【SS】オカルト探偵カフェ!

  • 1◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:00:54

    キャラストのグッドエンディングで後輩の相談に乗るようになった結果、オカルト絡みの事件に巻き込まれるようになったカフェのお話です。

  • 21/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:01:19

     街灯の少ない、黒くて冷たい川辺の夜。
     月明かりが作り出した影が、土手の傾斜に引き伸ばされながらついてきている。

     鹿毛のウマ娘ジャングルポケットは懐中電灯の高輝度LEDで眼前の闇を押しのけて、ひとりこの夜の中を歩いていた。
     少し前まで生活の気配があったのだが、今はひゅうひゅう、ざわざわと風が山々を揺らし駆ける音の他には、時折すれ違う街灯に備え付けられた誘蛾灯のブーンという不快な低音くらいしか聞こえない。

     はたと足を止め、ポケットに忍ばせていたメモ書きを風に持ち去られないよう注意しながら手のひらに広げた。
     こんな時間に出歩いているのも昼間に起きたいざこざと、このメモのためだ。

  • 32/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:01:33

     地方遠征に来ていたポッケは、先入りしていた後輩が地元の不良ウマ娘に絡まれている場面に出くわした。この喧嘩を横から買い上げたことで、ご当地で噂の「裏社会レース」とやらに招待されることとなったのである。
     近郊にある廃棄されたレース場で行われているらしいこのレースは、参加に七面倒な手順を踏む必要がある。曰く、それはレース場支配人との合言葉のようなもので

    ① 1人で地下馬道に入る
    ② 地下馬道内で前と後ろ交互に4歩、2歩、6歩、2歩、10歩と歩く(このとき他の誰かが通ると失敗する)
    ③ 5歩後ろに下がると後ろからウマ娘がやってくる(このウマ娘には話しかけてはいけない)
    ④ 「後ろに1歩」と声に出しながら前に歩いて地下馬道を抜ける

     以上である。
     このメモは喧嘩の売り手が「どうせ覚えられないだろうから」とニヤニヤしながら渡してきたもので、反射的に握り潰したためにこうして伸して確認しているのだが、正直この内容を1度で覚えられる奴が居るとは思えない。どうせ相手も暗記してなかったからメモなんだろう。

     そういったわけでポッケはスポーツバッグに懐中電灯とタオルを放り込んで夜を待つと、こっそりと宿泊先を抜け出し薄手のジャージ姿(学校指定のものとは別だ)で徐々に人の気配のなくなる土手道を歩いているのである。

  • 43/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:02:32

     やがて月明かりの中にそれらしき建物のシルエットが見えてきた。
     蔦に覆われた目隠しの塀に、鉄骨だけの頼りないパトロールタワー、屋根のないスタンド席。それらが周囲の木々に半ば埋もれながら静かに佇んでいる。

     脇道を封鎖する「私有地につき立ち入り禁止」の看板を横目に進むと、半ば草原と化した砂利敷きの駐車場の先に入場口を見つけた。
     聞いた話ではこの入り口ではなく、少し進んだ先にある選手用の入り口 ―― 地方レース場の常として観客席とはフェンス一枚で隔てられたのみの場所だ ―― が地下バ道へ繋がっているらしい。

  • 54/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:02:48

     ポッケは込み上げてきたものを唾と一緒にゴクリと飲み下した。
     廃屋の、深夜の、地下。だ。
     思わず足を止めてしまうのはポッケが特別臆病な性格だからではないだろう。

     ふと、あの青鹿毛のクラスメイトなら別だろうかと考えた。
     マンハッタンカフェは同期の中でも際立った成績を残したウマ娘の1人で、トゥインクル・シリーズでの戦いを終えた今は学園のどこかで後輩たちのお悩み相談室を開いているという噂だ。

     彼女のことが浮かんだのはポッケが悩みを抱えているからではなく、彼女が「そういう分野」にめっぽう強いウマ娘だからだ。
     すなわち、心霊・オカルトの類いである。

     彼女ならこんな足のすくむような状況も、あの異様に静かな足どりですいすいと進んでいく気がする。

     懐中電灯の光の先には、枯れ葉が吹き溜まっていた。

  • 65/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:03:05

     ぱしぱしと頬を張って地下バ道へ踏み入る。月明かりが届かなくなっただけで随分暗く感じた。
     「えーっと?まずは前に4歩……っと」
     メモの手順をこなしていく。
     合言葉なら観察している誰かが居るはずなのだが、人の気配は感じられなかった。

     偽の情報を掴まされたのではないかと不安になり始めた手順の3番目。5歩後ろに下がったところで確かにウマ娘が1人、背後から現れた。
     赤いワンピースを着ていて、顔は長い髪で隠れている。
     一言厭味でもくれてやりたいところだったが、このひとに話しかけてはいけないのもルールだ。

     「……後ろに1歩」
     言葉と違う行動をするのはなぜだかすごく抵抗感があった。
     赤いワンピースのウマ娘はついては来ず、地下バ道の暗闇からポッケの背中に視線を突き刺していた。

