- 1二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 02:55:37
「────トレーナーさんっ♪」
「わっ」
一月も終わり、冬本番といった寒さが残る、トレーナー室。
突然、後ろから手を回されて、背中に柔らかな感触が押し付けられた。
ふわりと香る桃のような甘い匂いと、春の陽気のように暖かな体温が伝わってくる。
相手が誰かはわかっていてもドキリとしてしまい、慌てて、後ろを振り向く。
栃栗毛のショートヘアー、名前を表すような月桂冠の髪飾り。
桃の花を感じさせる桜色の瞳は、じっとこちらを捉えていた。
彼女────担当ウマ娘のサクラローレルは、悪戯っぽい表情で俺を見上げている。
俺は動揺しながら、上擦った声を出してしまう。
「……とっ、とりあえず後ろから突然くっつかれると驚いて危ないから、ね、ね?」
いや、そこじゃないだろ、と口に出してから思う。
ただし、直接的な危険性の指摘はローレルに響いたらしく、彼女はハッとした表情をした。
「あっ、それはそうですね、ごめんなさい……ふふっ」
ローレルは俺から離れてから、思い出すように笑みを零した。
多分だけれど、俺の反応を思い出して、笑っているのだと思う。
俺は事の発端を思い出しながら、小さくため息をついた。 - 2二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 02:55:53
────中山金杯での勝利から、彼女は定期的に、俺を抱きしめるようになった。
あの時のレースは、今でも鮮明に覚えて、きっと一生忘れることはないだろう。
サクラローレルというウマ娘が、本当の意味で始まった瞬間、その最初の一歩。
脚の問題を解決した彼女の本当の走りは、桜の花を咲かせるかの如く、観客を沸かせたのである。
そのレースの後、彼女は俺の下に来て、『仕返し』をしようとした。
ダービーの時、俺が彼女にした仕打ちを考えれば、それは当然の行動。
何をされても仕方がないと思っていた俺は、目を閉じて、その報いを待った。
『……あの時はありがとうございました、前を向かせてくれて』
ぎゅっと、汗に濡れた柔らかな抱擁と共に、ローレルは礼を告げた。
遅咲きの桜が花開くまでのことを思い返すような、幸せな笑顔を浮かべながら。
…………まあ、ここまでは何も言うことはないのだけれど。
それ以降、彼女は事ある毎に、俺を抱きしめるようになった。
『あの時の幸せな心地が、忘れられなくて、また感じたくなっちゃって』
何故、抱き着くのかを聞いた時、ローレルは照れたように笑いながら答えた。
そしてちらりと、俺の事を揶揄うように見つめて、付け足す。
『……それとトレーナーさんの反応が可愛くって、つい、えへへ』
……どうやら慌てふためく俺のリアクションも原因の一つのようである。 - 3二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 02:56:09
思い出して、少しだけ頬を熱くさせながら、目の前にいるローレルを見やる。
「……ぷっ、ふふ……! ね、ね? って……ふふっ……!」
ローレルは肩を震わせて、笑い続けていた。
……どうやら、先ほどの俺の言動が、大層お気に召したようである。
まあ、彼女が笑顔でいてくれるなら、それに越したことはないのだけれど。
とはいえ────この状況はあまり宜しくない。
彼女が楽しそうだから注意をしてこなかったが、トレーナーと担当がハグをするなど、本来はあり得ないこと。
事実、中山金杯の後に俺達はたづなさんから呼び出しを食らって、こってりと絞られていた。
しかし彼女はそれにめげることもなく、抱き着くことを止めることはなかった。
流石は不屈のウマ娘、サクラローレルである────ハグなんかにその精神性を発揮しないで欲しい。
兎にも角にも、この状況が続くものなら、また何時たづなさんに呼び出されるかわかったものではない。
楽しんでいる彼女には悪いけれど、この先のためにも、しっかりと決断するべきだ。
ペットボトルの水を一口飲んで、口の中を湿らせて、俺は言葉を紡いだ。
「ローレル、やっぱり、これは良くないと思う」
「……これ、とはなんでしょうか?」
「えっと、その、あれだよ……そのさっきみたいな、ね?」
「……ふふっ、トレーナーさん、もしかして、ハグって言うのが恥ずかしいんですか?」
「…………ハグをするのは良くないと思う、人に見られたりしたら、大変だからさ」
「Ça va! ちゃんと人がいないところでやってますからっ!」
ローレルは自信たっぷりな表情で言った。
……前から思ったけど、この子も頭ヴィクトリーなところあるよなあ。
