隣不在のクリスマス

  • 1二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:30:02

    【いきなりアイリス】

     12月。世間の足並みは以前のそれよりもだいぶ早くなり、師走の到来をしみじみ実感する。

     駅に行けばスーツを着た人々が周りの事情なんぞに考慮せず、脇目を振らずに目的地に向かって歩を進める。トレセン学園に行けば年末のグランプリとダート界頂上決戦、ジュニア級の試金石とも言える初のGⅠに向けてどこか緊張感の漂うムードが席巻している。

     12月とは得てしてそういう季節なのかもしれない。誰かのために、自分のために動いているというのは職が変わろうと同じなのだろう。

     そんな俺も来る新年に向けてスイープのレーススケジュールや始動のタイミングを見計らっていた所、たづなさんの来訪によってその話は幕を開けた。

    「スイープに撮影モデルの依頼…ですか?」

     来客に出す紅茶を差し出して自分も飲もうかとカップに手を付けようとした時、たづなさんからの言葉に手が止まる。撮影モデルの依頼…かなり急な話だ。というのもこの手の話が去年の正月以来無く、今まで多くなかったから失念していたのが本音である。

     しかし、そうなってしまうほどに話が来なかったものがどうして今になって来たのだろうか。隣で話を聞いてたスイープと揃えて首を傾げると、微笑ましそうに説明を付け加えてくれた。

    「実は、代打での撮影依頼なんです。本来ですとファインモーションさんが受ける予定だったのですが…」
    「ですが…?」
    「おうち絡みで顔を出す必要が生まれたそうで。こればかりは彼女の立場もありますし…ね」

     ああなるほど、ならばそれもさもありなんか。ファインモーション殿下はいわゆるロイヤルレディにあたる方で、アイルランドからやって来た箱入りのお嬢様を通り越した王家出身の貴人だ。実態は気さくで好奇心も知識欲も旺盛な方ではあるが。

     王家に身を置く以上、色々な事情が絡んだ故の急な予定変更も往々にして起きるものなのだろう。この辺は価値観を一般人のそれと相容れない所があるし、深く言及するものでもないのでいいとして…。

    「でもそれ、元の撮影モデル的にスイープが代打でも差し支えないんですか?」

     気になったことを聞いてみる。別にふさわしくないと言う気はないが、何となくスイープと殿下だと被写体として求められているものが違う気がしたからだ。

     真意を測りかねる俺に、たづなさんは咳払いを挟んで姿勢を正す。

  • 2二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:30:15

    「…今回、代打役を依頼したのは他ならぬファインモーションさんなんです。きっとスイープトウショウさんなら、と」
    「えっ、殿下がですか?」

     意外な事実に少し間抜けた声が出る。いやだって、まさかの向こうからの逆指名ともあればそんな声が出たっておかしくはないだろう。確かにスイープと殿下は親密な関係を築き、時折本を借りてくることもあるので仲良しだなとは思っていたが…。

     しかしてそこまで買われるのは、スイープを担当してる者として光栄ながらもやはり意外という感情が拭えない…が。

    「あ、お姫様!ねえねえたづなさん、アタシお姫様になれるのっ?」
    「元々そういうコンセプトでしたから。そちらの注文次第では魔法使いもいけなくはないと思いますが…」
    「ふふん、だったらマジカルプリンセスになってやるんだから!そうと決まれば衣装決めするわよー!」

     スイープが目に見えてやる気満々なので、深く気にすることでもないだろう。殿下はスイープを高く買ってくれており、自身の代理として起用しても差し支えないと感じて今回の采配に相成ったというだけの話だ。

     やる気にあふれているスイープの爆発力は言うまでもなく、それでいて要領もかなりいい子だから間違いなく撮影は成功する。撮影する日が待ち遠しいなと思った矢先、ふと気になった。

    「ええと、日程はもう決まっている感じでしょうか?」
    「はい。日にちは、です、ね…」

     そう、元々殿下が撮る予定だったものが急用で無理になってしまったということは撮影日そのものは確定しているわけだ。ではその日はいつだろうかと聞いてみると、たづなさんの顔がどんどん青くなっていく。

     …もしかしなくても。

    「えっと、クリスマスだったりします…?」
    「は、はい。でも確か、記憶違いでなければトレーナーさんって…」
    「…グランプリの開催手伝いで中山ですね」

     その言葉を聞き、帽子越しに頭を抱えるたづなさんは割とレアな気がする。まあそれはいいとしても、今年のグランプリにスイープは出走しないがすごい数のお客さんの来場が予想されるため、トレセンのトレーナー陣にも協力要請が出る。

     今年はそれがあるので撮影の同行は出来ない。どうしようとたづなさんは困り果ててしまい、不安そうな目でこちらを見てくるが…俺とスイープ的には正直どこ吹く風な話でもあった。

  • 3二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:30:32

    「当日一人でも問題ないよね?」
    「…当たり前でしょ、アタシは天才魔法少女・スイーピーよ?」
    「うん、じゃあ撮影の話は受けるってことでお願いします」

     スイープに単独でも問題ないかお伺いを立ててみると、少しきょとんとした顔を見せた後にドヤ顔で心強く答えてくれた。この分なら問題なさそうだし、大丈夫だと胸を張る彼女を疑うのも変な話だろう。

     話は決まったと改めてたづなさんの方を見ると、呆けた顔をしている。この人もこんな顔することあるんだなとスイープと二人で笑っていると、はっと我に返って切り出す。

    「で、ですが…お一人で大丈夫でしょうか?その、私が付き添うと言うのも…」
    「大丈夫ですよ」
    「この子は大丈夫です。な?」

     心配そうな表情のたづなさんにきっぱりと言い切り、スイープの方を向いて彼女の意向を確認すると───。

     何も言うことはなかったが、力強く頷いてみせたスイープの姿を見てたづなさんも緊張した面持ちが崩れ、笑みが溢れた。

    「…そうでしたね。お互いをよく知るお二人が言うなら疑う余地もありませんでした」
    「わかりました、スイープトウショウさんにお願いするということで正式に申請致しますね」
    「ええ、こちらこそよろしくお願いします」
    「ふふん、たづなさんの見る目は確かだってことをバッチシ証明してあげるんだから!」

     …もしかしたら、この状況を彼女一人に責任を押し付けたと思う人もいるだろう。実際、彼女ほどの年齢の子一人に付き添いをしないのは保護責任者の責務放棄と言われると立つ瀬がないのは否めない。

     しかし、こっちには長く共に過ごしてきたお互いの経験がある。仮にスイープがそれを拒んだらこの時点で駄々をこねただろうし、強がっていたとしてもそれを見抜けないほど浅い関係ではない。

    「早速何着るか決めるわよ!お姫様ならティアラはマストでしょ、あとあと…っ」

     信頼しているから、彼女だったら大丈夫だと理解しているから送り出す。それは信じて託したに過ぎず、期待や理想を押し付けるとは言わないだろうし…現に彼女は文句一つ言わずに引き受けた。

     ならばもう言うことはない。俺に出来るのは撮影を彩る最高の衣装を彼女と決めることのみだが…何故か一緒に決めさせてくれなくてしょぼんとするのだった。

  • 4二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:30:50

    【ドキドキビオラ】

    「当日一人でも問題ないよね?」

     使い魔からそう言われた時、アタシの頭は一瞬ポケポケになった。話を振られるとは思ってなかったってのが一番だけど、当たり前のように一人でも大丈夫って思ってることが何だか意外だった。

     もちろん、使い魔に言われなくったってスイーピーに死角なんて無い。使い魔がいなくても自分のことを自分でやればいいだけで、出来ないわけでもないしむしろ使い魔以上に上手くやれる自信すらある。

    「…当たり前でしょ、アタシは天才魔法少女・スイーピーよ?」

     びっくりで一瞬反応が遅れたけど、答えは一つしか無い。自信満々に答えてやると、使い魔の顔もそれを待っていたと言わんばかりの笑顔を見せる。

     …コイツ、アタシがこう言うってわかってたのね。心の中を見透かされたみたいでちょっぴりムカつくけど…。

    「で、ですが…お一人で大丈夫でしょうか?その、私が付き添うと言うのも…」
    「大丈夫ですよ、この子は大丈夫です。な?」

     それでもやっぱり不安そうなたづなさんに念を押すように言う使い魔の姿がすっごく印象的で…何というか、悪い気はしなかった。

     その声は不安を断ち切るかのような強がりなんかじゃなく、ホントにアタシを大丈夫と思ってるから言ってるだけみたいな軽さすら感じて…鳥の羽みたいな軽さが心地よくって仕方がなかった。言葉は重い方がいいってのに、フシギ。

