(SS注意)尻尾のないウマ娘

  • 1二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:33:53

     トレセン学園の屋上から、私はグラウンドを見下ろしていた。
     楽しそうに走る子、集中して走る子、気だるそうに走る子、歯を食いしばって走る子。
     まさに千差万別の表情を浮かべて走っている。
     それと同時に、ゆらゆらと揺れるものが、彼女らの腰辺りから見えていた。
     様々な毛色があって、風にたなびく、綺麗な尻尾。

     それは、私にはないもの。

     今でも、たまに思ってしまう。
     尻尾があれば、どういう走りが出来たのだろう、と。
     それはもうどうにもならないこと、決して考えてはいけないこと。
     脳裏に浮かんだもやもやを打ち消すように、私は空を見上げる。
     雲一つない空の青、私が好きな色。
     きぃ、と背後から扉が開く音が聞こえて、振り返る。

     そこにいたのは、トレーナーバッジを付けている、一人の若い男性だった。

     彼は、私を見つけるやいなや、名前を呼んだ。
     それは、一人のウマ娘の名前。
     世にも珍しい────尻尾のないウマ娘の名前だった。

  • 2二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:34:09

    「ハァハァ……どうですか、トレーナーさん?」
    「うん、良い時計が出てるよ、これなら次のレースで、きっと」
    「はい、次はあんな失態は、絶対に……」

     担当である青毛のウマ娘は、拳を固めて、歯を食いしばった。
     風にたなびく長い髪、少し釣り目がちの青い目、左耳には青色の耳飾り。
     彼女は呼吸を整えると、真剣な表情でこちらを見た。

    「トレーナーさん、もう一本良いですか?」
    「……次で最後だからね」
    「はい、では」

     そう言って、彼女はぴゅうっと駆け出していく。
     ……うん、独特だけど、相変わらず綺麗な走り方だと思う。
     彼女をスカウトした切っ掛けでもある、彼女の走りへの感想は、初めて見た時から変わっていない。
     しかしそれは、彼女にとっては、大きなハンデでもあった。
     ざわざわと周囲から声が聞こえて来る、明らかに今は走っている彼女を見ての、騒めき声。
     まあ、自分達にとっては、もう慣れたものである。
     彼女には────周囲の人達の目をどうしても引いてしまう、大きな特徴があった。

     彼女は生まれつき、尻尾のないウマ娘だった。

     尻尾はウマ娘にとって、大切な器官。
     事故などによって尻尾を失ったウマ娘は上手く歩けない、なんて事例があるほどだ。
     しかし、その状態が当然であった彼女は、尻尾がなくても綺麗な走りを見せている。
     他のウマ娘とは違う、身体全身で重心を取るような、独特の走り。
     その走りに魅せられて、彼女をスカウトしたわけだが。

  • 3二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:34:23

    「……まあ、簡単にいくわけがないよね」

     確かに、彼女は自身のハンデを跳ねのけて、トレセン学園にも入学した。
     しかし、トレセン学園にはそんなハンデを持たずに、彼女と同様かそれ以上の研鑽を積んだウマ娘が集う場所。
     数か月前に行われた彼女のメイクデビューは────17人中の16着。
     惨敗といえる結果に、二人揃って現実を思い知らされた。
     不幸中の幸いだったことは、彼女があまり落ち込んでいなかったことである。

    『────挫折も、誹りも、慣れてますから』

     ……その理由は、あんまり宜しいものじゃなかったけど。
     痛い敗戦から、まずは出直しということで次のレースまで長い期間をとって、調整を続けていた。
     尻尾がない、という特異性を持つ彼女への指導は、自分みたいな新人トレーナーには難しいものだった。
     けれど、様々な資料を漁って、色んなレース映像を見続けて、たくさん彼女共話して。
     ようやく結果が見えて来たと思っている。
     びゅう、と風を巻き起こしながら、彼女が私の前を走り抜けていった。
     反射的に止めていたストップウォッチに記されていたタイムは、ここ数日で一番良い。
     息を整えている彼女に、ぐっと親指を立ててみせる。
     彼女はジャージの袖で流れる汗を拭いながら、にやりと勝気な笑みを浮かべてみせた。

