【SS】【微ネタバレ】新しい思い出を君と

  • 1二次元好きの匿名さん23/12/12(火) 19:30:02

    「うーん……。これは、厳しいか……?」
     自宅のリビングの壁。そこに飾られた枯れない花束。
     担当ウマ娘であるサトノクラウンから、バレンタインの際にサプライズなお返しとしてもらったドライフラワーを眺めて俺は唸った。

     一生大切にするよとクラウンに伝えたそれはこまめに埃を払うなどの掃除をしていたのだが、ドライフラワーというものはそれほど長く保つものではないらしい。
     一般的には1年ほど。2~3年保てば良い方なのだと。
     すでに5年目に入ったそれは色素が抜けきり、ホコリを払うたびにポロリと崩れてしまうほど脆くなっていた。

  • 2二次元好きの匿名さん23/12/12(火) 19:30:26

     俺はガランとしたリビングと、玄関近くに積まれたいくつかのダンボールを見やる。
     今日は休日。時刻は朝の8時。手短に外で朝食も済ませた。あと1時間もすれば引越し業者がやってくるだろう。
     そして、ここ、トレセン学園のトレーナー独身寮を離れて。クラウンの用意してくれたマンションに移る予定になっている。

     今がこの家で過ごす最後の時間だと思うと感慨深い。
     トレーナーになってすぐ、エリートウマ娘に一目惚れをし。パソコンと天井を交互に睨みながら深夜まで彼女のトレーニングメニューを考えたのが昨日のように思い出せる。
     ……実際、今も変わらないことをしているせいかもしれないが。

     もちろんこの景色を新居に持っていくことなどできない。
     もしかするとクラウンに頼めば、そういった無茶も実現できるのかもしれない……でも、そんなことを頼む気もなかった。

     思い出になるものはこの見慣れた風景だけじゃない。
     10年近くのトレーナー生活で得られたトロフィーや記念品などなど。それらはすべて丁寧に梱包して、新居に向かう準備が整っている。

     ……ただ一つ、大切な思い出の品を除いて。

  • 3二次元好きの匿名さん23/12/12(火) 19:30:46

    「これ以上は無理か」
     飾り続けたドライフラワーは壁から取り外そうとすると、細かな断片となり掃除をした床を汚した。
     すでに掃除機は梱包済みだ。俺はその断片を手でかき集め、ティッシュにくるんでポケットに仕舞う。
     動かすだけでこれなのだ。無事な姿で新居に持っていくのは無理と言ってもいいだろう。
     俺は小さくため息をつく。

     数年前のバレンタインの夜、このドライフラワーを一生大切にするとクラウンに告げたのは、比喩ではなく本気だった。
     俺の言葉を聞いた彼女は頬を染めて驚いていたが……その時の彼女の気持ちを知ったのはそれから数年後のことで。
     それ以降、カバーを掛けるなどして前よりも大切に扱っていたつもりだった。
     それでも──。

  • 4二次元好きの匿名さん23/12/12(火) 19:31:11

    「なーに辛気臭い顔をしてるのかしら? 今日はあなたの新しい門出の日なのよ? 私の門出の日でもあるけど」
     唐突に背中に掛けられた声に俺は驚いて振り向く。
    「クラウン? いつからここに?」
    「さっき来たところよ。鍵は持ってるもの。勝手に入っても良かったでしょ?」
     そう言って彼女、サトノクラウンは何も持っていない手をくるりと回して、その手の平にこの家の鍵を出現させて見せる。
     何らかのマジックなのだろう。その仕掛けは自分にはわからなかった。

    「鍵、返すわね。あなたの持ってる鍵と一緒に学園に返さないといけないんでしょう?」
    「ああ、そうだね」
     俺は彼女の差し出した鍵を受け取る。

     この合鍵を渡したのはいつだっただろうか。
     これも大切な思い出の品だ。だが、もちろんこれも持ってはいけない。
     名残惜しさを感じながらも自分のポケットから鍵を取り出し、クラウンの温もりの残る鍵を一緒にまとめる。

  • 5二次元好きの匿名さん23/12/12(火) 19:31:27

    「ずいぶん色褪せちゃったわねー。こんなに大切にしてくれるのなら、樹脂コーティングでもしておけばよかったかしら」
     そう言って彼女はドライフラワーに手を伸ばす。俺が触れたときと同じように、それは花弁を、葉を、粉になって散らせた。

     クラウンの手でなら、崩れない。そんな光景を夢想したが……マジックは起きない。
     それを用意してくれた者の手の中ですら、たやすく崩れていく。
     思い出が崩れていくのを見るのは、忍びないものがあった。

    「申し訳なくなんて思う必要はないわよ? 本当に、ずっと大切にしてくれてたんだから。むしろ感謝したいくらいね!」
     クラウンは「你尽力了」と囁き、ドライフラワーを壁から取り外し。
     そして脆くなったそれを振り回し、天井に投げた。

     色褪せた花は最後にきれいな花吹雪となって部屋に舞い。僅かな茎を残して消え去った。

  • 6二次元好きの匿名さん23/12/12(火) 19:31:48

     ……随分と部屋が汚れてしまった。もう一度掃除機を取り出す必要がありそうだ。
     でもこういう華やかで、マジックのような締め方は実に彼女らしくていい。
     クラウンの笑みにつられて、俺も笑った。

    「……今度、また花を贈るよ」
     黒いウマ耳についた、思い出の欠片をつまむ。

    「本当? 嬉しいわ! ……ところでこれからあなたが一生大切にするものは、何かわかってるわよね?」
    「もちろん」
     今からまた新しい、大切な思い出ができていくのだろう。
     今度は今までよりも、もっと近くで。

    「お返しは何にしようかしら……あ、まだ聞いちゃダメよ? 期待しててね!」
     そして彼女は実に楽しげに、おそらく先んじて準備していたのだろう掃除用具をマジックのように取り出して。
     未来への夢を湛えた、緑の瞳を輝かせた。

  • 7二次元好きの匿名さん23/12/12(火) 19:32:09

    おしまい

    クラちゃんの育成シナリオに脳を少し焼かれたので書きました。

    你尽力了は「よくがんばりました」という意味です。

  • 8二次元好きの匿名さん23/12/12(火) 19:35:17

    良作をありがとう…
    2人の未来はこんな感じだろうなというのがそのまま出力されて最高だ
    今はそれしか言えない…

  • 9二次元好きの匿名さん23/12/12(火) 19:38:04

    もうトレーナーと呼ばないところに嬉しさと寂しさを感じるね

  • 10二次元好きの匿名さん23/12/12(火) 19:59:13

    あー読んでてにやけちゃう

    ご結婚おめでとうございます!!!

  • 11二次元好きの匿名さん23/12/12(火) 20:14:01

    良き

  • 12二次元好きの匿名さん23/12/12(火) 22:29:37

    クラウンとクラトレの距離感いいよね…
    良いSSでした

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