     だからアタシは使い魔に言うまでもないだろうと言わんばかりの顔で首を縦に振ってやった。信頼されている心地よさを胸いっぱいに感じながら、多分アイツが一番見たいアタシの顔で。

    「どういう感じの衣装にするの?」
    「ふんだ、使い魔には教えてあげないもん!」
    「えぇ〜…いいじゃんほら、どうせ行けないわけだし」
    「ヤダヤダ♪ねぇたづなさん、向こうで決めましょ!」
    「えっ?あ、ちょっ、トレーナーさーん…」

     …でも、褒め過ぎたらアイツは調子に乗るからムチもちゃんと用意しなきゃね。

  • 5二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:31:09

    「ふわぁ…」

     時は流れて12月25日、クリスマス当日の朝。今日の栗東寮はいつもよりも静まり返っている。それもそのはず、今日は年末の大一番のグランプリがあるもの。

     体を伸ばしながら時間を確認すると9時すぎ。撮影は13時からのはずだからまだまだ寝られたかなあなんてあくびをしながら窓を開け、空気を肺いっぱいに取り込む。

    「平和ねえ」

     ポヤポヤな頭はまだまだ撮影の状態には至ってない。流石に年の瀬となると今日までの疲れみたいなものが身体に来るのか、脳の覚醒を遅らせる。年取るってこういう事なのかしらね…まだ学生だけど。

     とりあえず顔を洗って朝ごはんを食べようと食堂に行ってみると、フラワーとビコーが何やら二人で話し込んでる様子。何だろうなって混ざってみると、フラワーが持ってるものを見せてくれた。

    「わぁ、ウェディングドレス…!フラワー、結婚でもするの?」
    「ち、違いますよ…。お父さんたちを見てると憧れはありますけど」

     冗談交じりに聞いてみるとお顔を真っ赤にしちゃうんだから可愛い。ほっぺを抑えて下を向いてるけど、誰かと結婚した時のイメージでもしてるのかしらね?

     まあそれはいいとして、何をしてるかだ。

    「ビコーさんが私のドレス姿を変身ヒロインの完全体みたいだって。折角だから色々見てほしいなと一緒に見てたんです」
    「見ろスイープ、純白だぞ!愛の力で敵をやっつけるみたいでカッコよくないか?」

     ビコーが指差したものを見ると、そこには静かに微笑んでモデルの男の人から差し出された手に添え、ドレスを纏ったフラワーの写真。フラワーが言うには、顔こそ隠れているがこのモデルは自分のトレーナーがやってくれたらしい。

     そう言われてからもう一度紙面のフラワーに視線を戻す。撮影とは思えないくらいにリラックスというか…幸せそうな顔をしている。まるで、ホントにこの人と幸せを掴んだかのような…眩しい顔をしている。

    「へぇ…。確かに、悪いヤツも一瞬で浄化しちゃうような笑顔なんじゃない?」
    「あうぅ、スイちゃんまで…もう、いじわる」

     からかった気はなかったけど、アタシの言葉にフラワーがツンとしちゃった。珍しいなと思いながらもビコーと顔を見合わせ、アタシも適当に話題を振ってご機嫌取りしてみようと画策する。

  • 6二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:31:31

    「奇遇ね、今日はアタシが撮影しに行くの」
    「そうなのか?スイープもウェディングドレス?」
    「んーん、アタシはお姫様!元々ファインの予定だったけど、おうちの都合で行けなくなっちゃったって」

     そう、ホントに奇遇なことにアタシもこれから撮影しに行く所だからちょうどよかった。アタシと歳が近くて実際に経験のあるフラワーからこういう撮影の時の心構えとか聞けるかもしれないし。

     そんなアタシの期待通り、フラワーはお耳をふるふる動かしながら話に食いついた。

    「わぁ、スイちゃんもなんですね!トレーナーさんとご一緒ですか?」
    「ふふん、アタシはソロよ!ティアラ路線の女王として撮るんだって。かっこいいでしょっ?」

     胸を張って言ってやるとフラワーは目を輝かせ、ビコーは羨ましそうに尻尾をバタバタ揺らしている。期待通りのリアクションは心を満たしてくれるが…今はそれだけで終わらせるのは少し惜しい。

    「それでなんだけど、こういう撮影ってどんな事を心がけたとかってある?」
    「心がけたこと…ですか」

     そうですねと一拍挟んでから、先輩モデルのフラワーは再度切り出す。

    「本番のつもりでやった…とかですかね?」
    「本番?フラワーのトレーナーと結婚式を挙げたみたいな感じか?」
    「うーん、というよりかは…自然とそうなってたんです」

     言ってることの意図が分からず、ビコーと一緒に唸る。自然となるって、どういうことだろう?

    「撮影の時、私の希望でリテイクさせてもらったんですけど…その時にトレーナーさんと目線を合わせる為に座ってもらったんです」
    「それで、こんなに近くでお顔を見るのが初めてで…ずっと見つめていたいなって。そしたら…」

     これが、と指差した写真にいたのはとてもフラワーとは思えないほどに大人っぽくて、キレイで…。

     可憐な女の子じゃなく、素敵な一人の女性だった。

  • 7二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:31:49

    「…写真のフラワー、キレイだったなあ」

     ビコー達と朝食をとった後、部屋に戻って着替えながら呟く。お気に入りのパジャマにシワがつかないようにピンピンの魔法を掛けながらあの時のフラワーの顔が脳によぎっていた。

     薄くお化粧をしてるだけなのに見違えた表情、ただ添えただけにしか見えないのに離れることはないんじゃないかなって思う小さな手、男性役の顔は見えなかったけど見つめるフラワーの熱い眼差し…。

    「アタシもやってやるんだから…!」

     アレを見て、負けられないって気持ちが芽生えた。別にフラワーも対抗意識を煽ったわけじゃないけど、同じ年代の女の子としてアタシもすっごいのを撮ってやろうって気になった。

     でも、アタシに出来るのかな。感情移入が出来るシチュエーションなのはフラワーもアタシも変わらないけど、あの子には意識しちゃうような相手がいたけど…アタシはひとりぼっち。

    「やっぱり、誰か相手を用意するべきだったかしら…」

     今更、一人でも大丈夫と豪語したアタシ自身の言葉に不安を抱き始める。使い魔にも大丈夫って言っちゃったし一人ってことはアタシのやりよう次第で良くも悪くも変わるわけだからフォローがきかない。

     ヤバいかも、そう思った時にスマホが音を立てて揺れる。こういう時、バイブ音ってどうして大きく聞こえるんだろうと思いながら確認してみると、差出人は中山にいる使い魔からだった。

    「…楽しんでおいで…」

     たった一言だけしか書かれていなかった文。こっちが不安がっていると言うのに、事情もお構いなしにノーテンキな激励を寄せてくるのがホントアイツらしいと言うか何というか。

     …でも。

    「言われなくたって、いなかったことを後悔させてやるくらい楽しんでやるっつーの」

     そのノーテンキさはちょっぴり小さく萎んだアタシの心への空気となり、膨らませてくれた。そうよね、アイツは寒い中お仕事をしてるってのにアタシはあったかい所で撮影でしかもお姫様になれるおまけ付き。

     気負う必要なんて無いんだ、フラワーがそうだったようにアタシなりにめいっぱい楽しもう。

  • 8二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:32:07

    【孤独なスイートピー】

    「では、レースの方は完全に終了しましたので以降は我々URA職員の方で受け持ちます!」
    「今年もトレーナーの皆様からの多大なご協力、大変感謝申し上げます…!」

     …やっと俺のお勤めが終わった。早朝の冬の中山の寒さは厳しく、日が昇っても冷え切った下界の気温はそう上がらなかった。地下バ道で寒さに震えている子が多かったので相当だろう。

     今日はとにかく多忙を極め、朝からスタンドのゴミ掃除に始まったがこの時点でまあしんどかった。広大なスタンドを区分けしてやったにも関わらず、終わりが見えないのはやってて理不尽を感じた。

