- 1◆FgBqcV3on.21/12/29(水) 11:42:23
- 2◆FgBqcV3on.21/12/29(水) 11:42:45
厳しく冷たい風が窓を叩く音を伴奏に、つけっぱなしのテレビが、青い火をくゆらせるコンロが、蒸気を吹き出すやかんが、熱を吐き続ける電気炬燵が、気ままに冬の音色を奏でています。
そんな季節の旋律を背景に、手に持っている凹凸ばったオレンジ色の潰れた球体、詰まるところのミカンを見つめました。
思い返してみれば近頃はこの色をよく見かける気がします。
(思えばこれも冬の色でしょうか……)
冬と言えば青というイメージですが、寒さから逃れるために人の周囲にはこの色が増えるのでしょう。
見渡せば部屋の調度品も暖色系のものが多くなっています、そのせいか電灯の光は白いのに不思議と部屋の中空気自体が橙がかって見えてきました。
テレビの方を見てみれば太陽をモチーフにした舞台を背景に、吹き出す炎と共に踊っているウマ娘の姿が映し出されていて、画面は概ねその色です。
そこは春も秋も同じ色で彩られるのですが、丁度こんなことを考えているときに見るというのは、少し運命じみたものを感じずにはいられません。
そんな風に色へ思いを向けながら、ミカンに指を突き刺し、普段よりも意識して丁寧に、薄皮までしっかりと剥いて皿に並べ、部屋に橙色を増やしていきます。
(遅いですね~、トレーナーさん……、もしかしてまた迷っていらっしゃるのでしょうか?)
トレーナーさんとはこの部屋の管理者であり、普段は競技者としての私をお世話して頂いている方で、今日出た生ごみなどを捨てに行っています。
例年であればクリスマスと言えどもすぐに捨てに行かなければならない程は出ないのですが、今年は卒業を控えた前年ということで、いつもの4人とそのトレーナーさん達を迎えてクリスマスパーティを開いたのでいつもより多くなりました。 - 3◆FgBqcV3on.21/12/29(水) 11:43:16
トレーナーさん達からは自分たちが幹事だから、私たちは働かないようにと言いつけられたので素直に留守番をしていますが、そのせいで他の皆が自分の担当トレーナーと一緒に談笑して帰る中、私一人だけがトレーナー室に残されこうして一人で寂しくミカンを剥かなければならない仕打ちを受けているのです。
そんな経緯を思い出していると、浮かれて被ったサンタ帽と共に、耳がしおれてふにゃりと垂れていくように感じます。
(流石に迷ったら連絡が来るはずですし……、はぁ……、それでもこんなに暇なら強引についていけばよかったですね……)
ため息をつきながら時計を見るとトレーナーさんが出て行ってからそこまで経っていません、自分たちが走っていけばそこまでかからないのですが何分あちらはウマ娘ではありませんから、それを考えるとまだ少し遅いかもしれないけども……という程度です。
一日千秋、とはまさにこのことなのかもしれません、秋も過ぎ去ったばかりのこの季節にこんな思いをするのはいささか皮肉が効きすぎではないでしょうか。
そろそろ嫌気が差してきたので、持っていたミカンを最後に剥くのをやめて机に突っ伏して再度ため息をつきます。
「……はぁ~~~~~」
「ただいま」
それとほぼ同時にガラリと戸を開いてトレーナーさんが帰ってきました。
思わずピンと背筋と耳を伸ばして赤面する私を見て笑っています。
「……幸せが逃げるぞ?」
「……では逃げた分はトレーナーさんに差し上げます、閉め切っているので多分まだ部屋にいますから」
トレーナーさんはにやけ顔をして言いますが、その原因を作った方に言われるのは少しだけ心外です。
少し拗ねたような調子で言い返すと、トレーナーさんは「じゃあお言葉に甘えて」と返事をして深呼吸をしようと浅く息を吸ったところで止まって、そのまま吐き出しました。 - 4◆FgBqcV3on.21/12/29(水) 11:43:31
「……なんか変態っぽいな、やめとこう」
「私は別に気にしませんよ?」
「こっちが気にするから、ほらグラス、深呼吸」
言われるがままに深呼吸をして逃した幸せを再び胸の中に招き入れます。
吸って吐いてを繰り返すと、心なしか逃がす前よりも少しだけ幸せが増えているような気がしました。
(どうやらお友達を連れてきてくれたようですね、ではもう一回♪)
今度は少しだけわざとらしく、先程よりも大きなため息をつくと、それを見てトレーナーさんは苦笑しています。
「グラス?」
「ふふ♪いえいえ、ちゃんと逃げないように、出口が締まっているかを確認しただけです♪」
口の前で巾着の紐を締めるような仕草をします。
トレーナーさんはそんな様子を見て返しを思いつかなかったのか、苦笑したまま目を瞑って少しのけぞり、別の話題を求めて周囲を見渡しだしました。
