【SS】二月の勝者

  • 1二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:41:15

    ※注意書き
    恋愛要素は薄めですが、♂トレ×ウマの描写があります。
    長文です。前編、sidestory、後編に分かれていますがsidestoryは読み飛ばしても問題ありません。
    本編に出てくる受験要素は現実のものに似せていますが、所々異なる点がございます

    それでもよければぜひ読んで頂けると嬉しいです。

  • 2二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:41:37

    【前編】
     受験勉強というのはいかんせん、如何に集中出来るかが勝負という訳で。あたし、ナイスネイチャはだらけてしまわぬよう、自分に鞭を打って教材に向かうのでありますが……四六時中やれ数式だ、やれ英語の文法だを書き続けるのも疲れるもんでして。時計の針が午後十時を回ったここいらで少し休憩しようと思います。ハイ。とは言えペンを置くとまた机に向かうのが億劫になる気がして手放せない。で、良い息抜き方法ないかなーと模索したところ、こんな文章を書いている訳です。ただ、こうして独り言をぶつぶつと書いていても詮無いし、あたしが受験する事になった経緯についてでも書く事にしましょうかね。あ、もしこれを見ている人がいたらそっと見なかった事にして下さい。見つけた事も言わなくて良いです。あたしが恥ずかしさで死ぬので。

     そんなこんなでネイチャさんの物語が始まり始まり〜と、まあそんなドラマみたいなことは起こらないんだけどね。

     事の発端は三年前の十月。あたしとトレーナーさんは今までトゥインクルシリーズで多くのレースを駆け抜けて、ドリームトロフィーリーグにも挑んだのです。その中でまあ、自分で言うのもあれだけど、かなり良い結果を残せたと思ってる。ただどのウマ娘にも引退の時期は来てしまうもので、あたしはトレーナーさんと今後の事を話していたんだ。

  • 3二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:42:58

    「引退は十二月で良いんだな?」
    「うん。ラストラン、頑張らなきゃね」
    「そうか。とうとうこの日が来たかって感じだ」
    「あたしもあんまり実感がないや。一月になったらもうトレーニングをする事も、レースに出る事も無くなるのかぁ」
    「そして三月になったらトレセン学園を卒業する事になる。……寂しくなるな」
    「おっと!そのセリフはまだ早いですよ。トレーナーさん。卒業する時に言って下さいな」

     トレーナーさんは新人で、あたしが初めての担当だった。だから他のトレーナーに比べて別れ慣れていなかったんだと思う。日を跨ぐ度に寂しそうな顔が増えていったのを覚えている。そしてそれを隠そうと笑顔でいたことも。

    「それもそうだ」
    「もう、しっかりしてよ。トレーナーさん」

     正直に言って、あたしも寂しかった。トレーナーさんとは学園で毎日のように会ってきたけれど、それが当たり前じゃなくなる。トレーナーさんは次の子を担当しなくちゃいけない。今まであたしのために割いてくれていた時間はその子に割り当てられて、あたしとは嫌でも疎遠になっていく。トレーナーさんの中であたしが小さくなっていくのは、少し胸がきゅっとした。

    「そう言えば、ネイチャは自分の進路は決めているのか?」

     トレーナーさんは話題を逸らすように言った。あたしはそれがわかっていて、それに乗っかる。

    「うん。そこの商店街で、色々お手伝いしてくれないかって誘われてるんだ」
    「商店街って、いつもお世話になっている所か!?」
    「そうそう。全く、商店街のおばちゃんたら『ネイちゃんがいれば、商店街も活気づくよ!』なんて言ってるんだよ。買い被り過ぎだよねぇ」
    「そんなことはない!」
    「ひょあっ!?」
    「あ……ごめん。にしても良かった。それなら安心だ」
    「う、うん。いっぱい応援して貰ったからね。あたしができる恩返しがしたいんだ」

     これは本心だった。いつもいつも勝ちきれなかったあたしをいつまでも応援してくれた場所。そこでの人達との繋がりはとても暖かくて、いつの間にかあたしはみんなに恩返しがしたい、みんなの笑顔をあたしが作りたい。そう思うようになった。

  • 4二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:44:22

    「素敵な夢じゃないか」

     トレーナーさんはそう言って、あたしの夢を応援してくれた。その後は色々と引退に向けた細かいスケジュールの調整や話し合いをして、その日のミーティングを終えた。

     その後あたしは無事引退レースを走り切って、最後のウイニングライブを踊った。商店街のみんなが応援に来てくれたし、商店街を上げて引退祝いもしてくれた。……ちょっと恥ずかしかったケド。

     そしてあたしはトレーナーさんとの専属契約を完了し、卒業式に臨んだ。さらっと書いてるけれど、泣かずにはいられなかったよ。契約最後の日なんかはトレーナーさんが奢らせてくれ!って聞かなくてさ。それはそれは美味しいご飯をご馳走になりながら、でもこれでトレーナーと食べるご飯も最後かと思うと味がしなくなっちゃって。せっかく美味しいご飯なのにって思いながら涙がポロポロと出た。トレーナーさんが「大丈夫か!?」って心配してハンカチで涙を拭いてくれたなぁ。結局最後まで心配かけちゃった。

     でも今ではそれも含めて思い出の味だと思ってる。本当にあたしは良い人に巡り会えた。そのことに感謝しながら、あたしはトレセン学園を後にしたんだ。
     実家から商店街に引っ越して、しばらくはもうてんやわんや。電気、水道を始めとした諸々の手続きを済ませて、高齢で店に出ることが辛くなったおばあちゃんの仕事を手伝って、商店街の集まりに顔を出して──時間はあっという間に過ぎていった。落ち着くのに一月くらいはかかったかな。忙しかったけど、みんなが色々と教えてくれたから苦じゃなかった。
     そうして商店街の新たな一員として馴染んできた頃、驚くことがあった。遠くに住んでいる親子が、トレセン学園の見学ついでにあたしに会いに来たんだ。

