【立て直し】天津神と国津神の対立って

  • 1二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 21:23:39

    縄文人と弥生人の争いを神話にした感じかな?
    それとも縄文人の神を国津神として取り入れた感じで天津神と仲悪いのは縄文弥生の争いの名残かな?

  • 2二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 21:24:10

    中央政権と地方豪族の対立じゃねえの?

  • 3二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 21:24:51

    そんなパッカリ分かれてないだろ

  • 4二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 21:26:45

    良く言われてるのは>>2じゃなかったっけ

    ヤマトとそれ以外の勢力って感じ

  • 5二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 21:27:27

    >>2

    そういえば古墳後期の継体天皇の時代にでさえ磐井の乱が起きてるからな

  • 6二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 21:28:13

    >>4

    それ以外の勢力が縄文人の生き残りの可能性は?

    土蜘蛛とか明らかに見た目違うし

  • 7二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 21:33:16

    実は移住民と先住民が争っていた痕跡のある国の神話は大抵2つの仲の悪い神族同士が出る
    インドのデーヴァとアスラ、イランの善神と悪神、ギリシャのオリンポス神族とティタン神族、北欧のアース神族とヴァン神族、ケルトのダーナ神族とフォモール族、メソポタミアのアヌンナキとそれ以前の神
    そして日本含め共通する事は先住民と移住民が存在する事なので縄文人と弥生人の戦いor縄文人の神を取り込んだのが国津神というのは意外と的を得ているかも
    実際ティタン神族とかヴァン神族は先住民の神を取り込んだ感じらしいし

  • 8二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 21:37:31

    そもそも天津神と国津神は対立してなくね?
    国津神筆頭格の大国主は円満に国譲ったし

  • 9二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 21:40:29

    >>8

    タケミナカタや天津甕星の様に天津神に逆らった神もいたしそもそも半ば恐喝の様な感じだったし

  • 10二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 21:47:39

    >>9

    勿論それはそうなんだけども天津神に逆らわなかった国津神も沢山いるし国津神同士の勢力争いの描写もあるから天津神対国津神で括られると少し違和感がある

    あくまで個人と個人の争いであってチーム戦ではないというか

  • 11二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 21:50:07

    >>10

    タケミナカタと洩矢神の対立は国津神同士の対立だよね

  • 12二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 21:52:53

    あくまで国津神って土着の神っていう意味だけだし、統一された勢力であるって描写はなかったような

  • 13二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 22:10:04

    稲作広めたのはオオクニヌシ定期

    >>1

  • 14二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 22:23:00

    >>6

    >>6

    縄文人と弥生人の間にそう差異はない

    遺伝的に見ても大規模な移住があった結果としてはまったく不適当だから小規模集団を複数回という形だろう

    稲作も広まりがかなりゆっくりだったりそもそも南方伝いだから大規模な移住説の不適当さはあるしね

  • 15二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 22:36:34

    そもそもオオクニヌシからしてスサノオの子孫ってことだし…
    元々婚姻関係とか交流はあった感じなんじゃないのか?

  • 16二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 22:37:02

    神話は実際の時系列は無視して編纂されてるからそういうつもりで読んだ方がいいぜ
    天津甕星は最後まで抵抗した神って扱いだが奉じてた常陸北部が朝廷に下ったのは7世紀半ば
    だから記紀編纂時のちょっと前の出来事をはるか昔の出来事かの様に組み込んでたりする

  • 17二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 22:41:40

    スサノオのヤマタノオロチ退治も多分治水事業のことだろうし天津神は技術的に栄えてたってことなんかね

  • 18二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 22:45:46

    >>7

    古い神に対して新しい神が勝つ話が多いよね


    日本神話は天津神の方がより古いし最初から格上なんだけどね

  • 19二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 22:59:19

    全体の格としては天津神>国津神なんだけどもそれぞれピンキリなところもあるから一概には言えないかな

    天孫はあくまで天照の系譜だからこそ尊ばれるべき存在として書かれているのであって天津神が全て偉い訳ではないし国津神に媚びて天に帰ってこない天津神もいる

  • 20二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 23:00:25

    「近年の研究によって縄文末期からすでに稲作始まってたのがわかりました〜」とか言われて
    じゃあもう縄文と弥生分ける意味あんの?ってなった

  • 21二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 23:45:33

    >>16

    朝廷に降ったのが七世紀半ばのソース何?

    珍しく残ってる常陸国風土記ではヤマトタケルが征服して国造を配置してたからそんな最近じゃないと思うんだが

  • 22二次元好きの匿名さん23/11/05(日) 23:51:42

    >>15大国主が兄弟に嫉妬で殺された時に、母神高天ヶ原のカミムスビに助け求めて蘇生させて貰ってるしな。

    >>17アレは治水の他に上流の製鉄民を支配下に入れた事の暗喩でも有るって言われてる、河が赤く染まったのはかんなながしやった影響の比喩だとか。

  • 23二次元好きの匿名さん23/11/06(月) 01:01:01

    >>21

    すいませんがソースはありません

    なのでパチだと思って聞き流してもらっていいんですが

    当該地域(大甕神社)周辺の発掘調査でヤマト王権・朝廷に関係ある遺物が

    出土するのが630~650年以降の地層でその辺りで支配下に加わったのだろう

    という話を以前どっかで聞いた記憶があるだけです

    常陸は霞ケ浦で南北に分けられてるし北辺が支配下入るのが鹿島がある南部より

    遅れたってのは有りそうな話だと勝手に納得してました

  • 24二次元好きの匿名さん23/11/06(月) 02:33:39

    でも最近だと日本の原住民って結構な造船と操船技術持った海洋民族だったって言われてるし
    紀元前から色んな国や地域からの流入民も少数ずつだろうけど何度にもわたって結構あったらしいし
    中には帰国子女みたいに何代か海外で過ごして日本に戻ってきてる集団もありそうだなって思う
    神様の名前がそのまま古代の部族名というか襲名する部族長名とかだった可能性もなくはないと思うよ
    うさぎとかワニとかっぽい姓の一族もいたらしくてそれが外国から日本に渡ってきたときのアレコレが因幡の白兎の話じゃない?みたいなのは聞いたことある

  • 25二次元好きの匿名さん23/11/06(月) 02:52:30

    統一された日本という国家はなかったと思われるけれども
    北海道まで含める縄文日本経済圏はあったって感じだよな
    産出地よりはるか遠い地で黒曜石やら翡翠やらが出てくるところから

    つくづく文字が無かったのが惜しい

  • 26二次元好きの匿名さん23/11/06(月) 04:10:12

    天津神対国津神、天津神or国津神同士の対立もあるからその辺りは対立と融和を各所で繰り返しながらぐちゃぐちゃしたんじゃないかなあ

    土蜘蛛とかそっちの話は人種よりも生活圏の差から来る文化の差の描写も多いだろうし

  • 27二次元好きの匿名さん23/11/06(月) 08:45:49

    そもそも日本列島征服できるような大規模勢力が渡航してたら大陸側にその記録残ってないとおかしい気がするしな
    渡来系の勢力にしたって現地民と混ざって何代も経ってると考えた方が自然だと思う

  • 28二次元好きの匿名さん23/11/06(月) 08:51:23
  • 29二次元好きの匿名さん23/11/06(月) 09:06:28

    >>28

    大陸との交流が盛んになったら病気とかも一緒に入ってくるし、混血した後に遺伝子の淘汰が起こっててそれでも縄文系が基底層として残ってる感じならそんな数値でも不思議じゃないんじゃね?

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