【SS】選んだのは、私の夢

  • 1二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 22:40:29

     風が、頬を撫でていく。それに気付き、目を開く。

     私は、平原の上に立っていた。

     一面に芝が広がり、上には青黒く澄んだ空がある。地平線から、朝日と覚しき光が差し込んでくる。レース場でもなければ、町や学園というわけでもない。

     意識のないうちに見知らぬ場所にいたという経験なら、何度かある。自分の身で実験していると、色々な事象に遭う。しかし不思議なことに、今、私は勝負服を着ている。どういうことだ? 知らぬ間に、私は重賞レースに挑んていた? 白く長い袖を振りながら、思考を巡らせていた時。

    「あなたも、ここに迷い込んだのですか?」

     声をかけられた。振り向くと、ウマ娘がいた。制服姿で、こちらに笑みを向けている。知らない顔だ。

    「迷い込んだ? その口ぶりだと、君もここに迷い込んだのかい?」

     質問を返すと、彼女はうなずいた。

    「はい。ここで誰かと会うのは初めてなのです」

     そう言いながら、彼女は光の方へ向いた。

    「見てください。あそこ」

     彼女の指差す地平線を見てみると、そこには光が揺らめいている。しかし、その揺らめきは遠く、視認できるギリギリなくらいに小さい。そんなところに、よく自力で気づいたものだ。

    「これは、海か? 波が太陽光を反射しているわけだ」
    「そうです。海なのです。いずれ誰しも、ここへ流れ着くのでしょう」

     誰しも流れ着く? よくわからないが、彼女の視線は波から離れない。

  • 2二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 22:40:52

    「あなたは、どうしてここへ来たのでしょう?」

     突然、向こうから質問が飛んできた。どうして? どうしてだと? そんなものは、私が知りたいくらいだ。

    「私にもわからないさ。ここはどこなんだい? 早いところ学園に戻らないと、いろいろと面倒なんだが」

     不機嫌そうに答える私に、彼女はこちらの顔を覗き込むようにかがんだ。

    「帰れる場所が、あるのですね」

     帰れる場所? 何を言ってるんだ? 同じ学園の生徒だろうに。

    「君こそ、帰らなくていいのかい?」
    「あなたの夢は、なんですか?」

     私の問いかけに、答えは無かった。こちらの質問を無視した挙句、夢の話ときた。いい気分はしない。

     誰にも言ったことは無いが、実のところ、私は夢がちょっとキライなのだ。夢と言っても、寝ている間に見る、アレだ。

  • 3二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 22:41:21

     なぜか、春になると、あの夢にうなされる。

     皐月賞。つい先日、私が勝ち取った重賞レース。その後のトレーニングにて、私は脚の異変に気付く。脚にかかる歪み。力の偏重。全てのバランスが崩れ、空回り、倒れる。立ち上がることが困難になったと、それに気が付いてしまう瞬間を、昔から夢に見るのだ。

     もとより、わかっていることではあった。私の脚の状態は、そういいものでもないと。脚が速いことと健康なことは両立し得ない。そんなことはわかっていた。だが、自分の望みが果たせないと思い知らされるのは、本当に興醒めする。

     望みという意味での夢であれば、それは好奇心に他ならない。

     すべてを超えるような、速度という概念の先へ行けるような。そんな速さを持つウマ娘は存在し得るか、知りたいのだ。限界を壊せるほどの速さを手にした存在が現れた時、きっとそれは、おもしろい。それをこの目で確かめるために、私の道のりはあったのだ。いや、確かめるというよりは、実現するという言い方が正確だろう。

     だからこそ、自身での実現はマストではない。私が最速になるというのは、十分条件であって、必要条件ではないのだ。そして先日、白羽の矢は立ててある。これも夢で見たことだが、私を負かす存在が現れた。それも、ごく身近にいる人物だ。ようやく、私はあの悪夢から降りられる。

     しかし、ここで聞かれている夢とは、望みの方であるだろう。それをわかった上で、素直に答える気にはなれない。

    「質問をするのなら、まずは君から話すべきではないかな?」

     私の返しに、彼女は視線を逸らし、うつむく。

    「○○○○○の夢は……」




     …………

  • 4二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 22:41:57

    「……オンさん、タキオンさん」

     ふと、馴染みのある声が聞こえる。確か私は、さっきまで誰かと話していて……?