    「わー!ネイチャさんだー!」
    「こらこら、迷惑かけちゃダメよ。すみません、うちの娘がネイチャさんに会えるって大はしゃぎで」
    「いえいえお構いなくー。ちびっ子は元気ですなぁ」

  • 5二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:44:52

    あたしに会いに来るなんて物好きな親子だなんてその時は思ったんだけど、いやはや、ネイチャさんは思ったより有名になってしまったみたいで。同じようなお客さんが来るようになった。ある旅番組でうちの商店街を取材した時なんか、もう大変。ナイスネイチャがいる!ってネットで話題になって、翌日はやたらお客さんが増えた。いやいや、あたしは取材なんか受けていなくて、画面端に映っただけですよ。それであたしだって判明しちゃうんだからネットって怖いね。

    「ネイちゃんはもう商店街の看板娘だねぇ」
    「なは〜、お恥ずかしい限りで……」

     気がつけば、商店街はあたしが越して来た時より遥かに活気に満ち溢れていた。あたしに会いに来る人が商店街で買い食いをして、お店の売り上げを上げているみたい。中には商店街そのものを好きになってくれる人もいて、その人達とは顔馴染みになった。……恩返しがしたいとは思ったけど、こんな形になるとは誰も思いますまい。マチタンやイクノ、ターボが来た時は何故か撮影会が開かれたりもして、騒がしいけど幸せな日々が続いていた。

     だけどそれは、唐突に終わりを告げた。

  • 6二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:45:31

     越して来て一年が経とうかという二月。流行り病のニュースが流れた。瞬く間にそれは世界中で広まり、不要な外出や人同士の接触が極力避けられるようになったんだ。

     この前代未聞の事態に一番弱ったのはあたし達。全体的に商店街はネット通販の普及で売り上げは年々減少傾向で、ひとえにここが続いていたのはトレセン学園に近い立地の良さと、独特の雰囲気が好まれていたから。人との繋がりを武器にしていたのに、それが突然断ち切られてしまった。一時期は耳栓をしてもうるさかったくらいの商店街は、シャッター街へと変貌した。

    「ネイちゃん、心配するこたぁねえ。すぐに元の元気な商店街に戻るさ」
    「うん……そうだね」
    「そん時になったらネイちゃんにはいっぱい働いて貰うからな。覚悟しとけよ〜」
    「うひゃー。お手柔らかに頼むよおっちゃん?」
    「はっはっは!!」

     そう言って励ましあってはいたけれど、再開の目処は立たなかった。何かイベントをやって盛り上げようにも、人が集まれないんじゃどうしようもない。   
     あたしは一人部屋に篭って叫んだ。

    「にゅやーー!!なんであたしはこう、大事な時に役に立てないんだーー!!」

     あたしは自分の無力さを嘆いた。あたしが辛かった時、みんなはあたしを支えてくれた。それなのに、みんなが辛い時にあたしが何もできないなんて。意味もなくただいたずらに時間を浪費していると、スマホに一通の通知が届いた。トレーナーさんからだった。

    『ネイチャ、そっちは大丈夫か?』
    『ちょっとまずいかも』
    『そうか……こっちも今色々と対応に終われててな』

     トレーナーさん曰く、今トレセン学園は危機的な状況にあるらしかった。ウイニングライブは全面休止、レースでは無観客。多くの収入が絶たれたトレセン学園は、貯蓄と『応援券』という投げ銭システムを導入して少しでも設備の維持に努めているものの、その額は圧倒的に足りていないと言う。どこを向いても暗い話ばかり。なんだか必要以上に落ち込んじゃうね。今のあたしに直接関係のある話でもないのにさ。

    『俺が学生だった頃はこんなことなかったからなぁ。今の生徒が気の毒だよ』
    『そう言えば、トレーナーさんの学生時代ってどんなのだったの?』

  • 7二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:46:52

     会話の流れで思わず聞いてしまった。もしかしたら、無意識のうちに何か明るい話が聞きたかったのかもしれない。

    『いや、ネイチャが好きそうな事は何も無いぞ?』
    『ええ〜彼女がいたとか無いんですか〜?』
    『あんまり浮いた話はなぁ……中学、高校と部活と勉強ばっかりだったし、大学だとそんな余裕は無かったし』

    「大学、か」

     あたしが卒業する間近に一回考えた事はあった。だけどやりたい事も無かったし、みんなからのお誘いもあったしでやめたんだ。今更自分の進路を振り返るのもなんだかおかしな話に思えたけど、せっかくだから聞いてみようか。

    『大学ってどんな感じだった?』
    『自由で楽しいところだぞ。トレセン学園とはまた違った良さがある。もしかして興味あるのか?』
    『い、いや。第一もう受験には遠い歳じゃん?』
    『そんなこと誰も気にしないぞ。五歳年上とか普通にいるし』
    『そうなんだ……じゃあさ、トレーナーさん』
    『うん?』
    『もしも、もしもですよ?あたしが入るのがすっごい難しい、有名な大学に行ったりなんかすれば、商店街のみんなは喜んでくれるかな?』

     わかってる。何も考えていない戯言なのは。それでもこの憂鬱とした商店街に明るい話題を届けたかった。でもトレーナーさんは、そんなあたしの甘い考えを一蹴する。

  • 8二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:47:32

    『それはダメだ。そんな考えじゃ到底受からないし、ネイチャの為にもならない』
    『あたしの為にもって……あたしは商店街のみんなに元気を出して貰いたくて』
    『俺が大学に入った時、同学年が三百二十人いた』
    『え?』
    『それが卒業時には百八十人に減っていた。他は留年するなり、退学するなり。俺のいた学科がスポーツ化学科で難しかったのもあるけど、やる気がなければ簡単に落とされるんだよ。大学って』
    『……そうなんだ』
    『確かに今からネイチャが受験勉強に励んで難関大に受かったとして、あの人達は喜んでくれると思う。でもその分、退学することになったらみんな悲しむぞ。なによりネイチャも馬鹿にならない時間と費用を費やすんだ。無駄にできるほど安いものじゃない』