  • 76/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:03:18

     地下バ道を抜けると、いつの間にか雲が空を覆い尽くしたようで月明かりは無かった。
     しかし不思議と真っ暗闇ではなく、うっすらとその光景を見ることができた。

     無人のレース場。

     地方レース場とはいえ、妙な窮屈さを感じる。
     馬場はダートだが長年手入れされていないせいで砂というより土のようになっていて、コースの端では雑草も生えている。観客席はプラスチック製の座席が劣化して崩れ、不気味な静寂を漂わせていた。
     見上げると靄がかかっているのか妙に低いところで空が揺らいでいて、水底の光景を思わせる。

     懐中電灯を向けると、窮屈さの正体が照らし出された。コース中央の馬場内に背の高い木々が密集した藪が生い茂っているのだ。
     東京競馬場でも馬場内に木が植わっているが、ここのは視線を完全に遮断できるほど濃い。これでは観客がバックストレッチでの争いを見ることはできないだろう。
     もとより廃コースである。営業中はここまでのことはなかったのかもしれない。

  • 87/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:03:37

     このときポッケが心配したのはそんな観客の不便ではなく、罠や小細工の類いだった。
     伏兵が居ないかと耳をそばだてるが、どうにも水底のような重たい空気に邪魔をされて判然としない。

     「走りましょう」

     突然声がして、背中に氷を押し付けられたような冷たさが走った。
     ウマ娘が1人、立っている。先程地下バ道で見たウマ娘でも、昼間揉めた相手でもない。

     「……ま、こっちも代理みたいなもんだしな」

     ポッケは色々な考えを振り払って捨てた。
     相手の言う通り、走れば良い。走りに来たのだし、考えても仕方のないことばかりだ。
     スポーツバッグをラチの内側に落とす。

     「いいぜ。やろう」


     この夜、地下バ道をくぐり抜けたときの手順が「裏社会レース」ではなく「裏世界レース」への参加方法だったとポッケが知ったのは、少し後になってからのことだった。

  • 98/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:03:53

     マンハッタンカフェは思わず込み上げてきたため息をなんとか飲み込んで、対面のソファに座る男に目を遣った。

     事情を知らないひとがこの部屋の光景を見たら、相談を持ちかけているのはカフェのほうだと思うに違いない。
     この野樫(やがし)という名前の老齢のトレーナーは、幾人ものウマ娘を育て上げ、新人トレーナーの先達となってきたベテランで、相応の風格と名声を備えた人物だ。
     そんなひとが私に何の用があって来たのだろうかと、少し憂鬱になりながらコーヒーを注いだのが5分ほど前。

     これまでの野樫は切り口を探すように居心地の悪い世間話をしていたが、ようやく意を決したようでコーヒーを一気に飲み干すとこんな話を始めた。

  • 109/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:04:08

     先週のことだ。
     ある栗東寮所属のウマ娘の部屋から遺書が見つかった。

     怪我の治療をしながら学業に専念していた重賞ウマ娘だった。
     遺書が見つかった時点で、彼女の姿が見えなくなって一晩が過ぎていた。

     遺書を発見したのは彼女の担当トレーナー。野樫からすれば後輩に当たる男で、連絡がつかなくなったことから、無理を言って彼女の部屋へと押しかけたらしい。

     「これからの人生に希望が見いだせなくなりました。探さないでください。トレーナーは落ち込まず、次の担当ウマ娘を見つけてください」

     遺書にはそんな言葉が綴られていた。


     「……初めての担当ウマ娘だった。あいつにとってはな。同時に初めての重賞ウマ娘でもある」

     キャリアの最初に華々しい勝利をもたらしてくれたウマ娘。
     しかし、彼女は引退を考えていた。不慮の事故により肉体と精神の両方に深刻なダメージを受けてしまったのだ。

     そうして、彼女は消えた。文字通り消えてしまったのである。

  • 1110/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:04:24

     遺書を発見した時、トレーナーはその場に膝をつき、しばらく立ち上がれなかった。
     それから1週間が経った今も塞ぎ込んでおり、見かねた先輩トレーナーである野樫が相談を持ちかけてきた。というのが今回のいきさつだ。

     「聞き及んでいます……噂程度ですが」

     噂話というのは勝手なもので「トレーナーと駆け落ちした」とか、「将来を約束した故郷の幼馴染のところに転がり込んだ」とか、「幽霊にさらわれた」とか、そういった誰かの憶測が大層な尾鰭をつけたものだった。

     そんな噂話も、失踪届が出されて警察が捜索を開始したという現実に冷水を被せられたようで、今ではすっかり失速してしまっている。
     無関係なひとびとの好奇心なんてその程度ということか。

     「それで、なぜ私に……?」
     既に警察沙汰になっている事件に学生が首を突っ込むなんてのは、物語の中の話。非常識な振る舞いだ。野樫のような立場ある人物がそれを勧めてくるのは奇妙な話である。

     対して野樫は痛い所を突かれたように少し言葉を詰まらせた。
     「……実はまだ公にされていないんだが、隣町のウマ急百貨店......わかるかな?で、彼女のものと見られる血の着いたリボンが見つかったそうなんだ」