    「うーん?」

     ちょっと声を出してみたつもりが、予想以上に頭に響く。どうやら私は、机に突っ伏していたようだ。顔を上げると、そこはいつもの研究室だった。

    「おかしいな。私は、だだっ広い平原にいて、誰かと話を……」
    「あなたでも夢を見るんですね。早く身支度してください。授業、始まりますよ」

     友人に催促され、時計を見る。朝の八時を過ぎていた。

    「んん? もうそんな時間か」

     昨日の晩、夜通し研究するつもりが、いつの間にか寝ていたのだろう。だんだんと記憶も戻ってきた。なんとか体を立ち上がらせ、カバンを探している時に気付いた。腕を覆う長い袖。白衣の中には、厚めに編まれたセーターが見える。私は勝負服を着たまま寝ていたようだ。

     勝負服で、さらに思い出した。先程までいた平原のこと。そして、話をした誰かのこと。だが、たかが夢の中でのこと、いずれ忘れるだけだろう。さほど気にせず、私は身支度を進めた。

  • 5二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 22:42:27

     月日は少し経ち、私は日本ダービーでも勝ちを重ねた。これは、喜ばしいことではある。私の研究が間違いではなかったと証明しているようなものだ。しかし、残念なことでもある。誰も私を打ち負かさない。誰も私の速さを超えない。私が表舞台から退場した後、私の速さを受け継げる者はいないかもしれない。

     それでも、拮抗する者はいた。あの友人だ。そして夢の中でだが、私を負かした唯一無二の存在。彼女だけは、唯一私の喉元に手が届きかけている。

     プランB。決断するなら、ここだ。これ以上の出走で私自身が壊れてしまえば、観測者としての務めすら果たせなくなる。幸いにも、友人は私以上に頑丈そうだ。この先1年は、いや2年は走れるはずだ。

     その考えを後押しするかのように、夢を見る。私が友人に負け、プランBへと舵を切った時の夢だろう。私は一切走ることなく、彼女のバックアップをしている。それはとても順調だった。それどころか、想定よりも早い段階で、彼女はウマ娘の果てに到達するようだ。彼女は時間をも超える、そんな予感を感じずにはいられない。
     こんな時にまで夢の内容を信じているあたり、私は科学者ではないのだろう。それは当然だ。私自身、自分を科学者だと思ったことなどない。科学はあくまで利用手段であり、目的ではないのだから。

     しかし、なんだろうか。決断しきれない自分がいる。なぜなのか、私にもわからない。だが、いろんな人の顔が浮かぶような気がするのだ。
     特にトレーナーくん。彼は異常者だ。私以外には目を向けない。だからこそ、その視線が私を縛ってしまうのだろうか。そんなはずはない。彼が何を思おうが、私とは関係がないはずだ。しかし、うーむ……。結論がまとまらない。

     そんな風に考え続けていたある時。ふと思い浮かんだ。

     あの日。あの時夢で出会った彼女なら、なんと言うだろうか。

     我ながら、バカげたことだと思うよ。たった一夜だけ会った、名も知らぬウマ娘に、今後の私が進む道について聞くのだから。しかし、体が研究を続けている間、彼女のことが頭から離れなくなる。

     私は、もう一度夢を見ることにした。あの研究室で。

  • 6二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 22:43:48

     …………



    「忘れられないウマ娘?」
    「はい。誰の記憶にも残るウマ娘になること。そのために走り続けるのです」

     再び、あの平原を訪れることができた。そこにはやはり彼女が立っており、前の問答の続きを始めた。しかし、彼女の夢とは、忘れられないウマ娘になることだという。なんとも理解しがたい言葉だった。

    「そうなって、君はどうなるんだい? 極端な話だが、君が引退した後や死んだ後には、全てどうでもよくなるんじゃないかな?」
    「いえ。そうなった後も、覚えてもらいたいのです」

     質問を続ける私に、表情を変えずに答える彼女。

    「……ますますわからないな。なぜそこまで覚えられたいのか。そもそも、それと走りとの関連性もあまり見出せないが、君はなぜそんなものを夢見る?」

     私の問に、彼女は、光の方を見つめて考えていた。

    「…………わかりません。けれど、安心するのです」
    「安心?」
    「はい。自分自身がどうなっても、いなくなったとしても、変わらずあり続けるものがいる。いなくならないものがある。それが、安心なのです」

