- 1二次元好きの匿名さん23/12/25(月) 01:28:38
期待、高揚、緊張感。1年を締めくくる大レースに詰めかけた何万という人々。その各々が秘める様々な思いが、クリスマスの凍てつく空気を震わせる、年の瀬の有馬記念。この舞台に立つことを思うと、ダービーの時のお祭り騒ぎの雰囲気とはまた違う、あらゆる夢にささやかな寂寥感を混ぜ込んだような不思議な感覚が私の胸を支配した。
今年の有馬記念は異例の大混戦だ。その中で、私もありがたいことに有力バの一人として支持されている。それは2番人気という数字にも表れていた。でも、誰が勝ってもおかしくはない。ここは全ての夢が一堂に会する場所なのだ。
今はパドックが終わって出走前。私はトレーナーと最後の確認をする。大まかなレースプラン、予想される展開、警戒を要する子、出遅れなどのイレギュラーへの対応……。重要な点を手短にチェックし、トレーナーに見送られて本馬場へと向かう。 - 2二次元好きの匿名さん23/12/25(月) 01:29:47
トレーナーはウマ娘との接触事故により少しの間入院していて、つい最近復帰してきていた。普通なら年内は安静にしているべきだろうに、それもこれも、私のトレーニングを見るため、そして私と一緒に勝ちたいからだそうだ。彼にはかれこれ2年以上面倒を見てもらっているだろうか。その間には、トレーナーが率いるチームが一度も勝てていなかった朝日杯を共に勝ち、日本ダービーも制していたから、もらったものはちゃんと返せている気がする。でも、最近はずっと結果を残せていない。私の前にはいつも、ダービーでは下したあの子の、背中があった。
ゲート入りが始まる。私が入るゲートは5番。このウマ番は何十年も勝てていない「ジンクス」付きの番号だ。そういったいらぬ考えを追い出そうとすれば、網膜の裏に焼きついたあの子の後ろ姿が追い打ちをかけるように浮かんでくる。ダービー以来、彼女は私の手の届かぬ遥か遠くへと行ってしまった。私がどんなに追おうとも、届くことはない。
発走直前の静けさに包まれた中山で、私は深呼吸をする。トレーナーさんや、憧れの先輩、応援してくれるたくさんの人は泥だらけの私に夢を託してくれた。その夢を勝利の向こう側へ持っていくことが、この場にいる私の使命だ。決して「あの子が出ていれば」なんてたらればは言わせない。
勝利は目前。その名に恥じない走りを。今、勝負が始まる。 - 3二次元好きの匿名さん23/12/25(月) 01:33:01
レース中は不思議なくらいに身体が軽く感じた。ポジションはずっと後方寄りで脚を溜めていたけれど、逃げる有力ウマ娘が止まらなさそうだと直感して、最終コーナーで捲り気味に位置を押し上げていく。想定の一つではあったけれど、憧れの先輩とは逆の、そして奇しくもその先輩がこの有馬の舞台で破った、煌びやかな三冠ウマ娘がとったものと同じような捲り戦法。数多ある選択肢の中から、私は勝つためにそれを選んだ。
脚は自分でも驚くくらいに残っていた。だが目の前は開けない。物理的なものではない。心の中のイメージだ。何バ身か前にいる逃げウマ娘に、あの子の影を幻視する。あるいは2番手で先行していた子が、涼しい顔をして後続をちぎり捨てていく姿か。また、そんな思いを抱く。心が重りになる。
その思いを、私はそのまま受け入れた。
ギアを入れた瞬間、私は翔んでいるような感覚に襲われた。磨いてきたピッチ走法で中山の短い直線を駆ける。澄み切った師走の空気も、巻き起こる大歓声も、ずっとあったあの子の影も、全てが遥か後方に飛び去っていく。迫ってくるのは、ゴール板だけ。
確かに、私は彼女に届くことはもうないのかもしれない。彼女の戦績はほとんど完璧で、スーパーホースといってもいい。トレーナーが憧れていたオグリさんと同じような高みにいる存在だ。
けれど、届かないからといって、それは私の脚を止める理由にはならない。憧れの先輩やファンの人たち。私が不甲斐ない姿を見せても、応援することをこれっぽちも諦めてなんかいない。なら私も、諦めたくなんてない。何より、ずっと支えてきてくれたトレーナーは「私と勝ちたい」と言ってくれた。私はまだ、勝てるのだ。大ベテランの彼が言うのだから、そう信じたい。そして、彼が信じた勝利の目の前で足踏みをしていられるほど、私も悠長な性格ではない。
歓声は聞こえない。あの子の影もない。目の前にあるのはただ、駆け抜けるべき一つの道だけだった。 - 4二次元好きの匿名さん23/12/25(月) 01:34:28
ただ一つの隙間も見つけられぬほど溢れかえっていた人の波。それも時間が経ってとうに引いてしまった中山競馬場の地下通路。一年の終わりの侘しさを伴った空気を吸いながら、私は通路を歩いていた。
