- 1◆bEKUwu.vpc23/09/27(水) 21:50:56
「んああっ」
昼間のトレーナー室、椅子にもたれかかって伸びると同時、思わず出た声に、手で口を覆う。ソファで寛いでいた担当が耳を立て、こちらを向いたのがわかった。
「何よ、疲れてるの?」
「え? ああいや、大丈夫だよスカーレット」
急いで取り繕うものの、まだ昼間だと言うのに微かな眠気と疲労を感じていた。正直ここのところ眠れていない。不眠症というよりは眠る時間さえ惜しく、自主的に起きているのが原因だ。
彼女とともに歩んだ最初の3年間、その後に迎える初めての春。桜とともに新しい芽が育ち、蕾だった花はここぞとばかりに咲き始めていた。
そうして、自分たちの前に立ちはだかるウマ娘たちが、年々増えていくのだ。研究の時間など、いくらあっても足りない。
それに、自分はあの日言ったはずだ。「スカーレットは俺の誇り」だと。であるならば、自分も彼女にとっての誇りでありたい。その想いこそが、今の自分の燃料だった。
それに。
「来年は海外にも挑戦したいんだろう? なら、俺も今のうちから相応の努力をしておかなきゃな。国内にも新しい強敵が増え始めてる。特にこのトーセンジョーダンとナカヤマフェスタはクラシック級でも――」 - 2◆bEKUwu.vpc23/09/27(水) 21:51:10
「ストップ。ちょっと落ち着きなさいって」
タブレットPCに走らせた手を、上から重ねられた滑らかな手に封じられた。
「アンタ、その様子じゃ気づいてないでしょうけど、目、かなり充血してるわよ? 今日は休んでおきなさい。ね?」
「いや、だけどこんなに元気だし……」
業務に支障ない疲労で休むのは正直気が引けるし、そもそも今は眠れる気がしない。それを彼女に伝えると、
「疲れすぎて逆に気が立ってるのかしら。うーん、それじゃあ……あ!」
彼女が何かを思いついたように手を叩く。
「そういえば、あ……信頼し合う相手とハグをすると、気持ちが安らぐって聞いたことがあるわ。試してみたら、ゆっくり眠れるかも」
……突然何を言い出しているのだろうか、我が担当は。思いつきで学園の風紀を乱すんじゃない。
「いや、流石に担当ウマ娘とハグするのは、対外的に非常によろしくないと言いますか」
「何言ってるのよ、今更でしょ? タイキ先輩とかローレルさんとか、前例を上げればきりが無いじゃない」
「前例があるからって、それがいつも許されるわけじゃないぞ?」
「でも、トレーナー室でのハグなら、誰に見られるわけでもないでしょ?」
……随分と食い下がってくるな、今日の彼女。まあ、それだけ自分のことを心配してくれているんだろう。ありがたいな。
でも、それはそれ、これはこれ。こういう時こそ、きっちりと線引きをして置かなければ。 - 3◆bEKUwu.vpc23/09/27(水) 21:51:27
「そうだね。でも、俺は君に相応しいトレーナーであり続けるためにも――」
「……アタシとじゃ、イヤなの?」
ふと見れば、目を潤ませて少しうつむく彼女が映った。慌てて否定する。
「そんな訳無いだろう」
そう言い放ってから、彼女の口角が少しだけつり上がっていることに気づいた。
図ったな、スカーレット。
「じゃあ、良いじゃない。ほら、いらっしゃい」
両手を広げて待ち構える彼女。隙を見せた相手に対し、彼女が見せるは慈母の表情。……これは逃げられそうにないな。
俺も勝負の世界に生きる身。一本取られたからには、仕方ないか、などと自分に言い訳をしつつ、歩み寄る。 - 4◆bEKUwu.vpc23/09/27(水) 21:51:47
「負けたよ。じゃあ、試しに一度だけ……」
「うん」
彼女の腕の中に身を寄せる。肩から背中に回されるスカーレットの手。こちらの手は彼女の腰に。胸元からは彼女の熱がじんわり伝わり、耳に伝わる息遣い。安心感から深呼吸をすれば、もはやよく知った香りを色濃く感じた。
そして背中を優しく打つ、トン、トンというリズムからは、彼女の慈しみすら流れ込んでくるようだった。
「……凄いな、これは」
「……そうね」
たった一言。耳を打つ彼女の声は、この瞬間の幸せを体中に巡らせた。
体とまぶたが重くなる。どうやら自分の中に蔓延る疲れが、彼女の温かさにあぶり出されたようだ。眠気が急速に押し寄せてきた。
「スカーレット、すまないが、もう――」
「ええ、いいわよ。おやすみ、トレーナー」
背中の手が頭に移り、優しくソファに寝かされると、瞬く間に意識を手放した。 - 5◆bEKUwu.vpc23/09/27(水) 21:52:06