     なおさら警察に任せるべきでは?と言葉が出かかったが、次の話がそれを止めさせた。

     「数日前から、彼女が夢に出る……そうなんだ。夢の中の彼女はボロボロの身なりだけど口元は微笑んでいて……という話だ。マンハッタンカフェ君はこういった悩みの解決実績もあると聞く……気休めでもいいんだ。何かわかることはあるかい?」

     コーヒーを一口含む。その苦味と一緒に諸々の感情を嚥下すると、ほうとため息が漏れた。
     「……わかりました。いくつか質問よろしいでしょうか?」

  • 1211/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:04:43

     「この事件、まだ何かお聞きしてないところがあるんじゃないでしょうか……少々不可解な点があります……」

     一拍間を置いて言葉を整理する。

     「……最初に疑問に思ったのは遺書の発見時のお話……どうして彼が第一発見者になり得たのだろう?という点です。もちろん、トレーナーと担当ウマ娘という間柄ですから、頻繁に連絡を取り合いますし、行方が分からなくなっていることにもいち早く気付くでしょう……ですが、普通なら遺書はルームメイトが見つけるのが自然ではありませんか?」

     トレセン学園の学生寮は原則2人1部屋。失踪から発見まで少なくとも一晩の間、遺書はそこにあったのに手を付けられていなかったということになる。これは少々おかしなことだ。

     「そうして考えたんです……もしかしたら、遺書は前もって彼女が自分宛に郵送していたのではないか、と……いくら親しくても、不在のルームメイト宛の郵便物を勝手に開けたりはしないでしょうから」

     単に隠していたとも考えられる。だが、その場合、彼女のトレーナーが見つけたという話が少し不自然になる。
     いくら行方不明とはいえたった一晩くらいでは、他のウマ娘と共用している相部屋をひっくり返してまで探し回ることは寮長のフジさんが許可しないだろう。部屋の捜索は表面に出ているものに対してだけ行われたはずだ。

     「確かに、発見された遺書は一度郵便局を通過していた」

     「そうなると、今度は別の疑問が浮かんできます……早すぎるんです。いくら判る場所に置かれていたとはいえ、郵便物の内容を検めるというのは本来……もっと切羽詰まってからになるのではないでしょうか?」

     まさか表書きに「遺書」と書かれていた訳では無いだろう。

  • 1312/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:04:57

     「……こうは考えられないでしょうか……彼は、遺書が不在の彼女のもとに届くことを知っていたんです」
     「と、いうと?」
     「彼自身が偽装して書いたから……ということも考えられますが」
     「いや、ご家族が確認したが筆跡は彼女のものだった」

     これは予想通りの答えだ。
     ある程度筋は通る。それでも仮定を言葉にするのは躊躇うところがある。少なくとも、この人にとってはそれが真実になってしまう可能性があるからだ。

     だから、カフェは一言
     「これは事実とは異なるかもしれませんが」
     と前置きして、野樫が続きを促すのを待った。

  • 1413/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:05:11

     「でしたら……私の考えはこうです。まず、彼は自分の担当ウマ娘に特別な感情を抱いていました」

     噂話を真に受けた訳では無いが、そういった話はよく聞く。
     同じ夢を目指して全てを賭けるのである。それは一心同体だとか、二人三脚だとか、しばしばそういった言葉に喩えられるもので、ましてや初めての担当となれば若くて歳も近い男女である。全てを同じ場所に賭けた結果、そのまま人生をともにする、なんてのは今回のケースのように一定の成功を収めたペアにはよく聞く話だった。

     「彼女は心身ともに再起不能だった……彼は、そんな彼女と共に逃げるつもりだったのではないでしょうか……ええ、駆け落ちというものです」
     その逃避行の目的地はわからない。誰も知らない場所か、あるいは遺書の意味する世界だったのか。
     「……少なくとも、表向きには死んだことにするつもりか、そう思ってもらうつもりだったのでしょう。おそらくですが、ご自身で回収しただけで彼も遺書を残していたのではないでしょうか」

     野樫がふむと頷く。

     「遺書と、それが郵送されることは2人で打ち合わせして決めていた……ところが、決行の日……彼女は現れなかった。打ちひしがれた彼はしかし、彼女の遺書を調べてみることにします……トレーナーさんがすぐに遺書を発見できたのは、最初から彼女宛ての郵便物の内容が遺書だと知っていたからなんです」

     『これからの人生に希望が見いだせなくなりました。探さないでください。トレーナーは落ち込まず、次の担当ウマ娘を見つけてください』

     「……もし、駆け落ちを計画していたのでしたら……その言葉の意味は、周囲の受ける印象とは少し異なります。今現在塞ぎ込んでいる理由も」

     そして、彼の見る夢も

  • 15二次元好きの匿名さん23/12/15(金) 20:05:15

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  • 1614/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:05:26

     「彼女は何故……自分のトレーナーを見捨てたのだと思う?今になって夢に出るのはなぜだろうか?」

     「……最初から駆け落ちするつもりはなくて、騒ぎを自分一人で済ませたかった……ということも考えられます……ですが、それならば何故、ただの書き置きではなく“遺書”なのでしょう?」

     トレーナーに新しい担当を見つけ、トレーナー業を続けてほしいと願うなら“最初の担当を死なせた”よりも“担当が独りで失踪した”のほうが幾分マシのはずだ。
     だが、そうはしなかった