そうして周囲を見回している内に顔がテレビの方を向き、そこに助けを見出したようです。
そこには黒い長髪のウマ娘がインタビューを受けている場面が映し出されています。
「もうライブ終わってる、巻き戻してもいいか?」
「はい、どうぞ」
巻き戻っていく映像を見ている間、さっき映っていたウマ娘について言及します、先輩にあたる彼女とは友人一人を挟んでではありますが少し面識がありますから。 - 5◆FgBqcV3on.21/12/29(水) 11:43:46
「校内活動で結構お世話になった方ですね」
「そういえば、あいつも応援してたなぁ」
通常の中等部、高等部過程を修了し終えるまでに本格化、またはトゥインクルシリーズを引退しない場合は、学業の代わりにお昼まで校内活動として学園運営の補助を担うそうです。
今映っている方もそのパターンで、校内活動中に知り合って気に入られた娘がいたので、そのつながりでたびたびコーヒーなどをごちそうになっていました。
今までを振り返りながら画面の中の彼女について思いを馳せていると、神妙な面持ちでトレーナーさんから問いかけられます。
「……グラスはもういいのか?」
「……はい、向こうに早くいかなければならない理由もありますし、皆も卒業するよい区切りですから♪」
……私は卒業を期にトゥインクルシリーズを出てドリームトロフィーに挑むことにしました、そしてそのことについて悔いはないかという問い、当然あるに決まっています、しかしそれ以上になさなければならないことがありました。
向こう、つまりドリームトロフィーには二つほどけりをつけるべき因縁があって、早くあそこまで登っていかなければ両方に『逃げ』られてしまうのです。
「じゃあこっちじゃ残すは引退試合一つだけか、それまで一緒に頑張ろうか」
「まあ……、卒業までは付いて下さらないんですか?」
「……そうだな、じゃあやっぱり卒業までだ」
「ふふ、そうですね、では卒業まではこのまま、なにとぞよろしくお願いします♪」 - 6◆FgBqcV3on.21/12/29(水) 11:44:01
軽く揚げ足を取りながらも今後の予定を取り付けました。
わざわざ確認を取る必要があるようなことでもありませんが、今は交わす言葉は多ければ多いほどいい、そんな気分なのです。
「ささ、湿っぽい話はこれくらいにしてトレーナーさんも炬燵に入りましょう、身体も冷えているでしょうし♪」
そろそろ寒そうにしているのを見ていられなくなったので、話を打ち切って炬燵の中に入るよう促すと、忘れていたかのようにハッとして腕をさすりながらこちらに近づいてきました。
「そうだな、いや~ほんとに寒かった、少しだけど雪も降ってたからな」
「まあ、本当ですか?」
それを聞いて窓の方を見やっても、暗いだけで雪が降っている様子は感じられず、少しだけ体を動かして見る角度を変えてみても白い影が目に映ることはありませんでした。
少しだけ降っていたという話なので多分もう止んでしまったのでしょう、気分を落としながら姿勢を元に戻すと、既にトレーナーさんが炬燵の斜め前に陣取っています。
「もう止んだのかも、まあほんの少しだったし仕方ないか」
「う~ん、私も見たかったのですが仕方ありませんね」
トレーナーさんは後ろに手をついて外を眺めていて、恐らく先程まで降っていたらしい雪を思い出しているのでしょう。
そんな警戒心の欠片もないその姿を見て少しだけ悪戯心が湧いてきました、考えていた言葉遊びを披露したかったというのもあります。
気付かれないように正座を崩して足を伸ばしていき、そろりそろりと投げ出されているトレーナーさんの足を探りあてると、トレーナーさんが飛び上がるような勢いで悲鳴を上げました。 - 7◆FgBqcV3on.21/12/29(水) 11:44:22
「うわ!びっくりした!……ごめんごめん、今戻す」
「いえ、そのままでお願いします、したいことがありますので……」
あくまで悪戯は余興、肝心なのはこれからです。
足先に感じる熱に意識を傾けてみれば、私の方が十分温もっているというのはあるかもしれませんが、あちらの足はまだ冷たいようで、靴下越しでも芯から冷えているのがわかりました。
外の寒さは相当なのでしょう、なるほど雪が降ってもおかしくないと心の中でうなづきます。
「本当に冷たいですね~、まるで氷みたいです」
「いや、流石にそんな冷たくはないと思うけど」
「……、冷たいですね~~」
「…………足が氷みたいだ~」
「ふふっ♪はい、冷たいです」
トレーナーさんが観念したような表情をして白旗を振りました。
折れるまでひたすら平押ししていく、こういったやり取りが好きなのかもしれませんし、もしかすると押せば折れてくれる関係性が好きなのかもしれません。