「おはよう、トレーナー。もう夕方だけど」
「ん? あ、ああ……」
目が覚めると、やはりトレーナー室のソファの上。対面にはスカーレットが座っていた。
「……うん、充血も引いたみたい。たっぷり休めたようね」
「ああ、ありがとう。ごめんな、今日のトレーニング、できなかったな」
「ふふん、何年一緒にいると思ってるのよ。1日くらいなら、アンタが組んでくれそうなメニュー、アタシ一人でも考えられるんだから」
自分が熟睡している間、彼女は一人でメニューを組み立て、走っていたということか。成長を感じる一方、やはり申し訳無さを感じる。
「……でも、そうね。やっぱり寂しかったかも」
「ごめんな」
「ふふ、別にいいのよ。でも、もしお返ししてくれるなら――」
“にこり”とも“にやり”とも取れる表情で、彼女が微笑む。
「次は、アタシが疲れたときにハグしましょ? 今度は、トレーナーから、ね」
「先輩みたいにレースの後、観客の前でしましょうか」などと冗談っぽく笑ってみせる彼女。心の奥底で「それでもいいか」と思い始めている自分を鋼の意志で牽制しつつ、一方で今はただ濁して逃げるしかできない己の不出来を嘆きながら、二人で帰り支度を始めるのだった。
「楽しみに、してるから」
一言だけ、背中越しに加えられた言葉に、「ああ」とだけ返して。 - 6◆bEKUwu.vpc23/09/27(水) 21:52:28
おしまい
ここまで読んでいただき、ありがとうございました - 7二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 21:52:48
👍
- 8二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 21:53:22
良い。
- 9二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 21:53:34
👼👍
- 10◆bEKUwu.vpc23/09/27(水) 21:57:22
- 11二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 22:00:09
週中の疲れに効くわ…
- 12二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 22:23:43
なんか今日はよく寝られそう
- 13二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 22:25:11
ダスカSSスレ多くない?
最高じゃん
ダスカ体温高そうでぬくぬく寝れそう - 14二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 22:26:05
いいっすね……。
- 15◆bEKUwu.vpc23/09/27(水) 22:37:41
- 16二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 22:53:17
アッ アッ ただのハグも値千金…
- 17二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 23:19:05
なんだい今日は……スカーレットの供給が凄いな(ありがとう)
- 18◆bEKUwu.vpc23/09/27(水) 23:23:21
- 19二次元好きの匿名さん23/09/27(水) 23:24:26
ダスカとハグしたら多幸感で脳溶けそう
- 20◆bEKUwu.vpc23/09/27(水) 23:47:49
- 21二次元好きの匿名さん23/09/28(木) 01:42:37
図ったな、スカーレット。
までの3の流れ好き
アプリトレとのその後感あってめっちゃ好き - 22二次元好きの匿名さん23/09/28(木) 01:47:32
とても平和で
両者の間に深い信頼があることが分かる
なんという名文 - 23二次元好きの匿名さん23/09/28(木) 06:48:47
- 24◆bEKUwu.vpc23/09/28(木) 12:15:00
- 25二次元好きの匿名さん23/09/28(木) 12:32:53
こんなん耐えられるの鋼どころじゃねえよ
オリハルコンとかヒヒイロカネだよ - 26◆bEKUwu.vpc23/09/28(木) 19:32:49