     「……遺書であることには意味があるんです」
     「意味?」
     「それは、トレーナーが書いたのもまた、“遺書”だったから、ではないでしょうか」
     「どういう事だ?」

     「遺書が書かれた時点……配達されるまでには数日かかりますから、そのぶんの時間……駆け落ちは成立する可能性……心のゆらぎがあったんです」
     人の心とは単純なものではない。
     事前に打ち合わせがあって、準備をしていたとしても、遺書をしたためていたとしても、必ずしもそれは決心を固めていたということではない。

     「……なるほど、遺書として書かないまま……書き置きとして残して、本当に駆け落ちしてしまったのなら、トレーナーの側からだけ遺書が出ることになってしまう。そうなれば、事件の見方は……トレーナーが担当ウマ娘を巻き込んだ無理心中になるだろう」

     「ですから“遺書”でなくてはならなかった……駆け落ちが成立してしまえば文面は相手側に伝わらないわけですから、駆け落ちの相手に励ましの言葉を添えていることは不自然ではありません」

  • 1715/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:05:42

     「……しかし、だとすると」
     「ええ、なぜ駆け落ちは成立しなかったのか、という話になります」

     「何か、事件に遭ったんだろうか?」
     「……そう仮定すると、今度は遺書の文面がおかしくなります。トレーナーへの励ましの言葉は、明らかに駆け落ちが成立しない可能性を考えてのものです。突発的な事故や事件で駆け落ちの場に現れなかったのであれば、この言葉が書かれることもなかったでしょう」

     野樫は押し黙った。
     眉間のシワを深くして、頭を回転させているようである。

     「……ここまでの仮定は2つ。ひとつは2人が駆け落ちの約束をし、遺書を残すことを共有していたこと。もうひとつは彼女の方だけは駆け落ちが成立しない可能性を考えていたということ」

     仮説にしても、当事者にとっては酷な答えだ。
     カフェは自分を励まして飲み込みかけた言葉を吐き出した。

     「トレーナーさんには残念な話ですが……彼女は、他の方……本命の方と駆け落ちしたのでは無いでしょうか」

     それは、身分制度の時代……駆け落ちがもっと身近に存在した時代の話として度々語られるものだった。
     本命の相手とは別に、もう一人、「妥協案」として駆け落ちの約束をする。本命に振られたら仕方なくもう一人の者のところへ行く……そういった話の結末は多くの場合心中である。たいていの場合、多くの相手に愛されていることの確認や、独りで逝くのは嫌だ、などという身勝手な動機によるものだ。

  • 1816/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:06:39

     「本命の相手と逃げられるのならそれでよし、もし断られれば約束通りトレーナーの前に現れていたのでしょう……遺書の文面は、本命と心中できれば最期までトレーナーを思い遣った美談のように、妥協案が通ればトレーナー側から持ちかけられたように見えるでしょう」

     傍からは、自分独りで逝こうとしたところを、トレーナーが運命を共にすることを選んだかのように見せる。励ましの言葉が書かれたのにはそんな意味もあるのかもしれない。
     「どちらにしても、自身の最期をある程度綺麗に飾り付けることができます」

     身勝手に感じる一方、死を選んでなお、対面を取り繕わなければならないというのは可哀想な話のようにも思える。

     「……では、彼女は今どこに?」

     「彼女の遺留品……血痕のついたリボン……これだけは、ここまでの話に必要ありません。
     死を偽装するために残した、ということも考えられますが……事件性を疑われればかえって目立ってしまいます……しっかりとサブプランまで練ってあったとするのなら、いささか不自然です」

     では、リボンの正体は何なのか。

     「ですからリボンは……彼女が何らかの理由で血を流した証拠にほかなりません。土壇場で本命に心中を断られた彼女は、相手に殺​害されてしまった……あるいは心中のつもりが彼女だけが亡くなる結果となったのでしょう。その後、相手は事件を隠蔽するために遺体を持ち去りました。彼女が夢枕に立つようになったのは、後悔あるいは執着の残滓といったところでしょうか……」

     逆に彼女のほうが生き残り、相手の死体を抱えて逃亡中という状況も考えられなくもないが、そこは霊現象からの逆算という少しアンフェアな手段を採用する。

     「これが、今回の件に対する私の回答です」

  • 1917/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:06:55

     「しかし、2人で飛び降りて1人だけ助かるなんてことがあるだろうか?」
     「飛び降り……ですか?」
     「リボンが発見されたのはウマ急百貨店の裏手だろう?」
     「あそこは営業中ですから、夜間は警備会社が入っているはずです……夜中に学生が侵入して飛び降りるのは難しいと思いますが……靴でも見つかったんでしょうか?」
     「……ああ」