     まったくわからない。言葉の指すところが、さっぱり読み取れない。きっと彼女と私とでは、感性が異なるのだろう。

     しかし、相反する者という要素からか、好奇心を刺激された。

  • 7二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 22:44:15

    「唐突だが、君は速さに興味があるかな?」
    「速さ、ですか?」

     彼女はキョトンとしたが、構わない。

    「そうとも、速さだ! ウマ娘がどこまでのスピードを出せるようになるのか? その果てに、私は興味があってねぇ。君からも情報を得たいと思ったのさ」
    「それは、なぜですか?」
    「話しているうちにわかったが、君と私とでは物の見方が異なっている。私の視点では気付かないことも、君であれば気付いているかもしれない」

     もっとも、それを私が理解できなければ研究に生かせないわけだが。やってみなければわからないのが実験の性というものだろう。

    「君にとっても悪い話じゃない。速さを極めれば、それこそ観衆の印象に残りやすくなるだろう。どうかな?」

     私の提案に、彼女は空を見上げる。そして、視線をこちらに戻した。



    「では、試してみますか?」



     えっ? と思った次の瞬間。突然、体が落ちていくような感覚に陥った。周りの風景も代わり、全てが真っ白に見える。手足をばたつかせてみるが、何も触れない。仕方なく、落下に身を任せた。

  • 8二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 22:44:46

     急に、ストンと地に足が着く。目を開けると、見覚えのある場所にいた。一面に広がる芝に、目の端に映る観客席。レース場だ。どこの会場かはわからないが、私は今、ゲートを目の前にしている。

     歩こうとした時に気付く。服装が違う。いつもの私の勝負服ではない。白衣ではなく、赤を基調としたものになっている。体の動きにも、どこか違和感を感じる。

     もしかすると、これは彼女の体だろうか? 先程の「試してみるか?」という問は、このことを指していた? であれば、彼女のレースを体験させてもらおうじゃないか。私は目の前の狭苦しい空間へと入った。

     ゲートが開く瞬間、感覚で飛び出してみた。速い。速い。この脚力は、私のものとは違う。しかし、序盤からこれだけの力みに耐え、それを全て速度に変換している。これはすさまじい。もっと試したい。

     そう思ってさらに加速しようとした時、普段は感じないであろう筋肉の痛みが来た。まだ耐えられる程度だが、速度を上げづらい。彼女の肉体も、やはり完璧というわけではなく、誰しもハンデを背負っているということか。さらに、最初から先頭を走っているから、後続の姿が見えない。足音だけで距離を測るしかない。これがなかなかにうっとうしい。

     それでも速度を維持するには問題はなく、そのまま1着でゴールイン。ゴールまでの距離は、私が思っていたよりも短かった。ただ、私自身では感じなかったほどの疲労が体を襲う。耐えられず、コース脇に座り込んだ。

  • 9二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 22:46:22

     その瞬間、再び体が落ちていく感覚が来た。今度は、あの平原に戻ってきた。

    「どうでしたか?」

     笑顔で立ったままの彼女に対し、私はまだ息を切らしていた。

    「……すばらしいね。君の走りは、実に速い。最初から最後まで。想像以上に魅力的だ」

     こうは言ったものの、言葉とは裏腹に、私は彼女をプランの主軸に据えようとは思わなかった。なぜだろう。自分でもわからないが、短距離の走りは、私の理想とは違うような確信があった。それでも、彼女の走りには研究するだけの魅力がある。

    「やはり、君には協力してもらいたい! 学園内にある、私の研究室に来てくれないかな?」

     しかし、ここで彼女は苦笑いを浮かべた。

    「…………ごめんなさい。あなたに協力することはできません」

     断られた。まあいつものことだ。

    「では、特殊な薬を君にプレゼントしよう。なぁに、周囲の人間の印象には残りやすくなるはずさ。協力するかどうかは、それを使ってから決めるといい。だから、ひとまず研究室へ……」

    「ごめんなさい。でも、お元気で」

  • 10二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 22:46:57

     …………



     ハッとして顔を上げると、研究室だった。目が覚めてしまったのだ。あと一押しというところで、途切れてしまった。

     起き上がり、冷静になって気付く。私は夢の中の存在に協力を要請していたのだ。なんとなく彼女も、現実に存在するウマ娘だと信じている。仮に現実にいたとして、夢で語った内容など、向こうが知るはずもないのに。だが、彼女を探すことについては一考しよう。夢で走ったあの光景は、案外真実かもしれない。予知夢や正夢といったものがある以上、それに賭ける価値はあるだろう。

     しかし、彼女は引っかかる言葉を残していた。お元気で……? まるで、別れの挨拶ではないか。なぜそんなことを言った? 彼女がいなくなるから? それとも……。



     いなくなるのが、私自身だからだろうか?

