- 1◆bEKUwu.vpc23/10/23(月) 21:35:51
- 2◆bEKUwu.vpc23/10/23(月) 21:36:02
「トレーナー! もう一周、行ってくるね!」
「ああ。もうクールダウンだから、あまり飛ばさないようにね」
「うん!」
最近、ウララの雰囲気が変わった。いい方向に。
トレーナー室で話している時のウララはいつもの通り、朗らかな笑顔を見せてくれる。変わらず天真爛漫で、思わずこちらも目尻が下がるほど。
しかし、一度コースに出るとスイッチが入る。並走相手と競れば笑顔を潜めて歯を食いしばり、競り負ければ悔しそうに唇を噛む。とにかくトレーニング、レースに対して貪欲になった。
昨年末の有マ記念で流した涙。それが今の彼女のモチベーションなのだろう。確かにあの敗北は苦いものだったが、それをこれほどまでに糧として走ってくれるならば、どれだけ喜ばしいことだろうか。かつて9着で喜んでいた彼女が、より高みを目指している。
何度負けても諦めない、レースを思いっきり楽しむ彼女が、1着を取り続けて結果も示す。彼女が笑顔を輝かせ、頂点を取る。それが自分の描いた夢だった。
それを実現するためには、独りよがりでは駄目だ。彼女の気持ちが付いてきてこそ成し得ることができる。だがもはや、その点については心配がなさそうだ。
もちろん、自分だって彼女とともに成長したつもりだ。最初の3年間を通して、彼女には「ウマ娘の力の源は、想いの強さ」という言葉の真髄を教えてもらった。「トレーナーが褒められるから、練習を頑張りたい」、だなんて。1着を取るのが夢だったはずの少女が描いた、そんな新しい願いが、ついにダート路線で彼女自身を花開かせた。
少し面映ゆい気もするが、トレーナーとしての自分の想いを汲み、自らの力に変えてくれた彼女の姿に、思わず目頭が熱くなるのは仕方ないだろう。彼女のトレーナーで良かった。心の底からそう思った。
思い出に耽るのはこれくらいにしておこう。ウララが向正面を回った。そろそろこちらに戻ってくる。さあ、タオルの準備を――
「あ、トレーナーさん! まだトレーニング中だったんですね!」
不意にたづなさんに声をかけられた。こんな時間に珍しい。振り返ると、目に映る影が2つ。一人はもちろんたづなさん本人、そしてその後ろを歩くのは、黄色のパーカーを羽織った、少し小柄な女性だった。 - 3◆bEKUwu.vpc23/10/23(月) 21:36:20
「すごいね、トレーナー! ここが“がいせんもん”なんだね!」
「そう、こここそが、凱旋門賞が開催される、フランスのロンシャンだね」
初めての海外、それに臆することなくテンションを上げる彼女は流石である。不安よりもワクワクが勝っているんだろう。そんな彼女の姿が緊張した自分の心を軽くしてくれた。本来の役割は逆な筈なんだけども。
佐竹メイから凱旋門賞挑戦の誘いがあったおよそ1年前。重いロンシャンの芝への対策として、ダートウマ娘の力も借りたいとのことだった。どうしたものかと考え、ウララに相談すると二つ返事で「いいよ」の回答。
「海外で勝ったら、トレーナーも嬉しいよね! じゃあわたし、走りたい!」というのが理由だそうだ。もう少し自分本位になってくれても良いんだけどなぁ。
「よし、早速本場の芝を経験しよう。トレーニングコースに行こうか」
「うん!」
VRウマレーターでトレーニング済みとはいえ、やはり実際に経験するのとは感覚が違うだろう。来る本番に向け、ウララを連れてトレーニング施設へと向かうことにした。 - 4◆bEKUwu.vpc23/10/23(月) 21:36:38
「どうだった? トレーナー?」
「うーん、まだまだだな。昨日降った雨の影響か、かなり足を取られてる。本番でも雨が降る可能性が高いから、これくらいの重バ場にも対応できるようにならないとね」
「そっかー」
彼女に一通り走ってもらった後、一旦場所をスタンドに移し、ウララの休憩がてら意見交換をする。やはり実際に走ると多くの課題が見つかるものだ。
遠征前、長い間重点的に鍛えたおかげか、なんとか長く重い芝にも最低限の対応はできていたはず。しかし、雨が降れば今回の様にたちまち乱れが生じ、海外ウマ娘と並走すれば尚のこと適正の違い、そして競走のスタイルの違いが顕現する。まだ時間はあるとはいえ、早く順応しなければ。ウララ自身も、そして自分も。
少しでも情報収集を、と思い、トレーニングコースに目を移すと、ちょうど海外ウマ娘が走るところだった。今日は初めて見るウマ娘だ。しかし、その体は只者ではない雰囲気を纏っている。確か彼女は、リガントーナ。米国に生まれ、英国にて名を轟かせているウマ娘だ。記憶を辿っている間に駆け出した彼女。その瞬間。