しかし、彼女の言っていることは間違いではなく、その辺りの分別はきっちりと付けていた。
抱き着くのは殆どトレーナー室の中、外でやる場合は周囲をちゃんと確認してから、短い時間で収める。
素晴らしい思慮深さである、もっとそれを前の段階で出してくれると、もっと嬉しいのだけど。 - 4二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 02:56:26
「それに、ほら、君だって、俺なんかにくっつくのは、嫌でしょ?」
あまりにスムーズに出鼻を挫かれた俺は、とりあえず常識的な内容で攻めることにする。
しかし、ローレルは不思議そうな表情を浮かべるだけであった。
「……私から抱き着いているのに、嫌もなにも」
「……ソウデスネ」
ごもっともである、何を言っているんだろうか、俺は。
決心をした割には早速言うことがなくなってしまい、腕を組んで脳漿を絞る。
そうしていると、ローレルの方から、小さく声をかけられた。
「それともトレーナーさんは、嫌でしたか?」
じっと、こちらを見つめながら、困ったような笑みを浮かべてローレルは問いかける。
耳は忙しなくくるくると動き回り、尻尾はだらんと力なく垂れて、瞳は不安そうに揺らいでいた。
ここで、そうだよ、と告げれば、きっと彼女はハグを諦めてくれるだろう。
先のことを考えれば、そうするべきなのかもしれない。
俺は一呼吸おいてから、彼女に向けて言った。
「そんなことはないよ、君みたいな子にくっつかれて、嬉しくないわけがない」
「…………ふふっ」
「……ローレル?」
「ごめんなさい、あまり綺麗な目で、真面目に言われたから、私も嬉しくて……ふふっ、えへへ」
ローレルは頬を少し染めながらも、柔らかな笑みを見せてくれた。
思い返せば、馬鹿正直に言い過ぎたと気づき、恥ずかしさを誤魔化すように、俺も苦笑する。
二人の小さな笑い声がトレーナー室に響き、どこか桜が訪れたかの如く、暖かい空気に包まれたのであった。 - 5二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 02:56:32
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- 6二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 02:56:55
────待ってほしい、話が何も進展していない。
今一度頭を冬の寒さで冷やして、考える。
お互い嫌ではない、人前ではやっていない、彼女のコンディション向上にも繋がるっぽい。
一瞬続けても問題ないのでは、という考えが浮かんでくるが、首を振って、その考えを払う。
「良いことを思いつきました♪」
その直後、言葉と共にパンと軽く手を叩く音が、鼓膜を揺らす。
顔を上げてみれば、ローレルが目を輝かせながら、両手を広げていた。
「トレーナーさんが私を抱きしめてみれば良いんじゃないですか?」
「なるほど……いや、なるほどじゃないな、どういうこと?」
「敵を知れば残り百メートル危うからず、トレーナーさんも私と同じ心境になれば、良さが分かると思います」
「……いや、良さがわかってもさ」
「さあ、どうぞ、遠慮なく」
ローレルは尻尾をパタパタと揺らしながら、ハグ待ちの体勢でじっと待っている。
その表情は妙に楽しそうで、挑戦的というか、ニヤニヤしているようにも見えた。
……これは、揶揄われているな。
俺にそんなことが出来るはずないと考え、わたわたする様子を見たいのだろう。
心の奥底で眠っていた反骨心が、唸り声を上げた。
思い通りになるものかという、子ども染みた見栄っ張り精神が、動揺する心を抑え込む。
深呼吸一つ。
期待していた反応が返ってこないことに首を傾げる彼女へ、俺は近づいた。 - 7二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 02:57:06
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- 8二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 02:57:10
「それなら、試してみようかな」
「………………えっ?」
少しだけ、間の抜けた声。
俺はそれを聞きながら、ぽかんとしているローレルの背中に手を回して、ぎゅっと抱き締めた。
緊張がバレてしまわないように手早く、大切な宝物を取り扱うように優しく、零してしまわないようにしっかりと。
腕の中で、彼女の身体がぴくんと震えた。
彼女の甘い匂いと、少しばかりの汗の匂い、そして髪から香るリンスの匂いが鼻先をくすぐる。