     では遺留品はリボンだけではないじゃないか。後出しはやめて欲しいものだ。

     「では、相手は飛び降りの直前に怖くなって実行できなかったのでしょう……それで彼女だけ飛び降りる形になった」
     「確かにそう考えれば筋が通るか……」

     野樫が少し悲しそうな瞳で遠くを見つめる。
     カフェはすっかり冷めてしまった残りのコーヒーを口に運んだ。

  • 2018/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:07:07

     「……今回の事件、もしリボンや……夢枕に立つ彼女の存在がなかったらどういった結論になると思う?」

     それはつまり、遺書以外の死にまつわる部分。噂話でも知られている世間で得られる情報のみの場合、ということだろう。
     そう思いつつも、何か脳の奥の暗がりで閃くものが見えた気がした。

     「……その場合は、単純に結末の部分だけ少し変わります……死の証拠も痕跡も無いのなら……彼女は生きていて、今頃本命の男性と逃げているのでしょう」

     「……ありがとう。やっと踏ん切りがついたよ」
     礼を言う野樫は肩を落とし、背中を丸め、小さく見えた。

     「……その反応を見て確信しました……この話はまだ終わりません」

     違和感は最初からあった。
     野樫は度々今回の事件のことを自分の身にあった事のように話す。

     閃きは確かな灯火に変わっていた。

     「……さて、今しがたの仮定のように、この事件には本当は血の付いたリボンなんてものは登場しません。夢についてもそうです……あなたの依頼は、全部ではありませんが……嘘が多い」

     別々の事件だと思っていた2つの事件。
     両方に出会えたのは、そういうめぐり合わせだったとしか言いようがない。

  • 2119/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:07:21

     「……今から36年前、今回と似たような事件が起きています……あなたが本当に解決して欲しかったのは36年前の、それも、あなたの身に起こった事件ですね?」

     野樫の瞳を覗き込む。驚愕の靄の向こうに、彼女の姿が映った気がした。

     「そして、あなたが伝えなかったこのギャップは、事件に別の真相を示唆します……あなたは、駆け落ちの予備なんかではありませんよ」


     その怪異に出会ったのは半月ほど前、深夜の廃レース場での事だった。

  • 2220/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:07:35

     ―― 2バ身差
     また少し詰められた。

     古びたゴール板前を通過しながらポッケは内心で舌打ちをした。
     2バ身というのはあくまで感覚的な着差だが、徐々に迫られてきているのは間違いない。野レースではもつれたらホーム側の勝ち。数字の印象より余裕はないと言って良い。

     足を緩めるより先に背後から
     「走りましょう」
     と体温の無い声が聞こえてきて、振り返る暇もなくまた1周勝負が始まる。

     これだ。この異常なまでのスタミナと負けを認めない姿勢。有無を言わさない声色。
     かれこれ1時間以上走り通している。徐々に差が詰まっているのもこちらのスタミナが先に尽きようとしているからに他ならなかった。

     そもそもスタミナや体力の概念が存在している相手なのだろうか?再戦を求める声には一切息の乱れを、生気を感じない。

     まるでじわじわ嬲られているみたいだ。

     軽く頭を振って湧き上がってきた怖気を奥の方へ押しやった。
     徐々に速度を上げて向正面へ。背後の気配で位置を探る。

  • 2321/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:07:55

     もう何度目かわからない第4コーナーに差し掛かった時、背後からびゅうと生暖かい風が吹いて足の腱が張り詰めた。

     まずい。攣りそうになっている。これが練習中ならすぐに脇に避けて処置するのだが、今は勝負の最中である。

     「こなくそっ!」

     バシンと腿を叩いて次の一歩を踏み込む。
     普通に考えれば無理をする場面ではない。何十戦と繰り返された今夜の勝負の、たった一度、負けたくらいで格は下がらない。故障する事の方が問題だ。
     理屈ではそう分かっていたものの、本能の部分がわんわんと警鐘を鳴らしている。

     この相手は普通じゃない。
     たった一度の敗北が、何か取り返しのつかないものになる。

     鉄の匂いが口内を満たすほどに歯を食いしばってゴール板の前を駆け抜けた。
     視界の端に相手の耳が入っていた。

     半バ身。いや、首差か。
     どちらにしろもう次は無い。

     「走りましょう」

     「……ちょっと休憩させろよ」

     今となってはずいぶん前、3度目の勝負の後だっただろうか。ポッケは同じ台詞を言った。そうすると相手は声色一つ変えずに
     「走りましょう」
     と、繰り返したのだった。壊れたテープのように。今と同じように。

  • 2422/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:08:10

     このとき、ポッケは初めて正面から相手の顔を見た。
     赤っぽい雲のひしめき合う月の無い不気味な空の下、光源もなしに何故見えたのかわからない。

     顔が半分しかなかった。

     右目はらんらんと輝きこちらを見据えているが、左目があるべき場所は落ち窪んで崩れ、赤黒い肉に土と髪の毛が貼り付いている。服装はいつのまにかトレセン学園の制服に代わり、リボンが無いかわりに血とも腐敗液ともつかない液体が黒く滴っていた。

     「走りましょう」

     足が動かない。

     「走りましょう」

     「走りましょう」

  • 2523/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:08:23

     「走りましょう」

     「良いですよ」

     不意に背後から声がして、ポッケは弾かれたように振り返った。
     ラチの内側、地下バ道の出口に2つの影が立っている。

     「カフェ?!」
     その姿には見覚えがあった。クラスメイトの青鹿毛のウマ娘、マンハッタンカフェである。
     2つに見えた影は瞬きの間に1つになっていた。