     トレーナーさんの言葉は何もかもが正論だった。あたしはスマホから目を離して天を仰ぎ、自分を騙すように笑って溜息をつく。

    「全く、ネイチャさんは何を言ってるんですかねぇ。そんな世の中甘くないってことくらい、レースで学んでいた筈なのに……」

     あたしはトレーナーさんにありがとうを言って話を切り上げようとした。文字を打ち込んで、送信ボタンを押そうとしたその時、滑り込むように一言送られてきた。

    『でも、本当にネイチャが何かやりたい、その為に学びたいと思うなら大学に行く価値はあると思う。もし俺が大学に行かなかったら、ネイチャと出会うこともなかった。だから、よく考えて欲しい』

     なんか自然と恥ずかしいことを言われたような気がする。でも、何故かその言葉が心に残った。

    「あたしのやりたいこと、か」

  • 9二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:48:12

     あたしは検索エンジンを開くと、大学について調べ始めた。思ったよりいろんな種類の学部・学科があって、中には存在意義がわからないものから、恐竜学科みたいなヘンテコなものまで。眺めているだけでも面白い。同じ学部・学科名でも大学によってやる事は千差万別で、頭が混乱するけど。

    「あたしのやりたいこと……あたしの……」

     以前の商店街が持っていた、和気藹々とした雰囲気。それを取り戻したい。でも、それだけじゃない。商店街にいたみんなは所々で苦労していた。ネットの扱いで戸惑ったり、長時間店にいるのが辛かったり……十年後、二十年後もみんなが、お客さんが、笑顔で安心していられる場所。それを作りたい。

    「あ……」

     自分に向き合って、そんな夢が出てきたことに驚いた。なんだ、あたしも案外俗っぽい野望を持ってるじゃん。以前のあたしなら無理って言って挑戦もしなかっただろうけど、あたしはトレーナーさんと一緒に挑戦する事の大切さと喜びを学んだから。

    「三ヶ月!」

     私ははっきりと宣言した。三ヶ月経ってもこの熱が冷めていなければ、大学受験しよう。気になったところの資料請求はした。あたしの夢に最も近づけそうなところに。

    ──そして、三ヶ月後。私の大学受験が始まった。

     あたしは商店街のお手伝いをしながら、空いたスキマ時間で勉強に励んだ。休日は予備校に通って一日を過ごす。わかっていたけれど、結構忘れているもんだね。この前までトレセン学園生だったとは思えないほどの忘れっぷりに我ながら驚愕しますよ。

     自分で勝手に始めた勉強だから苦に思うところは少なかった。ただ、周囲はやたら若々しい今をときめく高校生でして。あたしは周囲から浮いていることへの気恥ずかしさや、同年代の友人がいないことのほうが精神的にきた。あたしは思わず今は青春を楽しむべきじゃないかね?なんて思ってしまうわけですが、そうもいかないんだろうね。最近の若いのは大変だ。

  • 10二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:48:54

     あたしは忘れかけてる数学の公式を覚え直したり、抽象的すぎて何言ってるのかわからない現代文を解いたりした。先生曰くこれでも基礎レベルだって。試しに赤本買って開いてみたけど、思わず声が出た。魔術書か何かかと錯覚したよ。先生にはまだ赤本は早いって言われたものの、いつかはこのレベルが余裕で解けなきゃいけないと思うと頭痛が……アイタタタ。うん。考えるのやめよう。

     それでも合格のために、夢のためにとシャーペンを動かし続けて一ヶ月後。予備校から帰ると魚売りのおっちゃんに声を掛けられた。

    「ネイちゃん!こんな時間に出歩くたぁ感心しないな」
    「あ、おっちゃん。あたしだってそろそろ夜遊びしたくなっちゃうお年頃ですよ?」
    「嘘つけぇ。夜遊びって感じじゃないだろ。もしかして、塾の帰りか?」
    「え。な、なんのコトデショウ?」
    「もう商店街中に噂が広まってんぞ。ネイちゃんが最近やたら難しそうな本読んでるってな」

     げ。もうバレたか。商店街は交友関係が良くも悪くも狭いからいつかはバレるとわかっていたけど、早すぎるよ。

    「えっと……ごめんなさい」
    「ん?なんでネイちゃんが謝るんだ?」
    「だって、お手伝いのためにあたしをここに置かせてくれているんでしょ?なのに勉強してるってその……迷惑じゃない?」
    「なんだ、そういうことか。それなら安心してくれ。誰一人迷惑だなんて思っちゃいねえ」
    「でも……」
    「むしろみんなネイちゃんに感謝しているんだぜ?こんなご時世だ。営業できる時間も限られているし、そのくらいなんとかなるさ」

     おっちゃんはこう言ってくれるけれど、あたしは本来お手伝いと勉強を平行して進めるつもりだった。みんな優しいから、もしかしたら気を遣われてしまうかもと思って黙っていたんだ。お手伝いを疎かにしたくはない。だから大した事じゃない、別に気にしないでって伝えようとしたんだけど、

    「ネイちゃん、ありがとうな。俺たちはいつもネイちゃんに元気を貰ってばっかりだ。ネイちゃんが何かに挑戦する度、俺たちも負けてられねぇぞって思うからさ」

     こんなこと言われたら、大した事じゃないなんて言えないじゃん。あたしは一瞬押し黙って、「ありがとう」って言って、逃げるように家に帰った。
     今日やった事の復習をしなくちゃ。きっとこれはあたし一人だけの受験じゃないから。

