- 1二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 02:58:01
イヤホンから流れるメロディーライン。
その旋律に過去に走った記憶乗せて、言葉を導き出していく。
ぽつぽつと単語は浮かんでくるものの、すぐに先が見えなくなってしまう。
何度も同じ曲を流してみるものの、全くペンは動いてくれない。
そうしているうちに、書いていた文字までも陳腐なものに見えて来て。
「あー、ダメだ! 全然浮かばない!」
私はイヤホンを外して、テーブルの上の紙をグチャグチャに丸めて投げ捨てた。
ごろりと寝転がり、大の字になって天井を見上げる。
ふと、耳がシャカシャカという雑音を拾った。
音源は、電源が入りっぱなしのウォークマン。
私はそれを手に取って停止ボタンを取り出して、カセットテープを取り出す。
ラベルには『サンプル』とだけ無機質に書かれていた。
「はぁー、やっぱ断るべきだったかなあ……」
思わず、大きなため息が出てしまう。
周囲にはいくつもの丸まった紙が転がっていて、悪戦苦闘の跡を示しているみたい。
私は面倒に思いながらも立ち上がって、それらをゴミ箱に入れていく。
ワープロならゴミは出ないけど、『仕事』の時はペンと紙なのが、私の流儀なのだ。
「トリプルティアラの曲の、作詞かあ」
尻尾が勝手に、パタパタと動いてしまう。
重賞にはまるで縁のなかった私だけど、トリプルティアラという言葉にはやはり心が疼く。
全てのウマ娘が死に物狂いで目指す、一生で一度しか走ることの出来ない大舞台。
そのウイニングライブの曲に携われるなんて、とても名誉なことだ。
全身全霊で挑ませていただきます、なんてURAの担当の人には言ったものの。 - 2二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 02:58:19
「……G1に挑むことも出来なかった私には、書けないのかなあ」
寝返りと打って、棚の上を見る。
そこには初めて勝利した時にトレーナーさんと一緒に撮った写真があった。
私がトレセン学園に所属していたのは、5年ほど前。
何とか勝ち上がって、重賞で掲示板ギリギリに入れたのが私のトップキャリア。
結局それ以降は芽が出ず、引退して、卒業をした。
ただ────私の才能はどうやら別のところにあったらしい。
卒業後、家の仕事を手伝っていた私は、バンドをしている友人から作詞をお願いされた。
私が詩を書くのが好きなのを知っていて、藁を掴む思いだったらしい。
色々と良くしてもらった子だったし、作詞も興味があったので、私は二つ返事で引き受けた。
無論、そこまで期待されていなかったし、私もそこまで良いものが書けると思ってなかった。
が、その曲がまさかの大当たり。
インディーズバンドでしかなかった友人らは一気にメジャーデビューして売れっ子に。
それは彼女達の力量が大きかったと思ってるのだけど、彼女達は律儀に私のことも喧伝してくれた。
すると、その話を聞いた関係者から、少しずつ作詞の依頼が入って来て。
両親とも相談して、とりあえずやれるとこまでやってみることにして。
そして気づいたら、『作詞』を生業に出来るくらいの立場にはなっていた。
仕事の打ち合わせの都合もあり、実家から離れて、今は都内に一人暮らしをしている。
そしてある日、URAから依頼が来て、今に至るというわけだ。 - 3二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 02:58:36
「うーん、知り合いに取材……いや私の知り合いなんて殆ど似たような戦績だなあ」
学園にいた頃の友人とは今も連絡を取っているが、レースでの実績は似たり寄ったり。
なんなら私が一番良いくらいなので、相談しても進展はないだろう。
……懐かしいな、勝てなくて辛いこともあったけど、あの頃はやっぱり楽しかったな。
目を閉じてみれば、昔の記憶が蘇っていく。
友人達の楽しい日々、世代の英雄の背中を見る日々、悔し涙を流しながら走る日々。
そして────トレーナーさんと共に歩んだ日々。
「……トレーナーさん、かあ」
そういえば、とふと思い出す。
確か、私が卒業した後に彼が担当したウマ娘は、トリプルティアラに挑んでいたはず。
その冠にこそ手は届かなかったけれど、出れただけでも立派なことである。
彼女本人に話を聞くのは難しいかもしれないが、トレーナーさんにならば。
思い浮かぶはのは、少し頼りないけれど、優しくて、安心する彼の笑顔。
きゅんと、ぎゅっと、懐かしい鼓動が鳴った。
ずっと会ってないけど、元気にしているのかな。
今の私が頑張っていることを、知ってくれているのかな。
────会いたいな。
ずっとずっと、胸の奥に押し込めていた想いが、思い出と共に溢れてしまう。
五年間、いや彼の契約をしてからずっと我慢していた気持ちが抑えられない。
「これは、取材だから」
自分に言い訳をしながら、私は電話の前に立ち、深呼吸。