振り回してしまっていることは申し訳ないと思っているのですが、トレーナーさんがはしゃいでいる私の姿を見た時に安心したような表情をしているのを知っているため、その顔を見たくてついついそうしてしまうのです。 - 8◆FgBqcV3on.21/12/29(水) 11:44:37
体を炬燵の方に向けたまま、目だけでトレーナーさんの方を伺い見ると、やはりいつものあの優し気な面持ちをしています。
ついつい顔が綻んでしまいますが、向こうも見ていることを気づかれた気恥ずかしさからか上を向いて相打ちとなりました。
こうしていては帰寮の時間までに言いたいことが終わらないので、少しほど間を取って会話の呼吸を整えます。
「……温かいですか?」
「……それはもう」
「そうですか、ではそちらが温まるまでこうしていましょうか~」
そういって足の甲と裏でトレーナーさんの足を挟み込み、お互いの熱量を混ぜ合わせるように捏ね始めました。
ゆっくりと両足を互い違いに前後させて擦りあわせ、そうしたかたと思えばぎゅっと挟み込んでこちらの熱をトレーナーさんの足に込めていきます。
最初は凍えてせいか少し硬かったトレーナーさんの足も、温もってきたのか先程よりも心なしか柔軟に動くようになってきているようです。
……もうそろそろ本題を切り出しても良いでしょう、ゆっくりと話出します。
「トレーナーさん、私、最近幸せというものに考えたことがありまして……」
私はあるゲームのテスターをしたことをきっかけに癒しについての探求を行ってきたのですが、癒しと切っても切り離せないのが『幸せ』という概念でした。
『幸せ』なものが癒されているとは限りませんが、癒されているものは確実に『幸せ』ですから、逆にそちらからのアプローチで癒すことができないかと考えたわけです。
そしてその過程で出てきたものの中に一つ、お気に入りの考え方がありました。 - 9◆FgBqcV3on.21/12/29(水) 11:44:51
「『しあわせ』にはある言葉が含まれているのですが、トレーナーさんはわかりますか?」
「え~、う~ん……」
考え込んでいらっしゃるようですが、眉を寄せるばかりで一向に思いつかないらしく、音を上げるまでにそう時間はかかりませんでした。
「……皺と皺と合わせて幸せ、しか思いつかないな」
「ふふ、ありましたね~そんなCMが、……そうですね、ではこれがヒントです♪」
あの有名な少女の顔を思い浮かんだのを振り払って、紙にひらがなで『しあわせ』と書いて、逆向きに差し出します。
「…………せわあし?」
恐らく差し出されたヒントから素直に逆に読んだだけで、内心では全く納得のいってない様子です。
口に出してもピンとこないのであればもう答えを言ってしまいましょう、何せ単語二つをそのまま並べただけ、言葉遊びとしては少し不格好な部類ですから仕方ありません。
「はい、実は幸せの中には『世話』と『足』が隠れています」
「世話と足……」
トレーナーさんが相槌を打つように言葉を反芻します。
恐らくこの時点で私が言いたいことは全て伝わっていると思うのですが、敢えて言葉にします。
トレーナーと私達との行間には全て「大人」としての遠慮が挟まってしまう、そういった気があってもなくても、こちらが行間に込めた感謝の気持ちを少しだけ切り捨てて置き換わってしまうのです。
なので感謝を十全に伝えるためには、全てを言葉にして行間を埋めきってしまわなければなりません。 - 10◆FgBqcV3on.21/12/29(水) 11:45:08
「ウマ娘にとっての……、いえ……」
少し主語が大きすぎるかもしれません、実際競技者ではないウマ娘もたくさんいますから、なので言い換えます。
「私にとっての幸せは、走ることをお世話してくれることだと思います」
髪飾りや胸元の文字と同じように今後幸せの定義は増えていくでしょう、それでも今はまさにこれこそが私の幸せです。
「トレーナーさん、あなたに支えられて歩んでこれて、私はとても幸せでした、なので……」
「……なので、これは今までの分のおすそ分けです♪」
「あなたはいま幸せですか、トレーナーさん?」
トレーナーさんは深く考え込んで、次は逡巡して、遂には上を向いて押し黙ってしまいました。
その反応に不安が募っていきます。
(少し、掛かりすぎたでしょうか……)
考えてみれば、というより考えるまでもなく足を足で温めるというのはかなりはしたない行為ではないでしょうか……、賢さが下がってしまっていたのかもしれません。
急に恥ずかしくなってきて、温めたい場所に反して顔に熱が集まってきます。 - 11◆FgBqcV3on.21/12/29(水) 11:45:25
(言いたいことも言い終えましたし、もう離してしまいましょうか……)
そんなことを考えていると、トレーナーさんは何か思いついた様子で胸元に差したペンを執りました。
そして先程お渡しした紙になにやら描きこんでこちらに差し出してきます。