  • 4二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:34:37

    「あの、少し宜しいでしょうか?」
    「あれ、たづなさん、こんな時間に珍しいですね」

     次のレースまで後数週間に迫った日の夕方。
     トレーナー室に突然、トレセン学園理事長秘書、駿川たづなさんが訪れた。
     普段は来るとしてももう少し早い時間だから、この時間は珍しい。
     彼女は少し困ったような表情を浮かべつつ、言葉を紡いだ。

    「あのですね……あなたの担当の子の、ファンの方がいらっしゃっていて」
    「はあ? あの子の? 大分前にデビュー戦をしただけの子ですよ?」

     思わず、首を傾げてしまう。
     まだ走ったのは一度だけ、おまけに結果は最下位一歩手前、決して注目される実績ではない。
     そもそも、わざわざトレセン学園に押しかけるようなファンなんて、追い返すべきだろう。
     そう言い返そうと思って────言葉を飲み込む。
     今、目の前にいるのはトレセン学園の全てを知り尽くしていると言っても過言ではない、たづなさん。
     故に、今言おうとしたことなど、彼女にとっては百も承知なはず。
     つまり、追い返せない理由がある、あるいは、簡単に追い返せない相手が来た、ということかもしれない。

    「……とりあえず、事情を聞かせてください」
    「助かります、その来てくださった方というのがですね」

     その名前を聞いて、腰を抜かしそうになってしまった。
     その押しかけたファンというのが、そこらのG1ウマ娘より有名な、現役のプロ野球選手だったのである。

  • 5二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:34:52

    「あの子にファンレター、ねえ」

     彼から受け取った、高そうな便箋を見ながら、思わず笑みを浮かべてしまう。
     ────押しかけたこと自体はいただけないが、彼はとても礼儀正しい、気持ちの良い青年だった。
     一度、あの子のレースを偶然見て、ハンデを背負いながら独特で綺麗な走りを見せる姿に、惹かれたとのこと。
     ……その話を聞いた時点で悪く思えるわけないんだよなあ、全く同じなんだもん。
     結果こそ残念だったが、とても勇気づけられたそうだ。
     今後も絶対に応援しようと思っていたが、なかなか次走の情報が出ず、居ても経ってもいられず……とのことらしい。
     うーん、凄い行動力。
     テレビなどで毎日話を聞くようなレベルの選手ってのは、こういうところから違うのだろうか。
     彼には次走の話をして、今後は専用の窓口からと伝えて、帰っていただいた。
     また走る、と伝えただけで凄く嬉しそうにしていたのは、こっちとしても正直嬉しかった。

    「ただ……どうしようかな」

     一つ、迷っていた。
     このファンレターを、彼女にすぐ渡すべきかどうか。

     ファンレター、というのはウマ娘にとって、とても心の支えになるものだ。
     けれど、それと同時に────ファンというのは、すぐに移ろうものでもある。

     グッズを買うほど熱心に応援していたファンが一度の凡走で、なんてことは日常茶飯事だ。
     彼だって、そうならないとは言い切れない。
     確かに今ファンレターを渡せば、彼女を元気づけることは出来るだろう。
     けれど次の走りを見て、彼が離れてしまった場合、それは彼女を余計に傷つけることになる。
     彼女は、元々他人に対する不信感が大きい。
     尻尾のないウマ娘、という特徴は走ること以外にも、様々な苦難を彼女に与えていたようである。
     しばらく考えて、少しだけ待つことを決めた。
     あの子の様子を窺いつつ、彼の動向も見極めながら、ということで。

  • 6二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:35:06

    「あっ、でも中身は見ておかないと」

     トレーナーの義務として、手紙を検閲を行う。
     まあ、彼は責任ある立場といえるし、滅多なことはしないだろうが、念のためである。
     便箋を出来る限り丁寧に開けて、手紙を開いて、しっかりと読む。
     
    「…………うん」

     そしてそのまま、手紙を便箋に戻した。
     手を頬に当ててみると、とてつもなく、熱くなっていた。

    「恥ずかしくなるくらい、熱心なファンなのは、伝わってきたよ……」

     手紙の前半には、自分がどれだけ勇気づけられ、元気づけられたかが記されている。
     問題は後半部分。
     あの子の走りがどれだけ素晴らしく美しかったかを、情熱的かつ明瞭に、そして詩的に記されている。
     それはもはや、ファンレターというよりはラブレターに近いものであった。