  • 11二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:50:23

    sidestory 【商店街の奮闘】

    「さて、これで大体揃ったか?おい雑貨屋。顔映ってねえぞ」
    「全く、最近の機械はよくわからないねぇ!どこをどうすりゃいいんだい」
    「下にある『ビデオを開始』ってところを押してだな」
    「なんか注意書きがでてきたよ!とりあえずばつ……ばつ……ばつがないじゃないか!」
    「そこははいを押しときゃいいんだよ。始めるぞ」

     俺は魚屋の店主。今はzoomで商店街のやつらと顔合わせをしている。本当ならもっと前にやるつもりだったんだが、いかんせん年寄りが多くてな。ネット検索しか出来ねえやつの多いこと多いこと。お陰でインストールの準備だけで二週間費やしちまったよ。

    「こんなことなら面と向かって話せばいいじゃないか」
    「今感染対策で集まれねえからこうしてんだろうが」

     日本中を襲った流行り病。半年経ってもまだ長引くたあ予想外だった。俺の五十年の人生で初めてのことだぜ。今までも新型インフルエンザがどうので冬に店を閉めたくらいはあるが、流石にこの長さと規模はな。まだ商店街の連中で一人の感染者が出てないのがせめてもの救いか。

    「それで、相談ってなんですか?」
    「おう!そうだったな」

     集まったのは商店街の店主を務める三十人。各々が今は店を閉めて暇だったり、ネット通販小遣い稼ぎをしたりしている。今日はこの商店街に関わることだから集まって貰ったって訳だ。
     
     そしてもう一人。

    「今日は呼んでくださりありがとうございます」

     ネイちゃんのトレーナーも呼び付けた。正確には元トレーナーだが、まあそんな事はどうでもいいだろう。忙しい中、空いた時間を割いて貰った。

  • 12二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:52:25

    「今日は他でもねえ商店街の今後についてだ」

     画面に映った顔がみんな一斉に怪訝な顔に変わる。

    「この商店街がシャッター街になってから、もう半年以上だ。今の所は役人連中から給付金やらなんやらぶんどってどうにかしてきたが、そろそろキツくなってきた頃合いだろ」
    「そりゃあねえ。というかアタシは働かないとないと生きている実感がなくて困るよ。最近老けた気がする」
    「元から老けてるから安心しろ雑貨屋」
    「なんだとぉ」
    「そこでだ。トレセン学園と手を組んで何か出来ねえかって相談だ。トレーナーさん」
    「はい。トレセン学園もこの流行り病が流行って以降、収益は右肩下がりで下降してきました。秋川理事長はこの現状を打開すべく、外部との連携を進めていく考えです」
    「つまり、俺達商店街とも手を組めるなら組みたいって事だよな?」
    「はい。そういうことです」
    「てわけだ」
    「待て待て。待ってくれたまえ」

     口を挟んだのはパン屋の店主だ。馬鹿みてえにふわふわで美味いパンを作ることで有名。最近焼きたて食ってねえな。

    「トレセン学園さんが手を組んでくれるって言ったって、一体どうするっていうんだ。うちらは集まっちゃいけないんだろう?」
    「それをみんなで話し合おうってことだ。思いつきで良い。どんどんアイディアを出しちゃくれねえかな」

     画面が困惑と呆れ顔で埋まる。また魚屋が馬鹿なこと言い出したよとか、んなこと考えてるんだろうな。

    「例えばですが」

     いの一番に手を上げたのはトレーナーさんだった。

    「トレセン学園の選抜レースを見に来てくださった方に、商店街の割引券を配るんです。そうすればより多くのお客様が帰り際に商店街に向かうのではないでしょうか。最も、これはある程度流行り病が落ち着いてからになりますが……」
    「そうそう!こういう感じよ。他に意見のあるやつはいねえか!」

  • 13二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:53:40

    「しかしねえ」
    「うーん」
    「……あん?」

     なんだ。どいつも浮かない顔してやがるな。いつも酒飲むとラッパかと思うぐらいうるさく喋りやがるのによ。

    「そもそもこんなことする意味あるのかね?」
    「そうだよねえ。みんな給付金で今のところどうにかなってるし」
    「こういうこと言うのもなんやけど、うちはもうじき店を畳もう思っとってな。今回の流行り病はまあ……なんや。丁度いい言うたらあかんけど、潮時ってやつちゃうか?」
    「もう新しいことやる体力はないわ。魚屋。お前が一人でやればいいんちゃう?」
    「……は?」

     そうだそうだと言わんばかりの顔が向けられた。なんてこった。みんな引き篭もってたせいで腑抜けてやがる。最近の若いもんが〜ってのは年寄りの常套句だが、今は最近の年寄りは〜って言ってやりてえくらいだぜ。

    「お前ら!ネイちゃんが今なにやってるのか知ってるか!?」
    「知ってるよ。大学に受かるための勉強だろ?偉いねえ」
    「偉いねえ、じゃねえ!俺達も頑張ろうとか思わねえのか!」
    「あれは若いからできるんだよ。そもそもだ魚屋。今お前がイベントをやって商店街を盛り上げたとして、そうしたらネイちゃん忙しくなっちまうだろうが。お前のせいでネイちゃんが大学に落ちたらどうするんだい」
    「ぐっ……」

  • 14二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:54:18

     俺は思わず黙っちまった。悔しいが、正論だ。ネイちゃんはいい子だから、きっと俺らのことを手伝っちまう。俺にもガキがいたからわかるが、大学は受験だけでも金がかかる。それを十校二十校と受けて、受かるのは精々ニ、三校だ。それだけシビアな世界なんだ。