震えそうな手で受話器を取って、ダイヤルを回した。
コールが数回繰り返されて、トレセン学園の総務へと繋がった。
私は自分の名前と目的を伝えて、彼を呼び出して欲しいと相手に頼む。
不思議と、その言葉は淀みなく口から流れ出た。 - 4二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 02:58:55
私は、トレーナーさんに恋をしていた。
入学するまで、お父さん以外の男の人とは縁のない日々を送っている。
そんな日々から、年上の男性との二人三脚。
彼は新人トレーナーで、顔立ちも悪くなく、親身になって私を支えてくれた。
一緒に喜んで、一緒に悲しんで、一緒に楽しんで、一緒に悔しがって。
そんな日々は────多感な乙女にとって、劇薬だった。
気が付けば、彼のことが頭がいっぱいになって、彼のことばかり考えていて。
少しでも長く共に歩みたいから、頑張って、頑張って、頑張って、走り続けた。
でも、能力の限界という残酷な現実は訪れて、私は引退し、卒業することとなった。
『卒業おめでとう、キミと過ごした日々は一生忘れないよ』
卒業式の日、彼は少しだけ辛そうな笑顔で、そう言ってくれた。
私は、その瞬間になっても、ずっと迷っていた。
この胸に溢れんばかりの想いを、彼に伝えるべきかどうかを。
彼は大人の、教師にも当たる立場であり、私は子どもの、学生でしかなかった。
そんな恋が、本当に許されるのだろうか。
それにもしも、拒絶されてしまったら、私は立ち直れないかもしない。
でもここで想いを伝えなければ、きっと一生後悔するだろう。
これがきっと、最後のチャンスだ。
悩んで、悩んで、悩んで。 - 5二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 02:59:12
『……うん、私も絶対忘れないよ』
私は、想いを抑え込んだ。
顔は笑顔を作れているだろうか。
目から涙は漏れ出していないだろうか。
口は震えていないだろうか。
この想いが伝わってしまってはいないだろうか。
きゅんと、ぎゅっと、鼓動が愛しい。
この時のドキドキを、今でも私は、忘れることが出来ない。 - 6二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 02:59:27
数日後、学園近くの喫茶店にて。
私は、ガチガチに固まった状態で、座っていた。
時折手鏡を取り出して、メイクや服装などにおかしなところがないかチェックする。
この日のために出来る限りのおめかしをして、メイクもばっちり決めた。
それでもドキドキは、止まらない。
まるで学生時代に戻ってしまったかのようだった。
「────お待たせ」
突然の声に、心臓が止まるかと思った。
でもその響きはとても懐かしくて、穏やかで、何よりも優しい。
声の主はそのまま私の前の席に座り、柔らかく微笑んだ。
優しくて、安心して、でも昔よりは頼りになりそうな、そんな笑顔。
……うん、変わってないなあ、私が好きだった笑顔だ。
「久しぶりだね、トレーナーさん……で良いかな?」
「うん、構わないよ。でもびっくりした、こんな美人になってるなんて思わなかった」
「ふふっ、トレーナーさんの方は相変わらずだね」
「これは手厳しいね、でも、元気そうで良かった」
褒めたつもりだったのだけれど、伝わらなかったようだ。
それにしても、正直上手く話せるかどうか不安だったけど、なんてことはない。
私達はまるで当時の関係に戻ったように、会話を続けていた。
ああ、そうだ。
これだけは先に伝えないと。
「……本題に入る前に、一つだけ言っておきたいことがあるんだ」
「……何かな?」 - 7二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 02:59:50
少し驚いたように目を丸くするトレーナーさん。
私は背筋を伸ばして、彼へと正面から向き合う。
それは当時、自分の気持ちを誤魔化すので精いっぱいで、言えなかった言葉。
やっと逢えたこの瞬間、素直に伝えないといけない。
「私のトレーナーになってくれて、ありがとう…………最後に言えなかったから」
「……こちらこそ、俺の担当になってくれてありがとう、君が最初のウマ娘で良かった」
二人で真剣な表情で気持ちを伝えあって、同時に吹き出してしまう。
その光景はどこか滑稽で、奇妙で、それでいて、とても幸せな光景。
胸のつかえが取れたような気持ちと共に、私は思ってしまった。
やっぱり、まだ好きなままなんだな、と。 - 8二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 03:00:10
「作詞やってるの知ってたんだ?」
「うん、キミの友人が教えてくれて、君が書いた曲は全部買ってるよ」
「えへへ、そっかあ、私がこの仕事してるの、意外?」
「いや、君が詩を書いていることは知ってたし」
「……待って、それはトレーナーには秘密にしてたはずなんだけど」
