- 1二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:47:59
- 2二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:48:41
「あたしの得意距離って、どのあたりだと思う?」
夏が終わって秋になって、どっちかってーと冬に近いくらいになると、制服だけじゃ不安になる気温の日だってあるよね。
どーにも肌寒いっつーか、かといってスミレ色のセーラー服の下に重ね着してゴワらせるのもイケてない。
そんなあたしたちの大きな味方、学校指定のキャメルカラーのカーディガンの腕を組んで『おごそか』に問いかけると、トレーナーは「え?」なんて間の抜けた反応をした。
え? てなに、え? て。しかもごていねいにさばいていた事務仕事の手を止めて。なにそのあからさまな間。
なんかもったいぶった感じでちょっとイラつくんですけど! って思ったけど、よくよく考えたらあたし、肩には使用済みのジャージやらなんやらをテキトーに突っ込んだせいでブクブク太ったスクバをかけてたし、トレーナー室の時計は午後の五時半くらいをさしている。まだカーテンは引いてないけど窓の外はすっかり暗くなってるし。
よーするにあたし、今日のトレーニングを終えて、んじゃおつかれ〜あんま遅くまでザンギョーすんな〜? って帰ろうとしてたとこだったワケ。
トレーナーもそのつもりで気をつけて帰ってねなんて言ってたし。
これから街にくりだすワケでもねーのに気をつけてもなにもないじゃんって思うけど、……もう今日はバイバイな流れだったから、ま、そりゃビックリしてもしかたない的な? とこはあるかもね? うん。
それはさておき、あたしの得意距離。
っていうより、得意条件のほうがいいかも。トレーナーが座ってるおしごとデスクの脇を通りすぎるときに、ふっと思い浮かんだそれ。
いや、自分でわかってねーワケじゃないけどさ。
府中、仁川、淀、あと、……中山、のほかにも、福島と函館と札幌でも走ったこと、あるし。
あ〜まあ、仁川だけはあんま好走できたことない気がするから、阪神レース場はジョガイでしょ?
福島と北海道はそんな走ったことないから、やっぱジョガイ。
そーなると……。 - 3二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:48:52
「府中か中山、距離は2000ジャスト、かな」
「ま、そーなるよね」
「バ場状態は良」
「あーね。おもばばにはあんまいい記憶ないわ〜」
「ジョーダンは右回りでも左回りでもしっかりこなしてくれるからすごいよ。あとは──」
ま、そのへんは脚の爪の弱さと戦ってきたあたしだし? 爪さえ『バンゼン』ならあたしにむかうところ敵なしっつーか? ……いや、ちょっと言いすぎ?
手にしていたペンをおいて、トレーナーは机の引き出しからクリアファイルを取り出す。みなれたそれはレース参加のシンセーショってやつだ。
いや、今日はもう帰るって言ったし。「どこか出たいレースでもある?」トレーナーのことばに、あたしは首を横に振る。
そのかわり。
「レースじゃなくて、併走願い出してほしいんだよね、2000メートル、右回りのそーていで」
「右回り2000ってことは……皐月賞想定? 相手は?」
や、べつに皐月賞のつもりじゃなかったけど。それにあたしの右回り2000っていったら葉牡丹賞じゃん!
それにだいじなのはどこ賞想定とかじゃない。
あたしの得意条件で、あと、……レース場想定は府中でも淀でもなくて── - 4二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:49:08
***
「ナカヤマ〜、併走願いおけまるしてくれてサンキュー」
教室をのぞいて、いつも最初に視線をやる窓ぎわの席。
ねむたげに鹿毛の耳をへにょらせていたナカヤマに声をかけると、ターコイズブルーの飾りをつけた右耳だけがぴんとはねる。
手にはスマホ持ってたけどたぶん日差しのあったかさにウトウトしてたんだろーね。数秒おくれてスミレ色の瞳があたしをとらえた。
気温はすっかり秋色から冬色に変わりつつあるけどさ、今日は朝からメチャクチャ晴れて、ゼッコーの良バ場日和、ってカンジ。
空なんかすっげー水色しててさ。秋冬っていえばグレージュとかカボチャみたいなべっこうカラー、あとはボルドーなんかが流行りがちなんだけど、あたしにはちょーっとオトナめっつーか。
だから、きょうの雲ひとつない空みたいな水色とかさ、あたらしく塗ってみたいな、なんて思うワケ。
つまるところ、きょうの併走のためのあたしはバッチリ準備バンタン、ってやつだ。
まっしろの画用紙を前にすると、あんなの描きたいとかこんなの描きたいとか浮かぶことがあるじゃん?