     「なんでここに?」
     「……説明は」
     カフェの視線を追うと、相手はすでに走り始めていた。
     「走りながらです……第1コーナーまで、頑張れますか?」

     ポッケは自分の足と先を走るウマ娘を交互に見た。眉間の皺を深くして頷くと、ゆっくりと走り始める。

     「奴さん、さっきまでより遅えみたいだ」
     「そういう怪異なんです」
     「……やっぱそうだよな」
     普段ならお化けだの幽霊だのは話が出た時点でやり取りを切り上げるのだが、すでに一晩付き合わされているためか、安堵に似た納得感があった。

  • 2624/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:08:38

     「ええ、ですが、負けてくれるわけではありませんから……」
     そうでないと今こうして無理に走っている意味がない。
     「悪ぃが、どっかで一回休まないと」
     「いえ……それでは根本的な解決になりません……私たちで誤魔化しますので、ポッケさんは合図をしたら地下バ道に」
     「たち……?」
     「それから、地下バ道を抜けたら向かって欲しい場所があります」
     「どこに?」

     「この怪異の核心です」

  • 2725/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:08:52

     第2コーナーに差し掛かるタイミングでカフェが左手で合図を出し、ポッケはそっと身を屈めてラチを内側に潜った。
     カフェの静かな足音はすぐに藪の向こう側へ回り込んで聞こえなくなる。

     藪。そうだ。このレース場には藪がある。
     最初に見たときには激しい違和感を覚えたのに、気づけば意識の外へ追い出されていた。

     「……怪異の核心はあの雑木林の内側に……そして、おそらくその姿は……」

     恐怖が湧き水のようにポッケの心を満たして冷やした。
     それでも攣った脚、乱れた歩調で懐中電灯の入ったスポーツバッグを引っ掴み、地下バ道の急坂を駆け下りる。

     儀式じみた手順(今にして思えば本当に儀式だったのかもしれない)を踏みながらここを通ってから、まだ2時間と経っていないはずだが、随分懐かしく思えた。

  • 2826/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:09:06

     地下バ道を抜けると、予想外の眩しさに迎えられた。
     車のヘッドライト。カフェがここまで深夜のドライブをしてきた相手、彼女の元専属トレーナー。
     現在は彼女も所属しない、全く別のチームを指導していると聞いたが、この時間に車を出してくれた所を見るとまだ悪くない関係が続いているようだ。
     運転席から手を振ってのんきに挨拶をしているのを無視して後部座席に転がり込むように乗り込み、バシバシと運転席のシートを叩いた。
     「カフェに代打を頼まれた!出してくれ!!来る途中にあった脇道の看板のとこまでだ!」

     靴を脱いで足の応急処置にあたる間に車が発進する。
     普段なら自分で走ったほうが早いくらいの距離だが、今は一息つけることが何よりありがたかった。

     ヘッドライトの明かりに「私有地につき立ち入り禁止」の文字が照らし出されるころには呼吸を整えて靴を履き直していた。

     「サンキューな!じゃ、行ってくる!」
     ボンネットを軽く叩いて駆け出す。鼓動はまだ少し早い。
     低い位置の光源が正面に長い影を落としていた。

  • 2927/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:09:21

     このレース場は少し特殊で、コースの内側に高い植え込み……というより藪がある。
     観客からは向こう正面が見えづらいだけでなく、夏場は虫が湧くので選手からもすこぶる不評だった。

     そこには昔、レース場の建設に反対し、土地を手放さなかった人物が住んでいた。しかし、周囲の土地を買い上げた経営者側はそのまま周囲にレース場を建設した。経済成長期とはいえ、ずいぶん無法な話である。

     そのときに国から許可を取り付けるため提示された条件が、防音と目隠しを兼ねた植え込みの設置と、車の通行が可能な私有地への道路を通すことだった。


     そんな事情を知らないポッケが懐中電灯を手に地下道を進んでいく。
     足元にうっすらと溜まった水が、ビチャビチャと派手な足音を響かせながら弾んでいる。

     不法投棄された冷蔵庫や扇風機を躱しながらポッケは走った。

     カフェの足なら競争自体は大丈夫だろうが、どういう理屈か、偽装がいつ見破られるかは分かったもんじゃないらしい。急ぐに越したことはない。

     緩やかな登り坂を抜けると、コンクリートの屋根が途切れて背の高い木々に囲まれた空間に出た。
     小さく切り取られた空には星が瞬いている。

     内馬場の中の、小さな土地。
     知らなければそうとは分からないだろう。

  • 3028/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:09:35

     視線の高さでライトを走らせると、片隅にはブルーシートのかけられた車が打ち捨てられている。奥の方には廃屋が一軒、屋根の重みに歪んだ姿で建っていた。
     雨どいは半ば脱落して垂れ下がり、白く掠れた窓ガラスは割れ落ちて内部の暗闇をのぞかせている。玄関のスライド扉はフレームの歪みに弾き出されたのか外れて外側に倒れていた。