  • 11二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 22:48:34

     
     
     月日は流れ、夏合宿。私は、また壁に当たることとなる。

     結論から言えば、私は気が変わり、プランAを選ぶつもりだった。合宿前にトレーナーくんと話して、考えが変化した。私のここまでの道のりは、曲がりなりにも、彼がいたからこそ来れた。そんな彼は、私のことを信じ込んでいる。疑いも何も無い。それなのに、このまま競技人生を投げてしまうのは、なんというか、かわいそうな気がした。柄にもないことを言っているのはわかるが、そうとしか表現できない。

     だが、これもまた、リスクのある選択だ。私の脚の脆弱性は未だ据え置きなのだ。プランAを完遂するための材料はいくつも足りない。それをこの合宿中に補えるかがポイントになる。

     そして、なんとなく感じていた、走り続けること、走り続けようとすることでの、私の消滅。私の脚は、私の命は、もう一回走る時に消えてしまうのではないか。あの悪夢も形を変え、ここ最近毎日襲ってくる。より後の時系列で、より悲惨な結末で。もはや、プランAとBの両立などと言っている場合ではない気さえするのだ。

     だから、私はこの決断も決めきれなかった。そして、自身へのトレーニングを控えていた。

     そんな時、また夢を見た。研究室で見たものでも、私が朽ち果てるものでもなかったが、代わりに見た夢。私がレースから退場し、友人に託した道。プランBを選んだ道だ。
     その結末は、大変喜ばしいものだった。シニア級に上がった彼女は、他のウマ娘を超える、次元の違うスピードを見せつけた。速さの向こう側へもたどり着けるであろう姿に、芝の上を駆ける白い光に、私は感動を覚えた。

     感動、したはずなのだ。

     なのに。

     なのに、どうしてだ。



     どうして、私は…………満たされない。

  • 12二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 22:50:12

     ―――――――――



     私には、厄介な友人がいる。

     事あるごとに実験や面倒事に巻き込もうとしてくる、厄介な人が。そのたびに躱し続けているが、いつまでも付きまとってくる。

     ただ、私は、彼女のことが完全に嫌いではない。尊敬すべきところもある。それに、変人に見えて、妙に常人めいた瞬間がある。故に、彼女の扱いには少々困っている。なんだかんだと言いつつ、学園を卒業するまでは、付き合い続けることになるのだと思っている。

     夏合宿でも同じ部屋となり、寝食を共に過ごすこととなった。だから、毎日彼女の寝顔を拝むこととなったのだが。

     そんなある日の夜、困ったものを目にした。





    「それで、話ってなんですか?」

     トレーニング後の宿舎。私は、あの人のことをよく慕っていた後輩に、相談することにした。お互い机を挟んで座り、中身が残ったペットボトルを置いた。

    「タキオンさんのことです。これは、あなたに話しておくべきだと思ったので」

     首をかしげる後輩へ、話を続ける。

    「昨晩、なかなか寝付けなかったんですが、寝返りを打った時、私は見てしまったんです」

  • 13二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 22:52:30

    「あの人が、泣いているところを」

     昨晩。彼女は、泣いていた。

     布団に包まり、こちらを向いて、涙を流していた。

     なぜだ……なぜなんだ……と、呟いていた。

     彼女の涙に、思い当たる節が、一つだけあった。



    「ええっ!? タキオンさんが、レースを引退!?」
    「はい。あくまで、私の予想ですが」

     いきなりそんな話をされ、後輩は驚いている。

     あの人の脚は、どうやら強いわけではないようなのだ。皐月賞、日本ダービーとで走り方に変化がある。それは、あの人の脚が負荷に耐えきれてない証拠。私にも、同じような変化が出ているから、すぐにわかった。
     また、いつだったかあの人は、私の未来に賭ける、とかなんとか言っていた。
     さらに夏合宿中、彼女は自身よりも、トレーナーへのトレーニングを積極的に行っている。先月までは、毎晩必死に一人で走り続けていたというのに。