「……!」
息を呑んだ。まるでバ場の状態が変わったかのように感じた。軽快に、踊るような走る褐色の影。
美しく、力強い走り。彼女が、こんな脚を持つウマ娘が競争相手になるのか。
「トレーナー?」
隣のウララが心配そうに声をかけてきた。だが、その声はどこか遠くに感じる。間違いなく彼女は壁になる。そして、今のままでは敵わない。
この走りを、少しでもウララに取り入れなければ。悔し涙に顔を歪ませる彼女を、二度と見たくはないから。
「ごめんウララ、ちょっと待ってて!」
「トレーナー!?」
全体が見渡せるスタンドを休憩場所に選んだが、個々のウマ娘を詳細に分析するためには、もっと近くで見なければ。どんなヒントでも良い。欠片でも掴むことができれば、ウララに還元できるはずだ。急いでコース横を目指し、駆け出した。 - 5◆bEKUwu.vpc23/10/23(月) 21:36:57
ターフまでたどり着くと、ちょうど件のウマ娘が戻ってくるところだった。丁度いい。間近で脚の使い方を見せてもらおう。
歩幅はバランスがよく、足の角度を強めに付け、その筋力で以て絡みつく長い芝を蹴り飛ばす。足の回転が早く、かかと付近から着地するウララとは明らかに異なる走りだ。
ウララに合うかはまだわからないが、彼女にもダート路線で鍛えたパワーが有る。試す価値はある筈だ。
もう少し観察したいな。情報収集はもちろん、彼女の走りはトレーナーとして……な、なんだ? リガントーナが周回を終え、そのまま速度を緩めながらこちらに向かってくる。
「……ふぅ。アナタ、日本人、よね? ワタシを、見ていたの?」
「え、あ、ああ」
近付いてきた海外ウマ娘から発せられた日本語に、やや戸惑ってしまう。
「日本語、話せるんですね。合わせていただき、ありがとうございます」
「そんなこと。……それより、ワタシはどう? 随分と“見惚れていた”ようだけど、お眼鏡に適ったかしら」
「……」
言葉に詰まる。瞬間的に肯定してしまえば、それはなんだか負けを認めたような気がして。いや、返答に困った時点で――
「ふふ、アナタにも、刻まれたようね」
「……!」
見透かされていた。走りを見て、ほんの数秒で「この脚が欲しい」と、心まで奪われそうになったことを。トレーナーの本能を否応なしに刺激されてしまったことを。
やや勝ち誇ったかのように笑みをこぼし、リガントーナは踵を返す。
「本番でも、ワタシから目を離さないでね」
悠々とターフに戻る彼女をただ見送るしかできない。悔しい、不甲斐ない。だが、視線を落としている場合じゃない。早く走りのヒントを彼女に―― - 6◆bEKUwu.vpc23/10/23(月) 21:37:11
「ぐっ……!」
突如、腕に強い圧迫感。何事かと見れば、肉に食い込むほどに締まって皺の寄った服。そしてその先には、
「……」
きつく袖を掴む、ウララの姿があった。
「う、ウララ、どうし――」
た、と問いかけようとして彼女の顔を伺い、目を見張る。いつもの天真爛漫さからはかけ離れた、感情を失った表情。しかしその瞳の奥に燃える意志の炎。
悔しそうな顔は知っている。レースに情熱を燃やす姿も知っている。でも、こんな表情のウララは見たことがない。一体どうしてしまったのか。と、
「もー! 突然走り出してどうしたのー? 心配したんだからね!」
逡巡間もなく、いつの間にか普段のウララが戻っていた。
「……ああ、すまない」
「次からはわたしも一緒に行くからね! ……ね、早くトレーニングしようよ!」
「うん、わかったよ」
にこやかに笑う彼女。いつしか腕も解かれ、痛みは消えていた。先程の彼女は幻だったんじゃないか。そう思えるほどの豹変ぶりに、思わず唾を呑む。
非常に気になるが、今はそんな場合じゃない。目の前のレースに向け、全力を尽くすときだ。気を取り直さなければ。
「ちょっと試したい走法があるんだけど」
改めて彼女に向き直り、トレーニングを開始する。いつも通り、ウララの勝利を信じて。 - 7◆bEKUwu.vpc23/10/23(月) 21:37:28
いつだって、トレーナーはわたしを見ていてくれていた。レースで勝てなかった契約前も、契約してから初めて走ったレースも、やっとの思いで勝てた重賞レースも――そして、あの有マ記念も。
わたしは、そんなトレーナーが喜んでくれるから頑張れた。負けたときには涙を浮かべて、わたしよりもずっとずっと悔しがってくれたあの人を見て、二度とそんな顔をさせたくないって思った。
もう二度と負けたくない。勝ち続けたいって思えたの。