インスピ目当てでベースコートだけで整えてる手指をひらひら振りつつ窓ぎわまで脚をすすめると、あくびでもかみ殺したのかな、ナカヤマは口もとに手を当てておもたげなまぶたを何度かとじたりひらいたり。
ナカヤマ、ムボービな表情してるときはウマ娘らしくカワイイんだけどさ。 - 5二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:49:50
「ただの併走じゃねぇって聞いたぜ? 私をどう楽しませてくれるんだ?」
耳だけじゃなくて両方のまゆげまでぴんっとはねたら、なんかこう……急にオラ系みたいになんの。
ま、オラ系はオラ系でもアッパーじゃなくてダウナーめなんだけど。
ちなみにあたしはポッケみたいなアッパー系が好きなんだけど!
……そのはずなんだけど。
って! そーじゃない。頭の中に浮かぶよけいなアレコレをひとまとめにしてすみっこに放り投げて、こほん、ってせきばらい。
こういうとこキチョーメンだよね。わざわざ向き直ってくれてるナカヤマに──あたしは、両手を腰に当てて、ふんぞりかえってみせた。
「秋天目標のあたし、たぶんカコイチで『強く』なってっから。がっかりはさせんし」
って。
へぇ、なんて口にして、ナカヤマはすっと瞳を細める。
いまのままじゃただの併走に終わっちゃうのは、あたしだってわかってるかんね。
あたしがほしいのは併走だけじゃない、から、もう一歩、踏みこみが必要だ。
「そりゃ楽しみだ。……だが、秋天想定じゃなくていいのか? 」
「ガイセンモンショーより400メートル短いけど、右回りの方が、まだ鈍ってないっしょ?」
秋天は府中の左回り2000メートル。
ガイセンモンショーはロンシャンの右回り2400メートル。
今回の条件は、あたしの『たくらみ』もあったけど、ナカヤマがずーっと目指してて、こないだ走り切った条件とのあいのこだ。 - 6二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:50:01
世界最高峰のレース帰りのナカヤマに『鈍ってない』とかさ、われながらちょーっとあおりすぎたかも? なーんて思ったけど……ナカヤマ相手なんだから、やりすぎくらいがちょうどいいよね。
思ったとおり、スミレ色の瞳がチークネイルみたくまんなかからぶわってぶっそーなカンジになった。
自分でもうまくいえないんだけど、バッチバチに気合入った子だと、目からなにからギラギラしだすじゃん? まさに、そんなカンジでさ。
あからさまな挑発にたいして、ナカヤマは腹を立てるようなタイプじゃない。むしろ逆で……見込みがなければてきとーにあしらわれるし、見込みがあればメラメラする。
「言うようになったじゃねぇか」
だからね、ナカヤマがニヤって笑ってくれて、あたし、うれしくなったんだ。
「そりゃそーよ! アルゼンチンきょーわこくはい、AJCC、札幌記念! あたし、重賞みっつとったし。……G1はまだだけど、重賞ってくくりで数えんなら、ナカヤマとおなじだし?」
「は。いいだろう、お手並み拝見といこうじゃねぇか。んで? なにか賭けたいもんがあるとトレーナーから聞いてる。言ってみろ」
っし! って拳をぎゅっと握りしめたの、気づかれたかもしんないけど、そんなことはどーでもいい!
経験上、ここまでくればナカヤマは自分の言ったことをちゃぶ台返ししたりはしないから。
あとは、約束をとりつけるだけ!