     これらのことから、自身はレースを降り、速さの研究を他人に託すのではないかと考えた。そして、自らの夢を自分の脚で果たせない悔しさ、そのことに涙したのではないかと。

     疑惑が確信に変わりそうになるものの、私にも、彼女がどうすべきかはわからない。私がどうこう言ったところで、彼女が変わるとも思えない。だから、こうして後輩へと相談した。

    「あなたは、どう思いますか? 彼女は、どうすべきだと?」

     私の問いかけに戸惑いつつも、後輩は目を閉じて考え込む。時折、首を横に振っていた。十秒くらい経った後、彼女は穏やかな表情で口を開いた。

    「タキオンさんがレースをやめると言うのなら、止めません。タキオンさんが選んだ決断に、意見しようとは思いません」

  • 14二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 22:53:28

    「でも、タキオンさんが泣いた理由って、違うと思うんです」

     えっ?

    「タキオンさんが泣いた理由は、夢が叶わないからじゃないでしょうか」

     後輩の言葉に、首をかしげる。
     夢が叶わない? それは、私の思う理由とあまり変わらない。自分で叶えられないから泣いたのだと。違うということは、夢自体が叶わないということだろうか?

    「夢って、自分のものなんです。誰かに、託せるものじゃないと思うんです。アタシにも夢がありますけど、それを他の人が叶えるんじゃなくて、アタシが叶えるから意味があるんです」

     穏やかに、しかしどこか力強く、彼女は言った。

     言われてみれば、そうだ。私の夢は、あの子に追いつくこと。それは、他の誰でもなく、私自身が叶えるからこそ意味がある。あの人も、自分ではそれに気付いてないだけで、本当は……。

    「多分、アタシだけじゃなくて、色んな人がそう思ってるはずです。アイツも、○○○○○も、そう思ってるはずです」

     ……え?

     何か、何かが聞き取れない。

    「スカーレットさん、今、なんて?」
    「え? だから、アイツと、○○○○○も……」

     聞き取れない。何かを言っているはずなのに、言語として認識できず、発音を記憶できない。

     これは、普通ではない。

    「スカーレットさん、その方は今どこに?」
    「えっと、○○○○○は……あれ? 合宿中には、会ってない?」

  • 15二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 22:54:34

     ―――――――――



    「……ということを、あなたの後輩は言っていました」

     夕日が傾く砂浜にて、私は友人に呼び止められていた。どうにも、彼女には私の脚のことを見透かされていたらしい。

    「自分で叶えるからこそ、か。私は、そのようなことに拘るつもりはないのだがね。私ではなくウマ娘という種族の可能性を引き出し、見届けることこそ、私の夢」

     そう、自分では思っていた。

    「だが、どうやら私は、自分という存在を捨てきれないらしい」

     後輩の言葉には、胸を突き刺されるような感覚を覚えた。同時に、フラスコの栓が抜けたような、そんな感覚もあった。

     思えば、なぜ速さに魅せられたのだろうか? それも、永続的な速さに。これは私の脚が弱いからこそ、持った夢なのではないか? 弱いからこそ、強さに憧れたのではなかろうか? だから、永続的という点に拘っていたかったのだろうか?
     ずっと心に引っ掛かっていた。ドーピングに白ける理由。自分でもしっかりと把握できていなかった。永遠に魅せられる理由を、わかっていなかった。

     だが、簡単なことだったのだ。自分に欠けるものを、私は自分のものとしたい。

    「言うなれば、私にもエゴがあった。イドに隠れていただけで、ずっとあったのだろう」

     らしくないセリフを吐いたなと思ったが、夕日に照らされたせいか、そんなことを気にすることもなかった。

  • 16二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 22:55:58

    「私は、私の脚で走り切る。速さの果てに挑むまで」

     心を決めた。プランBは棄却だ。自分の脚で果たしたいという夢を、私は貫く。どんな対価を払おうが進む。

    「脚のハンデなど、研究成果で補ってみせようじゃないか。そして残念ながら、君に勝利は譲れなくなってしまった」
    「ええ。構いません。あなたに譲られずとももぎ取りますから」
    「はははっ! 随分と威勢良く言ったものだ!」