「あ」
「…………まさか勝手にノートを」
「……キミの友人が俺に見せてきてね、ごめん」
「……あいつらめ~」
「えっと、当時から出来は良かったと思うよ、うん」
「フォローになってないよぉ……もう」
ちょっと怒ったように見せる私を、彼は困ったような笑顔を浮かべた。
なんだか、こんなちょっとしたやり取りだけでも、とても嬉しい。
昔はずっと、こんな感じで過ごしていた。
そんななんてことのない日々がとても楽しくて、心地良くて、幸せだった。
ずっとこうしていたかったけれど、窓からは茜が差し込んできている。
そろそろ本題に入らないと、夜になってしまう。
……まあ、私は、それでも良いんだけど。
「じゃあ、そろそろ質問をさせてもらうね?」
「ああ、どんと来てくれ」
「うん、遠慮なくさせてもらう……おっと」
私は鞄からペンとメモ帳を取りだそうとして、ペンを落としてしまう。
カツンと響く軽い音色、私は慌てて床へ手を伸ばした。
すると、ごつごつした手の感触が、私の手に重なって。
────その一つの指から、冷たい金属の感触がした。 - 9二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 03:00:37
「……えっ」
「あっ、ごめんね、余計なことしちゃって」
「…………あの、その、トレーナー」
「ん?」
「ゆび、それ」
「ああ、これか」
彼は恥ずかしそうにはにかんで左手を上げる。
その薬指には、とても綺麗な指輪が、きらきらと輝きを放っていた。
「実は去年、結婚したんだ」
「……しらなかった」
「キミにも連絡取ろうとしたんだけど、連絡先がわからなくて」
「……だれ?」
「あー、その、君の後に担当した子で、卒業してすぐにお付き合いすることになって、そのまま」
「……そう、なんだ」
天が堕ちていくような、そんな気がした。
そっか、そうだよね。
ずっとずっと待っていたのは、私だけ。
積み重ねるように、貴方と紡ぐ未来なんて初めから存在していなかったのだ。
私は無理矢理笑顔を浮かべて、彼に伝えた。
「……結婚おめでとう」
「うん、ありがとう。結婚式呼べなくてごめんね」
「それは私も悪かったから……でも安心したよ、トレーナーさんに相手がいて」
「……本当は迷ったんだ、卒業したとはいえ、教え子だから」
「そう、なんだ」
「でも、彼女から想いを無下にしたくなくて。今はそれで良かったと思ってるよ」 - 10二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 03:01:06
「そっか、良かったね」
私は、想いを抑え込んだ。
顔は笑顔を作れているだろうか。
目から涙は漏れ出していないだろうか。
口は震えていないだろうか。
この想いが伝わってしまってはいないだろうか。
きゅんと、ぎゅっと、鼓動が苦しい。
あの時と、同じだ。
でもおかしいな。
ドキドキって、もっと幻想的なものだったはずなのに。 - 11二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 03:01:24
その後のことは、あまり良く覚えていない。
いくつかの質問をしたけれど、あまり心には残らなかった。
そして、取材を終えて、店を出た頃にはすでに外は真っ暗。
「家まで、送っていくよ」
「……うん」
断っても良かった。
けれど、断りたくなかった。
一緒に居るのも辛いのに、離れたいとも思えなかった。
なんともまあ、見苦しい。
喫茶店から家までは十分もかからない距離。
けれど今の私には、無限にも感じるほどの地獄の時間。
そして、それと同時に、ずっと続いて欲しいとも思ってしまう時間。
「うん、ここが私の家だよ」
「……その歳でこんな立派な家建てちゃって」
「えへへ、売れっ子ですから」
「あはは、商売繁盛で何より、俺も頑張らないとね」
トレーナーさんは、そう言って笑顔を見せてくれた。
私の、大好きだった笑顔。
そして、もうとっくに、他の誰かの物になってしまった笑顔。
「それじゃあ。またなにか力になれることがあったらいつでも呼んで」
そう言って、トレーナーさんは私に背中を向ける。
夢を見て、刻まれて、実らせたかった背中が、遠ざかっていく。 - 12二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 03:02:00
その景色を見て、心の奥底に溜まっていた闇が噴き出した。
あの時、私は懸命に想いを伝えるのを我慢したのに。
なんで彼は、何も我慢しなかった人と結ばれているのだろうか。
あの時、私が想いを伝えていれば。
あの指輪の片割れを持っているのは、私だったのだろうか。
気が付けば、私は彼の左手に手を伸ばし、掴んでいた。
「……どうかしたの?」
突然の、不躾な行動に、彼は怒りもせずに穏やかな笑みで振り向く。
優しくて、安心して、穏やかで、落ち着いて、好きで、好きで好きで仕方なかった笑顔。