    「この人だったら、心配はないかもね」

     呆れたように、そんな言葉を漏らしてしまった。

  • 7二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:35:26

     あの子の努力は、やはり結実していた。
     次走、14番人気と低い評価だった彼女の順位は、7着。
     掲示板に入ることは出来なかったが、前走に比べれば確かに手応えを感じる成果だった。
     それは彼女も同じだったようで、あまり間を置かず、次のレースに出走することにした。

     9番人気だった彼女は、3着という下バ評を覆す好走を見せる。

     掲示板にあの子の番号が点灯したとき、彼女に期待する声が、ぱらぱらと聞こえた。
     1着こそ逃したものの、彼女は確かな自信を感じる表情で、こちらに戻ってくる。

    「トレーナーさん、私、行けるかもしれません、あのキラキラの舞台へ」
    「そうだね、どんどん良くなっている、きっと次は行けるよ」
    「はい、また次は間隔を開けずに行きましょう」
    「うん、わかった」

     控室で、まだ着替えてもいない彼女と共に、次のレースの予定を立てる。
     ようやく見えて来た光明、それに向けて、全力で自分達は突き進んでいるように思えていた。
     一か月後の次走、前回の好走から、彼女は初めて一番人気に推される。
     事前のコンディションは問題なし、パドックでも落ち着いた様子を見せていて、何一つ不安はない。

     後から思えば────二人揃って、レースというものを甘く見ていたのだろう。

     前より良くなったから、次はもっと良くなる。
     自分達が強くなったのだから、次はもっと良い順位になる。
     そんな単純なものであるのなら、きっと、誰もレースに対して熱心になることはないだろう。
     前回と同じ走りで、同じように走れる保証なんてどこにもない。
     評価されれば、当然警戒もされる。
     わかっていたはずなのに、全く、わかっていなかったのだ。

  • 8二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:35:40

     レースを終えた彼女は、呆然とした表情で掲示板を見つめる。
     そこには、彼女の番号はどこにも存在していなかった。
     結果は、6着。
     ゴール直後の悲鳴と、落胆の声が、自分の耳にも痛いほどに響いた。
     より鋭敏な聴覚を持つ、ウマ娘の彼女にとっては、どれほど強く響いたのだろうか。
     
    『────なあんだ、やっぱり、尻尾のないウマ娘は、走らないな』

     どこからともなく、そんな声が聞こえた。
     ターフの上に立つ彼女の肩が、びくりと震える。
     思わず振り向いて観客側を睨みつけてしまうが、誰が言ったなんてわかるはずもない。
     ……落ち着こう、わかったとしても、言い返すなんてもっての外だ。
     それに、彼女は強い子だ、もっとひどい結果だったデビュー戦でも、挫けなかったじゃないか。
     荒ぶる気持ちを抑え込んで、大きく深呼吸をしてから、ターフを見る。

     そこには、真っ青な顔で立ち尽くす、彼女の姿があった。

     この時の光景は、ずっと脳に刻まれている。
     思い出したくもないけれど、忘れてはいけない瞬間だったから。

  • 9二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:35:54

     敗戦後、彼女は塞ぎこんでしまった。
     自分の部屋に閉じこもって、トレーニングにも出てこなかった。
     最低限の食事は摂っているようだが、それだけでは何も安心はできない。
     無理にでも会いに行くべきか、それとも彼女が戻ってくるのを待つべきか。
     正しい答えがわからず、先輩のトレーナーの話を聞きながら、結局何も出来ない時間が過ぎて。
     ある日、彼女がトレーナー室にやってきた。
     少しだけやつれて、淀んだ瞳で、思いつめた表情を浮かべて。

    「……トレーナーさん、少しお話があります」
    「……わかった」

     ただ戻ってきたというわけじゃないのは、一目でわかった。
     お茶を入れたマグカップを用意して、彼女と向かい合って座って、彼女の言葉を待つ。
     沈黙の時間が数分流れた後、彼女は俯いたまま、ゆっくりと言葉と紡ぎ出した。

