現代お笑いのルーツをちょっとだけ振り返るスレ

  • 1二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 17:23:11

    ダウンタウン


    言わずと知れた吉本芸人、しいては日本のお笑いの頂点に立つ漫才コンビ

    吉本興業の学校「NSC」の一期生であり、一度だけ講師として赴いた島田紳助、明石家さんまなどに

    「一組だけ見どころのあったやつがいた」と言われるなどデビュー前から頭角を現し、

    当時の漫才としては考えられないスローペースな漫才ネタを成功させてアイドル的な人気を得る

    その成功は新しい時代の波を感じた島田紳助に紳助・竜介の解散を決意させるなど大きな影響を及ぼし、

    ダウンタウンに憧れてNSC入りする「ダウンタウン世代」登場のキッカケにもなった

    ダウンタウンの漫才 「あ研究家」 1986年

    後述のウッチャンナンチャン、とんねるずが個々の活動にもシフトしていく中で依然としてコンビでの活動、冠番組も多いのが特徴的で、

    90年代に始まった『ガキの使いやあらへんで!』、『ダウンタウンDX』は現在まで続く長寿番組となり、

    比較的最近始まったと思われがちな『水曜日のダウンタウン』でさえ2024年の春には10周年を迎える


    ダウンタウンの成功は吉本興業の東京進出における大きな足がかりとなり、近年の芸能界において芸人が「中心的」な立ち位置となることの大きな布石ともなった

  • 2二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 17:26:41

    今や浮気とチャーハンだな

  • 3二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 17:26:52

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  • 4二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 17:28:20

    ウッチャンナンチャン


    映画学校出身という当時としては変わった経歴を持つコンビで、映画監督志望だった内村と俳優志望だった南原が

    学校であった「漫才」の授業でコンビを組み、そこを講師にしてマセキ芸能社の重鎮、内海桂子・好江に見出され、

    在学中からお笑いスター誕生や寄席に出演するなど活躍の機会を得る

    それまでドリフなど大掛かりなセットや衣装などを必要としたコントを、僅かな小道具と身振り手振り、

    話術だけで表現してしまう「ショートコント」として確立させ、現代お笑いに大きな影響を与えた


    ウンナンコント 喫茶店

    全盛期である90年代は数多くのTV番組を持ち、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』、

    『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャーこれができたら100万円!!』、『ウンナンの気分は上々。』、『笑う犬の冒険』など担当番組の殆どがヒットし、

    中でもウリナリから誕生した音楽ユニット「ポケットビスケッツ」と「ブラックビスケッツ」は若年層に社会現象的な大ヒットとなり、

    第49回及び第74回NHK紅白歌合戦に出演している

    ダウンタウンとは彼らが東京進出の足がかりとした番組「夢で逢えたら」で共演をしており、若手時代を切磋琢磨した戦友として、

    非吉本系ながらも友好的な関係を築いているなど付き合いは長い

  • 5二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 17:32:12

    とんねるず


    帝京高校の野球部とサッカー部に所属していた「面白い高校生」がコンビを組み、素人番組に多数出演

    弟子入りや専門学校などを経由しない、タモリ以来となる完全な「素人芸」でデビューし、

    共に東京出身というスタイリッシュな華やかさを持ちつつも、アイドルやスポーツ選手、全くの一般人などの

    お笑い外の素人参加型番組を数多く放送。破天荒と真面目さを併せ持ったスタイルで多くの若者を魅了した


    歌手としても活動しており、ミリオンセラーも記録するなど成功を収めている

    とんねるずとしては1991年に紅白歌合戦に出場、木梨憲武としては北島ファミリーの山本譲二とのユニット「憲三郎&ジョージ山本」で、

    更に「みなさんのおかげでした」から始まった「野猿」でも出場するなど歌手としての紅白出場回数は多い

    「憲三郎&ジョージ山本」や「野猿」、DJ OZMAと組んだ「矢島美容室」などの番組企画から始まった音楽ユニットはすべてヒットしており、

    素人芸からスタートしつつも多才・多芸が売りでもあり、芸人の「タレント化」を果たしたコンビでもある

    とんねるず 1番偉い人へ FNS歌謡祭

    又、芸人=イロモノとして歌手や俳優より格下、前座扱いの風潮が残っていた芸能界において

    「年齢が上か下か、それともタメか」という体育会系のノリを浸透させお笑い芸人の立場を変革させ、

    「内輪ネタ」と称しつつも裏方であるスタッフを重要視して待遇改善を図るなど業界に多くの影響を与えた

  • 6二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 17:34:47

    >>2

    ミシュランシェフを凌ぐ浜田軒(4軒)のオーナーだからな

  • 7二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 17:35:43

    ブッチャーブラザーズ

    ブッチャー&リッキーからなるとんねるずの少し先輩に当たるお笑いコンビで、自称・とんねるずやダウンタウンのライバル
    芸人としては面白くなくまったく成功しなかったが優れたプロデュース能力を持っており、
    東京NSCが出来る以前に作られた人力舎の養成所において「アンジャッシュ」、「ダンディ坂野」、「アンタッチャブル」、「ドランクドラゴン」、「北陽」などを見出した

    サンミュージックに出戻り後は、主にリッキーが人力舎で成功しなかったダンディ坂野をゲッツで成功させ、「カンニング」や「ヒロシ」をプロデュース
    その後も「どーよ」、「ぺこぱ」、「ゴー☆ジャス」、「髭男爵」などの他所の事務所をクビになった芸人を引き取ってブレイクさせるなど人気芸人を次々に排出
    第5世代以降の非吉本系芸人の殆どをプロデュースしたと言っても過言ではなく、リッキーはサンミュージックの社長に就任するなど芸人界の出世頭となった