「ウマスタライブ!」
「は?」
「あたしが勝ったら、あたしのウマスタライブに出ろし!」
「……は?」
今度の金曜日、あたしを応援してくれてるファンと約束した、G1天皇賞秋直前ウマスタライブ。
思ってもみなかったってばかりに眉をひそめるナカヤマだけど、あれよ、ナカヤマ、よく言うじゃん。
『サイは投げられた』って。
サイってどんくらい重いのか、あたしよく知らんけど! - 7二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:50:36
🦏🦏🦏
同室のチケゾーさんはめちゃくちゃさわがしいけど、優しいひとだ。
なんでもかんでも感動しすぎなのはどーかと思うけど。
だって、あたしがウマスタライブしようと思って、って切り出しただけで「じゃあ今日は別の部屋で寝るね! 秋天前なのにファンのみんなに応えるためにウマスタライブするジョーダン、すごいよ……感動しだぁぁあ〜!」って泣きはじめるんだもん。
最後まで言わなくてもわかってくれて気づかってくれるのはありがてー反面、なぐさめるのはめちゃくちゃたいへんだったけど。
「邪魔するぜ」
チケゾーさんのいない部屋の扉がノックされた瞬間のあたしの緊張はまさにクライマックス! って感じだった。
そわそわおろおろふらふらしてた尻尾はワイヤーでも張ったみたくビーン! って跳ね上がったし、せわしなく動いてた耳もぴーん! ってはりつめた。
それでもなんとかいつもどおりにって気合を入れて部屋のドアを開けると、いつもどおりのフインキのナカヤマがいて、ためらうことなく室内に足を踏み入れる。
ウマスタライブ開始予定時刻は夜の八時。今夜のウマスタライブを見に来てくれるあたしのファン層ってそのくらいにフリーになる子が多いからさ。要は、ガッコー終わって、ご飯たべてお風呂入って、ちょっとテレビとか見て、ひとによっては宿題とかやりはじめるようなタイミング。
んでそれは、トレーニング休養日のあたしたちにもあてはまる。
「風呂あがりのナカヤマなんか新鮮野菜ってカンジ。つか髪かわかせ?」
「自然乾燥派だからいいんだよ。んでホンは?」
ホン……つまり今日のウマスタライブの台本ってことだ。台本ほどしっかりしたものじゃないタイムスケジュールていどのものを渡すと、室内をさっと見渡してから、ナカヤマはすぐさま紙面に視線を落とす。
そんで、部屋の真ん中に置いたローテーブルの左がわ、チケゾーさんのベッドがある方、用意しといたフロアクッションの上にどっかり座った。 - 8二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:50:59
テーブル端に置いたデジタル時計は七時四十分をしめしている。バラエティ番組とかみたいなしっかりしたやつじゃないし、ダンドリなんてあってないよーなもんだし。
ざっくりとした流れのもとリアルタイム感をあふれさすのがウマスタライブのいーところだって思ってるし!
「ライブドローイングみたいなカンジだし、進行とかはあたしがするしー」
「待て、コメント読み上げは私がするのか……?」
「うん。だってあたし画面見られないし」
あたしが挑んでナカヤマが放り投げたサイをキャッチできたのは、あたしだった。
まあホンモノのサイをキャッチしたワケじゃないけどさ。サイってどこいんの? アフリカとかそのへん?
サイのことはとにかく、プレ本番仕立ての併走勝負の勝者は、なんとか前目で粘り込んだあたしの勝ち! で、飯食って風呂上がりのナカヤマが、ウマスタライブのゲストとして美浦から栗東のあたしの部屋にまでやってきてくれてる、ってワケで。
ガラにもなくキンチョーしちゃってるからかアタマがあんまうまく動いてくれなくて、見る機会もぜんぜんなかった部屋着のナカヤマをじーっと見てたら、あからさまにナカヤマの眉が逆ハの字になった。
「んだよジロジロ見て」
「えぁ?! や、……なんでもナイデス」
なんでもなくないけど!
ごまかせてたかはわかんないしたぶんごまかせてないけど、あたしもあたしでそそくさと自分の定位置へ。
スマホを固定するスタンドとか、手元をきれいに見せるライトだとか、USBマイクだとか、あとは冷やしたポリッシュやネイルシール、ネイルスタンプだとかを準備したローテーブル、ナカヤマの向かい側に腰をおろす。 - 9二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:51:11
さっきもちょろっと言っちゃったけどさ、いつもの制服でもジャージでも勝負服でも普段着でもないゆるめの部屋着のナカヤマって、なんかインショーがちょっと違うってーか。
いっつも好き放題ウネウネしてる髪も生乾きだからあんまハネてないし。
そも生乾きだからいつものニット帽もかぶってないし。
なんかよくわかんねーけどクロワッサンがどーんとまんなかに描かれたTシャツの上からスタジャン羽織ってるとこはナカヤマっぽみあるけど、部屋着だからいつもよりは気ぃ抜いてるっていうか。
……リラックス着みたいな?