     完全にお開きムードになった、その時だった。

    「ネイチャはそう思っていないと思いますよ」
    「えっ?」

     数人の声が重なった。

    「トレーナーさん、それってどういう?」
    「ネイチャが受験を決める前、私に相談してきたんです。『あたしが頑張れば、みんなも喜んでくれるかな』って」
    「なんだって?じゃあネイちゃんが今頑張っているのは私達のためだって言うのかい」
    「いいえ。私はネイチャにちゃんと言いました。誰かの為じゃなくて自分の為に受験すべきだと。でも……ネイチャがやりたいことはおそらく商店街に関する事です。彼女は彼女なりに商店街のことを考えているのだと思います」
    「……」
    「なら、商店街の為に行動を起こすことがネイチャにとって迷惑になることはないはずです。むしろ本望ではないでしょうか」
    「なんだってそんな」
    「ネイチャは恩返しがしたいと言っていました。支えて貰ってばかりで碌に恩を返せていない。だからできる事をしたいと」
    「な、何を言ってるんだ!ネイちゃんはあんなに頑張ってレースを走って、俺達に元気をくれたんじゃないか!」
    「そうよ!何も返せていないだなんてそんな事はないわ!私達はネイちゃんに感謝しているの!」
    「驚きです……ネイちゃんがそんなに私達の事を……」

     先程の暗い雰囲気から一転、みんなの顔に表情が生まれた。画面の中には薄ら涙を浮かべるようなやつまでいた。涙腺弱すぎだぜ。まあ俺も人のこと言えないけどな。

  • 15二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:54:44

    「なあみんな!」

     俺は声を張り上げた。一斉に視線が俺に集まる。

    「このままネイちゃんに貰いっぱなしでいいのか!?ネイちゃんが受験が終わった時に、暖かく迎えられる場所にしなくていいのか!?ここは俺達の商店街だ!!ネイちゃんが安心して勉強できるよう、俺達が商店街を守り抜いていくんだ!!」
    「そうだねぇ。きっとそれが、私達がネイちゃんにできる恩返しよねぇ」
    「私は賛成します。ネイちゃんの悲しむ顔は見たくない」
    「ネイちゃんにまた焼きたてのパンを食って貰うためにも、やるしかないか」

     俺は全員の顔を見た。誰一人反対するやつも不服そうなやつもいねえ。恐ろしいことに、これがネイちゃんの持つ魅力らしい。凄すぎるぜネイちゃん。

    「決まりだ!手伝ってくれるよな、トレーナーさん!」
    「はい。もちろんです!」

     そうして俺達はトレセン学園と提携しつつ、話を進めていった。こんな状況では最初は無理だと思っていたことも、案外やろうと思えば出来ることは多い。やっていくうちに商店街同士の活気も満ちてきた。まだまだ若いもんには譲れねえ。俺達の意地を見せてやるんだ。

    「今日から商店街は再始動だ。いくぞ!!」
    「おおーー!!!」

  • 16二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:55:47

    【後編】
     実力がついているのか不安で、何度も投げ出しそうになった受験勉強も結果がついてくれば自信に変わる。前はちんぷんかんぷんだった赤本も解けるようになってきて、ネイチャさんは肌で成長を実感していたんです。ただ恐ろしいのは時間の早さ。ついこの前まで秋だなーとか思っていたら、なんともう一月ですよ。吐く息が真っ白ですよ。あたし達受験生にとってもいよいよと言った時期で、予備校内でもピリピリとした空気が最高潮だった。そして一月と言えば、身に覚えのある人もありそうな、あの一大イベントが待っていまして……その日はあっさりとやってきたんだ。

    「始め!」
     一斉にペラッと紙が開かれ、釘でも打っているのかと錯覚しそうな音が響く。今日は大学入学共通テスト。旧名センター試験。国公立はこのテストが一次試験に当たり、私立でもこの成績次第で合格が狙える、超が三つついても足りないくらいの重要テストだ。あたしは私大志望なので国公立狙いの子よりは命懸かってないけど、第二、第三志望校の滑り止め受験にこれを使っている。第一志望校に落ち着いて望む為にも、絶対に逃す訳にはいかない。
     共通テストとセンター試験、大きく変わったのは英語。共通テストではリスニングとライティングの配点が均等になった。予備校ではこれを受けてか、かなり綿密なリスニング練習を組んでくれた。他にも記述式が導入するとかしないとかで揉めたらしいけど今回はなし。当時は関係ないと思っていたニュースが、よもや今重要な話になるとは。人生って分からないね。

    (問一、問ニ……うん、解ける)

     あたしは持参した腕時計で時間を確認しながら解き進めていく。今やっているのは化学。共通テストは毎年話題になる大きなテストだけど、その中身は基礎問題が中心だ。どれだけ点数を取るかの勝負じゃなく、どれだけ点を落とさないかの勝負。落ち着け、焦るな。そう言い聞かせた。

    「止め!」

  • 17二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:56:21

     よし。全問解き終わって見直しも出来た。ここまでは問題なし。
     続く外国語もライティングは手ごたえあり。リスニングがちょっと不安な箇所があるけれど、大丈夫だと信じたい。
     と、ここまではまあまあ良かったんだけど。最後の受験科目、数学で問題が起きた。

    (ここの計算式にはこの公式を使って、この部分には──って、えっ!?)

     数学IIの受験時間は六十分。そして数学の試験が始まったのが午後三時半。既に腕時計は四時十分を指していた。

    (あと二十分しかないじゃん!まだ半分解いた所だよ!?)

