- 1二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:23:30
「トレーナーさん、私を妹にしてくれないかしら」
休日の昼下がり、トレーニング用のシューズを買いに行く直前。
担当ウマ娘のヴィルシーナは突然、そんなことを言ってきた。
彼女の顔は平静そのもので、ちょっとしたお願いをしてみた、と言わんばかりの態度。
何か自分が勘違いしているのではないかと考え、冷静に言葉を吟味し、俺は言葉を紡いだ。
「…………何を言ってるんだ、キミ」
「最近、シュヴァルに怒られたのよ、もっと僕の気持ちにもなって欲しいって」
しゅんと、落ち込んだ様子で呟くヴィルシーナ。
言った内容はともかく、真剣に悩んでいるのは事実のよう。
俺は気を取り直して、彼女の話に耳を傾けることにした。
「この間、いつものように、シュヴァルに食べさせてあげたりしていたのよ」
「そっか、確かにいつも見ている風景だね」
「そうしたらあの子が怒ってしまって、僕の気持ちにもなって欲しいって」
「まあ、彼女も年頃だからね、人前でそうされるのは────」
「だから妹になってみれば、より姉らしく振舞えるんじゃないかって」
「前から思ってたけどキミって妹が絡むと、フランス語覚えないで凱旋門賞行った子みたくなる時あるよな」
少なくともシュヴァルグランは、お前も妹になってみろ、という意味では言ってないと思う。
とはいえ、まあ、困ったことになった。
ヴィルシーナは、基本的には真面目で、前向きで、気高さを持った人物である。
妹達が絡むことによって、心優しくて、頼りがいのある、お世話好きのお姉ちゃんにもなる。
そして、妹のことを想いすぎるが故に、たまにおかしな方向に吹っ飛んでいくところがあった。
しかも、結構頑固。
……拒否すれば引いてくれるだろうか、後日、誰かに対して妹にしてくれと迫りかねない。
下手に他方へ被害を出して、それこそシュヴァルグランに流れ弾を食らわせるよりは、こちら対応するべきだろう。
心の中でため息一つ。 - 2二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:23:46
「わかったよ、今日一日だけ、俺はキミのお兄さんになるよ」
何言ってんだこいつ、と自分でも思ってしまう言動である。
すると、ヴィルシーナは安心した様子でぱぁっと花開くような笑顔を浮かべた。
……これだけで色々と許せる気持ちになってしまうのだから、ずるいよなあ。
「ありがとう、トレーナーさん……いえ、その、お兄さま? それともお兄ちゃんが良いかしら?」
「……なんか知らないけど、それは被りそうな気がするから別のでよろしく」
「そう? だったら、そうね、今日はシュヴァルみたいに」
ヴィルシーナは嬉しそうに微笑んで、右手を俺に向けて差し出した。
「今日一日よろしくね────兄さん♪」 - 3二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:24:01
俺とヴィルシーナは、街中を手を繋いで歩いていた。
指を交互に絡ませて、がっちりと────いや、ちょっと待ってほしい。
「……ヴィルシーナ、何で俺達は手を繋いでいるんだ?」
「何を言ってるのよ兄さん、兄妹のデートでは手を繋いで歩くのが当然でしょう?」
「…………そうなの?」
「少なくとも、私とヴィブロスはこうしているわ」
「そうなのか……そうなのかなあ……」
実際の姉妹の経験を根拠に言われると、俺は何も反論できなくなってしまう。
とはいえ、俺が知っている一般的な兄妹ってこういうものじゃなかったような気がする。
……後、素直にちょっと恥ずかしい。
ヴィルシーナのすべすべとした手の感触、温もりが伝わって来てしまうから。
やがて彼女は困ったような表情を浮かべて、俺の耳元に顔を近づけた。
「……あんまり照れないで、私だってちょっと恥ずかしいのよ」 - 4二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:24:14
見れば、ヴィルシーナの頬はほんのり赤い。
手にも微かではあるが汗が流れていて、しっとりとした手触りを感じる。
俺は少し呆れながらも、彼女に対して言葉を向けた。
「だったら無理しなきゃ良いじゃないか」
「今日も私は妹として振舞わなければいけないの、あの子達のためにも、そこに妥協は出来ないわ」
「……何故そこで全力を尽くすのか」
「それに、その、ね?」
ヴィルシーナは少しだけ言いよどむと、繋いだ手を少しだけ持ち上げた。
そして、甘えるような潤んだ瞳でこちらを見ながら、小さな声を発する。
「私は兄さんと手を繋ぐの、嫌じゃないわ……兄さんは、嫌?」
「……嫌じゃないよ、むしろ、キミみたいな子と繋げて、光栄だと思ってる」
「ふふっ、そう、そうなのね、それなら、嬉しいわ」