    「お客さんもすごかったなあ」

     解散を命じられた所からライブ会場への誘導を見ると、長蛇の列が出来上がっている。このお客さん達がレース場に入る時、チケットのもぎりを担当したが…ストレスで声を荒げる人も中にはいた。

     それだけこのレースを楽しみにしていたことへの裏返しではあるのだが、それは皆同じなわけで。普段この仕事を受け持っているURAの職員さんには改めて頭が下がる思いだ。

     こういう人達や支えてくれる人がいるから俺達はレースに全力に取り組み、お客さんに夢や希望・活力を与えられるんだと改めてレース関係者の方々への感謝の念が強くなる一日となった。

    「今日はもう直帰しようかな」

     スマホの時計を見ると16時すぎ。色々整えてここを出ると考えれば向こうに着くのは大体19時を過ぎると言った所か。幸い、中山レース場に足を運んだお客さんはそのままライブ会場に向かったようなのこの時間ので混雑の心配もない。

     とっとと帰らせてもらおう、そう思いながら関係各位に挨拶をしながら準備を整えていき、興奮冷めやまぬ中山レース場を後にするのだった。

  • 9二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:32:25

    「そういえば撮影はどうなったかなあ」

     ホームで電車を待つ中、気になったのでメールやLANEを見てみるが連絡が特に来てないので滞り無く進んだということだろう。くたびれたコートの胸ポケットにスマホをしまい、やってきた電車に乗って今日のレースについて振り返る。

     まず、何と言っても注目を集めたのは今年のクラシックにて三冠を取った英雄と呼ばれるウマ娘だろう。グランプリはまず一般の人気投票で選出されるのだが、圧倒的得票数で出走が確定した。

     戦法は後方からの豪快な追い込み。やってることはスイープと同じく追い込みではあるのだが、じわりじわりとポジションを上げて最終直線でのギアチェンジで一気に突き抜けるのはスイープと少し違う。

     現にこのレースまでの上がり3Fは全て最速。つまり、ここの直線一気で他をちぎって勝利をかっさらってしまうわけなので観客したら胸のすくようなものなのだろう。実際、彼女の走りに感化された子が真似をするというのはトレセン内でも流行ったくらいだ。

     それほどに期待を背負ったウマ娘であり、そこにいる誰もが勝つと疑わなかっただろう。クラシック・シニア級の猛者が集うレースであるにも関わらず、果たしてどんな勝ち方をするのだろうと予想されるほどだった。

     しかし、レースとはげに複雑怪奇なもので。

    「あの子…確か宝塚で一緒に走った…」

     レースの結果はと言うと、英雄は負けた。

     想像もしなかっただろう。誰がどう見たって無敵と思われていた彼女の翼は、前を走り続けたウマ娘の前で羽ためかせることも出来ず、二番目にゴール板を駆け抜けた。

     そんな英雄を打ち負かしたのは、スイープと同期である三冠路線出身のウマ娘。同年の宝塚記念ではスイープと走っており、終盤で前に出たスイープを捉えようと外から急襲したが…魔法の前にあと一歩が届かなかった。

     しかし、あの時は差しだったはず。その後も差しでやっていたはずだが…そういえば彼女のトレーナーは英雄退治に秘策ありと言っていたがそういうことだったか。

    「あの雄叫びは…ちょっと忘れられそうにないな」

     静まり返ったレース場に響く、全身全霊の雄叫び。善戦続きだった彼女は誰もなし得なかった英雄退治に成功し、出来レースすらも覆したのを見て…心が踊った。

     来年は、この場所にスイープと立つぞと。

  • 10二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:32:46

    「さむ…っ」

     電車を乗り換えながら揺られ続けること2時間半、ようやくトレセン学園の最寄り駅に帰ってこれた。周辺に民家が多いのもあってベッドタウンのど真ん中にあるだけあって、人の流動が激しい。

     流れに乗って電車から降り、冬の突き刺すような冷気をまとった空気が肌を刺激する。12月なんだから当たり前ではあるが、寒いとどうにも身が縮こまる。そそくさと人の波をすり抜け、何とか改札に辿り着いた時にあることを思い出した。

    「…あぁ、そういや今日クリスマスだったか」

     駅ナカに設置されたでかいモミの木、洋菓子屋によるケーキの店頭販売、幸せそうなカップル。これだけ見たら今日が何の日なのかくらいすぐわかってしまう。

     去年は確かスイープとサンタに手紙を届けに行こうとして失敗したんだったか。寒い中、クリスマスツリーの下で浮かせてやるからジャンプしろと言われ、ただジャンプしただけで終わってしまった上に翌日筋肉痛になったのでよく覚えている。

    「…今年は寒いな」

     回想を経て今年は一人で過ごすと思ったからか、駅の中にも冷気が舞い込んできたからかわからないが…色々な意味で寒く感じた。と言うのも、去年のクリスマスは多分今まで生きてきた中で一番心が温まるものだったからだ。

     話し始めると長くなるので割愛するが…去年のクリスマスは“見てる人はちゃんと頑張りを見てくれている”と教えてくれたクリスマスで、その見てる人がスイープトウショウその人だった事が当時の俺はたまらなく嬉しかった。

     一年間頑張って良かった、報われた。心の底からそう思えたクリスマスで、彼女に対する忠誠…と言っては感化され過ぎな気もするが、少なくともサンタから貰うプレゼントより心が湧いた。

    「帰ろう」

     しかし、彼女はいない。きっと、今頃は撮影の話を寮の子に自慢気に離してクリスマスパーティーでも楽しんでいるのだろうと思うと自然と笑みがこぼれる。

     どうか良いクリスマスを。一抹の寂しさを振り払うように心の中でスイープに唱え、改めて俺も帰途につくかと歩を進めようとすると…誰かにコートの裾を引っ張られた。

    「…遅い」
    「え?なんで君がここに…?」

     視線の先にいたのは、鼻を真っ赤にした少女だった。

  • 11二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:33:40

    【ひえひえポインセチア】

    「お疲れ様でした!これにて今日の撮影は終了になります」

     スタジオ内に響く撮影クルー総監督さんの声。作った表情を崩して大きく伸びをしてみるとどんどん力が抜けていくからアタシも無意識に頑張ってたんだなあってしみじみ思う。

     深呼吸をしながらポヤポヤしていると、お水をすっと差し出される。

    「お疲れ様でした、今日は大活躍でしたね」
    「ふふん、スイーピーにかかればこんなの朝ごはんの前の運動みたいなもんよ!」

     微笑みを交えながらアタシの活躍を称えるのはたづなさん。あの後、誰かしらはいた方がいいかもしれないなと思ってたづなさんに連絡してみたら2つ返事でついてきてくれた。

     めいっぱい楽しむのは前提として、やっぱり誰かがいた方が融通がきくのは間違いないと判断して独断で呼んだわけだけど…正直、呼んで大正解だった。働きだけで見たら多分使い魔以上に動けてる気すらするし。

    「今日の働き、誠大儀であった!」
    「あら…姫君様からのお褒めのお言葉、恐悦至極でございます♪」

     まだお姫様キャラが抜けきってなかったアタシはつい撮影の時みたいなイメージで喋っちゃったけど、たづなさんは素直に受け取ってくれた。使い魔ならそんなキャラじゃないでしょとか言って怒らせただろうに。

     撮影スタッフの人とたづなさんの協力で難解構造のドレスを脱ぎ、制服に着替える。着た時は見違えた自分の姿にはしゃいじゃったけど…やっぱりこういうのはたまにで良さそうね。

    「…む?随分人が減ったわね」

     着替えを終えて監督さんに挨拶に行こうと、たづなさんとスタジオ内を歩いていると人が明らかに少なくなっていることに気付いた。おかしいわね、さっきまでいたカメラさんとかメイクさんはどこ行っちゃったのかしら?

    「おそらく、今日はクリスマスだからかと」
    「…あ。そっか」

     撮影に没入しすぎてうっかり忘れてた。そっか、今日はクリスマスだったのね…。

  • 12二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:34:04

    「スイープトウショウさんはこのまま寮に戻ります?」

     スタジオからの帰り道、隣を歩くたづなさんからふと思い出したかのように尋ねられる。特に考えてもなかったけど…そっか、クリスマスなら寮でパーティーをやってるかもしれないし帰ってそっちに合流するのもありかもしれない。

    「そうねー、お外にいても寒いし?とっとと帰らせてもらおうかしら」
    「…そうですか、ではここでお別れですね」

     質問に答えると、たづなさんはちょっぴり苦笑いを浮かべながらアタシに別れの言葉を伝えてくる。一緒に帰んないのかしら?

