【SS】書を捨てよ町に出よう

  • 1二次元好きの匿名さん23/12/16(土) 23:47:48

    「や、元気してる?」

     ノックもそこそこにドアを開けると、机に向かっていた部屋の主は、視線だけをこちらに向けた。
     濁った瞳はアタシの存在を認識するのに少し時間をかけたようで、数秒遅れてようやく表情の色を取り戻し始めた。

    「……あれ、今日は休みにするって言ったよな」
    「ここに来るなとは言ってなかったでしょう?軽く併走でもしようと思ったんだけど、今日に限ってエースもルドルフも捕まらなくてさ。退屈だから来ちゃった」
    「そうなのか。でも俺も今日はやることがあるからさ、大したお構いはできないぞ」
    「分かってるよ。ちょっとくつろぎに来ただけだから」
     
     アタシはそう言って、部屋の隅に吊るしたハンモックに寝そべった。トレーナー室という共有空間にあるアタシだけの特等席は、自分の家にある同じものとは少し違った安らぎを与えてくれる。
     とはいえ、ただゴロゴロしてるだけというのも退屈なわけで。飾り気のない部屋の中で、興味は自然とその主へと向かった。

    「何の仕事なの」
    「未申請の領収書の清算……って言っても分からないか。蹄鉄代とか電車賃とか、トレーナーとしての仕事で使ったお金を数えてる」
    「そうなんだ、楽しい?」
    「いや、まったく。誰かに頼めるなら頼みたいな。シービーのレースとも直接関係ないし」
    「そっか」

     普段のトレーナーならそういう不満はなかなか口には出さないけど、今は取り繕う余裕もないんだろうということぐらいは、見るからに元気のなさそーな顔で分かる。
     やりたくないならやらなくていいのに、なんて無責任なことは言えない。きっとこの仕事の大半はアタシのためのものだろうし。それに、アタシと違って、トレーナーはなんだか不自由というものを愛しているように見える。
     お互いが自分らしく、自由に振る舞える関係でいようと約束したのはアタシ。だから、彼の生き方に意見するなんてことはできないし、するつもりもない。でもそれは、決して無関心でいるということでもなくて。
     ハンモックから飛び降りて、紙の束が占拠する机を見下ろすと、ああ……見るのも億劫な字の群れが躍っている。アタシなら二、三枚も見ればギブアップだ。押し潰される前に逃げ出さないといけない。

  • 2二次元好きの匿名さん23/12/16(土) 23:48:22

    「トレーナー、ちょっといい?」
    「どうした」
    「アタシさ、これから少し散歩にでも行こうと思うんだけど、よかったらキミも一緒においでよ。気分転換にもなるだろうし」

     提案を聞いたトレーナーは、幽霊にでも会ったような顔でアタシを見上げた。

    「……どうしたの、変な顔して」
    「いや、シービーが散歩に誘ってくれるなんて珍しいなと思って。いつもなら何も言わず飛び出していくのに」
    「なんとなくね、今日はトレーナーも連れて行きたいなって。それで、来るの?来ないの?」
    「行く」

     手元の書類をバサッと乱暴に置いて、すぐさまトレーナーは出かける支度を始めた。





     数分後、アタシたちはトレセン学園近くの住宅街をぶらついていた。
     平日の午後だけあって閑散としている今日の街には、どうも心惹かれるようなものが見つからない。

    「今日はどこに行くんだ?」
    「それがさあ、特に思いつかなくて。あはは、連れ出しといて思いつかないっていうのもひどい話だね」

     さて、そんなこんなでトレーナーを連れ出したのはいいけど、特に当てがあるわけでもなかった。
     もう少し大きい通りにでも出れば何か見つかるだろうと思って足を進めると、後ろをついてきていたトレーナーがふとアタシの前に立った。
     
    「だったらさ、今日の散歩は俺の用事に付き合ってもらえないか」
    「キミの用事?」
    「ああ。買い物ついでに寄りたい所があって。シービーも多分気に入ると思うんだ」
    「へえ」

  • 3二次元好きの匿名さん23/12/16(土) 23:48:45

     思いがけない提案だった。いつも自分の用事に連れ回してるのはアタシだし、何度かトレーナーの行く先についていくことはあったけど、それは基本的にアタシの希望によるものだから。彼が自分の用事に付き合えと言うなんて初めてのことだ。