一緒に走って、一緒に勝って、一緒に笑い合って。そんな楽しい毎日が、わたしは好きなんだ。
でも、今日。わたしの大好きなあなたが、別の子を見てた。わたしを置いて、側からいなくなった。それがたまらなく悲しくて、悔しくて、辛かった。
この感情が何なのか。わたしはもう、知っている。
トレーナーの前では天真爛漫で無垢なわたしでいられたけど、レースで勝つためにはもっともっと、いろんなことを知る必要があったから。
同年代だけじゃない、年上の子とも話すうちに、レース以外の面でも学ぶことは多かったんだ。気づいているかな。わたしはもう、あなたに出会った頃の中等部じゃないんだよ? - 8◆bEKUwu.vpc23/10/23(月) 21:38:02
褐色のウマ娘と話すトレーナーに、ゆっくりと背後から近づく。まだ、彼は海外ウマ娘に夢中だ。
一瞬、彼と相対するリガントーナちゃんと目が合った気がした。直後、彼女は少し口角を上げると、話を切り上げて走り出した。あの子がどんなことを考えていたかは分からないけど、わたしにはそれが勝ち誇ったかのように見えた。
ぐらぐらと煮える心のまま、気づけばトレーナーの袖を握っていた。彼と目が合う。
「う、ウララ、どうし――」
少しだけ苦悶の表情を浮かべながら振り返った彼の顔が、驚愕に変わる。
しまった。いけない。いつものわたしに戻らなきゃ。
「もー! 突然走り出してどうしたのー? 心配したんだからね!」
手の力を緩めつつ、彼の気をそらす。少し戸惑いを残すトレーナーだったけど、責任感の強い彼のことだ。話題をトレーニングに振れば、向き直った彼が次に話すのは――
「ちょっと試したい走法があるんだけど」
やっぱり。ぱっと切り替えて仕事に集中してくれた。こういうの、“ちょろい”っていうんだよね。心配だなぁ。
彼が提案してきた走法は……うん、あの子の走り方だ。
気に入らない。気に入らないけど、ほかでもない彼が言うならと一旦は受け入れる。
トレーニングコースを走りながら、考える。
わたしはね? 楽しく走れれば、それでよかったんだ。トレーナーと一緒にずっとずっと。でも、それに邪魔が入るなら。
いつも通り、打ち負かしてあげれば良いよね。わたしだけじゃ絶対に無理。あの脚にはかないっこない。
だけど、あなたと一緒なら、きっとできる。そうして、だれよりも速いってみとめてもらえれば、またわたしのことだけを見てくれるようになる。
そうだよね、トレーナー? 楽しみだなぁ。
自然と緩んでいた口元に気づく。トレーニングに集中を欠いていることを反省しつつ、強く地面を蹴っていく。あの人と鍛えたこの脚に群がる海外の芝に、強い想いをぶつけるように。 - 9◆bEKUwu.vpc23/10/23(月) 21:38:25
以上です。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました! - 10二次元好きの匿名さん23/10/23(月) 21:47:51
しっとりした成長後ウララは劇薬
すき - 11二次元好きの匿名さん23/10/23(月) 22:07:25
ほう、ウララSSですか
大したものですね
ウララだってトレーナーとなら凱旋門賞をとれる
ギラギラしててすきよ - 12二次元好きの匿名さん23/10/23(月) 22:37:39
いいね
すごくいい - 13◆bEKUwu.vpc23/10/23(月) 23:05:16
- 14二次元好きの匿名さん23/10/23(月) 23:13:01
なんか丁度今日ラークでウララ育成してきたから見たけど凄くよかった、あの天真爛漫な少女が一人の女性に聖地していくの良いね…
- 15二次元好きの匿名さん23/10/23(月) 23:20:39
すき…
こういうウララ初めて摂取した…
もう戻れない - 16二次元好きの匿名さん23/10/24(火) 00:00:00
ウララちゃんssは少ない、かどうかは知らんが珍しい気がする
感情表現が難しそう
このssは好き - 17◆bEKUwu.vpc23/10/24(火) 06:25:23
- 18二次元好きの匿名さん23/10/24(火) 12:12:43
純真だった子が嫉妬する姿、美しいべ
このトレーナーがチーム持つようになったらどうなるんやろなあ - 19◆bEKUwu.vpc23/10/24(火) 20:53:20
- 20二次元好きの匿名さん23/10/24(火) 20:55:06
ウララも大人になっていくんだなあ(最大限言葉を選んだ表現)
- 21◆bEKUwu.vpc23/10/24(火) 21:20:51