     あたしはシャーペンを動かす速度を上げて追い込みを図った。けど早くしなきゃと思うほどミスが出て、その度に消して修正。結局落ち着いて解くのと大して時間は変わらなかった。

    「止め!」

     最終的に解けたのは大問が六つある内の四つまで。数学は私大でも重要科目として見られ、傾斜配点をしている大学も珍しくない。だからこそ、一番取り逃がしちゃいけなかったのに。

    「あああやらかしたーー!!」

     帰宅する人の流れから外れた所であたしは叫んだ。時間配分をミスしたこともそうだけど、その後焦ったのも良くなかった。あれだけ焦るなって言っておいてこれだよ。この弱々メンタルめ!

    「イクノぉ……」
    「それは残念でしたね」

     家に帰って早々、あたしはイクノに電話してしまった。終わった事は仕方ないし、早く私大の受験に向けて切り替えなくちゃいけないのはわかってる。でも誰かに愚痴を聞いて欲しかった。「切り替えろ!」と言われて「はい!」って出来たらそれはもう才能ですよ。

  • 18二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:57:34

    「何で時間配分なんかでミスするかなぁ。不完全燃焼だよ」
    「ネイチャさんが時間配分を失敗してしまったのは経験の不足です。受験もレースと同じ。経験を多く積まなければ全力は出せません」
    「経験ねぇ。けど今からじゃ試験の経験を積もうにも時間が無いよ」
    「でしたら、受験と経験を同時にやってしまいましょう」
    「……へ?」

     愚痴のつもりで掛けたらとんでもない提案が飛んできた。受験と経験を同時に?イクノ、また真面目が行き過ぎてズレてない?

    「ネイチャさんは第二、第三志望の大学も受験するのですよね?」
    「う、うん。そうだけど」
    「それは受験会場で、ですか?」

     私大の受験には大きく二つのパターンがある。一つ目は、共通テストの点数がそのまま合格に直結する共通テスト利用入試。二つ目は、当日に会場に行き試験を受けて、その点数で合否が決まる一般入試。

    「もちろん、万が一のことも考えて一般入試も申し込んであるけど……それをどうするの?」
    「では、それを受けてください。共通テスト利用の方で既に受かっていても、です」
    「ええ!?」

     言われたことがいきなり過ぎて言葉を失う。え、なんで?と尋ねると、イクノはいつも通りの冷静な声で説明を始めた。

    「ネイチャさんは会場の雰囲気に呑まれてしまったのだと思います。いつもは時計を確認しながら解き進めるのに、今回はそれを忘れてしまった。それは集中していたとも言えますが、同時にいつも通りではなかったとも言えます」
    「う……耳が痛い」
    「ですから既に受かった大学の会場に赴き、受験の空気というものを体感してくるべきだと考えました。その中で時間配分を意識して解けば、本番でも雰囲気に呑まれず全力を出せるのではないでしょうか」
    「な、なるほど……」

     確かに理屈は通っている提案だった。受験スケジュールはもう予備校の先生と一緒に組んでいて、イクノの言うことも実現可能ではある。

    「しかしながら、受験はネイチャさんの心理的にも、肉体的にも大きな負担になります。予備校の先生とよく相談した方が賢明でしょう」
    「あ、ありがとうイクノ。まさかアドバイスしてくれるなんて思ってなかった」

  • 19二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:58:25

    「少しでもお役に立てたのなら良かったです。それと近々マチタンとターボにも電話をかけてあげて下さい。きっと喜ぶでしょうから」
    「え?あ、うん」
    「では、くれぐれも体調にお気を付けて」

     なんのことか聞く前に、電話が切られた。もう一回掛けなおそうかと悩んで、時刻が六時を回っている事に気づいた。

    「やばっ、もう回答速報出てんじゃん!えーと、問題用紙は鞄の中か」

     一つ一つの問題を検討して、どこを間違えたのか、合っていたところも考え方は正しかったのか確認する。点数は悲観するほど酷くはなさそうだった。

     共通テストから私大の受験が始まるまでの間は約二週間。苦手な所、不安な所はここで全て叩いておいて、志望校の出題傾向に合わせた仕上げもしていく時期だ。最近は商店街のみんなからお手伝いを頼まれることがめっきり無くなった。きっと気を遣ってくれているんだと思う。最近はみんなも活力と熱気に満ちていて、何やらトレセン学園と手を組んで色々やっているみたいだけど、その輪に加われないのが少し寂しい。

    「ネイちゃん、お勉強頑張ってね!」
    「くれぐれも腹壊すなよ!」

     けどみんなからの応援は本当に心の支えになった。たまにプレッシャーに感じることもあったけど、その時はもう一度なんの為に受験するのか考え直して。いよいよここまで来たんだねと実感する。

    「ああ〜緊張するぅ!いよいよ明日か!」

     スケジュール表を見ながらあたしはそう呟いた。明日から始まる第三志望校の一般受験を皮切りに、怒涛の受験日ラッシュが訪れる。試験自体の不安もあるけど、体力が持つかどうかも地味に心配だったり。多分大丈夫だと思うけど。
     そんな折のこと。ピンポンと家のインターホンが鳴った。

    「宅配です」
    「お疲れ様でーす」

     届いたのは缶クッキーより少し大きいくらいの箱。何だろうと思いながら包みを剥がして蓋をあけると、いきなり『絶体合格』という文字が、それはそれは達筆な習字で書かれていた。

    「えっ!?これ……ターボ?」

  • 20二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 22:59:53

    色紙を取り出して中を見ると、そこにはマチタンがいつも使っているのと同じメモ帳と、お菓子の包み紙が入っていた。そして底には四通の手紙。
     別に緊張する必要もないのに、何か大事に扱わなければいけない気がした。あたしは慎重に封を切ると、その手紙を読み始める。

    『ネイチャへ
    ターボ、ネイチャがすっごく勉強頑張ってるって聞いた!だから、イクノとマチタンと一緒に応援の差し入れをしようってことになったんだ!ターボからは絶体合格の色紙!これを持ってお受験すれば合格間違いなしだぞ!頑張るのだー!  ターボ』