    「何で何で?まだやることあるの?」
    「やることと言うか…会う約束をしてる方がいまして」

     ほんのりと、頬を赤くしながら答えるたづなさんの姿を見てこの言葉がいかなるものかを察する。なるほどね、つまりこのままだとアタシは守るべきお姫様から撃退すべきオジャマムシになっちゃうってことか。

     …でも、ちょっとくらいからかってもバチは当たらないわよね?

    「ヤダ!スイーピーはたづなさんと一緒に帰りたいの!」
    「え…えぇ!?お言葉ですが、トレーナーさんに一人でも大丈夫と仰られてたはずでは…」
    「アレは一人で判断出来るよねって確認だもん、一緒に帰ってってのもスイーピーの采配だからムジュンはないもん」

     ほっぺを膨らませてツンとしてやると、どうしましょうと困ったように笑い始めた。でも、せっかく会いたい人がいるってのにワガママ言うなんてオコチャマな事を本気でするつもりはない。そういう子は蹴られちゃうよってグランマも言ってたし。

    「…はぁ、嘘よ嘘。一人でも大丈夫だから安心して楽しんできてよね」
    「た、助かります…良かったぁ…」
    「むふ、でもたづなさんも隅に置けないわね!」
    「…その、やはりこういう日ですから。一緒にいたい方と過ごすのを楽しみにしてましたし…」

     満足のいくリアクションをもらえたのでご満悦の笑顔を浮かべながら言ってやると、いつもはピンと立てた背筋が少し丸まって照れくさそうに縮こまっちゃってる。

     そりゃそうよね、たづなさんだって女の子だもの。そういう人とクリスマスで二人きりになるなんてドキドキもワクワクもすごいに決まってる。

  • 13二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:34:30

    「…にしても、一緒に過ごしたい人…かあ」

     たづなさんと別れて一人で学園に帰ってる時、ふとあの人が漏らした言葉を思い出していた。今更な気もするけど、アタシにもそういう人は現れるのかしらね?

     普段は完璧な仕事人間のたづなさんがあれだけ惚けた顔をしちゃうんだからクリスマスはやっぱりすごい。幸せの魔法は完璧な人にすら隙を作っちゃうんだから素晴らしくも恐ろしくもある。

    「…使い魔、まだ向こうにいるのかしら」

     誰ともなく、出てきた言葉は使い魔の所在について。思い返すと、今日は結構使い魔を意識する場面が多かったのもあると思う。

     撮影してる時、お姫様のイメージが従者と一緒にいるってのしか無かったから脳内でそこに魔法女王の側近になった大魔法使いの使い魔がいるのを想像しながら撮影してたら全部一発オッケーをもらえちゃったくらいだし。

    「っ、…寒いわ」

     思考する頭を冷ます程の冷たい風に思わず身震いする。こういう時、使い魔がいれば風除けとか疲れたとか言えばおんぶさせられたけど…今はいない。

     今日も、たづなさんを独断で呼んだけど撮影してる間はやっぱりいつもいる影をどこか探してるアタシもいた。想像の使い魔と一緒に撮影してるつもりで臨んでいたし、ホントは早く終わって覗きに来るんじゃないかな〜とかガラにもなく思いもした。

    「…ち、違う。アタシは会いたいなんて…」

     そんな今日のアタシを振り返り、誰かに指摘されたわけでもないのに必死に否定する。だって、これじゃあ考えれば考えるほどに一日中いない幻影を追い続けていたのを自分で証明しちゃってるんだもん。

     …でも。もしそれがアタシの本心だとしたら───。

    「…これは確認、ちゃんと使い魔が帰ってくるかどうかの確認なんだから」

     自分の気持ちに嘘はついちゃダメよね。せっかくのおめでたい日を悶々と過ごすよりかは白黒はっきりつけた方が後腐れだってない。

     そう思った途端、アタシの足は自然と学園ではなく駅に向かって進み始めた。

  • 14二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:34:52

    【カキツバタは突然に】

    「遅いって、もしかして俺を待ってたのか…!?」
    「…だったら何が悪いってのよ」

     駅に着いて目にした少女…スイープトウショウの姿を見て驚愕の声が出る。そりゃそうだ、今の彼女は膝小僧どころか鼻もほっぺも寒さで真っ赤になってしまっている。

     少なからずの時を待ち続けてようやく俺を迎えたのだと脳が理解した途端、慌てて空いているカフェに彼女を誘導する。ここにいるってことは多分撮影は滞り無く終了したのだろうが…早く終わったのなら、待った時間も長かったということだろう。

    「はい、いちごのショートケーキで良かったよな?」

     ひとまず、待たせたお詫びとせっかくこうして会ったことだしということで駅付近のカフェでケーキと紅茶をごちそうすることにした。席で待ってるスイープにお望みの品であるいちごのショートケーキを差し出し、彼女の向かいに座る。

    「うんうん、ちゃーんと一番いちごがおっきいの選んできたんでしょうね?」
    「ぱっと見これが一番だったと思うけど…」

     自信なさげにテーブルから見えるレジ横のショーウィンドウにある同じ商品と指定したいちごのショートを見比べる。そう言うだろうと思ってケーキの大きさは度外視にしていちごが一番大きそうなのを選んだはずだが…。

     やっぱりあっちの方が良かっただろうかと、不安げにモジモジしてると眼前の彼女が突然笑い出した。

    「な、何だよ…そんなおかしいか?」
    「えぇ、すっごくおかしいわ。だってアンタがあまりにもいつも通りなんだもの」

     コロコロと笑う彼女の笑いのツボがよく分からなくて困惑こそはしたが、楽しんでもらえてるようなのでひとまず安堵する。理由はわからないが、俺を待っていたわけだしそのお礼くらいはしたかったし。

     …にしても、彼女は何故俺を待っていたのだろうか?寮でクリスマスパーティーの一つでもやっていそうなものだし、撮影が終わってそっちに行ってるものと思っていたが…。

    「ん〜、これこれ!サイコー…」

     まあ、今こうして恍惚な表情を浮かべてケーキを堪能する彼女を拝めたのだ。彼女へのご褒美は結果的に今日頑張った俺へのご褒美のように感じたので言わぬが花だろう。

  • 15二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:35:17

    「…で、そっちはどうだったの?」

     一人、今日の疲れを彼女の笑顔で癒やされてる所に突然現実に戻される。少しうとうとしたのか、意識が若干沈みかけたところのこれなので少し反応が過剰になってしまう。

     しかし、今日一日聞こえてこなかったこの声とゴーイングマイウェイな感じにやすらぎすら覚えながら回顧を始め、締めの言葉に入る。

    「とまあ、いろんなことが起きたんだけど…少なくとも1つだけ強く思ったことはある」
    「ふぅん、聞かせてみなさい?」
    「…来年はこの舞台を魔法で魅了する君の姿が見たい」

     あの時見た景色は、スイープが宝塚記念を制した時とシンクロして見えた。出来っこない、確定されたかのような未来。それを覆して静まり返るレース場でただ二人、歓喜の声を上げる異様な光景。

     まさしく、あの時の俺達と同じだった。現代にてティアラ路線の子がグランプリの混合戦を勝つのはほぼ無理というレース界の理を魔法で捻じ曲げ…新しい秩序を作った魔法少女とその使い魔がそれみたものかとただ二人、笑っていたあの景色と。

    「…へぇ」
    「?どうした?」

     一通り話し終わり、温かいレモンティーを口に含んで気分を落ち着かせると満足そうに笑うスイープの姿があった。そんなに今の話は彼女にとって興味深かったのだろうか?

