- 1二次元好きの匿名さん23/09/29(金) 14:02:35
- 2二次元好きの匿名さん23/09/29(金) 14:06:18
- 3二次元好きの匿名さん23/09/29(金) 14:08:06
- 4二次元好きの匿名さん23/09/29(金) 14:09:38
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- 5二次元好きの匿名さん23/09/29(金) 14:10:53NO HORSE, NO LIFE! JRA(日本中央競馬会)美浦トレーニングセンター尾関厩舎(平成21年3月1日開業)の調教師 おぜきんぐ が日々の業務、考え、日常風景などを綴っていきます。 競馬のことを知らない人にも、競馬の楽しさを伝えられれば、と考えていますので、思わず使ってしまいがちな業界用語などには、ぜひご質問ください。ozeki-stable.seesaa.net
今話題の中日ファンのブログ
小島茂之厩舎の本音(公式ブログ)小島茂之厩舎の公式ブログです。 なかなか外部には正確に伝わらない厩舎の声を可能な限り伝えられればという思いで始めましたが、モチベーションの維持が大変。 前のプロバイダさんのブログが終了するということで、この機会に、このblogの終了も考えましたが、とりあえず引越しをして継続。他の関係者の方々に迷惑をかけないように気を付けながらボチボチ続けていきます。 調教師の仕事やプライベートについてもお話でき…kojima-stable.seesaa.netある年の秋華賞で有名になったブログ
- 6二次元好きの匿名さん23/09/29(金) 14:12:02
- 7二次元好きの匿名さん23/09/29(金) 14:12:17
たまげたなぁ
- 8二次元好きの匿名さん23/09/29(金) 14:12:50
- 9二次元好きの匿名さん23/09/29(金) 14:13:41
- 10二次元好きの匿名さん23/09/29(金) 14:14:38
- 11二次元好きの匿名さん23/09/29(金) 14:16:23
ヤマニンファンクラブ
- 12二次元好きの匿名さん23/09/29(金) 15:09:31
- 13二次元好きの匿名さん23/09/29(金) 15:12:16
- 14二次元好きの匿名さん23/09/29(金) 15:17:55
なんだこのサムネは
- 15二次元好きの匿名さん23/09/29(金) 18:07:00
ジャパン・スタッドブック・インターナショナルの海外競馬ニュース
海外競馬ニュース - 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル (JAIRS)www.jairs.jp他国の競馬情報や外国人視点からから見た日本競馬を知れて面白いよ
個人的に面白いと思った記事はエリザベス女王の競馬歴を纏めた記事だな
ディープの先祖であるハイクレアについても書いてる
エリザベス女王陛下の競馬への情熱(イギリス)【その他】 競馬に携わった歴代君主の中で、エリザベス2世女王陛下ほど競馬に精通し夢中になられた君主はおられなかった。女王の競馬への情熱は誰の目にも明らかであり、血統書や馬格に対する鋭い審美眼をもつ真のプロフェッショナルであられた。
リーディングオーナーに2度輝き、ダービー以外のすべての英国クラシック競走を制覇された。オリオールはダービーで惜しくも2着に敗れたが、女王のご両親の名をもつキングジョージ6世&クイーンエリザベスS(アスコット)で優勝した。
またエリザベス女王は二冠牝馬であるハイクレアとダンファームリンも所有された。後者はシルバージュビリー(即位25周年)にオークスとセントレジャーSを制した。ほかにも、カロッツァ(オークス)、ペルメル(2000ギニー)、エスティメイト(アスコットゴールドカップ)などの傑出した勝馬を所有された。
いつも女王としての務めを最優先にされていたものの、毎年スケジュール帳には最初に6つの日程が書き込まれた。ダービーデーとロイヤルアスコット開催の5日間である。また、サラブレッドのレースだけでなく調教をご覧になること、牧場で繁殖牝馬や仔馬と過ごされることを大きな喜びとされていた。
馬を見る目は天性のもので、一頭一頭見分けることができた。ノルマンディーのアレック・ヘッド氏やケンタッキーのウィル・ファリッシュ氏の牧場を訪れるのを楽しみにされていた。また2011年のアイルランドへの公式訪問のさいには、クールモアなど現地の牧場めぐりがハイライトとなった。
幼いころ、祖父のキングジョージ5世がどのようにして牝馬スカットルが1928年の1000ギニーを制したかを話しているのに聞き入っておられたという。また父のキングジョージ6世はビッグゲームと三冠馬サンチャリオットの活躍のおかげで、1942年のリーディングオーナーになられた。
16歳のときにはご両親とともにフレッド・ダーリン調教師のベックハンプトンステーブル(Beckhampton stables)を訪れ、一流馬の調教を見学された。ビッグゲームに触れたことを光栄に思い、数時間手を洗わなかったという。エリザベス王女はハンプトンコートにあるロイヤルスタッドで繁殖牝馬や仔馬について知識を深められ、競馬場を訪れられるようになって間もない1946年、父が所有するハイペリカムが1000ギニーを制覇するのを目にされた。
エリザベス女王が結婚された1947年、アガ・カーン殿下は結婚祝いとして牝の当歳馬を贈った。アストラカーンと名づけられたこの馬は、ウィリー・スマイス調教師に預けられた。マイルドメイ卿の勧めにより、王女とその母はある障害競走馬を半分ずつ所有し、モナヴィーンと名づけられたこの馬は、ピーター・カザレット厩舎に預託された。
アストラカーンとモナヴィーンは1949年10月に王女の勝負服を背負ってデビューした。モナヴィーンはフォントウェルの障害競走で優勝して王女にとって初めての勝馬となった。この馬は12月にクイーンエリザベスチェイス(ハーストパーク)を制し、1950年グランドナショナルではフリーブーターの5着となったが、そのあと脚部に故障を発症した。
1952年2月の父キングジョージ6世の逝去をうけて即位したエリザベス女王は、生産と競走馬所有を同様の方針で行っていくと宣言した。つまり自家生産馬はニューマーケットのセシル・ボイド-ロックフォート厩舎に預け、ナショナルスタッドの生産馬でレースキャリアのために女王に貸し出された馬[www.jairs.jpエリザベス女王の逝去で英国競馬界は最良の友を失う(イギリス)【開催・運営】 9月8日(木)、英連邦をはじめ世界中の人々が喪失感を覚えただけではない。エリザベス女王陛下の死は英国競馬界にも虚無感をもたらした。競馬というスポーツは、長年にわたる熱狂的なサポーターだけでなく最良の友も失ったのだ。英国の競馬場が女王の笑顔を迎えることはもうない。ロイヤルアスコット開催の馬車に、1953年以来いつも臨席してきた君主が現れることはもうない。そして王室の勝負服は、すっかり競馬のとりこになっていた女王陛下を象徴するものではなくなってしまった。これらのイメージが薄れるにはまだ数年かかりそうだ。
女王にとって競馬は多面的な娯楽だった。サラブレッドを生産する中で、女王の専門知識は、王室の歴史家たちが断言するように、歴代の君主(ダービーを3勝した曾祖父エドワード7世、www.jairs.jp - 16二次元好きの匿名さん23/09/29(金) 18:09:43