    「えっ……あっ……」

     予想外の出来事に感情が乱される。これは友人からの差し入れだ。頬に一滴、雫が落ちていく。あたしは手紙を濡らさないよう慌ててそれを拭って、他の手紙にも手を伸ばした。

    『ネイチャへ
    受験勉強お疲れ様!最初受験するなんて聞いた時は驚いたけど、ネイチャが本気だって知って私も頑張らなきゃって思えたんだ。ネイチャが気に入るかわからないけど、私からはメモ帳を送るね。ラストスパート!ファイトぉ!!  マチカネタンホイザ』

    『ネイチャさんへ
    受験勉強はストレスとの戦いです。しかし、幾千のレースを乗り越えてきたネイチャさんなら心配無用でしょう。私はそう確信しています。ふつつかながら、一口で食べられるお菓子を送らせて頂きます。試験の合間の糖分補給にお使いください。  イクノディクタス』

     本当に嬉しい時は言葉が出なくなるんだって、この時初めて知った。あたしは幸せ者だ。今までくよくよしていたのが嘘みたいで、心に抱えるたくさんの不安が幸せに変わっていくのがわかった。

    「もう……みんなして……こんなにあたしの事を応援してくれて……うう。ずるいじゃんこんなの。これでダメだったら顔向けできないじゃん。ターボに至っては漢字間違えてるし。でも……でも……」

     これを貰って、ダメになる気はしなかった。湧き上がるどの心配事も、温かい気持ちが押し流してくれるから。あたしはやれる。絶対にやってみせる。それがあたしにできる最大の恩返しだ。

    「そうだ。ありがとうを言わなきゃ」

     お礼を言うためにスマホに手を伸ばしたとき、もう一通、手紙が入っていることに気がついた。宙に浮かぶ手を止めそちらに伸ばす。
     差出人はトレーナーさんだった。

  • 21二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 23:00:35

     その手紙には、あいも変わらずへろへろのトロフィーが同封されていた。きっとトレーナーさんなりに考えた結果なんだと思うと思わず笑顔になってしまった。

    「懐かしいな。この感じ」

     あたしは鞄に全てを詰め込んだ。色紙も、メモ帳も、お菓子も、へろへろのトロフィーも。どんな合格祈願のお守りよりも、あたしを支えてくれる気がした。あたしは今度こそスマホを手に取ると、四人に向けて文字を打つ。本当は手紙で返したいし、こんな形になるのは申し訳ないんだけど、それでも。

    『ありがとう。頑張るね』


     受験会場は静けさに満ちていた。聞こえるのは受験間近で最後の確認をする受験生達の紙をめくる音だけ。共通テストとも違う雰囲気がそこにはあった。
     今日は私大受験初日。第三志望校の安全校。とは言え安全校だと思って受けたら……なんて話もあるので油断できない。いや、今後ろ向きな事を考えるのはやめよう。あたしも他の受験生と同じく最後の確認に入った。

    「始め!」

     試験が始まってからも、特に取り乱すことは無く進んだ。前の反省が生きているのか、雰囲気に慣れたのか、それともみんなが見守ってくれているからなのかはわからないけど、全力をぶつけられた。

    「止め!」

     よし!とあたしは小さくガッツポーズを作る。確かな手応え。これは貰った。合格発表は全ての受験が終わってからだから、正直気になっちゃうけど、ここは切り替え。目標は第一志望校。それだけを見よう。
     その後も第三、第二志望校で受験を繰り返した。家に帰ったらすぐ復習。使える一分一秒まで無駄にできない。
     切り詰めた空気の中、いよいよ第一志望校の受験日がやってきた。

  • 22二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 23:01:15

    (商店街のみんな、マチタン、ターボ、イクノ、トレーナーさん……あたし、やるよ。応援してね)

     マークシートが配られ、記入するよう言われる。何度も行ってきたはずの行動なのに、シャーペンの動きがぎこちない。自分が自分でないみたいだ。受験上の注意を読み上げられているときは、完全に気持ちが上の空。ただ目の前の問題用紙から目が離せない。

    (集中しろ……集中しろあたし!)

     そう自分を叱咤しても、状況は変わらない。まずい。共通テストの時と同じだ。いやそれ以上に酷い。慣れたと思ったのに、その為に色んな工夫もしたのに、「今が大一番だ」そう思うと脳が正常じゃなくなる。

    「始め!」

     最初の科目は数学。あたしは問題文を開いた。まずは落ち着いて数問解くんだ。そうすれば冷静になれるはず……

    (これ、どうやって解くんだっけ?)

     世界が真っ白になる感覚だった。幾度となく解き続けて、身体で覚えさせたはずの解き方が出てこない。

    (何で!?他のところなら解けたじゃん!!何で出てこないの!?)

     他の問題を先に解こうとしても、焦りからか解法が浮かばない。身体中から嫌な汗が流れ、今すぐ泣き出したくなるような、そんなパニック状態に陥る。

    (ああ……ああああ……)

     刻一刻と流れる時間。終わった。あたしはシャーペンを置いた。周囲のシャーペンの音があたしを急かしても、もう動かす気力が湧かない。思い返せば、あたしは良く頑張ったと思う。ここまでやってこの結末ならここがあたしの限界なんじゃないか。ごめんなさい、みんな。あたしはみんなの期待に応えられなかったよ。
     時計を眺めて、終わるのを静かに待って──