おなじ寮に住んでたら寮生の部屋着なんて見慣れたもんだけど、あたしは栗東、ナカヤマは美浦じゃん?
見慣れてないわけじゃん??
なんかこういうの、……どぎまぎすんじゃん?
「ジョーダン」
「……、……な、なに?!」
「開始10分前、リマインド告知、しなくていいのか?」
ねぇ、時間経つのはやない?!
シチーに相談しておかしくない部屋着チョイスしたつもりだったけど悪くない感じに見えてるかなとかふたりきりなんだなとかそーゆーこと考えてたらいつのまにか時間はマッハですぎててさ。
ていうか、リマインド告知のことなんて台本に書いてないのに。
ナカヤマ、ほんっと、そーゆーとこなんだよね。ほんとにさぁ!! - 10二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:51:23
⏰⏰⏰
夜の8時ちょうど。
あらかじめ告知しといたとおりに、秋天直前! トーセンジョーダンの勝負ネイルドローイングライブははじまった。
いわゆるゴールデンタイム枠だから、おもしろそーなテレビ番組だとかもあるのにね、見てくれてる子、けっこーいてくれるっぽい! ナカヤマがわにむいてるスマホのディスプレイ、身を乗り出してのぞいてみると、ばーってすごいいきおいでコメントが流れてるのがわかる。
ナカヤマ、カメラこっちむけて! マイクオフのまま、でも一応声は出さないようにぱくぱく口だけ動かして目配せすると、肩をすくめたナカヤマは器用にスマホスタンドを動かしてくれた。
マイクをオンにして、声がふるえないように喉に一瞬力をいれて。
「ウェーイ、はじまってる〜? ジョーダンさんのウマスタライブによーこそー!」
耳はぴーん! 右も左もほっぺたに手をふれさせて、ジマンのネイルが見えるように指先までしっかりのばす。いわゆるネイル見せポーズってやつ。心臓のドキドキに負けないようにテンションあげて!
スマホのディスプレイはナカヤマのほうに向いてるからあたしはあたしがどう映ってるのかは見えないけど、ナカヤマがおかしな映し方をしてるなんて思ってない。責任感がある……みたいなのとはちがうんだけどさ、一度やるってなったら最後までキッチリやり切るのがナカヤマじゃん?
あらかじめ用意してた前説はすこし早口になっちゃったけど噛まずに読めた。前説の内容は、このウマスタライブがやろうとしてることを知らずに見にきてくれた子もいるかもしれないから、復習もこめて。
日曜日にせまった秋天に向けてのウマスタライブで、当日用のネイルをライブドローイングでやりつつも、コメント読んだりして交流する! ちょっとしたファンとの交流会みたいな感じ!
で、あたしの勝負ネイルはすでに出来上がってんだよね。ナカヤマとの併走勝負に勝った日の夜、いきおいよく終わらせた。じゃあライブドローイングって? てなるっしょ? ──だから!
「こないだのガイセンモンショーですっげー走りを見せてくれた同期のナカヤマにきてもらってまーす! きょうはナカヤマの爪に、あたしの勝負ネイルを塗ってくよ! 目離さずに見とけし?!」 - 11二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:51:38
ハンドモデル兼カメラクルー兼コメント読みのナカヤマが、めっちゃ居心地わるそーにあいさつした。あいかわらずカメラはあたしのほうに向いてるから、あたしからはディスプレイは見えない。
でも、見なくてもわかる。応援ありがとう、とか言ってるから、ねぎらいのコメントがたくさん流れてるんだって。
自分主体のウマスタライブじゃないからいつもみたいなすかした態度も取れなくて、かといって愛想のいい声も出せなくて、ちょっと困り気味にコメント返ししてるナカヤマを見られるのは、……きっとこの夜、あたしだけだ。 - 12二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:52:14
***
前説がおわったあとは、カメラを手元にもどして、ライブドローイングのはじまり!