     お互いに笑い合う。私だけじゃない。誰しもエゴを持っている。レースとは、それのぶつかり合いじゃないか。ならば、今までと変わることは何も無い。
     と、すっきりした気分で宿舎に戻ろうとした時。友人に引き止められる。

    「タキオンさん、もうひとつ話が」
    「なんだい? せっかく気分がよくなったというのに」



    「前におっしゃっていた夢の中の人物。名前、覚えてますか?」

     んん? 急になんだ? 夢で会った名前? 彼女の名は確か…………。

     待った。そういえばちゃんと名前を聞いたことが無い。しかし、ところどころ名前を言っていたはずだ。彼女は一人称に自分の名前を使っていた。
     だが、思い出せない。夢で意識がはっきりしなかったせいだろうか? 他の話は覚えているのに、名前はどうやっても捻り出せない。

    「スカーレットさんとの話でも、不思議な名前が出てきたんです。耳には聞こえるのですが、その名前や文字列を、頭で認識できないんです」

     いつになく真剣な表情で話す友人。それを聞いて、思い出した。
     同じだ。私にも聞き取れなかった。聞き取れないというか、聞き取れてもわからないような。難しい外国語でもないはずなのに、なぜか記憶できない。

    「これはどういうわけだい? 今まで経験したこと無いぞ」
    「私にも、まだわかりません。ですので、これはあくまで予想なのですが……」

  • 17二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 22:57:29

    「その方、この世界から消えてしまうのではないでしょうか?」

     消えてしまう?

     そう聞いて、頭の中で点と点がつながっていく。帰らなくていいのかという問に答えなかったこと、私に協力できないと言ったこと、お元気でと言葉を残したこと。
     さらには、彼女の夢。忘れられたくないという衝動、変わらないものがあるという安心感。それらは、彼女が消える運命にあるとするのなら、あの夢に魅せられる理由になるのではないか?
     マズい。彼女はいずれ消える。いや、既に消えかかっている。私の脳は、そう結論を出した。だからこそ、夢の中という世界でしか出会えなかったのだ。

    「カフェ、どうにかして彼女の存在を留めておけないか? オトモダチとやらが見える君なら、何か方法があるんじゃないか?」

     友人は驚いて身を引いた。何に驚いたかはわからないが。

    「……わかりません。消え入る存在を引き留めるというのは、私では難しいです。死を止めることはできませんし、そもそも、私はその人には会っていませんから」
    「じゃあ、一緒にあの研究室で寝てくれ! あの場所で夢を見れば、彼女に会える!」


     …………


    「ここだ。この平原で、私は彼女に会った」

     夏合宿の後、友人と共に研究室で眠り、夢を見た。案の定、例の場所に来れた。青黒い空に、地平線もとい水平線から溢れ出す光。間違いなくあの場所だ。

     しかし、いつもと違って、誰もいなかった。彼女の姿は、どこにもない。

    「誰もいませんが……?」

     おかしい。なぜだ? どうして誰もいない?

  • 18二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 22:58:40

     結局、その日は彼女に会えなかった。また後日、研究室で寝てみたが、やはり夢の中に彼女はいなかった。一人で寝ようと二人で寝ようと、トレーナーくんを駆り出そうと、いない。

     どういうことだ? 既に存在が消えてしまったのか? それとも、何か条件が足りないのか?

     もしかすると、私と彼女が出会えたのは、何か接点があったから?

     それは、夢の世界で出会えたことと、何か関係があるのか?

     考えてみれば、夢の中で他人と交流するなんておかしな話だ。この夢という要素自体が、彼女との接点になっている?

     私は、夢がキライだった。特に春は、皐月賞のあの夢を見るから。

     春……?