    「アンタも、向こうでアタシを見てたんだなって。いないスイーピーを追ってたんだってね」
    「も…って、君も俺のこと考えて撮影してたのか?」

     これは意外だ、何と記憶の彼方に消し飛んでいると勝手に思い込んでいた俺のことを彼女は想起しながら撮影に臨んでいたと言うのか。楽しんでおいでとだけメッセージを送ったが返信もなかったから、楽しみで忘れ去られてると逆に安心していたのだが…。

     ほんの少し、思わせぶりに含み笑いをする彼女に興味が傾いた。

    「えぇと…その、聞いても?」
    「ふんだ!言われて教えるわけないでしょっ」

     コイツ、思わせぶりなこと言っておいて…と若干の小憎らしい感じに理不尽を覚えつつも、言われて碌でもない事だったら聞かなきゃ良かったと思うだろうし自分の想像に任させてもらうことにした。

  • 16二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:35:44

    「…外、すごい人ね」
    「クリスマスだしなあ」

     少し出来た無言の間を突き破るスイープの言葉。つられて窓の方を見ると、見える景色は人、人、人。絶え間なくいろんな表情をした人々が行き来する世界はまさにクリスマスであり、同時に年の瀬であることを大いに痛感する。

     今年もスイープと1年を駆け抜けた。ドラスティックなこともあったし変わったこともあったけれど、変わらなかったことも多々あった。その中で俺はどれだけ彼女の力になれたのだろうかと思うと少し卑屈になる。

    「今年はまだクリスマスらしいこと、ちっとも出来てないわ」
    「お互い忙しかったしもうこの時間だしな。ケーキ食えてるだけマシかも」

     しかし、ヘコんでる暇もないようだ。目の前で一気にケーキを平らげたスイープは、フォークを魔法の杖のようにゆらゆら揺らしている様子からして退屈そう。

     カフェの中にある古時計は8の針を差している。外にいる人たち的にはこれからが本番なのだろうが、俺もスイープもヘトヘトだし今日見たレースの映像を改めて見たいが…せっかくこうして会えたのにケーキ食って解散も切ない。

    「ヤダヤダ、夜景のキレーなレストランとかでクリスマスを満喫とかしたかったわ」
    「夜景…か」

     頬を膨らませながら窓の外を見て黄昏る彼女の言葉を聞き、今一度思案する。俺も彼女も1日頑張ったわけで、こうして会えただけでも俺としては満足だし、何より彼女が俺を待っててくれた事実はたまらなく嬉しかった。

     そう思った途端、こっちの事情はどうでも良くなってしまった。レースなんて後からでも見返せるが今年のクリスマスは今年しか来ないし、何よりも彼女が望むのは夜景を一望できるレストランで食事なら叶えるのが俺のやるべきことだろう。

     しかし、今の時間からレストランは流石に…。ましてや夜景という条件となると尚更難しい…と、なると。

    「スイープ」
    「?なぁに?」
    「この後の時間、少しもらってもいいか?」

     すべきことは決まった。

  • 17二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:36:12

    【ぽかぽかニリンソウ】

    「使い魔ー、まだー?」
    「あとちょっとで着くよ」

     静かな道にアタシと使い魔の声が響く。それだけで、今この場には誰もいなくて使い魔はアタシに何かを見せようとしてるのだけは何となくわかった。

     あの後、アタシの時間を欲しいと言った使い魔が何を企んでるのか確かめてやろうと特別にその申し出を許し、道中のコンビニでお菓子やホットスナックを買った後、カフェを出て町外れを歩いていた。途中で疲れたしおぶらせて今は背中に身体を預けてる。

    「まったく、スイーピーをどこへ連れてこうっての?」
    「君の望みを叶える所…よし、この辺だな」

     さっきまでは家がよく見えていたのに足元の音が枝を踏む音とか、石を蹴る音とか明らかにアスファルトの上じゃない所を歩いてるのを感じ取り、ちょっぴり不安だったけど敢えて何も言わずに目を瞑って顔を背中に埋めてると…どうやら目的地に着いたみたい。

     さあ、何が待っているのやらと一旦深呼吸してから背中から飛び降り、改めて周囲を確認すると───。

    「わぁ…」

     眼前には、イルミネーションで彩られた街といろんな人々の営みの灯りで輝くトレセン学園近郊の景色がいっぱいに広まっていた。

     使い魔が連れてきた所はアタシも覚えがある。ここはトレセン学園の近所にある丘の展望エリアでよくここまでロードワークをしに来るウマ娘を見かけるしアタシもしたことがあるからよく知っているけど…。

    「ここ、夜はこうなってるのね」
    「来ることないよなあ。俺も少し前まで知らなかったもん」

     使い魔が言うように、夜に来ることなんて無かったから新鮮。普段見てる景色は時間も季節も変わるだけでこんなに顔を変えるんだなと、思わず景色のマジックに見入ってしまいそうになるけど…。

    「…くちゅん!」

     服をも貫通しちゃうような寒さが幻想的な景色に酔いしれそうな脳を覚ます。そりゃそうよ、さっきまでは使い魔にひっついてたからまだしのげたけど今は風除けもない制服姿なんだから。

  • 18二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:36:45

    「ほら、コート羽織んな」

     その姿に使い魔はため息混じりにコートを脱ぎ、アタシに投げつける。ちょっぴり雑な扱いにムッとしつつも、正直願ってもない気遣いではあったからありがたく羽織らせてもらうけど…。

    「ふんだ、自分だって寒いくせにやせ我慢しちゃって」
    「…良いんだよ、俺は。さて!ささやかだがディナーと洒落こむか」

     見るからに寒そうにしてる使い魔にチクリと言ってやると、スーツ姿で寒くないわけがないくせに強がって展望エリアにあるベンチに自分が巻いていたマフラーを敷き、そこにアタシを座らせる。

     これだけでもだいぶあったかいけど、使い魔はこれもいるかとスーツまで脱ごうとするから流石にいらないって慌てて返す。コンビニで買ってきたホットスナックをテーブルの上に出し、カイロにあつあつカイロの魔法を掛けて暖を取る。

    「…やっぱり、無理があったかな」

     寒いなとカイロを押し当てていると、使い魔がちょっぴり落ち込んだ顔で俯く。多分、無理があったってのはディナーのことなんだろうけど…。

    「ふんだ、食べないならアタシが全部食べちゃうわよ?」

     そんな使い魔にはお構い無しで随分と冷えちゃったフライドチキンに手を伸ばす。冷めていても調理されただけあって全然食べれるし、まあこれならお腹を満たすことは出来るでしょ。

     ポカンとした顔を浮かべてアタシの様子を眺める使い魔は、きっと怒られるとでも思ったのかしらね。信じられないと言うか、状況が飲み込めないみたいな顔しちゃってるけど…それはちょっと心外。

    「…使い魔が使い魔なりに考えたアタシへのもてなしなんでしょ?なら胸を張りなさいよ」
    「でも…寒い思いさせるくらいなら奇をてらわずに帰った方が良かった…」
    「へぇ?ならアタシは一度でも帰るなんて言ったかしら?」

     多分、ここ最近で一番強い睨みをきかせながら使い魔に凄むとみるみる内に小さくなっていく。確かに想像していた夜景とは違ったし、ディナーもレストランのと比べるとお世辞にもこっちの方が美味しいとは言えない。

     …でも。アタシは寒さに身を震わせようが何も言わなかったしこれをディナーと言う使い魔に変な顔一つせずに席にだってついた。

     何でって、そりゃ一つしかないでしょ。

  • 19二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:37:06

     ───いい?使い魔。一度しか言わないからちゃんと聞きなさいよね。

     …?

     ───アタシはね、今こうして使い魔…アンタと一緒に過ごしたいの。

     ───クリスマスという特別な日を、アンタと二人だけで。

  • 20二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:38:18

     言い切った後、少し生まれた無言の間。使い魔の顔を見ようと顔をあげようとしたけど…遅れてやってきた恥ずかしい気持ちが先行して思わず帽子で顔を隠す。

     言っちゃった、言っちゃった。アタシ、今とんでもないことを言っちゃった───。

    「…俺もさ」

     ぎゅうっと、帽子に埋める力を強くなっていく所で使い魔の声が露わになったお耳に届いてくる。何か言おうとしてる、使い魔の言葉を聞かなくちゃ。

    「駅着くまで今日がクリスマスって忘れててさ。去年を思い出してたんだ」
    「君からもらった、サンタからのプレゼントよりも嬉しい贈り物…それが今年はないのかって」
    「そう思った瞬間、すごく寒くなったんだ」

     寒くなった。その言葉にはアタシも覚えがあったから思わず顔をあげてみると、そこにはしょぼくれた顔じゃなくてとっても嬉しそうな顔をした使い魔がいた。

    「何で寒いと思ったのかはわからない。キミからの贈り物が今年はないからって最初は思ったけど…」
    「違ったんだ。今年は君がいないんだって達観したからだ」
    「だから駅で君が声を掛けてくれて、待っててくれたのを知った時…君のトレーナーをやっててよかったって、心の底から思った」