まずは見本として両手指をカメラ下にかざすと、あたしの優秀なカメラクルーはすかさずスマホの位置を調整してくれる。
「今回の勝負ネイルはこーんな感じ! とーめーかんのあるグラデとかも気になったんだけど〜、やっぱあたしのしょーぶふくにはマットめがいいよね、って。薬指だけ水色にして、ワイヤーであたしのイニシャルいれてまーす!」
モデルのナカヤマさん、出番ですよーなんて茶化して言ってみたら、へーへーと言わんばかりに左手を差し出された。下準備は放課後時間もらってやっといたけど、なにせライブドローイング。ポリッシュが乾く時間を考えれば、のんびりなんてしてらんない。
ベースカラーはいつも小指に塗ってるビタミン気味くすみオレンジにした。まだひえっひえのポリッシュをボトルの端にかるーく押しつける。なにをやってるかってーと、余分な液を落としてんの。早く乾かしたかったらさっと一塗り勝負になるかんね。
刷毛をささっとナカヤマの爪にすべらせたら、びっくりしたみたいに肩をすくめてみせる。
「冷てぇ」
「冷蔵庫に入れてたし、トーゼン!」
「冷蔵庫……? 寮のか?」
「まさか。この部屋、ミニ冷蔵庫置いてんの。便利っしょ。ポリッシュってね、冷やすと伸びがすげーよくなんの。んで、ポリッシュじたいの冷たさと、体温の差でかわきやすくなんだって」
まああたしのネイルライブドローイング見に来てこのことを知らない子はそういないと思うけど、いちおう解説。
あたしはそんな手先が器用なほうじゃないけどさ、ネイル関連なら長年やってきた技術ってやつがあるからね。狙い通りにすうっとナカヤマの指先が薬指をのぞいてビタミンくすみオレンジに染まってく。
「みんななんか言ってる?」
「賞賛の嵐だ。良かったなジョーダン」
「ま、トーゼンだけど! みんなありがとね!」 - 13二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:52:25
最初はおっかなびっくり! って感じだったけど、ナカヤマもコメント読みのコツを掴んできたみたい。ハーフフレンチにするためにマスキングテープを取り出したときとかもすかさず「どこのマスキングテープ使ってるかってよ。ユーザーネーム雪色まつげ、はーとから」みたく読み上げてくれるようになった。かわいいやつめ。
そんな感じて、ハーフフレンチにした爪先にネイルスタンプで模様を入れたり、ちいさなパーツをつけたり、あたしの勝負ネイルとおそろいにしながらライブがモンダイなく進む中──秋天に向けての応援コメントを読んでくれてたナカヤマの口が、ぴたりと止まった。
「ナカヤマ、どした? あ、喉でもかわいた?」
よく考えるとすっごい口数が多いほうでもないナカヤマにしては喋り通しだったもんね。全部読みきれないことくらいリスナーもわかってるし! 読みきれなかったぶんもライブ終わったあとぜーんぶ読むから心配すんなー? ってフォローしようとした、そのときだ。
「秋天、勝てると思いますか?」
どきん。
ナカヤマの口からつたえられたことばに、心臓がおおきく、おおきく、はねあがった。 - 14二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:52:41
***
あたしの前走は真夏の北海道、スーパーGⅡって言われることもある札幌記念だった。
そのまえに走ったグランプリGⅠ宝塚記念は後方追走で上がりきれずに9着だったのに、札幌記念は一番人気を背負っての一着! われながらすげーがんばった、って思う。
宝塚記念の前はGⅡAJCC。これもね、一番人気の一着! これが今年の1月のこと。あたし、今年だけでも重賞二勝してんの。すっげーだろ?
じゃあそのまえは? 昨年末のグランプリGⅠ有馬記念。7番人気の5着。人気以上には、がんばれた、よね?