    「いいよ。このままぶらぶらするよりも、そっちの方がなんだか面白そうだ」

     アタシは迷わずOKした。そんな面白そうなこと、見過ごすわけにはいかない。
     それに、わざと自由を捨ててみるっていうのも、なんだか新鮮な感覚だったから。

    「ずいぶん狭い道だね」
    「ごめんな、もうすぐだから」

     それからしばらくアタシたちは歩いた。てっきり大通りに出るものだと思ってたけど、アタシの予想に反してトレーナーはどんどん奥まった路地に入っていく。子供の頃に、逃げていく野良猫の後をついていったときのことを思い出す。
     さらに五分くらい歩いて、ふとトレーナーの足が止まる。辺りを見回すと、いつの間にか開けた場所に出ていたことに気づいた。

    「すごいね、ここ。昔の商店街?」
    「多分、そうだな。別に廃墟マニアってわけじゃないんだが、ちょっと前にたまたま迷い込んで、そのとき気に入っちゃって」

     そこは不思議な場所だった。ずっと昔に人がいなくなった商店街みたいだけど、壁に貼ってあるチラシも、灯りのついていない看板も、まったく古ぼけていない。まるで時が止まってしまったように、綺麗なままで残っている。
     誰かが手入れをしているわけでもなさそうなのに、自然なままでこの姿を保っているなんて。奇妙だけど、なんだか素敵だ。

  • 4二次元好きの匿名さん23/12/16(土) 23:49:05

    「調べてみたら、バブルの頃に地上げ屋っていう――いわゆる土地を無理やり買っていく人らが、再開発のために元いた人たちを追い出して、この一帯を買い占めたらしいんだけど、取り壊しの工事の前にバブルが弾けてご破算になったと。それから新しい買い手もつかずに今に至るそうだ」
    「じゃあ、この商店街は今も元の住人の帰りを待ってるのかな」
    「かもしれないな」

    ”寿司屋 政”
    ”銭湯 桃ちゃん”

     時代を感じるのに新しい看板。でも、タイムスリップしてきたのは彼らじゃなく、アタシたちのような気がする。
     トレーナーはひどい、こんないい場所をアタシに黙っていたなんて。しかも気に入ることが分かっていたんだから。

    「しかもこの場所はすごいんだぞ、シービー。奥に行くとな、実は意外な所に繋がってるんだ」

     トレーナーが得意げにアタシを先導する。商店街の奥へと進んでいくと、また狭い路地に行き着いた。
     そこを抜けると、大通りの向こうに見えたのはなんとトレセン学園の校舎だった。入り組んだところをぐるぐる回っているうちに、いつの間にか学園に近づいていたみたいだ。

    「へえ、トレセン学園のすぐ傍だったんだ。だからトレーナーが迷い込んだわけか」
    「そういうこと。シービーが驚くと思って今日はわざと逆から入ってみた」

     結局、アタシを驚かせるタネはあの商店街だけだったみたいで、その後は普通の散歩が始まった。トレーナーの本来の用事のためにスポーツショップで新しいシューズを探してみたり、道端の弾き語りに足を止めてみたり。
     いつもとやってることは同じだけど、唯一違うのは決定権がトレーナーにあること。今日は一切口を出さないし、どこに行くにもアタシは最後までついていく。今、決めてみた。

    「次はどこに行くの?」
    「そうだな……」

  • 5二次元好きの匿名さん23/12/16(土) 23:49:37

     結局夕暮れまで街を歩いて少し疲れたアタシたちは、学園に戻る前に河川敷でジュースでも飲みながら休むことにした。

    「今日は誘ってくれてありがとうな、シービー。結構気が滅入ってたからさ、いい気分転換になった」
    「そっか。アタシも楽しかったな、新鮮な気分で」 

     そう、やっぱり悪くなかった。一人で出歩いたり、トレーナーを連れて行ったりして好きに過ごすのはもちろん楽しい。それがアタシにとっての自由だから。
     けど、今日は違う。さっきの商店街だって、スポーツショップや今いる河川敷も、今日のアタシが一人で散歩に出ていたら、きっと行こうと思わなかった。
     「ここに入るの?」「次はどこに行くの?」そんな、他人任せで思い通りにならない選択を、アタシは楽しんでいるんだって気づいた。

    「自分でも驚いてるんだ。いくら相手がキミとはいえ、誰かに合わせて過ごす日が来るなんて。アタシらしくないなって思う」
    「人は変わるものだよ。無理にならともかく、自然とシービー自身が変わっていったならそれは悪いことじゃない。何より、今日の俺はその変化に助けてもらったわけだしさ」