     笑顔を交えながら下を向き、自販機で買ったホットコーヒーの缶をクルクル回しながらアタシに言う使い魔の雰囲気はさっきまでまとっていたウジウジは消え去り、晴れやかな顔をしていた。

     …うん、アンタは力の抜ける顔の方がとっても似合ってる。

    「…だから、アタシの願いを叶えようって思ったわけ?」
    「そ、そんなとこっすね。見切り発車だったんでカフェの段階でもう少し予測を立てるべきだったとは反省してるけど…っ」

     痛い所をつかれたみたいな声を出す使い魔をニヤニヤしながら眺めてやると、コシャクにも顔を背けて見せないように抵抗してくる。顔を寄せてみると逆側にツンっとするしそれを何度か繰り返した辺りで恥ずかしくなったのか、今度は突っ伏した。

     ホント、カッコつかないヤツ。ここでびしっと男らしくものを言えたらスイーピーの使い魔としての成長が見られたってのに。

     そんなここぞで決められないダメダメ使い魔の頭に手を置き、サワサワと撫でてやりながら今日の胸中を吐露する。

  • 21二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:38:39

    「…アタシもね、寒かったの」
    「今日の撮影、女王様だったでしょ?側近みたいな誰かがそばにいるつもりで撮ろうと思ったんだけど…自然と、アンタが浮かんだのよね」
    「えと、もしかしてさっきカフェで言ってた?」

     覚えてやがったかと心の中で舌打ちを強く打ってから、改めて咳払いをした後に話を続ける。

    「そんな未来が来るのかわからないけど、アンタが大魔法使いになってアタシを支えてるって感じでね」
    「想像の中のアンタはとーっても、スイーピー姫に従順な従者だったわ」
    「…でも、それはアンタじゃない。アタシの理想の存在であって、使い魔じゃない」
    「そう思った瞬間、ほんの少しだけアンタがいないかな、ここに来たりしないかなって…探したの」

     想像なんて、身も蓋もないけど妄想でしかない。自分の思いのままに動かすことが出来たとしても、それはあくまで想像であって現実じゃないのに浸ってしまう。

     演技をすればするほどに使い魔がそこにいない事実を叩きつけられ、それでも心を殺して撮影に臨んだ。

     使い魔が信じて送り出してくれた期待くらいには応えたかったから。おかげでNGもなく、一発OKで終わることだって出来たし監督さんやスタッフさんからいっぱい褒めてもらえた。

    「でも、アンタはやっぱりいなくて。いつもなら真っ先に飛んでくる大げさな褒め言葉もなかった」
    「それがね…すっごく、寒かったの」

     気付けば、頭を撫でられながらこっちを見つめる使い魔の顔は結構悲しそうだった。自分がそういう風にしてしまったのかみたいな、使い魔自身を責めるような表情をしている。

     だから、それは違うと頭を撫でるのをやめて使い魔の冷え切った手を握る。

    「でもね、駅で長いこと待たされたけどこうしてアンタを見つけて今も一緒にいるからなのかしらね」
    「あったかいの、心が」

     冷たい空気を肺に取り込みながら使い魔の手をニギニギする。前に冷たい手をしてる人は心があったかい人ってロブロイが言ってたけど…多分、ホントなのね。

     ただ、こうやって手を握り合ってるだけでぽかぽかな気分になるのよ?手はキンキンに冷たいってのに。

  • 22二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:39:01

    「だからね、今日はアンタに会えて…その…」

     良かった。そう言えばいいはずなのに突然恥ずかしくなって喉が開かなくなる。さっきは素直に言えたじゃない、口よ、開なさ───。

    「良かった」
    「…へ?」
    「改めて…俺さ、今日君と会えて良かったって思う。ホントだよ?」

     言おうとしてたことを使い魔に先に言われ、ポケッとしてしまう。それは、アタシの言うセリフだもん…!

    「ふんだ、アタシはもっと会えて良かったって思ってるもん!」
    「な、なんだと!?」
    「べーっだ、使い魔なんかよりもアタシの方が心込めてるもーん!」

     虚をつかれたように困惑する使い魔に向けて渾身のあっかんべーを披露してやる。ずるいずるい、だってそれはアタシが本来こいつに言ってやってスイーピーへの忠誠をより確かにするための決めゼリフだったのに。

    「お、俺だって負けてないぞ!今日走ってる時だって、スイープならここをこうして勝つって信じて見てたし!?」
    「へーん、アタシなんて使い魔が今日のドレス姿を見られないのは可哀想だから自撮りしてやったし!?後で見せたげるから感謝しなさいよね!」
    「俺だって!!」
    「ふんだ!スイーピーなんて!!」

     お互いが見つめ合い、しばしの時が止まる。視界には使い魔以外映っていないし多分向こうも同じ。ほんのり息をあげて、ムキになって、見つめ合って───。

    「ぷ、ぷぷ…」
    「…俺ら、何をワケわからんことで張り合ってるんだろうな…くく…」

     思わず、大笑いしちゃった。だって、結論を言っちゃえばアタシも使い魔も一人で動いてたはずなのに、いない片割れを想像して、いない片割れを想って、いない片割れに想いを馳せて…最後には二人共、会いたくなっちゃったんだもの。

     なにこれ、これじゃあまるで───。

  • 23二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:39:55

    「意味合いは変わるけど…アタシたちは両思いだったみたいね」
    「違いないな、しかもだいぶ歪んだ感じだけど…まあ、それも俺達らしい…の、かな?」

     苦笑いを浮かべながらも、ちょっぴり嬉しそうに笑う使い魔とアタシ。もちろん、これは恋愛的な意味での両思いじゃなくて考える事は同じだったってだけの両思い。

     しかもその思いをぶつけ合ってどっちの方が上かいがみ合ってるんだから救いようがない。そりゃもう、笑うしかないでしょ。

    「…でもさ、これだけは言いたいんだけどさ」
    「…なぁに?」
    「お疲れ様、今日は頑張ったね」

     息を整えながら、使い魔が微笑み混じりにアタシに言ったその瞬間、全ての苦労が報われた気分になった。今日頑張ってよかったな、使い魔の信頼に応えることが出来たんだなって嬉しくて…。

    「…アンタも、寒い中お疲れ様」
    「あとね、…アタシを信じてくれて…ありがと」

     使い魔にも感じて欲しくなって、ガラにもなくお礼を言った。普段だったら絶対言わないだろうけど…クリスマスの魔法にでも掛かったってことにして勢いで言ってやった。

     言われた使い魔も、一瞬びっくりしたリアクションを見せたけど…すぐに満面の笑みが顔に咲いた。

    「どういたしまして。俺も…君に会えて嬉しかった。俺が来ると信じて待っててくれて…ありがとな」

     さっきは使い魔を包んでいたアタシの手が今度は使い魔に包まれる。もう、冷たい手はどっかに言っちゃったみたいでスイーピーにも負けず劣らずのぽかぽかハンドになっていて、ぎゅ、ぎゅ、と確かめるように握る。

     そこに、アタシがいるのを噛みしめるように。

    「…離さないでよね、その手」
    「離してほしいって言わなきゃ離す気はないよ」

     二人で変な言い合いをしながら改めて夜景を見る。お互いの手を繋ぎながら見た丘の上の夜景は、何よりも美しく見えた。その理由はキレイだったからなのもそうだけど…きっと、この時間を一緒にいたいと心から思える人と見た景色だからなら…ロマンチックで素敵だなと思うのだった。

  • 24二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:41:08

    だいぶ長いですね
    どうか許し亭

  • 25二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 22:56:34

    許し亭氏の力作助かる
    使い魔とスイーピー、お互い離れていても心のつながりがあるのが素敵!

    しかしそうか、世間はもうクリスマスムードか……

  • 26二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 23:00:15

    信じて行かせた側も任せられた側も普段いるはずのお互いがいないことに違和感を覚えてるのがいつも一緒な2人故なんだろうなとほっこりしました

  • 27二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 23:05:27

    かたやレースに出てない担当を幻視して勝つビジョンを見る
    かたやそこにいない使い魔をイメージ投影させて撮影する
    2人ともお互いのこと大好きでは?