最終直線、ゴールの瞬間はあまり記憶にない。気がつけばあんなに遠くにあった歓声が、割れんばかりの音圧を伴ってすぐ近くに感じられて。私は憧れの先輩と同じように、心からの叫びをもってしてその声援に応えた。その時はもう物凄い空気感で、観衆は私の名前をコールした後、トレーナーの名前まで連呼し始めてしまったのだから、流石にそこは苦笑いするほかなかった。でも、私とトレーナーがタッグとして認められていること、一緒にこの有馬記念という舞台を勝てたことを改めて感じられて、後からまた涙が込み上げてきたのは内緒だ。
地下道を少し歩いて、中山競馬場で栄光を手にした名ウマ娘を讃えるメモリアルウォークに差し掛かる。その有馬記念のパネルの前に、あの子がいた。
彼女は私に気づくと、微笑んで手を振る。私はすぐさま駆け寄って、有馬記念の勝利を報告した。話ぶりからするに、スケジュールの関係で現地で直接は見られなかったものの、レースの様子はしっかりと映像で見たようだ。
昨年は当の彼女がこの舞台を勝っており、それを記念したパネルももちろんある。その前で私が勝ちを誇るのも、なんだか気恥ずかしく感じられた。普段はトレーニングメニューや献立の相談をしたりと近くで支え合っているが、同時に彼女はシニア級以降は遠い存在となってしまっていたから。それも気まずさというかなんというか、そういったなんとも言えない感情を生んでいる原因かもしれない。 - 5二次元好きの匿名さん23/12/25(月) 01:37:00
「──私はやっぱり、あなたを追いかける運命なのかも」
少し話した後、壁に飾られたパネルを見ながら、ふと彼女がそう呟く。2022年有馬記念勝利ウマ娘の彼女のパネルの隣には、2023年有馬記念の勝ちウマ娘のパネルを取り付けるためのスペースがある。通路を歩く人から見て右側から左側へと年が古い順に貼られていき、パネル写真の構図も左方向に走るものに限定されている関係で、私のパネルが取り付けられれば、彼女が私を追っているように見えるのだ。
私は驚いて彼女を見やった。その絞り出すような言葉は皮肉とは無縁の語調で。彼女は秋シニア戦線で2度に渡って私を歯牙にもかけず千切り捨てていたから、そんなことを感じているとは到底思えなかったのだ。
だけど、彼女の表情を見て気づく。私は、言葉を紡ぐ。
「……これは君が私を追いかけているんじゃないと思うよ」
私から返ってきた返答が予想と違ったのか、今度は彼女が少し驚いたような表情を見せた。
「君が駆け抜けた道の続きを、私が走るんだ。私は、その方がいいかな」
そう言って笑顔を向けると、彼女は一瞬呆気にとられたような顔をして、その後また、微笑んだ。それは、これまでどことなくぎこちなかった笑みと比べてつかえが取れたかのような、見惚れるくらいに優しく、綺麗なものだった。
「ま、君に追いかけられるなんて経験はもうしたくないしね!」
それに何と声をかけていいのか分からず、気まずくてついお茶を濁してしまう。彼女も「何でよ!」なんてツッコミながら笑う。
私は彼女とは違った道を歩んで、泥だらけになった。それでも、私は皆の想いを受け継いで走る。約束された勝利なんてものはないけれど。私は貪欲に、泥臭くもがきながら、夢を繋げていく。 - 6123/12/25(月) 01:39:29
おわり
↓のスレの8にやられて衝動的に書きました。SS書いたの初めてなのでお見苦しい文章ですが何卒。
ドウデュースとイクイノックスの有馬記念|あにまん掲示板最終コーナーで捲って行く姿興奮するよね直線で先頭集団につけて加速するのかっこよすぎるhttps://youtu.be/mMsleR7nFYA?si=eFZbCXm_32417-k2https://yo…bbs.animanch.com - 7二次元好きの匿名さん23/12/25(月) 01:48:48
深夜の名SS助かる、素敵でした
- 8二次元好きの匿名さん23/12/25(月) 01:52:08
当事者の名前を一切出さないのが趣深い…
ところでなんでこんなSSを深夜に投下しちゃったんです? - 9123/12/25(月) 02:27:51
- 10二次元好きの匿名さん23/12/25(月) 04:51:11
寒くてたまたま目覚めたらとんだ名作だよ…偶然の出会いに感謝
- 11二次元好きの匿名さん23/12/25(月) 11:10:14
ありがとうございます。気に入っていただけたなら作った甲斐がありました。
- 12二次元好きの匿名さん23/12/25(月) 11:34:08
感謝・・・!圧倒的感謝・・・!!
- 13二次元好きの匿名さん23/12/25(月) 14:46:12
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- 14二次元好きの匿名さん23/12/25(月) 15:17:40
このレスは削除されています
- 15123/12/25(月) 18:51:00
こちらこそ反応をいただき圧倒的感謝っ……!!