     そうだ。彼女と会えたのは、四月、五月のこと。春だ。春の間にしか会えていない。それくらいしか考えられない。私と彼女の共通点。春の夢でしか出会えないのだ。

     いや、もうひとつあった。これも彼女を呼び出すキーになるかもしれないな。であれば、今すべきことは彼女に会うことではない。

     夢での事態であれば、あの薬の効果を利用できるはずだ。友人が彼女を救えなくとも、私がなんとかしよう。


      

  • 19二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 23:00:41

     ~



     あれから時は過ぎ、翌年の四月になった。

     レースやトレーニングに励む裏で、私はある薬の開発に勤しんだ。疲れもあった。脚の補強も並行しなければならなかった。全てに出し惜しみせず打ち込んだ。思えばこの期間、休暇というものは無かったように思える。
     幸い薬の実験は、トレーナーくんに違和感無く試せた。実に非科学的な現象だが、効果もある程度実証された。あとは彼女に会うだけだ。

     ヘトヘトになった私は、研究室の机にへばりつく。そして、そのまま目を閉じた。



     …………



     気が付いた時、例の平原に来ていた。私以外、誰もいない。ここまでは想定済みだ。

    「やはり、か。私との共通点が二つ以上無いと、君はここへは来れないわけだな」

     深呼吸をする。そして、空に響くよう、私は声を張って語り掛ける。

    「スカーレットくんは、君のことを覚えているよ。赤い勝負服の友人がいただろうと聞いたら、君の名前を呼んでいた。君の存在は消えていない。来たまえ。夢の話の続きをしよう」

     そう、光に向かって話したその時。

  • 20二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 23:02:46

     ザザーン、と。波の音が聞こえた。

     遠くにあるはずの波の音が、近づいてくる。光の揺らめきは、だんだんと大きくなっている。こちらに近づいているのだ。

     そして、その波の中心に、見覚えのある姿が。

    「覚えて、いてくれたのですね」

     彼女は、波と共にやってきた。いつもと同じ姿で、海に足を入れながら、歩いてくる。しかし、まだ距離があるというのに立ち止まる。一方、波はこちらへと進んできた。私の足元まで伸びてくる。

     ……あくまで、こちらへ来ないというのなら。

    「君は、誰からも忘れられたくないんだろう? だが、現実はどうだ? 大半の人間は、君の名前を思い出せない。私やカフェも、君の名を知らず、聞き取れない状態さ」

     少々挑発っぽい言い方ではあるが、こうでもしないと、彼女の火を焚きつけられないだろう。

    「いいのかい? 夢を果たせず、力尽きてしまっても」

     私の呼びかけに、彼女は顔を逸らした。

    「波には、逆らえないのです」

     波に逆らえない?

    「命とは、一方通行です。決して、流れには逆らえないのです」

     試しに、私も波に足を踏み入れてみる。するとその足を引っ張られ、その場で転び、座り込んでしまった。彼女は立ち止まったが、これは歩かないことを意味しているのではない。あそこに立ち尽くしているのは、まだ彼女がこちらに来る希望を残していることを意味する。

  • 21二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 23:04:24

    「この際だから言ってしまおう。私は、君のことが理解できなかった。君の夢に、全く共感できなかった。だが、君がなぜそんな夢を見ているのか、ようやくわかった」

    「君は、存在が消える運命にある。だからこそ、存在が他人から消えない、忘れられないことを望んだ。自分が運命という海に勝てなくとも、誰かの中に残り続ける。それが、君の望みであり、君の安心だったのさ」

     私の話に、うっすらと笑みを浮かべてうつむく彼女。だが、歩みは止まったままだ。

    「そしてまた、私の本当の夢も見えてきた。私は、私が最速になりたい。他の誰かが最速になろうと、それは私の夢とは言えない。私は、私の脚で、完遂したい! それはなぜか?」

    「私自身が、走れなくなる運命だったからだ! 私の足枷に、反逆したくなった! 反逆できなければ、この夢は私にとって、意味をなさないからだ!」

     この話を聞いて、彼女の笑みが崩れた。目を見開き、私を見つめてくる。

    「そして、私は走り続けることを選んだ。結果、今も走り続けている。夢への道を突き進めている。それに、これは私だけじゃない。私の知人にも、運命に打ち勝った者がいる」

    「君は、どうなんだい? 他人に残ることが夢なのか? それとも、君自身が存在し続けることが、本当の夢なのか?」

     彼女は、その場でじっとうつむいた。動く波ではなく、足元の一点をずっと見つめている。そして、その口元が緩んでいく。

    「……もう、遅いのです。存在し続けることが、夢だったのかもしれません。けれど、今できることは、もう、何もないのです」

  • 22二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 23:05:24

     
     
     
     