細いけれど、しっかりと芯を感じて、それでいてふんわりと柔らかい彼女の肢体。
こうしていると、それがとても愛おしく感じて、つい抱き締める腕の力を強くしてしまう。
やり過ぎたかも、という思考がふと頭に過ぎり、ちらりと彼女の様子を確認する。
まあ、ローレルのことだから平然としているのだろうけども。
「…………あぅ……あぅ……」
ローレルは顔を真っ赤にし、眉尻を垂らして、瞳を潤ませ、口をパクパクさせていた。
それは、とても意外な反応だった。
いつもはどこか余裕のある立ち振る舞いで接してくる彼女が、こんなにも動揺している。
まるであどけない少女のような、初々しい反応であった。
うずうずと、悪戯心がうずき始めて、俺はそっと垂れている彼女の耳に向けて囁いた。
「ちょっと気持ちがわかってきたよ────君の反応が、可愛いからさ」
「…………っ!」
耳と尻尾がピンと立ち上がって、ローレルは表情を隠すように俺の胸元に顔を埋めた。
彼女の顔は、湯たんぽか何かのようにとても熱くなっている。
ちょっと意地悪し過ぎたかなと思って、もう一度彼女の耳元で囁く。 - 9二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 02:57:28
「……そろそろやめておく?」
「……」
ローレルから言葉は返ってこなかった。
その代わりに、彼女の両手が俺の背中に回って、強く抱きしめて来る。
そして居心地が良さそうにゆらゆらと揺らぎ始める尻尾を見て、俺もまた腕の力を強めるのであった。 - 10二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 02:57:43
「…………私、トレーナーさんに30分も抱かれてたんですね」
「誤解されるようなことを言わないで……って30分!?」
ボーっと惚けた表情でローレルはぽつりととんでもないことを言う。
慌てて時計を見てみれば、彼女の言う通り、30分以上経過していた。
……体感5分くらいだったはずなんだけどなあ。
あの後、お互いの体温が徐々に高まって来て、汗すら出て来たので、自然と離れた。
若干の名残惜しさを、感じながらも。
「えへへ、抱き締められるって、あんな感じなんですね」
ふと、照れながらも嬉しそうに、ローレルは言った。
いつの間にか目的が逆転してしまったような気もするが、まあ良いだろう。
彼女はどこか夢心地のまま、ふわふわとした様子で、語り始める。
「硬くて、ごつごつしたトレーナーさんの身体の感触が、心地良くて」
「……うん」
「汗の混じったトレーナーさんの良い匂いが、とっても強く感じて」
「…………うん」
「体温から、心臓の鼓動まで、トレーナーさんの全てが、伝わってくるような……!」
「………………うん、ローレル、ちょっと勘弁して」
トーンの上がり始めたローレルの言動に、俺は手で顔を隠しながら、待ったをかけた。
そして、失敗したなあ、と思う。
彼女のことだ、こんな醜態を晒したら、むしろ嬉々として言葉を進めて来るだろう。
俺の予想通り、彼女は小さく笑い声をあげて、挑戦的な笑みを見せた。 - 11二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 02:57:56
「ふふっ、ダメですよー? さっきの仕返しを────」
突然、ぴたりとローレルの言葉が止まった。
何事かと思い、手を動かして、彼女の様子を確認する。
まるで凍り付いたように、悪戯っぽい笑顔で固まったまま、彼女は静止していた。
やがて彼女はすん、と笑みを消して、真面目な表情で口を開く。
「あの、トレーナーさん、もしかしてなんですけど」
「ああ、どうかした?」
「私が抱き締めていた時って、私の身体の感触とかって、わかっちゃいましたか?」
「……いや、まあ、そりゃね?」
「わっ、私の匂いとか、汗の匂いとか、そういうのも?」
「うん、中山金杯の時とかは特に……あっ、いや、走った後だし、うん」
「たっ、体温とか、髪の香りとか……そういうのも全部、知られちゃいましたか……?」
徐々に弱々しい声色になっていくローレルの言葉に、俺は沈黙する。
しかし、聡い彼女にとって、その沈黙は肯定でしかなかった。
多分だけれども、抱き締めた時の幸福感に気を取られ、身体が接触している事実は気にしていなかったのだろう。
今回の逆の立場に立ったことで、ようやく自分が何をしていたのかを、正しく理解したのである。
ぷるぷると彼女が身体が震えて、顔が沸騰しそうなほど熱くなって。
「しっ、しつれいしましたっ!」
ローレルは大きく頭を下げて、どたどたと慌ただしい様子で、トレーナー室を立ち去るのであった。 - 12二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 02:58:12