    「……尻尾のない私は、ずっと期待されていませんでした」
    「……うん」
    「尻尾がないんだから走れなくて当然だって、周囲の人は皆そう思っていました」
    「そんなことは」
    「あるんです、でも今思えば、私にとっては楽でした。ダメで当然、勝てればざまあみろって見返すだけですから」
    「……」
    「だから知らなかったんですよ、私」
    「……何を?」
    「期待を裏切ることが────こんなにも、怖いことだって」

     ぽたりと、彼女のマグカップに、雫が落ちる。
     それを持つ手が、カタカタと震えだす。

  • 10二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:36:07

    「トレーナーさん、私、走るのが怖いです、負けて期待に応えられないのが、怖いです」

     ようやく気付いた、全て、間違えていたのだということに。
     彼女は強い子なんかじゃない。
     他人よりも少しだけ痛みになれていただけの、普通の女の子だった。
     彼女は不信感が強いんじゃない。
     他人から信じてもらう機会が少なかったから、ほんの少し不器用になってしまっただけだった。
     彼女には、信じてくれる人の声が、すぐにでも必要だったのだ。

    「……これ、読んでくれる?」

     デスクの引き出しから、4通の便箋を取り出して、彼女に手渡した。
     受け取った彼女は、それが何であるのか見当も付かない、という表情でじっと見つめている。

    「これは?」
    「キミへのファンレター、デビューから毎レース、熱心に送ってくれる人がいてね」
    「……そんなこと、何も」
    「ごめん、少し様子を見てから渡すべきだと思って、預かってたんだ、すぐに見せるべきだったよ」
    「…………あの、その、良いです、読めません、読みたくありません」

     彼女は、ファンレターを突っ返そうとする。
     そこに詰まっているであろう、期待の言葉を、彼女はひどく恐れてしまっているのだった。
     
    「────ダメだよ、読みなさい」

     いつもより低く出てしまった声に、彼女はビクッと身体を震わせた。

  • 11二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:36:19

    「……隠していたことは悪かった、けど、キミはそれを読まなきゃダメだよ」
    「……なんでですか」
    「それはキミに対して贈られた言葉で、キミにとって絶対に必要な言葉だから」
    「……」
    「もしキミが足を止めるとしても、それを読んでからにして欲しい、じゃなければ必ず後悔する」
    「…………っ!」

     彼女は意を決したという様子で、一番上にあった、一番最初に送られた便箋を手に取る。
     そして、手紙を取り出して、それをじっくりと読み込んで。

    「……ふえ?」

     変な鳴き声を出して、目を見開き、口をぽかんと開けて、顔を真っ赤に染め上げた。
     …………そういや読んだの大分前だったから忘れてたけど、そういう内容だったわ。
     というか、この子、こういう表情出来るんだ、クール系女子だと思ってた。

  • 12二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:36:37

     最初こそ、恥ずかしそうに読んでいた彼女だったが、一通読み終えた後に変化が生まれる。
     真剣な表情で、のめり込むように、穴の空くほど一文字一文字をじっくりと見つめるようになったのだ。
     きっと、この子にとっては初めての経験だったのだろう。
     知らない誰かから、想いを、願いを、期待を、託されるということは。
     それはきっとトレーナーという立場では出来ない、ファンの声だからこそ出来ること。
     最後の一通を読み終えた時────ぽたりぽたりと、手紙の上に涙が落ちた。
     ハンカチを取り出して、彼女に手渡す。

    「……ほら、手紙に滲んじゃうよ」

     泣きじゃくる彼女は、ハンカチを受け取りながらも言葉を出せない。
     けれど構わず、彼女へと問いかける。

    「その手紙にはさ、キミに勝って欲しいって書いてあった?」

     その問いかけに、彼女は顔を左右に、大きく振った。
     無論、彼が勝利を願っていない、というわけではない。
     ただ、それ以上に願うことがある、ということだ。

    「ただレースに勝つことだけが、期待に応えるっていうことじゃないよ」

     挫けずに挑戦し続ける姿を見せて欲しい。
     勇気と元気をくれたあの走りを見せて欲しい。
     そして、無事に戻ってくる姿を見せて欲しい。
     彼からの手紙には、そんな想いが、願いが、期待が溢れていた。