  • 8二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 17:40:23

    小話

    前述の「ポケットビスケッツ」は、調べれば分かることであるが元々は最初から企画されていたユニットではなく、

    当時、子役上がりのタレントだった「高山理衣」を3人組の歌手として売り出す企画が始まりだった

    この際、残りの2人を選ぶ際に候補だったのがコーナーレギュラーだった国生さゆり、室井滋、千秋であり、

    中でも千秋は個人的に歌手志望だったこともあり一番意欲的だったが早々に候補からは外されてしまい、

    ショックのあまり泣き出した千秋を不憫に思った内村が咄嗟に庇い、千秋をメインしたもう一つのユニットを作ることを宣言

    これがポケットビスケッツの始まりとなる


    やがて、高山をメインとした「McKee(マッキー)」と、千秋メインの「ポケットビスケッツ」の対決路線が作られ、

    CD売上の高いほうがメインの企画として継続することになった

    そうしてMcKeeは作曲家として80年代に多くのアイドル・音楽グループの作曲、プロデュースを担当した後藤利次を招聘し、

    ポケットビスケッツは爆風スランプのパッパラー河合を共同制作者として迎えた

    対決の結果、ポケットビスケッツが勝利しMcKeeはCD1枚でお役御免となり、ポケビはその後社会現象的ブームになる……のだが


    ポケットビスケッツ YELLOW YELLOW HAPPY 1080p 60fps


  • 9二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 17:42:27

    今の関東勢の礎はリーダーだよな
    この人がラママのライブやってなかったらどうなってたんやろ

  • 10二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 17:42:56

    浜田=チャーハンは定着しそうな勢い

  • 11二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 17:43:22

    リットン調査団は?

  • 12二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 17:43:30

    >>8

    McKeeを担当した後藤利次は80年代にはおニャン子クラブやとんねるずの楽曲を担当するなど、元々秋元康との繋がりが深かった

    このことから前述の「野猿」がスタートした際に作曲家として声が掛かったのも後藤利次であり、

    野猿もまた社会現象的な大ヒット企画となり紅白にも出場したことから、ある意味でウンナンの雪辱をとんねるずで果たしたとも言える


    尚、野猿は大ヒットした「叫び」があまりにも有名なため、この楽曲がデビュー曲として誤解されがちであるが、

    「叫び」は2ndシングルであり、1stシングルは「Get down」である

    曲調がこの当時のKinKi Kidsに似ているが、これは元々野猿がKinKi Kidsのパロディーとして始まった企画だったからで、

    後藤利次に「KinKi Kidsっぽい曲」で発注されたことからこうなったという


    ちなみにポケットビスケッツも有名且つ人気なのはやはり2ndシングルの「YELLOW YELLOW HAPPY」なので、

    案外1stシングルというものは忘れられがちなのかも知れない


    野猿 / Get down


  • 13二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 17:43:58

    >>4

    こうして見ると看板番組の強さは圧倒的だな

    全盛期の紳助以上だろ

  • 14二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 17:49:18
  • 15二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 17:51:54

    リットン調査団

    吉本興業に所属するお笑いコンビで、ダウンタウンのオーディション番組でデビューした非NSC組
    同期としてはダウンタウンファミリーの今田耕司、東野幸治、木村祐一などがいる
    ダウンタウンの番組でデビューしたこともあって90年代はバーターとして彼らの番組に多く出演するが、
    東野や木村が人気になるのに比べて彼らの人気は伸び悩み、コンビ仲も微妙なものになっている

    しかし、吉本には彼らを師と崇める「リットンファミリー」という集団が存在しており、
    ケンドーコバヤシ、笑い飯、千鳥、友近、山里亮太、レイザーラモン、ネゴシックス、なだぎ武、野性爆弾、天津など、
    正統派とは言い難いコンビ、芸人が多く所属しているが、
    ファミリーの大活躍に伴い吉本内でも一目置かれる集団になり、勢力を拡大している

  • 16二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 18:01:08

    竜兵会

    ダチョウ倶楽部の上島竜兵を中心とした太田プロ所属の芸人の集まり
    元々はTV番組の企画で「太田プロオールスターズ」として上島や若手の多くが出演した際、
    出演者の中で一番先輩だった笑福亭笑瓶が番組内で滑ってしまい収録後に早々帰宅してしまったことから
    上島が若手に「じゃあ、飲みに行くか」と誘ったことから関係が始まったとされる
    面倒くさい性格だがお金を惜しまず面倒見がとてもいい上島を若手だった劇団ひとりや有吉などは強く慕うようになり、
    又、TVでのキャラクターから町の不良やチンピラなどに絡まれることが多かった上島を守るために
    事務所が竜兵会の繋がりを推奨したことも付き合いの長さに繋がったとされる

    劇団ひとりや有吉、土屋やノッチなどがブレイクするに連れて竜兵会にもスポットがあたるようになり、
    竜兵会のレギュラー番組や特番などが組まれることも多かったが、
    上島竜兵が自死を選択したことから自然消滅となった

  • 17二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 18:26:27

    >>15

    リットンファミリーの中にバッファロー吾郎の名前がないのは意図的なものなのか?

  • 18二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 18:28:49

    >>17

    単なる書き忘れ

  • 19二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 18:46:45

    面白い

    学生の頃頭空っぽで見ていた番組が今や歴史の1ページになっていて不思議な気持ちになる
    この手の背景知ってるとオールスター系の番組とかすげー楽しいよなあ

  • 20二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 18:58:54
  • 21二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 19:14:46

    >>9

    オードリーも太田も上田もリーダー大好きだよな

    人柄が良いのかな

  • 22二次元好きの匿名さん24/01/08(月) 19:18:43

    夢で会えたらとかいう伝説の番組

オススメ

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