繋いだ手をにぎにぎとされる感覚、ヴィルシーナは楽しそうに微笑んで、俺と見つめていた。 - 5二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:24:31
本来の目的であるシューズ選びに関しては、時間をかけてしっかりと行った。
流石にトレーニングに直結する内容だ、兄とか姉とか、余計なことを考えてはいられない。
……まあ必要な時以外は、手を繋いだままだったけど。
そしてそのまま、兄妹デートと称して街を散策していると、クレープ屋に通りがかった。
「このお店、ヴィブロスが好きで、この街に来ると必ず食べるのよ」
「へぇ……ちなみにキミはどれは良く買うんだい?」
「私は、ってあら?」
お店のメニューを眺めていたヴィルシーナの視線が、突然ズレる。
それを追ってみれば、そこは『新作発売!』と書かれたノボリが、ぱたぱたと風に煽られていた。
もう一度メニューを見ると、『新発売 甘酒ホイップ』という挑戦的なメニューが書かれている。
「……あの子、新作が出ると必ずそれを買うのよね」
「ああ、なんとなくイメージ出来るな」
「来週はあの子とデートの予定だし、前もって予習しておこうかしら」
ヴィルシーナは尻尾を揺らしながら、悩ましげにそう呟いた。
事前に調査をしておくことにより、ヴィブロスをがっかりさせまいとしているのだろう。
そんな彼女の行動を────俺は止めた。 - 6二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:24:33
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- 7二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:24:45
「やめた方が良いと思うよ」
「……何故かしら、口に合わないものなんて、食べさせない方が良いと思うけれど」
「その気持ちは大事だと思うけど、ヴィブロスはそういうことは望んでいないんじゃないかな」
「…………」
「キミと一緒にチャレンジして、失敗だったとしても、キミと一緒に笑い話にしたいんだと思う」
「……あっ」
「アクシデントもまたスパイス、ってやつだね、これはスイーツだけど」
「ふふっ、ありがとう兄さん……うん、少しだけ、妹の気持ちが分かった気がするわ」
「妹の役に立てたなら、兄さん冥利に尽きるよ、せっかくだし買っていこうよ」
「ええ、じゃあ兄さんには私のオススメを、私はヴィブロスが好きなのを買おうかしら」
購入した後、俺達は近くにあったベンチに腰かけた。
俺が買ったのはイチゴとバナナにホイップ、そこにチョコソースをかけたもの。
ヴィルシーナが買ったのはホイップカスタードマシマシスペシャルフールツミックスなるものだった。
曰く、ふわふわクリームには女の子の夢が、彩り豊かにキラキラ輝くフルーツにはドバイ味溢れるヴィブロスの夢が詰まっているらしい。
感想はともかく、すげえ食べづらそう。
「いただきます、あー……あー…………?」
ヴィルシーナもその違法建築の前に、口を開けながら困惑した様子を見せていた。
それを俺は微笑ましく見守りながら、自分の分のクレープにかぶりつく。
イチゴの程良い甘酸っぱさとバナナのシンプルな甘さ、そしてホイップクリームの濃厚な甘さ。
そこに少しチョコソースの甘さがアクセントになって、凄い甘い。
…………多分俺、食レポには向いてないな、とにかく滅茶苦茶美味しい。
クレープなんてあまり食べたりしないのだが、また機会があれば食べてみようかなと思うくらいには。
ふと、横から、クレープを食べたヴィルシーナの感想が聞こえて来る。
「うん、ヴィブロスが好むのも納得の味だわ、食べやすさはともかく」
「こっちも美味しいよ、キミのお墨付きなだけはあるね……あっ、ヴィルシーナ、動かないで」
「えっ」 - 8二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:25:03
俺はヴィルシーナの顔に向けて、そっと手を伸ばす。
彼女は驚いたように目を見開き、そしてぎゅっと恥ずかしそうに目を閉ざした。
そして、俺は彼女の、鼻や頬を指先で軽くなでた。
「んっ……」
「よし、クリームくっついてたよ、慣れないやつだと大変だよね」
「あっ、えっ、ええ、ありがとう兄さん……そうよね、私ったら何を……」
まだついていないか確認しているのか、ヴィルシーナは恥ずかしそうに頬を押さえる。
やがて、少しだけ恨めしそうにこちらを見て、ずいっと自身のクレープを差し出して来た。
「……どうしたの?」
「……兄さん、こっちも食べて良いわよ」
「えっ、いや別に」
「食べて、良いわよ」
「あっはい、いただきます」
女王様がにじみ出るヴィルシーナに対して、俺は言われたままに口を開けた。
そしてふと、ぴたりとピタリと止まる。
クレープに刻まれるは、彼女の歯型。