    「キミがキミらしく走り続けることを、期待している人達がいるんだ」

     そのことを決して忘れないで欲しい、そう付け加える。
     ぐちゃぐちゃな顔のまま涙を流し続ける彼女は、まだ声を出すことが難しかったけど、何度も何度も、大きく頷いてくれた。

  • 13二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:37:03

     しばらく、時間が経った後。
     長い時間泣き続けた彼女は、目を腫らしていたものの、どこか晴れやかな表情になっていた。
     そろそろこれからの話をしても良いかなと思った、その時である。

    「……トレーナーさん、一つ聞いても良いですか?」
    「ん? ああ、なんだい?」
    「その、ですね、これをくれた人が、あの、どういう人なのか、知ってたり、しないかなーって……?」

     彼女はもじもじと指を揉みながら、少しだけ目を逸らしつつ、照れた様子で聞いて来る。
     耳はぴこぴこと忙しなく動いていて、逸らした視線は時折ちらちら手紙を見つめていた。
     へぇ、ふぅん、ほぉーん。
     口元を吊り上げながら、ゆっくりと立ち上がって、彼女の傍らに近づいて、ぽんと肩を置いて耳元で尋ねる。

    「ラヴかね?」
    「なっ! そういうのじゃないですから! ちょっと気になっただけで! 全然、ないですから!」
    「なーんだ、写真もあるけど、それなら見せなくて良いかな」
    「ちょっ、見せてくだ……って何で写真なんか……トレーナーさん、まさか、この人と……!」
    「いやいやいやいや、全然違うから、ライバル視しないでよ」

     彼女は疑わしげな表情で、じっとこちらを睨みつけていた。
     ……なんかこの子、急にキャラ変わってない?
     いや、もしかしたら今まで思いつめていただけで、こちらが本来の彼女なのかもしれない。
     だとすれば、この挫折にも、意味はあったのかもしれない。
     じゃあ、またここから始めていかないと────そう思って、彼女に手を差し出した。

    「改めてさ、一緒に頑張っていこうよ」
    「…………はい!」

     彼女は少しきょとんとした表情を浮かべたが、やがて柔らかな笑みを浮かべて、手を握ってくれた。

  • 14二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:37:27

     良く晴れた、夏の函館レース場。
     たくさんのウマ娘の足音が鳴り響く中、彼女は最終コーナー手前で先頭集団へと強襲をかける。
     他の参加者のレース記録を見たところ、有力なウマ娘と比較して、切れ味勝負なら彼女も互角。
     最後は、仕掛けどころを見極めたものが勝つと見た。
     故に、上位人気のウマ娘を見ながら、決して掛からず、決して遅れることもなく、仕掛ける。
     決して簡単な話ではない、やろうと思って出来る話でもない。

    「そうだ……! 行け……っ!」

     しかし、彼女はやってのけた。
     もしかしたら偶然の産物かもしれない、けれど今この時は、まさしくドンピシャのタイミングで。
     最終直線、先頭集団が垂れていく中、彼女は前へ前へと進んでいく。
     先に仕掛けたウマ娘は、粘るものの足が伸びて行かない。
     後方から差してくるウマ娘も、凄い脚を見せるが後僅か届かない。
     ほぼ横一列、三人のウマ娘が、同時にゴールしてみせた。
     悲鳴と歓声が響き渡る中、掲示板に着順は、なかなか表示されない。
     けれど、確信していた。
     彼女がこちらに駆け寄って来て、目尻に涙を溜めながら、感極まった表情で言葉を紡ぐ。

    「トレーナーさん! 私、私……あの、キラキラの舞台に……っ!」
    「うん、でも落ち着いて、結果はまだ確定してないから、ああ、でもなあ……!」

     正直、自分も興奮を抑えきれていない。
     レースを専門に仕事をしているのだ、さっきのゴールの結果くらいなら、目で見てもわかる。
     刹那、大きなどよめき声が観客席から響き渡る。
     掲示板の一番上に『1』の文字と『ハナ』の文字が点灯していた。

     それは紛れもなく────彼女の一着を示すものだった。

  • 15二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:37:45

     ここから、あの子の快進撃が始まった。
     …………と、漫画やアニメだったら、なったかもしれない。

     残念ながら現実はそう上手くいかなかった。

     その後も、彼女と共にトゥインクルシリーズに挑み続けた。
     何度かの勝利を収めたものの、結果としては条件戦のみで終わり、重賞には出走も出来なかった。
     デビューが高等部だった彼女は、3月に最後のレースを終えて、そのまま卒業することとなる。