まあつまるところ、三度目のGⅠ挑戦。事前調査によると、7番人気、らしい。
ま、トーゼンっちゃトーゼンかもね。一番人気はあたしたちの世代のダブルティアラのあの子でしょ、二番人気から四番人気はひとつ下の世代の子。今年の初戦からめきめき伸びはじめて五戦連続連帯を外してないあの子に、去年のダービーウマ娘のフラッシュさん、それから、去年のジャパンカップ勝ちウマ娘のあの子。
五番人気はあたしたちのひとつ上の世代だけど──あたしとナカヤマがぶつかった中日新聞杯からまるっと2年、連帯外してない先輩。
とにかくさ、すっげーメンツなわけ。
昨年末の有馬だって。今年の宝塚記念だって。すごい子たちに囲まれてさ。でも勝ちにはぜんぜん遠くて。
GⅡでは期待してもらえて、それに応えることができるのに。GⅠだとそんなこともなくて。GⅠじゃたりねーの……んでさ、たぶん、みんなそう思ってて。 - 15二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:52:56
あたしのファンのひとたちってさ、みんなやさしーの。ウマスタでもウマトックでも、イヤだなーって思うようなコメントとかぜんぜんないし。もしあったとしてもさ、わざわざ反応しなくてもいいんだけど、マジでないの。
今日ナカヤマが読み上げてくれたコメントだって、ぜんぶ前向きなのばっかだった。秋天応援してます! とか、今年の秋天の女神はジョーダンさんにキスする(うまぴょい伝説のメロディにのせて。ナカヤマ、ちゃんとメロディにのせて言ってくれたのおもしろかった)とか、今度こそタイカンを! とか。ベストターンアウト賞はまちがいなくジョーダンちゃん! とか。
なんて返せばいいんだろ。心臓がさっきからどくどくさわがしくて、くるしい。頭がぐるぐるする。勝てますか、なんて、そんなのあたしが聞きたいし。二度あることは三度あるって言うじゃん。三度目のショージキとも言うってシチーが教えてくれたっけ。
でも。
でもだよ?
次また頑張れなかったら、あたし、……がんばれない子に逆戻りしちゃうんじゃね? って。
ナカヤマの指先にポリッシュを塗る手も、こおったみたいに止まってた。一本だけ残してた、薬指の水色。ちょっと失敗して薄く塗りすぎてる。でも、こないだの空の色みたいな水色が、冷たくこころをさしてるみたい。
どうしよう、これって放送事故じゃん。はやくなにか言わなきゃ。えーと、とりあえず、がんばります! おーえんよろしく! みたいなので、うまく、ごまかして──
だめだ、声がふるえそう。どうしようもなくなってギュッと唇をかみしめた。つぎの瞬間だった。
「ユーザーネーム日々笹焼だっけか、安心してくれていいぜ。今のジョーダンは『カコイチで強くなってる』からな」 - 16二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:53:43
***
トレセン学園ホームページの
併走記録の
動画番号ナントカの
って、ナカヤマは続けている。それ、こないだナカヤマにつきあってもらった併走のことだよね。重賞直前のトレーニング記録って動画とられてホームページに載るんだっけ。あたしはあんま見たことないし、そーゆーのトレーナーに任せっきりだから、くわしくないけど。
その動画を見てみりゃ仕上がり具合はわかるだろ、とか、なんか、そーゆーこと言ってるしまいに、ナカヤマはあたしに視線をむける。
したり顔とか、得意げってゆーか、……ギラっとした、ぶっそーな笑顔でさ。
「併走と言えどこの私を負かしてみせたんだ。トーゼン、勝てるよな? それともなんだ? ひとを付き合わせておいて、自信ねぇの?」
「は、はぁーー?! ジョーダン言うなし!」
ナカヤマはあからさまな挑発に腹を立てる方じゃない。じゃあ、あたしは?
……煽り耐性ゼロってわけじゃないけどぉ〜、……すぐカッとなるってゆーか??
マイクの前でいきおいよく声を上げちゃってからハッとする。だから、ウマスタライブ中なんだってば!
「痴話喧嘩か、 だとさ。どうなんだ? ジョーダン」
「チワワみてーにキャンキャン吠えてないじゃん!!」
「だそうだぜ、ユーザーネーム ジャングルポケット。……あ? これハンドルネームか?」
いやなんでポッケも見てんの?! あ、宣伝したのあたしだったわ。ってそうじゃない、そうじゃなくてさ!