持っている部分は紙で包まれているため、そこを避けてるのは不可能。
彼女の様子を窺えば、尻尾をブンブンと振り回し、期待した目を向けていた。
逃げ場無し────観念して、俺は彼女のクレープにかぶりついた。
口に広がるふわふわと強烈な甘さと、様々なフルーツによる暴力的な瑞々しさ。
複雑な甘さ、というべきだろうか、スイーツ慣れしていない俺には味覚が追い付かないようだ。
「ふふっ、兄さんたら」 - 9二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:25:19
ヴィルシーナはこちらを見ながら、笑みを浮かべる。
そして、そっと白い指を俺の顔に伸ばしてきた。
温かくて、柔らかな指先が俺の口元に触れて、思わずドキリと心臓が高鳴る。
彼女はそのまま軽く撫でると、指先についたクリームを俺に見せつけて来た。
「クリームついてたわよ、慣れないと大変、よね?」
「……ありがとう」
……迂闊に他人の顔に触れるべきではない、そう改めて感じた。
ヴィルシーナは俺の手元のクレープを見つめて、妙案を思いついたようにニヤリと笑う。
その笑顔は、なんとも、嫌な予感がするものだった。
「それじゃあ兄さん、お返しを貰えるかしら?」
「……お返し?」
「あーん」
そう言うと、ヴィルシーナは口を開いて、真っ赤な口内を俺に見せつけて来た。
……これは流石にダメなんじゃないかなと、理性がアラートを鳴らす。
しかし、食べたもののお返しは、確かにしなければならない。
何より、今の俺達は兄妹なのだ、兄妹であれば手も繋ぐし、クレープの食べさせ合いくらいするだろう。
────本当か? 本当に世間の兄妹ってそんなことするのか?
「……あーん」
混乱する俺の思考を、ヴィルシーナの催促が現実に引き戻す。
やって良いのかという懸念より、これ以上彼女を待たせてはいけないという意識が優先される。
意を決して、俺は自分の歯型がついたクレープを、てらてら濡れる彼女の口の中に優しく入れた。
ぱくり、と小さな口が閉ざされて、薄ピンクの唇から、白いクリームが少しだけ溢れる。
彼女はぺろりと舌でそれを舐めとると、ゆっくり、時間をかけて咀嚼していく。
こくり、と飲み込んで、どこか蕩けたような目で、ぽつりと呟いた。 - 10二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:25:35
「…………なんだか、いつもより甘く感じるわね」
- 11二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:25:50
「ああ、こんにちは」
「あっ、その……こんにちは」
ヴィルシーナとの兄妹デートを終えた翌日。
俺は学園の廊下で、ばったりとシュヴァルグランと遭遇した。
彼女は帽子を深くかぶって、表情を隠しながら、そっと目を逸らす。
……それなりに面識はあるつもりなのだが、未だに会うとこんな感じである。
まあ、人には合う合わないがある、担当の妹とはいえ、無理に話すのも悪いだろう。
そのまま挨拶だけで済ませようとした、その時だった。
「あの……姉さん、何か言ってましたか?」
「……えっ?」
シュヴァルグランに声をかけられた、そしてヴィルシーナについて聞かれたことで、俺は驚いてしまう。
気が付けば、逸らされていたはずの彼女の目は、俯きがちではあるもののこちらをしっかり捉えている。
彼女がここまではっきりと声をかけてくるのは珍しい、俺は襟を正して向かい合った。
「ヴィルシーナのことかい?」
「はい……この間、お世話されているのが恥ずかしくて、僕がひどいことを言ってしまって」
「ああ、そのことか」
思い出すは、昨日の発端となった出来事。
ヴィルシーナは彼女に言われたことを反省し、その改善をしようとしていた。
シュヴァルグランは彼女に言ってしまったことを反省し、その様子を探っているようだ。
……なんだかんだで、似た姉妹なんだよなあ、この子達。
なんだか微笑ましくなってきて、俺は笑みを浮かべて答えた。
「別に怒ってはいなかったよ、むしろ、反省していたよ」 - 12二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:26:08
明後日の方向に、とは言わないでおいた。
その言葉を聞いて、シュヴァルグランは微かに表情を曇らせてしまう。
「そうですか……僕が、悪かったのに」
「うーん、正直俺としてはキミの気持ちの方が理解できるんだけど、でもそう思うならさ」
そう言って、俺は少し屈んで、シュヴァルグランに視線を合わせる。
ちゃんと見えていなかった彼女の顔は、後悔と、不安に満ちたものとなっていた。
「顔を合わせて謝れば良いよ、きっとキミ達姉妹ならそれで解決だろうさ」
「……でも、あんなことを言って、僕には姉さんに合わせる顔が」
「ああ、それは大丈夫、なんていったってキミの姉さんだぞ? キミに合わせる顔がなくたって」