  • 28二次元好きの匿名さん23/12/22(金) 23:18:56

    >そこに、アタシがいるのを噛みしめるように


    やばい…ここクラってなるくらいすき…

  • 29二次元好きの匿名さん23/12/23(土) 06:11:16

    心があったけえよ…すき…

  • 30二次元好きの匿名さん23/12/23(土) 06:57:12

    信頼にテーマを置かれたんでしょうかね?いいものでした。
    ファインがスイープなら大丈夫と自身の撮影の代役をお願いし、予定が被って同行出来ないトレーナーも1人でも問題ないと判断し、スイープもやり遂げる。
    でも、本心はいないお互いの存在を無意識に想い合うってのが素敵な関係だなと思わされました

  • 31二次元好きの匿名さん23/12/23(土) 08:41:22

    両思いがいつか両想いに変わる日が来るのかなと微笑ましい作品でした

  • 32二次元好きの匿名さん23/12/23(土) 10:46:17

    いいねえ
    相変わらずの解像度の高さと緻密な心情描写はお見事っす
    お互いのお疲れ様とありがとうを交換し合うシーンがすごく好きです

  • 33二次元好きの匿名さん23/12/23(土) 11:02:17

    甘いものは控えてるんだが…まあクリスマス近いしちょっとぐらいいいか!

  • 34二次元好きの匿名さん23/12/23(土) 12:33:26

    これで恋愛感情とは違う両思いって断言してるのがまた良い
    トレーナーと担当ウマ娘の枠に留まらず、でも恋人のような甘い関係でもない。この2人にしかない不思議な関係は素敵ですね

  • 35二次元好きの匿名さん23/12/23(土) 13:13:40

    良い…

  • 36二次元好きの匿名さん23/12/23(土) 17:55:13

    花言葉を絡めた題名は毎度お見事ながらニリンソウのところは特にグッと来ました
    ニリンソウはずっと離れないって意味があるんですね…それだけに手を握り合うシーンがより美しく見えます

  • 37二次元好きの匿名さん23/12/23(土) 21:25:12

    使い魔が急いで帰ってたら大変な事になりかねない所、通じ合うと言うか引かれ合うと言うか…許し亭さんの書く二人は素敵ですねえ

  • 38二次元好きの匿名さん23/12/24(日) 07:32:49

    ニヤニヤが止まらねえ

  • 39二次元好きの匿名さん23/12/24(日) 10:19:19

    フラワーもスイープもトレーナーという存在を意識して撮影したら普段のそれとは様変わりしてるってのが良いね
    ほんのりな描写で解像度に厚みを増していて素晴らしいです

  • 40スレ主23/12/24(日) 18:16:56

    多大な感想ありがとうございます
    おまけというか後日談書いたのでどうぞ

  • 41おまけ23/12/24(日) 18:17:17

     冬の寒さとは対照的なあたたかな温もりに包まれた昨日のクリスマスから一夜明け、新しい朝を迎えた。正直、去年のクリスマスを超えるはもうないかもしれないと思っていたが…人生とはわからないものである。

     そんな事をしみじみ思いながら俺はトレーナー室で年内最後の仕事に取り組んでいた。キーボードを無心で打っているとそのタイプ音すらも景色と同化してしまったような気がする。まさしく、無機質の世界だ。

    「ねぇ、まだ〜?」
    「あともう少しだから…うん、こんなもんかな?」

     しかし、それもスイープの来訪で打って変わって賑やかな空間へと変貌を遂げた。トレセン学園そのものは冬休みの真っ只中であり、中には実家に帰省したウマ娘もいるのだがスイープはおうちの都合で寮に残った。

     というのも、年末年始はご両親共に実家に不在らしい。そうでなくとも帰るつもりはなかったそうだが、その言葉からは若干の寂しさを感じ取れた。この年頃で親元を離れて生活してるのだからそれもさもありなんだろう。

    「むぅ、ホントに終わったんでしょうね?さっきもそれ言ってからやり忘れがどうこう…」
    「もう終わり終わり。これ以上はキリないしこっから先は来年の俺に投げるよ」

     それを鑑みた結果、スイープと年末年始を過ごす比率を上げて少しでも彼女の寂しさを紛らわせることが出来ればと言うことで夕飯はほぼ全て俺がごちそうすることにし、お出かけもスイープが出かけたい時に付き合うよう伝えたのが昨日の帰り道での話。

     その翌日にアポ無しで仕事場までやってきたので、相当楽しみにしてたのかなと思うとこちらとしても提案した甲斐があったというもの。早速、今日は昨日悔しい結果で終わってしまった晩ごはんを改めて振る舞うことにしたのだ。

    「…ま、ならいいけど。よーし、そしたら百貨店に行くわよー!」
    「スーパーじゃなくて駅前の百貨店…?ま、どうせなら良いもんを揃えて昨日の遅れを挽回しようか」

     突然彼女の口から出てきた百貨店というワードに困惑を覚えたが、まああそこは色んなお店があるからただスーパーに行くよりかは楽しいだろうと快諾する。

     その言葉に舞い上がりまくって待ちきれなくなり、先に門で待ってると言って駆けていくスイープの後ろ姿を微笑みながら見送り、俺もコートに手をかけるのだった。

  • 42おまけ23/12/24(日) 18:17:38

    「ただいまー!」
    「ここ、俺の部屋なんだけど…ただいま」

     百貨店から自室に帰り、あたかも自分の部屋のようにただいまと言うスイープにツッコミを入れてから買ったものを冷蔵庫に移していく。ジュースも大量、食材もおかしも大量。これら全てを捌くのは至難の業だが…まあスイープもいるし何とかなるだろう。

    「ほらスイープ、外から帰ってきたら?」
    「…ふんだ!より質の良い詠唱のために手洗いうがい、でしょ?やろうと思ってたもん」

     帰ってきて早々にテレビをつけるスイープをたしなめるように言うと、ちょっぴりバツの悪い顔をしながら洗面所にとてとて歩いていく。数秒後、流水の冷たさに奇声をあげるスイープの声を聞きながら俺も台所で手を洗い、準備を整える。

     あとは作るのみ。ひとまず、メインの仕込みのためにまず鶏肉に手を出すのだった。

    「…はぁ、美味しかったぁ」
    「食った食った、もうお腹いっぱい…」

     時は進み夜。たくさん作った料理もスイープセレクトで注文した宅配ピザもすべてキレイさっぱり無くなってしまうほどに食いまくったのではっきり言って身体が重い。

     それもそのはず、特に示し合わせたわけでもないけど俺もスイープも昼を抜いていた。その結果、目の前にお出しされた時点で飛びつきそうなほどにスイープは目を輝かせていた。

    「空腹は何よりのスパイスってホントなのね…」
    「なー…。明日胃もたれ来るかもな…」

     昨日の分を取り返すほどのごちそうを平らげ、一息つくとなんか力が抜けてしまった。そのまま身体を上に伸ばしつつ、仰向けになって寝転ぶ。なんというか、これが幸せというものだろうか…。

    「あ、ご飯食べた後にすぐ横になると牛になっちゃうってグランマが言ってたわよ?」
    「モーモー使い魔でいいです…あぁ〜幸せぇ…」

     奥の方から聞こえてくる声に屁理屈を返して再度伸びる。昨日も激務だったし今日は今日で動き回ったから何だかんだで疲れが残っているのだろうか、少しばかり目がぽやぽやする。

     このままではゲストを迎えながら寝てしまう、慌てて体を起こすと…何やらスイープが持参していたショルダーバッグを見つめてうわ言をつぶやいていた。

  • 43おまけ23/12/24(日) 18:18:18

    「…スイープ?それは…」
    「!え、えと…」

     少し心配になって覗き込んでみると、必死に何かを隠そうとしている。しかし、見当がつかないこっちからしたら何をしてるのかわからないので自然と訝しんでしまう。

     家のものでも壊してしまったのだろうか?しかし、それを隠し通そうとするような子でもないし…なんだろうか。

    「う〜…その、ね?サンタからプレゼントを預かってるの。アンタに去年はごめんねって」
    「えぇ?サンタから?」

     彼女の口から出た、予期せぬ言葉にすっとんきょうな声が出る。去年はたしかにサンタが現れること無く、スイープからプレゼントと称して魔法を掛けてもらったが…どういうことだろうか。