離したくない、譲りたくない、逃がしたくない、渡したくない。
ああ、このまま、自分の物にしてしまおうか。
引退して日々が過ぎてしまったとしても、私はウマ娘だ。
このまま彼一人を家に連れ込むことくらい、赤子の手を捻るほど簡単に出来てしまう。
もちろん、わかっている。
そんなことをしたって、彼と幸せになることは出来ないということを。
きっと、私の両親だって私を見放すに違いない。
友人だって離れていくだろうし、せっかく築いた仕事の立場も失うだろう。
でも、それでも私は、この人が欲しかった。
今なら怖くない、嘘じゃない、もう迷ったりなんかしない。
いいよね、このまま────世界中、敵に回したって。 - 13二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 03:02:25
バタン、と世界と隔絶されるかのように家の扉が閉まった。
私は扉に背中を合わせると、ずるずると崩れ落ちてしまう。
真っ暗で、誰もいない部屋は静かで、孤独で、寂しかった。
「……あはは」
嘲るような笑いが漏れる。
あの後、私は彼の手を離してしまった。
奥さんとお幸せに、と思ってもないことを口から吐き出して。
……わかっていた、全てを壊して、想いを伝えるなんて出来ないって。
それが出来るのならば、卒業式の時に、自分の想いから逃げたりなんてしなかった。
きっと、それが出来るほどに覚悟を持ったウマ娘だけが、ティアラに挑めるのだろう。
たった一度の舞台を手繰り寄せて、頂へと辿りつくことが出来るのだ。
「そっか、そうだったんだ」
私はふらりと立ち上がって、台所へと向かう。
そして仕舞ってあったワインを一本取り出した。
私にとって特別な日に飲むつもりだった、とっておきのワイン。
それを適当なグラスに注いで、安酒のように飲み干していく。
ボトルを空っぽにして、酩酊した頭で、私はペンと紙に向き合った。
イヤホンを取り付けて、ウォークマンにカセットを入れて、再生ボタンを押す。
まるで思い浮かばなかったはずの言葉が、嘘みたいに浮かんできた。
衝動に任せて、赴くままに、ペンを走らせていく。 - 14二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 03:02:47
この歌は────祈りだ。
私から後輩のウマ娘達への。
決して、私と同じような後悔をしないで欲しいという想いを込めて。
この歌は────呪いだ。
私から後輩のウマ娘達への。
決して、私と同じような後悔をしないで欲しいという想いを込めて。 - 15二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 03:03:19
お わ り
時代設定に関してはかなりふわふわになってます - 16二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 04:13:17
BSS好きなのでめちゃくちゃ刺さった
毎回ライブで聞く度に勝手にさびしさを感じてたんだけど、こういう背景があってそれのせいだったのかもしれないなぁ
望んだ形ではなかったけれどせっかく見つけた才能なのに、一番ほしかった人には掠りもしなかったのが切なすぎる……
素敵な作品をありがとうございました - 17123/10/11(水) 08:38:39
- 18二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 08:44:29
着眼点がすごい
- 19二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 08:46:57
仮に今更思いを伝えたところで実らないのが辛いけどいっその事言ってしまってもよかったのかもしれないと思う気持ちも出てきた。この感じだともっと早く伝えられたとしても断られてそう
- 20123/10/11(水) 13:44:53
- 21二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 18:15:20
手を伸ばし掴もうの歌詞が辛いな…
- 22二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 18:52:32
鼓動が愛しい→鼓動が苦しい
ここの鼓動の変化が実際の歌詞とは逆になってるのおつらい - 23二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 18:58:15
名作だけど二度と読み返せない
- 24123/10/11(水) 20:51:00
- 25二次元好きの匿名さん23/10/11(水) 21:14:27
なるほど
あの世界にもいるわな、楽曲提供者
新しい視点で好き - 26123/10/11(水) 21:42:23
どういう感情であの歌詞書いたんだろ、というお話でした