────あっちの方から無理矢理合わせに来るだろうさ。
その刹那、遠くの方から走る足音が聞こえて来た。
シュヴァルグランの耳がピンと立ち上がる。
きっとそれは彼女にとって慣れ親しんだ足音、そしてそれは、俺にとっても。
「シュヴァル! ごめんなさい、私、貴女の気持ちを考えずに……!」
「あっ……違うんだ姉さん、僕の方こそ、姉さんの想いを知っていて、ひどいことを……!」
ヴィルシーナとシュヴァルグランは、二人で謝罪を口にし、想いを伝えあう。
元々深い絆で結ばれた姉妹だ、ちょっとしたいざこざくらい、ちゃんと顔を合わせればすぐに元通り。
じゃあ昨日一日のアレはなんだったんだと思わなくもないが、わざわざ水差す必要もない。
しばらくすると、二人は揃って、柔らかい表情でこちらを向いた。
「色々とありがとうね、おかげで仲直りが出来たわ」
「ありがとうございます……相談に乗ってくれて」
「いや、俺は何にもしてないよ……マジでも何にもしてないな、俺」 - 13二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:26:26
結果だけ見るなら、勝手に喧嘩別れした二人が、勝手に合流して仲直りしただけである。
まあ、仲良きことは美しき哉、元の鞘に収まったのならば、これ以上のことはないだろう。
ヴィルシーナは良いことを思いついた、と両手をポンと合わせた。
「そうだわ、これから一緒に、仲直り祝いの食事をしましょう」
「……うん、ヴィブロスも誘おうか」
「ええ、勿論それと」
ヴィルシーナは、姉妹に向けているような優しい笑顔をこちらに向ける。
それはまるで、昨日一日、俺に見せてくれていた笑顔に似ていて────凄まじく、嫌な予感がした。
「兄さんも、一緒に来るわよね?」
「……………………兄、さん?」
「えっ……あっ……!」
大暴投をかましたヴィルシーナは慌てて口を押さえて、顔を真っ赤に染め上げる。
シュヴァルグランは、七回無失点という完封も見えてくる素晴らしいピッチングをこなしたものの、六点リードで迎えた八回からリリーフ陣が崩壊して十失点の大逆転負けにより勝ちを消された先発投手のような顔で、俺を見つめていた。
俺は────大チョンボをやらかした『妹』を見ながら、大きなため息をつくのであった。 - 14二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:27:04
- 15二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:27:57
よきよきなり
- 16二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:29:15
フランス語覚えないで凱旋門賞行った子とかいう「アホ」の婉曲的表現
- 17二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:38:19
ストーリーも食べ物も甘くていいですね。
ヴィル姉引いても出ないから羨ましい。 - 18二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:43:47
- 19二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:47:34
- 20二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:48:33
普段から妹とデートしてるから兄さんとも同じように振る舞ったらただのでろあまになったでござる
さらりとユニークな比喩が出てくるところすきだ - 21二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 12:51:21
あったんだ…
- 22二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 13:15:32
すいません、ちょっと、あの、
砂糖吐かせてください - 23二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 13:27:23
地味にベイスターズを知らないと出てこない情報が出てきてるの好き(ベイファン)
- 24二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 13:37:20
女の子の口の中をそんな目で見るなんて……
……普段からそんな目で見させられてるな?
ことあるごとに唇を湿らせてそう - 25二次元好きの匿名さん23/11/23(木) 14:39:11
読んでて思わずニヤニヤしちゃったけど最後の描写で違う笑いに変わってしまったんだが
- 26123/11/23(木) 18:54:50