このことがトレーニングに悪影響を及ぼしたらどうしようと思ったが、それは杞憂だった。
次の日から、ローレルは何事もなかったように、変わらない様子で接してくれた。
ただし────彼女が抱き着くことは、なくなった。
たまにそういう気配を見せることはあるものの、すぐさま我に返り、踏みとどまる。
そして名残惜しそうに、離れていくのだった。
結果としては、俺が望んだとおりの展開、何も言うことない。
ただ、少しだけ困ったことがあって。
「…………はぁ」
離れていくローレルの姿を見ながら、俺は両手を見つめてため息をつく。
その手には、ローレルの身体の柔らかさ、しなやかさ、温かさが、しっかりと残ってしまっている。
目を閉じれば彼女の匂いが記憶の中枢から蘇り、彼女の息遣いや表情が、録画のように再生される。
言うなれば、散々抱き締められて、知ってしまったローレルのことが頭から離れなくなってしまったのだ。
あの感触を、あの香りを、あの温もりを、あの表情を。
心の奥底から、もう一度求める衝動が、ふとした時に湧き上がってしまう。
勿論、だからといって彼女を抱きしめることなんて出来るわけもない。
俺が出来ることは、ただ、悶々と衝動を持て余すことだけであった。
「どうしましたかトレーナーさん、ため息なんてついて」
ローレルが心配そうに覗き込んできた。
ふわりと漂う、彼女の微かな匂いに、心臓がどきりと高鳴ってしまう。
俺は平静を装いながら、無理矢理笑顔をこさえる。 - 13二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 02:58:25
「あっ、ああ、大丈夫、ちょっと疲れたのかもしれないな」
「へえ……そういえば、トレーナーさん、ご存知ですか?」
「……何だい?」
俺が聞き返す、ローレルはにやりと、どこか挑戦的な笑みを浮かべた。
その笑顔は、あの時、彼女が見せた笑顔と良く似ている。
ふと、俺はその時の言葉を思い出した。
『ふふっ、ダメですよー? さっきの仕返しを────』
そういえな、まだ『仕返し』を受けていなかったな、いやまさか。
脳裏に直感が煌めく。
しかし、この期に及んで気づいたところで何の意味もない。
ローレルはそっと俺に耳元に顔を寄せて、甘い声色で、誘い込むように囁いた。
「────ハグには、癒し効果があるそうですよ?」 - 14二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 03:08:44
よき…
予定調和で攻めてる強気のローレルも、不意打ちクリティカルヒットして急にあわあわしだすローレルもいいぞ… - 15二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 07:09:34
- 16二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 07:30:11
- 17123/12/11(月) 07:48:39
それですね! ありがとうございました!
- 18二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 08:06:00
赤面ローレル可愛すぎる…
感触を知って癖になっちゃうシチュ好き - 19二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 08:15:16
前より強くなってる!
- 20二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 08:41:59
攻めっ気の強い娘は攻められると弱い
弱い……が、そこから立ち直るたびに戦闘力が上がるので注意だ。なお約二名ほど該当しないネームドウマ娘の話題はしてはいけない - 21二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 09:45:53
そういえば良い匂いがする人とは
- 22二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 10:04:57
Nice SS……ローレル可愛いヤッター!
- 23二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 11:11:25
ローレルはこういうことする
いいSSをありがとう… - 24二次元好きの匿名さん23/12/11(月) 11:21:37
外なのにニヤニヤしてしまったじゃないか
- 25123/12/11(月) 19:35:27