     普段なら昼間でも絶対に近づきたくないが、今は四の五の言って居られない。

     意を決して土足のまま玄関をくぐり、室内を照らす。
     玄関から30cmほど高くなった畳敷きのワンルームだ。申し訳ばかりの台所と押し入れが壁沿いに寄せられている。奥の扉はトイレか風呂場だろう。

     玄関すぐの畳が浮いていた。床板が歪んで外れ、畳を持ち上げているのだ。

     「着きましたら……床下を探してください。そこにあるはずです、彼女の ―― 」

     カフェの言葉を思い出し、身震いしながら畳を退けて、床板を外す。
     釘がばかになってしまっているのか、力なく簡単に外れた。

     そして、床下。

     ポッケは気が遠のくのを必死にこらえた。
     予め聞いていなかったら耐えられなかったかもしれない。

     駆け足で廃屋を後にし、切り取られた空に向かって叫ぶ。

     「カフェ!!見つけたぞ!!!」
     それだけ言い切ると、足腰の力が抜けてその場にへたり込んだ。

     夜の風がざわざわと雑木林を揺らしていた。

  • 3129/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:09:53

     地下通路からカフェの耳が登ってきたのは数分後の事だった。いつもの異様に静かな足取りだったが、今夜出会った「しない」連中と比べたら遥かにマシだ。なんというか、生き物味がある。

     「……お疲れ様でした」
     「イヤ、助かったぜ。サンキューな……」

     座り込んでいたポッケが立ち上がろうとするので、カフェは手を伸ばして彼女を支えた。
     「とにかく、ケーサツだな……」
     「ええ」
     ちらりと廃屋のほうを見やる。

     「なあ、何がなんだかわからねえんだが……」
     「……あの怪異は本人の認識と、実際に起こった事の差異が位相の違いとなって現れたものです。ポッケさんが両方の彼女を認識した上で、その時あちら側に居た私に声を掛けたことでその差を正すことができました」
     「えーっと?」

     カフェがスマホを取り出した。古い新聞記事の画像ファイルが表示されている。

     「ポッケさんが助けた子から、あなたが裏世界レース場に行ったと聞きまして……道中の時間で調べてもらっていました……36年前、都内の工事現場で衝撃音と血痕だけが見つかった事件です」

     小さな記事ではあるが、見出しには「怪事件」と現代では考えられないような文字が踊っていた。

  • 3230/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:10:30

     「彼女が地下道を運ばれているとき、致命傷ではありましたがまだ息があったんです。朦朧とする意識の中、地下を通っていると認識したところで事切れてしまった……その後、事故現場で霊魂となった彼女は身体を探して地下バ道を通ってしまったんです」

     ポッケは先ほど通ってきた地下道の入り口を見た。道幅は広く、傾斜は緩やかで地下バ道とは雰囲気がまるで違うが、それも冷静な目で見ればこそであろう。

     「……地下道というのは、本来物理的に隔たりのある地上と地下を混然一体とさせる構造物です。身体と心が別の地下道を通ったというギャップは、物理的なもの以上に大きくなります」

     大げさに言い換えるなら、世界が異なるのだそうだ。

     「ましてや、ここを囲む雑木林は周囲の空間との協和を拒むためのもの。こういった目的意識は霊魂に対して強く強く働きかけます」

     カフェがブルーシートの端を小さくつまんで持ち上げる。廃車のボンネットは前方ではなく中央が深く窪んでいた。

     「単に殺​害・遺棄されたのなら、これは起こりません……彼女は、故意か事故か、転落したんです。建築中のビルからの身投げ……しかし不運なことに、彼女が落下したのは地面ではなく、走行中の車のボンネットだったんです」

  • 3331/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:10:48

     ポッケの脳内にその夜の光景が再現される。
     鉄骨だけが組まれて張り出した夜空に、揃えて脱がれた学校指定のローファー。その1歩前にはウマ娘が1人。
     すぅと短く吸った息を止め、暗闇の中へ墜ちて行く。ぐるりと回った世界の中を2つの光が近づいてきて……

     「運転手は……彼女が頭上から降ってきたという事実に思い至らず、轢いてしまったと勘違いしました。そして、事故を隠滅するため、病院ではなくここ……レース場内の私有地に向かいました……」

     廃車の隣で少し上方に視線を傾けていたカフェは語り終わると、こちらに向き直った。
     「これが、今夜起きた怪異にまつわるお話です」

     「よくそんなに詳しくわかるな?」
     率直な疑問だ。

     「ええ……彼女側の事情は先ほど本人から聞きましたので」

     ポッケは訊ねたことを少し後悔した。


     その様子を見て、カフェは「今、情報を整理して詳しく話したのも半分は彼女に聞いてもらうためです」とは付け加えないでおくことにした。

  • 3432/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:11:02

     「ウマ急百貨店のこけら落としは……ちょうど先週35周年記念セールをしていましたから、事件の翌年の35年前です……現代の完成済みのデパートと、36年前の建設現場とでは侵入の難しさは全く違います……ですが、36年前の事件を今回の事件の話かのように話すには、どうしても飛び降りの痕跡があった事は外せません」