そうじゃなくて! わーってなってる頭を振る。そうじゃない、そうじゃないんだ。
ねぇあたし、なんでナカヤマを併走に誘ったし。
ねぇあたし、なんでナカヤマをこのウマスタライブに引っ張りこんだし。
それはさ、それは──
「勝つし! 今度こそ! 去年の有馬も今年の宝塚も、ぜんぜんいいとこ見せられなかったけど! 今度は、今度こそは、先頭でゴール板つっきってやるんだから!」 - 17二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:53:58
ダブルティアラの絶景がなんだ!
すげーつよい次世代が、前世代がなんだ!!
あたしはあたしがわかってる。得意条件とかは、トレーナーに確認したりしないとあやしかったりするけど。
あたしはあたしがわかってる。まちがいなく、いまがカコイチのあたしだって。いまがイチバンなあたしだって!
「勝ち筋は整ったか? ジョーダン」
まるでいろんなことを見透かすみたいに、ナカヤマが言う。っていうかさ、もしかしなくても、見透かされてたのかもしんない。……なんて思ったのは、あとのことだけど。
「トーゼンっしょ!」
あたしがひとりおおさわぎした、秋天直前勝負ネイルドローイングライブは、水色のポリッシュをベタ塗りしただけで飾りきれなかったナカヤマの左薬指だけを残して、お開きに。
すくなくとも、ウマスタライブ上ではさ。 - 18二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:54:11
***
クラシック期のあたしは、どうしようもなく弱っちい爪とケンカばっかの日々だった。
ジュニア期と、クラシック2月までは良かったんだよ。メイクデビューは負けちゃったけど、そこからは問答無用の3連勝。
でもだましだましやってた脚の爪と大ゲンカしてさ、あたしの春は、あたしの初夏は、あたしの秋は、あたしのクラシックは──なにもできずに終わっちゃった。
かなしくて、くやしくて、それでも走るのはやめたくなくて、やめられなくて、弱っちい爪のご機嫌とり。
トレーナーも付き合わせて、ようやくちゃんと走れるよーになったのが、クラシック期のいまごろでさ。
ああ、そうだった。
あたしらしく生きてやるんだ、って強くつよく思ったのも、そのころだったっけ。
あたしらしく生きてやるんだ、って思うようになったの、ナカヤマのせいだった。
アンタはあたしの夢なんだから、光なんだから、あたしを生かそうとしたんだから、責任取れ! って、今思えばハズいことまくしたててさ。
クラシック三冠を皆勤して、それ以外でも重賞三勝キメてたナカヤマに、中日新聞杯で勝ってやるーーって! 啖呵切ってさ。
休養前に戻れない可能性だってあったのに、がむしゃらに追いかけてたんだ。ナカヤマの背中を。
もうあたしの爪はいたくない。ケンカもほとんどしなくなった。なかよくできてる。
でも、脚がすくむことだってまだあるよ。人気とかも気にするし。みんながそう思うんだったら、そうなのかもしんない、って、思っちゃう。 - 19二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:54:44
「なんか、ごめん。しっちゃかめっちゃかになって」
ウマスタライブを終わらせて、アーカイブの保存して、アプリを落として、スタンドマイクとか、ライトとか、そーゆーのをのろのろ片付けながら、小さな声であやまった。
あやまるんなら声出せってポッケは言うかもしんないけと、だってあんまりにも自分がしょーもなかったから、バツが悪かったし。
ナカヤマはチケゾーさんのベッドに背中を預けて、スマホのディスプレイに落としてた視線をちらりと上げる。
「チワワ喧嘩」
「え?」
「微妙にバスってやがるぜ?」
「えぇ?!」
「あそこで痴話喧嘩かって投げてくるジャングルポケットもジャングルポケットだがな」
「つかチワワげんかってなに?」
「あとで調べてみろよ」
「チワワげんかを?」
「痴話喧嘩を。……で、ジョーダン」
ひらり。って、ナカヤマが左手をかざす。
ビタミンくすみオレンジをベースにしたハーフフレンチ。
爪の先はこっくりボルドーにしてみたり、カボチャの皮のみどりにしてみたり。
そのうえにネイルスタンプで模様をのせた、秋天のあたしの勝負ネイル。
……一か所のぞいて、おそろいの。
「まだ終わっちゃないだろ?」
ナカヤマが親指、人差し指、中指までてのひらにしまっていけば、未完成の水色の薬指と、完成してるオレンジのハーフフレンチだけが残るんだ。
その薬指だけ、ナカヤマはかすかに動かしてみせる。未完成だぞ、って言わんばかりに。 - 20二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:55:03
「いや、だって、……薬指は、それでほぼ完成っつーか」
「おそろい、にすんじゃねぇの?」
いやいやだって。
おそろいにするんなら、そこに乗るのは、あたしのイニシャル、TJで。
左手の薬指だよ? だってそんなの。
「……水色のポリッシュ、もっかい塗んなきゃなんないし」
「あぁ、たしかに。ちと薄いもんな」
「ポリッシュだいぶ常温になってるから、乾くの遅くなるし」
「でも、──未完成、だろ?」
するりとナカヤマの左手が伸びてきて、行き場を失っていたあたしの左手を取る。手のひらをなでられて、あたしよりほんのすこしだけ大きな手指が、あたしの手に絡みつく。
いやいや、待って。
チケゾーさん帰ってくるし、いや、……帰ってこなかった!!