     
    「いいや、まだある。そのために、私は君に会いに来たんだ」

     そう言いながら、私は服のポケットから小瓶を取り出した。中の液体が蛍光色に光る。彼女の瞳が、私の右手へと向いた。

    「夢に関する薬は、以前も作ったことがあってね。この半年間、苦難してやっとできた完成品さ」
    「どうやって、ここにそれを……?」

     なるほど。薬の存在よりも、ここに持ち込めた手段へ疑問を抱いているのか。

    「君と最初に会った時、私は勝負服を着ていた。夢の中だからだと思っていたが、あの晩私はその勝負服を着たまま寝ていたんだよ」

    「そこで、何かを身につけたまま眠れば、この夢にも持ち込めるんじゃないかと思ってね。その考えは正しかったわけだ」

     では、そろそろ詰めの一手といこう。

    「君が夢を叶えることを望むなら、この薬を授けよう。そのために私はここにいるんだからね」

    「だが、選ぶのは君だ。運命に抗い夢を目指すか、このまま運命に身を任せて流されるか。どちらの選択をするのかは、君次第だ」

     この言葉が、どこまで彼女の心を動かすかはわからない。この問いかけがむしろ、彼女を夢から突き放す可能性さえある。

     しかし、彼女の道は、彼女が選ぶのだ。他の誰でもない、彼女自身が選ぶ。

  • 23二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 23:06:24

     
    「勝てる、でしょうか……」

     数十秒の沈黙を挟んで、彼女から出た言葉だった。

    「やはり、君にもエゴがあるんだな」

     彼女の夢を確信した。

    「だが、勝てるかどうかは、君次第だ」

     私とて、この一年は死に物狂いだった。誰にも見せてないだけで、時間と体との戦いが続いた。運命に打ち勝てると、保証はできない。だからこそ、それを踏まえて進むからこそ、意味がある。



     数分経った時、ふと波紋が伝わってきた。



     彼女が、歩いている。こちらに向かって。

     その足は、実に遅かった。足を着き、次に足を出すまで、十秒以上かかっている。一歩一歩、まるでカメのような速さだ。私の求めるものとは対極と言っていいかもしれない。

     ただ、その一歩は着実に、夢に向いている。

     それを阻むかのように、波の引きが強くなっていく。

    「ああっ……!」

     強風も吹き始め、彼女がその場でよろけそうになる。私はただ、それを見届ける。

  • 24二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 23:07:48

     
    「まだ! まだ、ここにいます……!」

     彼女は、その場で踏みとどまる。こちらを真っ直ぐ睨んで。今までの一度も見たことが無い、鬼気迫る表情で。ギラギラした顔を向けてくる彼女を見て、私の口角は上がった。

    「そうさ! そうでなくてはおもしろくない!」

     彼女が届きそうなほど近くまで来た。私は思わず叫び、身を乗り出す。


    「私の名はアグネスタキオン。教えてくれ、君の名前を!」


     限界まで右手を伸ばす。それに呼応して、彼女の左手が伸びてくる。


    「○○○○○は、○○○○○の名前は…………………………!!」
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     

  • 25二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 23:08:40

     ―――――――――



     …………おや?

     目の前が真っ暗なのです。確か、さっきまでは海にいたはずなのに……。
     いや、何か変です。目を閉じていて、顔を伏せています。

     腕から顔を引き上げて、周りを見渡してみますが、ここはどこでしょう? あちこちの壁がピカピカ光っているような部屋ですね。
     ここで、寝ていたのでしょうか?

    「おはよう。そして、おかえり」

     後ろから、聞き覚えのある声がします。振り向くと、そこには白衣を着たウマ娘が、両手を広げて立っていました。



    「ようこそ、アストンマーチャンくん! 私の研究室へ!」

     

  • 26二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 23:11:59

    以上、タキオンマーチャンSSでした


    頭文字が一緒のウマ娘は絡ませやすい説

    【SS】先客がいるのね|あにまん掲示板bbs.animanch.com
  • 27二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 23:16:46

    うむ
    いい物を見た

  • 28二次元好きの匿名さん23/12/30(土) 23:18:32

    >>24で貼るつもりが忘れてたスクショも供養

    シーンとドンピシャなのが撮れてビックリした

  • 29二次元好きの匿名さん23/12/31(日) 01:07:56

    今年の最後に良いものを見た

オススメ

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