紙には『せわあし』の横に『幸』の文字……。
(まあ……、言うのが恥ずかしかったのでしょうか、はにかみ屋さんなところもあったなんて、ますます可愛らしい♪)
今までの杞憂はどこへやら、気恥ずかしさも一瞬で吹き飛んで気分がよくなってきて、あまりにも現金な心の揺れ動きに思わず苦笑してしまいます。
そうして浸りながら上機嫌で紙を眺めていると、何やら視線を感じて、気配の元を見ればトレーナーさんに見つめられていました。
恥ずかしがっているようではありません、むしろ自慢げな、いわゆるドヤ顔をしています。
(何か見落としたでしょうか……)
もう一度穴があくほどに文字を見つめますが、皆目見当もつきません。
今度は目を細めてトレーナーさんの方を見ますが、あの顔も少し可愛らしいかもしれないという以外に何の情報も得られませんでした。
そうして交互に視線を上下させているとトレーナーさんが炬燵の上に五指を置いて回転させるような動きをし始めます。
それに倣って紙を反転させるとようやく答えがわかりました。 - 12◆FgBqcV3on.21/12/29(水) 11:45:39
(……ああ、なるほど、そういうことですか♪)
『しあわせ』の横には『幸』の文字、『幸』は上から見ようが下から見ようが『幸』、私がさっき世話をして『いただいて』幸せだったと言ったことと合わせれば……。
(逆も然り、……世話をしていて、私といてずっと幸せだった、そういってくれているのでしょう)
返答の意味を噛み締めていると、何かこみ上げてきて一層温かさを増していくような気がしてきました。
もう暑いほどに温もっているのに、不思議と不快感はありません、そして私はこの感覚の正体に覚えがあります。
癒しの研究をしている時に知ったある物質、幸せの話に密接に関係しているものです、いい機会なのでこれも炬燵にくべてしまいましょう。
「そういえばトレーナーさんはオキシトシンというものを知っていますか?」
「ああ、なんか最近よく聞くな、アニマルセラピーがどうとかで聞いた気がするけど」
「はい、脳内物質の一種だそうで動物との触れ合いでも分泌されるらしいですね」
ただこれは動物との触れ合いに限ったものではなく、精神を落ち着かせること、よい気分になることを行うことでも放出されるそうです。
しかし今はそれらよりも重要なことがあります。 - 13◆FgBqcV3on.21/12/29(水) 11:45:55
「……そして信頼する相手との触れ合いでも出てくるそうです」
「……」
「……トレーナーさんは出ていますか、オキシトシン」
「……多分、出てるんだろうなぁ」
かなり誘導めいた尋ね方だったかもしれませんが、それでも欲しい言葉はいただけました。
信頼している、まさにそう言われたのに等しいのです。
「……ふふっ、よかった♪」
言われずとも知っていること、独りよがりで、意地の悪いことだとも思います、それでも……。
そうして引き出した言葉でも私には抜群に効いてしまうのです。
体の内に意識を向けてみれば、何かが胸の内から脈打つように湧き出て、滲むように広がっていくのを感じます。
そう、多分これはまさにそれなのでしょう。
「……私の方も出ていますよ、それはもうこんこんと♪」
胸の奥から湧き出るオキシトシン、おかしなものもあったものです……。 - 14◆FgBqcV3on.21/12/29(水) 11:47:04
以上で終わりです
- 15二次元好きの匿名さん21/12/29(水) 21:30:13
夫婦かな?
- 16二次元好きの匿名さん21/12/29(水) 21:36:45
ええやん
- 17二次元好きの匿名さん21/12/29(水) 21:51:08
丁寧に書かれていてとてもよかった……
- 18二次元好きの匿名さん21/12/29(水) 21:53:23
暖かいSSだった 地の文が多いとスレ主は言うが、それは情景が詳しく描写されてるということだから没入感もあって良いと思った
- 19◆FgBqcV3on.21/12/30(木) 08:47:34
- 20二次元好きの匿名さん21/12/30(木) 19:08:17
神絵師も降臨されてるし、文も良くて幸せじゃ…
良きかな… - 21◆mfQtDwll3Y21/12/30(木) 23:47:00
- 22二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 11:40:02
保守
- 23二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 16:45:24
- 24二次元好きの匿名さん22/01/01(土) 04:44:34
保守
- 25二次元好きの匿名さん22/01/01(土) 16:44:12
いいよね…