     トレーナーはそう言って、喉を鳴らすように笑った。初めて見る仕草のはずなのに、どうしてかアタシはその意味を知っている。

    「アタシも変わったけどさ、トレーナーもずいぶん変わったよね」
    「俺が?」
    「前のキミなら、いくら気が滅入ってたからって急に予定を変えたりしなかったでしょ。ここでこうして川を眺めたりなんかしないで、今頃はトレーナー室に戻ってるはずだよ」
    「まるでシービーみたいだな」
    「そう、今日のアタシたちはいつもと逆なんだ。それも、何か意図があったわけじゃなくて自然とそうなった」

     手元のはちみつドリンクがからりと鳴った。暑くもないのに汗ばんだカップの中身は、きっとずいぶんと薄くなってしまっている。 

  • 6二次元好きの匿名さん23/12/16(土) 23:49:59

    「キミはアタシに似てきたし、アタシはキミに似てきた。……融け合ってるのかもね、アタシたち」
    「融け合う?入れ替わる、じゃなくて?」
    「うん、まるっきり全てが逆になったわけじゃないでしょう?似てきたのはほんの一部だから。アタシたちの中でそれぞれ凍り付いていた部分が少しずつ融けていってさ、その融け出したものが混ざり合ったのがきっと今の時間なんだ。この中ではアタシがキミで、キミがアタシで……その境界はひどく曖昧になってる」
    「面白いことを言うな、シービーは。作家みたいだ」
    「キミだってたまに詩人になるでしょう?アタシもそんな気分だっただけ」

     そう、たまたまそんな気分だった。でも少し変だ。
     彼の瞳に映るアタシの顔は、こんなにも熱っぽかったかな。まるで夢を見ているみたいで──

    「こうなったのはさ、トレーナーの熱にあてられたからかもね。キミは情熱的だから」
    「そうかな。でも、そんな熱を俺にくれたのは、他でもないシービーなんだよ」
    「アタシが?」
    「俺は眠っていたように生きていた。でも、あの雨の日に見た君の走りが、在り方が、俺を融かして有り余るくらいの熱をくれた」
    「……キミがそう言うなら、きっとそうなんだろうね」

     そうに違いない。だって、こうして隣にいるだけなのに走った後みたいに身体が熱くなってるから。

     ──ああ。アタシとキミと、このまま二人とも、完全に融け合ってしまったらどうなるだろう。きっとひとつの流れになって、何にも阻まれず遠い遠いどこかへ。

  • 7二次元好きの匿名さん23/12/16(土) 23:50:14

    「シービー、お腹すいてないか」
    「もち、すいてるよ。お昼から何も食べてないし」
    「だったら何か食べに行こう。近場でいい店を知ってるんだ」
    「いいけど、仕事は大丈夫なの?放り出したままじゃない」
    「ああ、今日はもうやめだ。気分じゃなくなったし。……それに」
    「それに?」

     聞き返すと、詩人は悪戯っぽく答えた。

    「よく言うだろ。"書を捨てよ、町に出よう"って」

  • 8二次元好きの匿名さん23/12/16(土) 23:52:48

    オシリ。最近モチベが上がっててまめに書いてて偉いぞ(自己肯定感爆上げ)
    でもクオリティは低いぞ(メジロパーマー登場!)

    シービーシナリオのエンディングでシービーがトレーナーの散歩に付き合うの好きなんですよね。
    結局二人は完全にお互いを理解できてはいなかったんですけど、それでも相手のことを知ろうとし続けるからこそ、誰よりも結びつきが強くなるというかね。

  • 9二次元好きの匿名さん23/12/17(日) 00:02:20

    面白かった!!
    空気感好きなんだ。

  • 10二次元好きの匿名さん23/12/17(日) 00:07:07

    よかった
    付き合いが続く中でたまにいつもと立場が逆転する日があるみたいなの好き

  • 11二次元好きの匿名さん23/12/17(日) 00:14:39

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  • 12二次元好きの匿名さん23/12/17(日) 09:06:35

    シービーって自分の意思で自由を捨てるのは割と嫌いじゃなさそうよね

  • 13二次元好きの匿名さん23/12/17(日) 12:19:03

    これは良作

  • 14二次元好きの匿名さん23/12/17(日) 12:33:31

    シービーで作家といえば寺山修司だよなあ!!!!ってタイトルすき

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