     話が飲み込めない以上、こちらから進めても仕方がない。ひとまずスイープの出方を伺っていると、少し唸った後に現物を渡される。

    「…中、見ても?」
    「す、好きにすれば?アタシも知らないし?」

     ツンとするスイープの態度に違和感を覚えつつ、包装紙を丁寧に開いていき…中身が現れる。

    「…これは、手袋か?」
    「へ、へえ。昨日は寒そうにしてたしちょうどいいプレゼントじゃない。感謝しなさいよね───」
    「───!さ、サンタによ!?」

     サンタから俺へのお詫びの品とは、手袋のことだった。猫の肉球のようなデザインのそれは、はめてみるととってもモコモコでどんな寒さでもへっちゃらだろうとわかる一品。

     それに…何となくだがこの糸は良い素材を使っている気がした。タグを見てみると、先程行った百貨店の専門店に売られているもので、やたらサンタへの感謝を強調するスイープとこのタグで全てを察した。

     …ホント、素直じゃないやつだが…一周回れば超素直と言えるかもしれない。

  • 44おまけ23/12/24(日) 18:18:50

    「…スイープ」
    「な、なによ。デザインが気に食わないとか言うんじゃ───」
    「ありがとう、大事にする」
    「…って、サンタに伝えておいてくれないかな」

     手袋を胸に抱き締め、嬉しそうに笑ってスイープ…に渡すよう託した優しいサンタさんにお礼を言ってほしいと伝える。なるほど、彼女が百貨店を所望した理由はそこにあったのか。

     昨日、かじかみまくった俺の手を包むようにスイープは温めてくれた。その時に何か思う所があり、サンタからのプレゼントと称してこの手袋を買いに行くために百貨店を…という所か。

     本当に、優しい女の子だ。

    「…あとさ、実は俺もスイープに渡しといてってサンタさんから頼まれたものがあるんだよね」

     そんな子からの気持ちに返せないのは使い魔がどうとかトレーナーがどうとかではなく、俺自身が許したくない。重たいお腹を引きずるように寝室に行き、押し入れからサンタからの贈り物を引っ張り出してスイープに渡す。

     渡されたスイープも困惑気味にプレゼントボックスのリボンをほどいていき…俺からの気持ちが露わになる。

    「こ、これ…!?何で?だってすっごく高いのに…」

     姿を見せたのはくまのぬいぐるみ。しかし、今スイープが言ったようにただのぬいぐるみというわけではなく、半端なく高いぬいぐるみである。

     先日、スイープとお出かけした時に彼女が立ち止まって眺めているショーケースの中にこれがあった。かねてより1年間のご褒美に何か買ってあげたいと思っていた俺は渡りに船だと後日一人でそのぬいぐるみを扱う店に行ったのだが…。

    「さ、最安値で5万円から…!?しかもフルオーダーメイドって、えぇ…!?」

     何とびっくり、めちゃくちゃ高級なぬいぐるみを扱う店だった。カタログを見ると色んな愛くるしいくまのぬいぐるみがズラッと並んでいるが…10万をいってもまだそこまで高くないという代物ばかりで我が目を疑った。

     しかし、今年の彼女の頑張りはこれに相応…いや、これ以上だったと思う。サプライズで用意する以上、どういう感じのものが良いかなんて聞くことは出来ないが彼女の嗜好ならまだ予測は出来ると、購入に踏み切った。

     全ては、彼女の頑張りに報いたいというただ一つの願いのために。

  • 45おまけ23/12/24(日) 18:19:22

    「頑張ったスイーピーにどうか渡してあげてって。良かったね」
    「…」

     くまのぬいぐるみを抱き締め、無言になってしまうスイープに若干の焦りを感じる。もしかして、チョイスを間違えたのだろうかとか素直にサンタがどうこうじゃなくて俺からのプレゼントって言えば良かったかとか後悔が渦を巻き始めたが───。

    「…サンタに伝えときなさい」
    「は、はい」
    「来年はアタシ好みのコーデを書いて使い魔に渡すから、それを持ってきなさいって」
    「…これはこれで、お世話してあげる」

     どうやら、杞憂だったようだ。言葉とは裏腹に愛おしそうにぬいぐるみを抱きしめる彼女の姿を見て、買ってよかったと切に思う。

     あげて渋い顔されるよりかは嬉しい顔をしてもらえた方がそりゃこっちもホッとするが…まあ、俺まで嬉しい気持ちになったのだからこれが正解だったのだろう。

    「そうしてやってくれ、きっとサンタさんも喜ぶよ」
    「…あとね?」
    「うん?なんだ?」

     温かな気持ちになった所でスイープに再度呼ばれる。何だろうなと返してみると、ちょいちょいと手招きをするので彼女の側に座ってみる。何をするのやらと首を傾げながら待っていると、耳付近に顔を寄せつつ小声でその言葉は放たれた。

  • 46おまけ23/12/24(日) 18:19:41

     あのね、使い魔。

     ありがと。大事にする。

  • 47おまけ23/12/24(日) 18:20:33

     その言葉は俺の思考を停止させるのにあまりにも十分すぎた。それほどまでに俺は彼女の口から放たれるありがとうという感謝の言葉に慣れていなかったからなのだろうが…。

     この3年の間、面と向かってありがとうなんて言われたことはなかった。今だって直接顔も見ず、耳元でこしょこしょ伝えるレベルではあるが…それでも言われることがなかった時を思うとよほど頑張った方だと思う。

     彼女が勇気をだして踏み出した一歩。俺はそれに応えなければならない。

    「じゃあ俺からも改めて言わせて?」
    「…ありがとな、スイープ。これ、大事にする」
    「…うん、約束よ?」

     彼女に向き合い、素直な感謝の言葉を述べると下を向いてちょっぴりもじもじした後に小指をすっと出してくる。いわゆる指切りげんまんと言うやつだろうか。

     倣うように彼女の小指に自分の小指を絡ませ、一つのつながりが出来る。そのつながりは見ただけでは希薄かもしれないけれど、間違いなくスイープトウショウがトレーナーで使い魔の俺と心を通わせているという、何よりの証拠でもある。

    「…きっといつか、この小指が離れることになったとしても俺は君を忘れはしないと思うよ」
    「…ヤダヤダヤダ!」
    「えっ、急に駄々っ子!?」

     なんかしんみりしたムードだったのが急に駄々っ子発動で壊れちゃったのでびっくりしていると、スイープはきっとこちらを睨みつけてはっきりと言い放つ。

    「使い魔なんだから、ずっと隣で言うことを聞いてなさいよ!」
    「…ずっとは、流石に飽きちゃうんじゃないか?」

     彼女からの唐突なワガママ宣言に苦笑いを浮かべてしまうが、スイープが望むのならいつまでも隣で聞こうじゃないか。彼女にとって本当に大事な人を見つけた時、そこが俺の役目の終わりだ。

    「そうよ、スイーピーの気は移ろいゆくんだから。せいぜい飽きられないよう頑張るのね!」

     なら、飽きられることのないように精進させてもらおう。彼女の冒険の果てを隣で見届けられるように。

     こうして、クリスマスの後夜祭は温かな気持ちで過ぎていくのだった。

  • 48スレ主23/12/24(日) 18:21:15

    以上、おまけでした。
    おまけの長さなんですかねこれは
    どうか許し亭

  • 49二次元好きの匿名さん23/12/24(日) 19:52:27

    アッ…(言葉を失う)

  • 50二次元好きの匿名さん23/12/25(月) 06:25:51

    許し亭氏のおまけ後日談助かる


    >>「使い魔なんだから、ずっと隣で言うことを聞いてなさいよ!」

    >>「…ずっとは、流石に飽きちゃうんじゃないか?」

    >>「そうよ、スイーピーの気は移ろいゆくんだから。せいぜい飽きられないよう頑張るのね!」


    ホームボイス要素で解像度高いし、その後の使い魔に対するご主人様の返しも良き……



    >>「モーモー使い魔でいいです…あぁ〜幸せぇ…」


    使い魔のこういうところ好き

  • 51二次元好きの匿名さん23/12/25(月) 09:03:24

    おのれホスト規制、送りたい感想もハートも送れんなんておのれ

    おまけ含めてご馳走様でした
    指切りのつながりはきっと切っても切れないものになるのでしょうね

  • 52二次元好きの匿名さん23/12/25(月) 15:38:45

    飽きさせないよう頑張るってつまり飽きさせないでねってことで…もしかしてずっとそばにいてってことですかね!?
    は〜(語彙力)

オススメ

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