    「お疲れ、卒業おめでとう」
    「ありがとうございます……というか、なんかすごいですね」
    「アハハ、まあ、キミの人気の賜物なんだから誇って良いよ」

     卒業式の日、大きな花束を持って彼女はトレーナー室にやってきた。
     ちなみに、トレーナー室にはファンからの贈り物やらなんやらで埋もれている。
     ……重賞に出てすらいないウマ娘としてみれば、彼女の人気は破格のもの。
     『尻尾のないウマ娘』として有名になり、勝利した後は、たくさんのファンが出来た。
     デビューしたばかりの頃の彼女だったら、嫌な顔をしたかもしれないけれど。

    「ふふっ、ありがたいことですよね」

     彼女は、嬉しそうにその贈り物の山を眺める。
     あれから彼女は大分明るくなって、走る時もとても楽しそうに走るようになった。
     切っ掛けとなった彼には、大いに感謝しなければいけないな。

    「あのー、ところで、ですね?」
    「ん?」
    「彼からの手紙とかは、まだ来てませんか?」
    「……来てないよ」
    「そう、ですか」

  • 16二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:38:00

     彼女は露骨に肩を落とした、他のファンに失礼だと思わないんかキミは。
     ……例の彼は相変わらず、レースの都度、ファンレターを送ってくれていた。
     彼女もそれを待ち望んでいたようで、レースが終わると毎日のように来てます? 来てます? とたずねて来る。
     ちなみに、一度だけ、もういっそ会ってくれば? と聞いたことがある。

    『今はまだレースに集中するべきですし、彼の邪魔もしたくないので、止めておきます』

     その話を聞いて、本当に奥ゆかしい子だなあと思ったものである。

    『だから文通を始めました』

     その話を聞いて、本当に面白い子だなあと思ったものである。
     ……正直なところ、未だにこの子の色んな意味でのポテンシャルを理解出来てない気がする。
     キャラという点においても、性格という点においても────走りという点においても。

    「トゥインクルシリーズ、どうだった?」

     だからだろうか、ふと、そんなことを聞いてしまった。
     彼女は少しだけ驚いた表情を浮かべた後、そっと目を閉じてじっくりと記憶を巡らせる。
     やがてゆっくり目を開けて、彼女は言葉を紡いだ。

    「満足したか、といえば嘘になります。重賞も走りたかったですし、出来れば勝負服も着たかった」
    「……うん、そうだね」

     心が、ちくりと痛む。
     それが出来なかったのは、トレーナーとしての力不足に他ならないからだ。
     ごめん、と謝罪の言葉を口にしようとしたその瞬間、彼女がずいっと顔を近づけてきた。
     息がかかりそうな距離、雲一つない青空のような瞳が、じっと射抜いて来る。

    「ですけど、後悔はしていません────そう思えるのは、あなたがトレーナーだったからだと思ってます」

  • 17二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:38:16

     正面から打ち込まれる、心からの言葉。
     それを直視することが出来なくて、思わず顔を逸らしてしまう。
     目に熱いものがこみあげて来て、胸がぎゅうっと苦しくなって。
     なんとか平静を保とうと、あたふたする姿を見て、彼女は嬉しそうに笑った。
     それから、しばらくが経過して。

    「……それでなんだけど」
    「あれ、もう大丈夫なんですか?」
    「そ、れ、で、なんだけど」
    「あっはい」
    「この後の予定の話なんだけどさ」

     卒業式の後、彼女と共にお高いレストランへと行く予定だった。
     彼女の好きな、キラキラの夜景を眺めながら、ディナーが楽しめるオシャレな場所。
     最後に、二人で頑張ったご褒美、のつもりだったんだけど。

    「……ごめん、あれちょっとだけ嘘をついた」
    「ああ、やっぱサイゼですか?」
    「そこじゃないよ、人がどんだけ甲斐性なしだと思ってるの?」
    「えへへ……でもそこじゃないとすると……」
    「私は行かないから。その代わり、キミに会いたくて、キミが会いたい人が待っている」
    「…………えっ?」
    「引退して卒業したんだし、もう会っても良いでしょ? たくさんお話して来なよ、誠実さは保証するから」

