ビザンツを取り戻す!

  • 1最も狡猾なギリシア人23/09/27(水) 07:55:16

    応援よろしくゥ!

  • 2二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 07:57:40

    最近の教皇胡散臭くね?

  • 3二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 08:01:10

    西欧を掻き乱した男だっけか?

  • 4二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 09:11:38

    >>3

    そうだったはず

  • 5二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 09:25:10

    >>2

    半分くらいは胡散臭くない?

  • 6二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 10:43:37

    っし
    フー
    ゴキゴキ

  • 7二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 12:42:07

    >>3

    ミカエル8世、ビザンツ最期の王朝パレオロゴス朝の初代で、この世で最も卑怯なギリシャ人と西欧から呼ばれた男やね。

    ただし、当時の西欧を掻き乱したのはこいつじゃなくて、こいつと敵対していたフランス王の弟にしてシチリア国王シャルル・ダンジューだと思うわ。


    >>1

    ビザンツなんて当時使われてなかった呼称使っている時点で、お前、ニセモンだな

  • 8二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 12:46:57

    ビザンツ帝国はあくまで東ローマ皇帝の宗主権を認めない西欧からの呼び方だっけ?
    皇帝や国民の自称は最後までローマ帝国

  • 9二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 12:55:19

    >>8

    というか、ビザンツが滅んだ後でフランスかドイツの歴史学者が使い始めた呼称だね。


    ビザンツ側の自称は、仰るとおり、滅ぶまで「ローマ帝国」。周辺諸国も「ロマニア」とか「ルーム」とか「ローマ」に由来を持つ呼称で呼ぶことが多かった。

    ただし、本家争いをする神聖ローマ帝国側とかからは「ギリシア人の帝国」、「ギリシャ」とか呼ばれた。


    近世西欧の歴史学者的には「ギリシア」も「ローマ」も自分達の祖先、文化の源流だというアイデンティティが強かったので、

    ビザンツがギリシア、ローマの系譜と認めたくなくなかったとか。<ビザンツ呼びの由来

    まぁ、定義上、便利だから今でも「ビザンツ」使うけどね(後期ローマ帝国とビザンツ帝国の区分は見ないこととする!)

  • 10二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 13:19:56

    ビザンツを取り戻す!

  • 11二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 13:25:57

    >>10

    自国の都市を攻める尖兵にされた悲しき皇帝さん、ちっす。

    ビザンツ末期でなければさぞかし名君だったろうに・・・・・・と井上浩一先生は言ってたよね。


    つか、さっきからビザンツ取り戻すって具体的に何を指すの?

  • 12二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 13:40:16

    このレスは削除されています

  • 13二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 13:40:30

    >>11

    もちろんオスマンに取られた領土の奪還よ  

  • 14二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 13:49:10

    >>13

    バシレイオス2世の領土回復ぐらいでっかいこと言って!


    もうマヌエル2世の時代には、正直積んでるからなぁ・・・・・・オスマンの雷帝バヤズィト死んだときにも有効打を打てなかったし。

    コンスタンティノス11世はモレアス専制公のときに、ラテン系諸公国を打ち破ってたりして、そこそこ軍才はあったぽいけど、同時代のスカンデルベクみたいな世界のバグ染みた強さないと、もはや何もできない状況だし・・・・・・

  • 15二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 14:30:24

    >>14

    それでもティムールなら・・・ティムールならきっとなんとかしてくれる・・・!

    ・・・まあオスマンが消えたところで今度はより強大なティムールが敵になるだけか

  • 16二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 14:40:47

    >>15

    ティムールはあんまりアナトリアに関心なかったから、バヤズィト殺した後に他のトルコ君候国復活させただけで済ませちゃったし・・・・・・

  • 17二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 16:18:27

    EU4の次の拡張でコンスタンティノス11世の能力が3/2/2から5/2/3になるらしい。
    モレアス専制公の実績を加味したかららしい。軍事のアップは納得できるけど、統治5はあげすぎでは?

    いや、ビザンツスキーとしてはありがたいけど。

  • 18二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 17:28:09

    >>15

    >>16

    むしろティムールに敗れた後になんで回復できたんだオスマン

    皇帝捕虜にされて残った王子たちは帝位を巡ってお互いに争ってーーってどう考えても末期王朝の症状なのに

  • 19二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 19:11:12

    >>18

    バルカン半島側は、既にオスマン国に息の根を止められている(ブルガリアとか)か、虫の息(ビザンツやセルビアとか)、そもそもバルカンの覇権を競うほどの勢力じゃないとかで、この状況を活かすだけの国力がろくになかった。

    アナトリア側については、手元のトルコ史の本見てもトルコ系君候国の記述がろくにないんで、憶測だけど独立を回復したばかりで、やはりこの状況を活かす余力がなかったのかもしれない。


    こうした国力に乏しいバルカン・小アジアの小国達は、最大勢力であるオスマン国の内乱から漁夫の利を得るべく、それぞれ積極的にオスマン国の内乱に介入した。しかし、その結果、内乱が促進され、オスマン家最大トーナメントの勝者が現れてしまった。

    『オスマンVSヨーロッパ』って本では、この時のことを「ビザンツをはじめバルカン諸国は、結局、そろって最大の脅威の復活に手を貸したことになる」と表現している。

  • 20二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 22:23:43

    >>19

    なるほど

    結果的に蠱毒になってしまっていたのか

  • 21二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 23:19:23

    >>20

    具体的には

    ビザンツの肩入れしたAが当初有利だったが、

    カラマン君候国が肩入れしたBが拮抗し、

    その隙にセルビア・ワラキアが肩入れしたしCがAを打倒、

    Cはビザンツに攻撃を始めたので、やむを得ずビザンツもBを支援した結果、

    B(メフメト1世)がオスマン家を統一してしまった。


    Aに肩入れしない方が良かったんだけど、でも、Aはただで少し領地返してくれるって言うし……

    当時、領土は既に帝都周辺とテッサロニキ専制公領、モレアス専制公領しか残ってなくて、後ろ二つは皇族の領地で半独立国だし……

    帝都はまだ人口10万人ぐらいはいたっぽいけど、中身はぼろぼろで、モレアス専制公領の方が活気あるとか言われる始末だし……

    ただで返ってくる領地の魅力に抗えなかったよ……

  • 22二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 23:24:56

    コンスタンティーノーブルなんて末期ビザンツには過ぎた代物
    都市の維持すらままならず寂れる一方ならオスマンの下でイスタンブールとして発展した方が良いというものだろう?

  • 23二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 23:56:26

    >>7

    ビザンツというかコンスタンティノポリスとかにしとけば無難だったな

オススメ

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