
     強いといっても転んだりするほどではなく、少しよろめいてしまう程度。
     それでも彼女と接触しそうになり、足に力を入れてなんとか踏みとどまったのだが。

     ぎゅっと────柔らかい感触と生々しい温もりで、腕全体が包まれた。

    「ゼッ、ゼファー?」
    「こうした方が良い花信風を感じられるでしょう?」

     ゼファーは、俺の腕に抱きつくように腕を絡ませていた。
     顔をまるで枕で寝転ぶように押し付けて、上目遣いで俺のことを揶揄うように見つめている。
     彼女の風のように爽やかな匂いと、熱いくらいの体温と、女性らしい肉感が直に伝わってきた。
     心臓が少し高鳴ってしまうのを誤魔化すように、俺を目を逸らす。

    「あー、これはまだ少し熱いんじゃないかな?」
    「……そうですね、これではまるで夏の夕凪のよう」
    「じゃあ離れた方が」
    「…………いやです」

     珍しいくらいドストレートなゼファーの拒否。
     彼女は離れるどころか、より強く俺の腕に力を込めて来る。
     ただでさえ熱くなっていたお互いの体温が、更にその温度を高めていってしまう。
     ……仕方ない。俺は片手で鞄の中身を漁り、一応携帯していた団扇を一つ取り出す。
     そして、それを彼女の顔に向けて、ぱたぱたと扇いだ。

    「……東風です」

  • 6二次元好きの匿名さん23/09/26(火) 23:53:06

     気持ち良さそうに目を細めるゼファー。
     そのふわふわとした流星は、風に煽られて、さやさやと流れていく。
     やがて彼女は楽しげに笑みを漏らして、口を開いた。

    「まるで秋の訪れを伝える初嵐、ふふっ、季節が一周してしまいましたね?」
    「ああ、なんかあべこべになっちゃったよ、本当に大丈夫?」
    「ええ、貴方がくれる清風は、落ち着いて、安心して、優しくて、頼りになって」

     ゼファーはそっと目を瞑る。
     まるでそのまま眠りに落ちてしまいそうな、穏やかな表情だった。

    「やっぱりこの風が、私は一番好きですね」

  • 7二次元好きの匿名さん23/09/26(火) 23:53:32

    お わ り
    書いてる途中まで凱風が秋の風だと思い込んでいたのは内緒

  • 8二次元好きの匿名さん23/09/26(火) 23:56:39

    ごちそうさまでした。
    相変わらず風語がお上手すぎる。

  • 9二次元好きの匿名さん23/09/26(火) 23:59:36

    そっちの凱風も大好きなんだなぁ…

  • 10二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 00:09:01

    風!浴びずにはいられないッ!

  • 11二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 00:23:16

    あ〜〜難解な風語録の中に隠された少女らしいいじらしさがたまらないですね最高…

  • 12二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 00:36:06

    寝る前に良い風を浴びられて幸せ……
    ちょっと積極的なゼファーがとっても可愛くて……良き……

  • 13二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 00:37:44

    こういうのが良いんだよこういうのが
    スーッと爽やかな凱風が身体に染み渡る…

  • 14二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 01:04:25

    良い風・・・

  • 15二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 01:25:24

    祥風、頂きました

  • 16二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 01:58:44

    ゼファーSSって尻尾の表現が多い気がする
    やっぱり尻尾ハグの影響かね?
    ちょっと犬っぽくてカワイイ

  • 17二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 07:44:55

    上手く伝わらなくてやきもきするゼファーは万病に効く

  • 18二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 08:18:44

    >>7

    ウマ娘やってると意外な発見とか思い込みの是正とか結構あるよね

    スキンシップ大好きなゼファー大好き!

  • 19123/09/27(水) 18:46:37

    感想ありがとうございました

    >>8

    お粗末様でした、今後も精進します

    >>9

    肝心の相手には上手く伝わってないのいいよね……

    >>10

    ウチらに出来ないことを平然とやってのける(尻尾ハグ)

    >>11

    風に紛れる乙女心いいよね……

    >>12

    ゼファーはどうしてもつよつよで書きたくなりますね

    >>13

    最近は偏ったのが多かったので新鮮な気分で書けましたね

    >>14

    良い風が送れてなによりです

    >>15

    ゼファーのSS書いてそう言っていただけると嬉しいです

    >>16

    尻尾表現が多いのは自分の手癖でもありますね、大体のSSで尻尾描写してる気がします

    >>17

    複雑な乙女心いいよね……

    >>18

    書く前に調べ直すと色々出て来て新しい一面が楽しめたりします

  • 20二次元好きの匿名さん23/09/28(木) 01:13:39

    チラチラゼファーかわよ

  • 21123/09/28(木) 06:39:49

    >>20

    してもらいたいことを相手からしてくれるのを期待しちゃうの良いよね……

  • 22二次元好きの匿名さん23/09/28(木) 06:55:40

    最初のくしゃみして恥じらうゼファーがかわいい

  • 23123/09/28(木) 07:26:34

    >>22

    なにしても可愛いよね……

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