     それがギャップの正体だ。
     同時に、今回の依頼は非常に似通った2つの事件をまぜこぜにしたものだと気づくきっかけだった。

     「あなたは今回の事件と、36年前の自分の身に起きた事件は本質的に同じものだと考えて私に相談したんですね?そうして、誰にも知られず過去の事件に答えを得ようとした……」

     野樫が静かに頷く。
     36年前の事件と先週の事件で同じだったのは野樫が最後に「仮に」で聞いた「失踪したウマ娘の部屋に担当トレーナーが入り、遺書が見つかった」ところまで。後輩トレーナーにはそちらの結論を教える気で居たのだろう。

     「……以前、私は後輩のウマ娘に助けを求められて……トレーナーさんに無理を言って車を出してもらいました。行き先はとある廃レース場です」

     偶然。しかし何かの因果だったに違いない。
     そうでなければ答えにたどり着けなかった。野樫にはこの先ずっと、誤った結論を胸に抱かせる事になっていた。

     「……明日もう一度、トレーナーさんに無理を聞いてもらうことにします。一緒に参りましょう」

  • 3533/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:11:16

     高速道路と旧道を通り2時間。
     カフェは事情を聞いて同行すると言い出したポッケと一緒に後部座席で揺られていた。

     助手席に座る野樫は道中ずっとタブレットに表示された新聞記事を繰り返し読んでいた。半月前の、身元不明の白骨遺体発見を知らせる記事だ。
     土地の所有者はすでに亡くなっていて詳しい経緯は不明だが、敷地内に放置されていた彼の車から衝突痕が見つかり、関連があるものと見て捜査している。と報じられていた。

     これはあくまで噂話だが、土地所有者の最期は不可解な怪死だったそうだ。

     おそらくこの事件は、被疑者死亡で終わるのだろう。
     カフェは大きすぎるポッケの話し声に時折耳を絞りながら、窓の外できらきらと輝く川面を眺めていた。

  • 3634/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:11:30

     昼間に見る廃レース場は寂しさこそあれど、以前のような不気味さは無かった。
     緑の匂いは爽やかだし、意外に民家も近い。
     もっとも、初めて訪れた者は真新しい規制線にぎょっとするかもしれない。

     「こちらです……」

     その規制線を潜って、地下道へ向かう。
     トレーナーさんには見張りとして車に残ってもらった。


     地下道を抜けると伸び放題だった雑草はすっかり刈り取られていて、廃屋は倒壊防止のためか工事現場の足場のようなものが組まれていた。
     事件が起きたのは36年前。いまさら現場保存はさほど重要ではないのだろう。

     高い藪からかすかに入り込む光が細く鋭い線を描いている。

  • 3735/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:11:43

     「ここが……」
     野樫がふらふらと廃屋に踏み込む。

     「ええ……彼女のご遺体のあった場所です」
     暗く冷たい地面のくぼみ。
     畳と床板は外して脇に立てかけられていた。

     野樫が膝をつく。
     「すまない……わたしは……」

     彼の正面に立つウマ娘の姿が見えているのは、この場でカフェだけだ。
     心配そうに、少し微笑んで野樫を見つめていた。

     今回のことは偶然で、スムーズに事を進めたいのなら順番も逆で、あの夜、彼女の心残りを晴らす約束はできなかった。怪異ではなくなったというだけだ。

     それでも成仏するには十分だった。
     彼女が留まり続けたのは、野樫のことが気がかりだったからだろう。夢枕に立つくらいに。

     ポッケが神妙な面持ちでカフェの肩を引いた。
     頷いて、小屋から少し離れる。

     背後から嗚咽が聞こえてきた。

  • 3836/36◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:12:04

     「……大変なんだな」
     「ええ、トレーナーさんたちのお仕事というのは、本当に……」

     今回の事件では既にたくさんのものが失われていて、今から取り戻すことはできない。
     それでも、真実を知りたいという願いや忘れられない想いがあって私達はここに辿り着いた。

     「ん……それだけじゃなくてな……カフェもだよ。スゲー頼もしくてその、なんだ?……大人だった。タメなのにな」
     少し間が空いてポッケは照れくさそうに頭を掻いた。
     「ありがとうな」

     「……どういたしまして」
     ポッケの言葉がピンとこなくて、少し間が空いてしまった。

     「まー、借りも作っちまったし、何か困ったことがあれば頼ってくれよ!」
     「では、タキオンさんの……」
     「さ!近くまで来たことだしあのとき俺をここに招待しやがったここの連中に挨拶でもして来るかな!」

     ポッケがくるりと踵を返し、地下道へと駆けていく。
     呆気に取られたカフェは野樫のほうを一度振り返ってから、少し遅れて後を追いかけていった。


    おしまい

  • 39◆ofEHj3t9Us23/12/15(金) 20:13:50
  • 40二次元好きの匿名さん23/12/15(金) 21:22:03

    新作!
    寝る前に読もう……

  • 41二次元好きの匿名さん23/12/15(金) 23:10:05

    あんただったのかい
    面白かったぜ

  • 42二次元好きの匿名さん23/12/16(土) 00:40:36

    なぜ寝る前に読もうと思ってしまったのか(ホラーのターンが怖かった)
    ポッケちゃん怖がりなのに頑張りましたね。なにやら切ないお話ありがとうございました!

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