「なぁジョーダン」
「な、なに?」
「……いつかの責任取ってやるって言ったら、アンタ、どうする?」 - 21二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:55:15
ねぇあたし、なんでナカヤマを併走に誘ったし。
ねぇあたし、なんでナカヤマをこのウマスタライブに引っ張りこんだし。
ねぇあたし、勝負ネイルライブドローイングなんていいわけして、ネイルおそろいにしちゃろうと思ったし。
あと一歩。
すくむ脚を前にすすめるあと一歩になってもらえたら、って思っただけなんだってば!
それだけのつもりだったのに!
どうやら左手の薬指に名前を刻むまで、あたしは許されないらしい。 - 22二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 21:58:43
おしまい。
www.instagram.com10/29にナカヤマフェスタさんがインスタライブするそうで
実バがするならウマ娘のナカヤマだってインスタライブするだろ精神です。
自主的にするイメージがなかったのでナカジョダに落とし込みましたとさ。
- 23二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 22:30:04
なんだねコレは…?素晴らしいじゃないか
エミュが完璧すぎて本家のライターかと思ったよ
ひとつ聞きたいんだがこのようなそれなりの長さの力作をどうしてこんなところに…?pixivとかハーメルンとかあったのでは…? - 24二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 22:42:28
寝る前にいいものが見れた
- 25二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 22:43:07
ナカジョダで助かる命があります…ありがとう…
語彙力が無いのでこれしか言えないけれども - 26二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 22:59:18
最近ナカジョダの供給多くて助かる
- 27二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 22:59:54
解釈と表現に違和感のないナカジョダは超貴重だから助かります
- 28二次元好きの匿名さん23/10/22(日) 23:25:13
見事やな……(ニコッ)
- 29二次元好きの匿名さん23/10/23(月) 00:25:19
あぁ~良い…胸が疼く…
- 30二次元好きの匿名さん23/10/23(月) 07:32:24
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- 31二次元好きの匿名さん23/10/23(月) 18:31:00
一度上げさせてください~
- 32二次元好きの匿名さん23/10/23(月) 18:48:11
こんな良作はpixivに投稿してくれ
ジョーダンのネイルの細かい表現とか違和感なくてすごい〜
愛を感じました、ありがとう - 33いち◆xn7VzWEhyM23/10/23(月) 21:20:16
ありがとー!
ギャル語わからないからジョーダンが全然ジョーダンじゃねえ……と思いつつ書いてたからそう言ってもらえて嬉しいです!
ここで書いてスレ落ちして少ししたらpixivに格納するのがルーティンなので……
いいものって言ってくれてありがとう!
命を助けられてよかったです!
ナカジョダ書くの久しぶりすぎたのでちゃんとぽくなってるか不安だったのでほっとしました!
供給のひとつになれてたら幸いです!
ヒィィイイ身に余るお言葉!
ありがとうー!
ありがとな……(ニヤッ)
いじらしいジョーダン目指したのでそう言ってもらえて嬉しいです!
後々pixivに格納するつもりです!
ジョーダンはとにかくかわいくけなげに書くがモットーなので!
こちらこそありがとう!
- 34いち◆xn7VzWEhyM23/10/24(火) 00:24:35