     ────ちなみに今回の段取りは、滅茶苦茶大変だった。
     現役の主力選手の予定を、コネもない外部の人間が固定しようというのは、並大抵ではなかった。
     まさかトレーナーになって球団関係者と交渉やらなんやらするハメになると思わなかったな……。
     このことを聞いた彼女は、困惑した様子であたふたとしていた。
     うーん、ちょっと極秘裏に進めすぎたかな、いきなり他の人と会えって言われても困るか。

  • 18二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:38:42

    「あの、その、うそ、えっと、ちゃんとした服とか、下着とか、全然準備してないし……!」

     そっちかーい、と心の中でツッコミを入れる。
     何でここに来てこちらの想像を上回ってくるんだ、この子。
     ……ここでスパっとさようなら、と思ってたんだけど、やっぱり止めておこう。
     今になって、もっともっと、彼女を知りたいと思ってしまったから。

    「じゃあ後日、思い出話、期待してるよ────いってらっしゃい」

     彼女はその言葉に耳を立てて、顔をほころばせたのだった。

    「────しっかしまあ、私も良い男の人を見つけたいもんだよ、まったく」

     彼女がいなくなった後、ファンからの贈り物の整理をしながら独りごちる。
     私も彼女とともにトゥインクルシリーズを歩んでいる間にすっかり結婚適齢期。
     ……両親からも孫の顔を見せてくれ、と顔を合わせるごとにチクチク言われるようになってきた。
     女性トレーナーというのは案外出会いがないものなので、仕方ないとは思うのだけど。
     軽く背伸びを一つ。
     まあ、言い訳ばかりするもの、良くはないだろう。

    「よし! あの子に置いて行かれないように、私も頑張りますかー!」

     私は一人、決意を口にするのであった。
     ちなみに彼女はこの三カ月後に結婚して、その一年後には子供を産み、光の速さで私を周回遅れにした。
     彼の名誉のために言っておくと、彼女から猛アタックが主な原因だと言っておく。
     …………人生のゴールインだけは三冠ウマ娘にも負けなさそうだな、あの子。

  • 19二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:38:59

    「────とまあ、こんな感じかな、参考になった?」

     私がそう言うと、青年は大きく頭を何度も下げて、屋上から立ち去って行った。
     いやはや、不思議なこともあるものである。
     若手トレーナーから突然声をかけられたかと思ったら、二十年近く前に担当した子のことを聞かれるとは。
     チームのトレーニングはサブに任せる日だったし、あの子を知ってるのが嬉しかったからつい話しちゃったけど。
     ……しかし、あのトレーナーどっかで見た覚えあるんだよなあ。

    「しかしまあ、あれから私もすっかりベテラントレーナーかあ……結婚は出来なかったケド」

     あの子が卒業してからもずっとトレーナーを気づけ、いくつかのG1を勝ち、チームを持つようになって。
     ウマ娘どころか後進のトレーナーを育てる立場にもなった、あの頃では考えられないことだ。
     ふと、グラウンドを見下ろす。
     そこに、どこかあの子を彷彿とさせる青毛の長髪を持ったウマ娘がいた。

    「……思い出した! あのトレーナー、ヴィルシーナのトレーナーか!」

     思わず手を叩いてしまう。そして当時の悔しい思い出が蘇ってしまう。
     ヴィルシーナは、あの子の娘である。
     今でもあの子とは時折連絡を取っているが、娘の入学が決まった時は、いち早く連絡をくれた。
     入学したらよろしくお願いしますね! なんて言いながら。

     なお、肝心の娘の方に私のことは何も言ってなかったらしく、交流を持つ前に他のトレーナーと契約した。
     
     ……まあそれに関しては仕方ない、そういうこともあるだろう。
     結果として何人かの子と良い出会いがあって、チームにスカウトしたわけなのだけど。
     気づけばグラウンドでは、ヴィルシーナを囲むように二人のウマ娘がいた。
     帽子をかぶったショートの栗毛の子と、青毛のツインテールの子。
     それを見て、私は大きなため息をついた。