    「本当にそれで良いの?」

  • 23二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 23:01:41

    「え?」
    「この受験は誰かの為じゃない。自分の為の受験じゃなかったの?」

     これは自分だって、すぐにわかった。きっとまだ諦めたくない気持ちが、意味もなく足掻いているんだ。

    「別に第二、第三志望校でも自分の為の勉強はできるじゃん。別にここに拘らなくったって」
    「全力で挑んだ結果の第二、第三志望校と、妥協で入った結果が同じだと仰いますか」
    「じゃあどうしろって!!あたしだって受かりたいよ!その為に頑張って来たよ!でも解法が出てこないんだよ!」
    「もう一度問題文を見てご覧よ」
    「えっ?」
    「もう落ち着いたでしょ。それにそんだけヤケになってるなら思い切って挑んでみるもんだよ。テイオーに挑んだときだっていつだって、まずヤケクソから始まったじゃん」
    「でももう時間がないよ。無理だって」
    「そんなのは後々!本当に身体で覚えたなら忘れるはずないから。いい加減挑めこのやろー!!」
    「うわぁっ!?」

     あたしは正気に戻って、もう一度問題文に目を落とした。冷えた頭は勝手にあたしのシャーペンを動かし始める。マークシートに色が塗られていく。

    (あれ……解ける!)

     時間はもうだいぶ過ぎているけれど、やれるところまでやってみよう。あたしは至って普通の心持ちで試験に臨んだ。過去最高にどこまでも、普通で。

    「止め!」

  • 24二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 23:02:20

    今日は二月十八日。あたしは震える手でパソコンを開けると、ウイニングライブの十倍は緊張しているんじゃないかという自覚を持ちつつ待機しているのであります。何と言っても今日は合格発表日!発表時刻は午前九時。今の時計は八時五十七分!

    『あああ見たくないー!!』
    『きっと大丈夫だよー』
    『ネイチャなら絶対受かる!』
    『問題は全て解き切ったのでしょう?』
    『そうだけどかなり怪しいよ!?』

     メッセージアプリでそんなやりとりを交わしても気は休まらない!昨日は結果が気になって寝れなくて、身体は絶賛過去最悪のパフォーマンスだよ。いや今から緊張してもなんの意味もないことはわかっているんですが……ねぇ?

    『時間です』
    『えっ嘘!?』

     あたしは大急ぎで大学のホームページに入ると、事前に言われていた本人認証を終え、マイページへ。そこにある『合否発表』という文字を見て一瞬怯む。

    「ええい!受かれーー!!とりゃーー!!」

     あたしは明らかに過剰過ぎる力でマウスをクリックした。そこには……

    合格
    おめでとうございます!
    入学を祈望される場合は下記からお手続きをお願いします。

    「え……」

     あたしは目を擦った。もう一度、息を整えて画面を見る。変わらぬ文字がそこにあった。

    「あ……ははは。受かっちゃったよ。受かっちゃった。受かった!やった!わーい!」

     明らかにテンションがおかしくなっているけど、今日くらい別に良いよね?今は全力で喜んで良いよね!?

  • 25二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 23:02:47

    『受かったよー!』
    『おめでとー!!』
    『今日はお祝いだな!』
    『そうですね。会場はどこにしましょうか』
    『ネイチャの家ー』
    『さんせーい!』
    『ではお昼頃集まりましょうか』
    『まだあたし良いなんて言ってないよ!?』
    『え?ダメなの?』
    『しょーがないなあ。みんなあたしの家に集まれい!』
    『ひゃっほーい!!』

     急いで部屋を掃除しなきゃな、なんて思いながら、あたしはスマホを操作した。予備校の先生にも連絡しなきゃいけないし、商店街のみんなにも報告しなきゃいけないけど、今は真っ先に合格を伝えたい人がいる。
    ワンコール。
    ツーコール。
    スリーコール。そして。
    「ネイチャ。その……どうだった?」
    「誠に残念なことでは御座いますが……」
    「ああ」
    「受かりましたよ。トレーナーさん」

  • 26二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 23:03:30

     あの合格の日から十年。今や空にはドローンが飛び、家にいてもなんでも買える時代がやって参りました。いよいよ人類は人と会わなくても生活できるようになったのです。いよっ科学!もっとやったれ科学!そんな声が聞こえそうな世の中で、あたしのいた商店街は需要がなくなり消滅してしまいました。ああ、時の流れとは無常だねぇ。あたしは悲しいよ……なんて言うのは大きな嘘。
     あたし達の商店街は人と人との繋がりが疎遠になる現代で、むしろ人と繋がれる場として人気を博すようになった。意味もなくお店巡りをしたり、おっちゃんおばちゃんと仲良く会話したり。もちろんネット通販に負けないように売り方も色々工夫しつつ、他ではできない独自の路線を打ち立てている。
     当然、まだまだこれから改善しなきゃいけない点はたくさんあって、今は高齢になってもお店を続けられるようにバリアフリー化を推進中。雰囲気は昔のまま、快適さは最新で。これを目標に、あたしはあたしと同じ志を持つ人達と一緒に頑張っている。
     ここはあたし達の商店街。あたし達が守り、発展させていくべき場所だから。

  • 27二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 23:13:38

    【後書き】
    ここまで17000字余り。読んでくださった皆様に心から感謝を申し上げます。ありがとうございました!
    並びに連投により更新順をお邪魔してしまった事をお詫びします。
    本作はお楽しみ頂けたでしょうか。なんとか年内に仕上げようとしたため、所々雑な展開がありますが、楽しんで頂けたのなら幸いです。
    ご感想、ご批判いただけると私が喜びます。
    最後に。2022年は明るい年になることを願って。良いお年を!!

  • 28二次元好きの匿名さん21/12/31(金) 23:14:58
  • 29二次元好きの匿名さん22/01/01(土) 06:54:07

    このレスは削除されています

  • 30二次元好きの匿名さん22/01/01(土) 16:13:26

    このレスは削除されています

  • 31二次元好きの匿名さん22/01/01(土) 18:40:44

    このレスは削除されています

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