  • 20二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:39:17

    「妹もいるなら言えよなー……」

     彼女達はシュヴァルグランとヴィブロス、ヴィルシーナの妹であり、すなわちあの子の娘だ。
     まあ、何があったかというと、妹の方が入学した時点でチームが満員だったため、スカウトする権利すらなかったのである。
     いや当然今のチームメンバーだって素養ある子だし、あの子の娘も全員上手くいってるんだから良いんだけども。

    「…………元担当の娘のトレーナーになるって、正直憧れてたんだけどなあ」

     とはいえ、所詮トレーナー側の独り善がりな願望だ、これ以上は何も言うまい。
     さっき話をした彼に、一旦思考を戻す。
     ファンと結婚した話をしても大して驚いてなかった辺り、ヴィルシーナからある程度は聞いているのだろう。
     それで興味を持って、私に話を聞きに来たんだろうけれど。

    「その割には、あの子の恋愛脳ムーブの話にはびっくりしてたな」

     ……もしかして、アレか、娘には自分の行動に関しては秘匿して話してるヤツか。
     気づいた瞬間、私は思わず吹き出して、声を上げて笑ってしまう。

    「ぷっ、あはは! 相変わらず、意外な一面を見せてくるなあ、あの子!」

     なんだか懐かしい気分になりながら、もう一度グラウンドに視線を向ける。
     姉妹三人で併走しようとする彼女達には、艶やかな尻尾が揺らめいていた。
     ウマ娘がウマ娘を産んだ場合、その素養が引き継がれる可能性が高くなる、という眉唾ものの説がある。
     幸か不幸か、あの子の『尻尾』は、娘達に引き継がれることはなかった。
     私としては複雑だったけど、あの子は泣いて喜んでいたし、きっと良いことなんだろう。
     私には尻尾がないから、良く分からない。

  • 21二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:39:35

     ────今でも、たまに思ってしまう。

     あの子に尻尾があったのなら、どういう走りが出来たのだろう、と。
     それはもうどうにもならないこと、決して考えてはいけないこと。
     だけどどうしても気になって、あの子の娘を見ていれば、少しは理解できるかと期待してたんだけど。

    「……トリプルティアラ全2着にヴィクトリアマイル連覇、ジャパンカップ制覇に、秋華賞にドバイ」

     あの子の娘達の、あまりにも華々しい結果は、私の理解を易々と超えて行ってしまう。
     結局のところ彼女は、未だに様々な意外性で私を魅せて来て、無限のような可能性を見せて来る。
     そして、その本当の姿は、まるで見える気がしない、知り尽くしたといえる気がしない。

    「全く、何が『尻尾のないウマ娘』なんだか」

     苦笑を浮かべながら、空を見上げる。
     雲一つない空の青、私が好きな色、あの子の瞳の色。
     この場にはいない彼女と話すように、私は空に向かって、小さく言葉を紡いだ。

    「私にとっては今も────『尻尾を掴ませないウマ娘』だよ、キミはね」

  • 22二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:40:28
  • 23二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 01:53:01

    誰か自分にもハンカチくれ…
    スレ主が泣かせるんです

  • 24二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 02:04:51

    深夜に現れる尻尾のないウマ娘SSを書く人!
    この二人のSSは最高ですね!
    胸が一杯になりました

  • 25二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 03:46:56

    >>1でグラウンドを見下ろしてるのが例の尻尾の無いウマ娘かと思ったら女性トレーナーだったとは……やられました

  • 26123/12/01(金) 07:30:22

    >>23

    響くようなものが書けて良かったです

    >>24

    前回も含め読んでいただきありがとうございます

    >>25

    ちょいとしたギミックですね、一人称抑えての地の文書くのが大変でした

  • 27二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 08:22:36

    素晴らしい

  • 28二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 08:34:38

    よかったです

  • 29二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 09:16:44

    うーん、良いなぁ
    すらすら読めて個人的にかなり好みだわ

  • 30123/12/01(金) 19:04:31

    >>27

    そう言っていただけると幸いです

    >>28

    感想ありがとうございます

    >>29

    長めの話になったのでそう言っていただけると安心します

  • 31二次元好きの匿名さん23/12/01(金) 23:45:06

    何もいえない…尊さと美しさが出てて何もいえない

  • 32123/12/02(土) 00:11:13

    >>31

    ありがとうございます

    そう思っていただければ何よりです

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